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福田逸の備忘録――残日録縹渺

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2021年 06月 12日

『父・福田恆存』文庫化

4年ほど前に刊行した本が文庫になりました、有難いことです。

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(画像、デカッ!・・・いですね・・・)



# by dokudankoji | 2021-06-12 16:37 | 言葉、言葉、言葉、 | Trackback | Comments(0)
2021年 06月 07日

瑞牆山(みずがきやま)もキツかった

先月の末、26日に奥秩父の瑞牆山(みずがきやま)に登った。前日、麓の瑞牆山荘泊。5時起床で「みずがき山自然公園」(下の地図では中央下方の「芝生広場」)に車を停めて、時計回りに周回登山。(すみません、地図をアップしそこなっています)

7時半近く、下が自然公園からの瑞牆山の画像、今日一日は晴れてくれるはず。二枚目の画像は林道わきで見かけた九輪草。

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実はこの時計回りの「不動沢コース」、泊まった小屋の主人の話では、沢を渡る橋が崩落してゐるため林道のゲートが閉められているそうな(地図赤のバツ印)。「でも、私たちで一本橋掛けておきましたから、大丈夫ですよ」と、言われても、実はその橋を登山者が危なっかし気に渡る画像はYoutubeで確認済みで、ちょっと危ないなと思っていた。そのくせ、ま、どうにかなるだろうと、行ってみて驚いた。

林道ゲートは幾らでもすり抜けられるのだが、そして、沢沿いの道も少しも危なくないのだが、何度か沢を渡り返して、くだんの一本橋へ・・・丸太ですよ・・・。確かに上っ面を削って滑りにくくしてあるが、欄干など勿論ありはしない、両側にたるんだロープが張ってあるだけ。そのロープに摑まって、沢から1㍍余りの高さの丸太を歩くなど、70歳をとうに越えた私には「向いて」いない!

それにしても、この橋の画像を撮らなかったのは痛恨のミス? ただ、長い行程を考え、いつものようにスマホを出して景色や花を写すのを控えめにしたのと、さて、ここをどうやって渉るかに注意を削がれて撮影を忘れたまでのこと。

で、一本橋は一目見て渡るのは止めた。といって引き返すのは情けない。で、まぁ、その一本橋の直ぐ上の浅瀬に少々大きめの石を放り込んで飛び石伝いに、無事、渡る。このあたりは、小学生の頃から山に行っていた経験(?)がモノを言う。しかも高校時代は山岳部だったし、そのくらいのことが出来なくては、少々恥ずかしい。徒渉できなければ、そのママ沢の左岸を登ってみることも考えていたが、これは無謀かも・・・。

その橋の辺りから道が徐々に荒れてきて、コースが分かりにくいところも何度かあったが、といって、道に迷うというほどの難しさではない。ただ、この時計周りのコース、というか周回コースは橋の崩落もあるのだろうが、あまり人が登らなくなっているらしい。むしろ金峰山との間にある富士見平小屋を中継点にして、バス停の終点になる瑞牆山荘から直登する、反対周りのコースを頂上まで往復する人が多いと聞く。

そのせいか、確かにすれ違う登山者も追い抜いていく登山者も非常に少なかった。(私が追い抜くということはまずない。その程度のスローペースで歩いている。)一人だけすれ違った登山者は、気が付けば登り出して直に追い抜いて行った老人。どうも私よりは年配に思われる男性の単独行、人の少ないこのコースを往復だとか。登りでフゥフゥ言っている私を憐れんで、「自分もさっき、この辺り顎を出して苦労してました」と慰めてくれた。(慰められても、登りの坂が楽になるわけではない。)

そうこうするうちに岩の多い登りになって、しばらく苦労すると、滝の落ちる音が聞こえだし、直に不動滝に出る。富士見平からの同じ道のピストンをやめて、厳しい周回コースを選んだのは、この不動滝を見たかったからでもある。動画をお見せ出来ずに残念だが、何のことは無い、たまに書くブログに金を払いたくなく、無料で済ませているからにすぎない、静止画でお許しあれ。
 下の画像は様々な巨岩奇岩の中で面白いと思った一つを写した。見つめていると子供のイルカのようなかわいい顔が見えて、そうなると、もうそれ以外には見えなくなり、勝手に「いるか岩」と名付けておいた。

 

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  何万年になるのだろうか、何千年なのか(調べりゃ分かるか? 何千年ということは無かろう。ひょっとすると何十万年!?)瀧が抉った岩の形と、滑らかな滝の落ちる姿を見るのも今回の山行の目的の一つ。ついつい、瀧をぼんやり眺めて、ここで15分余り休憩してしまった。

 ちなみに、この瑞牆山はほぼ全山、花崗岩からなる岩山と言ってもよい。つまり何万年だか前には海の底だったのだろう。

さて、この不動滝の前後から石楠花が沢山咲いていた。小屋の親父さんが「今年は石楠花が当たり年で、楽しめますよ」とのこと、これは親父さんの言葉も当たっていた。同じく「黄花の駒の爪」もこの近辺を中心に多く見かけた。この名は、その葉が馬の蹄の形に似ているところからの命名である、画像をご覧になれば納得がいくだろう。

 





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この後、頂上まではガイドブックのコースタイムでは1時間40分とあるが、とんでもない、どんどん急になる傾斜、途中5分休憩を2回取って2時間20分! その間、クサリ場あり梯子あり、頂上直下のクサリ場など、非力の私にはクサリがあっても「どうやって登ればいいのよ」状態が一カ所。腰より高い足場に片脚を引っ掛けて、クサリを両手で思い切り引っ張りつつ反動を付けて一気に体を持ち上げるしかない。あれを登ってしまったのは、いわゆる「火事場の馬鹿力」――自分でもなぜ登れたのか、神のみぞ知る。誰か後ろからお尻を押してくれた・・・?

 それはさておき、最後はほとんど飛び出す感じで頂上に出る。と、、、頂上は実に「密」でした。 頂上直下の富士見平小屋方面からの登山者が多い、というか、殆どがそのコースを往復している。

あらためて、それはさておき、頂上に飛び出した私の眼に飛び込んできた絶景!――直ぐ東に金峰山(頂上近くの五丈岩が飛び出しているのが見える)。


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南には雲の上に立派な富士山。

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西は遠くに南アルプスの山々。

 

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その手前に八ヶ岳。


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ところで、自分の登ったことのある山を、他の山から眺めるのは楽しい。懐かしさはいうまでもないが、これは一種の優越感か。そういう意味で、この瑞牆山からの眺めほど、満足したものは近年ない。金峰山はいずれ一二年のうちに登るつもりでいるが、まだ行ったことがないが――

富士山――高校の頃(山岳部にいて)学校の夏休み中の学校主催の富士登山にサポートとして山岳部員が付いて行った。今のように列をなして、入山料を払う時代では勿論なかった。

南アルプス①――鳳凰三山(地蔵岳・薬師岳・観音岳)――中学の時、家族で行った。地蔵岳のオベリスクが印象的。オベリスクとはご存じの通り尖塔だが、頂上にロッククライミングでもない限り登れない巨岩が立っている。勿論、そこには登っていない。

南アルプス②――白根三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)――高校の山岳部での夏合宿。50年以上前のこと、当時、あらゆる装備は、装備品自体が重く、しかもテント泊、テントから寝袋から食料から何から何まで担いで二泊三日(だったと記憶する)、とにかく稜線に出るまでのきついことと、出てからの軽やかな足取りは未だに憶えている。

八ヶ岳――昨年の長梅雨を覚えていらっしゃるだろうか。梅雨が明けたのが、関東近辺では、なんと81日。だのに、私は7月の3031日で八ヶ岳を目指し、とにかく主峰の赤岳だけは何とか登った……この経緯は昨年8月9~10日のブログに書いた、そちらにリンクを貼っておく


で、話を瑞牆山に戻す。頂上からの眺めの話。 上記の通り、単純に4カ所の山――嘗て自分が登った山をグルリと眺め渡すのは楽しい。懐かしい。しかも富士山、北岳、間ノ岳は日本で一、二、三位の高さ。その三山に登っているだけでも「優越感」だが、それを一目で眺めるのはなんともいい気持だった。

が、ゆっくり眺めている暇はない。休んでいるだけコースタイムから遅れていく。下手にゆっくり休むと樹林帯に入ってから日が傾いて暗くなるのは剣呑――無情にもコースタイムには一切休憩は含まれていないのだ(当たり前か)。従って、休まなければ休まないほど、タイムロスは減るという理屈。

ついでに、私のペースが遅いのは事実だが、実はスマホで花やら景色やらを写し過ぎる、そのたびに立ち止まり、スマホの出し入れやらなにやらのタイムロス。これではコースタイムの1.5倍の時間が掛かるのは理の当然。今日はそれも考えて、撮影を出来るだけ控えめにして、さらには立ち止まったり腰を下ろしたりしての休憩を極力少なくして、ひたすら歩き続けたのだが・・・・・。

話しを戻して――頂上で昼食を食べ(握り飯二個)、一休み(35分滞在)して降りに掛かる。ちなみに今回は「10秒チャージ」やらなにやら、ヴィダー・イン・ゼリータイプの栄養補給食やクエン酸飲料を多く携行して、疲れる前にガンガンというくらい摂って、エネルギーを維持した感じ。これはかなりいい経験。補給して直に効いてくる感じには正直、驚いた。今後は少し重くても、この種の栄養補給を増やそうか。

降りは怖い。登りでコケても左程のことはないが、降りでは一つ間違えれば何メートル滑落するか分からない。殊にこの瑞牆山は登ったルートも、これから降りる富士見平へのルートも、頂上の前後、相当の急峻である上に岩場の連続、降りで一歩間違えれば、大怪我をしかねない。もう一度登るかと聞かれたら、Noと答えるだろう。(と言いながら、実は、また行きたくなっている、瑞牆山にはそういう魅力がある。多くの登山者が同じようなことをブログなどで書いている。)ま、あの急峻の登り降りは一度でいい。同じ急峻でも他の山で味わう方がまだましではあるまいか。

ここからはひたすら降り、やはりコースタイムからはだいぶ遅れて、二時間余りで富士見平小屋に着いたが、途中の桃太郎岩、今やネットで幾らでも見られようが、相当の巨岩で真ん中がパックリと裂けた丸い岩。まるで桃太郎が生まれ桃の様というわけである。比較する人物でも映り込んでいると巨大さが分かるが樹々の高さで押し測って頂きたい。


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ここまでで急な降りも終り、ここから富士見平小屋への、いわゆる「登り返し」が疲れた脚にはキツイとどのガイドブックにも書いてある。が、楽ではなかったが、私にはさほどには思えなかった。しばらく登ると、直に降り気味の道になっていた。30分ほどで富士見平小屋、ここで小休止。青空と樹々の緑が綺麗だった。


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ここからは、樹林帯をひたすら降り道。石楠花と東国三葉躑躅(関東三葉躑躅ともいうらしい)が満開の道を楽しむ。

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花もなくなって紅葉樹林帯に入ったあたりから見上げた瑞牆山の姿は、登ってきた直後だけになんとも嬉しかった。登れたのは当たり前のような、一方で、自分の歳を考えるとなにやら奇跡のような不思議な気分がしたものだ。

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この後もひたすら降ること一時間、16時半頃に漸くスタート地点「みずがき山自然公園」に辿り着いたというか戻ってきた。


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合計タイム、およそ9時間、うち、休憩の総計90分ほど、7時間半は歩き詰めに歩いた、73歳の老人にはかなりハードな山旅だった。7時間半はキツイ――今後、これほどの行程をこなせるか……正直自信はない。



# by dokudankoji | 2021-06-07 23:50 | 山行 | Trackback | Comments(0)
2021年 01月 25日

忙中閑あり、自粛中難あり・・・

 緊急事態宣言は延長されるのだろうか。この数日の、僅かながらの感染者数微減傾向からすると2月の7日で取りあえず、終了か・・・? 

 もっとも、私は、未だにこの感染症、少なくとも我が国においては「怖れるに足らず派」である。後遺症や、急激な重症化と死亡に関しては、やや引っ掛かるものはあるが、今なお、指定感染症第2類を第5類(インフルエンザ並み)に格下げすれば済む話だと思っている。

 それはさておき――というか、以上、ちょっと格好をつけて書いてみただけで、あとは腰砕けのような、情けない話――

 月半ばに、高校時代からの友人二人と、緊急事態宣言を無謀にも「敢然」と無視、ガラガラの新幹線で、ガーラ湯沢ではなく越後湯沢駅下車、舞子スキー場に行ってきた。三泊四日、スキーを堪能?……してきた。ま、雪中自粛を決め込んだと思召せ!

15年のブランクにも拘らず、昨年取り戻したスキーの勘は、幸いなことに一年では消えず、大いに楽しんだのも事実である。

越後の雪は湿雪で重いのが難だが、それを言うなら志賀や菅平、或いは北海道など雪質の良いところに行けばいいだけの話。ケチを付ける暇があったら、その雪に慣れろというところ。少し踏ん張って脚を押し出す力を強めればいい――事実、二日目には雪の重さはほとんど気にならなくなっていた。

昨年、久しぶりにスキーを復活し、今年の課題は今流のカーヴィングスキーの板に慣れること。実は、高い金を払って個人レッスンまで受けた。 そもそも昔流の板や滑りのクセの上に、子供の頃に病気をやった右股関節のため、歩く時どうしてもビッコを曳き、それが滑る時にも災いする……。それをレッスンで矯正したかった。

効果はテキメン……と言いたいところだが、そうは問屋が卸さない。なんとか、それらしい滑りにはなってきたが、上級者から見れば、未だ道半ばだろう。

それはさておき、三泊四日のうち三日目は吹雪かれてゴンドラも止まり、一日宿で沈澱、読書をしたり友人とだべったり、テレビで相撲を見たり。

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まさに雪中にて自粛ということに相成った。

そして、最終日、二度目のレッスンを受けている時のこと。急斜面で自分としては納得の滑りをしていると悦に入っていた、その瞬間、背後からスノーボーダーに激突された。かなりの衝撃だったが、立つことも滑ることも出来るので、無言で固まっているスノーボードの若者には「お互い、気を付けようね!」と嫌味の一言を掛けて、解放してやった。

それでもレッスンを取りあえずは続け、6キロの長いコースを降りて午前を終え、午後も友人と再びゴンドラで山の上に登り、中級者コースで復習――しかし、体重をかけて踏ん張ると、ぶつけられた右脚側部が少し痛むので、早めに切り上げ、ゴンドラ頂上駅のカフェで動画や静止画を写したり、ノンビリ過ごして、そのままゴンドラで下山。



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さて、その日の夕方の新幹線で帰宅。筋を伸ばし過ぎたか捻挫みたいなものとタカを括って、なんとなくビッコを曳いて帰ったはいいものの、翌日になっても痛みが引かない。これは「変だわ」と思って、夕刻、整形外科へ――何のことは無い、右脚腓骨の内側に小さなヒビというか、いわば剥離骨折に近いものだった。

医者に「ヒビですよねぇ」と問うたら、医者冷たく返していわく「ヒビも骨折です」、「はぁ」。

といっても、手当てするほどのものでもなく、「サポーターでもしておきますか、ま、一か月でしょう」との御託宣で貼り薬と痛み止めを貰って帰宅。あとは自宅で「静養」しかないとのこと。

――というわけで、日本中が自粛中に雪中自粛と洒落たつもりが、やはりバチは当たるもの、今や、本当に自宅にて自粛中――謹慎蟄居中……では、洒落にもならんか。

そのくせ、二月の末には、いい雪を求めて標高2200㍍にある某スキー場に行くつもりでいるが、医者が許すかどうか……。ま、行ってしまえばこっちのもの、病院から逃げ出した陽性者じゃあるまいし懲役だ罰金だとはなるまい。最悪、再び骨折というところだろう……。しかし、入院でもした日にゃ、一種の懲役か……。



# by dokudankoji | 2021-01-25 18:25 | 山行 | Trackback | Comments(0)
2020年 11月 24日

二十七回忌・本音バージョン

一昨々日、十一月二十日は父・恆存の命日だつた。七回忌はともかく、十七・二十七回忌の法要はしないことが多いと思ふが、実は私もそのつもりでゐた。

 が、一月ほど前だろうか、何となく気持が落ち着かない。家人も確認のためだらうが、法要をするのか私に再三尋ねてくる。正直なところ、どうも法事が苦手といふ事もあるのかもしれないが、二十七回忌でもあり、余り大袈裟なことはしたくなかつた。で、家人にも言を左右にして曖昧を決め込んでゐた。そのうち、間に合はなくなつてやらないなら、シメタものと思はなくもなかつた。  

そもそも、親戚に声を掛けるにしては、すでに少々遅すぎる時期だと――自分の中で屁理屈をこねて法事から逃れようとしてゐたのかもしれない。家人にも、やはりやらないと結論を伝へた。一度は、さう決めたのだが、やらぬと決めると、却つて落ち着かなくなつた。

 そのまま、一週間ほどした頃だらうか、やはり、やらうといふ気持ちがむくむくと頭をもたげる。で、菩提寺の住職に話し、少々急なことではあるが、命日に家人と二人のみの静かな法要を出来ないか予定を聞いてみた。さいはひ、午前中なら空いてゐるとのこと。それではとばかりに、お願いしたといふドタバタを演じてしまつた。

 母は九十九歳で存命。施設の世話になつてゐるのだが、この二か月余りの間に救急搬送が二度。なにやら危ふい雲行きになつてきたことも私の気持ちを動かしたのかもしれない、殆ど信心深いとは言ひ難い私にしては「珍しい」ほどの信心深さと相成つた。

 半年のうちには、怖らく母も父のところに行くことだらう。法事が続く月日を送るのも、さう遠くない事になるかもしれないが、それはそれ、父は父。

六年後の三十三回忌も私の手で法要を挙げさせて頂かう。そのあととなると・・・五十遠忌か――常識的には生きてゐれば九十五歳になる私は生死に拘らず列席できまい、墓の中で相も変らず父と喧嘩をしてゐるのかもしれない……と、思ひつつ、一方では、五十遠忌? なぁに、それまでたかが二十三年、この私のことだ、憎まれつくして世に憚つてやらうではないかと、期待に胸を膨らませてこれからの残日を迎へるつもりでゐる。

 さう言へば、父は自分の死を察した頃、十歳違ひの母に、「十年遊んで来い」と言ひ残したと聞く。が、母はその二倍半に余る月日をのうのうと生き延びてゐるわけだ。若い時、スキーだ水泳だ登山だと、体を鍛へぬいたのが幸ひしたのかもしれない。水泳は、あの「前畑ガンバレ!」の前畑に教はつたことがあると聞く。

 たまには、タイトル「残日録縹渺」にふさわしく(?)、あまり中身のない事を書いてみた・・・

 そして、正仮名遣ひで書いておいた。



# by dokudankoji | 2020-11-24 22:42 | 日常雑感 | Trackback | Comments(0)
2020年 11月 23日

二十七回忌

 一昨日、十一月二十日は父・恆存の命日。七回忌はともかく、十七・二十七回忌の法要はしないことが多い。今回もそのつもりだった。
 が、一月余り前だろうか、何となく気持が落ち着かない。親戚に声を掛けるのも、すでに少々急な話と思った。で、家人とも話したが、結局はやらないことに決めた。が、そう決めると、さらに落ち着かなくなった。

 で、菩提寺の住職に話し、少々急な話だが、命日に家人と二人で法要を出来ないか予定を聞いたら、午前中なら空いているとのこと。それではとばかりに、お願いした。

 母親が九十九歳で存命。最近なにやら危うい雲行きになってきたことも私の気持ちを動かしたのかもしれない、殆ど信心深いとは言い難い私にしては「珍しい」ほどの信心深さ?

 一年もしないうちに、母も父のところに行くだろう。法事が続く月日を送る事にもなるだろうが、それはそれ。父は父。六年後の三十三回忌は私の手で法要を挙げられるだろうが、そのあと・・・五十遠忌となると、常識的には私は列席できぬだろう。いやいや、六年後だって怪しいものである。これが最後の私の手による父の法要だったのかもしれない。
 それならそれで、善きことだったと言えるわけだ。私も一月後くらいにはCovid-19であの世かもしれないのだから・・・ 

 たまには、タイトル「残日録縹渺」にふさわしい(?)、中身のない事を書いてみた・・・

 話は飛ぶが、こうして、現代仮名遣いで書いてきて、そのたびに感じているのは、なぜ正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ・旧仮名遣ひ)で書かぬのだらうと、自分で訝るといふか、苛立つといふか・・・そろそろ、仮名遣ひを変へるかもしれない。その方が私には楽。
 さう、仮名遣ひの問題も、索漠といふか、縹渺といふか、なんとも空しい事である。これだけ書いて、分かつてもらへる人に分かつてもらへれば、それでいい。


# by dokudankoji | 2020-11-23 21:45 | 日常雑感 | Trackback | Comments(0)