福田 逸の備忘録―独断と偏見

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2009年 09月 28日

世襲、良いのか悪いのか

 朝日新聞九月十七日の朝刊、つまり鳩山内閣発足翌日の朝刊だが、私は前日十六日ウィーンから帰国の時差ボケ頭で自分が読み間違へてゐるのではないか、それにしても朝日新聞らしくないとしばし唖然としてゐた。時差ボケゆえ、余り読む気にもならず、そのまま保存、数日後に読み直して再び唖然、といふより笑ひ出したといふか腹が立ち出したといふか。

 第一面はまさに「鳩山内閣発足」の大見出しで、各新大臣の顔がずらりと並び、ヨイショのオンパレードも、ご祝儀記事だからまぁよいかといつたところなのだが、五面の記事を見て感心するのを通り越して唖然としたのである。

 ついこの間まで朝日も含めメディアでは世襲批判の大合唱だつたはずだ。ところがこの五面ときたら、系図まで使つて鳩山氏が如何に華麗なる家系に生まれ、のみならず母系外戚がどれほど「著名」な家柄かを示し、祖父の一郎総理と一緒に写つた写真まで出して、世襲万々歳のごとき様相を呈してゐる。中見出しには<政治家4代「祖父を尊敬」>とまで大きく書いてゐる。

 そして、まさか、朝日一流の照れ隠しでもあるまいが、中の記事を読むと一文にかういふのがある。「世襲批判もあるなか、由紀夫氏は家系を隠さず、むしろ前面に押し出してきた」と。さうか、メディアに批判されても自ら前面に押し出せるくらゐ立派で華やかな家系なら世襲も認めちやはうといふのだな。しかも、一方で(それを照れ隠しと言はせて頂いたが)、家系といふものは家計と同じく余り表に出すものではなく「隠す」方がよいと、やつぱり朝日は考へてゐるのだな。

 世襲を認めてゐると思はざるを得ないのは、なにしろ一郎首相の親、鳩山和夫(衆院議長・早大校長)から始めて、由紀夫氏の息子のモスクワ大学研究員の紀一郎氏まで、五代に亙っての系図は実に懇切丁寧。大した手の込みやう、念の入れやう、気合の入れ方。

 その系図はさらに、一郎首相の弟・秀夫が東京帝大教授で衆院議員であること、その妻の父が菊池大麓東京帝大総長にして文部大臣であること、由紀夫氏の父、威一郎の妻安子の父がブリジストン創業者石橋正二郎で、弟幹一郎がブリジストン会長であり、その妻は三井合名理事長の団琢磨の孫娘に中るといふところまで、しつかりメディアとして我々読者の知る権利を保障してくれてゐる有様だ。

 朝日新聞、皮肉のつもりか否か分からぬが、この鳩山家の系図四代目に出てくる由紀夫氏と邦夫氏の肩書きはともかく、お二人の奥方にわざわざ「元宝塚女優」「元タレント」といふ「肩書き」をつけてゐる。皮肉ではなくて、生真面目? どちらとも判断が付けがたい。ここに「元」を付けるなら、すべての故人に「元」を付けて欲しいくらゐだ。

 それに、威一郎の奥方が石橋家といふことは知つてゐたが、団家に繋がつたり菊池大麓が出てきたのにはびつくり。さういふ意味では朝日新聞、メディアとしての役割を果たしてゐる? しかし、知らなくともいいことばかりだ。もちろん系図そのものに何の文句を付けるいはれもない。しかし、どうにもいつもの朝日にそぐはない。さうではあるまいか。

 皇室の連綿と続く皇統などにいつも否定的で、華麗な家系など軽蔑する態の記事ばかり載せる朝日が(あるいは、少なくともさういふ印象ばかり与へる朝日が)、なにゆゑ民主党総理のこととなると、かうまで古臭ぁ~い日本的な情緒に嵌まり込んでしまふのだらう。からかつてゐるのではない。気持ちが悪いのだ。オジイ様は東大の総長でいらつしやるのよ、奥様は××家の出でいらつしやつて、その何代前には○○社の創業者がいらつしやつて……等とやる権威主義が気持ち悪い。朝日にさういふケがあるとは思ひもよらなかつた。

 いや、これは私が迂闊だつた、馬鹿だつた。今後は、朝日も戦後臣籍降下された旧宮家のやんごとなき方々の系図を載せるときも、是非、鳴り物入りでその華々しき肩書きや縁戚の系図を麗々しく書き立てて頂きたい。記事の中で、「世襲批判もあるなか、本人は家系を隠さず、むしろ前面に押し出してきた」とでも一行入れればよろしい。更に、申し上げれば麻生太郎氏「程度」の家系に世襲だなんだと因縁を付けぬがよろしい。朝日新聞、もう少し毅然として下さいな。

 こんな与太記事(紙面?)や、四五年前まではホリエモンのやうなまさにどこの馬の骨とも分からぬ人物を持ち上げたり、昔でいへば田中角栄を今太閤と持て囃したりの、その無軌道ぶり節操の無さを見せられては、メディアといふものに信が置けぬと言はれてもしかたなからう。

 ただ、それよりも何よりも、実はさういふメディアを信頼する民衆といふ存在が一番手に負へない。メディアに踊らされる、いや、一緒に踊りたがる民衆国民を私は何よりも信用できない。現今の多くの政治家やメディア同様に信用できない。四年前には自民に投票し、今回民主に投票した人々を私は絶対に信用しない。さういふ浅はかな投票行動を軽蔑する。これをポピュリズムと呼ばずして、何と呼ぶのか。

 世襲の話を始めたつもりが、やはり、ついつい昨今の日本人の危ふさに思ひが及んでしまふ。それについては時間がある時にまた改めて書くつもりだが、ただ、今の「民主党騒ぎ」がいつまで続くか、それが楽しみだとだけ申し上げておく。ついでに、二年余り前に書いた、この記事にリンクを張つておく。結局、私は前と同じ歌を歌はされてゐるわけだ。

 更にまた蛇足で、指摘しておく。温室効果ガスの25%削減問題。あ~ぁ、鳩山さん、本当に国連で言つちやつた……。皆さん、さう、思ひませんでしたか? さう思つた方、さう思つたあなた、そのあなたがもしもこの間の総選挙で民主党に投票したのなら、天に唾するといふ言葉を思ひ出して下さいな。高速道路無料化も、子供手当てだか子育て支援だかも同じことです……。国民に迎合する政治家だけは持ちたくない。
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by dokudankoji | 2009-09-28 23:38 | 雑感 | Trackback(1) | Comments(1)
2009年 09月 25日

再演の怖さ

 八月納涼歌舞伎の「お国と五平」といひ、ブルガリアでの「白鳥の歌」といひ、再演の怖さを改めて痛感してゐる。失敗したといふのではないが、初演時に手応えがあり、評判がよければよいほど、私といふ演出家は油断してしまふらしい。そんな経験は以前にもある。今回はその轍を踏むまいと思ひ定めてゐても、決して手抜きをするわけではないのに、何かが変はつてくる。何か尾ひれが付いたり、熱が失せたりしてしまふ。

 あるいは、これも舞台の成長なのかもしれないとも思ふのだが、どこか釈然としない。そんな気分を抱へての十月の「白鳥の歌」がどういふ結果になるか、半分ゐなほつて高みの見物を決め込んでゐる。後は、もう役者がやつてくれよとでもいふ気分。もちろん違ふと思ふところは最後まで意見も言ふし、自分の考へに固執もする。(さういふ意味では私はしつこいらしい。)

 しかし、出演するのは私より一回りも二回りも歳上の役者たちだ、六十の洟垂れ小僧の言ふことなど、ここまで来たら釈迦に説法だらう。あと数回の稽古を残すばかりだが、気持ちよく演じてもらへれば、それでよからうと、そろそろ手綱を放さうかと思つてゐる。

 ご興味ある方はこちらを御覧になつて申しこんで頂きたい。小さな小屋なので、日によつては席が取りにくくなるらしい。何のことは無い、宣伝である。
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by dokudankoji | 2009-09-25 17:27 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2009年 09月 17日

懲りない日本人

 総選挙直後に離日し、帰国が新政権発足の十六日となる。その間、日本の情報には一切触れる機会がなかった。私は一人勝手に興醒め選挙と名付けて成田を発つたのだが、この半月もどうせ同じことだらう、今これを帰りの機内で書き始めたが、自民も民主も、興醒めなドタバタを相変わらず演じ続けてゐるに違ひない。

 四年前の郵政選挙で、いい大人が本気でコイズミコイズミと騒いでゐた。私の周りでも物の分つた大人と思つてゐた知人が、熱に浮かされたやうに構造改革礼賛をしてゐたのを思ひ出す。たつた四年前である。それが、今度は政権交替が合言葉となり、格差社会やら改革の痛みやらが口の端にのぼる。といふより、マスコミがさう騒ぐから、皆その気になる。

 郵政選挙で自民が三百議席、政権交替選挙で民主が三百議席。そこまで振れる振り子にはどこか異常なところがあると思ふのが常識ではないのか。マスコミに踊らされてゐる。あるいは選挙が軽んじられて(遊ばれて)ゐる。勿論、小選挙区制の欠陥がある。

 山本七平流に言へば、空気――その場その時の気分、雰囲気に浸つて突つ走る。さういへば、マスコミから女子供まで日本が一色に染まつた時は、六十数年前に確かあつたではないか。玉砕を叫んで眦を決し、聖戦を批判すれば非国民と呼ばれ、マスコミが盛んに「戦果」を報道し、結果として、小さき批判の声は誰にも届かなくなる。

 郵政選挙の頃からだらうか、いや、もつと前からのやうな気がするが、私は日本がいつか再び、愚かなる「負ける戦争」に突き進む時があるかもしれない、少なくとも英雄(独裁)待望一色にこの国が塗りつぶされる時があるかもしれない、さう危ぶむやうになつた。

 二大政党願望など、空念仏の戯言に過ぎまい。要は、郵政だとマスコミが騒げば、わつとばかりに雪崩を打つて郵政郵政と念仏を唱へ、政権交替と「夢」を見せられると、直ぐに飛びつく。もう少し前、バブルの絶頂の頃の「空気」を思ひ出してもよいのかもしれない。あれもまさに「泡」を追ひかけ、過去も顧みなければ未来も予測しない、その瞬間に何かを求めて、虚無を掴むの体たらく。それと同じ事を私達は繰り返してゐはしまいか。郵政にしろ、政権交替にしろ、本当に何かが実現すると思つてゐるのだらうか。泡のやうな夢を追ひかけ、現実(現在)の空しさを誤魔化してゐるだけではないか。

 この四年間、二度の選挙を見てゐて、私はこの国があの戦争にのめりこんで行つた姿を、漸くこの目で捉へた気がして、なにやら妙に腑に落ちる気がしてならない。これが私一人の頓珍漢な勘違ひなら有り難いのだが。

 蛇足に一言。国民は、自民にせよ民主にせよ、あるいは今の政治家そのものに、本気で何かを託さうといふ気があるのか。一方、政治家は本気で自分が政治家たる能力資格を有してゐると考へてゐるのだらうか。どちらも、この三十年、我が国から失はれたことどもではあるまいか。この六十年余り、殊にこの二十年、日本は堕ち続けてゐる、それがどこで止まるのか、あるいはとめどなく堕ち続けるのか。少なくとも我々はその瀬戸際に立たされてゐる。少なくとも堕ちるところまで堕ちた、それだけは間違ひない、私はさう確信してゐる。(十六日、帰国後補記)
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by dokudankoji | 2009-09-17 00:11 | 雑感 | Trackback(2) | Comments(2)
2009年 09月 09日

首の振り方 2

 ウィキペディアにこんな記事が出てゐる。<ブルガリアでは「はい」の意思表示として首を横に振り、「いいえ」として首を縦に振る。近年首振りを国際標準に改めようという動きがある>。

 といふことは、世界で首の振り方が異なるたつた一つの国? それは貴重だ、どうか世界標準になど改めないで欲しい。私はあらゆるものについて、グローバル・スタンダードと聞くと眉に唾をする。

 ブルガリア公演を一手に引き受けてくれてゐる夫妻に、昨日の食事の折に聞いた話。この首の振り方のそもそもの始まりは……といつても伝説に近い説なのだが、オスマン・トルコに征服された時、喉元に剣を突き付けられて、イスラム教に宗旨替へを迫られた王が、服従にイエスと答へながら頷かうとしたが、頷けば剣が喉に刺さるので、首を左右に振りながらイエスと言つた、以来、世界で唯一(?)首の振り方が普通とは逆の民族が誕生してしまつたとか。

 その夫妻の奥方は東京学芸大学の大学院に学び、日本語ぺらぺら、はなはだ知的な美人だが、ロシアで育つたため、祖国ブルガリアに戻つた時、やはり、この首の振り方にかなり戸惑つたとのこと。

 話はあちこちするが、今回の「白鳥の歌」等の公演が実現したのは、この夫妻がブルガリア側ですべてを段取つてくれたからなのだが。来てみて舌を巻いてゐる。こちらに着いてから、稽古の間を縫つてプレス・カンファレンスやら、メディアの取材やら、ラジオ・テレヴィへの出演など制作・演出・俳優、合はせて十回を超えるのではないか。二都市でたつた六回の公演に、である。

 しかも、その奥方、それらの会見や取材、テレビ出演等の通訳をこなしながら、一幕物三本の字幕の翻訳を、完璧にこなしてくれた。日本人の観客が笑ふタイミングで、ブルガリア語の字幕を見ながらの観客が笑つてゐるのには驚嘆の一語。それが完成したのが初日前夜の徹夜。こちらは頭が上がらない。感服するのは、そのハードスケジュールをこなして、ネを上げない。疲れた顔を少しも見せずに、いつもにこやかに美しい笑顔を見せてくれる。

 今までの海外との交流が成功するかしないかは、相手が日本を好きであるか否か、ほとんどそれに掛つてゐたが、今回も同じ感想を持つてゐる。(ブルガリア時間8日21時50分記)
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by dokudankoji | 2009-09-09 03:50 | 雑感 | Trackback | Comments(1)
2009年 09月 04日

首の振り方


 ブルガリアの首都ソフィアに着いて三日目、異民族のジェスチャーの違ひは承知してゐるつもりだが、戸惑ふのが「はい」と「いいえ」。

 エレベーターに乗ろうとして、矢印が上を指してゐるので、確認のつもりで中にゐる人に「上?」と聞くと、にこやかに首を横に振りながら「上」と言ふ。かなりの違和感を感じた。肯定の時に首を横に、否定の時に縦に振るらしい。

 ふと考へたのだが、世界各国といふか各民族を調べたら、この縦横の首の振り方と肯定否定の関係はどうなつてゐるのだらう。どちらが多数派か、あるいは既に何らかの統計があるのかもしれない。ちよつと興味あるところだが。どなたかご存じだらうか。

 これから劇場へ行き、いよいよこちらの最後の詰めに入るが、十分な舞台稽古の時間が取れさうもない。ぶつつけ本番を覚悟してゐる。 今後、ブルガリアの旅の日記をアップする時間が余りあるとも思はれない、書ける時には書くつもりだが、その程度のものと期待なさらないで頂きたい。(ソフィア時間午前十一時過ぎ記)
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by dokudankoji | 2009-09-04 17:10 | 雑感 | Trackback | Comments(2)