福田 逸の備忘録―独断と偏見

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2009年 03月 22日

吉田邸焼失――皇室の存在

 今日の報道で多くの方はご存じだらうが、私の住む大磯にある吉田茂邸が全焼した。放火か失火か分らぬが、家人は早朝の異様なサイレンの音に不安を覚えたらしい。横浜に住む知人が八時過ぎにニュースで知り電話をして来て、家人はこの「大事」を知つたとか。一方、朝の四時近くに就寝の私は白河夜船、「大事」を全く知らずに昼近くに起き、その事実を聞かされ茫然とした。

 伊藤博文の別荘蒼浪閣(明治憲法起草の間といはれる一室がある)と共に吉田邸はいはば町の象徴であり、といふより、私にとつても生活の一部に溶け込んでゐる風景だつた。大隈重信の別荘、今は古河電工の所有管理になる住宅、西園寺邸など、この大磯にはいまだ明治以来の文化財が存在し、生活の中に息づいてゐる。以前には白洲正子の実家樺山邸もあれば、加藤高明首相の屋敷もあり、佐賀鍋島家の別荘もつい近年まで残されてゐた。

 さういふ歴史を背負つた建築物があるといふ事だけでも心愉しきことだ。島崎藤村が住み、後に高田保が住んだ家も、今は藤村邸として公開されてゐる。私が幼年期を過した家の斜向かいにあり、幼き頃遊んでもらつた高田保の家が藤村の住んだものと知つたのは後年のことだが、その家も蒼浪閣も吉田邸も私にとつては一度は足を踏み入れその「場」を体験し、その記憶と共に生きてきたものであり、焼失の報せに、かなり動揺したと言つてもよい。

 私の産まれた建物は、当時両親が間借りしてゐた山下汽船の別荘(山下別荘と呼んでゐた)、そこから引つ越したのは私の乳児期であり、これは記憶に残つてゐないが、この別荘もその後、火事で焼失した。その時の衝撃も今懐かしさと共に思ひ出される。ついでに言へば今私の住んでゐる家の向ひにある家も古く、先々代團十郎が夏の間、滞在した部屋もある。

 ところで、吉田茂の功罪はなかなか簡単には言へぬが、戦後の復興に関する功績は幾ら言葉を費やしても足りぬと同時に、経済最優先・再軍備後回しは幾ら悔いても足りぬ失策と私は思ふ。戦後六十年を閲して、ソマリア沖の海賊対策にああだかうだと愚にも付かぬ論議が戦はされ、自衛隊がいつまでも軍隊足りえぬ、両手両足を縛られた武器無き戦闘集団たらざるを得ない、さらに、さういふ政治家とその政治家を選ぶ国民を育て上げてしまつたこの国の姿、これらは吉田の失策の結果と言つてよいだらう。

 吉田邸焼失。今、暮れなずむ大磯の自宅にゐて、吉田邸がもはや存在しないこと、やがて、その美しい庭園も(県が現在の所有者の西武鉄道から家屋と共に購入して管理すると言はれてはゐたが)、今後どうなるか分つたものではないことを思ふにつけ、寂寥とした寂漠とした気持ちに捉はれる。失つて漸く、その存在がいかに自分の心の、自分の存在の一部になつてゐたか気が付く。防ぎやうがなかつたことなのか、それは私には分らない。ただ、現在は失はれた事を残念と思ふ、無念と思ふ。悔やまれてならない。

 牽強付会と言はれるかもしれぬが、吉田邸焼失に衝撃を受けた瞬間、もう一つ考へた事が皇室のことだつた。消滅し、失はれて初めてその存在の意味を味はふ。喪失の悔恨を味はう。皇室も恐らくさういふものではあるまいか。理屈ではない。抛つて置いても、どこかに存在すると安心しきつてゐる、あるいはその存在の意味を日常考へてもみないもの、私にとつての吉田邸同様すつかり忘れてゐるもの、それがある日、存在を已める。その時、慌てて如何なる対策が取れるのか。

 我々が、今、本気で対処しなくてはならぬ懸案、しかも、小泉の皇室典範改正問題で一時期盛り上がつたものの、秋篠宮家の親王誕生によりどこかワザとのやうにマスコミが話題にしなくなつたこの問題を、我々はもう一度、失つてしまふ前に熟考すべきではないか。吉田邸が失はれても、あるいは、いつの日か桂離宮が法隆寺が焼失しても、確かに日本人、日本の国は生き続けるのだらう、喪失感を秘めたままに。そして、いつの日か不在に馴れる。それでもよい、失つてしまつたものはどうしやうもないではないか。さうは思ふ。が、失はずに済むものなら、失ひたくはない、失はないやう最善の手立てを講じるべきではないのか、建造物の如き文化財にしても、皇室といふ日本の文化そのものにしても。
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by dokudankoji | 2009-03-22 18:05 | 雑感 | Trackback(1) | Comments(2)