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2007年 09月 22日

取敢へず、釘を刺す

 どうやら明日二十三日、福田「新首相」が誕生する勢ひだが、同姓の誼(?)で忠告しておく。

一 靖国に替はる国立追悼施設を造らぬ事。誰も参拝しない施設に、そして魂の入らぬ施設に無駄な税金を投入するな。

一 皇室典範を弄らぬ事。不遜といふ言葉を学習してもらひたい。

一 男女共同参画社会を推進せぬ事。衣の下にジェンダーフリーと家庭破壊といふ鎧が見えてゐる。

一 取つて付けたやうに、拉致問題対処を口にせぬ事。どうせ対話対話のコメ支援になるだけ。今世界中で一番高笑ひし、笑ひ転げてゐるのが金正日だといふ事を忘れるな。対話と支援では何も動かぬどころか、被害者帰国の可能性は無限に先延ばしされる。被害者家族の心中察するに余りある。

一 総裁選中はともかく、総理になつたら、具体的な議論をする事。今のままでは安倍よりも言語運用能力に疑問あり。人を食つたやうな態度を改め、言葉を尽くせ。
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by dokudankoji | 2007-09-22 15:33 | 雑感 | Trackback(2) | Comments(2)
2007年 09月 19日

クローデルに顔向けできない

 部屋の片づけをしてゐたら、A4版のコピーが出てきた。どこで手に入れたのか、どういふ経緯で手元に残つたのか覚えがない。高名な仏文学者市原豊太の自筆(と思はれる)コピーなのだが、何らかの集まりで配られたものであらうか。ただし、私自身は市原豊太の話を聞いた記憶はないので、誰かからコピーのみを渡されたのかもしれない。以下、そのまま写す(原文正漢字)。

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 二十世紀フランスの文学界に於いてポール・ヴァレリー(一八七一~一九四五)と並んで最高の詩人・劇作家として仰がれたポール・クローデル(一八六八~一九五五)は外交官としても有名で、一九二〇~一九二六に亙ってフランス大使として日本に駐在した。彼は日本についていろいろ書いてゐるが、その中に次の如き記述がある。
 「日本人の最大の特質は、自分の周囲に、自分達の到底及び得ぬ尊敬すべきものが常に存在するといふ感情を持つてゐることである。それは古い樹に神聖な標縄が張られてゐるやうなことにもあらはれ、言葉にもあらはれてゐる。云々。」大正天皇の御葬儀に列した彼はその神秘性を殊に深く感じた。
 昭和十八年秋、パリの或る夜会で、前出のポール・ヴァレリーと同席したクローデルは日本の前途を危惧しつつ次のやうに語つた。
 「私がどうしても滅びさせたくない一民族がある、それは日本人だ。彼らほど太古からの興味ある文化を持つ民族を私は他に知らない。彼らの近代の大発展を私は少しも不思議と思はない。彼らは貧乏である、併し高貴な民族だ」                    市原 豊太
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 このクローデルの言葉、どこかで目にした事があるといふ方もいらつしやるのではないかと思ふが、この一文に何の補足も必要あるまい。およそ八十年前の、我々の祖父母の代の日本人を上述の如く描写したフランス人がゐた。そして、上述の如く描写された一民族が、この地にゐたといふこと。

 八十年を経た今、「自分達の到底及び得ぬ尊敬すべきものが常に存在するといふ感情を持つてゐる」日本人が、どれ程ゐるのだらう。かかる謙遜や謙虚、そんなもの今の日本には薬にしたくてもない、と言つたら言ひ過ぎか。自分を超え人間を超えた存在への畏怖の念、父祖への尊崇、自国の過去=歴史への憧憬、さういふ穏やかで物静かな態度を日本人が失つて、半世紀余りが過ぎたといふことだ。

 「彼等は裕福である、併し下劣な民族だ」、今の我々をクローデルが知つたら、さう言ふのであらうか。下劣を愚劣と言ひ代へても、下卑たと言ひ代へても、それが今の私達には似付かはしいと言はざるを得ない、一人の例外もなく。慨嘆する他ない。
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by dokudankoji | 2007-09-19 01:39 | 雑感 | Trackback(1) | Comments(2)
2007年 09月 14日

安倍辞任に思ふ

 私には訳が分からない。あれだけ安倍潰しに躍起になつてゐたメディアが、まるで、掌を返したやうに、首相の突然の辞任を「無責任」だと非難してゐる。素直ぢやない。叩いて潰して入院までさせたのだから、朝日新聞を筆頭にメディアは自らの勝利に酔い痴れて素直に欣喜雀躍すればよいものを……などと書くと、こちらの方が素直ぢやないと言はれさうだが、私はその程度の感想しか、今回の「辞任劇」に、持たなかつた、では、芸がなさ過ぎると言ふなら――

 たまたま十二日の午後一時半頃から、出先でテレビを見てゐて、二時の辞任会見やその後の永田町の右往左往、メディアの上滑りなその場しのぎの番組を、飛び飛びだが見てゐた。勿論、突然の辞任のテロップに驚きはした。前代未聞には違ひない。それでも大した事ではない、さう思つてゐる。実際、日本中探してもそれを深刻に受け止めてゐる人間は永田町以外にどれほどゐるのか。今日会つた知人の間でも、安倍さん、政治家に向いてゐなかつたんだ、で話は終わり、後は自分達の仕事のことばかり。世は全てこともなし、ではないのか。

 外交はさうではないと仰る方がゐるかも知れない。冗談ぢやあない。「政治的空白」? これも嘘だ。もしも政治的空白をいふなら、テロ特措法に反対して民主党と一緒になつて一国平和主義的籠城をする方が、よほど恐ろしい外交上の政治空白を招来する事くらゐ、実は小澤だつて分かつてゐるだらう。分かつてゐないとなれば、政治家としては安倍以上に死んでゐる。引退を勧める。

 空白をいふなら、我々は戦後六十有余年、真の意味での「政治の空白」を経験して来てゐるではないか。今の日本が独立国だと本当に言い切れるのか。専守防衛といふ言葉がつひこの間まで横行、闊歩してゐたこの国、国防はアメリカに全てをおんぶしてゐた(ゐる)この国を独立国と呼べるか。しかも、今、アメリカは有事に決してこの国を守りはしない。テロ特措法を延期できなければ、いよいよ、見捨てられる。その時、日本の仮想敵国は一に米国、二に中国、いや、前門の狼に後門の虎、どちらがどちらといへなくなる。恐らく、前にどこかで触れたが、その頃にはこの国は中国の属国になるしかなくなつてゐる。

 一国で完全な防衛体制を敷けと言ふつもりは毛頭ない。しかし、テロ特措法すら認められぬといふ、時代錯誤も甚だしい論議を持ち出す野党に参議院の過半数を制させる投票行動やメディアに、「政治の空白」を云々する資格等ありはせぬ。独立国の気概も、国を守る意志も見せぬこの国の政治家にも国民にも、無責任な安倍を非難する資格等ありはしない。同情して言ふつもりでも身方するつもりもないが、少なくとも安倍は、それを理念の上とはいへ、戦後の空白を埋め合はせやうとしたのではなかつたか。

 その安倍を「年金」「格差」「政治とカネ」の「おカネ三点セット」で潰しに掛かつたのが、メディアと、恐らくはメディアと裏でつるんだ官僚だらう。官僚の内部告発がなければ、ああまで次々と大臣がカネの問題で辞任に追ひ込まれるはずがない。小泉の構造改革で既得権益を失ふ官僚が、恨みつらみを安倍にぶつけた、恐らく、官僚の中に潜りこんだ左翼陣営がメディアに情報をリークした。これは私の憶測に過ぎないが、恐らくはそんなところだらう。

 三点セット、よく考へて欲しい。全て「カネ」の問題ではないか。参院選が、そんなケチな問題で戦はれたことに、既に「政治の空白」があることは明白だらう。首相辞任による政治の空白より、長い政治の空白を参院選前から、数ヶ月にわたつて生み出したのは、どこの誰だ。潰れた安倍は弱かつた。それは間違ひない、政治家としての再起は望むべくもない。そこに追ひ込んだ得体の知れないこの国の誰かに責任を求めるつもりも毛頭ない。ただ、六十有余年はともかく、この数ヶ月の政治の空白を生み出した連中はメディアであれ野党であれ、国家の敵であることは疑ひない。
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by dokudankoji | 2007-09-14 02:19 | 雑感 | Trackback(3) | Comments(3)
2007年 09月 08日

こちらに移します

 matheux-naifさんはこのブログにコメントを下さつたり、時々メールを下さつたりする。
 矛盾した言ひ回しだが「面識のない知人」とでもいふ方である。八月二十二日にブッシュ大統領がカンザスシティで行つた演説について、といふより、そこに発してさらに普遍的な問題を提起したメールを下さつた。殊に後半の民主主義に関する考察は傾聴に値する。同じものをコメント欄に書き込んでくださつたが、より多くの方に読んで頂きたいので、こちらに移す。

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 いろいろと不思議なことが起きる昨今でもあり、感想を密かに dokudankoji さんに申上げたところ、折角だからコメント欄に投稿してはどうかとのお勧めをいただきました。旧聞ながら、一部を敷衍してお示し致します。dokudankoji 宛ての当初のものの他の部分についても、多少ともタイミングが合つた折にお示しできればと存じます。

 なかでも、先日の Bush 大統領の Veterans of Foreign Wars National Convention での演説には筆者は驚愕しました。さすがの朝日新聞も社説で疑義を述べ立てたほどです。

 Bush 大統領は間違ひなくアメリカのエスタブリッシュメントの第一級の成員です。困惑せざるを得ないことではありますが,むしろ、ここまで正直に言つてくれたからこそ非常によくわかつたといふべきことがいくつかあります。

 大統領が相手にしてゐた人たちは、かつてのアメリカ合衆国の海外戦争に従軍した人たちです(Normandy から Iwo Jima、Pusan、Khe Sahn ・・・Iraq と大統領も言つてゐます)。さういふ人たちが大体かういふ水準なのだらうといふことが推察されます。さうだとすると、先ごろの連邦下院での「慰安婦」決議に関連しての「日本側有志の方々」による新聞広告が、舌足らずといふか、むしろ見当が外れてゐて、所期の効果を挙げられなかつたといふ事情も察しが付きます。つまり、議員や選挙民の「予断」を構成してゐる部分に踏み込むことができてゐなかつたからです。

 予断の内容は、戦前の日本の体制は専制的であつて、人権を蹂躙し、国民を弾圧し、さういふ帰結として、好戦的であり、周辺を侵略し、しかも、真珠湾に不意打ちを掛けるやうな卑怯な国家であつた、Bush 大統領風に言へば、まさに、先ごろのフセイン体制下のイラクと同じやうな Evil(悪)であつたといふわけでせう。他方、大統領は現在の日本が代表的な民主主義国家であり、アメリカと価値観を共有する重要な同盟国だといふことも認識してゐるやうです。さうして,この変貌は米軍の占領統治が齎したものだと信じてゐるのでせう。この演説でも、イラクの占領政策がテロ対策や大量破壊兵器の秘匿対策とは別の、イラクの「民主化」といふ文脈で語られてをり、日本が例として引かれます。大統領にとつては,それはレトリックではなく、本気で信じてゐることだといふことがわかつたわけです。聴衆も大拍手ですし、かれらも本気で信じてゐるわけです。恐らく、ホンダ議員も、あるいは、クリントン候補もオバマ候補も、大筋としては、かういふスキームを信じ込んでゐるのではないでせうか。

 英連邦系のメディアの記事を眺めてゐると、多少陰影はあるやうですが、英連邦系でも、日本の近代史に関しては、大体かういふ風に整理されてゐるやうに思はれます。検証が必要なことですが、すべての「戦勝国」がかう理解してゐたわけではなかつたやうで、米国占領下の日本は、要するに外国勢力による占領下にあるわけだから、早晩レジスタンスが組織されてもをかしくないといふ観察をしてゐる国もあつたやうで、日本人は某国人と違つて大人しいからレジスタンスの蜂起までに五年は掛かるだらうと件の某国の外交官が言つてゐたといふ話を聞いたことがあります。

 朝日新聞ではありませんが、日本の民主主義が戦後の占領軍による恩恵であつたといふやうな誤解を払拭する努力が、何よりも、例の意見広告よりも、先行すべきなのですが、ここは、まさに、アメリカのエスタブリシュメントから一般大衆までが信じ込んでゐる「予断」と衝突します。その上、大統領の演説では、民主主義とはキリスト教的なものであるといふやうな了解さへ出て来ます。どうしたら、かういふ予断や了解を解きほぐせるのでせうか。

 日本がとるべき姿勢としては、根源をキリスト教的なものに求めなければならないといふ風な限定的な捉へ方を排した、民主主義についての理解や説明を(内外に)することが大事なことだと思ひます。民主主義とキリスト教とを密着させて把握することを公言するのは現在のアメリカの特徴かも知れませんが、これらはもともと別次元のものであつて本来何の関係もありません。したがつて、民主主義の説明にキリスト教を持ち出せば混乱するだけです。

 そもそも、統治といふことを考へてみますと、本来同格である人間が作る社会に、支配関係や秩序関係を構築し、かつ維持するといふことこそが、統治の本質だらうと思はれます。したがつて、統治行為とは、統治者,つまり、ある人間が同格である他の人間を従はせるといふことになりますが、さういふ行為が承認されるといふ正統性の根拠は何でせうか。人間を超越した「神」がゐれば、「神」に根拠を求めることができるでせう。しかし、「神」がゐなかつたら、あるいは、「神」が人間を超越してゐなかつたら、統治の正統性の根拠をどこに求めたらよいでせう。それは、統治される集団の意向そのものではないでせうか。統治者と被統治者が基本的に同じ集団に属してゐて、統治が非統治者の意向に反しない形で行はれ、かつ、さういふ統治が保障されるやうな機構があるといふことが、円滑な統治の条件であり、今日の「民主主義」は、まさに、かういふ構造をしてゐると思ひます。

 かう見た上で、日本の社会が実質的には古来から、この意味で、民主的といふべき特徴を備へてゐたことを丹念に説明することをしなければならないでせう。例へば、中世以降の統治者と被統治者の同質性とか、名目的な統治者の正統性の付与は歴史的なものではあつても実質的な統治は被統治者の意向を無視しては不可能であつたことなどから始めて、大正期に入ると、普通選挙もさうですが、民意による確認作業を経ることが要件になつてゐたとか、要するに、日本では、統治者には恣意性を発揮することができるやうな権限や習慣はない、と言つたやうな、もちろん、多少の例外はあつたわけですが、大体よく治まつてゐるときには、かうなつてゐた筈のことを丹念に説明することが大切だと思ひます。さうして、かういふ営みには、単に、現代のアメリカ人の誤解を日本の立場として解く必要があるから遂行するのに留まらない意義がありませう。つまり、かうして、日本やアメリカを超えた根幹的な「民主主義」といふものへの理解が深まるだらうし、「民主主義」にはいろいろな形があるなどと嘯く連中の居所も少なくなつて行くだらうといふわけです。
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by dokudankoji | 2007-09-08 18:32 | 雑感 | Trackback(1)
2007年 09月 05日

お報せ

 十日発売の『文藝春秋』十月号に、福田恆存が最後に書いた未発表原稿が掲載されます。なぜ、執筆時に発表しなかつたかは不明ですが、その当時の経緯や、今回この原稿が出てきた事情などを私が解説する形で掲載します。

 文藝春秋社版『福田恆存全集』第一巻の一刷から三刷までを買つた方への(読んだ方への?)父の詫び状と言へなくもありません。何やら思はせぶりですが、余り書いては掲載の意味がありませんので、悪しからず。以上宣伝兼お報せ。
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by dokudankoji | 2007-09-05 00:18 | 雑感 | Trackback | Comments(10)
2007年 09月 01日

Wikipedia

 ウィキペディアといふインターネット上の百科事典は誰でもご存じだらうし、利用した人も多いだろう。が、利用する時、それを疑つて掛かつた人はどれ程ゐるのだらうか。そもそも、誰でも手を突つ込んで書き込みが出来てしまふ、つまり、編集の責任が明確ではないといふこと、したがつて実はどこまで信頼できるか、常に疑問が付きまとふのだ。

 尤も、編集者名を明記した活字の辞典だつて、私は簡単に信じる気にはなれない。とはいへ活字出版された媒体には、ネット上のウィキペディアと違ひ、不特定の人が随時書き込み編集が出来るといふ不安定性はない。

 学生のレポートにネット利用が急増してゐる昨今、私は口を酸くして彼等に注意する、ネット上にあるものは、殆どが塵の山だと思ふこと、コピー&ペーストでレポートなど書かぬこと、ウィキペディアも軽々に信用せぬこと等々。

 暫く前、何の調査か忘れたが、不特定多数が書いてゐるウィキペディアも中々のもので、八割がた信頼できるといふ記事を見たことがある。私自身、今までにもその程度には信用しその程度の利用はしてきた。ただし、何かを調べる際、ウィキペディアに限らず、よほどの信頼性がない限り、他の辞書や辞典でダブルチェックは欠かさない。

 と、実は、ここまでは長い前置きで、最近ウィキペディアを見て吹き出したことがある。項目は、こともあらうに、私の名前である。以前(本来かういふものは本人が編集に携はるべきではないのだが)、余りの不正確さに呆れ、「謙虚」に自己申告的訂正や加筆削除を試みた。その後、放置しておいたのだが、最近身辺に異動があり、確かめるために、調べてみた。大筋では問題ないのだが、項目説明の最後に、誰かの手により、いつの間にか一行加へられてゐる。

 何が加えられたかといふと、≪ブログ「福田逸の備忘録」で「ヘタマゴ」という珍妙な言葉を使う。≫といふ一文。吹き出したといふのはここである。

 当然このブログを読みに来た人物が書き加へたことは言ふまでもないが、≪「ヘタマゴ」という珍妙な言葉≫と書いたといふことは、「へたまご」といふ言ひ回しを知らないといふことだらう。「へたをまごつく」――略して、ヘタマゴ。「ヘタマゴすれば民主党の政権が出来かねない」、などと使ふ。この言ひ回し、無意識に使ふ程度には私の頭に入つてゐる。今まで辞書で調べたこともなかつたが、小学館の日本国語大辞典(第二版)を引いたら、「下手なふるまいをする。ぐずぐずとまごつく」といふ説明を載せてゐる。

 といふわけで、ウィキペディア、どこまで信用してよいものやら、やはり余り信頼しない方がよささうだ。少なくとも、私如き吹けば飛ぶやうな存在、百科辞典に載せること自体「珍妙」と思ふ。ヘタマゴすると、今の時代Wikiscannerで、書き込んだ人物が特定されかねない、書き込んだ人は一刻も早く削除するに如くはない。つい最近、総務省、文科省、宮内庁などが、各々の項目をこつそり(?)書きなおしたり、削除したりして、不評を買つた、というふか、恥を掻いたことはネット上ではよく知られた事実だらう。

 ついでに、ここに書いておく。コメント欄で♂兎といふハンドルネームの方が私の仮名遣ひについて疑義を呈されてゐるが、一言だけ、疑義に疑義を呈しておく。私の正仮名遣ひのどこが「中途半端」か、是非御指摘いただきたい。直すべきところは喜んで直す。変換しそこなつて「現代かなづかい」になつてゐることが時にある。自分にミスがないなどとは、夢にも思つてゐない。そして、縦書きと横書き、右横書きと左横書きは、仮名遣ひの問題ではない。正直なところ、このブログも縦書きで書きたくて、可能かどうか二年余り前に調べはした。世の中捨てたものではない、縦書きブログ構築サイトを発見したのだが、定かな記憶ではないが五十万くらゐ掛かつたと思ふ。即座に諦めた。右横書き構築サイトといふのは寡聞にして知らない。

 なほ、撥音便と促音便を勘違ひされるやうでは、話にならないことも、付け加へておく。
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by dokudankoji | 2007-09-01 11:56 | 雑感 | Trackback | Comments(12)