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2007年 08月 24日

お報せ

 昨年『正論』誌上で、福田恆存評論集を準備中、今年の春に刊行予定と書いたのに、未だ刊行に至らぬため、多くの未知の方からブログの非公開コメントや手紙などで、刊行はいつになるかとのお問ひ合はせを頂いてゐました。

 やうやくこの十一月に刊行の目途が付いたこと、お報せします。麗澤大学出版会から隔月刊で全十二巻、別巻一冊の予定です。

 当然のことながら正字正仮名ですが、なるべく手に取りやすい形でと、装丁など鋭意努力中です。これから二年間、この正字正仮名の校正が十三巻分あるかと思ふと少々気が重い、といふのが本音です。
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by dokudankoji | 2007-08-24 01:21 | 雑感 | Trackback | Comments(16)
2007年 08月 18日

白い恋人――どこが改竄か

 次から次へと「不祥事」が表面化してゐるかに見えるこの日本。今度は「白い恋人」の賞味期限改竄だとか。改竄といふ言葉を小学館国語大辞典(第二版)で引くと、「文書の文字、語句などを改めなおすこと、書きかえること。現在では、多く自分の都合のいいように直す意に用いる」となつてゐる。

 しかし、である。お気づきの方もいらつしやるかもしれないが――この「事件」について改竄と報じたメディア全てが虚偽報道を行つてゐることになる。石屋製菓は少なくともこの賞味期限改竄については告訴してよい。虚偽報道によつて、蒙つた被害に関して賠償請求してよいはずだ。

 このブログの一読者が非公開コメントで以下の事を知らせてくれた。まづはお読み頂きたい。

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重箱の隅をつつくようですが、食品業界に関係する者として、いつも気になっていたことが書かれていたのでコメントいたします。
「賞味期限」は法律でなく社内規定であるのに、まるで法を犯したような報道ぶり、しつこさにはいつも辟易しています。
石屋製菓について言えば、「『白い恋人』の賞味期限延期」(新聞は改竄と称していますが)よりも「アイスクリームの大腸菌」の方が問題のはずです。『白い恋人』のネームバリューと「賞味期限」というキーワードが読者の関心を引くからとクローズアップされて、肝心の問題よりも大々的に報じられています。法的には、会社が責任を持って賞味期限を延長し、品質に問題なければ、事件でも何でもないはずなのに。まるで近隣諸国からの内政干渉のようです。こういうのを見ると、報道の底の浅さが見えてしまったようで信用できなくなります。
大企業=悪、消費者=善、という構図を煽る報道は、プロレタリア革命を目指しているのかと思ってしまいます。産経新聞さえも、です。
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 念のため、日本食品分析センターに勤めてゐる知人に確認したら、同じ答へが返つて来た。賞味期限とは、あくまで製造した会社自身がここまでは味が落ちない、味に自信があるといふいはば「自負」を示した基準で、しかも一般に安全な期限の七割方の期限を表示してゐるといふ。といふ事は、製品の品質保持に自信があるなら石屋製菓が期限延長しても構はないわけだ。

 しかし、上記コメントにあるごとく、「アイスクリームの大腸菌」といふ、全く異質の、しかも、これこそ糾弾されて然るべき問題はそつちのけで、余りにも知られ過ぎた、「白い恋人」に的を絞つたかのやうな、非難報道は目に余る。「改竄」と「延期」の言葉の持つ意味合ひの重さの違ひをよく考へて頂きたい。ここにも、前に書いた「暗い情念」、叩ける奴がゐたとばかりに袋叩きにして抹殺を図らうとするメディアの異常な興奮と浮かれ騒ぎを、私は怪しむ。報道と言ふより煽動ではあるまいか。戦時中のメデイアが、文化人・言論人がこぞつて戦意高揚の発言をしたのとどこに変はりがある? 

 昨日アップした記事で出てきたバッシングといふ言葉がぴつたりだらう。改竄といふ言葉の意味を「改竄した」メディアは石屋製菓に謝罪した方がよい。そして、改めて弱いものいぢめをする自分の体質「改善」に努めたらよろしい。

 さらにプロレタリア革命と非難された企業=悪、消費者=善といふ、ステレオタイプ・マンネリズムからの脱却を勧める。これは政治家=悪、国民=善と言ふ形を取ることもあれば、自民党(政権与党)=悪、民主党(野党)=善、といふ形を取ることもあるし、強者=悪、弱者=善といふ形を取つたりもする。ここでも、もう一度書いておく。私は、全体主義に走りかねない危険を、今のマスコミにも、それに乗つて浮かれ騒ぐ国民(の一部=恥部)にも、感じてゐる。しかも日を追ふに従つて、その程度が酷くなつて行くと思はれてならない。私の杞憂である事を祈るばかりだ。

 ついでに改竄を「改ざん」と分かち書き交ぜ書きするのは止めてもらひたい。漢字の表意性、造形性をないがしろにしてはいけない。「竄」もまた「改める」といふ意味を担つてゐる。このぶろぐをぜんぶかなでかかれたらどれだけよみにくいか、このいちぶんでおわかりだらう。
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by dokudankoji | 2007-08-18 23:15 | Trackback | Comments(13)
2007年 08月 17日

知人からのメール

 昨日(十五日)、夜遅く親しい友人からメールが届いた。どうらやNHKの(多分夜9時の?)ニュースを見て、悪酔いしたらしい。せっかくの酒がさぞかし不味かつただらう。以下、許可を得て抜粋掲載する。

今日のNHKニュース、腹が立つを通り越して悲しくなります。今日に限つたことではありませんが、「悲惨な戦争を・・」といつもの紋きり型、情けなくなります。遺族にすれば戦争にいい思い出がないのは当たり前だし、戦争が悲惨でないわけがない。その戦争に至る背景を振り返ったり触れたりなんてしようともせず、遺族の「悲しい」コメントだけをピックアップして、したり顔の女性アナウンサーに下らないコメントを喋らせる。今更のように反吐が出る思いでした。

挙句の果てに同じ顔して「また消費者の信頼が裏切られました」と、今度は白い恋人の賞味期限切れの改竄のニュース。まるでワイドショーじゃないですか。

それにしても、ミートホープだの菓子の期限の改竄、勿論、それ自体は許せんことかもしれないけれど、マスコミのあの粘着質の執念深いバッシング、何だか嫌らしくて仕方ない。不二家だののバッシングも、はたまた自民党の人事へのバッシングも、何だか日本人の自信喪失と自暴自棄、鬱屈した開き直りとでもいうのか、どこかで根っこがつながっている気がします。ヒステリーのように、失敗したものを叩くというか・・・。

おまけに原発のニュースの伝え方まで耳障りで、つい、言わずもがなの愚痴を書いてしまいました。久々のOFFに酒飲みながらニュース見たらろくなことが無い。

唯一、救いであったのは101歳の、戦争で息子を亡くした母親の言葉。「息子のことは(いつまでも話すと)人に悪いから、言わないでいる」というような言葉だったと思いますが、こういう謙虚さ、見習いたいものです。

 次はこれに対する私の返信からの抜粋。

仰るとおりです。
小生は八月といふと、不愉快で鬱陶しく憂鬱になるのです。なぜ、死者を(英霊のみではない)静かに悼み、各々の思ひを反芻する時に出来ないのでせうね。仰るとおり、以前参院選に関してブログで「暗い情念」と書いた、鬱屈した日本人が増えてゐます。まちがひなく、貴兄が仰るやうに自信喪失、敗北感からなのでせう。さういふ時は、個人でも、日本人総体としても、沈黙し軽々に行動しないことです。言葉も軽々しく発しないことです。

他人の非をあげつらふしかないマスコミの体質も、野党の体質も、それに対抗できない自民の体質も、全て自信喪失、自我の弱さから来てゐます。個人が生きることも、国を国として有らしめることも並大抵のことではない、しんどい事です。安倍さんには好意的であるが故に、いらいらします。頑張れよ、おいっ!と声を掛けたくなるのだけれど、今日のニュースでも、どこか憔悴してゐて声に張りが無い。一国の首相として情けない。たかだか参院選の敗北、と腹を括ればいいのに。私にも出来ないことだけれど、一国のリーダーつて、しんどくて、タフでなければ勤まらないのでせうね。そこは、小泉の唯我独尊は、ある意味見事だつた。

そも、戦争が良きことであるわけはなく、悲惨でないわけはなく、そんなこと分かりきつてゐる。でも戦争は起きてしまう。その現実を子供に教育できないなんて独立国ではない。大体、憲法で、九条で国が守れ、世界に平和が来るなら、そりや、結構! ベトナム戦争はもとより、湾岸戦争、イラク、イラン、アフガン、イスラエル、なんでもいい。拉致だつて同じ。あの憲法があつても九条があつても日本は何も出来なかつた、六十年もの間。憲法で(紙つぺら一枚で)ミサイル打ち落とせるなら、税金も安くて済むし、言ふ事ないですな。

******************************

 以上、互ひに気楽なたわいの無いメールの遣り取りではあるが、それぞれ言ひたいことはお分かり頂けたと思ふ。

 たまたま、同じNHKが今日(十六日)京都五山の送り火を生中継で放送してゐた。かういふ時にも必ず戦争と結びつけるNHKが、私は朝日新聞と共に大嫌ひである。尤も今日のはNHKの完敗だつたが。

 ご覧になつた方も多からうが、お盆の送り火なのだから、京都の多くの市民が手を合はせ、近親の冥福を祈り御魂を送るのは当たり前。戦争で死んだ方であらうと、交通事故であらうと、はたまた自殺であらうと、近親の死者への思ひは千差万別であるとも言へ、また死に対する生者の思ひは一つ、とも言へる。

 そんな中で、NHKがクローズアップした一人の老女、九十を過ぎてゐたと思ふが、夫を戦争で無くしたといふ。生中継だが事前にインタビュー録画して流す特別扱ひ。ここまでで、私には先が読めてしまつた。経緯は以下の通り。会話は概略である事をお断りしておく。

 NHKのインタビュアーの声、「何か(ご主人の)思ひ出はありますか」。老女応へて曰く(ここです、NHKの完敗は)、「思ひ出? そんな思ひ出させるやうなこと、言はんで下さい。私の心の中に秘めてあるものだから……」。見事に一本取られてゐた。NHKは恐らく、戦争の悲惨に繋がるやうなコメントを老女から引き出したかつたのだらう。

 友人のメールの最後にある百一歳の母親と同じ心境を感じる。死者への思ひはその近親の心の中にあつてのみ、「思ひ」であり、尊く美しい。人の心にづかづか踏み込むものではない。

 そもそも、恥かしくないのだらうか、NHKに限らないが、レポーター達は自分のマンネリズムが。事故であれ、事件であれ、被害者に無神経にマイクを突きつけ、悲しみや辛さや涙や加害者糾弾を引き出さうとする。もしそれをよしとする視聴者がゐるなら、その方にも言ふ。あなた方は他人の不幸を餌食にして喜ぶサディストだ。自分より不幸な人間がゐることで満足するなら、下劣な根性の持ち主だ。どう控へめに言つても神経の鈍磨といふほかはない。新聞にせよテレビにせよ、もしも今でも天下の公器といふ自負がおありなら、先づは隗より始めよ。

 知人のメールにもあつたが、いはば、集団ヒステリーといふ言葉をキーワードとして持つてくると、この数年の日本の姿を浮き彫りに出来るのではないか。何かことが起こると、多くの人が一斉に同じスタンスで同じ方向を向く。泰然自若といつた姿はどこにもない。個々人による意見の違ひが冷静に語られない。違ひを違ひとして受け入れる度量も見受けられなくなりつつある。

 自信喪失、敗北感、デラシネ、日本人がそこに陥つたからとて、何の不思議もない。自国を自虐的に否定し、自分の(自国の)過去を否定し去つたら、人間に何が残る。我々には過去しか存在しない。歴史とは未来の話ではない、過去をどう描くかだ。自らが拠つて立つべき歴史を蔑ろにし、先人の足跡を侮蔑する、そんな民族に未来は無い(安倍首相はそこからの脱却を目指したのではなかつたか。「戦後レジームからの脱却」などと曖昧な事を言ふから、国民に真意が伝はらない。「美しい国」などと、ぼやけた事を言ふから印象もぼやける。参院選の敗北の原因は、年金だけにあるのではあるまい。ついでだから、言つておく。安倍のブレーンには、甘ちやん言論人が多すぎるのではないか)。

 小泉郵政選挙の熱狂、ホリエモンの熱狂、ホリエモン凋落時の叩き、今回の安倍叩き、ヒステリックに過ぎないか。私はこの傾向に全体主義への危険を、きな臭さを感じてゐる。右か左か、それは分からぬが。英雄と言ふより、片仮名でヒーローといつた方がぴつたりするかも知れぬが、日本人は心のどこかで独裁者を求め始めてゐはしないか。そして、何とはなしに不安を抱へた我が国には、今程、例へば北朝鮮の、支那の悪意ある挑発や指嗾に乗せられる危ふさすらもあるのではないか。
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by dokudankoji | 2007-08-17 01:02 | 雑感 | Trackback(1) | Comments(4)
2007年 08月 16日

またですか、朝日新聞

 朝日のウェブニュースで知つたが、今月下旬にインドを訪問する予定の安倍首相が、東京裁判の判事の一人、かのラダビノート・パル判事の遺族に面会する予定で、その調整をしてゐるとか。結構なことである。パル判事が、東京裁判でいはゆるA級戦犯全員を無罪としたただ一人の判事であることは、どなたでもご存じだらう。もし、さらに詳しく知りたいといふ方には、この一書をお奨めする。

 で、例によつて無断転載禁止だとか。ならば、砕いて書き直す。興味ある方は直接ご覧頂きたい。さて、面会は安倍首相の希望らしいが、朝日は首相が以前は東京裁判に疑義を呈する立場だつたとし、(ここだけは引用するぞ)「波紋を呼ぶ可能性がある」と来た。

 冗談ぢやない。波紋を起こさうとしてゐるのは誰だ。面会する可能性→面会できるやう調整中→安倍は東京裁判に疑問を呈してゐる→だから波紋を呼ぶ、といふ――波紋を起こして問題化させやうとの魂胆丸見えではないか。ここまで分かりやすいと、リンクを張るだけで十分だらう。朝日はどこまで安倍叩きをすれば気が済むのか。マスメディアとして不偏不党だけは、一度くらゐ守つたら如何なものか。相変はらずこんなことをしてゐると、さらに販売部数を減らすのではあるまいか。

追記:今チェックしたら、後追ひ記事が出てゐる。既に波紋を起こすべく次なる一歩? これが今月下旬いかなる展開を見せるか、楽しみだ。
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by dokudankoji | 2007-08-16 00:13 | 雑感 | Trackback(1) | Comments(1)
2007年 08月 15日

腰の引けた自民の敗戦

 全閣僚の靖国への不参拝は不戦敗と、コメント欄の風来坊氏に応へる形で書いたが、事実さうなつたことをニュースで観てみると、さらなる感慨が湧いてきた。これは平成の敗戦だ。ここまで腰の引けた内閣は、自社さ連立の村山内閣以下ではあるまいか。自民が野党や国民に対して腰が引けてゐるといふのではない。敗戦とは中韓に対してのことを言ひたいのだ。

 たかだか参院選で惨敗を喫したからといつて、何もここまで卑屈にならなくてもよろしいではないか。なにを臆病になつてゐるのだ。さうやつて、いよいよ国民の自民離れを自ら後押ししてゐるのが分からないのか。私は、民主党の如き単なる寄り合ひ所帯には、政権など担へないと確信してゐる。また、小澤という人間は、それほど器が大きくない、もし言はれるやうな豪腕の持ち主なら、既に政権を奪取してゐたはず。新生党以来の迷走と絵に描いたやうな分かりやすい無節操を思ひ出してもらひたい。あの気の小ささは政治家には向かない。

 参院選も、民主の勝利ではなく、全得点は敵失によるものだらう。にも拘らず、選挙民が離れて行くのを怖れてのことか知らぬが、今回の、全閣僚靖国不参拝は、自民党が(中国と仲のよい公明党の軍門に下り)参院選惨敗を契機に、保守党であることを止めました、と満天下に宣言したことになりはしないか? 

 憲法九条は変へません。皇室典範は小泉大宰相の顰に倣ひ女系も視野に入れるべく考へ直します。さう、犬が尻尾を巻いて逃げ出したやうな情けない、弱々しさと私の目には映じてゐる。我が家の柴犬は花火の音に怯えて、後ろを向いてへたり込む。まるで花火など存在しませんとでも言ひたげに。

自民党も同じではないか、情けない姿を曝して……。靖国も無ければ、拉致もない。世界にテロも無ければ、民族の永劫続く憎悪もない、隙あらば付け込まうといふ悪意も渦巻いてゐない、全てこの世はこともなし、さうとでも思ひたいのか。問題に背を向ければ、目をつぶれば、問題もない事になつてくれるのなら、こんな楽なことはない。

 選挙の惨敗で、ここは静かにして、何事も波風立てぬやうになどと考へたなら大間違ひ。今安倍に出来ることは一つだけ。毅然たる態度で自分の保守本来の信念を語り、それを行動であらはすことだ。さもなければアメリカからは見放され、中韓にも見下され、北鮮はほくそえむ、いや、高笑ひだらう。

 政治家が信念より票を気にした時、その者の政治生命は絶たれてゐる。今日の自民全閣僚の不参拝は、自ら政権の座を明け渡すといふ「大英断」だ。明け渡す? 誰に? 自民が怯えてゐる民主やら民意やらなど、吹けば飛ぶやうなもの。風向きでどうにでも変はる。そんなものを恐れるなら政治家になるな。即刻退陣し、民主に組閣させてみたらいい。今にまさる混沌が生まれるだけの話だ。

今となつては、その日が一日も早からんことを祈つてゐる。さうすれば、民意の根底にあるに違ひない政界再編がやうやく起こり、保守二大政党の出現も不可能ではあるまい。今の自民や安倍に(勿論民主は言ふに及ばず)期待できるのはそのくらゐのことではあるまいか。

 ここまで書いたところで、高市内閣府特命相の靖国参拝のニュースを知つた。「参拝は難しい」と発言してゐたらしいが、警備の問題もなく急遽参拝を決めたとか。女性閣僚ただ一人。上記のこと、何ら訂正する必要を認めない。ただし、天晴れ高市さんと申上げておく。行きにくいと思ひ込んだ安倍君に頼まれたのかな、女性ならマスコミも優しくしてくれるから、につこり笑つてインタビューにも答へてきて、つて……。
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by dokudankoji | 2007-08-15 20:49 | 雑感 | Trackback(4) | Comments(7)
2007年 08月 14日

安倍首相、靖国に詣でよ

 十日付の産経新聞の報道が事実なら、すなはち昨年の核実験後、金正日がブッシュ米大統領に「朝米関係を正常化し韓国以上に親密な米国のパートナーになる」といふメッセージを送つたのが事実なら、(いや、事実でなくとも)安倍首相よ、明日十五日靖国神社を公式に参拝せよ。そして、その脚で皇居に参内し、秋の例大祭への靖国御親拝を献言せよ。

 アメリカと北朝鮮が接近するなら、中国は必ず日本に擦り寄る。産経も報じてゐる通り、その可能性は高い。擦り寄る振りをして日本を支配下に取り込まうとする。あるいは逆に日本が何をやつても、いちやもんを付け、相も変はらず南京だ慰安婦だと騒ぐかもしれぬ。が、巷間いはれるごとく、オリンピックと万博を控へた中国は、この前のやうに反日暴動を組織するわけには行かない。

 産経の報道は恐らく事実だらう。とすると、今年こそ、最も「騒がれずに」靖国参拝できる最良の条件が揃ひ、機が熟したといふことになる、それにお気づきだらうか。今こそ、安倍首相よ、あなたの信念に従つて参拝し、日本の未来を信じて家族や国家の安寧を願つて散つた英霊に額づけ。もし、あなたにそれが出来たら、局面はがらりと変はる。参院選の大敗北も一挙に挽回する可能性すらある。

 国の為に命を捨てた兵士を祀る靖国に、一国の代表が詣でて何が悪い、マスコミがうるさかつたら、さう応じて、後は何も言ふことはない。中国と韓国が騒いだら、これも一言、本気で怒ればよい、「内政干渉は許さぬ」と。

 後は、じつくりと公明を切り捨てる時期を見定めることと、さらに民主党内の正当保守人士に根回ししておくこと。そして小泉の負の遺産から脱却することだ。郵政民営化造反議員を必死で止めたあなただらう。今なすべきことは、前倒し参拝でもなく、「行つたとも行かないとも言はない」でもなく、小泉にも出来なかつた形の参拝をすること、(ポケットから小銭は出すな)、さう、小泉の影から脱却することこそ、あなたの生きる道だらう。それ以外に生き延びる道はなからうに。
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by dokudankoji | 2007-08-14 10:17 | 雑感 | Trackback(3) | Comments(4)
2007年 08月 13日

市町村合併と町名変更

 今さら、町名変更の愚を言ひ立てる気も起こらぬが、南アルプス市だとか伊豆の国市など、呆れる以前に、そんな名前を付けて恥づかしくないのかと思ふ。決めた方々の感覚と私のそれとは未来永劫絶対に相容れないであらう。知性と感性、共に疑ふ。

 たしか、愛知の方で何とかセントレア市といふのが出来かかつて、流石にそこまではと、まともな感覚の方々が反対してつぶれたと思ふが、つぶれなかつたら、今頃は日本中の笑ひものだらう。

 伊豆の国市がなぜをかしいかといふと、国といふものは市より大きなものであることが一つ、そして第二に、伊豆の国と言つたら、普通は伊豆半島全体をイメージする。合併前の韮山町・大仁町・長岡町以外だつて伊豆だ。他の町から文句は出なかつたのだらうか。伊豆の国を占有されて構はぬのか。

 南アルプス市に違和感があるのは、カタカナ町名といふ事だけではなく、恐らくかういふ事だらう。ヨーロッパの美しい峰々がアルプスと呼ばれてゐる。それに倣つて、日本の美しい高峰の連なりを「日本アルプス」と呼び、それを三つに分けて北・中央・南のアルプスと言ひ分けた。つまり南アルプスは「日本アルプス」内の南に位置する山脈を意味する。

 といふことは、「南」と呼称する場合、「北」や「中央」の存在を前提としてゐる。つまり北アルプス市か中央アルプス市が前提に無くてはをかしいのだ。いや、もつと単純にアルプス市といふものが前提にあるべきだ。

 いずれにせよ、白根町の人々よ、あなた方は白根三山を誇りとし敬ふ気持ちはないのか。櫛形町の方々、櫛形山との連続性を失ふことを諒とせらるるか。韮山反射鏡は南アルプス反射鏡とでも呼ばうか。

 我が大磯町は、近隣の市二つと合併して湘南市となる愚案を退け、町のまま少ない歳入に喘ぐ道を選んだ。愚かと呼ぶなら呼ぶがいい。湘南市になりそこなつた平塚市は駅名を湘南平塚駅にしようとしたといふ噂もあつたが、その後どうなつたのか、今のところ平塚のままである。我が母校は平塚江南高校といふが、これなぞ駅名につき合はされたら湘南平塚江南高校となるのか。

 ところで、こんな記事を書いたのは、今朝の産経新聞、産経歌壇の佳作に選ばれてゐた歌に感心したからである。さいたま市の方々は、いかがお考へか、是非感想を知りたいものだ。その歌は――胃と腸が途切れる如し梅雨寒の埼玉県庁さいたま市にあり――といふ。私の駄文など、この三十一文字の足元にも及ばない。
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by dokudankoji | 2007-08-13 00:11 | 雑感 | Trackback(1) | Comments(0)
2007年 08月 12日

南半球でも

 NICHIGO PRESSといふウェヴサイトがある。オーストラリアで発行されてゐる日豪プレスといふ日本語新聞のオンライン版だが、この中に「国際ニュース反射鏡」といふコラム欄があり、月一回更新されてゐるらしい。署名が青木公なる人物。以前朝日新聞のシドニー支局長をしてゐて、今は朝日新聞社社友だとか。

 これだけで、ははんと思ふ方も多いだらう。いはゆる「従軍慰安婦」に関するアメリカの下院外交委員会の謝罪要求可決(6月下旬)についてのエッセイなのだが、何が酷いといつて内容は言ふまでもないが、文章がなつちやゐない、粗雑で散漫な文章である。

 ここに引用して一つ一つ例示したいのだが、「無断転載を禁じます」とあるから、それもままならない。興味ある方は直接こちらを見て頂きたい。如何にも朝日新聞!といふ思考パターンとステレオタイプの表現を見せ付けられ、それはそれで面白いのだが、こんなところでも自虐半日キャンペーンをしてゐることにはホトホト感心した。

 引用・転載にならぬ範囲で、私流に「粗雑」かつ「散漫」な紹介をすると――

 例のマイク・ホンダ議員の経歴を、苦難の末議員にまで上り詰めた美談にし、彼が戦時中(アメリカにより)強制収容され、財産を失つたがゆゑに戦争被害者だとしてゐる。しかし、文章の流れからすると、まるで日本国から被害を受けたかのやうに読める、といふより、どう読んだらよいのか実に曖昧な文章になつてゐる。ホンダ議員が戦争被害者だと断ずる文の前に、彼がIT産業が盛んな地域から選出された議員であり、そこには労働者にアジア系が多く、中国系・朝鮮系の移民もかなりゐるといふ趣旨の文章がある。そして直後に、アジアからの移民にも戦争被害者が多い、と来るから、私には朝日新聞お得意の自虐的文章に見える、つまり、アジアからの移民と共にホンダ議員も日本国による戦争被害者だと読まざるを得なくなる。かういふ書き方は、洗脳、誘導、操作とでも言ふのではないか。少なくとも、サブリミナル効果はある。

 さらに読み進めると、「人間」としての青木氏には、政府や国のレベルで、戦後、中国他アジアの国々とは、国家間の賠償が済んでゐるといふのは「割り切れない」と来る。そして「人道的」な補償といふお題目になり、国際的な司法機関での対処が好ましいと考へ、最後はオーストラリアの、原住民アボリジニ文化の尊重や権利の回復の話を持ち出して、その先進性を称揚し、日本のやり方は間違つてゐると言ひたげな文章でエッセイを締め括つてゐる。ちなみにタイトルは「なぜ『米国議会がアジア従軍慰安婦』か――人権に国境はない時代へ」となつてゐる。

 我々の気が付かぬところで、南半球までも半日思想刷り込みは広がつてゐる。それをやつてゐるのが朝日の社友だといふことをもう一度申上げておく。

 なお、日豪プレスの記事と青木公の存在を、その余りの軽さを教へて下さつたのは、私のブログを訪れてTBをして下さる、 「本からの贈り物」といふ素晴らしい書評ブログを展開してゐる、オーストラリア在住のmilesta氏である。氏の読書量は並みのものではなく、またジャンルも幅広い。書評は、的確、実に的を射てゐる。私なぞ、必読書で読んでゐないものでも、このブログで取り上げられた時に読んでおくと、かなり助かることがある。そんぢよそこらの書評には太刀打ちできない。なぜか。魂が入つてゐる。私の好きな数少ないブログである。
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by dokudankoji | 2007-08-12 00:54 | 雑感 | Trackback(1) | Comments(3)
2007年 08月 09日

前記事補足

 ある方から非公開で親切なコメントを頂いた。前の記事で、「戦後何もかもアメリカ基準で、尺貫法を捨て…」といつたニュアンスで書いてゐるが、尺貫法を捨ててアメリカ盲従したなら、ヤード・ポンド法になつてゐたはず、そして日本は既にそれ以前にメートル法になつてゐたとのご指摘。まさにその通り、筆が、いや指先が滑つた。

 明治以来の、そして戦後の西洋崇拝、ことにアメリカ盲従に疑義を呈するつもりで、次から次へと廃止され、捨て去られた我が国古来の文物を代表させるのに、尺貫法と和服を挙げた。ここは原文を直さないで、こちらに補足を書くことにした。

 メートル法がフランスで制定されたのは一七九九年、一八七五年のメートル法条約の締結に従い国際度量衡制として採用され、多くの国がこれを採用。我が国は十年後の一八八五年(明治十八年)に同条約に加入、一九二一年(大正十年)にメートル法の専用を決定してゐる。

 ただ、尺貫法は、私もそれで育つたくらゐで、生活習慣ではメートル法と並存してゐた。これが消えて行くのが昭和三四年(一九五九年)に尺貫法が廃されてからと思はれる。度量衡法は、昭和二七年(一九五二年)に計量法に移行し、以来数次にわたり改変されてゐるとのこと。尺貫法が取引や証明の計量には用ゐられないとされたのが、昭和四一年(一九六六年)だといふ。以上、主として日本国語大辞典と日本大百科事典(いづれも小学館)に依つた。

 少々横道にそれるやうだが、映画『オールウェイズ・三丁目の夕日』の昭和三十年代にノスタルジーを感じるのは、尺貫法へのノスタルジー、日本がまだ江戸に繋がつてゐた、その感覚へのノスタルジーなのかと考へたりしてゐる。昭和の前半はまちがひなく、大正へ明治へ、それらを通して江戸へ道が通じてゐた。そこから外れて行くのが西洋化であり、戦後のアメリカナイゼイションだらう。

 といふ訳で、日本が日本ではなくなつて行く姿を書かうとして。西洋化とアメリカ化を、日本の文物の廃棄の観点から書いてゐるうちに、上記のやうな誤解を招く書き方をした。論旨には何ら変りはないが、米英はヤード・ポンド法である。

 ところで、目下拙宅は改築を済ませたばかりだが、建築家の設計図は全てコンピュータから出力され、その図面の寸法はミリメートルで表されてゐる。ところが、その建築家を含め、工務店も大工も私も、坪・畳・間・尺寸で会話を交はし理解してゐる。何の不都合もなかつた。西暦と元号、メートル法と尺貫法、どれも両建てで行けばよいではないか。

 最後になるが、私の誤解を生じかねない書き方に、非公開コメントによる指摘を下さつたM氏に感謝してゐる。私を含め、かういふ時、得てして、したり顔の公開コメントをしてしまふものだが、M氏の紳士的謙虚さに感じ入つた次第。多謝。
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by dokudankoji | 2007-08-09 01:24 | 雑感 | Trackback(1) | Comments(5)
2007年 08月 05日

一つのアナロジー

 もう二週間ほどにもならうか、NHKでインカ・マヤの遺跡を空中撮影したドキュメンタリーを放映してゐた。その番組でも触れてゐたが、なぜインカ文明(民族)は滅びたかといふと、攻め込んだスペインが齎した疫病が蔓延して滅亡したのだといふ。さういへば、この話は以前、何かで読んだか、あるいは同じやうなテレビ番組で聴いたかした記憶がある。

 番組を見てゐた時には、ああ、さうだつたと思つただけだつたが、数日後、脳裏にそのナレーションがフラッシュバックした。途端に、背筋が寒くなると言つたら大袈裟だが、一人で勝手にかなりの衝撃を感じてゐた。見事なアナロジー、さう思へて仕方がなかつた。これは日本のことを言つてゐる、さう、比喩としても出来すぎてゐる。

 江戸時代まで、日本は四囲の海と鎖国政策によつて守られ、この小さな島国の中に見事なそして高度の文化文明を育んできた。開国後も、明治の先人達は西洋といふヴィールスの魔力を知り、怖れながらも、一度罹つてしまつた疫病から逃れ得ぬ運命をも知り尽くし、それならと、何とかそのヴィールスを体内に取り込み、取り込むと同時に対抗する免疫力も高めようともがき苦しんだ。漱石が、鷗外が、龍之介がその煩悶を如実に体現してゐる。

 そして、大東亜戦争。敗戦。占領政策。日本人は嬉々として鬼畜米英を迎へ入れ、受け入れた、何の警戒もせず、病魔に襲はれる恐怖も感じぬままに。全ての基準はアメリカ。尺貫法から和服、あらゆる生活文化を捨て去り、コカ・コーラの味に酔い痴れた。日本文明といふ、日本文化といふ強力なる抗体を平然と打ち捨てた。

 後は一瀉千里、「西洋文化」といふ名の近代物質至上主義に染まつて行く。拝金主義に染まつて行く。自由とは口先だけで、実は「気まま」「お気楽」「自分勝手」の世界が現出する。何の抗体も持たうともせずに、次から次へと禁断の木の実を体内に摂取し続けたのが戦後の六十年ではないのか。和服がブームとなり、浴衣がファッションとして扱はれるといふことは、日本人にとつて日本自体がエキゾティシズムの対象になつたといふことであり、自我を失つたといふことだ。日本人が日本人としてではなく、外側から「和」の「文化」を眺めて弄んでゐるといふことだ。

 そして、皇室典範にまで手をつけようとし、国語の荒廃には甚だ鈍感でゐる。そのくせ悠仁親王殿下誕生と共に、一先ずは皇室も安泰とばかり多くの保守人士や保守派政治家が皇室典範の問題、つまり皇室存亡の危機を顧みない。近頃の国語ブームもまやかしだ。国民は誰も言葉の貧困を本気で考へてゐやしない。

 皇室と国語、今や日本を保守するものはこの二つしかなからうといふのに。万世一系の天皇家、一国一民族のみで純粋に培つて、記紀万葉の時代から連綿と受け継いで来た日本の言葉。この二つが壊れる時、日本は最後の抗体を失ひ、インカ・マヤと同じ運命を辿ることになりはしないか
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by dokudankoji | 2007-08-05 23:05 | 雑感 | Trackback(3) | Comments(8)