福田 逸の備忘録―独断と偏見

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2007年 06月 18日

日本の文化人宣言

 前の記事で触れたAFPを通しての配信が行はれたとの事。日本の事務局からの連絡では、「6月12日付で、AFPより同社加盟のフランスの全主要メディア二百数十社および主要組織約二千社あてに首尾よく発信され」たよし。まだ、公の反応は無いらしいが、極左組織がネット上で反論してゐるとのこと。それに対するコメントは我々の宣言に賛成するものが多いといふ。

 さらに主唱者等は、「ロイター通信、ハヴァス通信をつうじてアメリカを含む地球的広域に発信する」つもりださうだ。如何なる波紋を呼ぶにせよ、漸く動き始める。

 かへつて騒ぎを大きくするだけだといふ、したり顔の意見も聞くが、とんでもない。世界では、はつきり意思を示す国のみが受け入れられる。南京事件の真実がいかなるものか、公明正大な研究をすればよい。その結果がどのやうなものであれ、真実は受け入れる。それだけのこと。

以下宣言文(原文仏語)の和訳と賛同者。

 我々、日本の歴史家ならびに文化人は、2005年12月12日のフランス人歴史家の《歴史に自由を》宣言、並びに2006年1月25日のベルギー人歴史家の《記憶の洪水――国家が歴史に容喙するとき》宣言を承けて、歴史に関する全ての論文の校合および証拠資料の研究への自由を要請する。

 我々は、今年逝去されたフランスの碩学、ルネ・レモン氏の高唱のもと 700人知名士の賛同署名を得た《歴史は宗教にあらず。歴史家は如何なる ドグマをも容れず、如何なる禁令、タブーにも従わず。歴史家は邪魔者たることあるべし》との表明に全面賛同する。

 我々は、日本軍の南京入城70周年にあたる本年、西暦2007年に、本宣言を発する。その理由は、いわゆる南京事件なるものが、ことに欧米のメディアにおいて日本の現代史を扱う上で最も非客観的なる典型を示しているからにほかならない。

 勝者によって書かれた歴史は必ずしも真実の歴史ではない。我々が要求するものは、この歴史的真実追求の権利である。すなわち、全関係論文を検討し証拠資料を比較する自由への権利である。政治・イデオロギー的歴史観にもとづいて我が民族を恒常的に貶め、悪魔化する行為に対して、断固、我々はこれを拒否する。

 真実追究を欲するあらゆる人士とともに速やかに科学的比較研究を共にすることを、我々は切望してやまない。

パリ、2007年6月12日


日本の文化人宣言署名賛同者(アルファベット順)

青木英実(中村学園大学教授)/新井弘一(元駐東独大使)/荒木和博(拓殖大学教授・特定失踪者問題調査会代表)/遠藤浩一(評論家・拓殖大学教授)/藤井厳喜(拓殖大学客員教授)/藤岡信勝(拓殖大学教授・新しい歴史教科書をつくる会会長)/福田逸(現代演劇協会理事長・明治大学教授)/萩野貞樹(国語学者)/花岡信昭(ジャーナリスト)/長谷川三千子(埼玉大学教授)/東中野修道(亜細亜大学教授・日本「南京」学会会長)/平松茂雄(元防衛庁防衛研究所研究室長)/細江英公(写真家)/井尻千男(拓殖大学日本文化研究所所長)/入江隆則(明治大学名誉教授)/神谷不二(慶應義塾大学名誉教授)/神谷満雄(鈴木正三研究会会長)/加瀬英明(外交評論家)/片岡鉄哉(元スタンフォード大学フーバー研究所研究員)/勝岡寛次(明星大学戦後教育史研究センター)/勝田吉太郎(京都大学名誉教授・鈴鹿国際大学名誉学長)/慶野義雄(平成国際大学教授・日本教師会会長)/黄文雄(作家)/小堀桂一郎(東京大学名誉教授)/久保田信之(アジア太平洋交流学会代表・修学院長)/松本徹(作家・文芸評論家)/南丘喜八郎(『月刊日本』編集主幹)/宮崎正弘(評論家)/水島総(映画監督・日本文化チャンネル桜代表)/百地章(日本大学教授)/中村勝範(慶應義塾大学名誉教授)/中西輝政(京都大学教授)/奈須田敬(出版社主)/西尾幹二(評論家)/西岡力(東京基督教大学教授)/丹羽春喜(経済学者・ロシア東欧学会名誉会員・元日本学術会議第16期会員)/呉善花(拓殖大学教授)/小田村四郎(元拓殖大学総長)/大原康男(國學院大學教授)/岡本幸治(大阪国際大学名誉教授)/岡崎久彦(元駐タイ大使・岡崎研究所所長)/大森義夫(元内閣調査室長)/太田正利(元駐南アフリカ大使)/小山内高行(外交評論家・慶應義塾大学大学院講師)/櫻井よしこ(ジャーナリスト)/澤英武(外交評論家)/島田洋一(福井県立大学教授)/石平(評論家)/副島廣之(明治神宮常任顧問)/高橋史朗(明星大学教授)/高池勝彦(弁護士)/高森明勅(歴史学者・日本文化総合研究所代表)/竹本忠雄(元コレージュ・ド・フランス客員教授・筑波大学名誉教授)/田久保忠衛(杏林大学客員教授)/田中英道(東北大学名誉教授)/塚本三郎(元衆議院議員)/梅澤昇平(尚美学園大学教授)/渡邉稔(国際問題評論家)/渡部昇一(上智大学名誉教授)/渡辺利夫(拓殖大学学長)/屋山太郎(政治評論家)/山川京子(歌人・桃の会主宰)/山本卓眞(富士通名誉会長)/吉原恒雄(拓殖大学教授)/吉田好克(宮崎大学准教授)
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by dokudankoji | 2007-06-18 23:47
2007年 06月 16日

日本からの反論、世界へ

 サーバーの不調で昨日(アメリカ東部時間十四日のうちに)更新できなかつたが――

 いはゆる「慰安婦」問題に関する日本からの初めての反論(意見広告)が、六月十四日、ワシントンポスト紙に掲載された。愚生も声を掛けられ、枯れ木も山の賑はひと思ひ賛同者に名を連ねた。くはしくは主導した一人、西村幸祐氏のブログをご覧頂きたい。拡大すれば、広告そのものが読めるやうになつてゐる。

 別の動きもある。南京大虐殺「七十周年」とやらのおかげで、欧米を巻き込んでの国際的な反日運動が高まりを見せてゐるのは、ご存じだらうが、これに対して、竹本忠雄氏を中心に在仏の日本人有志の尽力で、「日本からの宣言」がAFPを通じフランスの全メディア内の加盟報道機関全社に向けてアピールされる。

 第一弾は既に五月三十一日、竹本氏他、日本から井尻千男氏、小堀桂一郎氏、加瀬英明氏、東中野修道氏らの連名でAFP宛てになされたといふ。続いて第二弾が近々に全メディア加盟報道機関全社に配信されることとなり、小生も賛同者数に加へて貰つた。

 そのアピールの中にある、フランスの政治・歴史学の碩学、今は亡きルネ・レモンの言葉がよい。「歴史は宗教にあらず。歴史家は如何なるドグマをも容れず、如何なる禁令、タブーにも従わず。歴史家は邪魔者たることあるべし」といふものである。アピールは、南京事件の歴史的真実を追究する自由を求め、そのために関連全文献・証拠の比較研究を要求し、「改竄された政治的イデオロギー的歴史観を押しつけ、これによって我が民族を永久に陥れ、悪魔化しようとする行為の一切に対して、断固我々はこれを拒否する」とし、フランス及びヨーロッパの同学の士と研究を共にしようと呼びかける。

 文学の世界なら、一つの事柄に関し無数の「真実」無数の解釈があつてもよからう。歴史的事実もベクトルを変へると無数に民族の数だけ存在し得るかもしれぬ。しかし、政治に利用された虚偽が真実としてまかり通ることだけは防がねばならない。歴史的事実に「解釈」の余地は無い。正確な全体像を信頼できる証拠から割り出すしかない。南京大虐殺については、その証拠写真と言はれてゐるもの全てに、証拠としての信憑性がないことは東中野修道氏らの研究が既に証明してゐる。今さら、ここにかうして書くまでもないことなのだが、その事実すら知らない人が余りにも多いので書いておく。くはしくは東中野氏等による『南京事件「証拠写真」を検証する』をお読み頂きたい。
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by dokudankoji | 2007-06-16 14:39 | 雑感
2007年 06月 13日

時間が取れぬので、簡単に

 絶対阻止を叫ばねばならぬもの二つ。秋のゴールデン・ウィークとやらと、裁判員制度。

 あちこちで多くの方が書いてゐることだが、根拠の無い休日を増やす必要はない。祝祭日の「祝」と「祭」の意識を持たせぬ休日を増やして何になる。この問題も憲法同様、占領期に滅茶苦茶にされた。戦争には負けたくないもの。

 祭日といふ概念が既に無い。をかしな国である。宗教的行事と結びついた、従つて我が国の場合なら、皇室と結びついた祭日に靄をかけて誤魔化したところから考へ直すこと。誰が誰に感謝してゐるか分からぬ勤労感謝の日といふ呼称を即刻廃止、新嘗祭と呼ぶべきであり、それがいかなる行事か初等教育で教へるべきだ。それは農耕民族であつたこの国の歴史を教へることであり、さうであることをやめた時からこの国の国難が始まつてゐることを考へなくてはなるまい。食料の自給率も、この問題と無関係ではない。「食」の問題も同根であらう。

 大体、ハッピー・マンデーとか称して、敬老の日や体育の日を動かしたことが間違つてゐる。いや、そもそも、そんな「休日」を作つたところから間違つてゐるのだらう。ハッピー・マンデー!? オメデタ過ぎやしないか?

 さて、裁判員制度。これについては何とか改めて書くつもりでゐるが、一つだけ。裁判員になる可能性のある年齢は二十歳から。確か上限もあつたはずだが、それはひとまづ措く。

 大学の法学部で法律家になることを目指してゐる学生も、裁判員にはなれちやう訳だ……しかも授業を休んで……何をか言はんや。
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by dokudankoji | 2007-06-13 00:57 | 雑感
2007年 06月 09日

憲法改正反対

 どうしても分からない、なぜ現行憲法を改正しようとするのか。手間隙掛けて何故そんな馬鹿げたことをしなけりやならぬのか。

 現行憲法を後生大事に本気で守つて来たといふ人、守つてゐるといふ人、守つて行かう守つて行きたいといふ人がこの国にどれだけゐるのだらう。本気であんなものの有効性を信じ、あんなものを頼つて生きてゐる人が、どれ程ゐるのか。

 改正するなら、その前に現行憲法が有効であることを、先づ証明してからにして欲しい。できるものなら証明してみるがよい。私は法律の素人、だが、常識はあるつもりだ。その私の常識があの憲法はまがひ物だといふ。憲法ほど、すぐれて「国権の発動」といふ行為に相応しい法はなく、ならば、占領下といふ、国権の発動が最も制限された状況で制定されてよいもののはずがない。

 何もわざわざあの憲法の日本語が翻訳調であることを証明して、さうであるがゆゑにGHQの押付けだなどといふ理屈を持ち出す必要もない。考へるまでもなく占領下(非独立下)では、何ら自立的な立法を行ひ得るはずがなからう。これだけで現行憲法が、頗る付きのいかがはしい存在であることは明白だ。従つて私にはこの括弧付き「憲法」に従ふ気は毛頭無い。後生大事に守りたい人だけで守るがよい。

 改正するなら嘗てこの国にあつた大日本帝国憲法、敗戦により棚上げされた明治憲法、すなはち我が国が独立時に施行されてゐた唯一かつ直近の憲法の復権を図り、それを現代に合はせて改正したらよろしい。この、占領下における泥縄的な現行「憲法」制定といふ欺瞞に頬被りし続ける限り、この国に未来はない。その上に立つた改正でごまかす限り、教育基本法を変へようが、教育再生を叫ばうが、親学などといふ寝ぼけた戯言をいはうが、何をどう構造改革しやうが、日本の復活は絶対にあり得ない。

 私は、現行「憲法」のやうに天皇を日本国民の象徴だなどと間の抜けたことを言つて、自分をごまかすのは御免蒙る。誰だつて分かつてゐるであらう、天皇が外国へ行けば元首(元主)として遇されることくらゐ。ならば、象徴などといふ曖昧で抽象的な言葉は憲法から外すがよい。素直に元首と認めればよい。これは、諸外国からは軍隊と見做されてゐるものを、「自衛隊」といふ呼称のもとに自己欺瞞に陥り、その欺瞞に頬かむりしてゐるのと同じ神経の麻痺、思考の停止だ。かういふ欺瞞に平然としてゐられる神経が分からぬ。恬として恥じぬ鈍感が嫌だ。

 万世一系であれ何であれ、憲法で元首と規定されれば、民主主義の世の中、あとは国民各々個人個人の問題になる、どれ程「気楽な」ことか。元首であれば、天皇や皇室がお嫌ひな方々も、ただ肩書きとしての「元首」と思へばよいだけの話、サルコジを嫌ひだらうがブッシュを莫迦にしてゐようが胡錦濤を憎まうが、諸外国に向けて国家(国民)を代表する元首は元首であるだけのことだらう。天皇への尊崇も否定・拒絶も個人の「勝手」だ。天皇を嫌ひだ皇室を認めないといふ人々は、自由な日本の事だ、自由にさう思へばよろしい。皇室の存在を必須のことと考へる私でも、その人々の自由を否定する気も無ければ、束縛する権利も手立てもない。

 しかし、「憲法」で天皇を「国民統合の象徴」などと規定されては、たまつたものではない。「日本国民統合の象徴」などと言はれた途端、私は、天皇を否定する輩なんぞと統合されるのはゴメンだよ、そして天皇陛下が私の象徴などと畏れ多いことを言つてくれるな、冗談ぢやないとケチの一つも付けたくなる。皇室は嫌ひだといふ方々にお聞きする、あなた方は天皇を自分の象徴と規定する「憲法」を肯定できるか。

 私は昭和天皇が大好きだつた。明治天皇も立派な天皇と尊敬する。皇居遥拝などしたこともないが、皇室の存在を有り難いと考へてゐる。日本といふ、世界にも稀有な国家が存在してゐる根幹にあつて、我が国の存在を担保してゐるのは皇室の存在と国語だと確信してゐる。さうであつても「象徴」はをかしい。良く考へて欲しい、国民の象徴とは具体的に何を意味してゐるのか。「日本国民統合の象徴」とはいかなるものか、説明できるお人はゐるか。このふやけた「憲法」、成立及び施行自体が甚だ怪しげなものだ。怪しげどころか上述の通り占領下の憲法制定など無効だらう。無効なものをどうやつて改正するといふのか。そんなもの、即刻破棄、それしかなからう。

 同時に、このまやかし「憲法」の下に成立したあらゆる法律を見直さねばなるまい。殊に皇室典範も一度明治に立ち返つて考へ直さねばなるまい。つまり、何事にせよ占領下に「法」が施行されることは、ハーグ陸戦法規に照らしてみても認められぬことは、改めて言ふまでもないことではないのか。今さら引用するのも気が引けるが、その第三款第四十三条は以下の通り。

 第四三条[占領地の法律の尊重] 国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限、占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及生活を回復確保する為施し得べき一切の手段を尽すべし。
 
 つまり、占領軍は占領地日本の憲法を改変する権利は勿論、押し付ける権利は無い、さうハーグ条約は規定してゐる。ついでながら、第四十六条には[私権の尊重]を謳ひ、「家の名誉及権利、個人の生命、私有財産並宗教の信仰及其の遵行は、之を尊重すべし」とある。戦前天皇が神であつたか否か、戦後生まれの私は知らぬ。が、天皇・皇室が多くの日本人の信仰の対象であつたこと、天皇がいはゆる祭祀王であることを考慮すると、宮家の廃止、結果としての皇室存続の危機を引き起こす皇室典範の改変もハーグ条約違反であることは疑ひない。
 
 それとも、これらの改変は全て日本国の意思であり、日本の国家国民が自由意志で明治憲法を改定したとでもいふのか。占領下の日本に司法、立法、行政、いづれにおいても自由な決定・実行権があつたとでもいふのか。もしさうならそれは独立国といふことであり、被占領国ではないことになる。昭和二十七年の主権回復まで、我が日本はまさに主権無き敗戦国・被占領国だつたことは紛れもない事実である。

 少々横道にそれたが、以上、憲法「改正」反対の弁である。一日も早く現行「憲法」の無効と破棄を宣言し、敗戦前、日本国の独立時に存在した大日本帝国憲法を下敷きに、新憲法を制定するべきと考へる。

 ついでながら、私は憲法にまつはる国民投票法も認めない。投票などしてやらない。さらに。十八歳にまで投票権を与へるなど、これも認めない。チャンチャラをかしい。誰でもよい、自分の十八歳の頃を思ひ返すだけで、その年齢の子供に投票権を与へる愚かさに気づくだろう。一方で教育の荒廃を憂へ、「ゆとり教育」を反省するなら、そんな教育を受けて育つた「今時の」子供等に憲法はいふまでもなく、どんな法律に関しても、いや、選挙の投票権も与へるべきではない。世界の趨勢など我が国の知つたことではないではないか。

 むしろ選挙も国民投票法も権利年齢を上げるべきだ。例へば、二十二歳から。何せ「大学全入」の時代、卒業してからで十分、被選挙権も上げたらよい。

 さらについでに、裁判員制度に関して一言。アホ臭い。はつきり言ふ。私が罪を犯したとして、素人に裁かれたくはない、いはんや子供に裁かれるなど真つ平御免だ。そして言ふまでもなく、私は人を法的に裁く立場に立つつもりも権利も義務もない。罰金でも何でも課すがよい、私は裁判員に選ばれても絶対に受けない。現行「憲法」下の法律は全て無視してかかつて六十年近くを生きてきた。そして何の不都合も起きなかつた・・・。
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by dokudankoji | 2007-06-09 21:08 | 雑感
2007年 06月 03日

脱力、海上保安庁御中

 インターネット上の毎日新聞の記事で知らされたのですが、海上保安庁殿、大丈夫ですか? いや、脱北者の件です。なんでも、「パトロール海域に入つてから、ある程度の時間はあつたはずなのに、捕捉できなかつた」さうで、そのことが海保にとつて「ショックだ」つたとか。ホントですか?

 捕捉できなかつたのは船高の低い小型木造船だつたためにレーダーに引掛からなかつたからだとか。理由は何でもいいんです。冗談ぢやあありません。それぢや、今まで恐らく何十人(百人以上?)もの無辜の日本国民が、無法にも日本海の海岸から北鮮の小型船(軍艦ぢやないですよね)で拉致されてきたといふのに、そしてそれが何十年に亙るといふのに、しかも平成十三年の十二月二十二日には例の不審船(工作船)との交戦で海保は負傷者まで出して雄々しく戦ひ、自爆・沈没させた不審船からは怪しげな小型船やらなにやら出てきて、北鮮の不法行為が日本国民の隅々にまで知れ亙つたといふのに、あの事件の前も後も、領海はもとより領土への小型船による侵入を防ぐ手立てを講じてゐなかつたといふ事なんですね。あの工作船に積まれてゐた小型船は今回の漂着船とは比べ物にならない大きなものですよ。それを捕獲したなんて話も聞いたことは無いと思ふんですが。

 ショックなのはこちらです。何がショックかお分かりですか? 海上保安庁が捕捉できなかつたことを、私はショックだといふのではありません。その事実を平然と「ショックだ」といへる神経にショックを受けてゐるのです。分かります? 恥づかしくないのですか? 何を今さらショックですか。横田めぐみさん他、数知れぬ拉致をし放題にさせておいて、国民を守れず、今頃になつて脱北者の小船を捕捉できなくて、「自分達はこんなことも出来なかつた、そのことにショックを感じてゐる」などと、余りにも間が抜けてゐて、国を守る人間の言葉ではない。矜持をお持ちなさい。矜持を持てるだけの対策を講じてから、ショックだなんだとホザキなさい。

 これでは拉致された人々の家族は、立つ瀬が無い。ショックだといふなら、今までの拉致を防げなかつたことを恥ぢるがよろしい、違ひますか。海自よりは身近に感じ、日頃頼れるものと思つてゐた私は莫迦だつた。先日の立て籠もり事件でのSAT隊員殉職時の、警察への脱力以上です。

 そして、これは今の日本への、日本国への、つまりは自分に跳ね返る脱力なのですが。
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by dokudankoji | 2007-06-03 20:30 | 雑感


    


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