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2005年 06月 21日

ゾンビ?

 18日付の朝日新聞の朝刊一面に、「戦争をどう教える」といふ三回シリーズの最終回が載つてゐる。のつけから仰け反るやうな面白いことが書いてあるので引用する。

 ≪東京都のある教科書会社の会議室に03年夏、歴史学者ら執筆陣が集められた。06年から使われる中学歴史教科書の編集方針を決めるためだった。「従業員の生活もある、『慰安婦』という言葉をやめたい」。反対意見はわずかだった。
 今春、検定に合格したこの教科書に「慰安婦」の記述はなかった。担当者は「前回、『慰安婦』の記述が敬遠されてシェアを落としたので納得してもらった」と語る。≫

 この教科書会社、どこかは知らぬが、どうかしてゐやしないか。語るに落ちるとはこのことだ。
 歴史の真実(事実でもいい)を伝へるためではなく「従業員の生活」のために教科書を出してゐるといふ訳だ。従つて、歴史教育が目的ではなく「シェアを落とさぬ」ために編集方針が決まるといふ訳だ。こんなことが、あつて良いのか。いや、こんなこと公言してしまつて良いのですか?

 私はどうやらウブらしい。歴史教科書はてつきり執筆者の信念に基づいて書かれてゐると思ひ込んでゐた。てつきり階級闘争史観・東京裁判史観・自虐史観に基づいてゐるのだと心から信頼申し上げてゐた。裏切らないで下さい。「従業員の生活」ゆゑの「シェア」の前に、自ら信念を曲げてしまう程度の軟弱史観に基づいてゐたのか?

 からかつてゐるのではない(いや、からかつてゐるのです)。これから、20年、30年先の日本を背負ふ子供達に、自国の歴史を学ばせるのが教科書であらう。それなら自ら信ずるところを恐れずに書くことだ。間違つても、生活やら儲けやらのために節を曲げてはならない。そんな軟弱な気構へしかないなら、偉さうに教科書など作るべきではない、出版すべきではない。いやしくも教育に携はらないで頂きたい。そして、支那や韓国よろしく国定教科書を推進すればよろしい。
 
 上の記述に続けて、朝日は95年の検定時以来、全7社の教科書に「慰安婦」「慰安施設」が載り、教科書会社の自主性が前提の検定制度下、以後10年大きな変化はなかつたことを説明し、以下のやうに続けてゐる。

 ≪しかし、「慰安婦」などの表現は現場の意向や社会的影響、さらに業績を左右する採択の傾向に流されやすい面もある。≫

 これまた、語るに落つこつちまつてゐる。(こまつちまふな。)朝日新聞殿、『慰安婦』など「流されやすい面もある」「表現」と、流されにくい「表現」の例をそれぞれ少し挙げて下さらぬか。

 ここでも同じことを言ふしかない。歴史教育が、現場の意向やら社会的影響やら業績を左右する採択やらに流されても構はないのですか? 構はないから、戦争中は軍部に迎合し、戦後はころりとソビエト・支那の御用新聞に変身したことを、ここで弁解してゐる訳ですか? それとも、あと何年かしたら再び戦前のやうな記事を書くことを予感して(確信して)、今から予防線を張つてゐるのですか? 

 新聞といふ恐ろしいほどの影響力を持つ「武器」を毎日使ふ立場にあるなら、もう少し確たる信念を持つた記事を書いて下さらぬか。近頃の朝日は社説といひ何といひ、突然ヨガを始めた老人よろしく、手足が絡まつて身動きならず片足でピョンピョコ、ヨタヨタ、スッテンコロリ、そんな姿を思ひ浮かばせるものが実に多い。

 この記事も、まさにその一例。上の引用でいへば、≪「慰安婦」などの表現≫の「など」や「流されやすい面もある」といふ言ひ回し、殊に≪面も≫の「も」のあたりに、苦悶の表情が窺へることにお気づきだらう。もつとはつきり言明すればいいものを、敢へて曖昧に遠まはしにぼかして書く。

 「現場の意向」とは何のことか不明。「社会的影響」も不明、不明であるばかりか、「社会的影響に…流される」とはどういふことか?文章になつてゐないではないか。社会的影響を受ける、なら分かる。社会の風潮に流される、でも分かる。しかし上の文章は意味不明。「流されやすい面もある」は、「流されがちである」とかせめて「流されやすい面ある」としただけで、落ち着きが良くならう。「面もある」では、他にどんな面あるのですかと、つい聞きたくもなるではないか。

さらにに言へば、「意向」「影響」「傾向」――なんともはや、主体をぼかしにぼかしてゐるではないか。しかつめらしい勿体ぶつた、この三語、全て「雰囲気」に置き換へてみるがよい。さうすれば、如何に実体のないものに教科書採択が左右されてゐるかが読者にもはつきり伝はる。はつきり=明確に事実を伝へるのが新聞の使命ではなかつたか……。

 顧みて、中山文科相が社会的雰囲気などに一切流されず、「従軍慰安婦」といふ言葉が教科書からなくなつてよかつたと、持論を堅持してゐる姿は見事だ。しかし、当たり前のことを当たり前に言つただけで、見事に見えるといふことは、昨今の(新聞のみならず政治家その他を含め)多くの言論が余りにも愚劣・低劣・卑劣であることの証明とならう。

 戦時中「従軍慰安婦」といふ言葉がなかつたからだと文科相は言つたとか。まさに。言葉がなかつたのは実体が存在しなかつたからだ。言葉も実体もないものを、あたかもゾンビの如く(この際は蘇らせたのではなく)産み落としたのは、いふまでもなく河野洋平。かういふ男こそ「戦犯」と呼ぶべきであらう。今や、支那・韓国のみならず日本の中にすら、「従軍慰安婦」なるものが存在したと思ひ込んでゐる人々が少なくない。このことへの責任を河野洋平はどうやつて取るつもりなのであらう。
 
 独り歩きを始めてしまつたゾンビの息の根を止めるのは容易なことではない。前にも書いたやうに、言葉は生き物なのだ。命を与へられてしまつたゾンビは簡単には消えぬ。それを消す一番の方法は河野洋平の「反省とお詫び」そして衆議院議長辞職、政界からの引退、これしかないであらう。
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by dokudankoji | 2005-06-21 03:43
2005年 06月 19日

領土問題と『ハムレット』

 1982年に勃発したフォークランド紛争といつても、今の日本人にとつては全くどうでも良いことかもしれない。ここでフォークランド紛争の経緯まで書いてゐると、それこそ切のない話になるのでごく簡単に記す。

 フォークランド諸島は十七世紀以来、英・仏・西などの諸国が入植してゐた。その後アルゼンチンがスペインから独立した時(1816)に領有宣言をするが、1829年には米軍が上陸、中立地帯宣言を出す。直後の33年に英国が再び占領、以後英国領の様相を呈するのだが、紛争の種でありつづけた。一番近距離にあるのはアルゼンチンには違ひない。
 どこの国に理があるかはさておき、1982年4月2日にアルゼンチン軍が上陸占領、これに対し英国が国交断絶を通告。5日、英国艦隊がポーツマスを出港。ハリアー戦闘機やエクゾセ・ミサイルなど近代化された兵器による初めての戦争となり、世界の耳目を集めた。やがて6月14日アルゼンチン軍降伏、17日にガルチェリ将軍(アルゼンチンは軍事政権)失脚。

 しかし、ここまでは、まあどうでも良い。当時三十過ぎの私はイギリス贔屓でサッチャー・ファン。サッチャーの女だてらの果敢な行動力と鉄の意志にいたく感動、自国の領土とされるちつぽけな諸島のために、敢然と戦ひを挑み見事な勝利を収めた英国軍を羨望のまなざしで眺めてゐた。当時竹島はまだ問題になつてゐなかつたと記憶するが、返還されぬ北方領土四島のことが何時も頭にあり、釈然とせぬ思ひがあつたことは事実である。また、自衛隊が海外に出て行くことなど考へられもせぬ情けない時代だつた。

 一方、理があらうとなからうと、一端決断した英国がフォークランドに軍を進め短時日に勝利した爽快感は、まだはつきり記憶にある。
 この戦闘の間、私の脳裏をしばしばよぎったのが、シェイクスピアの『ハムレット』の一節だつた。いはゆる有名な独白のうち第四独白と言はれるもの――デンマークから英国に送られるハムレットが、「何の利益も上がらぬ小つぽけな土地を争ひに」大軍を率ゐて行進するフォーティンブラスの軍を見て、自分の不甲斐なさに自己を叱咤する科白である。長くなるが引用する。

   「あの兵士達を見ろ。あの兵力、膨大な費用。それを率ゐる王子の水ぎはだつた若々しさ。穢れのない野望に胸をふくらませ、歯を食ひしばつて未知の世界に飛びこんで行き、頼りない命を、みづから死と危険にさらす。それも、卵の殻ほどのくだらぬことに……いや、立派な行為といふのは、もちろん、それだけの立派な理由がなければならぬはずだが、一身の面目にかかはるとなれば、たとへ藁しべ一本のためにも、あへて武器をとつて立つてこそ、真に立派と言へよう。さういふおれはどうだ? (中略)恥を知れ、あれが見えないのか。二萬のつはものが、幻同然の名誉のために、まるで自分のねぐらにでも急ぐやうに、墓場に向つて行進をつづけてゐる。その、やつらのねらふ小つぽけな土地は、あれだけの大軍を動かす余地もあるまい。戦死者を埋める墓地にもなるまい。ああ、今からは、どんな残忍なことでも恐れぬぞ。それが出来ぬくらゐなら、どうともなれ!」(第三幕四場)

 フォークランド奪還に向ふ英国軍の姿に私はフォーティンブラス軍をダブらせて眺めてゐた。さすがあの文豪を産んだ国なればこそと思つたものだ。
 尤も、当時は南極の資源の価値に各国が着目、地政学的にはフォークランドは英国にとつていはば前線基地、「小つぽけ」どころではなかつたであらう。それはそれ。

 翻つて、我が国の現状はどうか。竹島、尖閣列島、北方領土といふ、明らかに日本固有の領土のどれ一つ取り返せずにゐる。自国領を自由に出来ず、韓国・支那・ロシアを相手に明確な意思表示一つできぬ体たらくではないか。

 竹島に到つては(北方領土も)他国の実効支配が続いてゐる。あと数十年もすれば、これが既定事実となり、我が国が固有の領土と領海を失ふことは目に見えてゐる。外交も戦争の一形式。主張すべきはしなくてはならぬ。主張したら、次は実際的な戦略を駆使して国際社会に訴へることだ。

 竹島(昔の松島、昔は鬱陵島を竹島と呼んだ)についていへば、我が国としては、1618年江戸幕府が大谷・村川両家に渡海許可を与えた段階で我が国のものとなつてゐると考へるのが妥当であらう。それ以来三百年近く我が国の実効支配が続いてきたのだ。これは、あくまで日本側の主張に過ぎぬと韓国は言ふであらう。あとはいつまで経つても平行線であり、現実に実効支配してゐるものが勝ちであらう。となると、最後の手段は……。

 さう、フォークランドである。戦つて勝ち取る、これも実効支配の一手段。武力で戦ふか外交戦略を駆使するか、それこそ政治家の腕の見せ所であらう。

 もう一度『ハムレット』の一節を読んで頂きたい。

     「一身の面目にかかはるとなれば、たとへ藁しべ一本のためにも、あへて武器をとつて立つてこそ、真に立派と言へよう。」
     「幻同然の名誉のために、まるで自分のねぐらにでも急ぐやうに、墓場に向つて行進をつづけてゐる。その、やつらのねらふ小つぽけな土地は、あれだけの大軍を動かす余地もあるまい。戦死者を埋める墓地にもなるまい。」

 領土とは、さういふものではないか。一国の面目・名誉のためにどんなちつぽけな領土であらうと守らなくては国家の態をなさぬ。しかも、領海といふ近代の国際法がある以上、12カイリ海域にせよ200カイリの排他的経済水域にせよ、「立派に」守るのが国家の義務であらう。竹島も尖閣も北方領土も、領土と共に領海が付いてまはることなど言ふまでもあるまい。そして領海には水産資源、海底資源が付いてまはる。我が資源欠乏国家にとつては、国家の死命を制する大問題であるはずだ。

 国益といふ、ご都合主義かつ目先の経済的利益のみしか考へぬ財界人や政治家に、我が国を任せておいてよいのか。国益をいふなら、五年十年先ではなく、百年先を見据えた国益を考へるべきだ。それ以外を国益などといふ言葉で呼ぶものではない。国家の名誉や面目を冷静に見つめたとき、初めて真の国益とは何か、誰の目にも明らかになるであらう。

 (付記)拉致問題も、いふに及ばず同じ国益――国家の名誉・面目の問題だ。小泉首相は本当にそれが分かつてゐるのだらうか。世界の無法者国家が北朝鮮なら、笑ひ者国家はさしづめこの日本であらう。
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by dokudankoji | 2005-06-19 04:26
2005年 06月 18日

前の記事について訂正――是非読まれんことを

 前の記事は、少々早トチリ、いや遅トチリ(?)だつたやうだ。初めて見たものだから、急いで多くの方に見て頂かうと思つたのだが、先ほど「新しい歴史教科書をつくる会」のHPを見てゐたら、これが既にコメントつきで出てゐる

 これは、広島県教職員組合(広教組)が平成13年に出した『小学校・中学校教科書採択の観点表』といふものださうである。
 いづれにしても、酷い内容であること、本気かいなと笑はせてくれることには間違ひないのだが、せつかちに記事にしたことを、お詫びすると同時に、今年度の採択に向けたものではないことを付言しておく。
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by dokudankoji | 2005-06-18 22:55 | 雑感
2005年 06月 18日

日教組の教科書採点表!

 本日二つ目の記事。

 知人から今朝メールが送られてきた。それを見て仰天。某県日教組の内部資料とでも言はうか、歴史教科書「採点表」ださうある。なるほど、かうして彼らは「現場」で採択教科書を採点し、教育委員会にT社の教科書に決定せよと御下命あらせられるわけだ。

 何ともはや、21世紀なつた今時、黴臭い階級闘争史観と例のごとき自虐史観のオンパレード、腹が立つより呆れるより今回ばかりは笑つてしまつた。取り敢へずのご報告のみ、細かな論評など必要ない、以下のページをとくとご覧あれ。

 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/20010714

 ブログライターの方、ご自分のブログにも掲載して是非これを広めて頂きたい。ただし、日教組はこれは「謀略だ、我々はこんなもの作つてゐない」と反論してくるだらうことは、考慮に入れておかう。尤も反論そのものの中に、彼らのことだ、必ず何か語るに落ちるといつたどぢを踏んでくれるのではないかといふ期待も出来る。



 
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by dokudankoji | 2005-06-18 13:22 | 雑感
2005年 06月 18日

言葉は慎重に

 私自身このブログで何度も「A級戦犯」といふ言葉を使つてゐる。使いながら気になつてゐる。どうしても、この言葉は「一番重い罪を犯した人」といふ印象を与へてしまふ。正直のところ、私も恥ずかしながら、大学の頃までは単純にそう思つてゐた。つまり軍人でいへば大将や中将クラスで国の指導者として大罪を犯した人物、C級といへば一兵卒くらゐの低い階級の軍人などが裁かれてゐるといつた具合に。

 今でもその程度の認識の方も多いのではないか。ことに若者はさう思い込んでゐるかも知れない。それもむべなるかな、「級」といふ文字は殆どの場合、序列・順序を意味する――上級、下級、進級、階級、高級、低級、等級……例を挙げたらキリがあるまい。

 たまたま、最新号の週刊新潮の広告に「中国に媚びた政治家『A級戦犯7人』の大罪」といふ記事があつたが、目にしたかたも多からう。このキャッチコピーの横に、中曽根康弘、河野洋平、橋本龍太郎、野中広務、加藤紘一、田中真紀子、岡田克也の顔写真が載つてゐる。7人なのは言ふまでもなく「A級戦犯」で処刑された人数に合はせたのだらう。
 記事の内容を読んでゐないが、この場合も等級を表はし、「極悪人」といふニュアンスで見出しをつけたと思はれる。そのこと自体を非難するつもりは毛頭ないのだが、我々日本人は、そろそろこの呼称を止めたらいかがか。

 ご存じのやうに、この「A・B・C級」といふ呼称は、いはゆる東京裁判の極東軍事裁判所条例第五条にある、それぞれ(イ)平和に対する罪、(ロ)通例の戦争犯罪、(ハ)人道に対する罪に相当してゐる。
 この第五条のもとになつたのが、先行するドイツでのニュルンベルク裁判における国際軍事裁判所条例第6条の[a項]平和に対する罪、[b項]戦争犯罪、[c項]人道に対する罪であり、それぞれの項目の「罪」とやらを説明した条文自体もほぼ同じ内容である。

 ではなぜABCで呼ばれるようになつたかといへば、何のことは無い、極東軍事裁判条例を英訳すれば、(イ)(ロ)(ハ)はa b c とならざるを得ない。さうなつたのは別に問題ではない。問題は「級」の一字が付くとどう印象が変はるかである。何もABCなぞ使はずに、イ号戦犯とかロ種戦犯、あるいはハ類戦犯と呼称しなかつたのか。

 お分かりのやうに、このABCはあくまで種類分けなのだ。さういふと、それはちがふ、a項の平和に対する罪は戦争計画、準備、遂行、開始など、より重罪を裁く項目だといふ人がゐるかもしれない。仮にさうであつても、「等級」ではなく種類分けの項目であることには違ひはない。

 角度を変へて(いはばここまでは前置き)、かう考へたらどうなるか。そもそもの初めから例えばイ号(項・類)戦犯と呼び習はし、マスコミがそのやうな呼称を用ゐ、我々がそれに慣れて来たとしたら、どうであつたらう。あるいは「A級戦犯」に対する我が国同胞の(支那や韓国のことは、この際措く)持つ印象は今とは大分異なつてゐたのではあるまいか。勿論「戦犯」といふ言葉も私は認めない。

 言葉は生き物でありなま物である。いい加減に弄べば腐る。「A級戦犯」と呼び続けるうちに、いつの間にかさう呼ばれた英霊達が実際に「極悪非道の悪事を犯した犯罪人」といふ印象が日本中に醸成されてきた。まともな歴史教育を受けずに育つた若者達は「A級戦犯」といへば「極悪人」と思つてゐるのではないか。

 勿論、さう呼ばれてゐる英霊の中に、敗戦の責めを負ふべき人物はゐよう。事実、東条英機は自ら自分に下された判決を「敗戦に対する」ものと受け止めてゐる。さらにいへば、我々日本人がかの大戦をきちんと総括したとは言へないかもしれない。が、そのことと戦勝者の一方的な裁判をそのまま受け入れることとは全く次元を異にする。

 さう、我々は言葉を用ゐる時、仇や疎かにしてはならない。0,1ミリにも満たぬ薄さのガラス細工を扱ふほどの慎重な心持で望まなくてはならない。言葉は生き物だと言つた。生き物はやがて独り歩きを始める。さうして、初めに用ゐた人間の思ひも寄らぬ異形のものとなり、時にその民族全体を滅亡へと追ひやることすらありうる。

 「愛国無罪」もいつかそのことをはつきり歴史上に証明してくれる時が来るに違ひない。
 記紀万葉以来の美しい言葉と文学を生み出してきた日本の子孫としては、せめてそのやうな恥づかしいことだけはしたくない。言葉は大事に慎重に扱はう。
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by dokudankoji | 2005-06-18 03:11 | 雑感
2005年 06月 07日

読売、お前もか!

 正直なところ、うんざりしてゐる。何につて? いふまでもない、メディアだかマスメディアだか知らぬが、6月4日、5日と立て続けに出た読売と朝日の社説に、である。

 もつとも、読売の変節と転向(!?)には、うんざりといふよりはビックリの方がぴつたりだらう。突然「国立追悼施設建立を急げ」と来た。あの読売が? 変節の転向のといふよりは殆ど裏切りだ。しかも、前半で、「小泉さん、アンタ本気でA級戦犯を犯罪人呼ばはりするんですか」といふ論旨とも思はせるやうな運びなのに、半ばを過ぎて唐突に「国立追悼施設」をと来る。何の脈絡もない、何を言ひたいのか不明のよれよれの文章オンラインで読めるので、興味ある方は是非、そちらを。
 読売にお尋ねする。アーリントン墓地云々と書いてゐるが、あそこには数多くの戦士達が実際に眠つてゐる。無宗教の「新設」国立追悼施設とやらには何をどうやつて祀ればいいのか、いかなる心持ちで詣でればいいのかご教示頂きたい。私の生まれよりも遥かに若い(そこに戊辰戦争以来の英霊が眠つてゐる?)ちやちな石碑か何かに額づけとでも?
 これでは、読売新聞も朝日に次いで信じられなくなる。
 
 朝日は「遺族におこたえしたい」といふ。どうやら相当数の批判・非難のメールや投書やが届いてゐるらしい。この社説はよれよれ以下。論評にも値しない。これもオンラインで読める。
 いつもながらの「しかし」や「だが」で、でんぐりかへる文章だが、やはり朝日は支那の駐日代理店だ。未だに「中国が問題にしているのは一般兵士の追悼ではなく、戦争指導者の追悼である。A級戦犯が合祀された靖国神社を、日本国を代表する首相が参拝するのが許せないというのだ。侵略された被害国からのこの批判を単純に「反日」と片付けるわけにはいかないと思う」などと言つてゐる。A級戦犯のことは既に少し前に書いた、ここでは繰り返さない。
 上の引用からだけでも朝日が日本に背を向け、支那に顔を向けてゐるのがよく分かるといふものだ。

 こちらの社説でも、読売と同じ、「日本国民の幅広い層が納得でき、外国の賓客もためらうことなく表敬できる。そんな場所があれば、と願う」と来た。それが靖国ぢやないか。戦後60年、多くの国民が納得して詣でてきたはずだが。私の記憶違ひでなければ、外国の賓客ブッシュ大統領も詣でたいと言つたのではなかつたか。

 さらに朝日は、2002年に福田官房長官の私的諮問機関が、新たな無宗教の国立施設を追悼の場として提言したが、「そんな施設こそ、首相が日本国民を代表して訪れ、哀悼の誠をささげる場にふさわしい。いま、改めてそう考える」と、前日の読売の社説に「同調」する。外国の珍客、呉儀副首相なら躊躇ふことなく、誰も行かない無宗教の税金無駄遣ひ施設に無駄足を運ぶだらう。共産主義は宗教を否定するのだから無味無臭の無宗教はお好きだらう。

 それにしても、どう考へてみても符号が合ひ過ぎてゐやしないか。読売の突然の頓珍漢と朝日の支那への迎合の泥沼と。「チャイナ・マネー」に読売が落ちたといふのは本当かもしれない。これからの社説その他を注意深く見守らう。(かうなると、あとは一つしか頼みの綱はない。小泉殿に8月15日に靖国に詣でてもらうこと。さもなくば、12月23日はいかがか?)
 
 朝日に次いで読売までとなると、もはやメディアは信頼できぬ。その正体を改めて満天下に曝した、それだけ言へば沢山だらう。このブログを訪ねて下さる諸兄には、これ以上書いても釈迦に説法と思はれる。

 確か、「たしかメディア」などといふ、ふざけたキャッチフレーズを使つたのは読売ではなかつたか。下らぬキャッチコピーを使つてメディアがどんどん軽くなる。
 ただ一言、からかつておく。メディアだマスメディアだと偉さうにいふが、本当はデタラメディアにダマスメディア、その程度のものと考へよう。
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by dokudankoji | 2005-06-07 22:57 | 雑感
2005年 06月 04日

再説、靖国と小泉

 河野洋平が(中曽根には断られながら)元首相経験者を集めて馬鹿なことをした。最近の日中・日韓関係の悪化は見過ごすことの出来ないものであり、その大きな原因に小泉の参拝があると言つたとか。いつになつたら、この男の目は醒めるのか。
 あなただらうが、「従軍慰安婦」の元凶は。あれは宮沢が総理の時、官房長官の立場で、何の証拠もないのに、「強制連行」を認める談話を発表した。後に、当時の官房副長官石原信夫氏が、なんら根拠となる資料もないことを証言したが、時既に遅し、以来10年余り、今日に及ぶまで「従軍慰安婦」は一人歩きを続けてゐる。これを売国奴と呼ばずして何と呼ぶ。
 万死に値する男が、責任を取つて議員辞職どころか、議長席に収まりかへつてゐるわけだ。

 そこへもつて来て、2日の衆院予算委で小泉がまたもや、とんでもない発言をしてくれた。靖国参拝は(小泉個人の)心情から発する問題で他国の干渉すべき問題ではなく、「心の問題だ」と述べたと言ふ。

 何をとち狂つてゐる。靖国参拝は個人の問題ではなく、小泉よ、首相である限り、公的な問題であり、国家の問題ではないか。小泉個人の心などといふ、どこにどうあるのか分かりもせぬ、曖昧なぼやけた(ふやけた)問題ではない。既に腰が引けてゐる。既に自己弁護を始めてゐる。支那にケチを付けられた時、「個人の心の問題だ、一国の総理とか何とかといふことではないんですよ」と弁解するための布石以外の何ものでもなからうが。見へ透いたことを言ふものではない。

 しかも、それに加へて、民主の岡田の質問に乗せられて「A級戦犯」を戦争犯罪人だと認識してゐると宣ひ、しかもA級戦犯のために参拝してゐるのではないとまで言ひ放ち、ここでも早手回しの逃げを打つてゐる。「私は個人として、心ならずも戦場に散り、無念の思ひをされた方々に参つてゐるのです」とでも言ふつもりだらう。恥ずかしくないか。
 一国の首相としての責務を放棄してはゐやしないか。

 第一の責務放棄。
 東京裁判をどう認識するか、「戦犯」(B・C級も含め)をどう認識するか。前にも書いた。東京裁判は戦勝国側の復讐劇に過ぎず、しかも事後法により裁かれたものであり、それを我が国民が理不尽と思つたからこそ、主権回復後、服役中の「戦犯」は正当に釈放され、あらゆる意味で名誉回復が行はれた。不当にも処刑されたといふのが、当時の国会および国民全般の認識だつた。従つて、現代の我々が彼ら英霊を「犯罪人」呼ばはりするのは、彼らを改めて日本人の手で断罪することであり、名誉毀損以外のなにものでもない。
 私の、心ならぬ胸中の不快感は、もはや限界、小泉の愚かしさには言葉もない。

 第二の責務の放棄。
 首相たるもの、自国(祖国)の歴史と言ひ分をはつきりと海外に発信しなくてはならぬ、例をあげる――サンフランシスコ講和条約11条により我が日本国は「刑の受諾を」したのであり、それ以上でも以下でもないこと。戦犯は昭和30年7月30日の衆院本会議における「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」によつて戦犯問題に決着をつけた、つまり、その名誉を回復したこと。「A級戦犯」とは、従つて連合国側の押し付けに過ぎず、さう呼ばれる英霊を如何に祀らうと、これは極めて他国の干渉を許すべからざる問題であること。それぞれの文明が育んだ宗教観や風習があり、我が国には墓は寺院にありながら神社に詣で祖霊に祈るといふ、世界でも他に類のない宗教観を有するといふこと、分祀・分霊しても御霊は元の神社に残ること、等々。
 丁寧に説明し、支那にも韓国にもとくと分からせてやるのが、首相の義務だらうが。
 
 ところで、神社信仰と言ふものは、世界の三大仏教に見られるやうな教義・経典もなければ教祖も存在しない。誤解を恐れずに言へば、「宗教」ではない。いや、「宗教」を「超越」すらした、より広大無辺のものと言つてもよい。神社に付き物の鎮守の森、その醸し出す雰囲気――これらを考へると、仏教にせよキリスト教にせよ、その寺院に祖先の墓を訪れた時と比較すると、我々の心構へが違ふ次元にあるとは思へないか。いはゆる「宗教」と呼ばれるものとは全く趣が違ふとは言へまいか。いはば、我々を守つてくれてゐる祖霊や大自然への謙虚・尊崇・敬虔、そして清らかに済んだ心持。さういつたものが神社信仰の最大公約数ではあるまいか。
 殊に靖国神社は、明治維新以来の国難に殉じた人々を祀つてゐる。その点がかへつて事を複雑化してゐるのだらうが、その点にこそ、我々現代人が社頭に立つて、心静かに感謝の念を捧げ額づくべき理由があるのだ。我々の祖父たちが家族や国の未来を思つて散つたことの誠を敬はずして、どうするといふのか。そこにAもBもありはしない。みな、等し並に敬はれてしかるべきではないか。

 いづれにしても、一国の首相は自国の文化・文明を他国に身をもつて体現し紹介する役割も担つてゐる。小泉は既に保身に腐心してゐる。さもなければ、A級戦犯のために参拝してゐる訳ではない、などといふ姑息で侮蔑的発言はしないはずだ。少なくとも今までは、この種の発言は小泉にはなかつたと記憶するが。

 個人の心の問題に矮小化し、「A級戦犯」のためではないと、まさに心の中で早々と分祀してしまつた小泉は、いはば支那相手の土俵の徳俵まで自ら引き下がつてしまつたやうなものだ。それもこれも、自民の与謝野・山拓・中曽根、その他の包囲網のなせるわざ、必死で弁明にこれ努める態たらくと言はれてもしかたあるまい。
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by dokudankoji | 2005-06-04 03:42 | 雑感
2005年 06月 01日

息抜きに

 これは、仕事に疲れたひと時、ふと頭をよぎつた落書きです――
 支那のことを、なぜ中国と呼ぶかといふと真の大国でもなし、かといつて面積からいつて小国でもないからだと、誰かが何処かで書いてゐたと思ふ。でも、最近の混乱騒乱狼狽狂想曲を眺めてゐると、あそこはやつぱりチーチャイナ・・・・・・。
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by dokudankoji | 2005-06-01 01:39 | 落書帳