2010年 11月 20日
麗澤の評論集、文春の戯曲集に漸く追ひついて、玉川大学出版部から恆存の対談・座談集が出ることになつた、宣伝――。 全七巻で文学、政治、演劇、さまざまなジャンルの対談座談を纏めた。編集者が数へたら対談相手が百三十名を超えてゐるらしい。人数はさておき、私はこの七巻に収められた対談座談のタイトルとその人々の名前を眺め、福田恆存その人よりも、むしろ恆存を媒介とした昭和史七巻と感じてゐる。近々にチラシ等々が出来る。 来年四月から三ヶ月に一冊、平成二四年の十月完結予定。 2010年 03月 10日
八日の産経新聞に掲載された東京大学教授山内昌之氏のコラムで知つたが、「外交フォーラム」が廃刊になつたといふ。冷戦終結後、日本外交の海外への発信媒体としては貴重な存在だつた。これもあの事業仕分けのおかげださうだ。山内氏のコラムによると、事業仕分けとは直接関係ないが、海外に向けて我が国のことを発信してきた二つの媒体、「ジャパン・エコー」(英・仏語の他、アラビア語でも発刊されてゐた)と、国際交流基金の「をちこち(遠近)」も既に廃刊とのことだ。 正月に海外から届いたカードの一つに、「当地にゐて最近気になるのは、日本の姿が見えにくくなつたことです」と書いてきたものがある。ヨーロッパの主要国に赴任してゐる特命全権大使からのものである。どこの国か、あへて書かぬが、おそらくどこの国にゐても、外交官は同じことを感じてゐるだらう。 インド洋からの海自の引き揚げ等々、昨今の無定見な外交安保に関する姿勢にしろ、内向きのままただただ迷走を続け、なほかつ閣僚間に全く意思の疎通が感じられない現政権がいつまで保つか知らぬが、その受け皿一つ作れぬ野党は言ふまでもなく、現今の政治家にこの国を託す気にはなれない。あへて時流に逆らふが、いつそのこと政治家主導をやめて官僚主導にしたら如何かとすら考へてしまふ。国家を担つて来たといふ意味では官僚こそ政治のエリートとも言ひ得る。国を担ふ気概においては、いはゆる政治家より遥かに上である。私の知人に限定しても、どうも政治家よりは官僚の方が常識があり教養(知性)があると思へる事さへしばしばである。もつとも、その官僚上がりの政治家たちが日本をこんな国にしてしまつたとも言へるし、政治家の中にも話してゐて頼もしいと思へる人がゐないでもないが。 「外交フォーラム」は一九八八年創刊といふ。私がその存在を知つたのは、その二年後になるが、つまりこの媒体はベルリンの壁崩壊、冷戦終結、湾岸戦争からイラク紛争まで、世紀の変はり目に、ただでさへ存在感の薄い我が国を海外にアピールして来た貴重な発信源の一つだつた。「ジャパン・エコー」にしても、「をちこち」にしても、海外にわが国の実情を伝へる、外交のみではない日本社会や文化の発信源だつたのだ。(「外交フォーラム」にしても別に小難しい外交の話だけを取り上げるものではない。私が英国に滞在した折、ロンドン在住の日本人演劇評論家とミュージカル「ミス・サイゴン」に出てゐた日本人女優、そして私と上記の大使の四人でロンドンと日本の演劇事情について話した座談会なども載せてゐる。)さういふ発信も外交の一つだといふことが分からぬ、又は考へぬ政治家にこの国を託してはならない。 これらはスーパー・コンピューターや防衛予算と共に、絶対に事業仕分けの対象にしてはいけない。これらの「事業」を削つて、「子ども手当」とは何事か。「高校授業料無償化」などと、現政権は何を考へてゐるのか。 かたや、世の中はグローバル化グローバル化と念仏のごとく唱へる。グローバルとは、まさか地球上に国境が無くなつたといふ意味ではなからう。憲法前文のごとく、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」ゐる国家や国民など地球上にありはしない。北朝鮮と拉致を考へれば、簡単に分かる道理だ。 冷戦構造が「支へて」ゐた世界の安定が失せ、アメリカの「一極支配」など寝言のごときもの、中国の大国化は言ふまでもなく、「戦争の世紀」としての二十世紀がテロの世紀に変つた現在、複雑な国家の力学の中で各国が鬩ぎ合ひ、しかもテロリストといふ国家の枠をはみ出した人間たちと地球規模で対決せざるを得なくなつたこと、それこそグローバル化の真の意味だと私は考へてゐる。この日本国内に中国や北朝鮮の諜報機関がしつかりと存在してゐるばかりか、イスラムのテロリストすら潜入し得る、それがグローバル化だと、とりあへず私は定義しておく。 そのグローバルな世界で日本が生き抜くには、子ども手当や高校の授業料あるいは高速道路料金の問題より外に、考へ対処せねばならぬこと、国家の予算を回さねばならぬことがあるのではないか。それ思考し手を打てぬ政権は消えて欲しい。現政権が、例へば共産化を望むといふならそれでもよい。アメリカと手を切るといふなら、それもよからう。 何でもいいから、この国をかうしたいと、はつきりして貰へまいか。それがあればまだましだ。「外国人参政権は愛のテーマ」だとか「いのちを守りたい」だとかの御託で首相は務まらない。首相が確信犯的に左翼全体主義に向かふといふなら、それはそれだ。 となると、そこに透けて見える左翼全体主義への傾斜を、聡明なる国民がいち早く気づき現政権を押しとどめるしか手はない。いやいや、昨年の選挙であれだけ雪崩を打つて民主に傾いた国民だ、今更現政権にケチを附けるわけはない? 国民は戦時中の軍による右翼全体主義に今時になつて懲り懲りして、今度は左翼全体主義に走らうといふのだらうか。それなら、それもよろしい。私はこの国の国民がそれを望んでさうなるといふなら、何も言はぬ。しかし、望みもせず、さうなる危険を感じもせず、国の壊れることを気にも止めずに左傾化することは避けたい。敵としての左翼なり全体主義なら、あつぱれだと思つてゐる。否定などしない。こちらも闘ふだけだ。 さらに恐れるのは、全体主義は左だけの特許ではないこと。日本の中にあるあらゆる偏狭な全体主義の可能性を私は恐れてゐる。現今の政治状況への鬱憤がいつか最大値に達した時、国民自身が英雄待望に傾き、メディアがそれを煽る、さういふ状況はあり得ぬと誰が断言できるのか。私は、小澤は近々潰れると思つてゐる。好事魔多しといふではないか。それにしても、ではあるが――小澤が目指してゐるとしか思へぬ左翼全体主義を国民は本気で願つて、民主政権を、政権交代を望んだのか。夫婦別姓も外国人参政権も人権擁護法も、すべて国家解体と左翼全体主義につながる。それを望んで民主政権を誕生させたのか。 警察の捜査令状・逮捕令状もなしに、ある日一般人からなる人権擁護委員会のいひなりに連行される社会を望む国民がこの日本にゐるとは思ひたくない。しかも、その擁護委員には外国人でもなれるといふ。そんな法律が自民政権下ですら成立する危ふさがあつた。現政権下ではなほのことである。しかも、たかだか隣家の騒音が煩い、それだけで人権侵害だと各地に出来る擁護委員会に訴へられる、それだけで家宅捜査から連行も可能となる、そんなことが起つてしまつてから、そんなつもりではなかつたでは済まされなからう。暗黒の恐怖政治、全体主義国家、それが現実のものとなりかねないのに―― 話題を変へる――橋下大阪府知事は昨年だつたか、文楽興行への大阪府からの補助を大幅に削減した。同じことが、今年度から現政権下で国家規模で行はれる公算が大である。既に演劇界ではそのことによる興行の不採算・赤字に頭を抱へてゐる。おそらく、演劇興行の主催者は、例へばより小さな安い劇場での興行を企画し、俳優へのギャランティーを低く抑へようとするに違ひない。それは現在の劇場の経営にも影響する。多くの中劇場が経営不振から閉鎖になることも考へられる。潰れる劇団、潰れる劇場も出てくるかもしれない。この種のことは音楽界においても同じだらう。 しかし、私はそれも仕方ないことと考へる。国の歳入がここまで落ちた時、何を切るか。そこに、その国がどこに向かはうとしてゐるかが見える。国を失つて国民は存在するか。民族は存在するか。地球市民? 冗談ではない。誰にも守つて貰へぬ、どこにも属さぬ人種。その存続は不可能だらう。ベトナム戦争のボートピープルを忘れてはならない。 子ども手当も高校の授業料無償化も要らぬ。義務教育でもない高校の授業料を、なぜ無償化しなくてはならないか、納得のいく説明を政府はしてゐるか。それぞれが自己で負担すべきものを他人の財布を当てにするがごとき甘へをなくすことから始めてほしい。民主党のばら撒き政策のツケは、税金以外の何で賄へるのか。結局手当を貰つて育てた子供たちが、将来負担しなくてはならない国債におんぶしようといふのか。その子供らに、やがて親が、「日本をこんな国にして、俺達に高負担をおつ被せて高い税金を払へといふのか」と指弾されはしないか。もしも選択性夫婦別姓案が通つてしまひ、親子の絆も薄れて来たら、今子供を育ててゐる親が、その子供から「名字の違ふ親なんてカンケーネー」、さう言はれるのが落ちではあるまいか。 と、書いたところで、岡田外相が核の密約がやはりありましたと、言つてしまつたといふニュース。しかも、有識者会議の結論は産経の記事に従へば、かういふことになる。つまり、≪昭和35(1960)年の日米安保条約改定時に、核兵器搭載艦船の寄港・通過を事前協議の対象外とする了解の有無については、「暗黙の合意」による「広義の密約」があったと考へられるが、一方、昭和44年の沖縄返還決定時の、有事の際の沖縄への核再配備の「合意」の評価は、政府内で引き継がれていないことなどを理由に、(有識者会議は)密約と認定しなかった≫となる。つまり、前者は広義の密約、後者は認定せずといふことになる。何とも不得要領だが、そのことはともかくとして―― なんと外相は記者会見で、「一般的に考へると密約だ」と断定してしまつた。有識者の報告書とは食ひ違ふ。食ひ違ふ事はともかくとして、さらに、首相と声をそろへて「非核三原則」は守るとのたまふ。二人ともバカか白痴か。密約でも何でもアメリカと何の相談もなしに、密約を否定的に騒ぎ立て、一方では非核三原則だといふ。密約は本当に過ちなのか。密約の何が悪い。政治の世界はおろか、国家間であれ社会であれ家庭であれ、秘密や密約なしに成り立つか。誰であれ、あるいは大なり小なりこの世は嘘と秘密で成り立つてゐる。過去の政治家が国のため已むを得ざる選択として密約を選んだなら、私はそれを尊重する。それを相手方(アメリカの立場も)無視して曝け出す。露悪趣味に似た醜悪な自己欺瞞としか思へぬ。個人であれ、国家であれ、嘘も秘密も一度持つたら墓場まで持つて行くことだ。 普天間移転にせよ、核の密約にせよ、自分で騒ぎ立て事態を肥大化させて、自分の首を絞めてゐることに気がつかぬとしたら気がふれてゐる以外の何物でもない。自民政治の総括のつもりかもしれないが、民主党や現政権が自分で自分の首を絞めてくれるのは一向に構はぬが、ビー玉のやうなうつろな目の首相と下三白の据つたやうな目つきの外相に日本の首を絞められては、国民が堪つたものではないと思ふが、いかが。 一つ、提案、普天間からも日本国内からもアメリカ軍には「撤退」して頂かうではないか。核も絶対に持ち込ませないどころか、日本領海内に入らせない。つまり日米同盟の解消を現政権は申し出たらいかが。普天間問題と密約問題とでそれと同等の提案をしてしまつたことに、あの人達は気がついてゐるのだらうか。気がついてゐるなら意図的に中国の支配下に入りたいと、全世界に表明してゐることにならう。意図的ではないなら、政治音痴の阿呆といふ外ない。 それとも、その先に、核保有と自衛隊の軍隊化、軍事予算の大幅増と福祉切り捨てを既に考へた上での蛮勇か? それならそれで見上げたものだが……。 2010年 02月 19日
二月四日の産経新聞で知つた「永田町にいる謎の鳥」。読んで噴き出した。ネット上で追加され徐々に長くなつてゐる。ご存じの方も多いだらうが、下記のものが目下のところ最新版らしい。記憶のために書いておく。 日本には謎の鳥がいる。 正体はよく分からない。 中国から見れば「カモ」に見える。 米国から見れば「チキン」に見える。 欧州から見れば「アホウドリ」に見える。 日本の有権者には「サギ」だと思われている。 オザワから見れば「オウム」のような存在。 でも鳥自身は「ハト」だと言い張っている。 「カッコウ」だけは一人前に付けようとするが お「フクロウ」さんに、「タカ」っているらしい それでいて、約束をしたら「ウソ」に見え 身体検査をしたら「カラス」のように真っ黒、 疑惑には口を「ツグミ 」、 釈明会見では「キュウカンチョウ」になるが、 頭の中身は「シジュウカラ」、 実際は単なる鵜飼いの「ウ」。 「キジ」にもなる「トキ」の人だが 私はあの鳥は日本の「ガン」だと思う。 ただし、「カッコウ」「フクロウ」「タカ」の二行と「キジ」「トキ」の一行などがなかつた、四日の産経に載つたものの方が締まつてゐていいやうな気がする。その三行、飛ばして読んでみて下さい。 21:45付記 ちなみに英語で「チキン」は臆病者あるいは青二才などの意味で使はれる。殊に俗語では臆病者のニュアンス。映画「理由なき反抗」の度胸試しの崖に向かつての車の競争、あれはchicken runと呼ぶ。 2010年 02月 18日
このところオリンピックのおかげで民主党も一息ついてゐるのかもしれぬが、細かなケチを附けておく。鳩山さん、盛んに小沢に「進言」するのしたのと言つてゐるが、「進言」は目上の人に具申やら建言やらすること。一国の総理が一政党の幹事長に「進言」は、いくら相手が年上だからと言つて、それはまづいでせう。以上、入試の季節の寝不足の脳のツブヤキ。
2010年 02月 05日
一月三十一日、日曜日の産経新聞文化欄、「日本人とこころ」で福田恆存を大きく扱つてくれた。購読なさつてゐない方、WEB上でご覧下さい。なほ、明後七日に続きが載る。私が考へる恆存観が中心になるとか。息子の見た父親像など何ほどのものかとも思ふが、興味ある方はどうぞ。勿論、購入なさらなくとも、WEB上で読めるはずである。
2010年 02月 01日
今日(一日)の産経新聞によれば、市川市議会において、外国人参政権に反対する意見書の採択が市議会総務委員会で可決されながら、翌日(二十日)の本会議では否決されたといふ。なぜか。一夜にして変つた経緯が面白い。民団がロビー活動を行つたからだといふ。 こんな呆れた、あからさまな話もなからう。参政権すらない民団の人々が動いた、それだけで参政権付与反対決議の意見書がひつくり返へつてしまふ、なんと情けない市議たちか。となると、韓国籍の人々に参政権など持たれたら、何が起こるか分かつたものではない、さうであらう。 参政権が必要なら帰化すればよろしい。日本人におなりなさい。仄聞するところ、在日の韓国籍朝鮮人には母国での国政参政権が(被選挙権も含め)2012年に付与されることになつてゐるとか。なにも二つの国に権利を有し、忠誠を誓ふこともありますまいし、出来ますまい。となると、忠誠心はどちらか一つの国へ向かふでせう。そして血は水よりも濃しと言ふではありませぬか。 もし在日の韓国籍の人が韓国の国政選挙に出馬して当選したとする、やがて議員を辞めて日本に戻り日本で参政権も行使できる状態が出現する、そんな時、その人物は何人としてどこの国のために票を投ずるのだらうか。 かういふ訳の分からないことを推進しようといふ民主党を私は信じない。勿論、自民の中にもさういふ人間がゐるのはいふまでもなく、その連中も信じない。小沢も鳩山ももともとは自民。 私、福田逸は、いのちを、守りたい、国民のいのちを守りたいと、願ふのであります、そのためには日本の言葉を守りたい、日本の歴史を守りたい、日本の自然を守りたい、日本の国を守りたい、ですから一番近くの隣国でも友愛の情を籠めて仮想敵国とみなします。当然、永住外国人に参政権など与へるべきではない。ついでに、米国も仮想敵国と考へるに越したことはない。この程度のことが分らぬやうでは、どなたであれ政治家を辞めてほしい。これは保守を任ずる政治家諸兄にも申し上げておく。 2010年 01月 27日
私が嫌ひな言葉の筆頭格。気になりだしたのが二三年前でせうか。といふ事は使はれ始めたのは五年くらゐ前になるのかな。劇場などで、たとへば案内係が「パンフレット、お要りようの方は、お声掛け下さい」などとやらかすのです。でもこれならまだ良い方です。この場合なら、声を掛けるのは客の方だから、案内係が相手を立てたといふ理屈も成り立つ。それにしても気色悪い、虫唾の走る言葉ではあります。 それが、次の例となると、支離滅裂、「お声掛け」の独立宣言みたいな使はれ方の出現です。昨年のこと、このブログのどの記事かは忘れましたが、コメントがありました。やれ嬉やと開けてびつくり、あまりの悪文に削除してしまひましたが。劇場で私に出会つたら「お声掛けさせていただく」といふのです。しかも見ず知らずの方から。まあ、面識があるか否かはこの際問題ではありません。それにしても、この場合、声を掛けるのは相手方、私は掛けられる側なわけです。多分、声を掛けようといふ自分を低い位置に置かうとはしたのでせう。でもその自分の行為に敬語の「お」を付けて平然としていらつしやる。しかも、ご丁寧なことに、その言葉に「させていただく」まで付けて。理屈っぽく申し上げると、①「お声掛け」の「お」で相手は自分を思ひ切り持ち上げて、②「させて」で思ひ切り身を低くしたかと思ふと、③「いただく」でえいやつとこちらを持ち上げて下さるわけです。これではこちらは、ジェットコースターで谷底に突き落とされて即座に急上昇させられたような気分で目を白黒させていただく他ありません。 いづれにしても、お声掛けなどといふ言ひ回しは以前はなかつた、断言します。敬語、謙譲語、丁寧語がきちんと身に着く教育をしないで、さらに美化語などといふ訳の分からんものまで作り出して……混乱させるばかりではありんせんか。教師だつて混乱しますよ。横道に逸れるのはやめます……敬語が使へなくなつて、意識だけは何か丁寧な言葉を使はなくちやと先走り、何でもかでも「お」をつけて済ます。今でも、成り金のオバサン連が「およろしかつたかしら」などと「お」をつけて敬語を使へた気になつてらつしやる。せめて「お」は名詞に付けるやうにして下さいな。 ついでに、嫌ひな言葉をもう一つ。「仕分け」。郵便局員が郵便の仕分けなら分かる。しかし、防衛費(国防費)まで仕分けられては敵はない。スパコンが世界で一番でなくてはならないかどうか、といふ議論は「仕分け」の対象ではなく、厳密な意味で「評価」の対象でせう。言葉をいい加減に扱ふ人間たちはその対象をもいい加減に扱ふ、さうは思ひませんか? レンボウさん(字が出ない、失礼)、あの時のあなたの目、切れてゐました……怖かつたぁ。 2010年 01月 22日
前掲記事を書いたのが深夜で、少々急いでゐたため、頭の隅をかすめながら書かなかつたことがある。「持ち合はせ」は普通身につけてゐるものに遣ふと書いた。少なくとも私の語感ではさうである。また、「ふれあひ」はそもそも身体的接触に遣はれてゐたはずだといふことも漱石の例を引いて書いた。 この二つに共通してゐることがある。つまり、始めはどちらも心理的抽象的な遣はれ方はしてゐないといふこと、かつてはどちらも実際的具象的な、あるいは物理的な意味合ひで使用されてゐたものに、何らかの変化が起こつて心理的な意味合ひが付いて来たといふことである。本来の意味合ひからずれて来てゐる。さう考へると、「持ち合はせ」も鳩山総理を嚆矢として、今後平気で使用されることになるかもしれない。しかも曖昧な誤魔化す時の用法として――。 つまり、「国旗に対する尊崇の念を持つてゐる」といふ言ひまはしと、「国旗に対する尊崇の念を持ち合はせてゐる」とでは、後者は腰が引け、奥歯に物の挟まつたやうな意味合ひが含まれて来ることにお気付きだらうか。それが鳩山君の本音だといふこと。私はさう理解してゐる。つまり客観化しようといふ気持ちからか、無意識か意識的か言葉を曖昧に遣つて、自分の本心ではありませんとでも言ひたげな口吻だといふことだ。真つ直ぐに持つてゐると言ひにくい気持ちがどこかに隠れてゐるといふことだ。 「持ちあはせ」と「ふれあひ」、二つの例だけから軽々に推測することは慎まねばなるまいが、それでも憶測を逞しくする誘惑に駆られる。といふのは、どちらの例も本来は、いはば、乾いた言葉だつたといふこと、殊に「ふれあひ・ふれあふ」に心や情といふ曖昧なものの入り込む余地はなかつたわけである。漱石以前は、つまり、江戸以前は「ふれあひ」といふ言葉が無かつたといふことだらう。小学館の日本国語大辞典を見ても、「ふれる」「さはる」なら、竹取物語や万葉集といつた相当に古い時代に使用されてゐることが分かる。「合ふ」がついた途端に明治以降の用例しか見当たらないのは何ゆゑだらうか。憶測に過ぎないが、近代化以降に生まれた日本国民の情緒的不安定が人間同士の「ふれあひ」をやたらに求めたのではあるまいか。 私個人がきらはうが何だらうが、何らかの空気があつてさういふ言葉を求める人々が出て来たといふことは確かだ。柴田翔であれ誰であれ、人間の心に殊更触れたくなつたからさういふ言ひまはしが生まれたに違ひない。しかし、さういふ「ふれあひ」が必要となつてしまつたことは、本当に健全なことだらうか。江戸以前に人と人との心の触れ合ひがなかつたはずはない。なかつたとすれば、心のふれあひではなく、そのふれあいを殊更言葉に出す必要がなかつたといふこと、言葉に出さなくてはならぬやうな不安な心的状況がなかつたといふこと、さう考へるべきではないか。明治以降、殊に昭和も戦後になつて、日本人は殊更心の「ふれあひ」を求め出したのだらう。日本人が病的になつた、脆弱になつた。おそらく、この憶測は単なる憶測ではないと私は確信してゐる。私達は弱くなつた。 ところで、鳩山さんといへば、「させていただく」が世に蔓延し出したころ、なんでもかでも「させていただく」を連発してゐたのをご記憶の方もいらつしやるだらう。正確に何年ころか調べれば分るが、ちょうど同じ時期に某私立大学某学部の学部長殿が同じやうに「させて頂く」を連発してゐて耳障りなことこの上なかつた。 その鳩山さんの言葉遣ひの中で、最近やたらに遣ふので気になるのが「育ち」。確かに子供は親に関係なくしつかり育つたりするものには違ひない。育ちが悪いといふ言ひまはしも普通であるし、辞書を引いてもかなり古い例もある。近世では二葉亭の用例として、「子の成長(ソダチ)に其身の老(オユ)るを忘れて」なども辞書に掲載されてゐる。 氏より育ちといふ言葉もある。だがしかし、である。発言の前後の脈絡を忘れて書くのもよろしくないと言はれるかもしれないが、私は鳩山さんが「育ち」といふのを耳にすると、やはり虫唾が走るやうな不快感に襲はれる。育てる責任を放棄したやうな感じとでもいふか、子どもは社会が育てませうといふやうな、親子関係や家庭を否定するがごとき口吻だと感じざるを得ない。 「育ち」といふ時は、外側から見てゐるやうな一種の客観性が伴ふことはお分り頂けよう。それに対して、現今、政府と国民が子供の教育・子育てについて論じてゐる時は、まさに子「育て」について論じてゐるのであり、客観性を装つたやうな子どもの成長を語るのではなく、親の主体性を論点に議論してゐるはずである。私が違和感を抱くのはおそらくこのズレにあるのだ。もつと勘ぐると、夫婦別姓やら永住外国人の参政権やら、日本列島は日本人だけのものではない発言やらに、確実に裏で水脈が繋がつてゐると思ひたくなるほど、怪しげで破壊的、あるいは左翼的心性を私はこの「育ち」といふ言葉遣ひにも感ずるのである。 そこまで言はなくてもとおつしやるなら、友愛とか国民の命を守るとか、余りにも美しすぎて気持ち悪くないかと言つておく。普天間問題でアメリカを怒らせるばかりか、沖縄を再び二分する県民の仲違ひに追ひやつておき、一方で支那との友愛を言ふ。インド洋から海自を引き上げておきながら国民の命を守ると言ふ。言葉がフワフワと独り歩きしてゐないか。 横道にそれた、政治問題はいづれ書くときも来よう。「育ち」についてもう一言。(成長と言へばいいのに)「育ち」といふ自動詞の名詞化した言葉を意味あり気に遣ふからには、子供自身の強い成長の力を信じてゐるのだらうか。さうであるなら、「こども手当」など創設せずに、親も含めて国家などに頼らぬ国民のありやうを説いたらよいではないか。自助努力を説けばよろしい。そもそもが人気取りの福祉バラマキのマニフェストから始まつたことなのだ、いつそ、「国民の皆様のお子様おひとりおひとりのご成長をお見守りもうしあげたい」といやらしくのたまへばよろしいのに。自分のお育ちがおよろしいからとて、「育ち」などと客観的ぶつた言葉遣ひをすることはない。 ここまで書いて更新しようとした時、メールをチェックして知人からの一通が目にとまつた。前掲記事を読んでの感想をくれたのだが、その中にかういふ一節があつた。なるほどと思ふ。≪我が家は、未だテレビがないので、ニュースをラジオで聴きますが、鳩山首相の発言が流れる度に、子供達さえ「何が言いたかったんだろう?」とか「ごにょごにょと何か喋っているけど、結論がなかったね。」と言います。画像がない分、余計に言動の空虚さが目立つのです。≫ ブログで書いたか授業で喋つたのか忘れたが、あるいはあちこちで話してゐるとも思ふが、テレビの番組を音声を消して観ると面白い。しかし、なるほど、音声だけ聴いたら喋り手の言語能力の貧しさは一目(一耳?)瞭然だらう。テレビでも画面を見ないで音声だけ聴いてみるとよいかもしれぬ。皆さん是非ともお試しあれ。 ちなみにメールの主のお子さんは確かまだ小学生、上のお子さんがそろそろ中学だつたらうか。このお子さんたちの読書の量は並大抵のものではないらしい。良書に囲まれてゐたらテレビなど無用の長物、この家庭からはまともな感覚を持つた日本人が育つと私は信じてゐる 2010年 01月 18日
今朝の朝日新聞、第一面に若宮啓文(朝日新聞コラムニスト)が「憂う国民、政権の岐路」といふ一文を寄せてゐる。かういふ書き出しである、≪鳩山内閣ができたとき、口々に自分の言葉で政権交代の意義を語った閣僚たちが、いま言葉を失ったように見える。わずか4カ月で、この様変わりを予想できただろうか≫。 待つて頂きたい。朝日は昨年来小沢の土地購入問題を報道してきただらう。ならば、裏を十分見てゐたはずだ。裏で何をしてゐるか、十分「予想」がついた、いや十分情報を得てゐたはずだ。にもかかはらず、民主政権誕生に向けて世論を煽り、新政権誕生の折には提灯をいくつも掲げた。言ひかへれば、小沢疑惑があつたにもかかはらず何らかの「政権交代の意義」を認めてゐたはずだ、――公設第一秘書の大久保が逮捕されたのは昨年の総選挙より遥かに前のことだ。 自分のことを棚に上げるのは、止めたがよい。民主が政権を取つて以来、恥づかしげもなく「政権交代×○日目」と銘打つたシリーズを延々と掲載し、事業仕分けやら八ツ場ダムやらを嬉しさうに報道してゐた朝日新聞こそ、実は今、言葉を失つてゐるのだらう。だからこそ、これはまづいとばかり、少しづつ民主と距離を置き始め、小沢がどういふ形にせよ権力の座から滑り落ちる日に備へて舵を切り出し、鳩山を切る準備をして、恬として恥ぢないのだらう。それがマスコミのすることか。 もしも、「この様変わりを予想」できなかつたといふなら、朝日新聞はジャーナリズムの世界から姿を消すべきだ。私のやうな政治の素人ですら、かくのごとき事態は予想や想定以前のことだ。政治とカネは、何も自民の専売特許ではない。これは人間の、人類の業でしかない。それを、高々、政治家がカネに汚かつたからとて、あるいは検察が強硬手段に出て政治家が窮地に立たされたからといつて驚く振りは止めたがよい。殊に小沢の危うさに気づかぬ程度では新聞の名が泣く。鳩山のおめでたさに素知らぬ顔で記事を書いてきたとしたら、民主が烏合の衆であることに目をつぶつて扇動記事を書いてきたのだとしたら、それは新聞の名に値しない。これでは夕刊ゲンダイの方がまだましだ。(比喩ではない、本気でさう思ふ。) さらに、朝日新聞を購読して「政権交代」のキャッチフレーズに踊らされた国民も自らの不明を恥ぢたらよいとは、前にも書いた。郵政選挙で自民に票を投じ、政権交代で民主に票を投ずるやうな選挙民は選挙権を持つ権利はない。小泉政権以来、盛んに言はれる劇場型政治とかポピュリズムとかいふ言葉にどこまでの意味を付してゐるのか分らぬが、はつきりさせておいた方がよいのは、ポピュリズムとは、政治家ではなく選挙民の側の問題であり、マスコミの側の問題だといふこと。劇場型といふのも、舞台に登場する政治家といふ役者ではなく、観客たる選挙民の問題である。 たとへば鳩山のような素人政治家を、ほかでもないマスコミといふ媒体が有頂天にさせ、踊つてゐるのを見た観客が、一緒に踊り出す。踊りたいから自分も一緒に踊る。それが劇場型、ポピュリズムといふものの実体だ。踊らせたのはマスコミ、踊りたいのは国民といふ観客そのもの、つひつひ踊つてしまうのが政治家。さう考へておけばまず間違ひない。 朝日の若宮啓文によるコラムは次のやうに終はつてゐる。(鳩山にとつて小沢が)≪いくら頼みの存在でも、事情聴取さえ拒む者に「戦って」とはどういふことか。問はれるのは、がらがら崩れつつある政権への信頼である≫と。言ひも言つたり。信頼したなら国民が悪い、信頼させたマスコミが悪い。信頼されたと思ひ込んだ民主は間抜け。 「崩れつつあるのは新聞への信頼である」などと帳尻を合はせてこの文を終はるつもりはない。「崩れつつあるのはこの国である」。尤も、その責任はマスコミにあるとも思へなくなつた。さういふ時代に私達は生まれついた。それなら、どこに向かつて進めばよいのか。何を座標軸にすればよいのか。私に答へがあるわけではない。私に言へるのは、この国の歴史を振り返つて、答へを探す他ないといふことくらゐだらう。 今、もう一度若宮の文章に目を通し余りの酷さに改めて呆れたのだが、白々しいとはこの事。もう一か所引いておく。≪政治改革を原点に生まれたはずの政権が、よりによって政治資金疑惑で窮地に陥るとは≫――改めて言つておく、鳩山にしろ小沢にしろ、カネに纏わる疑惑は当初から言はれてゐたこと、なにもこの一週間で出てきた話ではあるまいが。朝日の編集委員から成りあがつたコラムニストたるもの、民主が政治改革の原点に立つてゐたなどと、よくまあ、恥づかしげもなく言へたものだ。 やはり、おやじギャグで帳尻合はせをしておく。見出しの「憂う国民、政権の岐路」、「憂う国民、朝日の岐路」。しかし、朝日は戦前から何度岐路を経て来たことか。嗤ふ気にもなれない 2010年 01月 14日
――自民党は政党として機能してゐるといへるのだらうか。小沢の土地購入資金疑惑や鳩山の贈与税脱税問題を十八日からの国会で追及する構へだといふ。それはそれでいい。が、検察が小沢の身辺にまで捜査の手を伸ばした途端に勢ひづいてゐるのでは、かつての民主と何も変はりはしない。野党根性丸出しではないか。他に自民党がなすべきことがいくらもあらう。なぜ保守層が自民に見切りをつけたのか、恐らく自民党は未だにその原因が掴めずにゐるのではないか。 政治とカネなど大した問題ではない。小沢も抛つておけばよい。いづれは逮捕か議員辞職だらうが、それもどうでもよい問題だ。自民あるいは真の保守党、保守政治家のなすべきことは、この国をどこに導くか、日本が日本であるために失つてはならぬものは何なのか、それを語つて国民を納得させることだ。それも能はず、金のことになると追求する野党など要りはせぬ。自民も民主も小沢も鳩山も、いや殆どの政治家が、金の事では脛に傷持つ身ではないか。そんなこと、核持ち込みの密約同様、国民は先刻承知、それで、実は構はぬと思つてきた。それどころか、ゼネコンで働く者の家族は小沢さまさま、自民さまさまだらうが。 ――金のことなど、どうでもよい。それよりも、永住外国人の参政権問題。この方がはるかに深刻だ。自民が保守だといふなら、なぜこの問題で明確な反対の態度を取らぬのか。あるいは夫婦別姓について、なぜ明確な態度を打ち出さないのか。その及び腰に、本来の自民支持であつた保守層が愛想を尽かしたことが、まだわからないのか。鈍感というほかない。鈍感を越えて殆どバカ。 そのバカぶりを発揮したのが忘れてはならない田母神問題だ。あの問題ほど、我が国の歴史を蔑にし、国防・外交・安全保障についての政治家の無能を曝け出した問題も珍しい。あの時、自民の命運は尽きてゐた。それに気づかぬのは愚か意外の何物でもない。あの時、田母神を守れず、何を今さら普天間基地だ日米同盟だと、偉さうに言へるといふのか。 ――九日付朝日朝刊be欄で宇宙飛行士の山崎直子がインタビューに答へ、かう言つてゐる。≪結婚後も私は旧姓の角野(すみの)で通していましたが、優希が生まれた直後、ロシアに計7カ月間、訓練に行ったのを機会に姓を「山崎」に変えました。私がロシアに行っている間、夫は父子家庭を支えてくれていたのですが、コロンビアの事故もあり、私が死んだときのことも考えて家族の「形」も大事にしたいと思ったのです≫と。極めて常識的、真つ当な考へ方で、わざわざ引用するまでもないかもしれない。 夫婦別姓などといふ愚劣な発想は、貧困な人間関係からしか生まれはしない。豊な(経済的豊さではない)家庭生活がいかなるものかを知り、自分の死を想定できる成熟した大人がことさら別姓を採用して、子供を情緒不安定に陥れ、将来、姓の選択に困惑させるやうな愚かなことをするわけがない。山崎宇宙飛行士の家庭と言葉が全てを語つてゐる。この夫婦の子供は生涯両親に感謝し敬ふだらう。 ――今朝の産経新聞文化欄でノンフィクション作家の河添恵子が鳩山首相の年頭会見の言葉を引用してゐた。≪外交・安全保障は国政の半分≫と。鳩山さん、あなたやはり宇宙人だ。あるいは脳味噌がチンパンジー並み。「外交・安保」は国政の九割、あるいはそれが国政の全てと考へてもらはなくては困る。福祉など最後の最後、国が豊かで他にすることがない時にでも考へてくれ。国民の自助努力。それが出来ぬ国民が形成する国は、何度でも言ふが滅びる。しかも、首相が国際的な同盟の意味を理解してゐないとなれば、滅びるのは理の当然。アメリカはいつまでも待つてはくれぬ。それとも、神風頼みの民主党政権なのか。デフレ対策の一つも打ち出したか。 ――話は戻るが、外国人参政権問題を考へてゐたら、同じく今朝の産経でこんな記事を見た。大相撲のこと。千代大海が引退を決めたさうだが、漸く踏ん切りがついたのか。といふか、今まで辞めたくても辞められない事情があつたらしい。二月に行はれる相撲協会の役員選挙に絡んで、一票を持つ千代大海は大関で頑張らなくてはならなかつた可能性もあるとのこと。投票権が評議員などのほかに、「四人以内の日本人の横綱と大関」にもあるのださうだ。九重親方としては、千代大海の票は貴重だつたのだらう。 相撲のことはさておき、上記の「日本人の横綱と大関」といふところが気に入つた。「外人」はダメ。つまり帰化してゐなければ、朝青龍も白鵬も琴欧州もみんな投票権は持てない。それと、永住外国人の参政権は同じことです。私なぞ、意地悪だから、帰化しても投票権はその子供の世代から生じても遅くはないとさへ思つてゐる。 昨年末、知人の「外人」さんの永住権のために推薦状の如きものを書かされた。昔随分世話になつたし、その後二十数年の長い付き合ひで一緒に仕事をしてきた。人柄も才能も十分認めた上で推薦したわけだが、その人物が永住権を取れても、それだけで日本の選挙権など与えられたものではない。専門の知識においては尊敬措く能はざる人物だが、年のうち半分くらゐは日本に滞在しながら、日本のことを何も知らない、政治は音痴に近い。こんな人間に選挙権などとんでもない。 それに、あちこちで皆さんが書いたり発言したりしてゐることだが、参政権を与へた結果、ある地方の議員の生殺与奪の権を握られたらどうなるか、少し考へれば想像は附くだらうに。 東シナ海の油田を見て御覧なさい。地下にストロー突つ込んで、日本の財産吸ひ尽してゐるではありませんか。帰化もしないうちから支那人に選挙権など与へたらどうなることか。領海どころか、領土の中で何をされるか。あるいは韓国に散々土地を買ひ占められてゐる対馬は二十年先には竹島と同じ運命になること間違ひなし。 議員が外人票に頼つたら、どうなるか。民団に頼つて選挙に勝つて、その民団の連中のために参政権を国会に上程しようといふ民主党のやり口とその結果を、よく考へなくてはなるまい。 ――昨年、小沢が記者会見でやくざの如き恫喝をしたので却つて評判になつた、支那の副主席習某を天皇が引見した話。支那に天皇を政治利用させたと、保守派が怒りまくつたが、怒る気持ちも、まあ、分からなくはない。いや、実は私も不愉快を通り越して、一瞬テロでもやりたい気分になつたのだが、なに、ものは考へやう。さうでせうが。小沢と支那がグルになつて天皇の権威を弥が上にも高めて下さつた。一か月ルールを無視しても、なんとか天皇陛下に合はせて下さいと支那が頼んできたわけで、これはあちらの国の日本への朝貢外交と言へなくもない。 それも、日本から支那への朝貢外交――支那を訪ねた百四十人余りの民主党議員団(総勢六百名とか)が胡錦濤に会せて貰つた見返りだといふ。多分、その通りだらう。しかし、あの訪中と胡錦濤との握手写真は、小沢の自己満足に終はる。あれほど分かりやすいバーター取引も珍しい。皇室は存在そのもので多くの日本人に、こんなことでよいのですかと問ひかけたのに対し、小沢たち民主は百五十人でのこのこ出かけて行つて、メディアがそれを報道し顰蹙を買ふ。そして日本国民は訪中団の異様さに自分が投票してしまつたことを今さらのやうに恥ぢる。反省が遅いのだ。反省するなら、三百有余の議席を与へた自分の愚挙を反省すべし。 ――しかし……私は、記憶にある限り総選挙で自民党に票を投じた記憶が残念ながらない。私の住む選挙区は、民主よりさらに性質の悪い河野親子の地盤なので……白票を投じたり茶化して自分の名前を書いたり、そんな投票しかしたことがない。自民が駄目だから一度民主になどとといふ馬鹿げた投票は一度もしてゐないことだけは確かだが…… ――それにしても……では国民は誰に投票すればよかつたのか、どの党を応援すればよかつたのか……民主も自民も、どちらにしてもほぼ賞味期限、いや消費期限切れ。誰に期待できるのか。枡添ごときの新党には期待しても無理。みんなの党は誰の党でもなし。中川昭一は死んだ。平沼はもはや歳だらう。政界再編とは聞こえは良いが実態が伴はない。民主の一部と自民の一部? 一時は私自身それに期待した。それもその後の政治家の態たらくを見せつけられては期待も凋む。政界再編より、いつその事、大政奉還はいかが! あるいは平成維新か。残念ながら今の日本にはそれだけの熱も向上心も闘はうといふ意思もない。明治は良かつた、と嘆くしかないか。 < 前のページ次のページ >
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