福田 逸の備忘録―独断と偏見

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カテゴリ:雑感( 238 )


2012年 04月 17日

尖閣諸島

 石原都知事が、尖閣諸島(の一部?)を都が買ひ上げると言つたさうだが、私自身、よくぞやりました、といふ気持ちが大いにある。

 だが、一つ、気になる。外務省や民主党に何の期待も持つてはゐない私でも、「一応」沖縄県に属する土地を他の都道府県が「買ふ」と、そこは沖縄県なのか、他府県なのか、そこにはなんら法的齟齬はないのだらうか。そも、沖縄県にはかういふ発想はなかつたのだらうか? どうですか、仲井眞知事?

 沖ノ鳥島や尖閣諸島に(できるなら竹島や北方領土にも)自衛隊の駐留可能な施設を作つてしまへといふ乱暴な意見の持ち主の私であるから、一義的には石原支持なのだが、何だかピンと来ないので、備忘のために記しておく。法律に詳しい方の教へを乞ひたし。
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by dokudankoji | 2012-04-17 16:46 | 雑感
2012年 04月 16日

週刊新潮4月26日号

 今週の木曜日19日発売の週刊新潮、書評欄の最後のページに、哲学者中島義道の『人生に生きる価値はない』に関する短い戯文のごとき、レビューを書いた。550字くらいだつたが、この短さで「哲学」や「思想」に関る書物一冊を論ずるのは至難(?)のワザ。

 氏の斜に構えた人生観に付き合つて、こちらもアクロバティックに遊ばせて頂いた。氏とは考へ方がかなり近いが、多分永遠に交はらぬ双曲線だらう。しかし、一度徹底的に議論してみたい気もする。彼のニヒリズムと私のオプティミズムがどこで交はるのか、交はらぬのか。論争になつたとして、勝ち負けはあり得ぬことを表明してしまつてゐるやうな二人が、どこで決着を付けるのか。頭の良さは氏の方が数段上のやうだが……。

 21日は拓大でシンポジウム。

 秋の公演の準備と言ふか詰めがなかなか詰め切れず、気疲れする毎日です。以上、宣伝まで。
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by dokudankoji | 2012-04-16 00:47 | 雑感
2012年 03月 27日

拓殖大学~春のシンポジウム

 4月21日(土曜日)14時~16時半、拓殖大学でのシンポジウム、≪主権回復60年〈戦後〉は終わったか?-戦後世代による「脱戦後論」-≫のパネリストの一人として、話します。まだ、何を話すか、全く考へてはゐないが、恐らく戦後生まれとしては一番年かさの立場らしいので、体験談的戦後論にしようかと思つてゐる。

 ご興味のある方はぜひ。

 なほ、明日、28日は≪国語を考える国会議員懇談会(国語議連)≫で講演、これは穴あき五十音図の非と正仮名遣ひの合理性、現代仮名遣いゆゑの思考の混乱について話す。

 戦後の改悪の最たるものが、国語・憲法・皇室(典範)であることにも触れる。
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by dokudankoji | 2012-03-27 16:35 | 雑感
2012年 02月 02日

承前(その3)~『世相を斬る』≪ドイツ編≫

 グスタフ・フォスといふ名前を記憶していらつしやる方は今の時代にどれ程ゐるだらうか。私と同じ団塊の世代までだらうか。神奈川の栄光学園の初代校長で後に理事長を務めたドイツ人であり、栄光学園を育てた教育者、神父である。1933年に来日し、一度米国に留学、戦後再び来日(1990年逝去)。

 そのフォス神父と教育評論家の鈴木重信と恆存との鼎談「日本の教育・七不思議」も是非、現代の親たちに読んで欲しくて『世相を斬る』に収録した。これなど、文字通りそのまま現在の教育論、親論になる。例によつて引用を中心に記しておく。主にフォス神父の言葉であるが。

 ≪教育は明治の時代から政治のために利用され、場合によっては悪用されてきた。物質的に考えれば、その結果日本は近代化に成功しました。わずか百年の間に、あれほどの成績をあげたというのは、やはり人類の歴史上初めてだったと思います。しかし日本人はそこでずっと背伸びしてきたわけですから、例えばヨーロッパ文明の裏にある精神的なものを考える余裕がなかったのと同時に、日本の伝統的な文化に対しても関心を持たなくなってしまった。戦前は伝統的な価値がまだあったけれど、戦後になりますと、修身もダメ、教育勅語もダメということで、近代化に役立った物質的な考え方だけが残ったわけです。そういうところに入ってきた米国の民主主義は、あたかも一つの道徳、あるいは贋(にせ)宗教であるかのように信じられたということではないでしょうか。≫

 これに応じて、少し先で恆存が、「戦後教育では、国家意識を否定しなければ西洋流にならないというふうに思ったことは事実でしょう。国家を戦前の軍国主義と混同してしまって、国家という概念は古くて危険なものだというわけです」と応へる。昭和54年の鼎談だが、うんざりするほど、現代の発言だとしてもをかしくない。爾来30年余り、日本の伝統的文化は衰滅の一途を辿つて来たことは誰の目にも明らかだらう。

 この国では未だに国歌斉唱や国旗掲揚に纏はる議論が喧しいが、フォス神父に言はせれば、「私は今までいろんな国を歩きまわったけれど、国旗掲揚しない国は一つもない。ソ連だって当たり前のこととして揚げます。それとおかしいのは、例えば今、日本の高校の教科課程をみますと、国史という科目は自由選択です。取らなくてもよろしい。こんなことがあっていいのでしょうか(中略)米国なんか、私はカリフォルニアにいましたが、米国史を教え、またその州の歴史も教えます」と、つまり、自国の歴史は強制的にたたきこんで当然だといふわけだ(もちろん、自虐史観ではなく。私なんぞ、自分の国の歴史は思い切り美化してよいと思つてゐる!)。

 この国旗掲揚の話は、フォス神父が初代校長だつた昭和24年に高松宮殿下が栄光学園をお訪ねになられた時のエピソードとして語られるのだが、そのいきさつを鈴木氏が少し詳しく説明してゐる。

 ≪国旗を掲揚する、「君が代」を歌わせるということをフォス校長が言われたとき、職員会議で日本人の職員が難色を示した。占領下の今そんなことをすれば問題が起るというわけです。するとドイツ人である校長が、日本人の教育をやるのに国旗を揚げ国家を歌って何が悪いかと言って、非常な勇断をもっておやりになった。ところが、高松宮がみえるというので臨席していたデッカーという、横須賀に駐在していたアメリカの海軍司令官が、今の妙なる調べは何だという質問をしたわけです。あれが「君が代」という日本の国歌だと言うと、実に荘厳な立派な音楽だといって賞賛した。そして沢山の列席者の中で戦後久しく聞かなかった「君が代」を聞き、日の丸を見て一番感動して泣いたのが日本人の父親たちだった。日本人がやるべきことをドイツ人のフォスさんがやって、日本人が泣き、アメリカ人が感激した。これは象徴的な出来事ですよ。国家とか国旗とか言うと何か犯罪であるかのような意識が戦後ずっと、あったけれど、国歌を考えないところに一体民主主義はあり得るのだろうか。≫

 さう、今でも国歌や国旗が犯罪だとでも言はんばかりの言説が巷に流布され、大きな声で「君が代」を歌へる日本人は殆どゐない。爽快ですぞ、高らかに「君が代」を斉唱すると……。

 サッカー選手が君が代を歌つたとかなんとか言ふが、私に言はせれば、あの連中、まるで腰が引けてゐる。恰も正に罪悪ででもあるかのやうに、心もとない顔で口をもごもごさせてゐるだけ。その気が引ける分を誤魔化すのだらうか、左胸の日の丸(のつもりか)、あるいは日本サッカー協会のシンボル・マーク、八咫烏(やたがらす)のワッペンに敬意を表したやうな恰好で、左胸に手を当てたりシャツを掴んだり。実にすつきりしない。スポーツ選手だらうが、もつと正々堂々としろぃ、と言ひながら私はテレビでサッカー観戦をしてゐる。

 ついでに、大相撲の優勝力士、5年ばかり日本人が出てゐないのだから仕方がないが、日本人が優勝した時にはマイクから聞こえるくらゐの声で君が代を歌へ、お前の優勝を寿いでゐるのだぞ、国技の勝者よ。さもなくば、そろそろ国技の看板を下ろしたがよからう。と、言葉も荒く苛立つたところで、少々恥ぢながら(?)フォス神父の言葉に戻る。

 ≪言葉というのは心を育てるのです。ですから国語を軽んじれば、やはり日本の心というのは死んでしまうのです。≫

 心にしみる言葉だとは思ひませぬか。このフォス神父の言葉は国を守るといふ文脈で語られるが、前後の出席者の発言を並べる。「伝統を尊重することこそ、国民の教育として大事」「自分の国を尊重することができない人間に、よその国を尊敬したり尊重したりできるか」「自分は日本人だから日本が好きなのだという素朴な気持ちにどうしてなれないのか」「愛国心というのは結局自国の言葉を愛すること」等々。

 これらのことを自明のことと思へぬ人間が政治の世界にゐることが私には理解できない。教養とか知性とか、そんな大げさな理窟ではなく、素朴な市井の人間の感覚こそかくあるべきでもあらうし、逆説的に言へば、市井の人々にこそ知性も教養も備わつてゐるのだと私は思ひたい。それを破壊したのが戦後教育であり、国語政策であり、その結果、鈴木氏に「4、50年前の文学作品を読めないような国語教育をどこの国がやっているだろうか」と言はしめる。

 最後に鼎談の締めくくりになるフォス神父の言葉を引用する。

 ≪……子供の権利だ、権利だと騒がれるけれど、一般に日本では一つだけ権利が守られていない。それは子供には叱られる権利があるということです。≫

 この重み、如何ですか。フォス神父の著書「日本の父へ」は今や絶版ではあるが、ネットで古本を入手できる。子育てに悩む親世代に是非読んで頂きたい良書である。良書といふより、道標にすらなるのではないか、新潮文庫だつたと思ふが復刊を望む。
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by dokudankoji | 2012-02-02 18:42 | 雑感
2012年 02月 01日

承前(その2)~『世相を斬る』から―大韓民国編

 昭和56年12月号の「Voice」に掲載された対談だが、相手は国会議員、申相楚(シン ソウソ)。ちなみに対談のタイトルは「日韓両国民への直言――相互嫌悪をどう越えるか」。当時のかの国の人々は皆、日本語はぺらぺら、そして複雑な気持ちを抱きつつも、私の付き合つたかぎり大の親日家が多かつた。申氏とは会ひ損なひましたが、氏も親日家の筆頭と思はれます。今からおよそ30年前、敗戦からおよそ35年後の言葉として噛みしめて下さい。

 申氏の言葉。≪私が痛感するのは、現在の日本があまりに平和に慣れすぎて国家の体をなしていないということです。「これでも国家だろうか」と私はしばしば思うんです。先年日本へまいりました時、京都産業大学を訪れたところ、学長がおっしゃったのですよ。「うちの大学は、祝日には日の丸を公然と掲げることを誇りにしております」とね。そんなこと、あたりまえじゃないでしょうか。わが国では、国旗はどこの学校でも毎日掲揚しております。教室の中にも、黒板の上に国旗があります。日本の国旗を日本の大学で掲揚する、そのあまりにもあたりまえな事をやるのが、どうして「誇り」なんでしょうか。国家のシンボルとしては、国旗のほかにもう一つ国歌がありますが、日本人は国歌を歌わないようですね、戦争アレルギーの一つなんでしょうが、全く不可解ですね。≫

 いかがですか、ただ「耳が痛い」といふ外ないとは思ひませんか? 今もつて何も変つていない。さらに氏は続けてかうおつしやる。

 ≪もう一つ不思議なのは、現代の国家は、要するに武力を独占している集団でしょう、ところが、日本は実際に武力を持っていながら、持っていないということになっている。日本国の憲法を見れば「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」と書いてあって、それが国家成立の前提になっていますが、目下地球上には、公正と信義を信じられるような国家よりも、そうでない国家のほうが多いんだから、国家成立の前提自体がなっておらないと思う。少なくとも、武装しているということを公然と言えないような国家は国家ではない、と思いますね。≫

 耳が痛いのを通り越して、屈辱すら覚えませんか? しかも、30年後の今も何一つ状況は変化してゐない。

 昨日ブログで紹介したアメリカの記者にしても、この韓国の国会議員にしても、我々日本人よりも遥かに日本のことが好きなのではないかとすら思へるのです。好きだからゆゑの苦言直言ではないでせうか。そしてこれが正論でせう。否定、反論のしようがない。

 申氏の言葉を続けます。恆存が、日本ではソ連は脅威なりや否やの議論をしてゐるが、韓国では「北朝鮮は脅威か否かなんて議論やっていないでしょう」と水を向けたのに対して――

 ≪いやあ、ああいうバカな議論はやらんですな。あす攻めてくるか、あさって攻めてくるか、それが問題なのですから、脅威か脅威でないかなどということは誰も問題にしておりません。ところが日本は、平和に慣れすぎているために、そんな空疎な議論をやっているんじゃないでしょうか。ソ連軍に北海道ぐらい占領されたら、目が覚めるのでしょうが、そういうことがない限りは、まず駄目ではないかと思いますね。≫

 溜息が出ます。外国の人にここまで言はせてしまふ我が国はなんなのでせう。いや、これは昔の話で今は違ふとは言へないのが更に情けない、さうは思ひませんか? 尖閣問題・竹島・北方領土……全て奪はれても何も言へない、何も出来ないのがこの国なのです。北海道を奪はれ、沖縄までシナに食指を伸ばされても、恐らく「目が覚める」ことはないのでせう。

 ついでに更に辛い申氏の発言。≪……福田信之さんは西ドイツの例をひいて、「西ドイツの成長率がいまや鈍っているのは、西ドイツ人が勤勉に働かなくなってしまったためだ」とおっしゃったのですが、日本人だって今後もずっと勤勉でありつづける保証はどこにもない。生活水準が現在以上に上がって怠慢になってしまう、そういうことも考えられるでしょう。≫

 ここまで言はれると、かへつて清々しい。バブルに呆け、その後の20年余りも呆けに呆け、自堕落な歴史を刻んだ私達には申氏に返す言葉もありません。予言などといふものではない、まさに申氏は日本人をよく見抜いてゐたのでせう。この言葉に応へて、恆存がかう言つてゐます、≪日本人はね、これまでのような高度成長はできないとしても、経済的繁栄はこのまま永久につづくと思い込んでいるんですよ。≫

 自戒の念を込めて、わたしはこれらの言葉が当時30代の私に向けられてゐたのだと、今はさう思ひ、いや、今はそれがよく分かるのです。私たち団塊の世代の責任は大きい。戦後の「明るい」青春を謳歌したのも、少子高齢化社会を招いたのも、結局は国家と時代の歴史の必然かもしれませんが、今60代半ばになる団塊の世代こそ、その歴史を刻むのに最も手を貸したのではないでせうか。「友愛」とか「市民」などという、「美しい」言葉に踊つた人々ではないでせうか。

 最後に恆存の発言を一つ。≪申さんたちの世代が日本語を話すのは、日本が昔、それを強制したからですね。申さんたちの世代の責任じゃないんだ、それは。けれども、さっきおっしゃったように、日本語を話せる世代には知恵がありますよ。日本の悪い面もよい面もよく知っているはずだ。その知恵や知識を活用するのは、韓国にとってよいことじゃないですか。若い連中があまり偏狭なナショナリズムにとらわれていると、韓国のためを思って何かしようと思っている日本人までが愛想づかしをしてしまう。そういう話を私は最近あちこちで聞くんですよ。これは困ったことだと思いますね。
申 それはもう、私もよく分かっております。
福田 日本人の全てが悪人であるはずもないし、韓国人のすべてがいい人間であるはずもない……≫

 私は申氏の世代とも、さらに若い世代とも30年のスパンで演劇交流をしました。ノスタルジーに過ぎませんが、日本語を「強制された」世代の方たちとの交流がどれほど暖かみがあつたことか。日本への愛着、信頼、私個人への友情、仕事が終つて帰国時の別れともなると、彼らのやさしさに涙の出る思ひでした。それを、現代に引き継げなかつたのは、それを演劇の世界から外に広げられなかつたのは、やはり、これも時代と歴史の必然なのでせうか。古き良き時代を思ひ返しては、時に暗澹たる思ひに浸る今日この頃です。
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by dokudankoji | 2012-02-01 18:44 | 雑感
2012年 01月 31日

承前~『世相を斬る』より

 この対談集第4巻は、フジテレビで放映された『世相を斬る』を中心に編纂したが、その中に昭和52年の暮れにワシントンで録画し、翌年3月12日に放映された、ニューヨーク・タイムズ記者・デヴィッド・バインダーとの対談がある。バインダーの発言が歯切れよい。

≪……私が言いたいのは、軍国主義の危険や軍国主義体制、軍国主義的冒険が過去においてもたらした不幸と悲劇に対して、日本人がどれほど敏感であろうとも、またそれらの復活をいかに恐れていようとも、だからといって日本を防衛するのはごめんだ、と言い張ったり、兵器と名のつくものには触れるのもいやだ、あらゆる国から完全に中立でやっていくのだ、と言っているだけでは、完全な人間にはなれないし、完全な国家とは言えないと思うのです。
 しかし、自分を守ろうという心構えは、攻撃されたとき、反撃するための軍備があってこそ、初めて効果を発揮するわけですが、自分の国が直面する危険には軍事力で対応する以外に方法はない、と考えて軍備の増強をはかり、その負担で押しつぶされるようであってはならないと思います。つまり、私が言いたいのは、大人の分別を持った国民であれば、当然自分の国を守ろうとするだろうということ。≫

 耳が痛いといふか、いはゆる政治家のつもりでゐる今の(民主・自民を問はぬ)議員に「耳の穴をかつぽじつて、よく聴け! バインダーの爪の垢でも煎じて飲め!」と言ひたくならないか。続けて彼は、かうも言ふ。

 ≪やがて日本も、現在以上の防衛責任を担い得る国になるだろうと思います。もちろん、多くの日本人はこれ以上の防衛力増強は危険だと言うかもしれません。が、これは外から私たちがとやかく言うべき問題ではなく、結局日本人が自ら決定すべき問題なのです。≫

 この言葉、味はひ深い。対談から35年ほど経つた今、日本はどれ程の「防衛責任を担い」、「分別ある国民として自分の国を守ろうと」してゐるだらうか。そして、引用の終はりをよく読んで、私達はそれを噛みしめるべきであらう。バインダーは決して、アメリカ人の自分達は何か言ふ立場にない、権利はないなどと、謙虚な態度を示してゐるのではない、「結局日本人が自ら決定すべき問題なの」だといふ最後の言葉、背筋がゾッとする冷たい言葉であることにお気づきだらうか……。誠実かつ冷厳な言葉、冷酷な言葉でもある。
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by dokudankoji | 2012-01-31 17:04 | 雑感
2012年 01月 29日

『世相を斬る』からの会話~そして私の妄言

 恆存対談集の第4巻(1月刊)にフジテレビの『世相を斬る』シリーズでの対談を収録。その相手の一人が勝田吉太郎。氏との対談のタイトルは「幻想の平和」。その中の勝田氏の言葉を引く。

 ≪勝田 いい意味でも悪い意味でも、戦争にはヒロイズムがありますね。それを、日本の今日の平和というのを考えるときに、僕はいつも思うのですけどね。どんな代償を払っても平和をほんとうに求めようとするのかどうかということですね。極端に言いますと、日本列島がフィンランド化してソ連の事実上の衛星国になっても、奴隷の平和も平和だと思い定めて、そういう平和を甘受するのかどうかということですね(中略)先ほど、平和というのは一つの目的化してしまったと言いましたけれど、本来ならば平和というのは何らかの目的を実現するための条件あるいは手段であるにもかかわらず、肝心かなめの目的がどこかへ行っちゃったのですよ。その目的がちゃんとあれば、人間は生き生きするはずですよ。自分の生を賭け、あるいは死を賭してでも守ろうとする価値あるいは生き甲斐、それがどこかへ消え失せているものですから、それで平和が目的自体になってしまって、精神がだらんと伸び切っているということですねえ。≫

 上のソ連を中国に置き換へると、我が国が今おかれてゐる状況そのものではあるまいか。そして、後半の目的そのものと化した平和に私達が何の疑問も抱いてゐないとすれば、思考の停止以外の何ものでもない。戦争自体には破壊・勝利・平和といふ「目的」があり得る。では、平和自体は何のために? そして、勝田氏の言ふ「死を賭してでも守ろうとする価値あるいは生き甲斐」とは? 

 家庭なり社会なり、あるいは国家なり、自分が属する集団の安寧を平和と呼ぶとすれば、それが世界平和に通ずるか否かは知らぬが、その安寧のために自分の命を捨てられるか、それを考へないと「精神がだらんと伸び切っている」と言はれてしまふのだらう。

 ついでに、もう一人、元警視総監で当時の参議院議員だつた秦野章との対談のタイトルは「ハイジャックと人命」。その対談の終りの所から。

 ≪福田 そうですね。「国民」という言葉すらこのごろあまり使わない。
秦野 あんまり使わない。市民なんだ。社会なんだ。国家とか国民とかいうのはいけない。
福田 あれは戦前にはあったけれど、今は亡くなっちゃったと思ってるからね。(笑)
秦野 だけど、ほんとうに国家のない社会ってありっこないでしょう。そこを考えないといけないんだけれども、やっぱり……。
福田 そういう国家、国民がなくなって、市民と社会になったというの、これは赤軍と同じで、戦後教育は世界革命を考えてるんじゃないですかね。
秦野 赤軍と同じだな。原理的にはね。しかしそれはアナーキーですわな。無政府主義や。
福田 ええ、困ったもんですね。
秦野 困ったもんですよ。≫

 これは昭和52年の秋の放送。30数年前、さういへば丁度鳩山由紀夫や菅直人が出て来たころにならう。「世界革命」といふよりは中国への隷属を「平和」と勘違ひした市民派の姿が浮かぶ。「国家のない社会」、国民ではない「市民」など「ありっこない」、さういふしかない、それが通じぬなら、後は「困ったもんだ」といふ他ないのだらうか。

 もう一つ、昭和53年8月放送の福田信之、当時の筑波大学副学長との対談、「日本の資源と原子力の平和利用」。

 ≪福田(信) ……私も戦争中、原爆研究に従事していました。当時はほんとに原爆を造れるかどうかの基礎研究をやろうというわけでやってたわけです。私は主として濃縮ウラン――百パーセントの濃縮ウランを造りますと原爆ができることはわかっていたのですが、これは大変難しい技術でしてね、ほんとに日夜やってました。まあ、日本は片手間の研究であり、アメリカは国力の相当部分をさいてやってたという差はあります。
 あの当時の雰囲気からいいまして、もし日本で原爆製造に成功していれば、また今日の技術をもってすれば十分成功したでしょうけれど、もし造っていれば当然、原子力を使ったろうと思います。けれども、福田さんがおっしゃるように、なにか自分の傷を見せながら世界じゅうに「俺はこんな傷を受けたんだ」と言っても――ほんとうに世界の人がどう受け止めているかというのを日本人は知らないのではないでしょうか。≫

 覚えておくべきこと。一、日本も原爆を作らうとしてゐたといふこと。二、造つてゐれば使つてゐたであらうこと。この第二の点は幾ら強調してもし過ぎることはない。人間は自分の生み出したものを使はないわけがないといふこと、これ程分かりやすい現実もないのだが。

 尤も、私には、そのことより上の引用部の最後が甚だ興味深い。「俺はこんなに傷を受けたんだ」といふいやらしい精神。自分を弱者の立場において、いや、それどころか相手を加害者の立場において、加害者を吊るし上げる、あの被害者面ほど不愉快なものはない。そこには人生を生きる上での宿命への思索がない、思想がない。

 被害者が加害者を糾弾するほど「容易」なことはない。誰もその行動を非難しようがない、出来ようはずがない、さういふ立場に自分を置いてしまふほど「強い」ことはない。現代に充ち満ちてゐる、この精神構造、どなたもお気づきのはずだ。殊に、加害者がもともと強いと世間一般が決めて掛かつてゐる存在が、弱小な存在や個人に被害を与へた場合となつたら、世間が一斉にその加害者たる強者を袋叩きにする。公害しかり、アメリカの核しかり。戦後の進歩派メディアの報道は、ほぼこの類型と思つて間違ひない――教訓:負けたくなければ、常に弱者たれ。

 さて、上の対談だが、上の発言に続けて、恆存さんも信之さんも福島の事故を体験した我々からすると、かなり暢気な発言をしてゐる、と思ふと、突然信之さんがかう言ひだす。

 ≪原子力でをたくさん開発すると廃棄物が残って、それは千年もたつと危険が生ずるというけれど、千年後に人類が生きているかどうかさえ分からない。今世紀から来世紀にかけていかに生きるかということを考えているのだし、技術は長足の進歩を遂げていますからね。そりゃ百年単位、千年単位でいいますと、まだ解決しなければいけない問題ありますよ。それはまた我々の子孫がどんどんやりますよ。≫

 「千年後に人類が生きているかどうかさえ分からない」――核さへ存在しなければ人類は永遠だなどと誰が保証してくれるのだらう。上の発言の「健全さ」が分からぬと、恐らく「弱者」の立場を取るしかなくなる。連帯だ友愛だと美しい言葉で、人間同士の相対の中でしかものを考へなければ、それもよからう。が、人知を超えた未知の出来事が起こり得るのがこの世の習い、その未知の出来事を、それはそれとして受け止める覚悟(諦めでも勿論構はぬ)がなくて、どうして生きていけよう。気軽に「死」といふが、これ程の未知の出来事はない。核による死と、天寿を全うした死と、更に我々人類が経験したことのない出来事による死と、私には一つのものとして扱ふしか術がない。

 脱原発への道を日本が歩むのか否か、私は知らない。私に分かつてゐるのは、人類は、なかんづく日本人は遠くない将来原発もその再処理もねぢ伏せるであらうといふこと。しかし、それよりも確かなことは、身も蓋もない言ひ方をするが、ねぢ伏せることが出来ようと出来まいと、人類はやがて滅亡するであらうといふこと。

 ここまでは実は、昨年の暮れに書いた。今附け加えることも余りないが、対談集は既に書店に並んでゐる。

 原発について。私はどうしても騒ぐ気になれないし、恐いとも問題だとも思へない。これは直観に過ぎないから、何ともこれ以上書きやうもないが、子供の頃、放射能の雨が降るのなんのとメディアに騒がれ、子供心になんだか不安だつた。でも、その後何も起こらなかつた。はげになると言はれたが、日本にはげが増えたといふ統計も聞かない。

隣国シナでは楼蘭の辺りの核実験で十万単位の死者を出し、しかも当時日本にストロンチウムが散々降り注いださうで、これは福島の比ではないらしいが(もちろん福島の方が遥かに値は低いといふ意味)、このストロンチウムの害も、どうといふこともないらしい。

 どこだかのアパートのコンクリートがセシウムで汚染されてゐたのなんのとヒステリックに騒ぐ前に、誰でもよい、真実を教へて頂きたい。私は、ヒステリーを起こしたり原発反対と叫ぶのは、真実が分かつてからにする。分かりもしないこと、メディアが取り上げることに一喜一憂するほど私は暇でもなければ、メディアを信頼するほど純情可憐でもない。

 最近、産経新聞に長辻象平が書いてゐたCO2の値の方が、間違ひなく(そんなものがあるとしてだが)「人類の脅威」だらう。福田信之のいふ如く、千年後に人類は生きてゐるのだらうか。生きてゐたとして、そのことにどういふ意味があるのか。どなたか教へて頂きたい。まあ、シェイクスピアもハムレットに人間賛歌のごとき言葉を喋らせてはゐるが、といつて、やはり私は、人類が滅亡することがどれだけ深刻な問題なのか、想像する能力を持ち合はせてゐないやうだ。そんなことを想像すること自体に何の意味も私には見出せない。
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by dokudankoji | 2012-01-29 22:28 | 雑感
2012年 01月 15日

大磯町~明治天皇観漁記念碑

 私の自宅の裏手にある山には「王城山」といふ何やら立派な名前がついてゐる。通称を「小千畳」といふ。なぜ小千畳と呼ぶかといへば、町の背後に控へる「湘南平」といふ野暮な名称になつてしまつた、昔は「千畳敷」と呼ばれてゐた山(丘)があり、それとの比較といふわけだ。

 この千畳敷の頂上はその名の通りかなり広々として平坦で、眺望が素晴らしい。360度ぐるりと眺められ、北から西へ目をやると丹沢山塊から富士山、箱根から伊豆の山々、南には相模湾が広がり天気さへよければ大島がかなり近くに見え、東に目を移すと三浦半島と、時に更にその先に房総がかすんで見える。

 この贅沢な眺望には負けるが、千畳敷の千畳(多分それ以上)もありさうな平坦な頂上に似て、小さいがやはり頂上が平坦な王城山といふ訳で、私が子供の頃は通称「小千畳」と呼ばれてゐた。その頂上に立派な石碑が建つてゐる。これが標題の明治天皇観魚記念碑。

 さて、千畳敷の名が出たついでに、早速横道にそれて、少々大磯探索。この千畳敷へ上る道の途中には幾つもの横穴古墳があつたり、少々淀んではゐるが小さな湧水(といふより水たまり)がある。この湧水の言はれ――その昔、父の仇・工藤祐経の動静を探りにここを登つた曽我五郎の馬が急峻に泡を吹いた、そこで五郎は足で(だつたか太刀でだつたか)、地面を突く、するとそこから水が湧き出し馬に飲ませたといふ。また、馬が踏ん張つたところから水が湧いたともいふ。そして、十郎がその水を使つて虎御前に文を書いたといふので「十郎の硯池」と名付けられたとか、まぁ、眉に唾して聞いておけばよろしい伝説もある。だが、この眉唾伝説から、千畳敷はそもそも泡垂山(あわたらやま)と呼ばれてゐた。今では大磯の住人でもこの名称を知る人は少ないだらう。

 その五郎の兄、十郎と恋中の女郎が大磯の宿場の遊女・虎御前。その虎女が化粧に使つた井戸が旧東海道にポツンと「残つて」ゐる。中を覗いても別に面白くもなんともない。

 虎繋がりで、虎御石といふ有難い石まである。延台寺といふ寺にあるのだが、この石は工藤祐経が送り込んだ刺客の射た矢や切り付けた刀から十郎を守つたともいはれ、虎御前の成長とともに大きく育つたともいはれる。ま、さざれ石が巌になる国に相応しいお話。歌舞伎などの曽我ものには少なくとも虎御前は必ず出てくる。

 ただし、虎御石は出てくるはずもないが、こちらは有難いことに「本物」にお目にかかれる。毎年、確か5月の第4日曜日に御開帳される。この石に触れると大願成就、安産厄除けと霊験あらたか。恨みつらみで復讐の念に燃えていらつしやる方は是非大磯観光協会辺りのホームページで調べて、石に触りにいらつしやるとよろしい。仇打ちも成就すること請け合ひ?

 千畳敷に戻るが、昔、頂上直下に高射砲跡があり、我々子供の良い遊び場になつてゐた。高射砲自体は勿論撤去されてゐたが、砲台と掩蔽の建物は残つてゐた。高射砲は相模湾から上陸してくる(であらう)米軍を迎へ撃つためのものであり、さらに街中を歩くと、上陸して来た米兵を拝み撃ちにするつもりだつたのか、銃剣で白兵戦を戦ふつもりだつたのか、兵士が身を隠す祠のやうな穴が、相模湾から町の中心部に向かふ切通しに残つてゐる。

 さて、大磯歴史散策はこのあたりにして本題に入る。今日は小千畳の話、といふか、先に触れた「明治天皇観漁記念碑」のことを写真を付けて記しておきたい。まず、この立派な写真をご覧あれ。
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 石碑の裏に彫られた説明に基づいて簡単な歴史を記す。江戸から明治になり、明治天皇が江戸を東京と改名したのが明治元年七月のこと。同年九月天皇は京都を発ち、東京へお向かひになる。その途次、十月七日大磯にて御休息、その折、「海濱ニ幸シテ」、漁師たちの威勢よく働く姿と多くの魚が取れ飛び跳ねる様(「魚族ノ溌剌タル魚槽」)を初めてご覧になり「御興ニ入ラセ玉ヒ」、漁夫らに「御下賜品アリ」といふ次第である。その次第を「今謹テ石ニ勒シ之ヲ山上ニ建テ此地ノ栄ヲ永ク後ニ伝フト云フ」といふわけである。
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 石碑を建立し、この解説(書陰)を書いたのは安田財閥の祖、安田善次郎翁である。建立は「大正七年十月吉祥日」と碑の側面にある。正面の立派な碑文は、時の内大臣正二位大勲位侯爵松方正義の手になる。

 上の青空を背景に写した画像は一月十四日のものである。で、それこそここからが本題、この画像をご覧いただきたい。
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 これらは昨秋写したものである。我が家からは頂上まで歩いて十分ほどの格好の散歩コースなのだが、この数年、夏から秋に登るとご覧の通り荒れ放題。ほんの数年前まではこんなことは無かつた。町の歳入が減つてゐるのだらうか。一方では、この町は、車でなくては行けないやうな不便なところに町民のための運動公園を造つてみたりする、そこへ歩いて往復するだけでも半日かかる、その上運動などする必要もない。最近では全く不要な診療システムを新規に発足させたりと歳費の無駄遣ひはしても、町が誇るべき懐かしい歴史には目もくれない。これつてなんでせう。歴史を蔑ろにしたら、必ず歴史に逆襲される、予言しておきます。

 かういふ言ひ方はお分かり頂けようか――大磯町が私といふ一個人の歴史を破壊してゐるのだといふ……私の中にある記憶、常に整然と手入れの行き届いた裏山と記念碑の記憶、間違ひなく明治に繋がる私の記憶と人生を町が破壊して行く。それを私は許したくない……。

 以前は手入れが行きとどいてゐたため、薄その他の雑草がはびこることは皆無、いつ行つても美しい相模湾を眺め歴史に思ひを致し……絶好の散歩コースだつた、といふか私の遊び場、庭だつた。今は正月前後に一度雑草を刈り取るだけとなり、夏草が茂り出す季節からは山頂に近づづくにはかなりの覚悟が要る。

 で、昨十四日、散歩に出かけて小千畳に登つたところが次の写真のやうに見事に草を刈つてあつた。暮のうちに刈つてないので、遂にそのまま年を越し、もはや荒れるに任せるのかと思つたら、「一応は」手入れをする気だけはあるらしい。
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 だが、この写真をよく見て頂きたい。「一応は」といふ意味はお分かりだらう。
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 荒れ果ててゐること一目瞭然。造形は立派ではあるし、これを財閥とはいへ個人が建立すること自体、頭が下がる。90度ずらした下の台座は蔓延りだした薄が徐々にその敷石を押し広げ破壊し、年々崩れて行く。正面の階段の上の二本の柱にお気づきだらうか。昔、この柱から石組の上に正方形の石柵が廻らしてあつた。左の柱の陰になつてしまつたが、上の囲いの左端前の柱上部にあつた宝珠は壊れて崩落。階段上の周囲も上の囲いの中側も、薄は一応は刈り取られてなくなつてゐるが、数年間、根を取らずに蔓延らせたため、もはや手の施しやうがない。草の、殊に薄の根は強い、種子からの繁殖も含め、数年のうちに継ぎ目裂け目を狙つて出てくる薄のためにこの石組は土台から崩落し、中央の石碑だけが傾いた無残な姿を曝すのだらう。さうして、記憶といふ形の私の一部も崩壊させられる。

 この王城山の裏手に「釜口古墳」といふのがあり、これは一応町が管理して見学する人も散見される。が、この明治天皇の観漁記念碑を省みる人はもはや誰もゐないらしい。寂しい限りである。ちなみに、明治帝がお出ましになられた海辺にも観漁記念碑があるが、こちらはこの安田翁建立のものほど立派ではないが、人目に付くところでもあり、規模も小さいせゐか一応の手入れはされてゐる。

 最後に、この小千畳(王城山)の麓に今なほ安田邸が保存されてをり、年に一度開放されて見学できる、興味のある方はネットでお調べ頂いて、冒頭に長々と書いた町内の散策もなさるとよろしい。安田邸、昔は富士銀行の行員の寮として使はれてゐた。校倉造の蔵などもあり、往事私はほとりの池で蛙の卵を取つたりお玉杓子を捕まへたりしたものだ。今では、警備厳しく、お花見に門から入らうものなら管理人に咎められる。昔正門は開かれたままであり、内門との間の広場は私達の野球場でもあつたのだが。これまた寂しい限り……。
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by dokudankoji | 2012-01-15 02:32 | 雑感
2011年 12月 20日

お知らせまで

 ダイヤモンド社のオンライン記事のインタビュー。話したことの三分の一くらいですが、私なりの震災についてのコメントです。

 いつか、更に深く考へてみたい問題です。

 更新をなおざりにしてゐますが、秋の恆存生誕100年記念公演について等、書きたいことはいろいろあるのですが、落ち着いて核時間が取れず、新年を向かへさうです。間の抜けた時期に間の抜けた更新をするかもしれません、あしからず。
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by dokudankoji | 2011-12-20 14:54 | 雑感
2011年 11月 27日

ボレロ

 知人のブログで久しぶりにベジャールの振り付けの「ボレロ」を見た。来日公演で封印した「ボレロ」を踊つたシルヴィ・ギエムとジョルジュ・ドンの二人のダンサーのバージョンが見られる。

 直接リンクを張つておく。これがジョルジュ・ドンのもの。こちらがシルヴィ・ギエム。と、見ていたら、多分べジャールの振り付けで最初に踊つたマイヤ・プリセツカヤのものも見られる。

 プリセツカヤの踊りをsweetと呼ぶなら、ジョルジュ・ドンはやはりsexy、ギエムはstoicとさへ呼べる。どれも見ごたへがあるが、私はやはりジョルジュ・ドンが好きである。理屈ではなく感覚の問題なのだが、私は表現芸術において常に女性より男性に惹かれるやうだ。現実世界では勿論逆であるが。
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by dokudankoji | 2011-11-27 23:41 | 雑感


    


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