福田 逸の備忘録―独断と偏見

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カテゴリ:雑感( 238 )


2012年 10月 02日

前掲記事~御礼~追記

 一昨日の紀伊国屋サザンシアターでのイベントの内、第二部のパネルディスカッション「いま、福田恆存から考えること」が、11月1日発売の月刊誌「正論」12月号に掲載されます。お出でになれなかった皆様も是非、誌上にてご覧いただければ幸いです。
 冒頭にトンチンカンなヤジがあったのですが、多分この「珍妙な」ヤジは、残念ながら掲載されないと思います、それを楽しめたのは当日お出で頂いた方だけということでお許しあれ(笑)
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by dokudankoji | 2012-10-02 15:39 | 雑感
2012年 10月 02日

御礼

 昨日(9月30日)の福田恆存生誕100年のイベント、台風の迫る中、230名あまりの方がお出で下さいました。本当に有難うございます。

 山田太一さんの講演は悠然とした語り口で(おつき合ひはない)恆存像を彷彿とさせる、まさに良き読者と思はせるお話でした。

 第二部のパネルディスカッションは、パネリストがさしたる打ち合わせもせずに行つたにも拘らず、恆存における「絶対」や「神と道徳」「宗教哲学者として」等々、符牒の合つて、かなり纏まつた対話が続きました。(私がそこに嚙み合へたか否かは聴衆の皆さまの判断にゆだねます。)

 報告するには長過ぎる内容、これにて失礼します。お出かけ下さつた方々への御礼までに。
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by dokudankoji | 2012-10-02 02:25 | 雑感
2012年 09月 20日

お知らせ~「福田恆存とその時代」

 すっかり更新が間遠になり恐縮の限り。今日のお知らせはフェイス・ブックやツイッターではかなり周知できたと思ふのですが、こちらに出すのが遅れました。

 9月30日、新宿紀伊国屋サザンシアター(新宿駅南口)にて、標題の講演・パネル・ディスカッションを催します。玉川大学から刊行中の「福田恆存対談・座談集」刊行記念と生誕100年を兼ねたものです。大正元年の生まれですから、生誕100年といふ事は、明治が終つて100年といふ事を意味する、つい最近、そのことに思ひ至り、感慨深いといふか、明治天皇、乃木将軍没後100年でもあること、これはそのこと自体、我々が一度考へなくてはならぬ問題と思つた次第。

 さて、当日のスケジュール。
13:30~16:00
第一部 講演 「福田恆存を読む」 山田太一
第二部 パネル・ディスカッション 「いま、福田恆存から考えること」
     遠藤浩一・新保祐司・中島岳志・福田 逸 

料金:1500円

 当日券は、残念ながら、十分ありさうです。政治の世界や世界情勢ほどにも劇的な変化は起こらないでせうから。

 詳細、電話予約等はこちらをご覧ください

 一人でも多くの御参加をお待ち申し上げます。

 なお、いずれ告知しますが、現代演劇協会の『明暗』の公演も、同じ劇場で11月下旬からです。こちらも何とぞよろしく。
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by dokudankoji | 2012-09-20 00:23 | 雑感
2012年 08月 08日

上方の言葉に思ふ

 政治家と文化・芸術について書いた7月31日の記事に「くゎんさい人」さんから≪住大夫師匠は、「が」と「ぐゎ」の発音を区別できる、純粋上方弁の遣い手としても人間国宝なんです。早くお元気になりますように。≫といふコメントを頂いたので、こちらに移して簡単に書く。

 福田恆存が確か『私の國語教室』の中で、かう言ふことを書いてゐた。「新仮名遣い」が決められた時、上方の知人が、≪なぜ「扇ぐ」を「アオグ」と書かなくてはいけないのか、なぜ「アフグ」と書いてはいけないのか、私は実際に「アフグ」と言つてゐるのに≫と歎いてゐたと。

 新仮名を違和感なく使つてゐる皆さんに、ここで一先づ立ち止まつて考へて頂きたい。フとオの表記の違ひだけではない。扇子でアフグ行為を「アオグ」と表記し、「扇」は「オオギ」と表記する。これが現代仮名遣ひだが、「フ」・「オ」の問題だけではなく、同じ語なのに品詞が変ると、最初の一音が「ア」から「オ」に変つてしまふことにお気づきだらうか。名詞の時は「オ」で、動詞になると「ア」になるのはドウシテか説明できる方はゐるのだらうか。(目が「潤む」のが、名詞になったら目の「ウルミ」ではなく「オルミ」とでもするやうなもの。名詞の「扇」も書き言葉としてアフギと書いて、発音する時は音便が生じ「オオギ・オーギ」に似た発音をするだけのことで、地方によつてはそのままアフギ・アフグと発音するといふことである。)

 今でも住大夫師匠ならずとも、上方にはこの種の語感は残つてゐる。実は八月の初めに大阪の文楽劇場へ行つた。師匠が休演になる前に切符を買つてあり新幹線も予約してあつたので、三味線野澤錦糸や住大夫の弟子達に会つて話しを聞いて来ようと思つたこともあり、大阪まで行つたら京都に寄る癖がつき、宿も取つてあつたからだが、住大夫休演の文楽の味気なさを存分に味ははせてもらつた。橋下徹のお陰と思つてゐる。同時に、やはり、文楽協会がその役割を果たしてゐないことも確かで、住大夫の病の発端が協会にもあることを確信した次第だが、これは横道。

 さて、京都に移動して、馴染みのHといふ祇園の「飲み屋」(「お茶屋」ではないのでかう書いておく)に行つた。ここの主人が芸達者といふか、祇園の名物男、三味線を弾きながら都々逸・小唄・端唄に清元、義太夫から、歌舞伎のセリフまで何でもござれ。事実、歌舞伎の役者や芸者たちが教へを乞ひに来るほどの腕前なのだが、たまたまその日、上七軒(五花街の一つ)の料理屋の旦那が二人連れで、芸者を二人伴つてやつて来た。

 その旦那の一人に店の主人Hが端唄「青柳」を催促、その旦那が「青柳ぃの~」と唄ひ始めた途端に、Hが三味線の手を止めてかう言つた。≪「アオヤギ」ぢやない、「アヲ」(「アウォ」)。「アオ」ゆうたら「あほ」に聞こえる。≫件の旦那、不愉快な顔一つ見せず「アヲヤギノ」と唄ひ直してゐた。つまり、京都にはまだ、本来の発音が残つてをり、青は「アヲ」と発音するのが当然と考へる人々がゐるといふことだ。(もちろん歴史的仮名遣ひでは青は「アヲ」と書く。)

 仮名遣ひとは単に表記法の問題ではない。今なほ、発音の問題としても考へなくてはならないといふ例が目の前にある、そのことに私は驚くといふか感動に近い思ひを抱いた。店の主人も客の旦那も、仮名遣ひのことなど毛ほども頭に浮かんでゐないだらう。ただ、正しい姿、本来の姿はどうかといふ基準が物事にはあるのだといふ常識があるだけであらう。直す主人が主人なら、受けて学ぶ旦那も旦那、見上げたものと感心して、さほど上手くはないその端唄に聴き惚れた。

 ちよいと、「粋」な話をお読みいただいたが、後は蘊蓄。「青柳」には端唄のほかに小唄でも「青柳の糸より」といふものがある。両方の歌詞を上げておく。端唄は「青柳の影に 誰やらゐるわいな 人ぢやござんせぬ 朧月夜の え~影法師」、この後、色々な替へ歌がある。小唄の方は―― 

 青柳の糸より 胸のむすぼれて
 もつれてとけぬ 恋のなぞ
 三日月ならぬ酔月の
 うちの敷居も高くなり
 女心のつきつめた
 思案のほかの無分別
 大川端へ流す浮名え~

 こちらの方は、明治に実際にあつた事件が元になつてゐる。その頃、評判の刃傷沙汰、この事件をもとに幾つかの戯曲が書かれた。川口松太郎も昭和十年に『明治一代女』といふ芝居を新派のために書いてゐる。

 ある遊女が、成り行きで恨んだ男(遊女の惚れた歌舞伎役者の付き人)に、(その付き人が持ち主になつてしまつた)自分の勤めてゐた茶屋(酔月楼といつた)に出入りを禁じられ、その男を大川端で出刃包丁で刺した。「うちの敷居も高くなり」とは出入り禁止のこと、「つきつめた」は包丁で突き刺したこと、と解して読むと小唄の情緒も増すだらう。
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by dokudankoji | 2012-08-08 20:52 | 雑感
2012年 07月 31日

政治家と芸術~橋下と文楽

 橋下徹の文楽批判を苦々しい思ひで眺めてゐる。と書くと傍観してゐると思はれるだらうが、個人的感情を剥き出しにして申し上げれば傍観どころではない。どう控へ目に書いても、この二週間余り私ははらわたの煮えくりかへる思ひで過ごしてゐる。いふまでもなく、文楽義太夫の住大夫を病の床へと追ひやつた大阪市長の言動に対して、そしてその無神経と厚顔無恥と文楽といふ芸能(ひいては芸術一般への)無知に対してである。しかも、今日また三味線の鶴澤清治が胃潰瘍のため休演、入院手術に追ひ込まれた。文楽伎芸員に橋下が掛けた心理的負担がどれほどのものか、改めて思ひ知らされた。

 実は、私は今回の問題は文楽の方にも問題(責任でではない)はあると思つてゐたし、いまなほ、さう考へてゐる。文楽の組織がどうなつてゐるか、詳しいことはこちらのブログ及びそこに言及されてゐる諸氏の文章に譲る。一言で言へば、仮に橋下の言ひ分に一分の理があるとして、それに対応すべきは文楽協会=いはば文楽の事務方である。およそ、芸能の世界といふもの、芸人を守り「操る」、いはゆるマネージャー的存在が必要であり、文楽の場合なら文楽協会がその立場にゐるべきだらう。

 それが、あのごたごたの最中に責任逃れか知らぬが事務局の枢要な立場にある人物が辞任してしまつてゐる。(この時期、橋下はその種の機構自体を知らなかつたのではないか。)そして、橋下が盛んに伎芸員を相手に伝統芸能の世界で慢心してゐると批判し続けた。普段、芸の世界以外のことなど頭にない「芸人」が、急に矢面に立たされた。目を白黒させるのは当たり前、それをまた、あしき事のやうに橋下は批判する。いはく、客を呼べないのは伎芸員(の芸?)に魅力がないからだ。いはく、新しいことをやらないからだ、歌舞伎の勘三郎を見習へ。いはく、「三谷文楽」を大阪でもやればいい。いはく、人形遣ひが顔を出すのは邪魔だ。いはく、「『曾根崎心中』の脚本は昭和30年に作られたそうだが……開いた口がふさがらないとだけ言つておく。

 私は二十年余り新歌舞伎・新作歌舞伎の演出もしてゐる、住大夫の義太夫が聴きたくて、大阪はおろか博多までも毎年暮れに「追つかけ」をしてゐる。勿論私は歌舞伎の世界の人間でもなければ文楽の世界の人間でもない。さうであつても、歌舞伎と文楽の違ひは一目瞭然。同じ近松を「上演」するにしても、歌舞伎には歌舞伎の文楽には文楽型があり、特質があり、限界がある。

 文楽と比較して持ち上げられた勘三郎こそいい迷惑だらう。きつと心の中で、かう呟いてゐよう、「文楽があつての歌舞伎なんだがなぁ、文楽の丸本(つまり義太夫)あつての歌舞伎、文楽の義太夫がゐなかつたら、今の歌舞伎はなかつたらうに。橋下さん、人間が芝居するのと、決まつたかたちの頭(かしら)が幾つかあるだけの人形を操る芸能と、一緒にしちゃあ、困るよ。橋下さん、知つてゐるのかぃ、そもそも、文楽は見るものではなくて聴くものなんだがねぇ」。

 伎芸員が努力してない? 勉強不足? 慢心してゐる? なるほど、さうかもしれない。ならば、橋下徹、その証拠を見せよ。何年か前のことだが、東京では文楽の公演のない月のこと、歌舞伎座に来てゐる人形遣ひの桐竹勘十郎を目にしたことがある。私は驚いた、文楽の人形遣ひが、歌舞伎の役者の演技を勉強に来てゐるとは! 逆はあつて当然。歌舞伎役者は勘十郎や蓑助の遣ふ人形の姿を動きを脳裏に刻んでおくことだ、丸本物をやるときに必ず役に立つ。

 橋下に訊きたい、あなたは、歌舞伎の演目の一部に(あるいは演じ方に)「人形振り」と言ふものがあるのをご存じか? 江戸の近松が書いた『曽根崎心中』を昭和三十年に書かれたと、コッパズカシイことを宣はつたさうだが、その『曽根崎』で、縁下に潜んだ手代・徳兵衛が縁先から降ろした女郎お初の足に頬ずりする場面はご覧になられたのだらうか(7月26日に観に行つたと言ふが)? この『曽根崎心中』を歌舞伎でご覧になつたことはお有りか? どちらをどうお感じになつたか? その辺りの感想も言へぬとしたら、橋下よ、あなたには文楽を語る資格はない。

 この場は、何度観ても、誰が演者であらうとも、私は文楽の方が遥かに勝つてゐると感じる。単に私一人の感想であることは、その通りである。さうであつたも私は私の感想が「正しい」ことを体中の細胞の一つ一つで感じてゐる。

 お初が心中の覚悟を足の先で縁下の徳兵衛に伝へ、徳兵衛もそれに頬ずりで応ずる。人間が(歌舞伎が)人形に敵はぬのは、生身の人間の「限界」といへばよからう。生身の人間が演ずると、下手をすれば下品になる。いやらしくすらなりかねない。ところが、人形でこの場を観ると、可愛らしさ、さらに、死なねばならぬ男女の切なさを感じる。ほろりとさせられる場面だ。

 もしも、文化芸術に口を出し、手を突つ込むなら、政治家はせめてこの程度の「感性」を持つてゐて欲しい。橋下が「尊敬」してゐるらしい小泉純一郎レベルの男でも、オペラ好きと言ふ。自分が観たこともない芸能について、その組織形態も知らぬ、歴史も知らぬ、興味を持つたこともなかつた人間が、一度見て分かつたやうな、聞いた風な口をきくものではない。そんな人間が唐突に市長になつて、大阪に三百年以上生き続け、さらに生き延びやうと苦心してゐる芸能集団に向かつて、何が言へるといふのか。

 私は大学生の頃文楽を数回観て、何が面白いのかさつぱり分からず、その後は全くみなかつた。全くつまらなかつた。いまにして思へば、その頃は義太夫も人形遣ひも錚々たる人々が揃つてゐた。その後、言ひやうによつては衰退の一途を辿つて来たとも言ひ得る。それは、丁度日本の政治家の質が衰退の一途を辿つて来たのと軌を一にする。さう、時代なのである。そして、あへて、言ふ、歌舞伎にも実は全く同じことが言へる。勘三郎を引き合ひに出す橋下は、勘三郎の功罪をお分かりだらうか。そして、しかもなほ、勘三郎の古典歌舞伎の凄みをご存じだらうか。

 簡単な事だ、橋下はかう言へばよかつただけのことだ。大阪市の財政が苦しい。立て直すために大ナタを振るう。しかし、財政復活の折には苦しませた分野に手厚い財政の出動を考へる、それまで耐へてくれ、さう言ふだけでは、なぜいけなかつたのか。なにゆゑ、あたかも自らを貶めるがごとき、チンピラ風の、居丈高な口を利かなくてはならないのか。政治家にも品性は、いや政治家にこそ品性が求められる。

 大学生の頃私は文楽を観てつまらなくて見なくなったと言つた。では、なぜこれだけ文楽を擁護しようとするのか。それは外でもない、住大夫の存在あればこそだからだ。十数年前、NHKのドキュメンタリーでその姿を観て以来のことだ。当時七十台を越えた住大夫が、引退した兄弟子越路大夫のもとに稽古に通い、叱られつつも必死に食らひつく姿、七十を越えた「老人」が八十を越えて引退した人物のもとに通つて必死の稽古を積む、そのことに私はただただ心を打たれた。もう一度、文楽を観てみようと思つた。

 そこから、ほぼすべての住大夫の義太夫を聴きに、そして今は亡き玉男の遣ふ人形の凛然たる姿を追ひかけ続けた。これをここまで読んで下さつた皆さん、考へても頂きたい、普通なら、六十なり七十なりで、人は老後の生活を送る。その歳を越えてなほ必死で自分の芸を磨かうとする精神に、畏れを感じないだらうか。住大夫といふ、さういふ人物がゐる世界を、社会を、集団を、私は簡単に否定する気にはなれない。

 その後、知遇を得て、住大夫の謙虚な人柄を知れば知るほど、今回の騒動が理解できない。住大夫は、初対面の人に対しても、それが自分より年下であらうがなからうが、細やかな気を遣ふ。私が嘗て劇団経営で苦労してゐた時には、僅かな私の言葉のうちにまさに万事を悟り理解して、労りの言葉を掛けてくれる。さういふ気遣ひをする人間である。

 さういふ気遣ひを周囲にする人物ではあつても、こと文楽の問題となると厳しい。橋下なぞ足許にも及ばぬ厳しさで、私に向かつて文楽の若手の不勉強を批判する。誰よりも、そして本質的に文楽の危機を感じてゐたのは他ならぬ住大夫なのだ。いや、誤解しないで頂きた。かう言ひ替えよう。文楽の若手の不勉強を詰ることができるのは、独り住大夫をおいて他にない。文楽を一度や二度観て、それが分かるとは橋下徹、是非一度お会ひして文楽談義でも演劇芸術についてでもお話したい。

 さて、住大夫が倒れたのは七月の十二日といふ。その四日前に私は電話で彼と話した。橋下の乱暴としか思はれぬ言動に、さぞ疲れてゐはしないかと思つて私から電話したのだが、案の定である。住大夫がいつになく弱音を吐く。こちらが、大変でせうと言ふと、「いや、疲れますわ」と言ふ。「腰が痛うて……」と続くのだが、彼の方がからは愚痴は出ない。「文楽協会がシッカリしてくれないと」といふことは口にした。近鉄の会長(?)の方が奔走してくれてゐるといふことも言つてゐた。が、こちらが橋下の名を挙げて、困つたものだと言つても、彼の口からは橋下批判は一切出なかつた。後は、十日に伎芸員が集まつて対応を相談することになつてゐるといふこと、何とかうまく収まるとよいがとも言つてゐた。

 私は、どうか体だけは大事にしてくれ、無理をしないでくれとといはばお願ひして電話を切つた。そして、後で知つたのだが、その十日の午後、伎芸員の集まりがあり、その夜はその集まりの結果に関しての記者会見があつて住大夫は最長老としてその場に臨んでゐる。大分遅くなつてゐるはずであり、その集まりだけでも、みな疲れて終了した由、記者会見までした住大夫が、その翌々日の朝、脳梗塞に倒れたことを、周囲の人々は当然、橋下の無知と傲岸ゆゑの見当違ひな指弾に神経をすり減らした結果と受け止めてゐる。

 これも後で知つたことだが、あのごたごたの最中、住大夫は帰宅後、夫人や娘が懸案の問題がどうなつてゐるか聞かうとしても、喋りたくないと言つて口を噤むやうになり、家庭では言はばあの騒動については封印された状態だつたといふ。

 ここまでを知ると、どう考へても住大夫は年齢のことはあるとはいへ、今回の騒動の直接の犠牲者ではないか。そして、今日(三十日)報道のあつた鶴澤精治の休演・入院にしても、心労ゆゑの胃潰瘍の悪化と言はざるを得まい。二人とも重要無形文化財、人間国宝である。三百年を超える芸能文化、日本文化の継承者である。さう、二人とも橋下の人気取り政治(ポピュリズム)の犠牲者であり、二人が犠牲者だとすれば、この場合、文楽協会もさることながら、橋下はいはば「加害者」ではないか。

 もしも、住大夫の義太夫を二度と舞台で聴けないとしたら、私も犠牲者の一人であり、日本は取り戻しやうのない財産を失つたことになる。尖閣諸島どころではない、謂はば大阪城の本丸をシナに奪はれたも同断といへよう。

 もう一つ、書いておきたい。殊に「大阪市長」には声を大にして言つておきたい。大阪市長は、大阪を守ることがその大きな役割だと私は考へる。当然だらう。大阪「都」とまで言ひ出す男だ、大阪への相当の愛着もあり、「大阪の人間」としての自負もおありだらう。そこで、かういふ逸話を。住大夫は、暮れの博多に出向いた折、大阪弁は美しい言葉で、自分はそれを大事にしたい、近頃それが随分崩れてゐるのが残念だと言つたといふ。これは博多の人々に博多弁を大事にして下さい、といふメッセージに他ならない。

 この言葉は住大夫の口から耳にたこができるほど、私も聞いてゐる。橋下大阪市長に聞く。大阪を守るあなたは文化としての言葉を、地方の文化の核にある言葉を、大阪弁を美しいままに後世に残さうといふ意思はおありか。あなたが保守か否か、私は知らぬ。石原慎太郎と擦り寄り合ふところを見ると、どうやら、政治的には右派に近い保守とお見受けする。が、しかし。あなたは考へたことがあるか、文化的保守といふことを。それがいかなるものなるべきかは、既に上にしつこく書いた。もう繰り返さぬ。問題は、あなたの中に文化といふ概念がないことに、あなたの最大の欠格、あらゆる意味での欠格条件があるといふことなのだ。

 住大夫の遣ふ大阪弁の美しさは、現今の大阪弁の汚さが耳に障つて大嫌ひな私が保証する。そして、文楽は全て大阪弁で語られる大阪の誇りであつて然るべきなのだ、市長たるものは、そのことを大阪の若者に教へて頂きたいのだが。

 言語文化を大事にしない男が、テレビで売れた程度で逆上せ上つて、自分は頭がいいとばかりに大口叩く、これ程醜悪な姿は鳩山、菅を除いたら他に見たことがない。私の大嫌いな朝日新聞の記者を小馬鹿にした夜郎自大、You Tubeの映像で拝見したが反吐が出る。いや、小悧巧が悧巧だと思つて自信たつぷりな様を見せられるほど不快なことはない。

 最後に、今回はしつこくもう一度書いておく。『曽根崎心中』が江戸時代の作品だと知らず、昭和三十年に書かれた作品云々と記者会見で言つてしまひ、新聞記者に訂正されて初めて事実を知つた。このことだけでも、大阪市長欠格だといふことがお分かりにならぬか。さうか……近松の名前知つてますか、橋下さん? 近松つてどこの人だか知つてゐるかな? 曽根崎つて、どこだか、いや地名だといふこと、知つてゐるのだらうか、橋下さん……。

 妄言多謝、誤字脱字変換ミス陳謝。
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by dokudankoji | 2012-07-31 00:15 | 雑感
2012年 07月 18日

恆存対談集・第六巻

 既に店頭に並んでゐるはずだが、第六巻が出た。私の方は、予定を早めて9月に出ることになつた最終巻校了! これで、秋の「明暗」の演出を済ませれば、まぁ、父親の面倒を見るのも十分、いや十分過ぎるだらう。

 その第六巻から、何箇所か気になるところを挙げておく。第一は芥川比呂志との対談で、当時上演した「罪と罰」を話題にしてゐる。芥川がポルフィーリーを演じた。ここでドストエフスキーや「罪と罰」の意図や主題について云々しようといふのではない。恆存の脚色について語るつもりもない。で、早速抜粋――その一。

芥川 ポルフィーリーは原作でも脚色でもそうですけれども、三十五六くらいの男でしょう。ところが、読んでみると、かなり……。
福田 ふけて感ずる。
芥川 ええ、成熟した人間を感じるでしょう。
福田 それはシェイクスピア劇をやるときもそうなんだけれども、日本でも戦前と戦後では違うので、江戸時代なら四十といえば御隠居です。明治時代でも四十といえば成熟した年代でしょう。
芥川 だから時代によって成熟する年齢がずいぶん違うということはありましょうね。
福田 それは一つの文化というものが、よかれあしかれ型をもって成熟している時代には、悪くいえば早くふけやすいし、よくいえば早く大人になれるということでしょう。型がないと、いつまでたってもお小大人にならない、貫禄がつかない。戦後のわれわれの時代というものはそうだし、四十になっても、まだ鼻たれ小僧ということがあると思うのです。「罪と罰」が書かれた一八六〇年代、そのころの三十五六といったら、おそらくその人がいま突然現れてくれば、ずいぶんふけて見える。四十五六に見えるのじゃないかという感じがしますね。≫

 これにはちよつとショックだつた、驚いた。ポルフィーリイーは五十から六十の男だと私は思ひ込んでゐたのだ。私の同僚や友人で三十代半ばの方たちの顔を思ひ浮かべて慄然といふと大げさ、不謹慎で失礼かもしれないが噴き出しかけた。私のイメージではその方々が主人公の青年ラスコーリニコフであつても少しもをかしくないのだから。

 そのくらゐに私たちの世代(時代)は成熟が遅い、成長が遅いといふことか。「型がない」、これは重要な指摘。日々の暮らしの中で、父親が取るべき態度、佇まひが失はれ、公共の場で個人が節度を守るといふ嘗ては間違ひなく存在した礼節といふ「型」が崩れ去り、そのことを誰も一顧だにしない。さう、「顧みる」こと自体が生きる上での大いなる「型」ではないか。

 自由尊重、個性尊重、何でも平等の戦後といふ時間が壊したのは、この社会の枠であり型なのだ。

 私は自分だけ例外視してゐるのではない。自分をこそ外側から眺めての一種の嫌悪に近い観察である。還暦を過ぎ、それ相応の経験も積んできたはずの人間が、どうやら一回りも若く見られてしまふこと、俗に言へば年齢八掛け説は事実だといふこと、それが厭になる。周囲を見回しても年相応の顔など滅多にお目に掛かれるものではない。

 具体的にいふと差し障りがあらうが、周囲にゐる五十代半ばの知人を見てもかなりの割合で八掛けが相応しい方が多い。四十代までが八掛け、三十代は七掛け、二十代になるともはや六掛けと言へる。二年ほど前、どこかで齋藤環が言つてゐた、今の大学生は十二三歳くらゐだと。それは私が教育現場にゐて実感してゐたことに符合する。大学の二年でも中学生としか思へぬ表情と知能・知識。日常の起ち居振る舞ひもそんなものである。

 「型」といふ言葉でなくてもよからう。社会や生活にはルールがあるのだといふ教育を戦後の私達は放棄した。そのことを意識してゐる政治家に私は未来の日本を託したい。あるいはかういふことも言へる。震災の時に被災者が見せた振舞ひにこそ型があるといふこと、そして、あの時以来、多くの国民が意識するとしないとに関らず気がついたのが、自衛隊や警察のやうな組織こそ「型」がなくては行動できず、「型」があればこそ、その型が要求するルールに従つて人間は整然とした行動が取れるといふことではないか。
 
 それは、もしかしたら、己を律するといふやうなマンネリ化した言葉でこそ表現可能なのかもしれない。他者の前で自己を滅する、自分は一歩退く、さういふ心構へが自ずと日常生活の型を生み出して行くのではあるまいか。

抜粋――その二。これは菊田一男との「甘い芝居と辛い芝居」というふ昭和四十二年の対談から。商業演劇とそれに対してのアヴァンギャルドとしての新劇の話題になり――

福田 ……そういうふうに商業演劇が非常に甘くなっていますから、それに対応してアヴァンギャルドである新劇も甘くなっちゃうんですよ。向う(例えば英国=逸注記)だったら商業演劇が非常に辛いから、たとえばその結果として非常に低俗なものができても、それに対抗するアヴァンギャルドは徹底的にいこうということができるんですよ。日本では違う意味で甘くなっているし、なれ合いで甘くなっているから商業道徳も守れないという形になっていて、いまに私は商業演劇とアヴァンギャルドの線がだんだんあいまいになっていくだろうと思いますね。それがどちらかにプラスになっていけばいいのだけれども、両方にマイナスになる可能性がなくはない。≫

 これについては語る言葉もない。時代は恆存の予測をはるかに超えて進んでしまつてゐる。いいかわるいかの判断は措くとしても、昨今の演劇界は新劇はとうの昔に死語となり、この対談の行はれたころには既に新劇に対するアヴァンギャルドすら産まれてゐた。そして、今や、「ジャンルを超えて」などといふ言葉は宣伝用の惹句にすらなり得ない。クロスオーバーといふ言葉も既に古い。そして商業演劇も新劇もその後の前衛たるべき小劇場の人々も、「あいまい」のごた混ぜ、すべてはメディアを媒体とした「人気」といふ「価値」の奴隷になり下がつてゐる。ここには舞台成果も演技術も問はれぬ世界が出現してゐる。それが現今の芸能の世界だとだけ、今は書いておく。

抜粋――その三。国語問題について。私がこのブログだけは正仮名を使つてゐることはお気づきだらう。(正仮名は横書きに馴染まない、日本語は横書きに馴染まない。)その正仮名正漢字をぶち壊した戦後の国語改悪に話題が及んだ、「ウェルメイド・プレイ讃」といふ山内登美雄との対談から、短い引用。

福田 僕はまあ国語問題でももう絶望的ですね。もうどうにもならない、人間というのは一度易きについら――下り坂に一度かかったら、もう一度上がろうという気にはならないものですよ。個人的にはたまたまそういうのがあるけれど、一つの民族なり国民なりが一致してそういう気持ちになろうということはあり得ない。それがあるとすれば非常に望ましからざる危機がきたときですね。外敵にせめられるとか、クーデターが起きるとか、そんなことでもない限りはそういうことはおき得ないのですね。≫

 ここで、私は「決定的」に恆存と「袂を別つ」。なぜなら、私にはさういふ「危機」を「望ましからざる」と表現する気はさらさらない。もはや、さういふ危機しか、当てには出来ぬご時世だと言わざるを得ない。どの政治家に何を期待せよと言ふのか。

 付記。英国滞在記といふか向かふで考へたことと、文楽の補助金問題など、この後、書きたいと思つてゐる。仕事の合間を縫つて何とかしたい。
 以上、誤記変換ミス多謝。
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by dokudankoji | 2012-07-18 22:35 | 雑感
2012年 07月 02日

民主分裂? 保守政界の再編を

 民主の分裂、まずはめでたい?(以下フェース・ブックへの書き込みを修正して) 

 が――
 かういふことに頼らなければ、日本の政治が変らないのなら​、私は限りなく憂鬱な気持ちになる。例へば自民党にしても何ら自​浄作用がない。自ら変つていく器量も度量も、あくどさもない。

 そして、今、民主の分裂を歓迎してゐる殆どの人間が、かつて「​政権交代」に踊らされた人々なのだ。いづれ、「維新の会」に踊ら​される人々なのだ。これは公言しておく。政治家がポピュリズムの​手法を使うのが先ではなく、民衆がポピュリズムを歓迎するのが先​である。

 それは、テレビで、バラエティー番組が流行るのと、実は根つ子​が繋がつてゐる。そこのところを押さへておかなくてはいけない。​さういふ人間観察が出来ない人々の言説を私は信じないし、さうい​ふ人々が民主の分裂を喜んでゐても、私は一緒に喜ぶつもりはない​。遡れば、「郵政民営化」に浮かれた人々と私は行動を共にする気​もなければ、その人々が何を言つても信ずる気もない。

 日本の低迷はまだまだ続く。

 自民党よ、まず9月の総裁選で頭を​すげ替えるべし。受け皿が維新の会や右往左往の石原新党では何も​起こりはしない。真の保守政界再編を求める。

 以上、覚書程度にしたためたが、英仏を見て歩いての、殊に英国演劇界のことを書かうと思ひながら、旅行の整理片付けが済んだと思つたら、恆存対談集の最終巻のゲラが届いてゐる。この冒頭の対談が矢内原伊作との110ページに及ぶ討論、昭和24年のものである。これが思想(哲学)文学政治人生と切り結んで、たがいひに交はらぬ議論を辛抱強く、延々と続ける。編集のこちらが疲れる。「前言」で恆存が互いに妥協やおざなりの相槌なしで行きたいと宣言してゐるのもいい。これは9月発売だが、第6巻がもうぢき書店に並ぶ。
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by dokudankoji | 2012-07-02 14:45 | 雑感
2012年 06月 11日

申し訳なし

 ロンドンで芝居を観まくつて、エリザベス女王の御在位六十周年記念行事を眺めにうろうろしたり、パリやパリ郊外に足を延ばしたりしてゐるが、その間、自分で記録を書く以外はフェースブックにちょこちょこ写真をアップして意る程度で、寝不足の過密スケジュールをこなしてゐる。

 そんな状態で、ロンドン便りも書けず気が引ける。イギリスの芝居は概して低調、すべて見られたわけではないが、こちらで人気がある舞台でも新作に、これはといふ物がない。かへつてリバイバルで上演されてゐる八十年代以前のものにいい舞台が多い。結局戯曲がしつかりしてゐなければ、ダメといふことと、最近見るべき若い俳優が出てきてゐないといふこと。

 中で、気を吐いてゐるのがRADA(王立演劇アカデミー)出身の女優Eve Best。この役者、いずれ歳をとつたらDameの称号もらうだらう。「モルフィ侯爵夫人」といふシェイクスピアより少し後のウェブスターの作品で主人公を演じてゐたが、絶品。その舞台については、演出、照明、衣装、美術、ステージング、ムーヴメント、どれをとつても素晴らしかつた。十数本観て、絶賛できるのが二,三本。これはロンドンの舞台としては最悪の状況と私は考へてゐる。

 さて、現在パリ時間夜八時過ぎ。夕食に出なければならないので、ここまで。パリは夏時間のせいもあり、10時過ぎて日が暮れる。ついうかうか時間を過ごしてしまふ。

 誤字脱字、そのまま失礼。
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by dokudankoji | 2012-06-11 03:12 | 雑感
2012年 05月 25日

六年ぶりに英国へ

 二十六日から英国へ行く。主にロンドンで芝居見物。結局ナショナル・シアター通ひのやうなもので、ウェスト・エンドの惨状は目を覆ふべき状況。行く前から分かつてしまふといふのも、変な話だと思はれるかもしれないが、ネットで調べただけで分かる。

 一言でいへば、エンターテイメント(にもならぬレベル)ばかりで、音楽入りパフォーマンス程度のものだらけ、せいぜいがミュージカル。大抵はつまらない。それに、ミュージカルは芝居ではない。全くジャンルが違ふとだけ申し上げておく。それを嘗ての「劇場街」のいはば老舗の劇場が上演してゐる。といふより、かつての劇場がやつて行けなくなつて、経営者が変つたりした挙句のことではあるが、それにしても、凄まじい。

 期待してゐるのがほぼ二三作品といふのも淋しい。その筆頭はギリシャ悲劇、「アンティゴーヌ」。どういふ演出をするか興味津々である。といふのも、今まで何度か上演の可能性を探つては挫折してきただけに、楽しみな舞台なのだ。その次がオリヴィエ賞受賞の女優が主役を演ずる「モルフィ侯爵夫人」。作品としては余り優れてゐるとは言へないが、主役のEve Bestが評判、それを見るのが眼目。

 後は、デヴィッド・スーシェ(テレビ・ドラマのポワロ役でご存じでは?)が主役を演ずるユージン・オニールの「夜への長い旅路」くらゐのものである。十数本観る中で、それだけと言ふのは……。新作については、何ともいへぬが、売り切れでチケットが取れなかつた三作品が、逃がした魚のやうに大きく見える。一作は当日券を狙つて並ぶつもり。今までの経験でいへば、新作で評判が良くても日本人の眼には退屈だつたり、余りにイギリス的だつたりする。期待しない時の方が、却つていい舞台にお目に掛れるやうな気がするのは僻目だらうか。

 シェイクスピアについては、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのものはもはや見る気も起らない。観光客目当て。ナショナル・シアターと双璧をなしてゐた時代が懐かしい。といふか、四十年前はダントツの舞台を毎晩見せてくれたものである。今昔の感。あるいは私が歳を取つたと言ふことか。いやいや、ナショナル・シアターの新しさ、現代的な感覚には敵はない。オールド・ファッションともいふべき舞台。さういふ批判が大きくなつてのことかどうか知らぬが、今年あたりは、やたらに新しがつて現代服の「十二夜」だとか、アフリカの現代の不穏を描いた「ジュリアス・シーザー」とか、付き合ふ気にもならない。シーザーが白人で、ブルータスやキャシアスが黒人といふ設定そのものに付いていく気が起こらない。拒否。この種のことが日本にゐながら全て分かつてしまふ、ネット社会の味気なさを、この準備の一月ほどで嫌といふほど味ははされてゐる。

 以上、行く前にロンドンの演劇界のご報告!? 

 渡英後、ロンドン便りの一つも書きたいが、多分、ホテルにゐる時間もあまりないやうな気がする。時間がある時は、数日後に観劇を予定した新作を予め読む作業に追はれてゐさうである。全てではないが、新作はなるべく読んでから観るやうにしてゐる。

 フェイス・ブックには短い報告を書くかもしれないが、これも約束できない。舞台の感想など面白くもないだらうから、滞在中丁度ぶつかつてしまふ、エリザベス女王のDiamond Jubileeのイヴェント見物の写真でもアップしておかうか。それも甚だ怪しい、といふ無責任なメモを残しておく。

 現代演劇協会の秋の公演はホームページをご覧頂きたい。漸くスタッフ、キャスト共に固まる。これに、一年以上掛つた。震災の余波もあつたのではあるが、昨年来、恆存の戯曲を今時やることの難しさを痛感してゐる。以上、全く中身もなく宣伝にもならぬ内容だが、出国前にとりあへずのご挨拶まで。
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by dokudankoji | 2012-05-25 00:27 | 雑感
2012年 04月 23日

明治天皇観漁記念碑~その2

 一月に数葉の写真と共にかういふ記事を書いた。まづご覧いただきたい。明治天皇が江戸にお上り(お下り!?)の途次、大磯の海辺で漁師たちの仕事をご覧になられた経緯を記した記念碑。
最近訪れた折に写した写真を載せる。
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 緑が美しい季節だが、この通り、既にススキが繁り始め、荒れ果てた姿を晒してゐる。そして、ススキが秋にどれほど美しい風情を見せてくれようとも、「雑草」としての逞しさはこの通り凄まじいものがある。以下、四枚、台座の石組を破壊し敷石を持ちあげる、その逞しさには美しさなぞ微塵もない。
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 ところが、ふと気が付いたのだが、一枚目の写真をよく見て頂きたい、明らかに人が掘り起こしススキを根こそぎ取り除いた跡が窺へる。以前にはこんなことはなかつた。また、専門の造園業者や重機を入れての作業だつたら、もつと徹底してやるはずだ。しかも、
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 記念碑から少し離れた場所には、明らかに人が他の樹の根を残して、ススキだけ取り除いたと思はれる一角があるのだ。これには参つた。どなたか分からぬが、恐らくは大磯の住人が少しでもと、手入れをし始めたのではと推察する。黙つて一株のススキを抜くことの方が、かうしてブログなどを書くことより大事に思へてくる。尤も、私が一月に書いた記事が切つ掛けになつて、どなたかが「蟷螂の斧」と思ひつつ除草したのなら、ブログの意味もあつたのかもしれない。

 あちこちに手を広げ過ぎの私にどれ程の時間が取れるか、偉さうなことは言へぬが時間を見つけて、一株でも二株でも、ススキの根を私も抜かう。五月の晴れた日、自宅にゐたら、一日でも二日でも鍬とスコップを担いで王城山に登らう。と、心に決めた私だが、在宅の日で晴れる日がどれほどあるか、あつてもすぐメゲル自分への戒めのつもりで、以上記しておく、タイトルも備忘録なのだから。

 なほ、この記念碑は前に書いた通り安田善次郎が建てたものだが、恐らくこの山の南側はいまでも所有は変つてゐないのではないかと思はれる。記念碑のある頂上へ至る道のところどころに地蔵や布袋様等があるが、これらも安田家が建立したものと私は推測してゐる。一年に一度旧安田邸として公開される別荘は、私たちが子供のころ、当時の富士銀行の寮として海水浴に来る行員(?)の保養所として使用されてゐた。

 今ではいかめしく門を閉ざし、少しでも無断で入らうものなら守衛(?)だか管理人だかに咎められる。以前は、正倉院を模した校倉造の倉のほとりの桜を楽しみ、池で蛙の卵やお玉杓子を捕まへて楽しんだし、内門と外門の間は殆ど子供の遊び場と化してゐた。小学生の頃ちよつとしたソフトボールをした記憶もある。

 私の記憶はさておき、町の観光協会にでも聞けば山の所有者や管理者も分かるのだらうか。管理が町だつたら、はつきり言つて絶望的。わが日本国と同じ、増税しても歳入歳出の帳尻が合はないこと、火を見るより明らか。また、文化や歴史には全くの興味も理解もないこともこの国と同じであることは保証しておく。大磯町の町長・町議・お役人、このブログ読みなさい! で――先程からこの駄文を書きながら、明治安田生命や町のホームページを見たりしてゐるのだが、今のところ管理等については全く分からない。町に聞く気も起らないといふのが一町民の正直な感想。自然を守るなぞと人聞きのいい団体はあるが、ご覧のとおりの体たらく、私は信頼してゐない。

 と、イカッテみたところで、面白いブログや(とんでもない)写真を見つけた。絵葉書のやうだが、まづはこの写真を。
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 大げさだが少々ショックを受けてゐる。記念碑の前には私の記憶にある限り、つまりおよそ六十年近く、東屋もベンチもなかつた。こんなに広々としてもゐなかつた。おそらく樹木が生い繁る前だつたことと、それこそ手入れが行き届いてゐたからだらう。

 大正時代の絵葉書だらうか。今に時間をスライドして考へるとよく分かる気がする。平成の時代に先帝・昭和天皇の行幸の碑があつたら、幾らなんでも、例へ大磯町の如き人非人ならぬ町非町であつても、もうすこし手入れをしてゐるだらう。といふことは、昭和記念公園も何も、あと百年もすれば……さうは考へたくはない。

 それにしても、碑を囲む石柵がどうであつたか、私の写真と見比べて頂ければ、私が二度もこのことを話題にしたくなる気持ちも分かつて頂けようといふもの。

 この絵葉書(小千畳と書いてある)を載せてゐるブログは「言葉に恋して 温故知新。」。いいブログを見つけた。もう一つ、寝ぼけてゐても歩ける私の散歩道を「命からがら」下つた方の記事がこちら。大分悪い印象をこの方はお持ちのやうだが、頂上への直近のルートを登らず別の自動車も通るルートを登つて、直近ルートを下らうとすると、これは道が段々狭く険しくなる印象には違ひなく、命からがらと言う不安な気持ちも分かる気がする。しかし、高々百メートルもない山なのだがな。(山で遭難したら、降らずに登れといふ、いはば鉄則がある、山が深ければ深いほど下り出したらどこへ向かふか分からないが、登れば必ず尾根筋や山頂に出る、そこには必ず人の通る道があるはず~エベレストなどもこの範疇かどうかは自己責任でどうぞ。)

 う~む。この二つのブログ等々を見ては明日にでも鍬とスコップを持つて……いやいや、明日は、幸か不幸か一日雨とのこと……。明後日は関西方面に出張つてゐるし……。
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by dokudankoji | 2012-04-23 00:52 | 雑感


    


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