福田 逸の備忘録―独断と偏見

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2005年 06月 04日

再説、靖国と小泉

 河野洋平が(中曽根には断られながら)元首相経験者を集めて馬鹿なことをした。最近の日中・日韓関係の悪化は見過ごすことの出来ないものであり、その大きな原因に小泉の参拝があると言つたとか。いつになつたら、この男の目は醒めるのか。
 あなただらうが、「従軍慰安婦」の元凶は。あれは宮沢が総理の時、官房長官の立場で、何の証拠もないのに、「強制連行」を認める談話を発表した。後に、当時の官房副長官石原信夫氏が、なんら根拠となる資料もないことを証言したが、時既に遅し、以来10年余り、今日に及ぶまで「従軍慰安婦」は一人歩きを続けてゐる。これを売国奴と呼ばずして何と呼ぶ。
 万死に値する男が、責任を取つて議員辞職どころか、議長席に収まりかへつてゐるわけだ。

 そこへもつて来て、2日の衆院予算委で小泉がまたもや、とんでもない発言をしてくれた。靖国参拝は(小泉個人の)心情から発する問題で他国の干渉すべき問題ではなく、「心の問題だ」と述べたと言ふ。

 何をとち狂つてゐる。靖国参拝は個人の問題ではなく、小泉よ、首相である限り、公的な問題であり、国家の問題ではないか。小泉個人の心などといふ、どこにどうあるのか分かりもせぬ、曖昧なぼやけた(ふやけた)問題ではない。既に腰が引けてゐる。既に自己弁護を始めてゐる。支那にケチを付けられた時、「個人の心の問題だ、一国の総理とか何とかといふことではないんですよ」と弁解するための布石以外の何ものでもなからうが。見へ透いたことを言ふものではない。

 しかも、それに加へて、民主の岡田の質問に乗せられて「A級戦犯」を戦争犯罪人だと認識してゐると宣ひ、しかもA級戦犯のために参拝してゐるのではないとまで言ひ放ち、ここでも早手回しの逃げを打つてゐる。「私は個人として、心ならずも戦場に散り、無念の思ひをされた方々に参つてゐるのです」とでも言ふつもりだらう。恥ずかしくないか。
 一国の首相としての責務を放棄してはゐやしないか。

 第一の責務放棄。
 東京裁判をどう認識するか、「戦犯」(B・C級も含め)をどう認識するか。前にも書いた。東京裁判は戦勝国側の復讐劇に過ぎず、しかも事後法により裁かれたものであり、それを我が国民が理不尽と思つたからこそ、主権回復後、服役中の「戦犯」は正当に釈放され、あらゆる意味で名誉回復が行はれた。不当にも処刑されたといふのが、当時の国会および国民全般の認識だつた。従つて、現代の我々が彼ら英霊を「犯罪人」呼ばはりするのは、彼らを改めて日本人の手で断罪することであり、名誉毀損以外のなにものでもない。
 私の、心ならぬ胸中の不快感は、もはや限界、小泉の愚かしさには言葉もない。

 第二の責務の放棄。
 首相たるもの、自国(祖国)の歴史と言ひ分をはつきりと海外に発信しなくてはならぬ、例をあげる――サンフランシスコ講和条約11条により我が日本国は「刑の受諾を」したのであり、それ以上でも以下でもないこと。戦犯は昭和30年7月30日の衆院本会議における「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」によつて戦犯問題に決着をつけた、つまり、その名誉を回復したこと。「A級戦犯」とは、従つて連合国側の押し付けに過ぎず、さう呼ばれる英霊を如何に祀らうと、これは極めて他国の干渉を許すべからざる問題であること。それぞれの文明が育んだ宗教観や風習があり、我が国には墓は寺院にありながら神社に詣で祖霊に祈るといふ、世界でも他に類のない宗教観を有するといふこと、分祀・分霊しても御霊は元の神社に残ること、等々。
 丁寧に説明し、支那にも韓国にもとくと分からせてやるのが、首相の義務だらうが。
 
 ところで、神社信仰と言ふものは、世界の三大仏教に見られるやうな教義・経典もなければ教祖も存在しない。誤解を恐れずに言へば、「宗教」ではない。いや、「宗教」を「超越」すらした、より広大無辺のものと言つてもよい。神社に付き物の鎮守の森、その醸し出す雰囲気――これらを考へると、仏教にせよキリスト教にせよ、その寺院に祖先の墓を訪れた時と比較すると、我々の心構へが違ふ次元にあるとは思へないか。いはゆる「宗教」と呼ばれるものとは全く趣が違ふとは言へまいか。いはば、我々を守つてくれてゐる祖霊や大自然への謙虚・尊崇・敬虔、そして清らかに済んだ心持。さういつたものが神社信仰の最大公約数ではあるまいか。
 殊に靖国神社は、明治維新以来の国難に殉じた人々を祀つてゐる。その点がかへつて事を複雑化してゐるのだらうが、その点にこそ、我々現代人が社頭に立つて、心静かに感謝の念を捧げ額づくべき理由があるのだ。我々の祖父たちが家族や国の未来を思つて散つたことの誠を敬はずして、どうするといふのか。そこにAもBもありはしない。みな、等し並に敬はれてしかるべきではないか。

 いづれにしても、一国の首相は自国の文化・文明を他国に身をもつて体現し紹介する役割も担つてゐる。小泉は既に保身に腐心してゐる。さもなければ、A級戦犯のために参拝してゐる訳ではない、などといふ姑息で侮蔑的発言はしないはずだ。少なくとも今までは、この種の発言は小泉にはなかつたと記憶するが。

 個人の心の問題に矮小化し、「A級戦犯」のためではないと、まさに心の中で早々と分祀してしまつた小泉は、いはば支那相手の土俵の徳俵まで自ら引き下がつてしまつたやうなものだ。それもこれも、自民の与謝野・山拓・中曽根、その他の包囲網のなせるわざ、必死で弁明にこれ努める態たらくと言はれてもしかたあるまい。
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by dokudankoji | 2005-06-04 03:42 | 雑感


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