福田 逸の備忘録―独断と偏見

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2007年 09月 19日

クローデルに顔向けできない

 部屋の片づけをしてゐたら、A4版のコピーが出てきた。どこで手に入れたのか、どういふ経緯で手元に残つたのか覚えがない。高名な仏文学者市原豊太の自筆(と思はれる)コピーなのだが、何らかの集まりで配られたものであらうか。ただし、私自身は市原豊太の話を聞いた記憶はないので、誰かからコピーのみを渡されたのかもしれない。以下、そのまま写す(原文正漢字)。

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 二十世紀フランスの文学界に於いてポール・ヴァレリー(一八七一~一九四五)と並んで最高の詩人・劇作家として仰がれたポール・クローデル(一八六八~一九五五)は外交官としても有名で、一九二〇~一九二六に亙ってフランス大使として日本に駐在した。彼は日本についていろいろ書いてゐるが、その中に次の如き記述がある。
 「日本人の最大の特質は、自分の周囲に、自分達の到底及び得ぬ尊敬すべきものが常に存在するといふ感情を持つてゐることである。それは古い樹に神聖な標縄が張られてゐるやうなことにもあらはれ、言葉にもあらはれてゐる。云々。」大正天皇の御葬儀に列した彼はその神秘性を殊に深く感じた。
 昭和十八年秋、パリの或る夜会で、前出のポール・ヴァレリーと同席したクローデルは日本の前途を危惧しつつ次のやうに語つた。
 「私がどうしても滅びさせたくない一民族がある、それは日本人だ。彼らほど太古からの興味ある文化を持つ民族を私は他に知らない。彼らの近代の大発展を私は少しも不思議と思はない。彼らは貧乏である、併し高貴な民族だ」                    市原 豊太
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 このクローデルの言葉、どこかで目にした事があるといふ方もいらつしやるのではないかと思ふが、この一文に何の補足も必要あるまい。およそ八十年前の、我々の祖父母の代の日本人を上述の如く描写したフランス人がゐた。そして、上述の如く描写された一民族が、この地にゐたといふこと。

 八十年を経た今、「自分達の到底及び得ぬ尊敬すべきものが常に存在するといふ感情を持つてゐる」日本人が、どれ程ゐるのだらう。かかる謙遜や謙虚、そんなもの今の日本には薬にしたくてもない、と言つたら言ひ過ぎか。自分を超え人間を超えた存在への畏怖の念、父祖への尊崇、自国の過去=歴史への憧憬、さういふ穏やかで物静かな態度を日本人が失つて、半世紀余りが過ぎたといふことだ。

 「彼等は裕福である、併し下劣な民族だ」、今の我々をクローデルが知つたら、さう言ふのであらうか。下劣を愚劣と言ひ代へても、下卑たと言ひ代へても、それが今の私達には似付かはしいと言はざるを得ない、一人の例外もなく。慨嘆する他ない。
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by dokudankoji | 2007-09-19 01:39 | 雑感 | Trackback(1) | Comments(2)
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Tracked from 日比野庵 離れ at 2007-09-20 00:03
タイトル : 日本人の美意識 (本館:2007/06/15、19〜20..
1.日本人の美意識 「僕もたまに外国のひとと碁を打ったり、将棋を指したりする機会がある。そのやってみた感じでは、どうも外国人は部分観で損をしても、総合力を出す力を持っているように思う。同じくらいの技量の日本人... more
Commented at 2007-09-19 13:12 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 杢之助 at 2007-09-19 18:31 x
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog070.html
ポール・クローデルの他にも、上記記事のオリヴィエ・ジェルマントマ氏など日本文明への賞賛は多々あれど、今の我々には耳が痛いばかりで嘆息することしかりです。
道の歩き方すらなっていない、他人の事は考えないような利己的な人間ばかりで、「おてんとうさまがみている」なんて言葉も通じない。

せめて自分は一寸でもましな日本人になりたいのですが…日々努力。


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