2007年 09月 08日

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 matheux-naifさんはこのブログにコメントを下さつたり、時々メールを下さつたりする。
 矛盾した言ひ回しだが「面識のない知人」とでもいふ方である。八月二十二日にブッシュ大統領がカンザスシティで行つた演説について、といふより、そこに発してさらに普遍的な問題を提起したメールを下さつた。殊に後半の民主主義に関する考察は傾聴に値する。同じものをコメント欄に書き込んでくださつたが、より多くの方に読んで頂きたいので、こちらに移す。

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 いろいろと不思議なことが起きる昨今でもあり、感想を密かに dokudankoji さんに申上げたところ、折角だからコメント欄に投稿してはどうかとのお勧めをいただきました。旧聞ながら、一部を敷衍してお示し致します。dokudankoji 宛ての当初のものの他の部分についても、多少ともタイミングが合つた折にお示しできればと存じます。

 なかでも、先日の Bush 大統領の Veterans of Foreign Wars National Convention での演説には筆者は驚愕しました。さすがの朝日新聞も社説で疑義を述べ立てたほどです。

 Bush 大統領は間違ひなくアメリカのエスタブリッシュメントの第一級の成員です。困惑せざるを得ないことではありますが,むしろ、ここまで正直に言つてくれたからこそ非常によくわかつたといふべきことがいくつかあります。

 大統領が相手にしてゐた人たちは、かつてのアメリカ合衆国の海外戦争に従軍した人たちです(Normandy から Iwo Jima、Pusan、Khe Sahn ・・・Iraq と大統領も言つてゐます)。さういふ人たちが大体かういふ水準なのだらうといふことが推察されます。さうだとすると、先ごろの連邦下院での「慰安婦」決議に関連しての「日本側有志の方々」による新聞広告が、舌足らずといふか、むしろ見当が外れてゐて、所期の効果を挙げられなかつたといふ事情も察しが付きます。つまり、議員や選挙民の「予断」を構成してゐる部分に踏み込むことができてゐなかつたからです。

 予断の内容は、戦前の日本の体制は専制的であつて、人権を蹂躙し、国民を弾圧し、さういふ帰結として、好戦的であり、周辺を侵略し、しかも、真珠湾に不意打ちを掛けるやうな卑怯な国家であつた、Bush 大統領風に言へば、まさに、先ごろのフセイン体制下のイラクと同じやうな Evil(悪)であつたといふわけでせう。他方、大統領は現在の日本が代表的な民主主義国家であり、アメリカと価値観を共有する重要な同盟国だといふことも認識してゐるやうです。さうして,この変貌は米軍の占領統治が齎したものだと信じてゐるのでせう。この演説でも、イラクの占領政策がテロ対策や大量破壊兵器の秘匿対策とは別の、イラクの「民主化」といふ文脈で語られてをり、日本が例として引かれます。大統領にとつては,それはレトリックではなく、本気で信じてゐることだといふことがわかつたわけです。聴衆も大拍手ですし、かれらも本気で信じてゐるわけです。恐らく、ホンダ議員も、あるいは、クリントン候補もオバマ候補も、大筋としては、かういふスキームを信じ込んでゐるのではないでせうか。

 英連邦系のメディアの記事を眺めてゐると、多少陰影はあるやうですが、英連邦系でも、日本の近代史に関しては、大体かういふ風に整理されてゐるやうに思はれます。検証が必要なことですが、すべての「戦勝国」がかう理解してゐたわけではなかつたやうで、米国占領下の日本は、要するに外国勢力による占領下にあるわけだから、早晩レジスタンスが組織されてもをかしくないといふ観察をしてゐる国もあつたやうで、日本人は某国人と違つて大人しいからレジスタンスの蜂起までに五年は掛かるだらうと件の某国の外交官が言つてゐたといふ話を聞いたことがあります。

 朝日新聞ではありませんが、日本の民主主義が戦後の占領軍による恩恵であつたといふやうな誤解を払拭する努力が、何よりも、例の意見広告よりも、先行すべきなのですが、ここは、まさに、アメリカのエスタブリシュメントから一般大衆までが信じ込んでゐる「予断」と衝突します。その上、大統領の演説では、民主主義とはキリスト教的なものであるといふやうな了解さへ出て来ます。どうしたら、かういふ予断や了解を解きほぐせるのでせうか。

 日本がとるべき姿勢としては、根源をキリスト教的なものに求めなければならないといふ風な限定的な捉へ方を排した、民主主義についての理解や説明を(内外に)することが大事なことだと思ひます。民主主義とキリスト教とを密着させて把握することを公言するのは現在のアメリカの特徴かも知れませんが、これらはもともと別次元のものであつて本来何の関係もありません。したがつて、民主主義の説明にキリスト教を持ち出せば混乱するだけです。

 そもそも、統治といふことを考へてみますと、本来同格である人間が作る社会に、支配関係や秩序関係を構築し、かつ維持するといふことこそが、統治の本質だらうと思はれます。したがつて、統治行為とは、統治者,つまり、ある人間が同格である他の人間を従はせるといふことになりますが、さういふ行為が承認されるといふ正統性の根拠は何でせうか。人間を超越した「神」がゐれば、「神」に根拠を求めることができるでせう。しかし、「神」がゐなかつたら、あるいは、「神」が人間を超越してゐなかつたら、統治の正統性の根拠をどこに求めたらよいでせう。それは、統治される集団の意向そのものではないでせうか。統治者と被統治者が基本的に同じ集団に属してゐて、統治が非統治者の意向に反しない形で行はれ、かつ、さういふ統治が保障されるやうな機構があるといふことが、円滑な統治の条件であり、今日の「民主主義」は、まさに、かういふ構造をしてゐると思ひます。

 かう見た上で、日本の社会が実質的には古来から、この意味で、民主的といふべき特徴を備へてゐたことを丹念に説明することをしなければならないでせう。例へば、中世以降の統治者と被統治者の同質性とか、名目的な統治者の正統性の付与は歴史的なものではあつても実質的な統治は被統治者の意向を無視しては不可能であつたことなどから始めて、大正期に入ると、普通選挙もさうですが、民意による確認作業を経ることが要件になつてゐたとか、要するに、日本では、統治者には恣意性を発揮することができるやうな権限や習慣はない、と言つたやうな、もちろん、多少の例外はあつたわけですが、大体よく治まつてゐるときには、かうなつてゐた筈のことを丹念に説明することが大切だと思ひます。さうして、かういふ営みには、単に、現代のアメリカ人の誤解を日本の立場として解く必要があるから遂行するのに留まらない意義がありませう。つまり、かうして、日本やアメリカを超えた根幹的な「民主主義」といふものへの理解が深まるだらうし、「民主主義」にはいろいろな形があるなどと嘯く連中の居所も少なくなつて行くだらうといふわけです。
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by dokudankoji | 2007-09-08 18:32 | 雑感 | Trackback(1)
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