2007年 09月 05日

お報せ

 十日発売の『文藝春秋』十月号に、福田恆存が最後に書いた未発表原稿が掲載されます。なぜ、執筆時に発表しなかつたかは不明ですが、その当時の経緯や、今回この原稿が出てきた事情などを私が解説する形で掲載します。

 文藝春秋社版『福田恆存全集』第一巻の一刷から三刷までを買つた方への(読んだ方への?)父の詫び状と言へなくもありません。何やら思はせぶりですが、余り書いては掲載の意味がありませんので、悪しからず。以上宣伝兼お報せ。
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by dokudankoji | 2007-09-05 00:18 | 雑感 | Trackback | Comments(10)
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Commented by @Random at 2007-09-09 12:22 x
少し長くなりますが假名遣について書かせていただきます.もしコメントとして長すぎましたら,削除して結構です.また,これは8月24日のエントリーに対するコメントとするのが適当かと思ひますが,他のコメントが少ないここに書かせていただきます.
正假名遣は滅亡の淵にあります.使ふ人は減る一方であり,新聞社はもとより,出版社,官庁や教育関係者などが挙つて新假名主義になつてしまひ,正假名遣撲滅運動を展開してゐます.出版社は戦前の文書はいふに及ばず,漱石,鴎外の作品までせつせと新假名に書き直してゐますし,新聞や雑誌も,正假名遣での文章の発表をなかなか認めようとせず,国民は正假名遣を過去の遺物のごとく思はされ,今では正假名を使つて文章を書く人は相当勇気のある希少人種になつてしまひました.今論壇で正假名遣を実践してゐる人で一番若いのは遠藤浩一氏あたりかと思ひますがそれとてももう五十に達する年齢です.小説家では丸谷才一氏以外にゐるのでせうか.この状態は左翼進歩主義が瀰漫し,今回の参院選に見るやうな国民の劣化が顕著になつてゐる風潮と軌を一にするやうに思へて仕方がありません.
Commented by @Random at 2007-09-09 12:23 x
假名遣続き―――1
愚生は(老齢ですがそれでも)始めから戦後の新假名で育ち,假名遣などに関心を持つたのは高校生も終りのころです.そのきつかけは御多分に漏れず福田恆存(故人ですので敬称は略させていただきます)の国語表記に関する一連の文章,就中『私の国語教室』を読んだことでした.愚生はこれらを読んで始めて假名遣の問題に目覚めたのですが,実はそれだけでなく,福田恆存と言ふ人は愚性にものごとの基本的な考へ方のやうなものを教へてくれた人でもありました.
『私の国語教室』を読めば,戦後の国語改革なるものがいかに出たらめで矛盾だらけのものかがよく解ります(逆に言へば正假名遣がいかに合理的で美しいかがわかります).およそ文章を書くことを生業としてゐる人でこの本を読んだことのない人はゐないでせうし,読んだ以上はこの本が言つてゐることを正しい,と認めてゐる筈です.実際,この本の主張に有効な反撃がなされた,と言ふ話は寡聞にして知りません(最近西尾幹二氏が『私の国語教室』に叛旗を翻した,と宣言したさうですが,それをどう実行するか見ものです).
Commented by @Random at 2007-09-09 12:25 x
假名遣続き―――2
それなら,假名遣を元に戻さうと言ふ動きが出てきたかと言ふとそれはほとんどありませんでした.福田恆存自身,自分の主張が認められれば元に戻るのではと,少しは期待してゐたと思はれますが,その期待は裏切られたわけです.それどころか,当初福田の考へに賛同してゐた人たちまでが次々に新假名の軍門に下つてしまひました.最もあからさまな裏切りをしたのが新潮社です.『私の国語教室』は初め同社から出版され,その文庫版は定価が五十円でした.いかに今とは物価水準が違ふとは言へ,これは破格の値段です.愚生はそれを見て直観的に,採算を度外視して,この本を一人でも多くの人に読んで貰ひたいとする新潮社の意図と意気を感じたのですが.その後同社は『国語問題論争史』と言ふ本も出してをり,福田もこのやうな売れぬ本を出版してくれたことに対し新潮社に感謝すると言つてゐます.
Commented by @Random at 2007-09-09 12:29 x
假名遣続き―――3
しかし新潮社はその後急速に方針を変へます.上記の『国語教室』も『論争史』も絶版にし,新潮文庫の假名遣もせつせと新かなに置き換へ,最近では小林秀雄全集まで新假名遣にして出すありさまです.新潮文庫の表記変更がいかにひどいものかは最近出た萩野貞樹氏の『旧かなづかひで書く日本語』にある谷崎潤一郎の『盲目物語』の例でもよく分ります.この出版社には日本の文化の一翼を担ふと言ふ使命感が全くない.もちろんこのことはほとんどの出版社について言へますし,岩波書店などはさらに罪深い存在ですが.
福田恆存の弟子,あるいは少なくともその薫陶を受けた,と自称する人で正假名遣を守つてゐる人がどれだけゐるでせう.松原正氏位のものではないでせうか.
Commented by @Random at 2007-09-09 12:30 x
假名遣続き―――4
だいぶ前,福田恆存の生誕九十周年を記念する集りに参加させていただいた折,パネルディスカッションで坪内祐三氏が正假名遣について,自分も一時実施してゐたが,氏の嫌ひな人が使つてゐるのを見てコスプレのやうなものだと感じ,自分は使用をやめた,と言ふやうなことを言つてゐました.をかしな理屈ですが,その時はその場にゐた他のメンバーからは何の反論も出ませんでした.これは假名遣問題が置かれてゐる困難な状況を端的に表してゐます.つまり,正假名遣の実践には相当の羞恥心を伴ふと言ふ不可解な状況が出現してしまつたのです.
Commented by @Random at 2007-09-09 12:32 x
假名遣続き―――5
假名遣の問題は日本人の精神,およびそれと一体の日本の文化と言ふものが形をなくして流動化,あるいは劣化して行く有様を象徴してゐると言へるのではないでせうか.これを元に戻せるのであれば日本は未だ芯までは溶解してをらず必ず立ち直れると思ひます.もちろん假名遣は滔々たる劣化過程の単なる象徴なのですから,逆もまた真なり,とは言ひませんが.しかし,おそらく元には戻らないでせう.戻すには学者,作家,批評家,そして政治家と言つた人達が勇気を持つて,また結束して行動せねばならないのですが,福田恆存の弟子にすらそのやうな人がほとんどゐないのですから,無理でせう.そして老い先短い愚生は日本が立ち直る兆しも見ないまま死んで行くことになるのでせう.残念ですが.
(以上ですが,最初にも申しましたやうに長文でご迷惑でしたら削除してください)
Commented by dokudankoji at 2007-09-10 00:03
@Random様 お気遣ひなく。いはゆる通りすがりの無責任なコメントや、記事に無関係な内容、あるいは悪意の中傷ならともかく、真つ当な意見表明は、歓迎です。いはんや、正仮名遣ひの正統性を論ずるものを削除するつもりは全くございません。
Commented by キラーT細胞 at 2007-09-19 14:39 x
 >@Random様 
 遅すぎるレスを失礼致します。既に御承知かも知れませんが、坪内祐三氏は松原正先生の教へ子であり、『月曜評論』で弟子の愚行を松原先生が嘆き、叱責してをられましたね。
 「自分は日本文化の行く末に何の心配もしてゐない、ただ国語表記を変へようとする動きがある事だけが案じられてならない」と鴎外は申しましたが、彼が憂慮した悲惨な結果を現在の我々が目撃してゐる訳です。この冷厳な事実を後世の人々に伝へる義務が我々にはあるでせうが、憂鬱なのはその後世の日本人がもしかしたら存在しないかも知れない事です。私も腎臓を患ひ、透析を受けてをりますので、貴方と同様日本が再生する兆しすら見る事無く、國と共に滅びる運命にあると覚悟を決めてをります。
Commented by @Random at 2007-09-22 14:32 x
>キラーT細胞様
愚生のコメントに感想を寄せていただき,ありがたうございます.坪内氏と松原氏との関係及び『月曜評論』の件は存じませんでした.『月曜評論』と言ふ雑誌は本屋でも見かけたことがなく,今は廃刊あるいは休刊になつたと聞きました.それを継ぐはずの松原氏の『Web 柵』はもう二年近く更新なしです.松原氏も論壇から完全撤退と言ふことでせうか.
坪内氏のコスプレ云々は全くをかしな理屈で,自分が嫌いな人間が英語が得意でそれをひけらかすのが腹立たしいので英語の勉強を止めた,と言ふのと同じですが,それ以上にあの会の主催者や故人に対して失礼な,あるいは心ない言動でした.
しかし,氏が正假名遣を捨てたことの根底に一種の羞恥心があつたことは事実であらうと思ひます.実はその気持ち自体はよく解るのです.愚生も知人に正假名で書いた文章を見せるのはかなり勇気が要りますから.
Commented by @Random at 2007-09-22 14:34 x
承前
また,羞恥心とともに,一旦新假名の大勢に従つてしまつたあと,遅ればせに正假名に戻ることには屈辱感が伴ふ,と言ふこともあるかと思ひます.その典型が故江藤淳の場合です.昔江藤淳は新聞紙上で丸谷才一氏の『日本語のために』と言ふ本を取り上げ,散々にけなしました.この本内容の多くは国語表記の問題に割かれてゐます.これを読み,愚生はてつきり江藤淳は新假名主義の急先鋒なのであらうと思ひました.実際江藤淳はすべての著作を新假名遣で書いてゐます.ところがある人が,江藤は常々歴史的假名遣の大切さを力説してゐた,と書いてゐるのを見て一驚するとともになるほどさう言ふことか,と納得しました.江藤にすればこの問題で丸谷如きの後を追ふやうな屈辱的なことは金輪際できない,と言ふ鬱屈した気持ちがあつて,あのやうなえげつない批評になつたのであらうと思ひます.
羞恥心と言ひ,屈辱感と言ひ,これを個人が克服することは容易ではありません.誰かこのやうな負の感情を一気に解消する上手い仕掛けを考へてくれる人はゐないのか,と思ふのですが,まあ無理なのでせう.


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