福田 逸の備忘録―独断と偏見

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2006年 09月 29日

言葉について(一)

 さる知人から最近流行のミクシィに招待され、数人のサイトを毎日のやうに訪れてゐる。そこで話題になつてゐて私もコメントしたことをこちらに書く。問題は言葉である。言葉の誤用についてである。が、そこにも書いたのだが、他人の言葉の誤用を批判もしくは指摘しただけでも、それはブーメランの如く、ある日自分の頭に振り掛かつて来る。安易に人の言葉遣ひを揶揄したりしない方が身の安全と言へるかもしれない。それでも、気になるものは気になる。ブーメランを恐れず、幾つか書いてみる。

 「させていただく」
 この言ひ方自体使ふべき状況はあり得るし、これだけでは間違ひとは言へまい。が、この言ひ回しを連発すると耳障りなものともなりかねない。ある集まりの議長役が集まりの度に、「させていただく」を連発して二年余りうんざりさせられたことがある。議長役と呼んだのは差し障りを考へてのことだが、要はその集まりの長たる人物であり、その立場から「させていただく」を連発されて、こちらは何やら莫迦にされたやうな気持ちになつた。丁寧すぎる敬語や謙譲語は時に慇懃無礼になる。実はこちらに対し何の敬意も払つてゐないのではないかと勘繰りたくもなる。さもなければ、まともな敬語も使へず、取敢へずは何でも「させていただいて」おけば無難とでも思つてゐるのではないか、つまり、言葉に鈍感なのではないかと思はざるを得なかつた。

 これに輪を掛けて、酷い言ひ回しがJRの東海道線で聞く車内アナウンスである。「グリーン車と普通車の間のドアを、閉め切らさせていただきます」と来る。ご丁寧に敬語を使つた上に、いはゆる「さ入れ言葉」なのだ。この場合はせめて「閉め切らせていただきます」に、出来うれば敬語など使はず、単純に「閉め切ります」で十分ではないか。聞いてゐて不快極まりない。

 「させていただく」になぜ違和感を感ずるのか。これはおそらく、以下のやうな心理から来るものだらう。「させていただく」は、持ち上げた相手と自分との関係で考へると、「させて」の部分は相手に対して自分を低く置いてへりくだる行為を意味する。言ひ変へれば、相手の強制(許可)をこちらから喜んで受け入れる意味合ひを持つ。一方、「いただく」は自分の側が相手を持ち上げる。つまり両者は、相手→自分と、相手←自分といふ、相反する流れを一つにして、へりくだるのと持ち上げるのと、全く逆方向の行為を一度に表現してゐる、それゆゑに何やら慇懃無礼といふか耳に心地よくないのではないかと考へてゐる。これは国語学・国文法の専門家の意見も聞いてみたいところだ。

 ここまで書いたところで、テレビのニュースで甚だ良い例(悪しき例)に出くはした。「岐阜県裏金問題」に関するニュースで、四千余名の処分者を出し、県知事がかう言つてゐた。「…(職員の処分についても)厳しく対応させていただいた」と。典型的な「させていただく」例である。この場合、知事は誰に対する敬意を表したかつたのか。処分された者? それなら、敬意や謙譲の対象ではあるまい。県民? ならば、「対応いたしました」とでも言ふべきだ。

 おそらく、対象はマスコミであらう。ニュースを少し注意して聞いてみて頂きたい。国政に携はる政治家もこの種の「させていただく」を頻繁に使ふ。これは、記者会見などで、自分が国民や県民に奉仕「させていただいて」ゐる姿を見せたく、かつ、眼の前の記者連中を丁重に遇してゐることを示したいといふ心理が働き、意識的にか無意識にか腰を低くしようとした結果、何でもかでも「させていただいて」しまふのであらうと、私は推測してゐる。いづれにせよ、頻発すればするほど慇懃無礼に聞こえる言ひ回しであることをこころすべきではないか。


 「こだはる」 
 この言葉の使はれ方には「拘らず」にゐられない。多くの人、いや、今や殆どの人が誤つた使ひかたをしてゐる。いはく、「自分のやり方に拘りたい」「自分の感性に拘つていきたい」「皇統の継承はあくまで男系男子に拘りたいね」等々。いはば「拘る」を「大事にする」といつた意味合ひで使ふ人が実に多い。これは全くの誤り。むしろ逆の意味に使つてゐることになる。拘るを漢字の熟語にすれば拘泥とならう。泥に脚を取られる姿でも想像すればよからう。つまり、この言葉は、つまらぬことにケチを付けて文句などを言ひ立てたり、何か下らぬことに心が引掛かつたり、些細なことに気を取られたり、といつた意味なのだが。

 かういふ言葉遣ひに対する無神経は国語といふ、その民族の背骨たるものへの無神経に他ならない。こんな言ひ回しを平気でしてゐるやうでは、いはば骨粗鬆症で日本も近々崩壊するだらう。これを些細なことといふ御仁もゐるのかも知れぬが、私はその些細なことに飽くまで「拘らせていただく」。

 
 「とんでもございません」 
 これもやめて欲しい。といひながら、私自身つい口にしかねないので、偉さうなこともいへない。さはさりながら。「とんでもない」は形容詞で一語。「とんでもなければ」「とんでもなく」などと語尾変化するのであつて、「とんでもござなければ」「とんでもござなく」などといふのはとんでもなからう。

 「とんでもございません」や「とんでもありません」がをかしくないといふなら、「ございません」や「ありません」とは別に「とんでも」といふ語が独立して存在してゐることになる訳で、さうなると、「とんでもある」といふ言ひ方がその前提になくてはならない。この言ひ方がをかしいのはお分かり頂けよう。ついでに、「滅相もない」も「滅相もある」とは言はぬわけだから、「滅相もありません」「滅相もございません」も誤用だらう。


 「意表を突く」 
 反論もあらうが、私はこれも誤用だと考へてゐる。本来なら、「意表に出る」が正しい。「意表」の「表」は「おもて」つまり「外」をあらはし、「意表」とは「意外・思ひの外」の謂ひであり、「意表に出る」で「相手の予想外のところに姿を現す」と考へればよい。今ではこれも殆どの人が「意表を突く」と言つてゐると思はれるが、おそらく「不意を突く」との混用ではあるまいか。

 ただし、小学館の「日本国語大辞典」(第一版・昭和四十八年刊)には、「意表を突く」が「意表」の小見出しで出てゐる。この大辞典に楯突くのもいささか気が引けるのだが、この第一版の「意表を突く」にはどういふ訳か使用例が一つも出てゐない。「意表に出る」は小見出しのあとに、「相手が考えていないこと、予想外のことをする」と説明があり、数例の使用例も出てゐるのに、「意表を突く」は「予想外のことをしかける」と言ふ説明のみで使用例を一つも挙げてゐないのだ。

 憶測が過ぎると顰蹙を買ふことを恐れずに言ふが、おそらく、かなり以前からこの言ひ回しが多用されてゐて、無視できず小見出しで挙げたものの古い使用例が見当たらずに上のやうな説明のみとなつたのではあるまいか。これも国語学の専門家の意見を聞きたいものだ。また、「大辞典」の第二版で、どう変化してゐるか是非知りたいものである。多分、最近の使用例――古くても昭和以降か精々大正以降の例しか出て来ないのではあるまいか。

 この言ひ回しは今や慣用的になり、一人の例外なく「意表を突く」を使ふだらうが、私はあくまで「意表に出る」と言ふことにしてゐる。
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by dokudankoji | 2006-09-29 02:27 | 雑感 | Trackback | Comments(3)
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Commented by KYO at 2006-09-29 10:00 x
―「ない」にはたくさんの意味があり、その中の代表的なものでは 1.打ち消し 例)動かない  2.「ある」の反対、存在しない 例)問題がない そして、 3.程度を強める 例)切ない などの意味があると考えられます。3.の例の「切ない」は、「切」という言葉に“圧迫されてつらい”という意味があり、さらに「ない」がつくことでより程度が強められているのです。はじめの「せわしい」にも「ない」がつくことで程度が強まり、「せわしない」=“「せわしい」のが甚だしい→忙しい、落ち着きがない”という意味になるのです。他にも、「あっけない」(=張り合いがない)、「滅相もない」(=法外なさまを強調)、「きわまりない」(=この上ない)等が、同様に3.の『程度を強める「ない」』と、考えられます。―と、あるブログに記載がありました。「滅相な」が元々の用法かとは思いますが、程度を強める意味で「ない」がついたのだとすれば、「滅相もある」という言い方がないことが、「滅相もない」という言い方が誤用であることの証拠にはならないようです。
Commented by KYO at 2006-09-29 10:06 x
済みません、趣旨を取り違えていました。「滅相もない」が誤用であるとおっしゃっているわけではないのですね。お説のとおり、「滅相もありません」、「滅相もございません」は「ない」を否定の意味に解釈しているので誤用だと思います。
Commented by dokudankoji at 2006-09-29 18:01
KYO様 お気遣ひなく。「ない」の分類をして下さり、私が触れられなかつた、「せわしない」「切ない」などと「とんでもない」「滅相もない」との繋がりも分かりやすく、却つてありがたい限りです。


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