2005年 04月 26日

嗚呼、コイズミよ、君、死に給ふことなかれ・・・

 私の理解の範疇を超えてゐる――コイズミは痴呆症なのか。「お詫びと反省」。これで全ては終はつたのかもしれない。支那は永遠に歴史カードを切つてくるだらう。さうして、右に倣へ――いや、左に倣へして韓国も歴史カードを居丈高に切ることだらう。北朝鮮は言ふまでもない。
 そして、諸外国に対しては、我が国が外交の何たるかを知らぬといふ情けなき正体を、再びさらけ出してしまつたわけだ。外交ではなく、これからは我が国の外従とでも呼ばうか。
 
  北朝鮮に、いい加減な遺骨を持たされても、何一つ「詫びさせ」られないコイズミ、国旗を焼かれ、公館を破壊されても大使を引き上げるでもなければ、断交を宣するでもなく、「反省」を求めることすら出来ぬコイズミ。中国で起こつたことは反日デモではあるまい、反日暴動であらうが。(反日デモと報ずるマスコミの感性を私は疑ふ) せめて大使召還をなぜしなかつたのか。
 
 今回の暴動に対するコイズミの表情には、不安げで自信なさげな様子がありありと現れてゐる。いつにも増してさう見える。一国を代表する人物の顔ではない。

 そもそも、8月15日の最初の靖国参拝公約を果たし、前倒しさへしなかつたら、あそこで、踏み堪へる気概さへあつたなら、我々は今、韓国からも支那からも、畏怖と驚愕とを以つて遇されてゐたに違ひない。自らの言葉を自ら軽んずる人間が首相に納まつてゐる国家が、近隣諸国はいふまでもなく、欧米から対等に扱はれることなどあり得ようか、尊敬されることなどあり得ようか。

 考へてみれば、己が言葉を軽んずる愚かなる首相が、マスコミにコメントする時、自信に溢れた言辞をものすることなど出来ようはずもない。思へば、コイズミの言葉はいつも「自信に溢れた」が如き、威勢のよさに過ぎなかつた。空威張りに過ぎなかつた。

 そこへ持つてきて、山拓の当選である。外では支那と韓国に尻子玉を抜かれ、国内では公明の軍門に下つて恬として恥じない。
 さらには、「人権擁護法案」が如何に危険なものか、まるで分かつてゐないとしか思はれぬ能天気な応答。

嗚呼、コイズミよ、君、死に給ふことなかれ――細川の如く、河野の如く、宮沢の如く、村山の如く、いつまでも生き恥をさらすがいい、。
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by dokudankoji | 2005-04-26 02:26 | 雑感


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