2005年 10月 14日

常識を取り戻せ――子育てといふこと(二)

 承前 
 これらの「戯言」を実現するためには行政による指導も必要ならば、職場や同僚の意識改革も当然必要である。一度、女性の社会進出や就業態勢に関する思考、さらに家庭といふものに纏はる現代の常識をリセットすることだ。つまり「母親が赤子を育てる」「傍にゐてやる」のが当然と世間が考へる、さういふ社会に我が国の常識を戻すことが何より必要ではないか。

 そのためにも、まず「専業主婦」といふ言ひ方を止めよう。これは第一級の差別用語だ。主婦はあくまで「業」といふ言葉で呼ばれるべきものではない。子を産み育て慈しむ。我が国の次代を担ふ子供達を育てることが、どれほど立派な畏敬すべき、かつ困難な行為であるか、考へてもみてほしい。それに比べたら、私を含め、「社会」に出てゐる男共のしてゐる「仕事」なぞ、足元にも及ばぬ取るにたらぬものが殆どであらう、明日にも他の誰かが取つて替はれるものばかりだ。が、子にとつて母親はたつた一人しかゐない。さういふ主婦「業」・母親「業」が如何に崇高かつ重大なことか、とくと考へようではないか。

 二年ほど前、ゲームコーナーで一人遊んでゐた幼児が中学生に殺害された事件があつた。忘れつぽい日本人だが、あの事件は誰もが覚えてゐよう。両親の心中察するに余りある。愛児を無惨にも奪はれただけではない。魔がさしたのだらう、両親は「あの時息子を一人にさへしなければ」、心の中でさう叫び続けた二年余りに違ひない。そして、おそらく両親はこの思ひを一生背負ひ続けねばならないのだ。

 私はこの事件が起きた直後に聞いた、ある僧侶の「四つの離すな」といふ言葉が忘れられない――母親は赤子から肌を離すな、幼児から手を離すな、少年から目を離すな、青年から心を離すな――私の駄文など、どうでもよい。この至言、若人はよくよく噛み締めてほしい。


 附記1
 この原稿が載つた「明日への選択」が発行される数日前の産経新聞のコラムに、フランスの育児休暇の事情が出てゐた。フランスでは既に三年の育児休暇が法律で保証されてゐるとのこと。就職後一年以上勤務したら、育児休暇と育児手当てを要求できるさうで、三年の育児休暇なら、育児手当は最高で月に約7万円。ただし、ドビルパン首相は最近、この制度を改め、三人目の子供については育児休暇を一年に短縮、その代はり育児手当を月に約10万2千円にしたとのこと。

 同僚のフランス人の話では、知り合ひの女性で、一年の勤務の後、6年間育児休暇を取り、その間に3人の子供を産み育てたといふツハモノもゐるさうな。また、父親も育児休暇を取れるばかりか、両親が同時に取ることさへ出来、完全な休職かパートタイム勤務かも選択できるなど、少子化対策に必死な姿が窺える。その結果、1994年には1.6台だった出生率が1.9台に回復してゐるさうである。出生率1.3を切った我が国、やはり郵政民営化などより先にやることがありはしないか。

 附記2
 「明日への選択」の私のエッセイに対し、何人か知人友人からメールや葉書、あるいは直接のご意見を戴いた。これが甚だ興味深く、また私にとつて新たな発見でもあつたので報告する。

 大体、私の書いたことに賛成してくれた上ではあるが、全体が概ね二つの反応に分かれる。謂はば、世代間ギャップといへる。男女を問はず50代以上の方の反応は、「よくぞ書いてくれた」「胸がすつとした」といふもの。

 一方、40代前半から下、ことに若いお母さん達の反応は、かなり違ふ。戴いた反応の中で代表的なメールの一部をご紹介する。

 ――母親の大切さについては私もまったくその通りと思いながらも、先生の書かれたものを読みながら、昨日は色々と考えてしまいました。
 というのも、最近は母親が働いていないで子供のそばにいるにもかかわらず、子供が変な風に育っていくことが多いように思うからです。一連の凶悪事件に関しても、事件を起こしているのは、共働きの家の子供ではなく、むしろ母親が専業主婦の家や、祖父母同居の大家族の子供であったりします。
 そういうケースは何がいけないのか、と考えてみて思い当たるのは「父親の不在」です。一緒の家に住んでいても、子育てを母親にまかせきりの父親はいないも同然で、それはそれで母親がいないことと同じように大きな問題だと思います――

 といふものである。「父親の不在」については、いつか改めて書きたいと思つてゐるが、母親が傍にゐるのに、しかも祖父母まで同居してゐながら子供が崩壊して行くといふのには、暗澹たる思ひがする。父親は母親に子供のことを任せつぱなし、母親は共働きでもないのに、子供を構はない。

 要は、親の不在――祖父母を含めれば、保護者(大人)の不在といふことにならう。子育て・保育・教育、つまり「育」の放棄が始まつてゐるといふことだ。先のエッセイの終はりに書いた「四つの離すな」だが、要は子供を温かく包む家庭の必要をこの僧は説いたのだらう。ところが現実の社会では、両親・祖父母揃つて、子供のご機嫌でもとつてゐるのか、あるいは無関心から、傍にゐても見守ることすらしないといふわけか。だとすれば「家庭」が消え失せ始めてゐるといふことだ。

 そして、私の認識とは大いに違つて、今や共働きの夫婦の方がまともな子育てをしてゐるといふわけである。となれば、いよいよ、行政によるフランス並みの3年の育児休暇や育児手当を、我々は真剣に考へなくてはなるまい。赤子が幼児へと成長する時、母親はいふまでもなく、父親や祖父母、つまり「家族」が何時も傍にゐて肌を離さずに育むその温かみを、「三つ子の魂百まで」、それこそ子供は無意識に肌で感じ取つて育つに違ひない。

 長い附記になつた序だが、上のメールをくれた若い友人は、同時に家庭の中心であるはずの「食」の崩壊を大いに心配してゐた。子供の朝食がプリン1つだつたり、夕飯がレトルトのカレーや買つてきた弁当だつたり。そして食事のときの飲み物はDAKARAとかコーラとか甘いもの。さういふ家庭が偶々一つあつたといふのではなく、調査した(ご主人が清涼飲料関係のクライアントの仕事で調査した事があるとのこと)家庭のうちの何割かがさうであり、現代つ子たちが、パリパリとした揚げたての春巻きではなく、電子レンジで温めてシナーつとした春巻きの方を好むといふのも分かる気がするといふ。

 しかも、さういふ家庭の母親は働いてゐるわけではないらしい。母親の(家庭の、我が国の)崩壊と無責任、無能力ぶりを見聞きするにつけ、これから子供を育てていく世代として心配事は数限りないやうだ。そして、さういふ崩壊の時代を生み出してしまつたのは、他でもない私達団塊の世代より上の世代だといはざるを得ない。責任は重大である。
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by dokudankoji | 2005-10-14 02:12 | 雑感


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