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福田逸の備忘録――残日録縹渺

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2005年 09月 05日

三日御定法

 歌舞伎の上演でも古典の場合は、いふまでもなく演出(家)は要らない、存在しない。敢ていへば主役(座頭)が演出家といつてもよい。ところが明治以降に書かれた新歌舞伎、新作歌舞伎(「書き物」といふ呼び方もする)となるとさうも行かず、大抵の場合演出家をたてる。

 二日に歌舞伎座で初日を開けた岡本綺堂の『平家蟹』は、新歌舞伎ではあるが、初演以来の型が重んじられたのであらう、今まで演出家をたてなかつた。今回、大正元年の初演以来十六回目の上演にあたり、現代の観客の眼に耐えられるものにしたいといふ主演の中村芝翫の希望で、大幅な書き直し(補綴)が試みられ、それに伴ひ、全体の統一を図るために演出が必要となり、私にお鉢が回つて来た訳である。照明・音響効果・舞台の使ひ方などに少々工夫を凝らした。

 稽古そのものはそれほど時間を取られない。むしろ、稽古に入る前と、稽古中のスタッフによる打合せや試行錯誤が大変である。その打合せを経て、今回は、八月の夜の舞台がはねた後、夜の十時頃からテクニカルな実験することが二度あつたりもした。

 初日前日の舞台稽古は他の演目とのスケジュール上、一度しかやれぬため、神経をすり減らす思ひである。たつた一度の、本番と変はらぬ舞台稽古が進行する間に、役者の芝居へのダメはもとより、照明や音響の切つ掛け、明るさ・音響の絞り方、それらのテンポ、役者の衣装や鬘の違和、装置の些細な直し、その他ありとあらゆることを見落とさぬように神経を張り詰める。
 終ると頭は殆ど真綿状態になつてゐる。で、そのまま眠れもせぬので、大抵、制作陣・スタッフで夜中に飲みに行く。

 理想をいへば、初日にはほぼ「完成」された舞台をお客様に提供せねばならぬはずではある。だが、初日が開いてからも細かい手直しが、どうしても出てしまふ。今回も今日(4日)まで、しつこく手直しをした。照明がフェイド・アウトするタイミングやら、科白に被つて流してゐた音楽を大幅にカットしてしまつたり、それどころか、ある場の人物を登場させなくしたり、乱暴といへばかなり乱暴な変更をすることもある。以前、一場全部カット(「預かり」と呼ぶ)してしまつたこともある。

 これを、歌舞伎の世界では「三日御定法」と呼んでゐる。つまり、演出家は、初日が開いて三日の間は色々注文をつける権利といふか義務といふか、がある。それまでにとにかく最善の舞台にしなくてはならぬわけで、その後は、それこそ座頭と裏方(狂言作者)が相談して細かな変更をすることもある。三日を過ぎても、あれこれ演出家が口出ししなくてはならぬとすれば、演出能力無しといふことだらう。

 敢て逆にいへば、舞台稽古を後一回か二回やる時間的余裕があれば、「御定法」は一日で済む。いや、おそらく、その一日すら不用かもしれない。歌舞伎の演出に手を染めて、二十年近く、大体歌舞伎の演出のコツを手の内にしたと思へて十年だらうか。以来、松竹殿に、稽古期間の増加と、照明や音響のための(新劇などでは当然となつてゐる)テクニカル・リハーサル(役者の芝居より、それを支へる技術スタッフのための本番と同じ稽古)を取り入れるべきだと主張し続けてゐるのだが……十年後にも、多分私は同じ主張をしてゐるに違ひない。それでも、何とか初日は開いてしまふ、この歌舞伎といふものの不思議さ。

 以上、三日御定法を済ませて帰宅した深夜の呟き。このあと、原稿一つと、十月の名古屋御園座の演出があり、大学も始まり、ブログ更新もままならぬかもしれない。取敢へずご挨拶かたがた、歌舞伎の出来上がるまでの一端をご紹介して、ご無沙汰続きになるかも知れぬお詫びまで。

by dokudankoji | 2005-09-05 02:59 | 芸術


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