2012年 04月 23日

明治天皇観漁記念碑~その2

 一月に数葉の写真と共にかういふ記事を書いた。まづご覧いただきたい。明治天皇が江戸にお上り(お下り!?)の途次、大磯の海辺で漁師たちの仕事をご覧になられた経緯を記した記念碑。
最近訪れた折に写した写真を載せる。
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 緑が美しい季節だが、この通り、既にススキが繁り始め、荒れ果てた姿を晒してゐる。そして、ススキが秋にどれほど美しい風情を見せてくれようとも、「雑草」としての逞しさはこの通り凄まじいものがある。以下、四枚、台座の石組を破壊し敷石を持ちあげる、その逞しさには美しさなぞ微塵もない。
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 ところが、ふと気が付いたのだが、一枚目の写真をよく見て頂きたい、明らかに人が掘り起こしススキを根こそぎ取り除いた跡が窺へる。以前にはこんなことはなかつた。また、専門の造園業者や重機を入れての作業だつたら、もつと徹底してやるはずだ。しかも、
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 記念碑から少し離れた場所には、明らかに人が他の樹の根を残して、ススキだけ取り除いたと思はれる一角があるのだ。これには参つた。どなたか分からぬが、恐らくは大磯の住人が少しでもと、手入れをし始めたのではと推察する。黙つて一株のススキを抜くことの方が、かうしてブログなどを書くことより大事に思へてくる。尤も、私が一月に書いた記事が切つ掛けになつて、どなたかが「蟷螂の斧」と思ひつつ除草したのなら、ブログの意味もあつたのかもしれない。

 あちこちに手を広げ過ぎの私にどれ程の時間が取れるか、偉さうなことは言へぬが時間を見つけて、一株でも二株でも、ススキの根を私も抜かう。五月の晴れた日、自宅にゐたら、一日でも二日でも鍬とスコップを担いで王城山に登らう。と、心に決めた私だが、在宅の日で晴れる日がどれほどあるか、あつてもすぐメゲル自分への戒めのつもりで、以上記しておく、タイトルも備忘録なのだから。

 なほ、この記念碑は前に書いた通り安田善次郎が建てたものだが、恐らくこの山の南側はいまでも所有は変つてゐないのではないかと思はれる。記念碑のある頂上へ至る道のところどころに地蔵や布袋様等があるが、これらも安田家が建立したものと私は推測してゐる。一年に一度旧安田邸として公開される別荘は、私たちが子供のころ、当時の富士銀行の寮として海水浴に来る行員(?)の保養所として使用されてゐた。

 今ではいかめしく門を閉ざし、少しでも無断で入らうものなら守衛(?)だか管理人だかに咎められる。以前は、正倉院を模した校倉造の倉のほとりの桜を楽しみ、池で蛙の卵やお玉杓子を捕まへて楽しんだし、内門と外門の間は殆ど子供の遊び場と化してゐた。小学生の頃ちよつとしたソフトボールをした記憶もある。

 私の記憶はさておき、町の観光協会にでも聞けば山の所有者や管理者も分かるのだらうか。管理が町だつたら、はつきり言つて絶望的。わが日本国と同じ、増税しても歳入歳出の帳尻が合はないこと、火を見るより明らか。また、文化や歴史には全くの興味も理解もないこともこの国と同じであることは保証しておく。大磯町の町長・町議・お役人、このブログ読みなさい! で――先程からこの駄文を書きながら、明治安田生命や町のホームページを見たりしてゐるのだが、今のところ管理等については全く分からない。町に聞く気も起らないといふのが一町民の正直な感想。自然を守るなぞと人聞きのいい団体はあるが、ご覧のとおりの体たらく、私は信頼してゐない。

 と、イカッテみたところで、面白いブログや(とんでもない)写真を見つけた。絵葉書のやうだが、まづはこの写真を。
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 大げさだが少々ショックを受けてゐる。記念碑の前には私の記憶にある限り、つまりおよそ六十年近く、東屋もベンチもなかつた。こんなに広々としてもゐなかつた。おそらく樹木が生い繁る前だつたことと、それこそ手入れが行き届いてゐたからだらう。

 大正時代の絵葉書だらうか。今に時間をスライドして考へるとよく分かる気がする。平成の時代に先帝・昭和天皇の行幸の碑があつたら、幾らなんでも、例へ大磯町の如き人非人ならぬ町非町であつても、もうすこし手入れをしてゐるだらう。といふことは、昭和記念公園も何も、あと百年もすれば……さうは考へたくはない。

 それにしても、碑を囲む石柵がどうであつたか、私の写真と見比べて頂ければ、私が二度もこのことを話題にしたくなる気持ちも分かつて頂けようといふもの。

 この絵葉書(小千畳と書いてある)を載せてゐるブログは「言葉に恋して 温故知新。」。いいブログを見つけた。もう一つ、寝ぼけてゐても歩ける私の散歩道を「命からがら」下つた方の記事がこちら。大分悪い印象をこの方はお持ちのやうだが、頂上への直近のルートを登らず別の自動車も通るルートを登つて、直近ルートを下らうとすると、これは道が段々狭く険しくなる印象には違ひなく、命からがらと言う不安な気持ちも分かる気がする。しかし、高々百メートルもない山なのだがな。(山で遭難したら、降らずに登れといふ、いはば鉄則がある、山が深ければ深いほど下り出したらどこへ向かふか分からないが、登れば必ず尾根筋や山頂に出る、そこには必ず人の通る道があるはず~エベレストなどもこの範疇かどうかは自己責任でどうぞ。)

 う~む。この二つのブログ等々を見ては明日にでも鍬とスコップを持つて……いやいや、明日は、幸か不幸か一日雨とのこと……。明後日は関西方面に出張つてゐるし……。
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by dokudankoji | 2012-04-23 00:52 | 雑感 | Trackback | Comments(5)
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Commented by こゆるぎのはま at 2012-04-25 23:19 x
 こんばんは、福田様。やはりこの記事には反応せざるを得ません(笑)
 反応の主体は観漁碑の絵葉書!これです。現にある観漁碑とその周辺も、かつてはこれほどにもきれいに整備されていたなんて!驚きです。ご紹介ありがとうございます!
 観漁碑正面にある東屋のたたずまいは、何ともいえぬ味わいがあります。また見晴らしも良さそうで相模湾を一望できた事がうかがわれます。まさに小千畳!しかしそれもセピア色の遥か彼方に置き忘れたもの。今を見れば・・・
 私も今年に入って三回ほど草むしりをしました。私はいつも軍手をしての手摘みですので、さすがにススキの根株までは掘り起こせませんが、次回は鎌とシャベルを持っていく予定。
 同じく私も、自治体やスローガンばかりの保護団体等には期待しておりません。私の「せめてと芽を摘む」行動は自分なりの、いわば歴史への奉仕とも言うべき(小さな)志によるものです。ちなみに、草摘みの折には明治天皇ゆかりの観漁碑に向かい、教育勅語と和歌を奉読奉詠しています。変ですか?変ですね(笑)。
 それでは失礼いたします。
Commented by dokudankoji at 2012-04-26 01:32
変でせうか? 変とは思ひませぬ。それぞれが志を持ち、情緒や情念を大切にしてゐれば、今の日本の姿はあり得ない。
大磯の皆さま、一株のススキの根を抜くこと、かつてあつた姿を保ち続けること。生活において、我々の生活を取り巻く自然や、我々を育んだ歴史に畏敬の念を持つこと、保守とはさういふことです。政治的な主義主張は「保守」の本質とはなんら関係ない。日本人の歴史・生活・言葉、日本の自然を保守すること、それが真の「保守」です。だから、私は歴史的仮名遣ひを使ふのです。
こゆるぎのはま様 蟷螂の斧、振ひませう。私も仮に一日しかできなくとも、一株でも、ススキの根を抜きます。
Commented by こゆるぎのはま at 2012-04-30 13:06 x
こんにちは福田様。
先日、私も蟷螂となり、斧を一振り二振り三振りと振るい、見えざる車に向かって来ました。
持参したのはシャベルと鎌、そしてハサミ(残念ながら斧はありません)。雨上がりの翌日でしたので土緩み、草摘みには好都合でしたが、しかしながら、さすがに手持ちのシャベル程度ではススキの大株には歯が立ちません。ススキという植物のすさまじさをまざまざと実感しました。
しかし、それでもまだ小さい根株ならいくつか掘り起こす事が出来ました。掘った後は土を戻し、整地したのは言うまでもありません。
また、安田邸横からの道を登りつつ、顔や体にかかる木の枝をおろし、無造作に転がる枯れ枝など傍によせてきました。
この日の作業、正味2~3時間程度。碑の南面を主に。作業に先立って、いつものように教育勅語の奉唱、和歌の奉詠。布袋さんにあいさつの後、ところを辞した次第。

 草つみは帝御座すと思定め 歌詠みつれてこころ納めむ

下手な歌で赤面の至りですが、この時は斯くの如き歌をば・・・
失礼致しました。
Commented by dokudankoji at 2012-05-06 18:14 x
昨日一時間程ですが、蟷螂の斧ならぬ、鍬を担いで僅かですがススキの根を退治しました。多分、20人が5時間の勤労奉仕をしたら、かなりの成果を上げられるような気がします。
Commented by dokudankoji at 2012-05-21 02:16
16日にもほんの少しですが、作業してきました。明治大帝にお仕えしてる???


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