2012年 03月 27日

拓殖大学~春のシンポジウム

 4月21日(土曜日)14時~16時半、拓殖大学でのシンポジウム、≪主権回復60年〈戦後〉は終わったか?-戦後世代による「脱戦後論」-≫のパネリストの一人として、話します。まだ、何を話すか、全く考へてはゐないが、恐らく戦後生まれとしては一番年かさの立場らしいので、体験談的戦後論にしようかと思つてゐる。

 ご興味のある方はぜひ。

 なほ、明日、28日は≪国語を考える国会議員懇談会(国語議連)≫で講演、これは穴あき五十音図の非と正仮名遣ひの合理性、現代仮名遣いゆゑの思考の混乱について話す。

 戦後の改悪の最たるものが、国語・憲法・皇室(典範)であることにも触れる。
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by dokudankoji | 2012-03-27 16:35 | 雑感 | Trackback | Comments(2)
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Commented by こよろぎのはま at 2012-04-13 23:29 x
 こんばんは、福田様。

 「戦後の改悪の最たるものが、国語・憲法・皇室(典範)であることにも触れる」

 そうです、まさにそのとおりですね!実は私もこの点については非常に大きな問題を孕んでいると感じております。本来的にこれらは日本国を日本たらしめる・・・つまり歴史的実在としての日本の、その同一性の基盤としての國體に深く関わっています。戦後日本の国語(らしきもの)・憲法(らしきもの)・皇室典範(らしきもの)を我が国の國體に照らしてみるならば、それらが果たして妥当なものなのか、また正統性を満たしているのか。私は大いに疑問を持たざるを得ません。そしてそこに戦後日本の大いなる欺瞞があるのではと思います。

 我が国が独立を回復してより、もうずいぶんと年を重ねたようにも思えます。しかし私には未だGHQの亡霊に取り付かれて続けているように思えます。そのなれの果てともいうべき姿が昨今のこの国に見て取れます。このままでは日本の歴史的同一性は保持しえないのではと危惧いたすところです。

 21日のシンポジウムにおかれましては、上記3点を含めて有意義な議論が為される事を期待せずにはいられません。
Commented by dokudankoji at 2012-04-15 18:37
こよろぎのはま様 コメントありがたう存じます。「継続性」という面から考へると憲法も皇室も国語もGHQに壊されたままです。そこを見直し踏み越え無くては、日本に未来はなく、日本が日本であり続けることは不可能でせう。既に、遅きに失してゐるのかもしれませんが、私の人生の残り時間は若い世代に、そのことを伝へ、語り続けることだと腹を固め始めてゐるところです。


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