福田 逸の備忘録―独断と偏見

dokuhen.exblog.jp
ブログトップ
2005年 08月 11日

のみさしの煙草――十五日を前に

 靖国神社が刊行してゐる『英霊の言の葉』(社頭掲示集)の(一)を暫く前に読んだが、中に忘れらない「最後の手紙」がある。浜田斎陸軍少尉の遺したもの。浜田少尉は昭和二十年六月二十二日、特攻出撃、沖縄にて十九歳の若さで散つた。以下、長くなるがその手紙の全文を紹介する。

 ≪つばさ散り操縦桿は折るるとも 求めて止まじ沖縄の海
 拝啓 幸にも出撃前に当り一筆お便り致します。成増飛行場にてお便りしましたのが、最後にならうかと思つて居りましたが、今お便り出来るのは幸と思つて居ります。
 昔を考へますに 父上母上に無理にお願ひして飛行兵となつてより三年有余です。十練成飛行場を出てより下館、成増と転進し、ことに成増より山口県防府飛行場に転進の際は明野を左に見、丁度家の上を通過致しました。その時は幼き頃学びし学校やあの道を見て想ひにふけり乍ら家の上で大きく翼をふり出発の際戴いた花束を落として行きました。
その時丁度三日十五時でした。松坂の工場も大分やられて居りましたね。防府転進後約一週間、同地にて遊んで居り、十二日都城に転進、十三日出撃の予定でしたが、雨の為に長生きしたやうなわけです。いろいろと思ひ出もありますが、とり止めもないことです。自分の私物品は防府飛行場にあります故受取りに行つて下さい。三田尻駅にて下車振武寮にあります。中に自分ののみさしの煙草があります故、父上がのんで下さい。それから中のハンカチは成増飛行場の近くの沢田様より送られたものです。念の為に住所をお知らせ致します。
 東京都板橋区土支田町沢田光子様です。我々出発の際も見送つていただきました。一度親戚の方に便りをと思ひますが、時間も許しません故、家よりよろしくお願ひ致します。色々申しますが、今までの御恩は敵艦にてお返し致します。では皆様お元気にて。斎は男子の本懐これに過るはなしと喜び笑つて死んで行きます。では次は靖国にて。                斎
     ご両親様≫

 決して名文といふ訳ではない。涙なくして読めぬ特攻の遺書なら、他にも幾らでもある。ただ、十九歳の若さでこの抑制の効いた文章が書けるのは相当だと思ふ。おそらく一度は家族に別れを告げて踏ん切りが付いた後に、しかも出撃が雨で延期になり、幸ひにして再び最後の便りを書く機会を得た為でもあらうか、冷静な覚悟が行間に読み取れる。

 その冷静の中の一行、「中にのみさしの煙草があります故、父上がのんで下さい」に、涙腺の脆い私はジンとしてしまつた。が、殆ど同時に、実に複雑な様々の想ひに捉はれた。

 胸を突かれたのは、浜田少尉の、何としてでも父親と、肉親と繋がりたいといふ必死の思ひである。水杯の代はりの煙草――自分ののみさしの煙草を父親にのんでもらいたいといふ、いはば本能的な皮膚感覚のごとき肉親の情の発露に、私は目頭が熱くなつた。同時に、もはや父親の年齢である私は自分の息子と自分に置き換へて、この手紙を読んでゐた。(以前、父と子の葛藤を描いた『セールスマンの死』を十年くらゐの間隔を置いて観る機会があつたが、その十年はものの見事に私を息子から父親へと立場を変へさせてゐたことが思ひ出される)
 これは辛い――父親はやりきれないな、それが率直な感想だつた。

 そして、かう思つた、この冷静さは装つた冷静であり、あるいは少なくとも冷静たらんとして必死で理性を働かせた結果ではないか、と。若くして死を覚悟した少尉にとつて、それより他に取るべき態度はなかつただらう。この若さでは、この遺書を受け取り、遺品の中から出てきたのみさしの煙草を眼前にした父親が、どれ程辛くやるせなく切ない思ひをするかなど、想像も付かなかつたことだらう。

 勿論、それを非難してゐるのではない。切ないと感じた父親が、同時にどれほど嬉しく有難いと思つたか、それも想像に難くない。父もまた、息子と皮膚感覚的に一体化したいといふ本能に突き動かされたことだらう。親子は互いに抱きしめ合ひたかつたに相違ない。この手紙と煙草により、全く同一の感情を共有できたはずであり、同じ時空間に存在し得たはずだ。親子とはさういふものだ。さうあつて然るべきものだ。

 ところで。
 多くの英霊は「天皇陛下万歳」を叫び、国のために散つたといはれ、それを「軍国主義」の名で断罪され、「大君」のために死地に赴かされたと糾弾される。上の引用にしても最後の≪今までの御恩は……では次は靖国にて≫は、「軍国主義教育」の結果と、「現在」の基準で批判されるのかもしれない。そんな簡単なものだらうか。国家の命令で、赤紙一枚で召集され、殺人を強要されたなどといふ単純なものだらうか。

 事実「天皇陛下万歳!」と叫んで散つた人々は数知れまい。その気持ちにも嘘はなからう。一方、「お母さ~ん!」と叫んだ人、恋人や妻子の名を叫んだ人も数知れずゐたはずだ。それこそ様々だつただらう。どう叫ばうと構ひはしない。「天皇陛下万歳!」と叫んだからといつて軍国主義的であるとはいへず、恋人の名を叫んだから軟弱だとも決め付けられない。

 人間は常に曖昧であり、複雑であり、己のことすら冷静に把握することなどあり得ないといふことだ。同時にAでもあればZでもあり得る。浜田少尉の、何としても肉親を手繰り寄せたいといふ激しい思ひも現実であり、男として今死に場所を得たことを本懐と思ふのも真実だらう。

 そして、死に直面する時、人はこの二つの感情に引き裂かれる。人の情として、親兄弟に別れたくはない。しかし、国の危急存亡の時、自分が命を捨てる事で万が一にも国が守られ家族が永らへられるなら、自分は喜んで死ねる。男なら、いや、男ならずとも、子を守る母親なら、人間なら当たり前の情であらう。

 この中に、既に、「公」と「私」の永遠の対立と同時に両者の同一化が看て取れる。家族といふ「私」の世界のために命を捨てることが、つまり「公」に仕へる行為にならざるを得ぬ時があるといふこと。「公」に従つて死を選ぶことで、初めて「私」が活かせることがあり得るといふこと。

 が、悲しいことに、人間は「私」のためには、生きたい=家族と恙無く過ごしたいと思ふのが普通なのだ。そして、それでも死を選ばねばならぬと悟つた時、我々は自己劇化の道を選ぶことになる。より崇高なものに殉ずることによつて、自らを納得させようとする。それが、「天皇陛下万歳!」であり、「お国のため」「大君のへにこそ死なめ」といふ姿をとるのだ。これは「軍国主義」とは全く無縁のもの、むしろ、人間の本質的な弱さと、それを乗越えんとする強靭な(崇高な)人間ならではの精神の発露を示すものに他ならない。

 物見遊山と同じ気分で、嬉しくて戦地に赴いた人がゐる訳はない。誰しも家族を残し、家族と別れて出征する事に、それぞれの辛い思ひがあつたはずだ。だが、時に臨んで自分一人が逃げるわけに行かない時、我々は自分を納得させるために、ある意味では「公」を利用すらしてまで、自らを高め「私」の世界が常に包含する「生」への願望を封じ込め、雄々しく「死」を選び取らうとするのだ。
 
 それ故にこそ、英霊は英霊たり得るのであつて、彼らの存在と死ゆゑに今を生きてゐる我々は、間違つてもその死を犬死と考へることは許されない。彼らが無理強ひに戦地に送られ、心ならずも死んで行つたなどと考へる権利など、我々にあるはずもない。
[PR]

by dokudankoji | 2005-08-11 22:33 | 雑感


<< 「造反組」六氏にエールを送る      噂を信じちや いけないよ? >>


記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
XML | ATOM

Powered by Excite Blog

個人情報保護
情報取得について
免責事項