2005年 08月 03日

盗人猛々しい

 私は八月が嫌ひだ。とにかく鬱陶しい。八月に入つた頃から新聞もテレビも自虐史観に取憑かれたやうな欺瞞的なものが増へて来る。如何に悲惨な戦争であつたか、日本軍がどれほど残虐で無謀で悪しき存在であつたか……ために我が国民も悲惨な状態に曝され、如何に多くの若者が悲惨な死を迎へたか、特攻隊などといふ無意味な犬死を強ひられたか……。

 さらに、長崎と広島の原爆の悲惨さ。悲惨さは、分かる。だが、抗議集会に付き纏ふ胡散臭さが厭だ。たとへば、一時大はやりだつたダイ・インといふやつには反吐が出る思ひがしたものだ。原爆の悲惨さを訴へるつもりか、皆で寝つ転がつて見せる。あたかもそれが何かを証しするとでも言ひたげなわざとらしさ。どうせやるなら、支那の反日デモに倣つてアメリカ大使館に卵やペットボトルを投げつけ、窓ガラスでも割つてはつきりと抗議したら如何か。その程度のことをして逮捕される覚悟などあるわけがないのだらうが。
 
 近頃は、テレビでもさすがに戦時中の映像は少ないのかもしれぬが、あの手この手で、戦前の日本は悪かつたといひたげな自虐史観記事には事欠かない。こんなに反省してゐる日本人、といつた報道には相変はらずよくお眼にかかる。あるいは、戦争の悲惨さを語り継いだり訴へたりの展覧会・展示会が催されて、どうのかうのといふニュースは、今でも八月の定番だらう。

 それらを如何にももつともらしく「報道」するNHKのニュースや新聞には、従つて、私はこの時期、眼もくれないことにしてゐる。教科書採択同様、私自身にも「静謐な環境」は必要なのである。

 ところが、朝日新聞が七月の二十四日から早々と我が「静謐な環境」を壊してくれた。下の記事を見て頂きたい。

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 まず、右端の見出しに注目。「戦時中は日本軍礼賛、戦後は墨塗り」といふこの言葉、よく頭に入れて頂きたい。次に記事の書き出し。「戦時中は英語の教科書も、日本軍やヒトラーを礼賛するなど軍国主義的な記述が多く、戦後になって……墨塗りされて使われた」。四段目(浄瑠璃みたいだな)になると、ここもよく覚えて頂きたい。≪「英語」では「ADMIRAL YAMAMOTO AND HIS HOUSE」(山本五十六司令長官と彼の家)の章や、「Greater East Asia」(大東亜)の記述もあった。≫

 そして、締めがふるつてゐる(なぜふるつてゐるか、は後のお楽しみ)。(和歌山大の)江利川教授の言葉を引用、「戦時中に英語教科書があったことすら知らない人も多い。英語も『国民教化』の道具の一つに使われていた実態を知ってほしい」ときた。永井啓吾といふ署名入り記事だが、この江利川教授の言葉は朝日の主張と考へてよからう。

 要約すると、「戦時中は英語の教科書ですら、日本軍礼賛の軍国主義的内容で、山本五十六の章すらあり、英語といふ教科までが軍国主義教育の一環として使はれてゐた」といふことにならう。

 さて。ならば。ここからがお楽しみ。次の写真を見て頂かう。

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 説明するまでもなく朝日新聞の記事の第一面である。昭和十七年三月七日といふ日付は読み取れないかもしれないが。私の老母が老い先を考へて身辺整理でも始めたらしい、先日、「こんな新聞出てきた、面白いよ」と見せてくれたのがこの裏表、見開き四面の朝日新聞だつた。(横書き見出しは右から読みませう)。
 開戦時、真珠湾攻撃に散つた特別攻撃隊九名に、連合艦隊司令長官山本五十六より感謝状が出され、その武勲が讃へられたといふ、三月六日の大本営発表を二面以上を割いて書いた、大々的な戦意高揚記事である。(布哇はハワイ)

 ただし、元の新聞は余りの古さに紙は折り目で殆ど崩壊状態、下手に触れば折り目でなくとも破れんばかりに腰がなく、まともに開くこともままならないと言つてもよい程だつた。そこで、とにかく扱ひやすいやうにと一面をB4用紙四枚に拡大コピーし、貼り合はせ、デジカメで撮影した次第。それでも読めないかすれもあれば、貼り合はせが四枚となると不器用な私が貼つて行くうちに、最後がどうしてもずれてしまふ。以後アップするものについてはそのせいで読みにくいところもあらう。

 閑話休題。
 上に私が要約した「英語の教科書」を「新聞」「朝日新聞」などに置き換へたらいかが。実に真実を伝へて余すところがないではないか。

 いや、六十三年前の軍部迎合記事を今更とやかく言ふ気は毛頭ない。それどころか、私など胸が躍り、同時に軍神九柱の壮烈な死に胸蓋がれる思ひすらする。よくぞ母がこの新聞を取つておいてくれたとさへ思ふ。開戦後一年ほどのやはり朝日新聞もあるが、そこに称揚せられた中の一人は母の知人だといふ。そんな話を聞くと、この九名の死も私にはひとごとではなく、彼らの死が母を永らへさせ、今の私があるとすら思はざるを得ない。(これ以上書くと横道にそれ、靖国に詣でてしまふ、このことは今日はここで止める)。
 
 それはともかくとして、この古い感動的な記事(以後1~2回に分けて細かな記事もアップの予定)が問題なのではない。問題は「今」の記事だ。「戦時中は日本軍礼賛、戦後は墨塗り」の「墨塗り」とは、まさに二十四日付けの記事そのもののことであらうが。まるで英語の教科書(教育現場)だけが礼賛から百八十度転換して、墨塗りといふ無体なことをやらせたとでも言ひたげな記事だが、これこそ盗人猛々しいといふしかあるまい。朝日が「日本軍礼賛」と「軍国主義的な記述」に「墨塗り」ならぬ「頬被り」をしたことは、もはや説明の必要もあるまい。

 かういふ訳で私は八月が厭なのだ。鬱陶しいと最初に書いたのは、かういふ記事のことである。原爆の被災者も戦ひに散つた人々も、私は等並みに悼む。だが、それを扱ふこのマスコミの胡散臭さ、欺瞞が堪へ難く、許しがたく、不愉快極まりない。

 次回は山本五十六(既に上の記事の真ん中にぼんやり読み取れるかも知れぬ)について拡大した写真、「今」の記事中に出てくる墨塗りにされたイラストではないが、昭和十七年の朝日にでかでかと出てゐるイラストやら、三好達治の詩やら、「日本をこよなく愛する」朝日の昔の数々をお眼にかける予定。「今」の記事が悉く朝日新聞自身に撥ね返つてくることが見ればみるほど、をかしいやうに分かる。乞、御期待!(この項続く)
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by dokudankoji | 2005-08-03 02:14 | 雑感


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