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2011年 09月 07日
もう一度、恆存対談・座談集の第三巻から引用する。かうなると、やはり出版社に対しては営業妨害かもしれないが……。半世紀近く前の言葉がそのまま今に通じてしまふのが怖い。結局言論も何も無力か? 「日本及日本人」の昭和44年5月号に掲載された村松剛氏との対談「強いことはいいことだ」から。 ≪福田 ……(前略)……みんな自分を誤魔化しているんだな。しかし、明治以来日本人の心に住みついている排外思想から脱却することは容易じゃない。だから行きつくところまで行かなければだめじゃないかと思いますね。 村松 そうだとすると三島由紀夫さんがいってる、日本刀を振り回さなければいけないことになる。(笑) 福田 いや、別に日本刀を振り回す必要はないと思いますね。洋服を着ていたってかまわないし、電信電話を使ったってかまわない。しかし長い間続けられてきた行事というものを滅ぼすことは絶対許されない。この頃、雛祭なんかが、ぜいたくな形で行われているけれども、それらはみんな商業主義に踊らされたもので、日本人のほんとうの日常の生き方と密接した形でやられてはいないし、季節とも密接していない。彼岸詣りだとか、そういうものも滅びつつある。これは由々しい問題で、私はまず行事を本当に蘇らせることが大事だと思いますね。 村松 そういうものが本当の民族の歴史ですからね。 福田 行事を正しく行うということは、先祖の生き方を守っていくということなんだが、この頃は結婚式でさえ、クリスチャンでもない者が教会で挙げたがったりするようになっているし、クリスマスや雛祭りや七夕など行事らしいものもあるが、これは全部コマーシャリズムから生じている。また戦後の祝祭日というのは、全部儀式、行事を伴わない日曜日とおんなじに扱われている。 村松 もっとも日曜日そのものが、日本では意味がないですからね。 福田 外国ではちゃんと日曜は宗教と結びつき、生活のリズムと結びついているんだけれども(中略)生活のリズムに表れたものが文化なんですけれども、そういうものを失ってしまっている(中略)国語教育だってそうだ。言葉遣いなんかみんな些事だと考える習慣が多いですよ。 村松 国語問題のようなものを些事だと考えるのは、いまおっしゃった排外思想と、もう一つは戦後滔々として流れている「人はパンのみにて生きる」という思想だと思うんですね。≫ 祝日について、いかが思はれるか? たとへば建国記念日とやら。あれを誰がどう祝つてゐるか。アメリカのごとき人工的後進国ではあるまいし、建国記念日とは何事か。紀元節なら祝ふべきであらう、それならこの国の神話にも国産みにも通ずる。一方、5月4日の「みどりの日」などといかがはしい「祝日」だか「休日」だか知らぬが、みなさなん、要は連休が増えて楽だから文句を言はないのでせう? そんなことで、保守だ伝統だと言つてはいけない。あの休日は即刻廃止し、4月の28日を主権回復記念日にすべし、足し引き相殺されてよいではないありませんか。4日は自己責任で勝手に有給でも何でも取つて休めばよろしい。(それはさうと、「教会の結婚式」、耳の痛い方、随分いらつしやるのでせうね。) ところで、クリスマス(あれは忘年会と私は考へてゐる)はさておいて、40代くらゐから下の「若者」はバレンタインデーに、商魂逞しい食品会社に乗せられてチョコレートを買ひまくり、お返しと称して、いや称されてホワイトデーとやらにもう一度チョコレートを買はされる。 それどころの話ではない。この5年ほどの間にハロウィーンまで「定着」し出した。店先ににあのけばけばしいオレンジと黒の下品な色が氾濫するだけなら、まだ許す(いや、許せんか)。一昨年、池袋から少し北にある、田舎のやうな都会のやうな、一言で言へば野暮な町の商店街を歩いてゐて驚かされた。「ガキ」の一群がカボチャやら何やら、やはりあの二色のけばけばしい衣装や、魔法使ひの格好だかドラキュラ伯爵だか、訳の分からない仮装をして走り回つてゐたのには、正直青ざめた。日本は終はつてゐる……さう感じざるを得なかつた……。 上の引用から、1頁くらい後に次の会話が交はされる。これなど、現今の原発問題を考へる際にも面白い。 ≪村松 日本の学生だけじゃなく、欧米の学生たちでもよく「消費社会への反逆」といいますけれども、一番先に反逆しなければならない対象は「自分自身」です。ジェット機に乗りたがったり、冷暖房のある家に住みたがったりする。その願望の集積が消費社会をつくってるわけですから「消費社会への反逆」という以上は、自分の中のものを叩きつぶさねばならない理窟です。(中略)そこで問題は快楽追及のどこに歯止めを付けるかということになるだろうと思います。 福田 全くその通りで、歯止めをどこで付けるかということは、これはネセサリー・イーヴルだと思うんですよ。いまさら物質文明なしの生活に戻ろうと思ってもそうはいかないんで、冷暖房はどこの家でも付けるという時代に向かって行くのが文明で、欲望そのものを抑えつけてしまうと……≫ さうか。つまり、原発そのものが文明の最先端といふことになるわけだ。むしろ、原発そのものがネセサリー・イーヴルといふことでせうか、恆存さん? 村松さん、消費社会に突つ走つた昭和の30年代半ば以前に戻れば良いだけの話ですね? ところが、実際には物質文明なしどころか、今や携帯電話やパソコンのない社会にすら、人類は戻れない。ファックスもない時代に戻るなど不可能。東京の地下に地下鉄が四通八達してゐなかつた過去に戻ることも出来ない。一度手にした便利を人間は絶対に手放さない、手放せない。そこまで考へてから、さて、原発はどうしたものか、急ぐことはない、神経質になることもない。やれ、推進だ脱だ反だとヒステリックに言ひ募るのは一旦止めたらいかが。 金になるなら(事業として成立するだけの公的支援があるなら)クリーン・エネルギーに乗り出しますなどと、虫のよいといふか商売上手の孫正義に騙されてはいけない。エネルギー問題は、あの手の商売人と俗衆受けを狙ふ政治屋の手からも、悪乗りの反原発論者や推進論者の手からも引き離し、彼らには一旦沈黙してもらふ。 その上で、どういふ国を造りたいのか。民主党のお歴々の如く、物質的にも精神的にも中韓の属国になりたいのか、日本の伝統と歴史と生活文化を「保守」しつつ自由主義社会に残りたいのか。独立国になりたいのか。豊かな消費社会を享受したいのか質素で粗末な生活に甘んずるのか。我々国民がそこから議論せずに、原発是非のみを議論するなど、意味がない。以上、「対談・座談集」にかこつけて放言しておく。 (ハロウィーンについてネットで検索してみて驚いた。大人から子供まで、既に貸衣装屋がある。どこまで商魂に乗せられるのか。震災後のいろいろな催しの自粛には疑問を感じたが、無国籍と言ふより、欧米に乗つ取られたやうな、この種の「習慣」は止めて欲しい。) (小さな訂正のさらなる訂正:貸衣装ではなく通販でした。) ※このブログはトラックバック承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
神式でしたので安心して書き込めます。(笑)ハロウィンは、豪州でさえ「あれはアメリカの行事よ。」といって、まともな大人は相手にしていませんでした。ただ子供の中には見事な自前の変装をして来る子もいて、そういう子には私はお菓子をあげていました。手抜きの子にはあげません。日本で、通販の衣装で、となると、何の意味があるのかと・・・。
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