2011年 06月 13日

総理のリーダーシップ

 以下、三月の下旬(26日か)に書き掛けた記事。粗雑且つ中途半端だが、そのまま掲載する。

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 それにしても、この二週間、ネット上にもメディアにも情緒的な、あまりにも情緒的な言動のなんと多いことか。私は自分が情緒に動かされないなどといふつもりは全くない。むしろ涙腺は緩い、歳ととも緩くなり過ぎてゐるくらゐだ。

 たしかに、被災者への思いやりも優しさも大事なことは言を俟たない。原発反対表明もよからう。買い占めに走る心理も十分わかる。被災者への同情も援助も必要に違ひない。しかし、しかし、である。国家には、政府には、この国をどこに導くかを示して貰はなければならない。

 災害からの復旧あるいは原発事故収束が緊急の優先時であると共に、この非常事態に今わが国がどういふ事態におかれてゐるのか、その認識を示し、進むべき方向を示すのが国家の指導者の責務ではないのか。おそらく、それこそが一国の総理が第一になすべきことなのだ。国民が不安を感じ苛立つてゐるとしたら、放射能への不安だけではあるまい。このリーダー不在、リーダーからのメッセージの不在に苛立つてゐるのではないか。
 
 25日夕刻の菅総理の声明でも、そのことには全く、一言も触れてゐなかつた。上記二つの目前の危機への言及しかない。国家が存在しなくては国民は存在し得ないことを、今回我々は嫌といふほど味ははされた。そして、国民はこの国が再び生き延びることを心から願つてゐるはずだ。それに応へられぬものは政界に身を置くな。言論界にも身を置くべきではない。

 あへて情緒的な言動をものするとすれば、菅総理の声明には、国民への愛情が皆無といふこと。誰に向かつて語つてゐるのか、なにも聞こえてこない。被災者への思ひやりがあるとは、私には思へないのである。それなら、リーダーとしての覚悟や指針が示されたらうか? どちらもありはしない。あるのはただ自己愛だけだ。

 尤も、私たちに必要なのは同情や憐憫や思ひやりではない。この国の復興への強い意思と覚悟であることを繰り返しておく。人間に情緒は大切である。しかし情緒に浸る時期はもう過ぎた。ことに政治家には情緒的、あるいはヒステリカルな言動は慎んでもらひたい。リーダーに求められてゐるのは断固たる態度、決然とした意思である。誤解を恐れずに言ふ。たとへ過つた道筋でもよいのだ、一国のリーダに必要なのは、どこに向かつて進むか、その目標を示す義務がある。

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 以上が、3月の下旬に書きさしにしたまま、パソコンのデスクトップで眠つてゐたものである。

 その後も、菅総理は結局何一つ国の進むべき方向を示さず、国家像のかけらも示さぬまま、原発の初動では国民を守る意思のなきことを満天下に曝した。今や地位にしがみ付くことのみに汲々として、辞める辞めないの騒ぎだけで、一国の総理などととんでもない。ペテン師と呼んだら本物のペテン師達が怒りかねぬ程、図々しさを絵に描いたやうな茶番に明け暮れしてゐる。お遍路に再度出かける気があるなら、黄泉の国まで脚を延ばして頂きたい。

 そして、何度でも書くが、民主党を政権に付けた国民の愚かさに私はほとほと愛想が尽きてゐる。しかも、今になつて、民主党がここまで酷いとは思はなかつたなどと、いけしやあしやあと抜かす御仁とは口を利く気にもなれない。選挙権を手にしたばかりの子供ならいざ知らず、いい歳をした大人の言ふことではない。自分の見る目の無さをたんと恥ぢるがよろしい。バカも一票悧巧も一票とはよく言つたものだ。以後は投票所に足を運ぶのはお止め頂きたいものだ。

 私は次善三善の選択肢として、自民党(あるいはたちあがれ日本)しかないと諦めて投票してゐる。民主主義とはさういふものと諦めてゐる。自民党でもまだましと言ふのは、11日に貼り付けた、麻生政権における防災訓練をご覧になれば、少しは納得していただけよう。あの映像を見て何をお感じになつたか、お聞きしたいものだ。

 実は昨年秋に菅政権でも同じ訓練をやつてゐることを、フェースブックの「オトモダチ」が教えてくれた。映像もある。11日付の記事でリンクを張つた麻生政権下の訓練の別の短い映像(内容は同じ)と両方ここでリンクを張っておく。二人の首相、演習の真剣味のどこがどう違ふかは見る方の判断にお任せする。「未曾有」の読み方をどうのかうのと騒いでゐたのが懐かしい。といふか、バカバカしくなる。今次災害ほど、一国の総理に必要なものが何かを分からせてくれたものはないであらう。

 ところで、冒頭の3月下旬の記事だが、最初は「情緒的な、あまりに情緒的な」といふタイトルで書き始めた。書き出してすぐに方向が変つたのだと思ふが、この三カ月、メディアも我々も余りに情緒に偏り過ぎた言動が多いのではないか。自分を例外とせずに言ふが、余りの災厄に我々は集団ヒステリーを起してゐはしまいか。自戒の意味も込めて記しておく。
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by dokudankoji | 2011-06-13 00:49 | 雑感 | Trackback | Comments(1)
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Commented at 2011-06-14 02:42 x
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