福田 逸の備忘録―独断と偏見

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2005年 07月 25日

「人権擁護法」


 二十四日の産經新聞一面に、この法案の今国会提出が見送られたといふ記事が出た。まずは一安心といふところ。平沼赳夫・安部晋三氏らの強硬な反対に、古賀誠ら推進派が折れたらしい。
 前に触れた城内実議員も勿論反対派、といふより、実はこの法案の異常(異様さ)に最初に気づいて問題提起したが、他でもない城内氏なのである。

 この法案の最も危険なところは、氏によれば大きく二点。一つは「人権侵害」の定義が余りにも不明確な事ださうである。2条1項に人権侵害の定義について「不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為」と規定してあるといふ。特にこの「その他」が曲者で、「その他」には何でも含まれ得る。このブログで私が発言してゐることも誰かの人権を侵害してゐると訴へられたら、この「その他」のおかげで人権侵害行為と看做され得るわけだ。これでは「人権侵害とは人権を侵害する行為である」と言つてゐるに過ぎず、意味をなさない、つまり曖昧・不明確だといふのだ。

 前記、某サロンで城内氏が配布してくれたペーパーをそのまま使ふが、以下のやうな曖昧な表現が随所に見られるといふ。「嫌がらせ」「「不当な差別的言動」(3条1項2号イ)、「相手方を畏怖させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるもの」(41条1項1号)、「前各号に規定する人権侵害に準ずる人権侵害」(同項5号)・・・・・・最初のものは「違法な差別的行為」とでもすれば、まだ分かるがと城内氏。最後のものなど冗談としか思へぬではないか、「・・・人権侵害に準ずる人権侵害」などと、尻尾を追ひかける仔犬ではあるまいし。

 更に恐ろしいのが、城内氏の指摘する第二点目。人権委員会が設置されると、その権限は信じがたいほど強大なものになるといふ。この委員会、例へば以下のやうな特別調査(44条、88条)の権限が付与される。「①事件の関係者に対する出頭要求・質問、②人権侵害等に関係のある文書その他の物件の提出要求、③人権侵害等が現に行われ、又は行われた疑いがあると認める場所の立入検査。」

 例へば、私が軽い冗談のつもりで家内のことを「オバサン」と呼んだとする。もしも家内が日頃の恨みを晴らしてくれんとてぐすね引いて待つてゐたとしたら、一巻の終はり。家内が私の言葉を少しでも「不当な差別的言動」、「著しく不快」もしくは「・・・に準ずる人権侵害」だと感じ人権委員会に訴へたら、私は出頭要求があれば出頭せねばならず、もしかするとこのブログを書いてゐるパソコンも提出せねばならず、勿論人権委員は我が家に乗り込んで調査できるといふことになる。もし私がそれを拒むと、現今の法案に従へば30万円以下の過料を支払はされる羽目に陥るとか。

 要は何でも侵害だと訴へたものが勝つ。いや、更に言へば、人権委員がどういふ傾向の思想の持ち主かによつて全てが決まる。さらに83条には「この法律の運用に当たっては、・・・・・・関係のある公私の団体と緊密な連携を図るよう努めなければならない」とまである。この「公私」の「私」といへば、私的な「人権擁護団体」といふことになるわけだが、さうなれば今年の初め世間を騒がせたままうやむやの朝日新聞対NHK問題で、そもそもの発端となつた「女性国際戦犯法廷」を主催したバウネット・ジャパンのごとく、はなはだ偏つた団体も十分この中に入る、いや、むしろさういふ団体との連携を目指してゐるのだと考へざるを得まい。

 「従軍慰安婦」についての私の記事など、朝鮮総連や民団と連携を図つて真つ先に槍玉に挙げられるわけだ。この法案が通つたら、このブログも恐らく強制的に閉鎖を余儀なくされる。先日浄瑠璃のことを書いたが、住大夫の後継者がいない、浄瑠璃の存亡に関はるといふ趣旨のことを書いた。すると、他の浄瑠璃語りが、名誉と人権を損害する差別的発言だ、著しく不快だ」といつて私を人権委員会に提訴することも可能なのだ。本当に冗談ではない。私の意見や主義を主張する権利はどうなるのか。「人権擁護法」とはよくもまあ図々しいことが言へたものだ。むしろ「人権抑圧法案」とでも名づけて頂きたい。

 人権を侵害したかしないかの判断が非常に恣意的に行はれ得ることは既にお分かりだらう。いはば、捜査令状を人権委員会が自らに出すことができるやうなもので、ナチス顔負けの恐怖政治、簡単に強制的な捜査の行はれる可能性があり、しかも、それが現在の警察の権限を遥かに越えたものであることは既に明白であらう。それが人権委員と称する全くの素人の集まりによつて行使されるのだ。
 産經新聞等の読者なら、既に多くの識者によるこの法案への疑念と警鐘の記事を幾つかお読みのことと思ふ。幸ひ郵政民営化のおかげ(?)でとりあへずはお蔵入りしさうなこの法案、そもそもの初めは平成十四年に生まれ、余りの問題の多さに一度は棚上げにされた曰くつきの法案である、必ずまた古賀を筆頭に(勿論背後に野中弘務)うごめき始め、再々度、提出される時が来よう。我々は常に心して見張つてゐなくてはならない。また顔を覗かせたら心ある政治家達と共に何としても国会への提出を阻止しようではないか。
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by dokudankoji | 2005-07-25 14:05 | 雑感


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