2011年 05月 09日

ボランティアに思ふ

 ボランティアといふ言葉が我が国に定着したのがいつ頃のことか、はつきりは分からぬが、一気に「普及」したのは阪神淡路大震災からではないか。ボランティアを悪しきものといふつもりはないが、朝日産経両紙の記事を見て考へ込んでゐる。まづはリンクの記事を見て頂きたい。

 ボランティアが自己犠牲を必要とするものか、それぞれが出来ることをすればよいといふ程度のものか、そこも考へてみる必要がありさうだ。人がなかなかしたがらないことを、自らの意思で率先して行ふのがボランティアだとすれば、連休の時に、自分のやれることをやれる期間だけやらうといふのも、頷ける気もする。同時に、それは変だ、自分の都合だけでやるのでは、一歩間違ふと自己満足自己欺瞞に陥りかねないといふ気もする。

 といふか、正直なところ、私には何の結論もない。だが、皆さんこのことは如何がお考へだらう。つまり、今回の災害は総じてボランティアの手に余る事態なのでなからうか、行政の介入なしでは復興の「手伝ひ」は無理なのではないか、といふこと。

 余りにも甚大で広範囲に亙る被害、その結果として、必要とされる仕事が余りにも複雑で多岐に亙る今回の現場で、組織化の難しい「ボランティア」なるものの力が発揮されず、連休になつた途端に整理が付かぬほど人手が余り、一時受け入れを中断し、連休明けには人手不足に陥る、これでは、ボランティアの精神から外れかねない。

 比較しては怒られるかもしれないが、自衛隊、警察、消防といつた自己完結型といふだけではなく、組織化され且つ国民に義務を負つた集団が必要なのだらう。とはいへこれらの集団が被災者の自宅の整理までやれるわけはない。これといつて私に名案があるわけではないが、やはり政府が被災地域の行政と綿密な連携を取つた上で、各被災県の臨時職員を雇ふといつた発想が必要なのではないか。

 一昔のニートといはれる人々を初めとして、現在職のない人々を組織的に雇ひ、宿泊施設と食事付きで、ごく低い賃金でボランティア的に働いてもらふといつたことも考へられるのではないか。勿論、被災地で必要とされてゐる人手とこれらの人々の労働意欲や奉仕意欲が引きあふか、私にも分からない。トラブルが起きないかといふ疑問や不安も残る。ただ、人に感謝され必要とされることが労働意欲の根源となることも否定はできないし、少なくとも、連休が終わると共に潮の引くやうに激減する「ボランティア」の代りになる可能性はあるのではないか。

 そして、政府は原発がらみのパフォーマンスではなく、地道な復興にも目を向けてもらひたいと切に思ふ。

 最後に被災地で聞いた話を一つ。まだ4月のこと、東京から美容師の一団が避難所にボランティアとして来たといふ。避難所には約30名の被災者。ボランティアの美容師たちの数が60名。悲喜劇といふ外ない。組織化しなければ折角の善意も無駄であらう。その一行、持つて来た支援物資も置いて帰つたさうだが、どれもこれも避難所に有り余つてゐる品々ばかり、処分にも困つたらしい。折角のエネルギーを無駄にせぬ方法はないのだらうか。
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by dokudankoji | 2011-05-09 22:55 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
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