2005年 07月 23日

浄瑠璃狂ひ

 某日、大阪に歌舞伎の打合せに行く。ついでに竹本住大夫を聴きに国立文楽劇場へ。『桂川連理柵』で住大夫は「帯屋の段」の後半を語つた。これが絶品、八十の齢になつてなほ進化を続けるその姿にただただ頭の下がる思ひ。

 数年前NHKが人形遣ひの玉男と住大夫と、二人の人間国宝のドキュメンタリーを放映した(たまにはNHKもいい番組を作るのである)。

 その番組の中で、今は亡き越路大夫(確か八十歳になるかならぬかで年齢ゆゑの自分の限界を悟り引退した、その越路大夫)に住大夫が七十を過ぎてなほ稽古をつけて貰ふ姿に打たれたのが、そもそもの始まりだつた。七十を過ぎたら殆どの人間は現役を退いてゐよう。それを住大夫は己が芸の拙きを知り、兄弟子に学び続けてゐる。番組を見てゐて、ただただ頭が下がる思ひがしたことを鮮明に覚えてゐる。

 それから私の「追つかけ」が始まつた。最近の例でいへば六月末に紀尾井小ホールで「三勝半七帯屋の段」の素性瑠璃を、七月頭には(馬鹿といはれても仕方あるまい)日帰りで京都南座へ『夏祭浪花鑑』の「釣舟三婦内の段」を、そして月半ばに大阪で上記「帯屋の段」を聴いた。

 昨年は博多座まで追つかけた。(大馬鹿と呼んで下さつても結構)。しかし追へば逃げるナントヤラとは違ふ。偶然同じホテルだつた住大夫さんとロビーでばつたり。気が付いたら声を掛けてゐたといふ感じで、ずうずうしく東京から聴きに来ましたと自己紹介。はなはだ気さくな方で、暫く立ち話をしてゐたのだが、互ひに夢中になつて芝居のことやら劇団経営やら、話し始めたら切がなく、住大夫師が「ちよつと座つて話しましよ」。結局三十分以上話し込んでしまつた。

 それはさておき、上記三つの舞台の中では、物語としては『夏祭』が一番面白いと思ふが、出来からいへば「帯屋の段」が一番だつた。枯淡の境地とでも呼んだら良いのか、滋味豊かに語る語り口に一分の隙もなく、しかも悠然としてゐる。泰然としてゐる。登場人物を見事に語り分け(演じ分け)る謂わば演技術をここまで突き詰めた浄瑠璃語りもさうさうゐるものではない。越路大夫と山城小掾を措いて他にさうはゐまい。少なくとも現代では住大夫師を追へる位置にゐる大夫は一人としてゐないことは間違ひない。つまり、今、文楽の大夫は後継者に関して相当深刻な危機を迎へてゐるといふことだ。

 この一年余り八十歳を越えてからの住大夫の進境は著しいなどといふ域を越えてしまつた。ある時、楽屋を尋ねてそのことを話題にすると、「いやいや、まだまだでんなぁ」と大真面目な顔で仰る。越路大夫に学んでゐる時と同じ謙虚さ。もつと先に行かねばならぬといふ思ひがひしひしと伝はつてくる。八十にしてなほ先人に追ひつかうとする姿は一種凄まじいものでさへあるのだが、それをさうとは感じさせぬのがこの人の大きいところ、実に気のいいオジサンとさへ言つても良いほどの好人物なのだ。尊大なところなど少しもないどころか、謙虚そのもの、しかもその謙虚に嫌味が全くない。私など己の未熟をいやと言ふほど思ひ知らされるのである。それでも、いやいや、それだからこそ、私の「追つかけ」はまだまだ続く。
 
 
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by dokudankoji | 2005-07-23 00:54 | 雑感


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