2011年 05月 03日

朝日新聞主筆反省の弁

 若宮敬文が朝日新聞の主筆になつてしまつた。始末に負へない。五月一日の朝刊に、「ジャーナリズム精神を支えに 主筆就任にあたって」といふ就任の弁を述べてゐる。中身は殆どないのだが、気になるところを二ヶ所挙げておく。

 ≪震災で見直された和の精神や海外の支援ムードを活用し、新たな国際協力へ旗を振ろうではないか≫とある。和の精神が見直された?――それは例へば、盛んに喧伝される被災所での東北人の我慢強さのことか? ボランティアの活躍のことか? はつきりしない。かういふ曖昧な言葉遣ひが私は嫌ひだ。「海外の支援ムード」とは何のことだらう。海外の支援にはムードのみで実態が伴はないといふ意味か。米軍の協力はムードどころではあるまい。人口が3000万に届かない台湾からの義捐金140億もムードか。

 さらに、「精神」や「ムード」を「活用」するとは、どういふ意味なのか私にはトンと分からぬ。ボランティアの「底力」とか、米海兵隊の「機動力」とか、あるいは強靭なる精神力を備へた自衛隊の有する「団結力」とかなら、これは問題なく被災地の救援にも復興にも「活用」出来る。が、抽象的な「精神」やら「ムード」はどうやつても「活用」出来るものではない。「ムードを活用する」、普通言はぬだらう。

 若宮氏は未だに自衛隊も米軍もお嫌ひなのだらう。多分それらの活躍を称賛したくないのだらう。「活用」したいのは、援助しますと言ふ舌の根も乾かぬうちにヘリを飛ばして来る中国の、なんとはなしの援助・同情ムードなのではあるまいか。それを「新たな国際協力」だと呼びた気な一文ではないか。相も変らず、そんなことの「旗振り」をしたいだけだらう。普天間・辺野古には相変らず反対だらうし、尖閣諸島や竹島に対する我が国の領有権については出来るだけ曖昧にするのが「新たな国際協力」だとでも言ひたいのであらう。

 もう一ヶ所、少々長いが引用する。≪一つ反省を書いておこう。自民党による長期政権のよどみから脱して日本の民主主義を本物にするため、政権交代への期待を語り続けてきたことだ。その基本線が間違っていたとは思わないが、でき上がった民主党政権の実態には次々と期待を裏切られてきた。「想定外」とは言いたくないが、予想を大きく超えた不覚。日本政治に成熟と活力をもたらすにはどうしたらよいか、選挙制度を含めてもう一度「政治改革」のやり直しを求めていきたい。≫

 火事場泥棒といふ言葉はそのままここに当て嵌まらないが、大震災といふこの災厄と原発問題といふ「想定外」の事態を利用して、今なら民主党にレッドカードを突き付けられる、朝日の軌道修正が図れると言はんばかりの「反省」ときた。気楽な事を書いてくれるな。

 朝日と毎日とNHKと、これらの大津波級の怪獣メディアが寄つてたかつて生み出した民主党政権だらう。付和雷同する有権者の輿論を操作し、民主党を政権に付けた元凶は、「政権交代」といふ「ムード」を醸成したメディアではなかつたか。

 「基本線が間違っていたとは思わない」なら、どこが間違つてゐたのか。「基本線」とは何を指すのか。自民党政治を終わらせることか? 民主主義を本物にすることか? 民主主義とは何か。本物の民主主義とはどこに存在するのか? 民主主義などと、要は理想すなはち幻想に過ぎないではないか。眼をさまさう、若宮さん。民主主義など、次善の政体。取敢へずの政治形態に過ぎないだらう。それを至上命題にしたのは占領軍であり、占領軍のお先棒を担いで我先に民主主義を喧伝したのは、戦前、大政翼賛的的な一億総玉砕を煽つた新聞ではないのか。朝日新聞の縮刷版で戦前戦後の記事を見て頂きたい。

 敗戦を境にコロリと変身した朝日が、震災を境に再びコロリと変身する。かうも安易に「反省」の弁を書かれたのでは、こちらも言葉に窮する。「民主党政権の実態には次々と期待を裏切られてきた」とまで仰るなら、それを推進してきた朝日新聞としては、これからどういふ道筋を描くのかを、はつきり書いてほしい。暗愚な私に歩むべき道筋を示してほしいものだ。「想定外」とは言ひたくなくても、やはり「予想を大きく超えた不覚」と仰る。どこがどう「予想を超えた」のかはつきり書いてもらいたい。

 自民はダメ、それはさうだ。民主はもつとダメ、これも確か。それでは、どうすればよろしいのか。私に分かつてゐるのは、少なくとも民主よりは自民の方がまだマシといふこと、そして、民主主義とは、少しでもマシな政治を(メディアの扇動なしに)国民が自ら選択出来る政治形態だといふことくらゐだ。

 反省の弁、最後の一文も引つ掛る。「政治改革」などと曖昧な言葉ではなく、はつきりどういふ政体、政権がお気に召すのか書いたらよろしい。自民が「よどみ」、民主は「予想を大きく超えた」といふなら、どこに何を望むのか、誰にどう政治改革の「やり直しを求め」るのか、そこのところこそ明確であつて欲しいのだが。若宮氏にも、一日付の私のブログ記事を呈上しておく。戦後を置き去りにした災後はあり得ない。朝日の場合、戦前の扇動を置き去りにした戦後も災後もあり得まい。

 コロリと、あるいはソロリと舵を切つて右旋回するつもりか、民主離れを正当化するつもりだけなのか、私には今のところ見当がつかない。だが、朝日が何か目論んでゐることだけは間違ひなからう。
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by dokudankoji | 2011-05-03 02:04 | 雑感 | Trackback | Comments(1)
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Commented by noga at 2011-05-03 08:50 x
我々は、ともすれば、消去法で意見を述べようとする。ああでもなければこうでもない、と話す。
消去法は、無哲学・能天気の人に見られる。不満はあっても、主張はない。
結局、不満の主張ということになるのか。
否定文だらけで不毛の内容となる。無為無策でいる。
自分の意見は、自分の哲学で話そう。上手い話を現実の中で辻褄を合わせることが出来れば、建設的な内容となる。

我々は、無いものねだりはできない。
つたない政治家であっても、捨てるわけには行かない。
我々は、助け合って、現実対応して行かねばならない。
指導者は、遠い未来に我々の行き着き先の内容を明らかにする必要がある。
そうすれば、自己の協力者を得ることが可能になる。

だが、未来時制のない日本語を使用していては、それも難しいことなのであろう。
日本語脳の持ち主は、未来の内容を受け入れることが難しい。
激しく離散集合を繰り返しながら、現実の世界を迷走する。
この国の意見発表がまともにならなければ、この国の政治音痴も解消しない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812



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