福田 逸の備忘録―独断と偏見

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2010年 11月 15日

恆存戯曲集など

 既に書店に並んでゐるとのことだが、文春から刊行中の父の戯曲集も五冊目第四卷まで漕ぎ付けた。麗澤大学の評論集が平成十九年の十一月に刊行開始だから、丸三年が経過、評論集の方は別卷を含め三冊を、戯曲集が一冊を残すのみである。

 今回は、全くの宣伝のやうな文章にお付き合ひ願ひたい。前にも書いたことと思ふが父が後半生最も長く使つた書斎はもうない。平成十八年に思ひ切つた改築をして取り壊してしまつた。何人かの方から、何と無謀なと言はれたが、こればかりは致し方ない。記念館を作つて財団にして蔵書等々と共に公開すればいいなどといふ、誠に「有難い」意見まで頂戴した(入場料、一日幾ら入るのでせう、維持費はどこから出るのでせう)。

 確かに蔵書やら何やら随分あるにはあつたのだが、一軒の家に私の書庫と父の書庫と、それぞれの仕事部屋があるといふのは不経済この上ない。その無駄は我慢出来たとしても、父の書斎にあるからといふ前提で私が持つてゐない書物といふのが幾らもあつた。しかも私の書斎兼書庫のやうな部屋では、人間が動くたびに、積み重ねられた書物がどさどさと落下し、居間に廊下に食堂にと書庫書棚が増殖し出した。そこで、十三回忌を機に父のものとすべて合体させて、書庫と書斎を一つにしてしまはうといふことになつた。

 さあ、それからが図書の他に、手紙や原稿、メモの類から古い絵葉書やら、父が使用してゐた文具類に至るまで取捨選択、捨てるもの残すもの神奈川近代文学館に寄贈するものと、選りわけ埃や黴を落とし、と戦争のやうな日々が始まつて、蔵書は倉庫に預けて改築しといつた、まさに体力勝負のやうな日々だつた。始めてから、後悔することしきり、といつても中止は不可能、力技で数千冊の本を売り、必要なものを残し……いや、今から考へるとかなり乱暴な取捨選択をしたやうな気がする。

 だが、このとんでもない「大作業」をしてゐなかつたら、実は評論集も戯曲集も微妙に異なつたものになつてゐた気がする。それが良かつたのか、あるいは間違つてゐたのか、それは俄かには判断できない。

 ただ言へることは、この作業中に見つけた(あるいは再発見した)資料が評論集、戯曲集の編集の役に立つたといふことは言へるだらう。例へば評論集中第十三巻「作家論 一」では引用のミスを発見し、第十九卷所収の論文については、雑誌発表後に訂正の朱を入れたコピーが出てきたりといつた次第である。

 そして、刊行されたばかりの戯曲集第四卷がその影響最も大だといふ気がする。一つはテレビドラマになつた泉鏡花作「歌行燈」(恆存脚色)のガリ版刷り台本が見つかつて採録出来たこと。また、その脚色の際に父が底本にしてボロボロになつた原作が残つてゐたことである。この原作に父が付した傍線などから、元はガリ版刷りであつても台本の校閲が出来た。生原稿がないため、そして著者のチェックが入つて発表されたものがないため、恆存の筆がどうであつたかはあくまで推測の域から出られないのだが、脚色時に恆存が傍線まで付した原作の存在は、句読点などの校閲に際して私に背骨を与へてくれた。

 第二の、あるいはこちらの方が大きい「成果」かもしれないが、やはりテレビ台本の「蘇我馬子の陰謀」「大化改新」そして、戯曲「有間皇子」に至る古代史に纏る系図が見つかつたことであらうか。この系図、習字用の大きな紙二枚を繋ぎ合はせたものに、当時の人間関係を実に綿密に筆で書いたもので、大きさはたたみ一畳余りある。もちろん、恆存自身が作成したものだが、じつと眺めてゐると蘇我と物部、蘇我と天皇家、皇子同士、天皇同士の確執葛藤が自づと見えてくる。

 この著者自身による系図の存在も書庫の整理をしてゐなければ、気づかぬままであつたらう。と言つても、実はそれを見つけて整理して、戯曲集刊行に手を付けた時には、すつかりその存在を忘れてしまつてゐた。この秋、まだあの狂気のやうな暑さの残る中で、こともあらうに上記古代史三部作(第四卷所収)の再校を見てゐる途中に突然その存在を思ひ出した。早速文春の編集者と相談し、ほぼ著者作成通りの系図を、ぎりぎりのタイミングで巻末に閉ぢ込みで付けることができた。

 興味のない方には、ごちやごちやと訳の分からない図としか見えないかもしれないが、その正確さと、天皇と妃と皇子たちの関係への配慮は思はず唸るほどのアイディアである。その「法則」も文春の編集者が上手くまとめて注を付けることができた。是非書店で、せめて手に取つて眺めて頂きたい。ただし、買ふ気が無ければ折り込んだ系図を破らぬやう十分お気をつけを……!

 また、恆存作成のものは継体天皇の妃(女)や皇子・皇女まで念入りに書かれてゐるが、これらは上記三部作から余りにも離れてゐるので割愛した。また、人名の読みのルビについても恆存原作には相当書き込んであるのだが、それこそたたみ一畳を超えれば許されることで、B4の大きさでは諦めざるを得なく、これは興味を抱かれた方が日本書紀なりに当つて頂くよりほかはない。それにしても、この系図、作つた人間もマニアックなら、ひと月も掛けずに、巻末に折り畳みで入れた私と文春の校閲の方もマニアックを超えてゐるかもしれない。

 以上、宣伝として、そして自宅改築に反対されたマニアックな方々への三年ぶりのお詫びと反論として通用するだらうか。宣伝ついでに、来年三月に発刊予定の評論集別卷には取り壊した父の書斎ほか写真三十枚余りを、十数ページのグラビアで載せる予定である。
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by dokudankoji | 2010-11-15 02:39 | 雑感 | Trackback | Comments(1)
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Commented at 2010-11-17 16:31 x
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