2010年 06月 21日

「御社」と「貴学」と「何気に」と

 前掲の「他人事とは思へない!」に頂いたお二人の方のコメントについて、こちらに書く。d-j1955さんが気になると仰る「御社」だが、正直のところ、私にも自信がない。いはゆる会社勤めではないこともあるが、確かにこの言葉、以前はあまり「耳」にしなかつたやうな気がする。憶測で書くが、「御社」なる言葉、そもそも話し言葉では使はれなかつたのではあるまいか。会社間の文書の中でのみ使はれてゐたものが、いつの間にか、それも恐らくこの三十年程の間に、これまた憶測だが「就活用語」として蔓延し出したのではなからうか。

 少なくとも、d-j1955さんと同じく私もこの言葉に違和感を感じる。なにか引つかかるのである。要は耳触りだと感ずる。そして、同じやうな例が、近頃よく耳にする「貴学」なる言葉。これは、十年程前からだらうか、大学受験で面接の折に、受験生が使ひ出したものと思はれる。恐らく予備校あたりが「キガク」と言ひなさいと指導してゐるのではないか。誰だ、こんな言葉発明したのは! それとも、それ以前からあるのか。予備校や受験生ではなく大学間の事務的なやり取りなどの中から生まれた言葉か。ともかく、大辞林や広辞苑など最近の辞書にも出てゐない。もちろん手許にある古い辞書いづれにもない。いづれにしても、耳触りである。

 で、「御社」はといふと、例の小学館の「日本国語大辞典」だが、前に触れた昭和五十一年刊行の第一版には見出し語として載つてゐないが、2001年刊行の第二版では見出し語になつてゐる。ただし、用例は出てゐない。この「御社」についても、やはり古い辞書には全く記述がみられない。最近の辞書なら、どの辞典にも出てゐよう。で、学んだことが一つ、「御社」は神社に対していふ敬語でもあると、多くの辞書に出てゐる。これも殆ど聞いたことがないが、あり得ることではある。

 さて、つい先日そんなことを知人と話してゐた時のことだが、会社のことを「御社」はオーバーといふ私に、私より一回り若い知人が、では「御社」ではなかつたら、なんと言へばよいのかと聞いてきた。これは、どの辞書にも出てゐるが「貴社」。この「貴社」の用例に驚いた。弘仁十二年(821年)三代格式の例が出てくる。勿論これも貴神社の意味ではある。相手の会社を敬つて使はれた例としては、1870年代の「東京新繁盛記」とか、1925年の「女工哀史」の用例なども出てゐる(以上の用例、日本国語大辞典、第二版)。

 では、「貴社」といふ言葉はどこへ行つてしまつたのか。なぜ使はれなくなつたのか。再び憶測ではあるが、「貴社」といふ言葉に同音異義語が多いことから、「御社」が使はれ出したのではあるまいか。記者、汽車、帰社、飢者、寄謝、御喜捨。面白い例として「騎射」。この項目が出てくるのは、日本国語大辞典を除いて、全て古い辞書である。勿論騎乗での射撃のことだが、これが現代の辞書にはなくなる。なる程平和な時代、言葉も歌同様、世に連れか。さう、世も言葉に連れ……どんどん粗悪になる、らしい。

 以上、d-j1955さんへの答へにもなつてゐないがご容赦願ひたい。むしろ、どなたか、ご意見があれば是非コメントを頂きたい。専門家からの、これといふ具体的な例示などがあるとよいのだが、曖昧な記憶でも結構、世代ごとの感じ方、記憶を探つてのコメントをお寄せいただけると有難い。

 悲しいのは、「三十年くらゐ前から変化してしてしまつた」などと言つたところで、殆ど無意味といふか、空しいだけ。そもそも二十歳になるかならぬ若者云々ではなく、問題はその若者を育てた教師や親が言葉に無関心な時代を過ごし、さういふ教育しか受けてゐないのだから、私の書くことなど、ほぼ、絶滅危惧種の発する戯言でしかないのだらう。

 そこで、もうひとつのmilestaさんのコメントに移る。この方は、時々コメントを下さるが、今回お書きになつた、「何気に」といふ言ひ方。私も、これが大嫌ひ。虫酸が走る。自分の親だらうが子だらうが、私の家でこんな言葉を口にしたら、即絶縁、追ひ出す。いや、世をはかなんで、私が出家する。そのくらゐ嫌ひな言葉である。

 ままよと、広辞苑と日本国語大辞典第二版を調べてみた。広辞苑には勿論出てゐない。偉い。さて、日本国語大辞典。載せてゐる。ここまで載せることあるのかい、こんな説明要らん、載せないのが見識だらうがと思ふ。恐らく、網羅的に、その時代の空気を辞典を通じて後世に残さうといふ心意気だらうが、その尤もらしい説明に、半分噴き出し、半分呆れた。

 かう書いてある、そのまま引用する。〈「なにげない」と同意の副詞用法で、近頃若い世代が用いる。強調の「ない」を添えた「せわしない」「御大層もない」などが、「せわしい」「御大層な」とほぼ同意となる影響からか、本来省略できないはずの「ない」を「に」に変えて副詞に働かせたもの。〉フゥ。写しながら改めてにやにやしてしまつた。ばかばかしい。編集者、あるいは、この項目を書いた方、出ていらつしやい。

 いいですか。「若い世代」がですね、まづ第一にですね、「御大層もない」などといふ言葉を読んだり聞いたりしてゐると本気で思つていらつしやる? その影響を受けるなどと本気で思つていらつしやる? 喩へこの辞典が2001年に刊行、項目執筆がそれより何年も前だとしても。「御大層な」が「御大層もない」に変化したり、「せわしい」が「せわしない」に変化したなどといふことどころか、そもそも、「せわしない」とか「御大層もない」といふ「ボキャブラリー」が若い世代に何か影響を与へるなんてこと、あるんだらうか。あると思ひますか?

 さうか、だから、「~影響からか」などと、「か」の一文字で「逃げ」を打つたわけですな。さうとは断言してゐません、可能性を示唆しただけですといふわけか。さすが学者、何にでもそれだけの見識のある理屈をつけなくては辞典の名に恥ぢる、さうお思ひになられたわけか。

 では私も屁理屈をこねよう。日本語の専門家でも学者でもない私には―――さらに敢て言へば、生の舞台で、生身の役者が様々の心を乗せて生の言葉を発するために、あらん限りの苦心を重ねてはもがく姿に長年付き合つて来た私には――「何気に」といふ言葉を発する人間の、この言葉を発する時の心理が手に取るやうに分かる。「何気ない」といふ言葉の意味を考へるとよい。「何の気なしに」「無意識に」あるいは「さり気なく」といふ意味だらう。さう、つまり、「あたしは『何気に』といふ言葉を殆どさり気なく使へてしまふ若者世代よ」と宣言してゐる――

 ――つまり、必死に自分が若者世代に属することを、新しい世代に属することを自分に言ひ聞かせ、いはば、「言葉のことなどあれこれ煩く言はない世代なのよ」と宣はつてゐるだけのこと。流行語とは押し並べてその様なものだ。俗にいへば「粋がつて」ゐるだけなのだが、こんなもの粋でもなんでもない、野暮と呼ぶ。さらに始末に負へないのがいい歳をして、「何気に」を「わざとさり気なく」使つてみせて、若者ぶるおぢさんおばさんの類であるが。(さうか、既に死語に近づいてゐる「さり気ない」も「さり気に」として復活させるといい。いや、やけのやんぱち、授業で使つて流行らせてしまはうか。)

 それにしても、日本国語大辞典、こんな言葉までいくら何でも、しかも今から十年以上前の若者言葉の流行に付き合つて見出し項目に乗せることはあるまい。それこそ見識がないといふことになる。これをやり出したら、毎日毎日渋谷あたりを徘徊し、各地の大学や高校を訪ねて歩き、毎年改訂版を出さなくてはなりませんぞ。広辞苑の方が余程見識があるといふことか。少なくとも、今まで、数年間、私がこの両辞典を比較してゐて、私の語感を裏打ちしてくれるのは、どちらかといへば広辞苑のやうに思へる。

 最後に、日本国語大辞典の名誉のために付け加へておくが、その用例の多さから生まれる信頼性といふことでは、日本で初めての国語「大辞典」であることに変りはない。英国のOED、つまりOxford English Dictionary には遠く及ばぬが、我が国の本格的国語大辞典第一号であることは事実であり、是非、第三版ではページ数を今の倍以上に増やし、「何気に」を採用するなら、余り語学的見地なんぞ入れずに、「俗語。平成の御世に泡の如く流行つた若者言葉、時にいい歳をしたタレントたちが若がつてつかふ」とすれば、さらに信頼性が増すのだが。皮肉ではない、エールを送つてゐるのである。

 追記:「何気ない」といふ言葉のもとに「何気」といふ名詞はなく、「何気ない」は一語の形容詞であるから、「何気に」が耳障りなのだが、同じ理屈で、「とんでもない」についても一考する必要がある。

 「とんでもございません」、これも間違ひ。この形を是とする前提は、「ございます・ございません」といふ尊敬語を普通の言葉遣ひに直して考へるとよい。「とんでもありません」となる。否定語を外すとどうなります? 「とんでもある」となつてしまふ。「とんでも」つて独立して存在しますか? これは「とんでもない」で一語の形容詞なのです。あへて「ございます」を付けるなら、「とんでもないことでございます」が正しい言ひ回し。この言ひ回しをちやんと使ふ人がゐる。それだけで尊敬に値する。

 とはいひながら……(弱気な告白)、私も気がつくと、電話のこちらで頭をペコペコ、「とんでもございません」とやつてゐる自分に気づく。「とんでもない」といふと、何だか偉さうな感じがあつて、ついつい尊敬の「ござりませぬ」を付けてしまふのだらうが、ある時、一念発起、相手が目上でも、丁寧に喋りたい時でも、「とんでもない」と言ふことに決めた。以来、「とんでもない、そんなことはございません」などとやつて、「私、偉ぶつてゐるわけぢや、ありませんよ」と信号を送つたりして冷や汗をかいてゐる。確かに、言葉といふものは、どこまで厳しくするか、とつても「ビミョー」、リゴリズムに陥ることは避けたいものである。
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by dokudankoji | 2010-06-21 01:12 | 雑感 | Trackback | Comments(7)
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Commented at 2010-06-21 17:13 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by dokudankoji at 2010-06-21 18:44
「ヨサゲ」、勿論知つてをります。上記記事を書いてゐる時は思ひ出しませんでしたが。「ナニゲ」は定着する可能性が大きいと思ひますが、多分「ヨサゲ」は消えるでせう、全くの勘で申し上げてをりますが。
「嬉しうございます」、私、時々使ひますよ。相手の方、どう感じるでせうね。驚いてゐるのかしらん。それとも呆れて? 意外に、気付かずに「スルー」していらつしやるかも。
Commented by d-j1955 at 2010-06-22 16:17 x
丁寧なご回答、ありがとうございます。
私の使用している辞典が古いせいか、「御社」は見出し語にありません。こういう言葉には、私にとっては、たとえて言うならば、好きな歌を、歌の下手な人が調子を外して歌うのを聞くときのような、そんな違和感を感じます。
歌が下手すぎれば、笑って終わりになることもあります。
私にとって、「なにげに」がそれに相当していました。
「貴学」は、存じませんでした。
(私より)若い世代の人の中には、相手を持ち上げるのに、「貴」の字を使えば事足りると考えている人もいるようです。
異なる組織に所属する十年以上年下の人に、「貴殿」と言われて、あまりいい気はしなかったこともあります。
もっとも私も、この場で自分のことを「小生」と書いておりましたが、これは目下の人に向かって使う言葉だと指摘を受けました。
申し訳ありません。
汗顔の至りです。
Commented by dokudankoji at 2010-06-23 01:11
d-j1955様
年下に貴殿と言はれたら、お主、何者ぢや、と返しませう! 「貴殿」は江戸期以降、同輩に使ふやうになつたらしく、それ以前は目上に対してださうです。
「小生」ですが、目下の人に向かつてなどと、トンデモナイ、これはへりくだつただけで、同輩もしくは目上に向かつて使ふ言葉です。以上、日本国語大辞典にもあたつて見ました。間違ひないと思ひます。私の感覚では、目上に向かつて小生は使ひたくない。そもそも書き言葉と考へて間違ひないでせう。
Commented by 元広告文案家 at 2010-07-07 12:55 x
本乙に久しぶりに訪問いたしました。話題ついでに。以前、書いていらしたと思いますが、何々になる云々に加えて。何々の方と言うのがあります。ある某辻料理学院の講師の言葉。こちらのなべの方ににんじんの法を入れて火のほうをつけて下さい云々。またとても嫌な言葉に、何々させていただく、という謙譲語なんだか丁寧語なんだか分からない不遜な言い回しが何年も前から流行っています。これは昔の某総理大臣の得意、特異な言い回しで、なぜか流行語になってしまったようです。法案を提出させていただいて云々。何故法案を提出し、ではいけないのでしょうか。こんなことをある政党ファンクラブにいた頃コメントしたら以来何の連絡もなくなりました。当時、この言いだしっぺの方が代表でした。やはり鈴は付けられない体質かとがっかりしたことがあります。弁論部にいらしたと経歴にあったので弁論術としても同じ表現を連発するのはイカガなものか、と良かれと思って書いたのですが。またオモイに相当する感じは何なのでしょう。オモイをパラフレイズするのがコミュニケーションの第一歩ではないかと愚考するのですが。すみません。つい嬉しくなって書き過ぎました。
Commented by 元公告文案家 at 2010-07-08 16:51 x
数多くの誤字失礼いたしました。皆様の想像力におすがりします。お恥ずかしい限りでした。福田さん、済みませんでした。
Commented by dokudankoji at 2010-07-08 23:30
元コピイライタアさま
誤字脱字、キータッチミスに御変換、いや誤変換、よくあることです。私もよくやります。何といふ程のことでもありません。
NHKに「みんなで にほんGO!」といふ番組があります。軟弱な番組で、私が書いてきた「させていただく」「~になります」等々、変な日本語を取り上げておきながら、結論はいつも曖昧、それもありこれもありなんぢやない、といふ、気迫の感ぜられぬ中途半端な番組です。実に中途半端。NHKらしい。
尤も、いつも寝る前の酒で意識は半分飛びながらの録画視聴ですから、偉さうなことは言へないかもしれませんが。殆どが私のブログの後追ひみたいな番組なので、わざわざ素面の時に見直してコメントする気にもなれず、酔つた勢ひで消してしまつては、暫くして残しておけばよかつたと、反省したり。次回は酒の回つてゐない時に視てみませう。
お元気で。


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