福田 逸の備忘録―独断と偏見

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2010年 02月 02日

箴言に対する箴言

 福田恆存の蔵書に昭和十一年二月一日三笠書房刊行の「ラ・ロシュフコオ箴言録」(齋藤磯雄訳)がある。箴言のところどころに傍線や丸印が附してあり、時に感想が書き込まれてゐる。前半には丸印が多く、後半に進むに従つて丸印と共に批判的な書き込みが増えてくる。

 例へば『道徳的反省』の四百五十一は≪愚物にして才を持つ者ほど不快なものはない≫といふ箴言だが、それに恆存は二つの書き込みをしてゐる。一つが「かくの如きもの、如何に多きか!」、そしてもう一つが「君子人にして才なき時、人は如何に苦しむ事か」となつてゐる。

 大真面目なのかふざけてゐるのか分からぬものもあるが、今日は上の一つを挙げるにとどめ、近々にいくつか掲載するつもりでゐる。恆存がこの本を読了したのは同年の二月十三日と思はれる。といふのは、表紙を開けると見返しに「箴言に対する箴言」といふ見出しを付けた十行弱のメモがあり、その終りに「一九三六・二・一三」と記してあるのだ。

 日付はさておき、そのメモを書いておく。この種のものは麗澤大学出版会から刊行中の評論集等々にも勿論載らぬし、やがてはこの本も、既に委託した原稿等と共に神奈川近代文学館に引き取つてもらふことになるであらう。さうなつて誰の目にも触れぬのも、なにやら気の毒でもあるし、さまざまの書き込みも、それはそれなりに面白いと思はれるので……ただし若書きであることは否めない、恆存二十五歳の頃である。

≪箴言に対する箴言
吾人に如何に鋭しと感ぜられる箴言も、常にそれ自らに対して、虚偽、偽善、虚栄、気取りの名の下に告訴される運命を有たねばならぬ。時が新しい箴言を生む。(一行アケ)凡ゆる慧智の影を宿したかに見える箴言と雖も純粋・無垢な魂の前には顔をあからめる。(一行アケ)偉大な精神力は箴言を作り得ない。 一九三六・二・一三≫


 これを読んで、殊に中ほどの一行を読んで私は「夏の夜の夢」を思ひ浮かべた。恆存が大阪万博(一九七〇)のガス・パビリオンのプロデュースを依頼された(のだと思ふ)時、ジョアン・ミロに手紙を書いて描いてもらつたのが「無垢の笑ひ」で、今でも大阪の国際国立美術館にあるといふ。四十年前に見たきりだが、もう一度見てみたいと思つてゐる。

 恆存自身どこかに書いてゐたが、その「無垢の笑ひ」を依頼したのが、(記憶を頼りに記すが)、生まれて来た赤子が母親に初めてみせるやうな笑ひ、シェークスピアの「夏の夜の夢」に現れるやうな無垢の笑ひ、といふテーマだといふ。(ミロは「よつしや、分かつた」と二つ返事で引受けたとか。)それ以来、上述の如く、純粋で無垢な笑ひとか魂と聞くと「夏の夜の夢」を思ひ出すといふ次第である。

 同時に、上の「箴言に対する箴言」だが、最後の一行もシェークスピアを思ひ出す。「偉大な精神力」といふ言葉からの連想だ。しかし、シェークスピアは謂はば箴言の宝庫とも言へる。といふことは、恆存の箴言が間違つてゐるといふことか。
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by dokudankoji | 2010-02-02 22:21 | 雑感


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