2010年 01月 27日

お声掛け

 私が嫌ひな言葉の筆頭格。気になりだしたのが二三年前でせうか。といふ事は使はれ始めたのは五年くらゐ前になるのかな。劇場などで、たとへば案内係が「パンフレット、お要りようの方は、お声掛け下さい」などとやらかすのです。でもこれならまだ良い方です。この場合なら、声を掛けるのは客の方だから、案内係が相手を立てたといふ理屈も成り立つ。それにしても気色悪い、虫唾の走る言葉ではあります。

 それが、次の例となると、支離滅裂、「お声掛け」の独立宣言みたいな使はれ方の出現です。昨年のこと、このブログのどの記事かは忘れましたが、コメントがありました。やれ嬉やと開けてびつくり、あまりの悪文に削除してしまひましたが。劇場で私に出会つたら「お声掛けさせていただく」といふのです。しかも見ず知らずの方から。まあ、面識があるか否かはこの際問題ではありません。それにしても、この場合、声を掛けるのは相手方、私は掛けられる側なわけです。多分、声を掛けようといふ自分を低い位置に置かうとはしたのでせう。でもその自分の行為に敬語の「お」を付けて平然としていらつしやる。しかも、ご丁寧なことに、その言葉に「させていただく」まで付けて。理屈っぽく申し上げると、①「お声掛け」の「お」で相手は自分を思ひ切り持ち上げて、②「させて」で思ひ切り身を低くしたかと思ふと、③「いただく」でえいやつとこちらを持ち上げて下さるわけです。これではこちらは、ジェットコースターで谷底に突き落とされて即座に急上昇させられたような気分で目を白黒させていただく他ありません。

 いづれにしても、お声掛けなどといふ言ひ回しは以前はなかつた、断言します。敬語、謙譲語、丁寧語がきちんと身に着く教育をしないで、さらに美化語などといふ訳の分からんものまで作り出して……混乱させるばかりではありんせんか。教師だつて混乱しますよ。横道に逸れるのはやめます……敬語が使へなくなつて、意識だけは何か丁寧な言葉を使はなくちやと先走り、何でもかでも「お」をつけて済ます。今でも、成り金のオバサン連が「およろしかつたかしら」などと「お」をつけて敬語を使へた気になつてらつしやる。せめて「お」は名詞に付けるやうにして下さいな。

 ついでに、嫌ひな言葉をもう一つ。「仕分け」。郵便局員が郵便の仕分けなら分かる。しかし、防衛費(国防費)まで仕分けられては敵はない。スパコンが世界で一番でなくてはならないかどうか、といふ議論は「仕分け」の対象ではなく、厳密な意味で「評価」の対象でせう。言葉をいい加減に扱ふ人間たちはその対象をもいい加減に扱ふ、さうは思ひませんか? レンボウさん(字が出ない、失礼)、あの時のあなたの目、切れてゐました……怖かつたぁ。
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by dokudankoji | 2010-01-27 01:44 | 落書帳 | Trackback | Comments(5)
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Commented at 2010-01-27 14:45 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by dokudankoji at 2010-01-28 14:06
milesta様
言葉とは融通無碍なものですから、完璧はありえないのです。したがつてあまり気にしても仕方ないのですが、「自分は間違つてゐないかなといふ慎重な態度や謙虚な態度は大事です。確かに私も子供の頃が敬語をちやんと使へたやうな気がします。小学校の頃、親から先生には父・母と言へ、お父さんお母さんなんていふのではないと言はれた記憶があります。
 いつの時代でも言葉は乱れてゐるのでせうが、現今の状況は乱れるなどといふ生半可な表現では追ひつかない混乱の極みです。あと十年もすると日本人が互いに相手の言つてゐることが理解できない可能性がある!?
Commented by dokudankoji at 2010-01-28 14:08
milesta様ーー(2)
 成金オバサンは置いておいて、三世代が同居するだけで、言葉の急激な変化を抑へられ、ほかつ子供たちは祖父母から多くの語彙を吸収できるのです。大家族のよいところです。それは、人間関係の基礎と複雑さ学ぶ上でも役に立ちます。子供への虐待も少なくなること請け合ひ。いいことずくめなのですが。結婚は両性の合意のみ基づくなどと馬鹿なことを言つて家族・家庭を壊したのは戦後の憲法、つまりはGHQですが、もはや、人のせいだなどとのんきなことを言打てゐる場合ではありません。中国が一人つ子政策なら、日本は二人つ子、三人子政策、しかも親と同居すべし、くらゐの過激なことでもしなければ、とても国力の回復は無理でせう。そこまでは極端にしても、歴史や古典に学ぶ態度だけは失ひたくないですね。
 
Commented by dokudankoji at 2010-01-28 14:08
milesta様--(3)
 人間の関係は複雑であればあるほど、情操教育も出来るはずです。核家族や両性の合意なんて愚かな事です。戦後の日本は、あらゆる面で人間を出来るだけ最小単位に収めて、個人の力を押さへてしまつた気がします。個性だ何だといひながら、歴史や先祖といふ強力な背骨をわざと失はしめた。家を捨て去つた、両性の合意のみに基づく結婚といふ、あたかも個人を尊重するがごとき幻想が、そのよい例です。アメリカなどといふ近代の実験国家など手本にするから間違ふのです。範とすべきは歴史のある国です。ただし、それも、そのまま日本に当てはめる必要はない、日本の文明は世界に例を見ない独特のものです。
Commented by milesta at 2010-01-29 01:26 x
やはり祖父母からの語彙の吸収は大切ですよね。前回のコメントを書きながら、自分の書いた小学生の頃の日記を読み返すと、祖父母の使っていた言葉がそこここに使われていたことを思い出していました。
しかし、今は核家族どころか、夫婦別姓などといって更に個人単位にしようとしている人たちがいますね。著書で「子供が18歳になったら家族解散式をしよう」とか「早く子育てから解放されたい」などと書いている人が少子化担当大臣とは、冗談のような話です。


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