2010年 01月 13日

言葉の問題は教養の問題……

 だいぶ前の事だが、かういふ記事を書いた。短いので、先づそれを読んで頂きたい。既に五年近く前のことになる。実は、まだ二年くらいゐ前の事と思ひ込んでゐたので、時の経つ速さに改めて驚くとともに、確かにこの五年余りは身辺多事、感慨無きにしもあらずといふところでもある。

 さて「これで以上になります」といふ言ひ廻しに初めて出会つたのは、上の記事の通り平成十七年秋のことだが、その後耳にしないので、やはりその時のウェートレスのみの誤用で、「人口に膾炙」するなどといふことはないのであらうと安心してゐた。ところが昨年秋から半年にもならぬ間に、五回ほど全く同じ言ひ廻しを耳にした。いよいよ蔓延し出したのか否か定かではない。ただ、これから広まることは間違ひなささうだ。

 その五回とも、いふまでもなく、「これで注文の品はすべて揃つたか」あるいは「荷物はこれですべてか」を問うて私に向けて発せられたものである。何のことはない、「ご注文の品は以上でよろしいですか」とでも「荷物はこれで全部でせうか」とでも、なんとでも言へるだらうが。妙な敬語や丁寧語を使はうとするからいけない。上辺を飾らず自然体でゐればよいではないか。

 ところが、数日前にまたまた途轍もない新種にお目に掛つた、いや、お耳に掛つた。同じく食事を注文した時だが、全部出した後でウェートレス曰く、「以上でお揃ひになりましたでせうか」! 誰に聞いてゐるのか、何が揃つたと聞いてゐるのか、わけがわからん。その時、私は一人だつた、友人か家族が一堂に会して、お揃ひになつたわけではない。あ、さうか、食事やコーヒーやデザートがすべてテーブル上にお揃ひ遊ばしたといふわけか……。

 最近読んだ坂口安吾の「敬語論」からの一節を引用する。≪言葉の向上を望むなら、教養の向上を望む以外に手はない≫。安吾は、敬語の用法が間違つてゐるなどとうるさく言ふな、敬語の使ひ方を間違へてゐるのではなく、それは教養がないからだと言ひたいらいし。さう言はれては身も蓋もない気もするが、その通りだと言ふしかない。おそらく言葉はその使ひ手の読書量や両親祖父母との会話の量とほぼ正比例すらるだらう。そして、そういふ日々の生活が教養の根源であるはずだ。

 尤も安吾は安吾らしく、だから教養を高めろなどと説教じみたことは言つてゐない。むしろ、教養など高められるわけはない、それはその時代や社会が既に生み出してしまつたものだ、さう言ひたげである。その通り。政治も国の「品格」も、今ある姿はすべて既に我々自身が生み出してしまつたといふしかない。さて、どうしたものか。この記事を読んだ方、それぞれどうお考へだらう。

 さらに安吾から引用する。≪言葉というものは、それが使用されているうちは、そこにイノチがあるものだ≫ これも、その通り、といふほかない。さらに、≪言葉の方に文法を動かして行く力がある。言葉とはもともとそういうもので、文法があって言葉ができたワケではなく、言葉があって、文法ができたのである≫といふ。だから、安吾は、をかしな敬語にケチをつけても仕方がない。まず先に言葉が存在し、しかもその元は教養だと言ふのである。

 安吾が生きてゐたら、上の誤用にもやはり、問題は教養さ、ケチを付けてそれが直るわけではないのさ、さう嘯くに違ひない。さはさりながら。私は安吾を墓から引きずり出して聞いてみたくなる、誤用がここまで来ても、安吾さん、あなたは言葉があつて文法ができたと暢気なことを言つてゐてよいと思ひますか?「以上でお揃ひになりましたでせうか」といふ「言葉」に「イノチ」があるとおつしやいますか!?

 私は言ふまでもなく、上記の誤用を認めない。いや、認めないといふ言ひ方は止めておかう。嫌いだ、虫唾が走ると言つておく。到底、「これで以上になります」や「以上でお揃ひになりましたでせうか」に文法以前に存在する言葉としての力を認める気にはならない。ここはやはり最初の引用のやうに、教養がないのだ、と高飛車に決めつけておく。

 おそらくは、つまり教養を生み出す社会が既に壊れてゐるといふことに他ならず、ここまで考へると、今さら敬語だとか言葉の正しい遣ひ方だとか、云々しても始まらないとも言へる。言葉を伝へる社会的な構造そのものが壊れ、つまり家庭が破壊しつくされ、言葉(文法も)を子供に伝へる母親自体が言葉を操れなくなつてゐる。いやいや、母親の更に上の祖父母の世代から言葉が怪しくなつて来てゐる。つまり戦後の教育を受けた私たち団塊の世代が何事につけ、崩壊の先陣を切つたと考へてよからう。天に唾するといふことか。

 敬語がどうの、言葉がどうのといふ以前に革命でも起こして社会そのものを立て直さぬ限りこの国は滅びるのだらう。幸ひなことに右肩上がりの経済は壊れた。軍事的には弱小国であること、間違ひない。外交のセンスは全くない。自国の歴史を顧ない。言葉を大事にしない。要は、何も、ない。ここまでくれば、いや、もう少し落ちれば、後は這ひ上がるか滅亡しかない。さう考へれば気楽なものとは言へないか。滅亡など、とんでもないと、偉さうなことをいふのは誰だ。

 昨夜ここまで書いて、チェックしてから今日の昼に更新しやうと思つてゐたのだが、今朝の産経新聞の記事を見て気になつたことを一つ書く。小沢一郎の土地購入疑惑について、小沢記者会見の引用があり、「捜査が継続中で弁護士に一任しているのでこの段階で個別のことを言うのは差し控える」とあり、鳩山首相の言葉も「捜査中という話であれば私から個別の発言は控える」と引用してある。

 敬語ではないが、この「個別」といふ言葉が気に食はない。小沢の方は記者からの様々な質問に、それぞれ個々に、別個に回答するのは控へるといふ意味で、一応は間違ひとはいへないかもしれない。だが、鳩山の「個別」はどうか。これも同じ文脈なのかもしれない。しかし、「個別の発言」とはどういふ意味なのだらう。私には両方とも何かを曖昧にごまかすために使はれた言葉としか思へない。政治家がよく使ふ。自民民主に関係なく。

 もちろん、昨今の政治家に私は教養を求める気はない、といふより、何も求める気になれない。ほんの些細な言葉遣ひに人間の本質は現れる。国民のためだとか、国民の目線だとか、命を守るとか、友愛とか、嘘も休みやすみ言へ。この国の政治家に一人でもゐないのか、「私は自分が大好きだ、自分が一番可愛い、だから自分が生まれたこの国が大事だ、守る」、さういふ、エゴイズムを正直に吐露する人物を求めても無理か。綺麗事や上辺だけの言葉はもう沢山である。
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by dokudankoji | 2010-01-13 23:46 | 雑感 | Trackback | Comments(1)
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Commented by milesta at 2010-01-14 08:28 x
たいへんご無沙汰しております。最近、先生のブログの更新が続き、嬉しく拝読しておりました。

この度は、TBありがとうございます。
自分が常に正しい敬語を使っているかどうかわかりませんが、最近増えている過剰な敬語には、私も虫唾が走ることがあります。
たとえば、もしも
「国民のみなさまのお暮らしがよろしくなるような政治を目指させていただきます。」
などと言われたら、「お暮らし」というような立派な暮らしをしているわけではない私は、馬鹿にされているように感じます。
慇懃無礼な敬語を使われるくらいなら、普通の丁寧語だけで心を込めて話してもらうほうが気持ちがいいのに・・・、と思います。


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