2009年 07月 27日

チェーホフと谷崎

 この二人の共通項、求めても始まらない。そんなもの初めからありはしない。あるとすれば、こここちら。ブログ更新を怠つておいて宣伝で申し訳ないが、漸く現代演劇協会のホームページに秋の公演の案内が載つたので、簡単に御紹介。八月の歌舞伎座と九月のブルガリア公演と十月の池袋での公演で、私の頭は谷崎とチェーホフの異質の世界を行つたり来たり、パニック状態。

 全て一幕ものだが、四作品となるとかなり混乱する。順序が逆になることは承知で、今月半ばから十月の公演二作品のうちの一作『タバコの害について』の稽古を始めた。四回稽古をして方向だけ掴んだところで歌舞伎の『お国と五平』に頭を切り替へてゐるところ。

 八月八日に初日を開けると、ブルガリア向けに、昨年の秋に池袋のシアター・グリーンで上演し好評(?)を博したチェーホフの『ねむい』と『白鳥の歌』の稽古が三週間弱。九月前半にブルガリアはソフィアとスタラ・ザゴラの二都市で上演して来る。字幕スーパー付だが、どこまで向うの観客に通じるか興味津々。

 一緒に井上ひさしの『父と暮らせば』を持つて行くが、現代演劇協会が井上作品など!と怒る人が、今の時代にゐるだらうか、これも興味津々。

 九月半ばに帰国、五日程休んで十月の稽古に戻り、初日は……上のリンクで確認して下さい、そこまで私の頭のメモリーは容量が大きくなくなつて来てゐる。殆どその日暮らしといふか、精々目前の一週間分くらゐの事しか頭にない。

 と、以上、意味ありげなタイトルで中身は宣伝のみで申し訳なし。一つ付け加へると、二年続けてチェーホフの作品を演出をしてみて、今まで自信がなかつた『桜の園』、翻訳も演出もやりたくなつてゐる。ついでに言へば、それを通り越してシェイクスピア回帰が頭の中では始まつてゐる。いつどの作品をどういふ形でやれるか、実現の可能性も含めて模索中、とだけ申上げておく。

 宣伝ついでに、麗澤大学から出してゐる福田恆存評論集の続刊が決まつた。全二十巻に別巻一冊といふことで、文春版の全集に未収録のものもかなり収まることになる。戯曲集(文春)の編集・校正と共に先が長く、息切れ状態……?
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by dokudankoji | 2009-07-27 01:38 | 雑感 | Trackback | Comments(1)
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Commented by 世留 at 2009-08-04 18:59 x
「人間・この劇的なるもの」から「芸術とはなにか」と重量級が続いて、更に続刊が決ったとのこと。どうぞ無理なさらぬよう。(なんやかんや言ってもトシはトシなわけで・・・。)
「チェーホフを通り越してシェイクスピア」というのは、僭越ながら極めて常識的な「回帰」と思われます。逆をいえば、チェーホフのいないシェイクスピアに魅力を感じられないのが、我々の時代なのだと思うのです。同時に、チェーホフの作品が古典の強い吸引力により鍛えられ、再生される。そういう時期なのではないか、とも思うのです。
できれば、『桜の園』の後、シェイクスピアに戻る前に、ベケットをみせて下さい。



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