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2009年 10月 13日
以下は今月の七日から十二日まで上演した「チェーホフ二題」のパンフレットに書いた演出ノートである。そのまま掲載する。 ********************************************* 『タバコの害について』と『白鳥の歌』――どちらの登場人物も年老いてゐる。彼らが口にするのは愚痴であり、泣き言ばかりである。彼らが語る言葉には、何の未来もない。過去の夢、過去の栄光、かつては「人間だつた」はずの(今や「人間らしい姿形を失つてしまつた」)自分、そして、人生に残されたものは何一つなく、もはや人生は終はりを告げようとしてゐる……そんなせりふばかりを観客は聞かされる。この二つの戯曲ばかりではない、チェーホフの四つの代表作も終幕に向つて同じ旋律を奏でてゐる。人生への諦めと生活の空虚とを垣間見せる。一世紀前に書かれたこのやうな希望の見えぬ作品がなぜいつまでも、世界の国々で上演されるのか。 答は思ひのほか容易な気がする。救ひのない人生を舞台上に見せられ――いや、人生といふものの救ひの無さを舞台上に観せつけられた観客は、そのことに拠つて実は救はれてゐるのではないか。 絶望的なまでに人生の空虚を見つめる主人公達が、それを見つめた上で、それでもその日一日を生きていく姿に恐らく私達は救はれ安堵するのではないか。この救はれるといふ感覚こそ、実は演劇の第一のそして最終の存在理由だらう。本来のありやうだらう。 つまり、観客を現実社会の苦悩や煩悶から解き放ち、観客にさらに次なる一日を生きるよすがを与へる。多かれ少なかれ現実に打ち拉がれてゐる観客に、それでも生きるべき一日がある――一日を生き延びる意味があると思はせる。芸術が、中でも演劇芸術が何らかの形でカタルシスを提供するものだとすれば、チェーホフの戯曲が与へてくれるのも、一種のカタルシスと言へるのではないか。ギリシャ悲劇にみるカタルシスほどに「高邁」なものではないかもしれない。死と再生の儀式といふほどに「壮大」なものではないかもしれないが、今日をして死なしめ、新たな一日を迎へる、さういふ意味ではチェーホフも同じと言つたら言ひ過ぎだらうか。 つまり、チェーホフの戯曲に付き合つて、常に感じるのは、日常の現実世界で薄汚れた自分が、客席で登場人物の人生を共に生き、追体験することにより、許されるやうな感覚、如何に虚しくとも生きていくことそのもの、そのこと自体に意味を見出せるといつた感覚ではないか。さらに言へば、生きて行くことに何の意味がなくとも、それでよいのだといふ安堵と、そんな自分のちつぽけな日常と人生に愛着すら持つてよいのだといふ安らぎを感じさせてくれるのではあるまいか。 パセティックではあつても悲惨ではない、悲哀を感じても悲痛とは違ふ、チェーホフの戯曲に我々が感じるのは、何とも言へぬ人間存在への哀しみの眼差しであり、そこに演劇の本質ともいふべき浄化作用を我々は感じてゐるといふのが、チェーホフを追ひかけ始めて十年余りの私の感想である。 2009年 10月 06日
これが日本の首相です。 ![]() ブッシュの前でプレスリーの真似をした小泉より酷い。さすが宇宙人ですな。奥方はさすが「元宝塚女優」。鳩山さん、どういふ気持ちでやつていらつしやるのでせう? 自分のブログを穢したくも無いのだが、産経新聞以外の新聞やテレビでどの程度の方の目に留まつたかが気がかり。見損なつた方のために掲載しておく。まさか肖像権なんて仰らんでせう。更にご覧になりたい方は、2チャンネルかこちらをどうぞ。 そして、もう一度、これが日本の首相です。 2009年 09月 28日
朝日新聞九月十七日の朝刊、つまり鳩山内閣発足翌日の朝刊だが、私は前日十六日ウィーンから帰国の時差ボケ頭で自分が読み間違へてゐるのではないか、それにしても朝日新聞らしくないとしばし唖然としてゐた。時差ボケゆえ、余り読む気にもならず、そのまま保存、数日後に読み直して再び唖然、といふより笑ひ出したといふか腹が立ち出したといふか。 第一面はまさに「鳩山内閣発足」の大見出しで、各新大臣の顔がずらりと並び、ヨイショのオンパレードも、ご祝儀記事だからまぁよいかといつたところなのだが、五面の記事を見て感心するのを通り越して唖然としたのである。 ついこの間まで朝日も含めメディアでは世襲批判の大合唱だつたはずだ。ところがこの五面ときたら、系図まで使つて鳩山氏が如何に華麗なる家系に生まれ、のみならず母系外戚がどれほど「著名」な家柄かを示し、祖父の一郎総理と一緒に写つた写真まで出して、世襲万々歳のごとき様相を呈してゐる。中見出しには<政治家4代「祖父を尊敬」>とまで大きく書いてゐる。 そして、まさか、朝日一流の照れ隠しでもあるまいが、中の記事を読むと一文にかういふのがある。「世襲批判もあるなか、由紀夫氏は家系を隠さず、むしろ前面に押し出してきた」と。さうか、メディアに批判されても自ら前面に押し出せるくらゐ立派で華やかな家系なら世襲も認めちやはうといふのだな。しかも、一方で(それを照れ隠しと言はせて頂いたが)、家系といふものは家計と同じく余り表に出すものではなく「隠す」方がよいと、やつぱり朝日は考へてゐるのだな。 世襲を認めてゐると思はざるを得ないのは、なにしろ一郎首相の親、鳩山和夫(衆院議長・早大校長)から始めて、由紀夫氏の息子のモスクワ大学研究員の紀一郎氏まで、五代に亙っての系図は実に懇切丁寧。大した手の込みやう、念の入れやう、気合の入れ方。 その系図はさらに、一郎首相の弟・秀夫が東京帝大教授で衆院議員であること、その妻の父が菊池大麓東京帝大総長にして文部大臣であること、由紀夫氏の父、威一郎の妻安子の父がブリジストン創業者石橋正二郎で、弟幹一郎がブリジストン会長であり、その妻は三井合名理事長の団琢磨の孫娘に中るといふところまで、しつかりメディアとして我々読者の知る権利を保障してくれてゐる有様だ。 朝日新聞、皮肉のつもりか否か分からぬが、この鳩山家の系図四代目に出てくる由紀夫氏と邦夫氏の肩書きはともかく、お二人の奥方にわざわざ「元宝塚女優」「元タレント」といふ「肩書き」をつけてゐる。皮肉ではなくて、生真面目? どちらとも判断が付けがたい。ここに「元」を付けるなら、すべての故人に「元」を付けて欲しいくらゐだ。 それに、威一郎の奥方が石橋家といふことは知つてゐたが、団家に繋がつたり菊池大麓が出てきたのにはびつくり。さういふ意味では朝日新聞、メディアとしての役割を果たしてゐる? しかし、知らなくともいいことばかりだ。もちろん系図そのものに何の文句を付けるいはれもない。しかし、どうにもいつもの朝日にそぐはない。さうではあるまいか。 皇室の連綿と続く皇統などにいつも否定的で、華麗な家系など軽蔑する態の記事ばかり載せる朝日が(あるいは、少なくともさういふ印象ばかり与へる朝日が)、なにゆゑ民主党総理のこととなると、かうまで古臭ぁ~い日本的な情緒に嵌まり込んでしまふのだらう。からかつてゐるのではない。気持ちが悪いのだ。オジイ様は東大の総長でいらつしやるのよ、奥様は××家の出でいらつしやつて、その何代前には○○社の創業者がいらつしやつて……等とやる権威主義が気持ち悪い。朝日にさういふケがあるとは思ひもよらなかつた。 いや、これは私が迂闊だつた、馬鹿だつた。今後は、朝日も戦後臣籍降下された旧宮家のやんごとなき方々の系図を載せるときも、是非、鳴り物入りでその華々しき肩書きや縁戚の系図を麗々しく書き立てて頂きたい。記事の中で、「世襲批判もあるなか、本人は家系を隠さず、むしろ前面に押し出してきた」とでも一行入れればよろしい。更に、申し上げれば麻生太郎氏「程度」の家系に世襲だなんだと因縁を付けぬがよろしい。朝日新聞、もう少し毅然として下さいな。 こんな与太記事(紙面?)や、四五年前まではホリエモンのやうなまさにどこの馬の骨とも分からぬ人物を持ち上げたり、昔でいへば田中角栄を今太閤と持て囃したりの、その無軌道ぶり節操の無さを見せられては、メディアといふものに信が置けぬと言はれてもしかたなからう。 ただ、それよりも何よりも、実はさういふメディアを信頼する民衆といふ存在が一番手に負へない。メディアに踊らされる、いや、一緒に踊りたがる民衆国民を私は何よりも信用できない。現今の多くの政治家やメディア同様に信用できない。四年前には自民に投票し、今回民主に投票した人々を私は絶対に信用しない。さういふ浅はかな投票行動を軽蔑する。これをポピュリズムと呼ばずして、何と呼ぶのか。 世襲の話を始めたつもりが、やはり、ついつい昨今の日本人の危ふさに思ひが及んでしまふ。それについては時間がある時にまた改めて書くつもりだが、ただ、今の「民主党騒ぎ」がいつまで続くか、それが楽しみだとだけ申し上げておく。ついでに、二年余り前に書いた、この記事にリンクを張つておく。結局、私は前と同じ歌を歌はされてゐるわけだ。 更にまた蛇足で、指摘しておく。温室効果ガスの25%削減問題。あ~ぁ、鳩山さん、本当に国連で言つちやつた……。皆さん、さう、思ひませんでしたか? さう思つた方、さう思つたあなた、そのあなたがもしもこの間の総選挙で民主党に投票したのなら、天に唾するといふ言葉を思ひ出して下さいな。高速道路無料化も、子供手当てだか子育て支援だかも同じことです……。国民に迎合する政治家だけは持ちたくない。 2009年 09月 25日
八月納涼歌舞伎の「お国と五平」といひ、ブルガリアでの「白鳥の歌」といひ、再演の怖さを改めて痛感してゐる。失敗したといふのではないが、初演時に手応えがあり、評判がよければよいほど、私といふ演出家は油断してしまふらしい。そんな経験は以前にもある。今回はその轍を踏むまいと思ひ定めてゐても、決して手抜きをするわけではないのに、何かが変はつてくる。何か尾ひれが付いたり、熱が失せたりしてしまふ。 あるいは、これも舞台の成長なのかもしれないとも思ふのだが、どこか釈然としない。そんな気分を抱へての十月の「白鳥の歌」がどういふ結果になるか、半分ゐなほつて高みの見物を決め込んでゐる。後は、もう役者がやつてくれよとでもいふ気分。もちろん違ふと思ふところは最後まで意見も言ふし、自分の考へに固執もする。(さういふ意味では私はしつこいらしい。) しかし、出演するのは私より一回りも二回りも歳上の役者たちだ、六十の洟垂れ小僧の言ふことなど、ここまで来たら釈迦に説法だらう。あと数回の稽古を残すばかりだが、気持ちよく演じてもらへれば、それでよからうと、そろそろ手綱を放さうかと思つてゐる。 ご興味ある方はこちらを御覧になつて申しこんで頂きたい。小さな小屋なので、日によつては席が取りにくくなるらしい。何のことは無い、宣伝である。 2009年 09月 17日
総選挙直後に離日し、帰国が新政権発足の十六日となる。その間、日本の情報には一切触れる機会がなかった。私は一人勝手に興醒め選挙と名付けて成田を発つたのだが、この半月もどうせ同じことだらう、今これを帰りの機内で書き始めたが、自民も民主も、興醒めなドタバタを相変わらず演じ続けてゐるに違ひない。 四年前の郵政選挙で、いい大人が本気でコイズミコイズミと騒いでゐた。私の周りでも物の分つた大人と思つてゐた知人が、熱に浮かされたやうに構造改革礼賛をしてゐたのを思ひ出す。たつた四年前である。それが、今度は政権交替が合言葉となり、格差社会やら改革の痛みやらが口の端にのぼる。といふより、マスコミがさう騒ぐから、皆その気になる。 郵政選挙で自民が三百議席、政権交替選挙で民主が三百議席。そこまで振れる振り子にはどこか異常なところがあると思ふのが常識ではないのか。マスコミに踊らされてゐる。あるいは選挙が軽んじられて(遊ばれて)ゐる。勿論、小選挙区制の欠陥がある。 山本七平流に言へば、空気――その場その時の気分、雰囲気に浸つて突つ走る。さういへば、マスコミから女子供まで日本が一色に染まつた時は、六十数年前に確かあつたではないか。玉砕を叫んで眦を決し、聖戦を批判すれば非国民と呼ばれ、マスコミが盛んに「戦果」を報道し、結果として、小さき批判の声は誰にも届かなくなる。 郵政選挙の頃からだらうか、いや、もつと前からのやうな気がするが、私は日本がいつか再び、愚かなる「負ける戦争」に突き進む時があるかもしれない、少なくとも英雄(独裁)待望一色にこの国が塗りつぶされる時があるかもしれない、さう危ぶむやうになつた。 二大政党願望など、空念仏の戯言に過ぎまい。要は、郵政だとマスコミが騒げば、わつとばかりに雪崩を打つて郵政郵政と念仏を唱へ、政権交替と「夢」を見せられると、直ぐに飛びつく。もう少し前、バブルの絶頂の頃の「空気」を思ひ出してもよいのかもしれない。あれもまさに「泡」を追ひかけ、過去も顧みなければ未来も予測しない、その瞬間に何かを求めて、虚無を掴むの体たらく。それと同じ事を私達は繰り返してゐはしまいか。郵政にしろ、政権交替にしろ、本当に何かが実現すると思つてゐるのだらうか。泡のやうな夢を追ひかけ、現実(現在)の空しさを誤魔化してゐるだけではないか。 この四年間、二度の選挙を見てゐて、私はこの国があの戦争にのめりこんで行つた姿を、漸くこの目で捉へた気がして、なにやら妙に腑に落ちる気がしてならない。これが私一人の頓珍漢な勘違ひなら有り難いのだが。 蛇足に一言。国民は、自民にせよ民主にせよ、あるいは今の政治家そのものに、本気で何かを託さうといふ気があるのか。一方、政治家は本気で自分が政治家たる能力資格を有してゐると考へてゐるのだらうか。どちらも、この三十年、我が国から失はれたことどもではあるまいか。この六十年余り、殊にこの二十年、日本は堕ち続けてゐる、それがどこで止まるのか、あるいはとめどなく堕ち続けるのか。少なくとも我々はその瀬戸際に立たされてゐる。少なくとも堕ちるところまで堕ちた、それだけは間違ひない、私はさう確信してゐる。(十六日、帰国後補記) 2009年 09月 09日
ウィキペディアにこんな記事が出てゐる。<ブルガリアでは「はい」の意思表示として首を横に振り、「いいえ」として首を縦に振る。近年首振りを国際標準に改めようという動きがある>。 といふことは、世界で首の振り方が異なるたつた一つの国? それは貴重だ、どうか世界標準になど改めないで欲しい。私はあらゆるものについて、グローバル・スタンダードと聞くと眉に唾をする。 ブルガリア公演を一手に引き受けてくれてゐる夫妻に、昨日の食事の折に聞いた話。この首の振り方のそもそもの始まりは……といつても伝説に近い説なのだが、オスマン・トルコに征服された時、喉元に剣を突き付けられて、イスラム教に宗旨替へを迫られた王が、服従にイエスと答へながら頷かうとしたが、頷けば剣が喉に刺さるので、首を左右に振りながらイエスと言つた、以来、世界で唯一(?)首の振り方が普通とは逆の民族が誕生してしまつたとか。 その夫妻の奥方は東京学芸大学の大学院に学び、日本語ぺらぺら、はなはだ知的な美人だが、ロシアで育つたため、祖国ブルガリアに戻つた時、やはり、この首の振り方にかなり戸惑つたとのこと。 話はあちこちするが、今回の「白鳥の歌」等の公演が実現したのは、この夫妻がブルガリア側ですべてを段取つてくれたからなのだが。来てみて舌を巻いてゐる。こちらに着いてから、稽古の間を縫つてプレス・カンファレンスやら、メディアの取材やら、ラジオ・テレヴィへの出演など制作・演出・俳優、合はせて十回を超えるのではないか。二都市でたつた六回の公演に、である。 しかも、その奥方、それらの会見や取材、テレビ出演等の通訳をこなしながら、一幕物三本の字幕の翻訳を、完璧にこなしてくれた。日本人の観客が笑ふタイミングで、ブルガリア語の字幕を見ながらの観客が笑つてゐるのには驚嘆の一語。それが完成したのが初日前夜の徹夜。こちらは頭が上がらない。感服するのは、そのハードスケジュールをこなして、ネを上げない。疲れた顔を少しも見せずに、いつもにこやかに美しい笑顔を見せてくれる。 今までの海外との交流が成功するかしないかは、相手が日本を好きであるか否か、ほとんどそれに掛つてゐたが、今回も同じ感想を持つてゐる。(ブルガリア時間8日21時50分記) 2009年 09月 04日
ブルガリアの首都ソフィアに着いて三日目、異民族のジェスチャーの違ひは承知してゐるつもりだが、戸惑ふのが「はい」と「いいえ」。 エレベーターに乗ろうとして、矢印が上を指してゐるので、確認のつもりで中にゐる人に「上?」と聞くと、にこやかに首を横に振りながら「上」と言ふ。かなりの違和感を感じた。肯定の時に首を横に、否定の時に縦に振るらしい。 ふと考へたのだが、世界各国といふか各民族を調べたら、この縦横の首の振り方と肯定否定の関係はどうなつてゐるのだらう。どちらが多数派か、あるいは既に何らかの統計があるのかもしれない。ちよつと興味あるところだが。どなたかご存じだらうか。 これから劇場へ行き、いよいよこちらの最後の詰めに入るが、十分な舞台稽古の時間が取れさうもない。ぶつつけ本番を覚悟してゐる。 今後、ブルガリアの旅の日記をアップする時間が余りあるとも思はれない、書ける時には書くつもりだが、その程度のものと期待なさらないで頂きたい。(ソフィア時間午前十一時過ぎ記) 2009年 07月 27日
この二人の共通項、求めても始まらない。そんなもの初めからありはしない。あるとすれば、こことこちら。ブログ更新を怠つておいて宣伝で申し訳ないが、漸く現代演劇協会のホームページに秋の公演の案内が載つたので、簡単に御紹介。八月の歌舞伎座と九月のブルガリア公演と十月の池袋での公演で、私の頭は谷崎とチェーホフの異質の世界を行つたり来たり、パニック状態。 全て一幕ものだが、四作品となるとかなり混乱する。順序が逆になることは承知で、今月半ばから十月の公演二作品のうちの一作『タバコの害について』の稽古を始めた。四回稽古をして方向だけ掴んだところで歌舞伎の『お国と五平』に頭を切り替へてゐるところ。 八月八日に初日を開けると、ブルガリア向けに、昨年の秋に池袋のシアター・グリーンで上演し好評(?)を博したチェーホフの『ねむい』と『白鳥の歌』の稽古が三週間弱。九月前半にブルガリアはソフィアとスタラ・ザゴラの二都市で上演して来る。字幕スーパー付だが、どこまで向うの観客に通じるか興味津々。 一緒に井上ひさしの『父と暮らせば』を持つて行くが、現代演劇協会が井上作品など!と怒る人が、今の時代にゐるだらうか、これも興味津々。 九月半ばに帰国、五日程休んで十月の稽古に戻り、初日は……上のリンクで確認して下さい、そこまで私の頭のメモリーは容量が大きくなくなつて来てゐる。殆どその日暮らしといふか、精々目前の一週間分くらゐの事しか頭にない。 と、以上、意味ありげなタイトルで中身は宣伝のみで申し訳なし。一つ付け加へると、二年続けてチェーホフの作品を演出をしてみて、今まで自信がなかつた『桜の園』、翻訳も演出もやりたくなつてゐる。ついでに言へば、それを通り越してシェイクスピア回帰が頭の中では始まつてゐる。いつどの作品をどういふ形でやれるか、実現の可能性も含めて模索中、とだけ申上げておく。 宣伝ついでに、麗澤大学から出してゐる福田恆存評論集の続刊が決まつた。全二十巻に別巻一冊といふことで、文春版の全集に未収録のものもかなり収まることになる。戯曲集(文春)の編集・校正と共に先が長く、息切れ状態……? 2009年 05月 17日
先づは「自分を褒めてあげたい」シンドローム――この言葉が流行語大賞になつたのは、無論、有森裕子の復活劇、つまり平成八年(1996)のこと。ただし、有森は正確には「初めて自分で自分を褒めたいと思います」と言つたはずで、自分を褒めて「あげたい」とまで、甘つちよろく生ぬるい言葉は使つてはゐない。いづれにしても――自分で自分を褒める――さう言はれると、勝手にすれば、と言ひ返したくなる。自分のことを活かさうと殺さうと、アンタの勝手だよ、一人で黙つて褒めればいいだらうがといふ気にさせられる。さういふ私がひねているのか。それなら、喜んでひねりまくらう。 多分、このフレーズの流行の頃からだらう、「自分」がやたらに正当化され、大事にされ、世の中に臆面もなくのさばり出した。尤も潜伏期間は、昭和も四十年代半ばから既に三十年くらゐはあつたと思はれる。 そしてお次が「自分探し」シンドローム――探して見つかる自分なら、探さなくとも見つからうものを、と思ふのは私だけか。いやいや、探さなくてはならぬほど自分が気になるとは一体アンタは何様だ? 自分などといふものはありはせぬ、さう腹を括つておくに越したことはない。なぜさう思はないのか気が知れない。 さういへば、「アタシッテ、……ジャナイデスカァ」といふ、何とも押し付けがましい言ひ回しはもう流行らなくなつたのだらうか。テレビをとんと見なくなつた昨今、今でもこの言ひ回しが口癖になつてゐる間抜け面がテレビの世界を席捲してゐるのか知りやうもない。これは「自分探し」の逆を行く、探さなくても分つてゐる自分といふ趣だ。が、アタシといふ自分を自ら売り込む、その何ともいい気な言ひ回しには、簡単に探せる自分を裏返しにした――自分のことはよく分つてゐるといふ自惚れた――自己肯定の悪臭が芬々としてゐる。お前がどうなのかなんぞ、こつちの知つたこつちやないよと、そつぽを向きたくなる、オマヘなんぞに興味はないよ、と。さう、褒めるも、探すも、押し付けるも――どれもこれも、安易なる自己肯定の世界。 時は移つて平成も二十年。今度は更に進化して「自分がいましたシンドローム」が始まる。この数年、あちこちで見かける言ひ回し。勿論お気づきだらう。例えば、「留学先で一人ぼっち、日本に帰りたくなって二週間、フト気が付くと、様々な人種の沢山の友達に囲まれている自分がいました」、と来る。別の例、「主人に愛されていると感じた時、子供に優しくしている自分がいました」とさ。さうかい、さういふアンタがゐたのかい、よかつた、よかつた。 さて、ところで、さう仰るなら、かういふ自分は果たしてゐないのか。「友達に囲まれて楽しげに笑つてゐる時、フト気が付くと孤独で冷酷な自分がゐました」とか、「むづかる幼い我が子をあやして疲れきつた時、隣でいびきをかいてゐる主人の首を、思はず絞めてゐる自分がゐました」なんてのは如何ですか。ついでに、「彼との密かなる逢瀬の後は、主人を優しく迎へ入れてゐる自分がゐました」なんて。 私はふざけてゐるのでもなければ、酔つ払つて書いてゐるのでもない。嫌味を言つてウサ晴らししてゐるのでは、勿論、ない。 「自分がいました」といふ時、さう言つてゐるのは誰なのか。もう一人の自分なのか? 同じ自分なのか? 同じといふ事は論理的にあり得ない。では、同じ自分が新たな別の自分を発見したとしたら、つまり同じ自分ではなくて、別の自分を発見し描写してゐる訳だらう。つまり、もう一人の自分が客観的に見て、よりよき自分とか、成長した自分とかを発見したといふことになる。客体視して、冷静に、新たなる自分をよき存在と褒めてしまふ。 その時、褒めた側、客体視した側の自分は、進歩以前の過去の自分のはずであり、といふことは過去の自分は進歩してゐないといふ前提に、実は立つてゐる。その事は忘れるかこつそり捨て去り、その存在には目をつぶつてゐる。気付かないふりをしている。あるいは本当に気付かないでゐる。気付かないのは愚かといふことだらう。そして、成長したからもう自分はよき存在だと、過去の劣悪なる自分の視点から現在の自分を肯定するのは矛盾だらう。 現在既に成長してゐるのなら、現在の視点で過去を振り返るはずだらうに、それをこの言ひ回しは現在にゐながら、過去と違つた自分を発見したと悦にゐる。いや、かう言つた方が分りやすいかもしれない――過去の劣つた自分から今や優れた自分に生まれ変はりましたと、その成長を寿ぐのだが、過去の自分が劣つてゐたことよりも成長の発見自体を寿いでゐる、欺瞞と文章のごまかし、そこにこの言ひ回しの捩れたやうな、落ち着きの悪さがある。 この種の言ひ回しをする人種は、次の瞬間に一体どんな自分を発見してゐるのか、是非とも聞いてみたい。成長した自分を発見したのだから、いいぢやないか、などと幼稚な反論は止めてくれ。それなら、成長する前の自分を凝視するところから始めるのが筋だ。それでも不服だといふなら―― ――仮にこの言ひ回しをよしとしてみよう。言ひ回し自体のいやらしさは忘れて考へてみよう。さうしてみても、何とも嘘臭さがついてまとふとは思はないか。過去と現在といふ縦軸ではなく、同時存在としての横軸で見るといい。何らかの自分を見つけた自分、即ち背後の自分は、人間として当然のことながら、あらゆる悪や汚れ穢れ狡さ、何もかも背負ひ込んでゐるわけだらう。この、人間の裏面を放り出して「~~な自分がいました」などよく言へたものだといふのが、正常な感覚ではないか。 裏面は全て背後に隠して、どんな自分を見つけても、傍から見ればオメデタイ以外の何ものでもなく、結局アンタの勝手だよ、押し付けるなよ、といふところに戻つて行く。いはば、限りない自己肯定の欺瞞、それが「自分」シンドロームの核心ではないか。だから私は不快に感ずるのだと思ふ。 なので!――私自身にはどんな自分もゐなくて構はぬ。 以上、何十年振りかで「三四郎」を読了した夜、記す。 蛇足ながら、自分探しの果てに益体もない自分を見つけて悦に入つてゐる御仁にお薦めの図書がある。いや、恋だ不倫だ、子育ての悩みの果てに別の自分に逃避する柔な御仁だけではなく、むしろ、生きることのキツさを本当に感じてゐる若者に薦めたい。「ゲド戦記」、ことに第一巻と第三巻。生きて行く事を援けてまではくれないにしても、救つてまではくれないにしても、一度は読むべき作品だ。いや、十代二十代で一度、三十代四十代で、そして老境に差し掛かつてと、三度四度手に取る意味のある図書だと思ふ。 2009年 05月 03日
新型インフルエンザに怯えながらの連休だが、海外からの帰国ラッシュが国内での感染爆発の引鉄になるのだらうか。だが、どうやら豚インフルエンザは鳥インフルエンザと違つて毒性が左程強くないやうだ。死者も世界全体でまだ千にも満たない。日本で三万人死亡したとしても、年間自殺者と同じ数だ。一千万人が死んでも、生き残つてしまふ人はまだ一億を超えてしまふのだし・・・・・・。なに、心配することはない、仮にフェーズ6のパンデミック状態になつたとしても高が知れてゐよう。鳥インフルエンザは空から攻撃してくることテポドン並みだが、渡り豚なぞ聞いた事がない。いつか豚が空を飛んで糞を落とし始めてから慌てだしても、遅すぎはしまい。 実は今、インフルエンザよりも遥かに気にかかる徴候がある。それが、「なので」という言ひ回し。この一二ヶ月の間に蔓延し出した。最初に耳について気になりだしたのが、早くても昨年の暮までは遡らない。(テレビでは半年ほど前から流行り出してゐたらしいが。)この一月程は国内でエピデミック状態に近い。学生も同僚も家族も無意識に使ふ。メールでは特に多用される傾向があるやうだ。 どういふ使はれ方をするかといふと、例へば―――「C学部の偏差値は年々上つてをり、この傾向は、現在の改革を進めていけば更に上昇するものと思はれ、やがてはW大やK大に並ぶこともあり得ます。なので、我々としては今後も一層のカリキュラム改革を……」、「今週は色々と忙しいので週末は自宅で雑用。なので次に会えるのは……」――といつた使はれ方である。 たちの悪いことに、これ、必ずしも誤用とは言へない。単なる言葉の省略に過ぎない。「さういふ事情ですから」「以上のような状況ですので」「といふわけなので」「従って」等を、ちよつと楽して三文字、三音ですましちやはうといふわけだ。メールからインフルエンザ・ウィルスの如く広がつた可能性もある。より短く簡潔にといふ意識が働いたのか。それが会話でも、「以上の通り説明したやうな事情ですから」などと大仰にやるよりは、楽だしィ、親しみも出るじゃん、会議だつて和むかも、なんていふ無意識の省エネ根性が働いて、盛んに使はれるやうになつたのだらう。 だが、言葉はかうして、徐々に気付かぬうちに粗雑なものにされてしまふのだ。一年前には誰も口にしなかつた言ひ回し、テレビに出るしか脳のないバカどものいい加減な「シャベリ」に始まつて、あつといふ間に、茶の間を会議室を席巻し社会に蔓延する。かうして日本語は表現力を弱め失ひ、貧弱な言語へと堕していく。文学もいづれは消滅する。 なので、私はかかる粗雑にして不快なる言ひ回しは金輪際使はないことにしてゐる。ア、しまつた、使つてしまつた。なので、この文章はブログに掲載するのは止めるべきかとも思ふ、が、やはり、一時の流行語には歯止めを掛け、偉さうに、日本語の堕落には警鐘を鳴らしておきたい。流行語と言ふよりは新しい語感の誕生だとのたまふ輩も出てきかねない、だとすればなほさら、このふやけた言ひ回しの抹殺扼殺根絶を提唱したい。従つて、意を決してここに掲載する 2009年 04月 09日
過日、確か民放の番組だつたと思ふが、何の気なしに見てゐて、以来ずつと引つ掛かつてゐることがある。なんといふ番組だか、どういふ流れでそのことに話題が及んだのかは忘れた。雑用に追はれながらの、殆ど「ながらテレビ」の状態だつたから。 その番組でアメリカのどこやらの大学のサークル活動の映像が流れ、学生たちがカラオケに(学内で)興じてゐる。歌つてゐるのは日本のアニメ・ソングで、サークルは日本製アニメ研究会とでもいふものらしい。(学内でカラオケを歌ふサークルがあるのかい、アホらしい、さすがアメリカだね、軽い軽い。日本といふとアニメかコスプレ、これにもウンザリだ、一昔前のフジヤマ・ゲイシャと変らんぢやないか。しかもそれを文化と呼ぶ、何をか況や。さういへば日本のその種の「サブカル」<寒軽!?>に一番夢中なのがフランスらしい、一体どうなつてゐるんだ、この世界は。) と、益体も無い独り言はさておき、そのサークルの学生の発言に、私は空いた口が塞がらなかつた。大略、このやうなことを言つてゐた。「日本のテレビのお笑ひタレントつてオーバー・アクションだよね!」……。この発言が日本人の口から出たものなら、聞き流したところだ。だが、欧米人に、お笑ひタレントであれなんであれ、オーバー・アクションだと言はれたことに、私は、オーバーかもしれないが衝撃を受けた。日本人がオーバーなジェスチャーをするやうになつたのも、元はといへば欧米人の物真似からだらう。 お笑ひタレントにしても、一般人にしても、日本人のアクションあるいはジェスチャーが大仰になつたのはいつ頃からだらう。およそ、物事に大雑把な私には、かういふ時に頼るべき確たるデータは何も無いが、それは平成の二十年やそこらの問題ではあるまい。コント55号? ドリフターズ? いやいや植木等だつてかなりオーバーだつた。 事のついでに、女性が大口開けてガハガハと笑ふやうになつたのはいつの頃からか? 公私の場を弁へなくなつたのはいつの頃からか? 女性だけでレストランなり居酒屋なりで酒を呑み、辺りを憚らず大声で喋る風景を我々が何とも思はなくなつたのは、いつの頃からか? テレビの世界にも始めはオーバーなジェスチャーなどありはしなかつた。今や、お笑ひタレントのみならず、それを真似した子供が大人になり、さらに子供を産んで、既に二代に亙る再生産、オーバーなジェスチャーを奇矯とも思はぬ社会を生み出してゐる。一例を挙げれば、子供にカメラを向けてみるがいい。大学生に至るまで、一斉に手を挙げてピースサイン、何やらロボットでも見てゐる気になる。この十年余り、ことに酷い、目に余る。 一方、同時に、かうも言へる。テレビが普及して間もなく、気が付いてみると、お笑ひが茶の間に忍び込み(たとへば、トニー・谷)、それは際限もなく堕落し、やがて芸でも芸能でもない下卑た笑ひの世界へと堕して行つた。恐らくその堕落に十年も掛かつてはゐないはずだ。その後は一気呵成、今どのチャンネルを見ても、似たり寄つたりの間抜け面が大口開けて、オーバーに手をバタバタ叩いて、面白くもない仲間内の、ギャグにもならぬギャグに自分達だけで面白がつて金を稼いでゐる。そのギャラは、疑ひもなく我々の消費によつて購はれてゐるのだが。 話はあちこちに飛ぶが、かつて西洋に倣つた新劇が、そのオーバーなジェスチャーを揶揄されたのはいつの頃だらう。それに反発するやうにリアリズムと称して、限りなく等身大のチマチマしたつまらぬ「演技」へと傾斜する「舞台人」が現れ、一方で児戯に類する跳んだりはねたり喚いたりの、これまた異質なオーバー・アクションがエネルギーを感じさせてくれると観客を思ひこませたのは、いつからだらう。いやいや、この種の舞台は今でも主流か。 ともあれ、少なくとも昭和の三十年代には、あるいは四十年代の半ばまでは、日常の世界では、日本人は遥かに遠慮がちであり、いはゆるオーバーなジェスチャーからは遠く隔たつた存在ではなかつたか。その挙措も言葉遣ひも穏やかで品があつた。一言で言へば未だ戦前が残つてゐた。つまり、明治大正が厳として残存してゐた。明治の生まれの人が矍鑠としてをり、大正生まれの人々が社会を引つ張つてゐた。芥川の『手巾』(ハンケチ)の世界がまだ身の回りに生きてゐた。感情を面に出さぬ事が美しいと思はれ、楚々たる佇まひがよしとされてゐた。そこに何の疑ひの余地もなく、社会がさういふ世界を当然のこととしてゐた。 そして、かつては欧米の事象を先進のものと「憧れ」真似した日本人が、今や欧米の人間から、オーバーなアクションと言はれて、面白がられるまでに、そのジェスチャーは異常な発展を遂げたらしい。コスプレが「クール」なものと持て囃され、パリで人気になるまで日本の「文化」は進化を遂げ――いやいや、文化の概念をいとも軽々と覆し、さらにマンガやコスプレが「学問」の対象とまでなり「大学」の研究対象にすらなり得る御時世が来てゐるらしい。 マネをした オーバーアクション マネをされ……と、川柳にもならぬ軽口を叩きたくなる。日本の芸能も日本人の資質も、どこまで坂を転がり落ちるのか。いや、落ちて行くのも構ひやしない、もしも落ち続けてゐることに気が付いてゐるのなら……。 政治の世界も同じことだ。だが、政治家の愚劣を口にするな。与野党を問はず現今の政治家の愚昧な浮き足立つた言動は、笑つて済ませられるものではあるまい。からかひ軽蔑して済ませられるものではあるまい。それは何も政治家だけのことではないではないか。政治家を嗤ひ侮蔑する時、忘れてはならない、我々も同じオーバー(大仰)で大雑把で貧弱で粗雑な世界に生きてゐることを。我々は、ああいふ姿に――お笑ひ芸人の姿に、政治家の姿に、己が姿の投影を見る筈だ。 かつて、誰かが人間は変らない、ギリシアの昔から変らないと述べてゐるのを読んだ記憶がある。が、それは違ふ気がする。人間は劣化する。際限なく劣化する。明治から大正へ、戦前から戦後へ、昭和から平成へ。どう考へても、日本人は顔付き一つとつても弛緩し、弱々しくなつてゐるのではないか。ジェスチャーやアクションがオーバーになつた分、中身は空疎になつた、それだけは確かではないか。 2009年 03月 22日
今日の報道で多くの方はご存じだらうが、私の住む大磯にある吉田茂邸が全焼した。放火か失火か分らぬが、家人は早朝の異様なサイレンの音に不安を覚えたらしい。横浜に住む知人が八時過ぎにニュースで知り電話をして来て、家人はこの「大事」を知つたとか。一方、朝の四時近くに就寝の私は白河夜船、「大事」を全く知らずに昼近くに起き、その事実を聞かされ茫然とした。 伊藤博文の別荘蒼浪閣(明治憲法起草の間といはれる一室がある)と共に吉田邸はいはば町の象徴であり、といふより、私にとつても生活の一部に溶け込んでゐる風景だつた。大隈重信の別荘、今は古河電工の所有管理になる住宅、西園寺邸など、この大磯にはいまだ明治以来の文化財が存在し、生活の中に息づいてゐる。以前には白洲正子の実家樺山邸もあれば、加藤高明首相の屋敷もあり、佐賀鍋島家の別荘もつい近年まで残されてゐた。 さういふ歴史を背負つた建築物があるといふ事だけでも心愉しきことだ。島崎藤村が住み、後に高田保が住んだ家も、今は藤村邸として公開されてゐる。私が幼年期を過した家の斜向かいにあり、幼き頃遊んでもらつた高田保の家が藤村の住んだものと知つたのは後年のことだが、その家も蒼浪閣も吉田邸も私にとつては一度は足を踏み入れその「場」を体験し、その記憶と共に生きてきたものであり、焼失の報せに、かなり動揺したと言つてもよい。 私の産まれた建物は、当時両親が間借りしてゐた山下汽船の別荘(山下別荘と呼んでゐた)、そこから引つ越したのは私の乳児期であり、これは記憶に残つてゐないが、この別荘もその後、火事で焼失した。その時の衝撃も今懐かしさと共に思ひ出される。ついでに言へば今私の住んでゐる家の向ひにある家も古く、先々代團十郎が夏の間、滞在した部屋もある。 ところで、吉田茂の功罪はなかなか簡単には言へぬが、戦後の復興に関する功績は幾ら言葉を費やしても足りぬと同時に、経済最優先・再軍備後回しは幾ら悔いても足りぬ失策と私は思ふ。戦後六十年を閲して、ソマリア沖の海賊対策にああだかうだと愚にも付かぬ論議が戦はされ、自衛隊がいつまでも軍隊足りえぬ、両手両足を縛られた武器無き戦闘集団たらざるを得ない、さらに、さういふ政治家とその政治家を選ぶ国民を育て上げてしまつたこの国の姿、これらは吉田の失策の結果と言つてよいだらう。 吉田邸焼失。今、暮れなずむ大磯の自宅にゐて、吉田邸がもはや存在しないこと、やがて、その美しい庭園も(県が現在の所有者の西武鉄道から家屋と共に購入して管理すると言はれてはゐたが)、今後どうなるか分つたものではないことを思ふにつけ、寂寥とした寂漠とした気持ちに捉はれる。失つて漸く、その存在がいかに自分の心の、自分の存在の一部になつてゐたか気が付く。防ぎやうがなかつたことなのか、それは私には分らない。ただ、現在は失はれた事を残念と思ふ、無念と思ふ。悔やまれてならない。 牽強付会と言はれるかもしれぬが、吉田邸焼失に衝撃を受けた瞬間、もう一つ考へた事が皇室のことだつた。消滅し、失はれて初めてその存在の意味を味はふ。喪失の悔恨を味はう。皇室も恐らくさういふものではあるまいか。理屈ではない。抛つて置いても、どこかに存在すると安心しきつてゐる、あるいはその存在の意味を日常考へてもみないもの、私にとつての吉田邸同様すつかり忘れてゐるもの、それがある日、存在を已める。その時、慌てて如何なる対策が取れるのか。 我々が、今、本気で対処しなくてはならぬ懸案、しかも、小泉の皇室典範改正問題で一時期盛り上がつたものの、秋篠宮家の親王誕生によりどこかワザとのやうにマスコミが話題にしなくなつたこの問題を、我々はもう一度、失つてしまふ前に熟考すべきではないか。吉田邸が失はれても、あるいは、いつの日か桂離宮が法隆寺が焼失しても、確かに日本人、日本の国は生き続けるのだらう、喪失感を秘めたままに。そして、いつの日か不在に馴れる。それでもよい、失つてしまつたものはどうしやうもないではないか。さうは思ふ。が、失はずに済むものなら、失ひたくはない、失はないやう最善の手立てを講じるべきではないのか、建造物の如き文化財にしても、皇室といふ日本の文化そのものにしても。 2008年 12月 02日
舞台の仕事をして、いつも感ずることだが、一つの舞台の稽古をして本番を済ませると季節が一つ先へ進んでゐる。秋を満喫しつつの稽古に入り、本番が終つてみると冬が近づいてゐる。その間、新聞にも眼を通しインターネットで日々のニュースを追ひはするものの、頭は、例へば今回ならチェーホフ一色である。 麻生首相の失言や漢字の誤読も田母神論文問題も、頭の片隅をかすめて通り過ぎて行く。医者に関する麻生首相の発言は、私としては首相の言はんとしたことは理解できる気がするが、その表現は余りにも雑駁であり、医師会が文句を付けるのもよく分る。 「未曾有」や「措置」の読み間違ひについては、一国の宰相として恥かしくないのか、いや、国民として自国の宰相がこれではお恥かしい、呆れかへる他はないとだけ言つておく。ただし、では「未曾有」をまともに読める日本人、その意味を把握している日本人、今までにこの言葉を使つた事のある日本人がどれ程ゐるのか、それも気にかかる。 で、本題に入る。今日の朝刊(産経・朝日)に麻生内閣支持率の急落が報じられてゐるが、その原因がこれらの失言問題なのか、誤読問題なのか、あるいは定額給付金や金融危機への対応への不安にあるのか、どうにも判然としない。これら諸々が総体として支持率を押し下げたことはありうる。 だが私は、むしろ田母神論文に原因があるのではないかといふ気がしてならない。安倍や麻生に対する支持には、一時的に無党派層にシフトした元来自民支持の保守層がかなりゐるはずで、その人々は田母神氏の意見には恐らく大筋賛成であつたはずだ。当然、麻生首相が「村山談話」から距離を置いて、田母神氏を守る事を期待したはずだ。 ところが事は全く逆の方向へと動いた。自衛隊の最高責任者の立場にある首相が、自衛隊員の「監督、教育のあり方について再発防止、再教育」を参院外交防衛委員会(十一月十三日)で言明し、防衛相も追随する形で自衛官の発言活動はおろか思想統制にまで及びかねない発言をしてゐる。(秋葉原の事件ではあるまいし、「再発防止」はないだらうが) この事が保守層の麻生内閣への失望を呼び起こして、支持率急落に結びついたのではないかといふ気がする。なんだ、麻生も村山談話に縛られてゐるのか、といふ思ひが麻生への期待を急速にしぼませたのではないか。あの、なんだか乱暴な口を利くけど威勢のよさ、明るさは悪くないな、と感じてゐた人々の期待をしぼませたのではないか。これでは、加藤紘一や古賀誠と同じではないかといふ思ひが保守層に広がつた事は否めまい。 以上、簡単に朝刊を見ての雑感を手短に書き付けておく。 蛇足ながら、田母神氏、空幕長ともあらう者が、懸賞論文に応募するなど、恥かしくないのだらうか。東大や京大の学長が懸賞論文に応募するのと大差ないと言つたら喩へが悪いだらうか。あるいはかう言つた方がよいのか――さうする以外に彼には自分の意見を表明する場所が無かつたのか。いはゆる、オピニオン誌は氏に原稿依頼することは思ひつかなかつたのか。だとすると、その編集者達はアンテナの張り方が足りないのではあるまいか。氏の論文に大いに賛成するだけに、発表の方法が気になつてゐる。まさか、保守系ジャーナリズムがこの種の思考に及び腰になるほど軟弱だとは思へない。やはりアンテナ不足か? (三日午前一時過ぎに一部補足) ******************************* 前掲記事の舞台、一応、まあまあの出来と自画自賛しておく。お出で下さつた方々がそれぞれに何かを感じて下されば、それでよしとしたい。お出でいただいた方にはお礼申し上げる。 それにしても、チェーホフは素晴らしい。「普通」の人間、底辺に生きる人々への暖かな眼差しが私は好きだ。そして、この一年程の間、飛び飛びではあつても「白鳥の歌」を通して、人生について、生きることについて(つまり死ぬことについて)考へ続けられたのは、私にとつて無上の幸福だつた。どんな世の中であれ、どんな人生であれ、どれ程惨めな日常であれ、生きるに値するのだとチェーホフは、語り続けたに違ひない。小品とはいへ、その作品二つに一年付き合へただけでも、私の人生も生きるに値すると考へておかう。 なお福田恆存戯曲全集は書店に並び始めたはずである。「ゲン」を担いだわけでもないが、評論集と共に、第一回配本は父の祥月命日を発売日としてゐる。劇作家としての福田恆存が、息子の私は甚だ好きなのだが、読者の皆さん、福田ファンはどう捉へるのであらうか、興味あるところではある。 2008年 10月 12日
簡単に告知のみで失礼します。 ①現代演劇協会のホームページをご覧下さい。 稽古は今年三月から役者それぞれのスケジュールの合間を縫つてぽつぽつ進めてきましたが、「ねむい」の稽古がこの週末から本格的に始まりました。「白鳥の歌」は月末から。二つの間に短いチェロの「演奏会」もありますが、全体で一夜の小品にするつもりです。 「ねむい」についていへば、チェロの伴奏をかなり頻繁に入れた、いはば演劇的朗読にしようと目論んでゐますが、結果は観てのお楽しみ……。チェロ好きの方にも楽しんで頂けることと思ひます。 今回の演出が私自身の白鳥の歌になるかも知れぬつもりで臨んでをります。といひながら、既に再来年の企画に手をつけ、その演出を他者に依頼するか否か、考へ込んでゐるのですが。 ②福田恆存戯曲全集は十一月下旬頃、第一回配本の刊行の予定です。テレビやラジオのシナリオから、単行本や雑誌に載らなかつた戯曲まで現存のもの全てを網羅します。 2008年 07月 16日
中学社会科の新学習指導要領解説書に、竹島について「韓国との間に主張に相違があることなどにも触れ、北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要」と、何とも不得要領な表現がなされたとか。 韓国による所謂「実効支配」は、武装警察隊によるものなら半世紀以上、有人灯台や接岸施設等の設置からでも十年以上が過ぎようとしてゐる。その間、つまり半世紀余りの間に、この国の政府がしたことは「不当支配」への「抗議」の他は、領有問題を国際司法裁判所に付託することの韓国側への提案しかしてゐない。 そこに重ねて、今回のふやけた解説書の登場と来た。それが外交的配慮といふなら、是非教へてもらひたい。配慮した結果、何が得られるのか。成算でもあるのか。「人の嫌がることはしないものだ」と分つたやうな口を利く首相が、韓国の嫌がることはしないやうにと配慮した結果は、見ての通り、「深い失望と遺憾」と駐日大使の一時本国呼び戻しのみを相手側から引き出した。恐らく、またもや反日騒ぎが起こるだらう。大した外交力ではないか。 領土問題を半世紀に亙つて解決できず、抗議と国際司法裁判所頼りしか手立てがないとしたら、もはや、その領土は手放したといふことだらう。外交力、経済力、武力、何を使つてもよい。それを、戦ふ時に戦はず、相手の善意のみに期待してゐるのなら、それは自ら敗北を招いたといふだけのことだらう。 さう、この国は負け続けてゐる。北方領土で、尖閣列島で、東シナ海油田で、拉致問題で。なぜか、答は簡単明瞭。実は首相を含め政治家に何の責任もありはしない。責めを負ふべきは我々国民に他ならぬ。国民が、実は竹島などどうでもよいと思つてゐるからに他ならない。拉致被害者が帰らなくとも、どうでもよいと思つてゐるからに他ならない。 自国の領土は武力行使してでも、そのためなら国民の命を捨ててでも守る――一方、たつた一人の国民の命でも、武力を以つて守る。独立国としての気概が国民にも国家にもなく、なんの覚悟もないなら、一日も早くアメリカ合衆国の一州に加へてもらふに如はない。このまま、腑抜けた日々を送るなら、アメリカにも見捨てられ(いや、既に三行半を突きつけられてゐはしないか)、近い将来、支那の朝貢国になり下がることは目に見えてゐる。 所謂二百海里の排他的経済水域でいふなら、沖ノ鳥島から尖閣諸島、竹島まで含め、この日本といふ国は、地球上で第六位の広大な面積を領してゐるといふ事実を、どれだけの国民が認識してゐるのか。その広大な海域をみすみす失ふといふのは、どういふ了見なのか、私には分らない。石油の値上がりで漁に出れば出るだけ赤字だといふが、領土を失へば漁場も失ふ。水域の海中深く眠つてゐる鉱物資源も失ふ。ただでさへ、温暖化の影響か、海の生態系に異変が生じて水産資源に深刻な影響が出てゐる時に、我々は能天気に「人の嫌がることはしない」などと言つてゐる場合ではあるまい。 洞爺湖サミットで北方領土問題に何一つ道筋を付けられぬこの国、六カ国協議ではアメリカ・支那からも相手にされず、従つて北朝鮮にも文字通り無視され続けるこの国。竹島を「固有の領土」と指導要領の解説書にも明記出来ぬこの国。すでに、この及び腰は半ば領有権放棄を表明したやうなものだ。私が韓国大統領なら、「遺憾の意」を表明する一方で、着々と実効支配をより強固なものにするだけだ、それがあと半世紀続いた時のことを考へて見るがよい。それは実効支配とは呼ばれず既成事実となり果てる。北方領土については、既に既成事実は完了形になつてゐると言へよう。 街行く人々に聞いて見るとよい。武力に訴へてでも取り返すべきか、と。答は否であらう。ならば、北方領土は言ふまでもなく竹島も既にこの国の領土ではない。さう言つても、冗談では済ませられぬものがありはしないか。 あきれ果てたと言ふほかない、やはりこの国は国家ではない。この国の穏和な国民には独立心も無ければ自尊心もない、国家意識など微塵もなければ、自国を守る気概も皆無である――これでは、北方領土も二島すら返還されまい。尖閣諸島もやがては支那の領土となる。拉致被害者は永遠に戻るまい。それで、本当によいのか……。 2008年 06月 18日
先月半ば過ぎ、ある大学の公開講座で『日本を保守するもの――文化としての皇室と国語』と題して二時間ほど話をしたのだが、先づ文化といふ甚だ曖昧な使はれ方をされる言葉の定義に一時間を費やしてしまつた。大雑把にいへば、我々日本人は今や殆ど日本文化を失つてをり、「文化」と聞くと伝統芸能や文化財としての歴史的建造物などを思ひ出すが、それらは飽くまで我々の外側にあるもので、日本人としての我々個々人に、内なる文化があるかとなると甚だ怪しいこと、さらに、和服などを日本の文化として考へると、ひとたまりもないことになる、つまり、和服をごく普通に着こなし、日常を送つてゐる人は甚だ少なく、和服をすら一種のエキゾティシズムで捉へてゐること、さらに、日常の立ち居振る舞ひや生活の中にも、嘗てあつた「和」の文化は殆ど見られなくなり、生活に密着した「生き方」としての文化はもはや危殆に瀕してゐるといつた事を、T.S.エリオットの言葉などを援用しつつ話した。 後半の一時間では、その文化を失ひつつある我々に僅かでも残されてゐるものが、文化としての日本語と皇室なのではないかといふ趣旨の話をかなり端折つて話したのだが、その両者の結節点として和歌を列挙して、記紀万葉の時代から現代に至るまで、皇室と共にあつた和歌が、同時に古くから民衆にも親しまれたこと、しかも、その記紀万葉の言葉が現代の我々に理解出来るどころか、我々が心動かされることなどに触れた。 むしろここからが、この記事の本題だが、その公開講座から十日程経つた頃だらうか。一冊の書物の送呈を受けた。それが竹本忠雄氏の手になる『皇后宮(きさいのみや)美智子さま 祈りの御歌』であつた。以前から皇后陛下の御歌は好きで、染み入るやうなその調べに度々心動かされた事がある。今回、纏めてその御歌に接し、これは尋常ならざる歌人を(そして恐らく思索の人を)我々は皇后に戴いてゐるのだなと思ひしらされた。 竹本氏は、わざわざここで紹介するまでもないだらうが、仏文学者、アンドレ・マルロー研究の第一人者であるとともに、海外ジャーナリズムの反日的論調に対して敢然と立ち向かふ、千万人と雖も我往かんといふ気骨の持ち主でもある。上掲の書では、氏が多くのフランス人の協力を得て、皇后陛下の御歌集『瀬音』から五十編余りを仏語に訳して出版する経緯と苦難、その間の皇后陛下との交流、フランスはもとより出版後の海外の大きな反響などを報告する章と、御歌と仏訳『セオト』が収められてゐる。氏の労苦にただただ敬服するのみである。この仏訳こそ、恐らく日本の文化輸出の最も良き姿であらう。 夢中になつて一気に読んでしまつたが、私が繰り返し読み口遊んだのは、美智子皇后の御歌の数々である。時に宇宙の高みからこの日本をあるいは国民を見そなはし、時に遥か彼方の国々に思ひを馳せ、天皇陛下を敬ひ且つ見守り、皇太子らお子様方を慈しみ、病める人弱き人に思ひを寄せ、動植物にも心を寄せる。竹本氏は、我々読者を強ひることなくその世界にいざなつてくれる。過不足ない解説、エピソード、御歌から我々が感じ取る皇后のお人柄を補強するやうに、的確な形で皇后陛下のお言葉を引用する。このお言葉の数々は、恐らくは長きに亙る懊悩と沈潜が齎した思想とも呼び得るのではないか。一言で片付けるのは愚かかもしれない、だが、私は謙譲と静謐といふ言葉こそ皇后のお人柄に相応しいのではないかと感じてゐる。いや、慈愛、惻隠、おほらか、穏やか、柔和、奥床しさ、気宇壮大、思ひ遣り、慮り……幾らでも並べられるやうで、どの言葉でも言ひ現せない深淵の如き存在とでも言つたはうがよいのかもしれない。 そして、御歌を読み進めるに従つて、国母といふ言葉が相応しい皇后が、この平成といふ漂流する日本に存在することに何とも不思議なめまひのやうなものを感じた。記紀万葉の世界、神話の世界まで紛うかたなく繋がつてゐる皇后が現代に存在する。御歌がそれを明確に証ししてゐる。先に挙げた私のある大学での話しなど戯れ事に過ぎない、皇后の御歌に接すれば、皇室と国語が連綿と日本の文化を守り、日本人を日本人たらしめていることが明瞭となる。是非、上掲の書を紐解いて頂きたい、著者の良き先導もあつて一首一首が心に染みる。幾首かをここに挙げて、後は読む方の判断に委ねる。 かの時に我がとらざりし分去(わかさ)れの 片への道はいづこ行きけむ 窓開けつつ聞きゐるニュース南アなる アパルトヘイト法廃されしとぞ めしひつつ住む人多きこの園に 風運びこよ木の香花の香 慰霊地は今安らかに水たたふ 如何ばかりか君等水を欲りけむ 時折に糸吐かずをり薄き繭の 中なる蚕疲れしならむ 幾光年太古の光いまさして 地球は春をととのふる大地 冬空を銀河は乳と流れゐて みどりご君は眠りいましけむ 岬みな海照らさむと点るとき 弓なして明るこの国ならむ 子に告げぬ哀しみもあらむを柞葉(ははそは)の母清(すが)やかに老い給ひけり 秋空を鳥渡るなりリトアニア、 ラトビア、エストニア今日独立す 湾岸の原油流るる渚にて 鵜は羽博けど飛べざるあはれ 遠白き神代の時に入るごとく 伊勢参道を君とゆきし日 幸(さき)くませ真幸くませと人びとの 声渡りゆく御幸(みゆき)の町に 一昨日、十六日の月曜日に皇居に程近いところで上掲書の出版記念会があつたが、この種の集まりにしては気持ちのよいものだつた事を附記しておく。 2008年 05月 25日
二十四日の午後、神奈川県立音楽堂にアルバン・ベルク弦楽四重奏団(ABQ)の解散公演を聴きに行つた。演目はハイドンの弦楽四重奏第八十一番、ベルクの弦楽四重奏曲、そして、ベートーベンの十五番である。 ベートーベンの弦楽四重奏曲は、ことに後期のものが素晴らしく、第十三番と第十五番、そして第十四番、この辺りが私の最も好きな作品である。ABQのCDでこれらの名曲を何度聴いたことだらう。中でも十五番は私にとつて生涯忘れられぬ曲であり、家の者には葬式の時に必ず流してくれと頼んである。 ABQの演奏を最後に生で聴いたのは、丁度二年前の平成十八年五月二十三日だつたが、演目はモーツアルトが中心で、いつかベートーベンの十五番を聴きたいと思ひ続けてゐた。ふた月ほど前のことだが、漸くその願ひが叶ふ事を知り、チケットを予約しようとして驚いた。今回がABQの解散ツアーだといふ。もう二度とABQを聴けないといふ。 音楽であれ、何の藝術であれ、本当に素晴らしいものは、聴衆や見物を日常の世界から引攫つてくれる。気が付いたら別の世界に引き擦り込まれてゐた、さういふ経験をさせてくれる。とはいふものの、そこまでの優れた藝術には、どんなジャンルであれ、滅多に遭へるものではない。が、昨日のアルバン・ベルクはまさにさういふ舞台だつた。ハイドンの八十一番が始まつた瞬間、四つの楽器の音色は私に実世界の事を全て忘れさせてくれた。 最後のベートーベンに至つては、苦しいほど胸に迫る、天から射し込む一条の光の如き輝きと安らぎを、そして、その見れば眼が潰れかねぬ輝きの主体への敬虔なる感謝の念を、切ないまでの美しい音色にのせて聴衆をホールを一体化させて行つた。この弦楽四重奏曲ほど緊密な構成を、私は他に知らない。いや、音楽に(音に)弱い私に何ほどのことも言へはせぬのだが、五つの楽章を貫くベートーヴェンの精神、心性といつたものが過不足なく伝はつて来る。一瞬の、一音の無駄も無いとでも言へばよいのか。 殊に、大病を患つたベートーヴェンが病癒えて作曲した第三楽章、≪「病癒えたるものの神への聖なる感謝の歌、リディア旋法による」Molto adagio――「新たな力を感じて」Andante≫から後、終楽章に至るまで、私には舞台の演奏者が涙で霞むほど満ち足りた時間だつた。私だけではない、周囲にも涙を拭いながら聴き入る聴衆が多く見かけられた。これ程の音楽会を私は今までつひぞ経験した事がない。 正直のところ、当分音楽は聴かぬ、音楽会も行かぬ、さういふ気分になつてゐる。昨日、心に受けたものを台無しにされたくない、さういふ感じなのだ。十五番が終はつた時、私はアンコールすら聴きたくなかつた。他の楽曲で折角の名演奏による感動を壊されたくなかつた。ところが、である。アンコールにABQが選んだのが、同じベートーヴェンの第十三番の第五楽章、いはば宗教的な崇高さを静かな音色で歌ふ楽章だつた。これには参つた。 十五番によつて心を浄化された聴衆が、もしその直後に耳にしてなほ心満ち足りてゐられるとしたら、この選曲しかあり得ないだらう。仮に(馬鹿げた仮定だが)「大フーガ」なり「ラズモフスキー」なり、同じ第十三番の終楽章なり、何が演奏されても、昨日の演奏会は台無し、「なんだ、あの最後のは」といふことになつたらう。その選曲一つ取つても、ABQの解散はいかにも惜しい。が、同時に自分達が最高峰にゐる時に幕を閉ぢようと言ふのも分る。四人は、各々新たな道を切り拓かうとしてゐるに違ひない。 これを書いてゐるのは日付も変はつた夜中だが、未だに私は「救はれた」気持ちになつてゐる。心が浄はれ、同時に胸が詰まる思ひが残つてゐる。実は、六月の二日にサントリー・ホールで同じ演目が演奏される。驚いたことにチケットがまだ残つてゐるらしい。行かうか。いや、行くまい。昨日の会場での演奏者と聴衆との精神の感応は一回限りのものと思ふ。二度も、いはばこれ程崇高な体験をできるはずがない。これをお読みの方、「パフォーマンス」と名の付くもので、恐らくこの種の経験は一生に一度か二度のこと、是非お出掛けになることをお奨めする。ABQによる十五番は二度と聴けない。CDやDVDもある。しかし、演奏者が、ベートーヴェンに「これでいいのでせうか? あなたはかういふ曲をお造りになつたのですか? 私達は間違つてゐないでせうか?」と問いかけつつ心を込めて演奏する、その生身の息遣ひは二度と聴けないのだから。 ここまで書いても、昨日の名演奏を人に伝へる術も力も私には「絶対に」ない、それを承知でここまで書いてきた。始めに「生涯忘れられぬ」と記した。初めてこの作品を聴いたのは、勿論CDに録音されたABQの演奏だつた。三十代の後半である。当時、諸々の喪失感から「鬱」を患つてゐた私は、この曲を初めて聴いて、ABQ演奏のこの曲によつて、間違ひなく文字通り「救はれた」。天から射し込む光を間違ひなく見た。その後何度CDで同じ曲を聴いても、その光を見ることは絶えて無かつた。にも拘らず、昨日、初めての時と同じ感動を味はへたのは、人生の僥倖と思ふ。あるいは、心に余りゆとりもなくワサワサした日常の中で、左程の気持ちの準備もなく会場に行つて席に着き構へることなく聞いた事が幸ひしたのかもしれない。ついでに言ふと、その「鬱」の頃が、一番忙しく働け、一番仕事に油が乗つてゐた、新しいジャンルの仕事も色々開拓してゐた、どういふわけか……。「鬱」にも色々あるらしい。 蛇足と思はれるかもしれないが、一昨日は国立小劇場で文楽公演を聴いてきた。『心中宵庚申』がよい。住大夫の「上田村の段」でも上と同じ事が言へる。今、聴いておかねば二度と聴けなくなる時がやがて必ず来る。一生に一度でもこの不世出の太夫の語りを聴く事をお奨めする。義太夫がなにやら縁遠く、難しいと思ふのは、優れた語りとの出会ひがないからであらう。端から古臭いとか、退屈さうと思つてゐるなら、さう思つただけ、その人が損をしてゐる、私は傲慢にさう考へてゐる。勿論、何もかも経験してゐる暇など人生にはない、要はその中で何を選び取るか、その選択の問題といふわけだ。選択能力、審美眼? 今週は薬師寺展に行く。月光菩薩は興福寺の阿修羅像と共に、高校の修学旅行で出会つた、いはば私の恋人である。これも今回が最後の機会かもしれない。逢はずに済ませる訳には行くまい。 2008年 03月 11日
匿名の方から非公開コメントを頂いた。簡単にいへばこれだけ長期に亙つて更新しないのならブログを休止すべきだといふ、まことにもつて尤もなご意見である。さういはれては、私としては一言もない。「忙しい」ことは更新せぬことの理由にはならぬとも。仰るとほりである。このコメントに、私は全く「同感」だと、取敢へず同意する。 だが、休止宣言をするつもりもないし、「忙しい」から書かないのでもない。「それでは、甚だ無責任な放置に過ぎない」ではないかと仰る方もゐるかもしれない。その「批判」も、甘んじてお受けする。 それでも、更新できないものは更新できない。お許し頂きたい。あるいは、「もう訪れて下さるな」といふお答へのしようもあるかもしれないが、どなたが訪れようと訪れまいと、それをとやかく言ふ立場に私はゐない。同じく、私が更新しようとしまいと、その事で誰からもいかなる強制も受けるつもりはない。 更新せずに(出来ずに)ゐる理由は忙しさではないし、体調不良などでもない。その理由は極めて個人的な事由であり、ここに記すことは敢てしない。 その「極めて個人的な事由」が解消されれば、再び書くこともあらう。 そもそも、休止すべきかすべきでないかの更新頻度は一体どこに基準があるのだらう。暫く前、月に一度のペースになつてゐたことがあるが、その頃、実は私自身、更新頻度が少なすぎて休止なり、止めるなりしようかと考へたものだ。 ただ、この数ヶ月の間、私には書きたいことは山ほどあり、次々にタイトルばかり浮かんでゐた。たつた今でも人権擁護法のことは大いに気になるし、世の中でぱたりと議論が途絶えた皇室典範については声を大にして言ひたいことがある、殊に保守系の言論人に向つて。一番手近なところで書かうと思つてはゐたものの、そのままになつてゐる、といふより、書かうかどうしようかと、落着かずにいたところに、先の非公開コメントに機先を制せられ、腰砕けの感じになつたのだが、そのタイトルは「イージスと赤福」、サブタイトルが、At Your Own Riskとなるはずだつた。勘の良い方は、既に私が何を言はんとしてゐたかお分かりかもしれない。 いづれにせよ、度々このブログを訪れて下さる方には、本当に申し訳ないと思つてゐる。非公開コメントを下さつた方にも、有り難いと思ふし、非公開でのコメントといふ細やかな気遣ひにも感謝してゐる。 今後のことだが、いつ「再開」するともお約束は出来ないし、このまま止める可能性も零ではない。しかし、私の書きたいといふ意思は聊かも減じてゐない。したがつて、閉鎖してしまふと、その種の事が不得手の私には再び開設するのが億劫になりかねないので、閉鎖といふ手段は考へてゐない。また書き出すときのためにこのままにしておく。 ある時、急に書き始めることと思ふ。この種のものの常、不特定多数の方を相手に、前以てのお報せをどこかに流す術はない。暫くは、このまま時々の写真更新で私が(このブログが)生きてゐることだけお伝へする形が続くと思つて頂きたい。それでお許しいただいて、そんなブログでよければ、月に一度、あるいは半年に一度、訪れてみて頂ければ幸である。 ******************************* お報せを一、二。麗澤大学からの父の評論集に続けて、別の出版社からだが、「福田恆存戯曲集」を企画し、その準備も大体軌道に乗つて来てゐる。昭和十一年(父二十五歳)に書かれた戯曲他、ラジオ・ドラマの脚本など活字化されてゐない舞台・テレビ等に関連するものもほぼ全て網羅する予定でゐる。その他にも評論の文庫化を進めてゐる。また、この秋には久し振りに、私自身、小さな公演だが舞台の演出があり、既に台本に手を入れ始めてゐる。これらとて、左程時間に追はれてゐるわけではなく、ブログを更新しない理由ではない事を改めてお断りしておく。 2007年 11月 27日
『鹿鳴館』を二度も私が観に行つたのは、偏に日下武史といふ現代には稀な知性を備へた俳優の演技を確かめたかつたからであり、初演時には、見事とは思ひながらどこか物足りなさを覚えたからなのだが、「凱旋公演」では期待通りの名演技を見せてもらへた。他の共演者は総じて四季独特の朗誦術に雁字搦めになつてゐて、せりふを肉体の中に取り込むことが出来ず、リアリズムからは程遠いと言はざるを得ない。 だが、今の私は四季だけを、そのマナリズムともいへる朗誦術ゆゑに否定する気にはなれない。もしそれを論ふなら、他の劇団、他の舞台は如何なるせりふ術を身につけ、聴かせてくれるか。 これは我が劇団昴についても同様である。昴は確かにせりふを大事にしてきた。福田訳のシェイクスピアをそれなりにこなしてはゐる。が、せりふを肉化してゐるかといふ点では決して合格点は付けられない。人物の造形をせりふの肉化、すなはち劇的リアリズムに昇華する所までには到つてゐない。せりふがせりふを呼び、せりふに突き動かされてその役が生き、相手役を突き動かすといふ意味ではまだ未消化といはざるを得ない。さういふせりふの力が役者を動かし観客を感動させるところまでは到つてゐない。せりふが心を動かし形になつて見える、さういふ意味でのせりふ術は未だに身につけてゐない。 三百人劇場閉鎖を記念して、昨年上演された『億万長者夫人』にしても『夏の夜の夢』にしても、その点で観客に消化不良を起こさせて終つてゐる。せりふの力といふものを役者や演出家がどこまで信じてゐるのか、どこまで追求してゐるのか、私には疑問だつた。 この問題の背後には人間観察も含めた人間性や人間修業の問題が潜んでゐはしないか。他劇団のことはさて置き、昴にだけはそのことをもう一度考へてもらひたいものだ。 観客を感動させる、つまりは突き動かすだけのせりふを語れる技術を身につけてゐるか。さういふせりふを語るためには技術のみならず、日常の森羅万象が観察の対象であり教師であることに、昴の、日本の俳優のどれほどが思ひを致してゐることか。私はやはり「底知れぬ絶望感」に似たものを感じざるを得ない。 実は、ここまで書いてきても、私はその責めを負ふべきは俳優だと断ずる気は毛頭ない。勿論俳優の怠慢はある。住大夫の憂鬱の原因に文楽の若手の不勉強があることも事実であらう。が、冒頭の引用のうち、ここまで私があへて触れなかつたことに、俳優が修業のために拠つて立つべき、そもそもの「文化の荒廃」がある。 その荒廃は、その後少しでも回復してゐるか。いふまでもない、生活様式、言葉、思考、何を取つても溶解の一途を辿つてゐることは誰の目にも明らかだ。全ての根底を支へる国語の衰退、国語力の衰亡は目を覆ふばかりの惨状を呈してゐる。それを、私は俳優達の責任とのみ言ふつもりはない。が、せめて、俳優たるもの、言葉を生業とするなら、この問題を黙過することだけは許されまい。 そのことなのだ、私が劇団昴の諸君に、我が国の演劇界に言ひたいことは。俳優たらんとするなら、何が最も重要なことか、何を身につけるべきか、何を学ぶべきか、そのことなのだ。福田恆存の言ふ「人間修業」か、住大夫の言ふ「人間性」あるいは「基本に忠実に」なのか、まさに今こそ、全ての演劇人が基本に立ち返つて謙虚に考へる時ではあるまいか、「絶望感」を撥ね返して言語芸術の世界から日本文化の建て直しをするくらゐの意気込みを持つて。(了) 2007年 11月 23日
勿論、西洋のものでなくとも、古典でなくとも、優れた戯曲には必ずかういふ要素が含まれてゐる――人を動かす言葉、観客の心に響き、そのせりふを語る役者自身が突き動かされる、それだけの力を担つた言葉で書かれた戯曲はある。あるいは、優れた演者なら、さういふせりふとその場面をきつちりと描いて、観客が手で受け止め、こころに受け入れられるほどの、形あるものにして客席に渡してくれる。 最近観た舞台から恰好の例を挙げる。昨年の暮も押し迫つた頃、劇団四季の『鹿鳴館』の凱旋公演を観に行つたが、影山伯爵を演ずる日下武史一人が光つてゐた。どこを切り取つても日下の場合、恰好の例といへるのだが、中でも秀逸な演技を一つ挙げる。(初演時=昨年初頭にも一度観てはゐるのだが、日下を筆頭に、ロングランを経て数段舞台が締まつてゐた事も事実である)。 原作の三幕が少し進んだ辺り。詳細は省くが、影山が政敵清原暗殺の刺客に仕立てた久雄が、実は現在の妻(元芸妓)朝子の産んだ子であり、さらにその父親が清原であることに、影山が気付かされる場がある。今では影山に篭絡され朝子のスパイをする女中頭草乃との会話である。少し長くなるが引用する。 影山 (前略)お前のおかげで大方の筋立てはつかめたが、まだ一つ解せないところがある。朝子はどうしてあんなに久雄をかばふのだね。清原をかばふのはわかるが、どうしてあんなに久雄を。(中略) 草乃 さあ、それは……奥方様のお心持ちでございますから。 影山 朝子はあの若い男に気があるのかね。まだほんの子供だが、女好きのする顔をしてゐる。肝腎の男の力は持たんが、人を庇護したくなる年頃の女の心をそそるやうにできてゐる。ああいふ年ごろの男の美しさは、いはば女の美しさに翻訳できるものなのだ。私はあの男の顔によく似た売れつ妓の芸者を見たことがある。あの男の顔によく似た……(突然気づいて、おそろしい高圧的な調子で)おい、草乃。まだ私に言つてをらんことがあるな。 草乃 (その目に射すくめられて)はい、……あの書生さんは奥方様のお子でございます。 影山 父親は? 草乃 おわかりでございませう。 影山 清原か? 草乃 ……はい。 影山(激怒を抑えて)ふむ。……あいつは良人の私を利用して、自分の過去をのこらず救つてのけようと謀つたんだな。 二幕と三幕の時間経過のうちに、影山は草乃を通じて朝子と清原が昔愛し合つてゐたことを既に知つてゐるが、久雄がその二人の子供であることは知らずに「私はあの男の顔によく似た売れつ妓……」のせりふを喋る。 その時の日下武史は、まさに自分の言葉に突き動かされた影山を存分に演じて見せた。清原と朝子が恋人同士であつたからといつて、今の影山に何ほどのこともない。日下は、舞台前下手に草乃を残し、舞台中央に向かひながら、ゆとりを持つてただ記憶を辿るやうにこのせりふを語り始める。二度目の「あの男の顔によく似た」のせりふに掛かると、歩みに微妙な変化が起こり、客席を向いた顔に驚愕の様子が急激にしかも見事な変化を見せながら現れる。その歩みと表情との変化、そして驚愕の余り我を忘れんばかりの影山の姿がありありと客の眼前に演じられる。影山の心が形となつて現れる。 しかも特筆すべきはその刹那の影山(日下)の目に浮かぶ異様な強い光である。観てゐるこちらが影山の驚愕に吸ひ込まれさうな、強い、光を放つが如き眼差し――舞台上には、その異様な眼(まなこ)と驚愕の表情を浮かべた顔しか存在してゐないかのやうに見える。いはば日下は「迫真」の演技で、映画のクローズ・アップを見せてくれる。 そして、ト書きでいへば(突然気づいて)で下手の草乃を振り返り、「おい、草乃」の次の「まだ私に……」の件をまさにト書き通りのおそろしい高圧的な調子でゆつくりと有無を言はせぬ様子で言ふのだが、このせりふが高圧的になり得るのは、直前の「私はあの男の顔に……」といふ、自分が何気なく口にした言葉によつて隠された真実に気づかされ、つまり、自分のせりふに激しく背中を突き飛ばされてゐるからである。その衝撃が心の中でさらに激しいものと化した結果、「まだ私に……」のせりふが有無を言はさぬ形となつて、草乃から「あの書生さんは……」の告白を引き出してゐる。 次の「父親は?」と言ふ、訊かなくとも殆ど答の分かつてゐる言葉の前の絶妙の間も日下ならではの見事なものだ。「おわかりでございませう」と言はれて、間をおかず即座に吐く「清原か?」は受けた衝撃が初めて明確な音となり形となつて出てくる。同時に現実が戻つて来る。あるいは影山が現実を飲み干さうとしてゐるといへばよからうか。それまでの数秒あるいは十秒ほどは観客が息を殺すほどの緊張感が舞台に漲る。観客は影山に殆ど同化してゐる。 そして、次の「ふむ」はト書き通り衝撃も怒りも見事に抑へ込まれる。この激しい起伏のある全部で精々四十秒くらゐの場の凝縮した濃密な舞台の運びを生み出すことこそ、言ひ換へれば作者の書いたせりふを目に見える形として客に渡すことこそ、演じることの醍醐味であり、観る側にとつては、これを受け取つてこそ切符代を払つた対価を得ることにならう。 これ程にまで心とせりふと動きが合致した舞台・場面を観た記憶はさう多くはない。正直なところ、この場を観た瞬間私は鳥肌が立つのを覚えた。日下武史の名演技である。初演でもこの場を観てゐるはずだが、全く見過ごしたといつてもよい。おそらく、ロングランの間に日下自身、無意識のうちに練り上げ造り上げた瞬間ではあるまいか。 そして、それを引き出したのは原作の力であり、三島のせりふの力であることはいふまでもない。とはいふものの、ここまでの効果を作者自身が予期してゐたかどうか、私は疑問に思ふ。少なくとも、このくだりを日下武史ほど的確に表現し演じた俳優は今までに一人もゐないと私は確信してゐる。 ついでながら、この日下の演技――せりふとそれが担ふ心の動きと身体全体に現れる身のこなし(動き)が、これ程正確に演じられるのは、この論考で私が言ひ続けてゐる人間性と技術の賜物であるのは言ふまでもないことだが、ここでもう一つ大事なことは、この瞬間こそ、その日その舞台でしか起こり得ない真の意味の即興であり、真の意味での劇的リアリズムなのだ。日常では、ああも見事で効果的な驚愕や衝撃や、その抑制などお目に掛かれるものではない。日常は、すなはち日常生活における即興は遥かに醜くドタバタ、ギクシャクしたものである。 2007年 11月 20日
身近な例を挙げる。翻訳劇上演の多い劇団昴の役者達は――至極当然かも知れぬが――たまには所謂和物を演じたくなるらしい。しかも出来れば現代の新作を。その結果が何を齎すか。残念なことに現代の戯曲(と呼べるとして)の多くには役者と等身大の人物が登場する。すると役者は良くも悪くも背伸びせず、自分の生地のままで演じることが多くなる。さうなるといよいよ仲代達也の例ではないが、どんな役を演じてもその役者の癖=マナリズム丸出しの舞台ばかりになる。 せりふは現代の日本人のそれであり、配役に無理のない限り、役者は自分と同年代の役を演じるわけだから、よほどの想像力を働かせて自分とは全く異なる人物の造形に務めない限り、生のままの姿を舞台に曝すことになる。これでは演技でも技術でもない。 ここに、優れた翻訳による翻訳劇や古典に挑戦する意味が浮かび上がつてくる。自分から遠いもの、自分にはないもの、自分の手の届かないものを目指すこと。さうすることによつて、せりふ術は磨かれる。等身大の人物の等身大のせりふに終始してゐたのでは、限りなく日常に近づき、せりふが力を持つ可能性は限りなく最小に近づく。 それでは、演じてゐることになるまい。力強いせりふは、観客や相手役より何より、先づその話者自身を突き動かし、等身大から遥かな高みに役者自身を引き上げる。前に挙げたアラン・ハワードのことを思ひ出して頂きたい。三十にもならぬデビューしたての役者が、リアの苦悩の一部を背負ひ、神話の世界の偉大な人物になりきり、世間を見尽くし老成した人間に成り変はる。全てはシェイクスピアの言葉の力によるものだ。そのせりふに挑んだ結果だ。ブランク・ヴァースをこなすことで、自分の肉体にどこまでせりふの裏打ちをなし得たかだ。 和服を着て日本旅館の女将でも演じてゐれば確かに居心地はよからう、安心感もあらう。だが、そこには、多くの役者を待ち受ける陥穽がある。驚くべきことに、昭和が過ぎ去り平成も二十年近くを経ると、日本旅館の女将が一種の類型として演じ出される。和服を着た時は、かういふ歩き方、お辞儀、身振り、喋り方をする――さういふ類型を役者が演じ始める。女将とは「かういふものだ」といふ観念で類型を演じ、個々の女将の人物を造ることを忘れ去つてしまふ。結果は類型と個々の役者の癖のみが舞台の上を動いてゐる。私は殆ど絶望した、寒気すら催した。 いふまでもないが、そんな「演技」を許してしまふやうな軟弱な戯曲にこそ、問題は潜んでゐるのだ。せりふに説得力も力もリアリティもない。あるのは作者の自己満足と、殆どの場合は予定調和のハッピーエンドに終る、テレビドラマにも及ばぬ粗雑で脆弱な筋書きのみである。 何度でも言ふ。言葉が役を役者を突き動かしてゐない。言葉が登場人物を行動へと駆り立ててゐない。己の吐いた言葉が相手役はおろか、吐いた自分に何の力も及ぼさぬやうでは、「劇」のせりふとは呼べまいが。激白=劇白といふ言葉を考へてみることだ。舞台上の役者たちがせりふに突き動かされてゐないやうな舞台は、観客の心を動かすことは決して出来ない。 やはり古典に学ぶべきなのだ。優れたものなら翻訳劇にも学ぶべきなのだ。繰り返すが、自分から遠いもの、自分の手の届かぬものへの挑戦にはそれだけの意味がある。自分の枠を広げることだ。可能性を拡げること。自分の中には存在してゐないかもしれぬ人物を想像し造形しやうとすること、そのための取つ掛かりは優れた戯曲に書かれた優れた言葉以外にはない。 2007年 11月 16日
旧臘、とんぼ返りで博多に文楽を観に行つた。演目は昼夜の通しで『仮名手本忠臣蔵』を演つてゐたが、目当ては竹本住大夫が語る『勘平腹切の段』。出来はいふまでもなくこれ以上はないといふもの。それはともかく、開演前に訪ねた楽屋で暫く住大夫と話せた。住大夫はここ一年といふもの私の顔を見ると、三百人劇場閉鎖を心配し、劇団昴の行く末を案じてくれる。 この時の楽屋でも、そんな話から文楽と新劇との若手の修業の足りなさへと話が移つた。この日に限らずとも、住大夫は常々文楽の若手の勉強不足を嘆いてゐる。そして、決まつて最後は私に向つて「センセ、やつぱり人間性ですわ」と言ふ。 この人間性とは何か。住大夫がしばしば口にするのは、自分が若かつた頃の文楽そのものが置かれた苦しい状況であり、それでも浄瑠璃が好きの一念で苦しさにも堪へ、少しでも上手く語れるやうになりたいと必死だつたといふこと、そのためには稽古に明け暮れたこと、師匠にどんなに罵倒されようと食ひついていつた事などである。 かつて文楽協会は三和会(みつわくわい)と因会(ちなみくわい)の二つに分裂し、その頃は食ふや食はずで過酷な巡業をこなしたといふ。住大夫はそれら全てが修業だと言ふ。そして稽古の量と努力以外には、凡人が一芸に秀でることはないと言ふ。そして、常に基本に忠実に、それだけを心掛けて床(舞台)に上がると言ふ。この住大夫の言葉が私には、八十を越えた老人の単なる苦労話・自慢話には決して聞こえない。 何年か前になるが、NHKのドキュメンタリーで、昨年亡くなつた人形遣の吉田玉男と住大夫といふ二人の人間国宝の日常と舞台を追つた番組があつた。それを観て、私は住大夫に、いはば惚れた。その頃、既に七十を疾うに越えた住大夫が、当時既に引退してゐた兄弟子の越路大夫(八十を越えてゐた)の許に稽古に通ふ。厳しい稽古である。兄弟子の叱責を受け、それに喰らひ付かうとして殆ど冷や汗を掻かんばかりの住大夫の姿は謙虚そのものだつた。まるで二十歳にもならぬ素人が、その道の第一人者の前で小さくなつて畏まるが如き謙虚さで、誠実に兄弟子から少しでも学び取らうといふ懸命な姿だつた。 この映像を見て以来、私は住大夫の芸を可能な限り聴いておかうと心に決めた。いつの間にやら知り合ひ、楽屋を訪ねる間柄となつて、さらに知つたのは、住大夫といふ人物の、まさに人間性だつた。絶対に偉ぶらず、知つた風な口を利かない。謙虚と誠実を絵に描いたやうな人柄、常に相手のことを慮る心の配りやう。八十を越えた今なほ向上心に燃え基本に忠実に語るだけだと言ふ。もはや教へを乞ふべき先達はゐない。だからこそ基本に忠実にとなるのかも知れない。 私に言はせれば、住大夫こそ、「人間性」といふ言葉に堪へ得るただ一人の太夫、演者だ。住大夫は、好きな浄瑠璃が上手くなるためには、あと一生が必要だと思つてゐるらしい。百五十歳まで生きたら本物の浄瑠璃が語れるやうになると思つてゐる。 他の舞台芸術の世界に、ここまで真剣に芸を技術を磨くことに貪欲な演者=役者はゐるか。ここまで必死な俳優はゐるのか。 住大夫は間違ひなく八十年の人間修業をしてきて、今の人間性、人間味を身に付けたのだ。面白いことに、今は亡き兄弟子の越路大夫もほぼ同じことを言つてゐる。高木浩志取材・構成になる『越路大夫の表現』(淡交社刊)に、「戦地で死に直面し、子供を抱えて戦後というきわめて特殊な状況下で貧乏を痛烈に体験し、父母を送り、前夫人に先立たれ」た越路大夫の言葉として、 ≪そういう人間としての一巡で、性格や考え方が出来上がってくるから、 それが芸に出て当たり前でしょ。だから、五十を過ぎてから本物になるということは、技術の習得だけじゃなく、結局大夫の人間性の問題ですよ。≫ とある。 ここでも人生経験つまりは人間修行の結果としての人間性といふ、全く同じことが語られてゐる。「俳優修業とは人間修業」といふ福田恆存の言葉と同じことを二人の至高の大夫が口を揃へてしみじみと語るのを、新劇の、現代劇の役者たちはどう受け取るのだらう。そして住大夫は現今の若い(といつても六十代から下の)大夫たちの不勉強不熱心を憤りつつ、その顔に深い悲しみの表情を湛へる。それは殆ど「絶望感に襲はれた」悲しみと、私の目には映ずる。 確かに、文楽の太夫の中で住大夫の後に続くといへる太夫は一人もゐない。住大夫が現役を退いたのちの義太夫は聴くに堪へないものとならう。それは人形浄瑠璃そのものが衰退の一途を辿る時である。人形浄瑠璃の牽引車は太夫の語りなのであるから。 住大夫の語りの何よりも見事なのは、当然の事ながら多くの登場人物を全て語りわける、その技術である。さらに地の文を語り分けることは言ふまでもない。住大夫に言はせると、人物を演じ分けるのは息だといふ、息と音(おん)だといふ。それが具体的にどういふものであるかはさて置き、人物を語り分け演じ分けるといふことは、全ての登場人物の心情や性格から身のこなしまで、瞬時に変へて行くといふことであり、たやすい事ではない。 語り分けるといふ作業は、ただ別の人物の声音を出すといふだけのことではなく、前の人物の言葉を受けて次の人物の言葉を繰り出すといふことであり、瞬時に全く異なる心情を客に伝へることである。ある人物の言葉が別の人物の心を動かし、その心が言葉といふ形になつて語られる、すると、また一方の人物の心が動かされ、新たな心が言葉といふ形になつて語られる。語り分けるとは、その繰り返しのうちに何人もの人物を造形してゆくことに他ならない。 さうであるなら、新劇の舞台と何ら変はりはない。ある役者がAといふ役を演じせりふを言ふ。それを受けて別の役者がBといふ別の役のせりふを言ふ。その切り替はりを、住大夫は何役分を語らうと、きちりと語り分け、別の人物を造形する。その場その場で刻々と変はる心の襞を正確に描き出して行く。男女の心が相寄り添ひ高まり行く心情を伝へることもあれば、対立した人物達の全く異なる次元の心情――憎悪、怒り、悔恨、卑屈、その他如何なる心情の変化であれ、そしてそれらのズレであれ瞬時に切り替へ語り分けて聴衆に伝へる。 それに較べたら、新劇の役者は一つの舞台では、通常一人の人物を造形すればよい。それが出来ぬどころか、どの舞台どの映像でも同じ人物しか造形できず、果てしないマナリズムに陥るのはなぜなのか。 なぜ、住大夫には出来る、何人もの「他者」に成り変はることを、新劇の役者は目指さないのか。前に役者の醍醐味と書いたが、大夫にしても、この語り分け演じ分けることに演者としての醍醐味があり、演ずることのカタルシスがあるに違ひない。どちらも、その高みを目指してゐるに違ひない。 そのための技術の習得を目指す以外に俳優であることの意味はあるのだらうか。新劇役者が、本当に「せりふ劇」を真つ当に演じたいと思ふなら、文楽でも良い、いや、落語でも良い、他のジャンルの芸能に触れ、その高みにゐる演者の姿に学ぶことだ。 そして、せりふには力があることを信じなくてはいけない。住大夫の語りを目を瞑つて聴いてゐると、あるいは素浄瑠璃を聴いてゐると、人形が瞼のうちに動いて見える。言葉にはそれだけの力があることを信ずることだ。 優れたせりふ術を身につけるといふことが、人物造形の第一歩であり、終着点である。そのための技術の習得、修業に励むことなくして、プロフェッショナルと呼ばれることは永遠に有り得ない。プロフェッショナル。つまり専門職であることを、あるいはそれを目指すことを忘れてはいけないのだ。 言葉は人を動かす。舞台の上で発せられたせりふは相手役を突き動かし、その連鎖が観客の心を揺さぶる。それが俳優の仕事であり、プロの仕事ではないのか。 2007年 11月 12日
英国の舞台を観た時に感ずることだが、上手い下手はさて置いて、彼の地の俳優の演技には底流に厳然とした基準があるといふ事、おそらくはシェイクスピア以来の演劇の歴史と伝統が生み出したせりふ術と、生身の役者が自分とは別の人格を舞台上に現出させる演技術とを多かれ少なかれ身に付けてをり、しかも、誰しもが共通の演技術を身に付けてゐるといふ事だ。 他でも書いたことだが、私にとつて忘れがたい舞台がある。初めて英国を訪れた昭和四十三年のこと、ストラットフォードで三夜連続でシェイクスピア劇を観た。『リア王』『トロイラスとクレシダ』『お気に召すまま』の三作品である。一晩目に観た舞台に若いが実に上手い役者がゐた。シェイクスピアの詩形ブランク・ヴァースを見事に美しく聴かせてくれるし、『リア王』のエドガーといふ青年の苦難と信念とを的確に演じてゐる。感心してパンフレットの俳優紹介に丸印を付けて宿に帰る。翌日『トロイラスとクレシダ』を観ると、傲慢なエイキリーズ(アキレス)の役を朗々としたせりふで演じ、シャープな体つきの筋骨逞しい武人に造り上げてゐる役者がゐる、しかも凛々しさは群を抜いてゐる。パンフレットに丸印を付けようとして驚いた。昨夜と同じ役者ではないか、全くの別人としか思はれないのに。さらに三晩目の『お気に召すまま』、初老のジェイキーズ――あの厭世的で皮肉屋、ウィットに富んだせりふと人生への深い洞察力を示す人物――これがまた見事な出来栄えで美しいブランク・ヴァースを聴かせてくれる。いふまでもなく、これまた同じ役者なのである。にもかかはらず、三役とも声音や歩き方から、頭・胴体・脚のバランスまで別人のやうに見せる。この年度に、この役者は最有望新人賞を取つた、つまり演劇学校を出て間もない無名の役者だつたにもかかはらず、このレヴェルなのだ。 今にして思へば、私はこの経験で演ずるといふ事の本質を掴んだと確信してゐる。役者は自己を抑へ隠し、別の人物を舞台上に造形するものなのだ。そのための技術を身につけたもののみが俳優といふ名に値するのだ。私が感謝しなくてはならないこの役者の名はアラン・ハワード、その後ピーター・ブルック演出の『夏の夜の夢』が来日公演を行つた時、シーシアスとオーベロンの二役を演じてゐた、あの俳優である。その後、酷いマナリズムに陥り活躍の場が減つたが、それからも私は長い間に三回彼の舞台を観てゐる。一つはベルイマンの『結婚の風景』の夫役、後はシェイクスピアの主役二つ、『コリオレイナス』と『マクベス』だが、どの演技をも私は堪能した。 自己を抑へ隠して他人になる、別の人物を造形する――言ふは易く行ふは難し。英国でも全ての役者がさうだなどといふつもりはない。しかし、映画で御馴染みのアンソニー・ホプキンスを思ひ出して頂けば、分かりやすいのではないか。『羊たちの沈黙』のレクターと『日の名残り』の執事と、娯楽映画『マスク・オブ・ゾロ』の初代ゾロと。全てが全く別のキャラクターであり、喋り方・身のこなし・声音、どこから見ても別の人間を造形してゐる。演ずるとはさういふ事だ。 * 翻つて日本の新劇界はどうか。例へば仲代達也、西田敏行、江守徹……。例を挙げれば切がない、といふより、新劇界出身の役者といふ役者を思ひ返してみても、誰も彼もほぼ一つの、精々二つか三つのキャラクターの使ひ回しをしてゐるではないか。仲代など、同じ抑揚のない喋り口と死んだ魚のやうな目と無表情、それが自分の技術(持ち味)だとでもいふのだらうか、少なくともそれを売り物にしてゐる事は間違ひなからう。それをよしとする観客や視聴者、そして劇評家! なぜ、彼らは役によつて別の人物を造形しようとしないのだらうか。別の人物になり変はることにこそ、役者の醍醐味があるのではないのか。さうではないといふのなら、実人生で自分自身を「演じて」ゐれば十分ではないか。何のために職業として、専門職として俳優を選んだのか。金を取るため? ならば客が払ふ金に見合ふ藝術=技術を見せなくてはなるまい。さもなければ詐欺だ。それを見せてゐると信じ込んでゐるなら、相当の極楽トンボ的自己欺瞞と呼ばう。 舞台なら、その場限りで消える。が、映像が残る現代では、以上のことは容易に万人の目に明らかになる。幸ひこの国は、何事につけ寛容の精神に満ち溢れてゐるらしい。前に観た映画と次に見たテレビと、役柄が違ふのに同じ声と顔と身のこなしだからと言つて文句をつける観客どころか、そんなものを比較する客は皆無なのだらう。 新劇が始まつて、いや、歌舞伎などの伝統芸能とは別に逍遥や小山内薫が新しい演劇運動を始め、西洋から借り物の演劇を移入して既に一世紀半にならうといふのに、新劇あるいは「現代劇」は、一向に演ずることを身につけてゐない役者で溢れてゐる。 これを怠惰と呼ぶべきか、日本人の性情と呼ぶべきか、今、私には俄かには判断が下せない。が、少なくとも私はしばしば「底知れぬ絶望感に襲はれる」。十五年前RADAとタイアップしてワークショップを始めた時と今と、何ら変りがないのだ。 変つたことといへば、混乱は一層顕著となり、舞台に立つた人間これすなはち俳優、と言つても過言ではないほど、誰も彼もが何の基礎もなく、何の技術も経験もなく舞台やテレビを闊歩して、喚き叫び飛び跳ねて、だらけて平板なせりふ廻しで悦に入り、自己満足を観客に押し付けてゐることくらゐか。 観客も結構それに満足し、例へば社会風刺等を舞台から学び何やら知的な気分に浸つて悦に入り、あるいはエネルギッシュな舞台の躍動感とやらに感覚を擽られ、舞台と体験を共有した気分になつて満足し、劇場を後にするのだらう。これでは日本の新劇だか演劇だかの世界は前には進まない。幼児化と退嬰の道を進むだけだ。 舞台にせよ映像にせよ、観客は「嘘」の世界を楽しみに足を運ぶ。その対価がマナリズムにも程遠いやうな、生身の役者を見せられては飽きるだけだらう。演劇なら演技といふ「嘘」を見せてもらひたい。演技すなはち技術を楽しませてもらひたい。役者がある役を造形する手を、それをつかさどる役者の知性と人間性を見せてもらひたい。「嘘」を「眞」と信じ込ませる芸すなはち技術をみせてもらひたい。そこにこそ舞台芸術の醍醐味があるのではないか。だからこそ俳優修業は人間修業だといへるのであり、それを怠つてゐる役者には真の魅力も人間味もありはしない。 2007年 11月 09日
今年の春、拓殖大学日本文化研究所発行の『新日本学』春号に書いた拙論を、数日置きに、五六回に分けて掲載する。執筆時期は今年初頭。 **************************** のつけから身も蓋もない引用で始める。 ≪俳優修業は人間修業といふ事になりませうが、現代の日本を顧みた時 に生活や文化に根づいた役者といふものが、どこにゐるのか、その文化の荒廃といふ現実を前にして、私は時折、底知れぬ絶望感に襲はれます。(福田恆存『せりふと動き』)≫ 『せりふと動き』は昭和五十四年の秋に玉川大学出版部から単行本として出されたが、そもそもはその二年前から雑誌『テアトロ』に連載されたものである。いづれにせよ、今からおよそ三十年前に書かれてゐる。 そして、私のこの論考も「絶望感」に始まり「絶望感」に終ることになりさうである。勿論「絶望感」などといふもの、口に出してゐる本人自身、真の絶望に打ちのめされたら立ち直りやうもないのだが、福田恆存にしても「時折」襲はれる「絶望感」を払ひのけ払ひのけして、劇作・演出・劇団主催に邁進してをり、その日常は至極オプティミスティックなものであつたに違ひない。 どれほど絶望「的」になつても旨い料理には舌鼓を打ち、女の色香には血道をあげる、その態の絶望感だらうと言つてしまつては、これまた身も蓋もなからうが、一方において、絶望に裏打ちされぬ人生など生きる価値があるのかといふ問もまた成立するであらう。事実、福田恆存はさういふ人間論を書き続け、さういふ重層的な人生を生き続けたと私は考へてゐる。 * 俳優修業が人間修業であるなどと、改めて言ひ立てる程の事でもないともいへる。さらにいへば、何も俳優修業でなくとも、あらゆる職種が人間修業だらうといふ反論も聞こえてきさうである。その通りであらう。いつそ、俳優修業ほど人間修業を必要とし、それに裏打ちされてゐなくてはならぬ職業は、他に例を見ないとまで、突つ込んだ物言ひをした方が分かりやすいかもしれない。 現実に演劇の世界に足をふ踏み入れると、このことを嫌といふほど実感する。多くの俳優や演劇人と接してゐて感ずるのは、驚くほど観察眼を持たず、芝居のこと以外に何の興味もなく、社会性に甚だ乏しいといふ事、そして人間洞察に甚だ欠けるといふ事だ。それらが最も要求される職業であるにもかかはらず、厚みのある人間は少ない。いふまでもなく、これらの事は、あらゆる職業に於いて要求されることには違ひない。が、演ずるといふ職業は最も冷徹な、醒めた観察眼と洞察力を必要とする職業のはずだ。その、必要とされる程度に応じた観察眼と洞察力をどれ程の役者が持つてゐるか、それらを磨かうとしてゐるか、大いに疑問と言はざるを得ない。それらが必要だといふ事実に気付いてゐない、考へたこともない俳優すら大勢ゐよう。 俳優=役者ほど奇妙な存在はないだらう。我々は当たり前のやうに映画・テレビ、あるいは舞台での俳優の「仕事」を目にし、それをなんとも思はずに受け止め、受け入れてゐる。韓流ブームに至つては、視聴者は殆ど没我的自己同化までして画面の中の役者に感情移入し、それが「演じられて」ゐるものだといふことなど考へてもいない。 が、役者はそこで「嘘」を演じてゐる、職業として、金のために。そんなことは分かつて観てゐるのだといふかもしれない。韓流など持ち出すと誤解を招くといはれるかもしれぬが、実は人気を博してゐるあらゆる舞台についても同じことが言へる。私の知る限り、新劇(現代劇)の俳優ほど怠惰な人種は少ない。少なくとも「専門職」でありながら、その専門職として、金を稼ぐに足るだけの技術を磨かうと日々努力してゐる役者は私の周りでも極僅かであらう。「嘘」を演じるためには技術が、演技術が求められる。 が、それをどこで身に付け、どこで伸ばしてゆくのか。日本に本当の意味での俳優養成学校は存在しないし、劇団付属の養成所等はあつても、一旦そこを卒業してしまふと、その後はどこにも研鑽の場がない、教へを乞ひに行くべき師匠もゐない。必然、「先輩の背中を見て学ぶ」などと言ひ出す。聞こえはよいが、何のことはない一生をかけて学び続ける努力を怠けるための、体のよい言ひ訳に過ぎない。 * 今年の夏で十五年目を迎へるが、私の主催する現代演劇協会では英国一の演劇学校、王立演劇アカデミー(RADA)から、演技・発声・身体訓練の教師三名を招き毎夏三週間、プロの俳優のためのワークショップを開催してゐる。 私がこれを始めた経緯は、以前『誘惑するイギリス』(大修館)に一文を寄稿したので、詳しくはそれをお読み頂くとして、要は演技術(規準)に共通項を持たぬ日本の演劇界に一石を投じたかつたといふ一事に尽きる。 俳優修業は人間修業だといふ福田恆存より、一歩後退して、まづは役者とは何か、そして演技とは何かを日本の俳優達に考へて欲しかつた、演劇界に再考を促したかつた。その成果が上がつたか否かはさて置き、このワークショップを数年間続けた頃からをかしなことに気付いた。例へば私が身近に接してゐた劇団昴の役者達が二派に分かれた。RADA崇拝派と反RADA派である。勿論常に無関心層、中間派も存在はした。 だが、この二派、私の目には同じものとしか見えないのだ。どちらも同じ穴の狢、要は西洋万歳と西洋糞喰らへ――どちらにしても西洋コンプレクスが、この平成の御世に未だにあることを、図らずも垣間見せられた思ひだつた。 しかも、シェイクスピア劇にリアリズムを見よといふ旗印の下に生まれた劇団、翻訳劇や西欧の翻案物にはかなりの力を発揮してきた劇団雲・欅を継承した劇団昴の役者たちがこの体たらくである。マナリズムに陥りがちな、そして演技術を磨くことを怠る役者達に刺激をと図つた企画であるだけに、私は「底知れぬ絶望感に襲はれた」。 とはいへ、十五年が過ぎようといふこの頃感ずることは、今や各種の演劇ワークショップが花盛り、新国立劇場にはまがりなりにも付属の演劇学校が出来、演ずるためには「何やら技術がいるらしい」といふ空気が生まれかかつてゐるやうに見えることも、あながち否定は出来ない。これが真に日本の演劇界の演技術向上に資するなら幸なるかな、である。 だが、演劇界全般を見回したとき、一旦配役され舞台に上がつた俳優達が、技術を置き去りにした「演技」をしてゐるといふ厳然たる事実は、十五年前と、あるいは福田恆存が俳優修業に絶望感を表した三十年前と大差ない。それどころか、演劇界の「主流」は、むしろそんな地道な技術習得などどこ吹く風とばかりに、有名タレントを集めて集客を図るか、観客数の大小にかかはらず、各々にごく一部のファンを対象とした、言つてみればオタクと何ら変はらぬ世界に浸つた舞台造りをテンデンバラバラに行つてゐるのではないか。 2007年 11月 06日
私が時々訪ねるホームページを手短にご紹介する。人形町サロンといふサイトだが、若手研究者の研鑽の場として開設されたものだといふ。ジャーナリストの花岡信昭氏を顧問に据ゑて、政治問題から歴史、文化、憲法、いじめ問題と幅広いジャンルに亙つて様々の論考が掲載される。最近は軽い話題も扱ひ出した。 実は今月、サロンから原稿を依頼されて、私の「文化といふもの」といふエッセイが五日から掲載されてゐることもあり、これもブログの代はりにお読み頂きたいといふ下心半分で、ご紹介した次第である。朝日新聞の安倍叩きを出しに昨今の日本の風潮への疑問を書かうかとも考へたのだが、実は、文化とはなにか、この頃ずつと考へてゐたところへの依頼だつたので、そちらを書いた。是非サロンの他の記事と共にお読み頂きたい。 ついでながら、ここに書くことも躊躇しないでもないが、余りにも事の顛末の理不尽に腹が立つので書いておく。このサイトの管理人のN氏が痴漢冤罪事件に遭ひ、その顛末と、勿論、不起訴となつたのだが、その後、大宮警察署の酷い仕打ちを糾す為に公安へ苦情申し立てをしてゐる経緯も載つてゐる。 実際、この冤罪事件には義憤を感じざるを得ない。かういふ事が現実にあることもお伝へしたかつた。幸ひ、氏は辞表を出した以前の仕事口も、冤罪と分かり全て旧に復したとのことだが、下手をすれば、事なかれで辞めさせられたままの事も大いにあり得るのではないか。日頃、私もどちらかと言へば警察を信頼してゐたのだが、そして、親戚に警官もゐるのだが、今回ばかりは警察への不信感が増した。 2007年 10月 26日
十一月一日発売の『正論』、巻頭エッセイに、福田恆存評論集の「宣伝」に託けて(?)、近頃の我が国に私が感じてゐる違和感を簡単に書きました。体調不良でブログ更新を怠つてゐるお詫びを兼ねてのお報せです。
2007年 10月 03日
安倍首相の突然の退陣、そして自民総裁選の陰で、つまり、安倍さんの「お陰」で、今大笑ひして、いや、胸を撫で下ろしてゐる輩を忘れてはいけません。高笑ひは金正日、薄笑ひは胡錦濤、大笑ひは……さうです、「横峰パパ」と虎退治の「姫ゴゼ」(どちらも本名を覚えてゐないので)。 安倍退陣の衝撃のお陰で、すつかり世の中が忘れてくれた。大笑ひといふよりは、ほくそ笑んでゐるのではないでせうか。それにしても、メディアもいい加減です。次々にニュースの垂れ流しでカネ稼ぎなのですから。 メディアにここで釘を刺しておきませう。「絆創膏大臣」のお粗末はさて置いて、「政治とカネ」は福田首相にならうが、何党であらうが、いつの時代であらうが、ごろごろ転がつてゐるはずです、その事は国民の誰もが知つてゐるところです。あれだけ、執念く追求したのだから、最後まで徹底しておやり頂きたい。 まさか、自民党だけ追及などとけちな事は仰らず、小澤御大は言はずもがな、民主党議員も徹底的にやつて下さい。社民や共産の如き泡沫政党は抛つて置いて構ひませんが。横峰パパや姫御前の例に倣つて、もう追及や~めた、次はテロ特措法をやつつけようなんて、秋の空のやうに移り気に、ころころ話題を変へないで下さいな。 が、メディアの存在意義――大袈裟か――存在理由など、もはや、次々に新奇なニュースを追ふことより他にありはせぬ。いはゆるニュースにしてもワイドショーではないか。そこにメディアを追ひ込んだのは、ほかでもない、メディア自身だ。いや、私達国民にも一半の責任はあるのだらう。忘れつぽさと、飽きつぽさ、そして物見高さと。これを衆愚と呼ばずして……。 2007年 10月 01日
大分前の事になるが、私のブログが正仮名遣ひであることに疑念を表し、あれは主義主張なのかと聞いて来た知人がゐる。主義だ主張だと、そんな大それた話でもなんでもなく、単に過てる「現代かなづかい」に苛立つ、それだけのことなのだ。 例へば、「おめでとう」、といふ仮名遣ひに違和感を感じるだけの話なのだ。めでたいから、正月なり慶事に際して、「おめでとう」と書くのだらう。つまりめでたい=愛でたいからだらう。あるいは「珍しい」物事を「愛でたく」思ふから、その物事を大事にしたいのだらう。 大事にしたく思ふ、愛でたく思ふ、すなはち、「めでたく」思ふから「おめでたう」と書くのだ。「たう」は「たく」のウ音便であり、といふことは「おめでとう」と書いたら、そのウ音便を元に戻すと、「おめでとく」となつてしまふではないか。めでといなぁ、なぞと言ふか。形容詞の語幹が、変つてよいものか。「おめでとう」と書いて違和感が無い方は、ついでに「めでとけ」れば、「めでとい」時と書いたらいい。この「現代かなづかい」のごまかしと矛盾が気持ち悪く無いのだらうか。 なにも、表記上で「めでたう」と書いたから、生真面目に一字一字発音することは無い。「現代かなづかい」とやらで、「おめでとう」と書いたからといつて、「オ・メ・デ・ト・ウ」と一字一字発音してゐるわけでもない。「おめでたう」と書いて、喋る時は「オメデトー」と発音する、それが昔からの極まり事で、それに不便を感じてゐなかつた。事実、私達は漱石や鷗外を、昭和も半ば過ぎまで、何の苦もなくこの正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)で読んでゐたではないか。 もう一つ。「嬉しく」存ずるを「うれしう」と書くのと、「うれしゅう」もしくは「うれしゅー」と書くのとどちらが自然か。「おはよう」に馴れてはゐるだらうが、「お早く」=「おはやく」を「おはやう」と書くことがそれ程、奇妙か。主義だ主張だといふ大仰な問題ではあるまい。 ついでに、「珍しい」といふ言葉だが、上に書いた通り、貴重なもの珍重したいもの、つまり、大事に愛でたいものだから、文語の終止形なら「珍らし」と表現したわけだ。これはお分かり頂けよう。ならば、「めでたい」のダ行「で」に付き合つて「めづらしい」とダ行「づ」で表記するのが妥当だと言ふことも、お分かり頂けよう。 ところが、「現代かなづかい」ではザ行で「めずらしい」と書かなくてはならない。これに何の矛盾も感じないのだらうか。これでは、「珍しい」ものだから「愛でたい」といふ語の関連性が無くなる。同じ語源(語感)から発した語をザ行とダ行といふ別の仮名遣ひで綴らせる「現代かなづかい」は言葉への暴力だ。 戦後の国語政策のせゐで、我々は「現代かなづかい」を学ぶことにより、古典(古文・文語)を全く別物として学習することになつた。いはば、外国語を覚えるが如き気分の生徒もゐるらしい。なぜ、同じ仮名遣ひで古典も現代文も済んでゐたものを、二通りの仮名遣ひを覚えるといふ無駄を強ひられねばならぬのか。それが、我々から古典を奪つたことに、どうして気付かないのか。 国語教師はこの矛盾に平然として、授業を進められるのか。それとも矛盾に気付かぬほど鈍感なのか。国語教師ばかりではない。言葉を生業とする者全て、この問題に頬被り出来ぬと思ふが、如何。 「現代かなづかい」の矛盾や問題点をあげつらひ出したら限が無いから、取敢へずここまでにしておくが、最近出版された『旧かなづかひで書く日本語』(萩野貞樹著・幻冬舎新書)は正仮名遣ひへの入門書として、甚だ解りやすく親切である。お奨めする。 2007年 09月 22日
どうやら明日二十三日、福田「新首相」が誕生する勢ひだが、同姓の誼(?)で忠告して 一 靖国に替はる国立追悼施設を造らぬ事。誰も参拝しない施設に、そして魂の入らぬ施設に無駄な税金を投入するな。 一 皇室典範を弄らぬ事。不遜といふ言葉を学習してもらひたい。 一 男女共同参画社会を推進せぬ事。衣の下にジェンダーフリーと家庭破壊といふ鎧が見えてゐる。 一 取つて付けたやうに、拉致問題対処を口にせぬ事。どうせ対話対話のコメ支援になるだけ。今世界中で一番高笑ひし、笑ひ転げてゐるのが金正日だといふ事を忘れるな。対話と支援では何も動かぬどころか、被害者帰国の可能性は無限に先延ばしされる。被害者家族の心中察するに余りある。 一 総裁選中はともかく、総理になつたら、具体的な議論をする事。今のままでは安倍よりも言語運用能力に疑問あり。人を食つたやうな態度を改め、言葉を尽くせ。 2007年 09月 19日
部屋の片づけをしてゐたら、A4版のコピーが出てきた。どこで手に入れたのか、どういふ経緯で手元に残つたのか覚えがない。高名な仏文学者市原豊太の自筆(と思はれる)コピーなのだが、何らかの集まりで配られたものであらうか。ただし、私自身は市原豊太の話を聞いた記憶はないので、誰かからコピーのみを渡されたのかもしれない。以下、そのまま写す(原文正漢字)。 ************************************* 二十世紀フランスの文学界に於いてポール・ヴァレリー(一八七一~一九四五)と並んで最高の詩人・劇作家として仰がれたポール・クローデル(一八六八~一九五五)は外交官としても有名で、一九二〇~一九二六に亙ってフランス大使として日本に駐在した。彼は日本についていろいろ書いてゐるが、その中に次の如き記述がある。 「日本人の最大の特質は、自分の周囲に、自分達の到底及び得ぬ尊敬すべきものが常に存在するといふ感情を持つてゐることである。それは古い樹に神聖な標縄が張られてゐるやうなことにもあらはれ、言葉にもあらはれてゐる。云々。」大正天皇の御葬儀に列した彼はその神秘性を殊に深く感じた。 昭和十八年秋、パリの或る夜会で、前出のポール・ヴァレリーと同席したクローデルは日本の前途を危惧しつつ次のやうに語つた。 「私がどうしても滅びさせたくない一民族がある、それは日本人だ。彼らほど太古からの興味ある文化を持つ民族を私は他に知らない。彼らの近代の大発展を私は少しも不思議と思はない。彼らは貧乏である、併し高貴な民族だ」 市原 豊太 ************************************* このクローデルの言葉、どこかで目にした事があるといふ方もいらつしやるのではないかと思ふが、この一文に何の補足も必要あるまい。およそ八十年前の、我々の祖父母の代の日本人を上述の如く描写したフランス人がゐた。そして、上述の如く描写された一民族が、この地にゐたといふこと。 八十年を経た今、「自分達の到底及び得ぬ尊敬すべきものが常に存在するといふ感情を持つてゐる」日本人が、どれ程ゐるのだらう。かかる謙遜や謙虚、そんなもの今の日本には薬にしたくてもない、と言つたら言ひ過ぎか。自分を超え人間を超えた存在への畏怖の念、父祖への尊崇、自国の過去=歴史への憧憬、さういふ穏やかで物静かな態度を日本人が失つて、半世紀余りが過ぎたといふことだ。 「彼等は裕福である、併し下劣な民族だ」、今の我々をクローデルが知つたら、さう言ふのであらうか。下劣を愚劣と言ひ代へても、下卑たと言ひ代へても、それが今の私達には似付かはしいと言はざるを得ない、一人の例外もなく。慨嘆する他ない。 |
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