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2012年 01月 31日
この対談集第4巻は、フジテレビで放映された『世相を斬る』を中心に編纂したが、その中に昭和52年の暮れにワシントンで録画し、翌年3月12日に放映された、ニューヨーク・タイムズ記者・デヴィッド・バインダーとの対談がある。バインダーの発言が歯切れよい。 ≪……私が言いたいのは、軍国主義の危険や軍国主義体制、軍国主義的冒険が過去においてもたらした不幸と悲劇に対して、日本人がどれほど敏感であろうとも、またそれらの復活をいかに恐れていようとも、だからといって日本を防衛するのはごめんだ、と言い張ったり、兵器と名のつくものには触れるのもいやだ、あらゆる国から完全に中立でやっていくのだ、と言っているだけでは、完全な人間にはなれないし、完全な国家とは言えないと思うのです。 しかし、自分を守ろうという心構えは、攻撃されたとき、反撃するための軍備があってこそ、初めて効果を発揮するわけですが、自分の国が直面する危険には軍事力で対応する以外に方法はない、と考えて軍備の増強をはかり、その負担で押しつぶされるようであってはならないと思います。つまり、私が言いたいのは、大人の分別を持った国民であれば、当然自分の国を守ろうとするだろうということ。≫ 耳が痛いといふか、いはゆる政治家のつもりでゐる今の(民主・自民を問はぬ)議員に「耳の穴をかつぽじつて、よく聴け! バインダーの爪の垢でも煎じて飲め!」と言ひたくならないか。続けて彼は、かうも言ふ。 ≪やがて日本も、現在以上の防衛責任を担い得る国になるだろうと思います。もちろん、多くの日本人はこれ以上の防衛力増強は危険だと言うかもしれません。が、これは外から私たちがとやかく言うべき問題ではなく、結局日本人が自ら決定すべき問題なのです。≫ この言葉、味はひ深い。対談から35年ほど経つた今、日本はどれ程の「防衛責任を担い」、「分別ある国民として自分の国を守ろうと」してゐるだらうか。そして、引用の終はりをよく読んで、私達はそれを噛みしめるべきであらう。バインダーは決して、アメリカ人の自分達は何か言ふ立場にない、権利はないなどと、謙虚な態度を示してゐるのではない、「結局日本人が自ら決定すべき問題なの」だといふ最後の言葉、背筋がゾッとする冷たい言葉であることにお気づきだらうか……。誠実かつ冷厳な言葉、冷酷な言葉でもある。 2012年 01月 29日
恆存対談集の第4巻(1月刊)にフジテレビの『世相を斬る』シリーズでの対談を収録。その相手の一人が勝田吉太郎。氏との対談のタイトルは「幻想の平和」。その中の勝田氏の言葉を引く。 ≪勝田 いい意味でも悪い意味でも、戦争にはヒロイズムがありますね。それを、日本の今日の平和というのを考えるときに、僕はいつも思うのですけどね。どんな代償を払っても平和をほんとうに求めようとするのかどうかということですね。極端に言いますと、日本列島がフィンランド化してソ連の事実上の衛星国になっても、奴隷の平和も平和だと思い定めて、そういう平和を甘受するのかどうかということですね(中略)先ほど、平和というのは一つの目的化してしまったと言いましたけれど、本来ならば平和というのは何らかの目的を実現するための条件あるいは手段であるにもかかわらず、肝心かなめの目的がどこかへ行っちゃったのですよ。その目的がちゃんとあれば、人間は生き生きするはずですよ。自分の生を賭け、あるいは死を賭してでも守ろうとする価値あるいは生き甲斐、それがどこかへ消え失せているものですから、それで平和が目的自体になってしまって、精神がだらんと伸び切っているということですねえ。≫ 上のソ連を中国に置き換へると、我が国が今おかれてゐる状況そのものではあるまいか。そして、後半の目的そのものと化した平和に私達が何の疑問も抱いてゐないとすれば、思考の停止以外の何ものでもない。戦争自体には破壊・勝利・平和といふ「目的」があり得る。では、平和自体は何のために? そして、勝田氏の言ふ「死を賭してでも守ろうとする価値あるいは生き甲斐」とは? 家庭なり社会なり、あるいは国家なり、自分が属する集団の安寧を平和と呼ぶとすれば、それが世界平和に通ずるか否かは知らぬが、その安寧のために自分の命を捨てられるか、それを考へないと「精神がだらんと伸び切っている」と言はれてしまふのだらう。 ついでに、もう一人、元警視総監で当時の参議院議員だつた秦野章との対談のタイトルは「ハイジャックと人命」。その対談の終りの所から。 ≪福田 そうですね。「国民」という言葉すらこのごろあまり使わない。 秦野 あんまり使わない。市民なんだ。社会なんだ。国家とか国民とかいうのはいけない。 福田 あれは戦前にはあったけれど、今は亡くなっちゃったと思ってるからね。(笑) 秦野 だけど、ほんとうに国家のない社会ってありっこないでしょう。そこを考えないといけないんだけれども、やっぱり……。 福田 そういう国家、国民がなくなって、市民と社会になったというの、これは赤軍と同じで、戦後教育は世界革命を考えてるんじゃないですかね。 秦野 赤軍と同じだな。原理的にはね。しかしそれはアナーキーですわな。無政府主義や。 福田 ええ、困ったもんですね。 秦野 困ったもんですよ。≫ これは昭和52年の秋の放送。30数年前、さういへば丁度鳩山由紀夫や菅直人が出て来たころにならう。「世界革命」といふよりは中国への隷属を「平和」と勘違ひした市民派の姿が浮かぶ。「国家のない社会」、国民ではない「市民」など「ありっこない」、さういふしかない、それが通じぬなら、後は「困ったもんだ」といふ他ないのだらうか。 もう一つ、昭和53年8月放送の福田信之、当時の筑波大学副学長との対談、「日本の資源と原子力の平和利用」。 ≪福田(信) ……私も戦争中、原爆研究に従事していました。当時はほんとに原爆を造れるかどうかの基礎研究をやろうというわけでやってたわけです。私は主として濃縮ウラン――百パーセントの濃縮ウランを造りますと原爆ができることはわかっていたのですが、これは大変難しい技術でしてね、ほんとに日夜やってました。まあ、日本は片手間の研究であり、アメリカは国力の相当部分をさいてやってたという差はあります。 あの当時の雰囲気からいいまして、もし日本で原爆製造に成功していれば、また今日の技術をもってすれば十分成功したでしょうけれど、もし造っていれば当然、原子力を使ったろうと思います。けれども、福田さんがおっしゃるように、なにか自分の傷を見せながら世界じゅうに「俺はこんな傷を受けたんだ」と言っても――ほんとうに世界の人がどう受け止めているかというのを日本人は知らないのではないでしょうか。≫ 覚えておくべきこと。一、日本も原爆を作らうとしてゐたといふこと。二、造つてゐれば使つてゐたであらうこと。この第二の点は幾ら強調してもし過ぎることはない。人間は自分の生み出したものを使はないわけがないといふこと、これ程分かりやすい現実もないのだが。 尤も、私には、そのことより上の引用部の最後が甚だ興味深い。「俺はこんなに傷を受けたんだ」といふいやらしい精神。自分を弱者の立場において、いや、それどころか相手を加害者の立場において、加害者を吊るし上げる、あの被害者面ほど不愉快なものはない。そこには人生を生きる上での宿命への思索がない、思想がない。 被害者が加害者を糾弾するほど「容易」なことはない。誰もその行動を非難しようがない、出来ようはずがない、さういふ立場に自分を置いてしまふほど「強い」ことはない。現代に充ち満ちてゐる、この精神構造、どなたもお気づきのはずだ。殊に、加害者がもともと強いと世間一般が決めて掛かつてゐる存在が、弱小な存在や個人に被害を与へた場合となつたら、世間が一斉にその加害者たる強者を袋叩きにする。公害しかり、アメリカの核しかり。戦後の進歩派メディアの報道は、ほぼこの類型と思つて間違ひない――教訓:負けたくなければ、常に弱者たれ。 さて、上の対談だが、上の発言に続けて、恆存さんも信之さんも福島の事故を体験した我々からすると、かなり暢気な発言をしてゐる、と思ふと、突然信之さんがかう言ひだす。 ≪原子力でをたくさん開発すると廃棄物が残って、それは千年もたつと危険が生ずるというけれど、千年後に人類が生きているかどうかさえ分からない。今世紀から来世紀にかけていかに生きるかということを考えているのだし、技術は長足の進歩を遂げていますからね。そりゃ百年単位、千年単位でいいますと、まだ解決しなければいけない問題ありますよ。それはまた我々の子孫がどんどんやりますよ。≫ 「千年後に人類が生きているかどうかさえ分からない」――核さへ存在しなければ人類は永遠だなどと誰が保証してくれるのだらう。上の発言の「健全さ」が分からぬと、恐らく「弱者」の立場を取るしかなくなる。連帯だ友愛だと美しい言葉で、人間同士の相対の中でしかものを考へなければ、それもよからう。が、人知を超えた未知の出来事が起こり得るのがこの世の習い、その未知の出来事を、それはそれとして受け止める覚悟(諦めでも勿論構はぬ)がなくて、どうして生きていけよう。気軽に「死」といふが、これ程の未知の出来事はない。核による死と、天寿を全うした死と、更に我々人類が経験したことのない出来事による死と、私には一つのものとして扱ふしか術がない。 脱原発への道を日本が歩むのか否か、私は知らない。私に分かつてゐるのは、人類は、なかんづく日本人は遠くない将来原発もその再処理もねぢ伏せるであらうといふこと。しかし、それよりも確かなことは、身も蓋もない言ひ方をするが、ねぢ伏せることが出来ようと出来まいと、人類はやがて滅亡するであらうといふこと。 ここまでは実は、昨年の暮れに書いた。今附け加えることも余りないが、対談集は既に書店に並んでゐる。 原発について。私はどうしても騒ぐ気になれないし、恐いとも問題だとも思へない。これは直観に過ぎないから、何ともこれ以上書きやうもないが、子供の頃、放射能の雨が降るのなんのとメディアに騒がれ、子供心になんだか不安だつた。でも、その後何も起こらなかつた。はげになると言はれたが、日本にはげが増えたといふ統計も聞かない。 隣国シナでは楼蘭の辺りの核実験で十万単位の死者を出し、しかも当時日本にストロンチウムが散々降り注いださうで、これは福島の比ではないらしいが(もちろん福島の方が遥かに値は低いといふ意味)、このストロンチウムの害も、どうといふこともないらしい。 どこだかのアパートのコンクリートがセシウムで汚染されてゐたのなんのとヒステリックに騒ぐ前に、誰でもよい、真実を教へて頂きたい。私は、ヒステリーを起こしたり原発反対と叫ぶのは、真実が分かつてからにする。分かりもしないこと、メディアが取り上げることに一喜一憂するほど私は暇でもなければ、メディアを信頼するほど純情可憐でもない。 最近、産経新聞に長辻象平が書いてゐたCO2の値の方が、間違ひなく(そんなものがあるとしてだが)「人類の脅威」だらう。福田信之のいふ如く、千年後に人類は生きてゐるのだらうか。生きてゐたとして、そのことにどういふ意味があるのか。どなたか教へて頂きたい。まあ、シェイクスピアもハムレットに人間賛歌のごとき言葉を喋らせてはゐるが、といつて、やはり私は、人類が滅亡することがどれだけ深刻な問題なのか、想像する能力を持ち合はせてゐないやうだ。そんなことを想像すること自体に何の意味も私には見出せない。 2012年 01月 15日
私の自宅の裏手にある山には「王城山」といふ何やら立派な名前がついてゐる。通称を「小千畳」といふ。なぜ小千畳と呼ぶかといへば、町の背後に控へる「湘南平」といふ野暮な名称になつてしまつた、昔は「千畳敷」と呼ばれてゐた山(丘)があり、それとの比較といふわけだ。 この千畳敷の頂上はその名の通りかなり広々として平坦で、眺望が素晴らしい。360度ぐるりと眺められ、北から西へ目をやると丹沢山塊から富士山、箱根から伊豆の山々、南には相模湾が広がり天気さへよければ大島がかなり近くに見え、東に目を移すと三浦半島と、時に更にその先に房総がかすんで見える。 この贅沢な眺望には負けるが、千畳敷の千畳(多分それ以上)もありさうな平坦な頂上に似て、小さいがやはり頂上が平坦な王城山といふ訳で、私が子供の頃は通称「小千畳」と呼ばれてゐた。その頂上に立派な石碑が建つてゐる。これが標題の明治天皇観魚記念碑。 さて、千畳敷の名が出たついでに、早速横道にそれて、少々大磯探索。この千畳敷へ上る道の途中には幾つもの横穴古墳があつたり、少々淀んではゐるが小さな湧水(といふより水たまり)がある。この湧水の言はれ――その昔、父の仇・工藤祐経の動静を探りにここを登つた曽我五郎の馬が急峻に泡を吹いた、そこで五郎は足で(だつたか太刀でだつたか)、地面を突く、するとそこから水が湧き出し馬に飲ませたといふ。また、馬が踏ん張つたところから水が湧いたともいふ。そして、十郎がその水を使つて虎御前に文を書いたといふので「十郎の硯池」と名付けられたとか、まぁ、眉に唾して聞いておけばよろしい伝説もある。だが、この眉唾伝説から、千畳敷はそもそも泡垂山(あわたらやま)と呼ばれてゐた。今では大磯の住人でもこの名称を知る人は少ないだらう。 その五郎の兄、十郎と恋中の女郎が大磯の宿場の遊女・虎御前。その虎女が化粧に使つた井戸が旧東海道にポツンと「残つて」ゐる。中を覗いても別に面白くもなんともない。 虎繋がりで、虎御石といふ有難い石まである。延台寺といふ寺にあるのだが、この石は工藤祐経が送り込んだ刺客の射た矢や切り付けた刀から十郎を守つたともいはれ、虎御前の成長とともに大きく育つたともいはれる。ま、さざれ石が巌になる国に相応しいお話。歌舞伎などの曽我ものには少なくとも虎御前は必ず出てくる。 ただし、虎御石は出てくるはずもないが、こちらは有難いことに「本物」にお目にかかれる。毎年、確か5月の第4日曜日に御開帳される。この石に触れると大願成就、安産厄除けと霊験あらたか。恨みつらみで復讐の念に燃えていらつしやる方は是非大磯観光協会辺りのホームページで調べて、石に触りにいらつしやるとよろしい。仇打ちも成就すること請け合ひ? 千畳敷に戻るが、昔、頂上直下に高射砲跡があり、我々子供の良い遊び場になつてゐた。高射砲自体は勿論撤去されてゐたが、砲台と掩蔽の建物は残つてゐた。高射砲は相模湾から上陸してくる(であらう)米軍を迎へ撃つためのものであり、さらに街中を歩くと、上陸して来た米兵を拝み撃ちにするつもりだつたのか、銃剣で白兵戦を戦ふつもりだつたのか、兵士が身を隠す祠のやうな穴が、相模湾から町の中心部に向かふ切通しに残つてゐる。 さて、大磯歴史散策はこのあたりにして本題に入る。今日は小千畳の話、といふか、先に触れた「明治天皇観漁記念碑」のことを写真を付けて記しておきたい。まず、この立派な写真をご覧あれ。 ![]() 石碑の裏に彫られた説明に基づいて簡単な歴史を記す。江戸から明治になり、明治天皇が江戸を東京と改名したのが明治元年七月のこと。同年九月天皇は京都を発ち、東京へお向かひになる。その途次、十月七日大磯にて御休息、その折、「海濱ニ幸シテ」、漁師たちの威勢よく働く姿と多くの魚が取れ飛び跳ねる様(「魚族ノ溌剌タル魚槽」)を初めてご覧になり「御興ニ入ラセ玉ヒ」、漁夫らに「御下賜品アリ」といふ次第である。その次第を「今謹テ石ニ勒シ之ヲ山上ニ建テ此地ノ栄ヲ永ク後ニ伝フト云フ」といふわけである。 ![]() 石碑を建立し、この解説(書陰)を書いたのは安田財閥の祖、安田善次郎翁である。建立は「大正七年十月吉祥日」と碑の側面にある。正面の立派な碑文は、時の内大臣正二位大勲位侯爵松方正義の手になる。 上の青空を背景に写した画像は一月十四日のものである。で、それこそここからが本題、この画像をご覧いただきたい。 ![]() ![]() これらは昨秋写したものである。我が家からは頂上まで歩いて十分ほどの格好の散歩コースなのだが、この数年、夏から秋に登るとご覧の通り荒れ放題。ほんの数年前まではこんなことは無かつた。町の歳入が減つてゐるのだらうか。一方では、この町は、車でなくては行けないやうな不便なところに町民のための運動公園を造つてみたりする、そこへ歩いて往復するだけでも半日かかる、その上運動などする必要もない。最近では全く不要な診療システムを新規に発足させたりと歳費の無駄遣ひはしても、町が誇るべき懐かしい歴史には目もくれない。これつてなんでせう。歴史を蔑ろにしたら、必ず歴史に逆襲される、予言しておきます。 かういふ言ひ方はお分かり頂けようか――大磯町が私といふ一個人の歴史を破壊してゐるのだといふ……私の中にある記憶、常に整然と手入れの行き届いた裏山と記念碑の記憶、間違ひなく明治に繋がる私の記憶と人生を町が破壊して行く。それを私は許したくない……。 以前は手入れが行きとどいてゐたため、薄その他の雑草がはびこることは皆無、いつ行つても美しい相模湾を眺め歴史に思ひを致し……絶好の散歩コースだつた、といふか私の遊び場、庭だつた。今は正月前後に一度雑草を刈り取るだけとなり、夏草が茂り出す季節からは山頂に近づづくにはかなりの覚悟が要る。 で、昨十四日、散歩に出かけて小千畳に登つたところが次の写真のやうに見事に草を刈つてあつた。暮のうちに刈つてないので、遂にそのまま年を越し、もはや荒れるに任せるのかと思つたら、「一応は」手入れをする気だけはあるらしい。 ![]() だが、この写真をよく見て頂きたい。「一応は」といふ意味はお分かりだらう。 ![]() 荒れ果ててゐること一目瞭然。造形は立派ではあるし、これを財閥とはいへ個人が建立すること自体、頭が下がる。90度ずらした下の台座は蔓延りだした薄が徐々にその敷石を押し広げ破壊し、年々崩れて行く。正面の階段の上の二本の柱にお気づきだらうか。昔、この柱から石組の上に正方形の石柵が廻らしてあつた。左の柱の陰になつてしまつたが、上の囲いの左端前の柱上部にあつた宝珠は壊れて崩落。階段上の周囲も上の囲いの中側も、薄は一応は刈り取られてなくなつてゐるが、数年間、根を取らずに蔓延らせたため、もはや手の施しやうがない。草の、殊に薄の根は強い、種子からの繁殖も含め、数年のうちに継ぎ目裂け目を狙つて出てくる薄のためにこの石組は土台から崩落し、中央の石碑だけが傾いた無残な姿を曝すのだらう。さうして、記憶といふ形の私の一部も崩壊させられる。 この王城山の裏手に「釜口古墳」といふのがあり、これは一応町が管理して見学する人も散見される。が、この明治天皇の観漁記念碑を省みる人はもはや誰もゐないらしい。寂しい限りである。ちなみに、明治帝がお出ましになられた海辺にも観漁記念碑があるが、こちらはこの安田翁建立のものほど立派ではないが、人目に付くところでもあり、規模も小さいせゐか一応の手入れはされてゐる。 最後に、この小千畳(王城山)の麓に今なほ安田邸が保存されてをり、年に一度開放されて見学できる、興味のある方はネットでお調べ頂いて、冒頭に長々と書いた町内の散策もなさるとよろしい。安田邸、昔は富士銀行の行員の寮として使はれてゐた。校倉造の蔵などもあり、往事私はほとりの池で蛙の卵を取つたりお玉杓子を捕まへたりしたものだ。今では、警備厳しく、お花見に門から入らうものなら管理人に咎められる。昔正門は開かれたままであり、内門との間の広場は私達の野球場でもあつたのだが。これまた寂しい限り……。 2011年 12月 20日
ダイヤモンド社のオンライン記事のインタビュー。話したことの三分の一くらいですが、私なりの震災についてのコメントです。 いつか、更に深く考へてみたい問題です。 更新をなおざりにしてゐますが、秋の恆存生誕100年記念公演について等、書きたいことはいろいろあるのですが、落ち着いて核時間が取れず、新年を向かへさうです。間の抜けた時期に間の抜けた更新をするかもしれません、あしからず。 2011年 11月 27日
知人のブログで久しぶりにベジャールの振り付けの「ボレロ」を見た。来日公演で封印した「ボレロ」を踊つたシルヴィ・ギエムとジョルジュ・ドンの二人のダンサーのバージョンが見られる。 直接リンクを張つておく。これがジョルジュ・ドンのもの。こちらがシルヴィ・ギエム。と、見ていたら、多分べジャールの振り付けで最初に踊つたマイヤ・プリセツカヤのものも見られる。 プリセツカヤの踊りをsweetと呼ぶなら、ジョルジュ・ドンはやはりsexy、ギエムはstoicとさへ呼べる。どれも見ごたへがあるが、私はやはりジョルジュ・ドンが好きである。理屈ではなく感覚の問題なのだが、私は表現芸術において常に女性より男性に惹かれるやうだ。現実世界では勿論逆であるが。 2011年 11月 12日
玉三郎の舞台に我々が観るのは何か。住大夫の語りに私たちが聴くのは何か。それは意味でも意義でもない。「芸術」に我々は「今日的意味」や「テーマ」など求めはしない。求めなければ済まされないとしたら、それはそれが芸術ではなく、観るに値せず聴くに値しないものといふことにならう。 では私たちはこれらのものに何を求め、何を観、聴いてゐるのか。いふまでもない。魂である。演者の魂。その魂を彼らが持てる技術の総てを動員して提示する姿に我々は心を打たれるのだ。魂といひこころといひ、これらは目に見えぬ抽象的精神的なものではない。手にも触れられさうなほど具体的な、たとへば、舞踊の技術であり語りの技術以外の何物でもない。演者が自分の技術に魂を込めて演ずること。それに観客は心を奪はれる。 ここにはテーマだ今日的な意味だといつた、頭デッカチの入りこむ余地はない。小林秀雄流に言ふなら、「お悧巧な人はテーマでも意義でも、たんとお考へなさい。私はバカだから考へない。」 「堅壘奪取」を演出する時、理屈ではなく技術あるいは外面を意識したといふのはさういふ意味である。その結果が、住大夫の域に達してゐないことは百も承知、玉三郎と比べるのは冗談にしかならぬことも分かつてゐる。が、自分が彼らと同じ土俵に立ち、同じ戦ひを、つまり自分との或いは自分を超えた存在との戦ひを戦つてゐるといふ確信が、私にはある。 2011年 11月 12日
芝居の稽古といふと、普通なら稽古初日に演出家から演出意図なり作品解釈なり「方向性」やらの話があつて稽古に入るものだが、今回父の「堅壘奪取」を演出するに当たつて、私は一切それをしなかつた。今回稽古初日は、もう一本の「一族再會」と合同の顔合はせとなつて、かなり形式的(儀式的?)な読み合はせから始まつたことにも一因あるが、それぞれ単独の稽古になつてからも、私はその種の話をせず、その後、正味30日に近づく稽古の間、テーマだとか意図など説明しようとも思はなかつた。 読めば分かるでせうといつた気分も無くはなかつたが、どういふ芝居を創るかの理屈を捏ねてゐるより、科白の一つ一つを書いてゐる作者の筆が、その書いてゐる瞬間に躍動する姿を、そのまま舞台に移し替へることに専念した。さうとでも言ふしかない。今まで、このやうな手法で演出したことは一度もない。必ずと言つていいほど御託を並べた。 では、今回どういふ稽古を進めたかといふと、やたらに形だとか間だとかタイミングだとか、あるいは科白の抑揚やテンポやリズム、そんなことにばかりこだわり続けた。極端な話、登場人物の性格すら無視して、その場、その科白がどういふ効果を持つべきか、その種のダメ出しに終始した。 特にこの「堅壘奪取」といふ戯曲が他の作品以上に形を要求するのかもしれない。あるいは何が書いてあるかなど、説明するまでもない単純な戯曲だといふこともできるかもしれない。だが、何より私の頭にあつたのは一つ一つの科白が要求する姿を「外面的」に創ることに専念すれば内面は自然と浮かび上がるはずだといふ確信だつた。テーマやら意味は後からついて来る、さういふ発想に立つて稽古の終盤に掛つてゐる。 稽古が始まつて三週間ほどした頃、若い役者のO君が笑ひながらかう言つたものだ、「最初の稽古の日の、あのダメの量の多さには絶望しました」と。さう、敢ていふなら、私は役者が徐々に体に染み込ませるべき登場人物に、相当せつかちに、ただただ結果を要求し続けた。稽古の初期から、例へば、をかしな科白ならその科白がをかしいといふことを見せてくれ、技術を見せてくれと要求し続けたともいへる。結果が見えてナンボのもの、さういふ要求ばかりした。 理屈はいらない、ここでAの役が不機嫌になつていゐないと次のBの科白がはあり得ないとするなら、何でもよい、Aが不機嫌なことを客席に伝へてくれ、そこから先にこの芝居の展開が生まれる、さういふ創り方を役者に強ひ続けた。 一幕物にしては長い稽古期間だが、後半の稽古に入るころ役者達は、私のダメ出しのを、それが何であれ、ほぼ100%理解し、細かな稽古など繰り返さなくとも、翌日にはほぼ答を出してきてれくれるやうんみなつた。従つて、毎日の積み重ねがないなどといふ日は一日もない。何かダメを出せば必ずそれを咀嚼して数段階段を上つて舞台を緊密にしてくれる。かういふ稽古は久しぶりの経験である。一言でいへば気持のよい稽古場。 *********************************** これ以上の具体的なことは、観に来て下さる方のために書かずにおくが、この稽古を進めてゐてつくづく思ふことがある。 文学にせよ演劇にせよ、あるいは音楽においてさへ、我々はどうしてテーマや作品の意図をしつこく論じたがるのか。モーツァルトを聴くとき我々はテーマなど考へ、それを理解しつつ聴くだらうか。ただ、その楽曲を楽しみ、気分が弾んだり明るい気分になつたりしんみりしたり、それだけのことではないか。 前にこのブログでもさまざまの音楽や舞台について書いてきた。しかし、私は一度として観念的な理屈を述べたつもりはない。いつも、それらの演者たちが作品群が私の心にどう響き、どう感動させ、私の胸をどう打つたか、さういふ事ばかり書かうとしてきた。が、往々にして人は「芸術」に触れる時、「理解」しようとする。いはく「この作品のテーマは何か」、「この作者は何が言ひたいのか」……これは「芸術」に接する態度ではない。或いは、さういふところからさ舞台を創るべきではない。頭では舞台は出来ない、心で考へろ。 あらゆる芸術の根幹になくてはならぬもの、観せるにせよ聴かせるにせよ、いかなる芸術も、理屈は抜きにして、まづお客を楽しませもてなす、そのことを忘れると、ただ生真面目で理屈っぽい、退屈な舞台を産むだけだ。頭デッカチの舞台創り。それだけは私は避けたい。今度の稽古場では殊にさういふ気持が強い気がする。 これは、実は言語そのものについても言へることかもしれない。文章といふもの自体、実は理屈以前に、読者を楽しませもてなすことが大事なのではないのか。小説であつても、筋や物語以前に、読者にさまざまな味はひの「心地よさ」を提供するべきではないのか。読んで心地よい、さうではない文章にどれ程の価値があるのだらう。 もし、このブログの読者が16日に始まる「堅壘奪取」を観て下さり、そこに言葉のリズムや間合ひや、そして語られる内容が当然のごとくに心に伝はることの「心地よさ」を感じることが無かつたら、それは私の演出が間違つてゐる、さう言はれても仕方がないと私は思つてゐる。 ************************************** たとへさうであつたとしても、この戯曲ほど、外面から内面へといふ常套的な演出を拒絶されたのは初めてといつてよい。が、悔しい(?)のは結果はご覧じろとは言へぬのが舞台の妙。総ては生の役者の肉体といふ「楽器」を通して観客に伝達され、かつ、総てはその日その日の異なる観客と舞台との呼吸で微妙に変化する。舞台稽古を済ませれば、演出家の出場はなくなる。後は総てひとまかせ、あなたまかせ。 以前はさういふ舞台芸術に苛立つことが多かつた。日々の舞台の出来に役者を恨みたくなり、観客の「鈍感」に腹を立て、そんな時期もあつた。が、どういふわけか、今回の「堅壘奪取」の稽古を進めるうちに、さういふ気持ちが消えてゐる。そのことに自分で戸惑つてゐるくらゐである。 大げさに言へば舞台創りは人生に似てゐる。何かのはずみで営々たる努力が一瞬で水泡に帰することもあれば、必死の努力も苦労も、どうにも報はれない、そんなことばかりだ。たまさか何もかも上手く行つたとか思つても、さして長くもない時の経過とともに人々に忘れ去られる。それをさびしいといふのではない。さうであるからこそ、忘れ去られる宿命であればこそ、芝居屋は、人間が明日を生きようとするのと同じやうに、明日も同じ舞台を勤めようとし、新たな舞台を創らうとするのではないか。人生と同じ、生きることに何の意味もないことの確認のために人は生き、舞台など夢のやうに消えうせることを知りつつ、そこに少しでも痕跡を残さうともがく。 50歳を過ぎたころから、そんなことを思ひ始め、還暦を過ぎてそれは確信となり、ただ、稽古場に通ふのが苦しいとともに、あういふ私もまた私の一人と思つてゐる。この項目を書き始めた当初とは、少々話が脱線といふかずれてゐるが、近頃、スポーツ選手などの言葉でよく耳にする「プレッシャーを楽しむ」といつた分かつた風な口のききようが私は嫌ひだ。私は今回の稽古では徹底的に自分を追ひ込んだ。 父の作品を演出するのは初めてである。しかも父の生誕100年を自分で企画して、作品を選び、その父親の戯曲を自分の選択した役者とスタッフの手で舞台に掛ける。これで失敗しては洒落にもならないと事あるごとに周囲の人々に言つてゐるのだが、言へば言ふほど自分に負荷がかかる。それを私は楽しめない。キツイだけである。キツイことが分かつてゐてもさらに負荷をかけ続けてゐる。プレッシャーは楽しむものではない。撥ね退けるか、打ちひしがれるか、さもなければ逃げるか、これしかないと私は思ふ。さう思ひながら、「堅壘奪取」の最後の仕上げに掛つてゐる。お見逃しなく。見逃せば、損をなさるのはあなたです。これも自分へのプレッシャー。(以上、出先にて馴れぬノートパソコンで記す。誤字脱字誤変換、乞御寛恕。) 2011年 11月 05日
随分ご無沙汰のブログで恐縮(してもいないのだが、失礼!)。11月16日に初日を迎へる舞台の稽古が10月冒頭から始まり、それまでに片付けるべき用事や仕事(ほとんど雑用)に9月の後半は忙殺された。 10月になつて稽古が始まると、大学、稽古、その他雑用でまる一ヶ月間に一日の休日もなく、気が付けば11月。文化の日とやらいふ意味の分からぬ休日も稽古に明け暮れしてはゐるが、大学祭のおかげでこの数日は少々息が付ける状態。 目下稽古中といふのは、福田恆存の一幕物「堅壘奪取」。私が生まれて程なくの頃、父の身に実際に起こつた珍妙な出来事。少々おつむのをかしな青年の訪問を受けた実話をもとにした一時間ほどの喜劇である。 詳細は現代演劇協會のホームページでご覧頂きたい。チケットは、残念ながら、まだ十分残つてゐるとのこと。皆様、是非「文化の日」のある今月、文化の秋、芸術の秋を味はひに池袋までお出かけ頂きたし! いやいや、芸術といふ程のものではない。ただ、楽しんで頂ければそれで十分。私の演出ではないが、「一族再會」と両方ご覧になると、作劇術の違ひが実に面白い。割引の通し券も用意しました。 ついでに、6日の産経新聞読書欄に、「堅壘奪取」と絡めてエッセイを書かせて貰つた。書かせてくれた産経新聞、まさに武士の情けか。残念なのが、産経の読者に演劇好きが余りゐないらしいといふこと。 これとは逆に、先日朝日や日経と共に産経にも載つた国家基本問題研究会の意見広告を見て、この会に入会した人は朝日が一番少なく、産経が一番多いらしい。これはホッとする話。 ついでに、9日には読売新聞が上の公演について取材してくれるとのこと。記事が初日に間に合つて、チケットが売れることを祈るのみ。 以上、御報告と宣伝まで。 2011年 09月 08日
久しぶりにいい読書をした。十分楽しめたといふか、前半は謂はば格闘しつつもがきつつだらだら読んだと白状しておく。デカルトの「我思ふ、ゆゑに我あり」から説き起こして、ハイデッガーの「存在と時間」を逍遥し、和辻哲郎のハイデッガーとの距離の置き方、近づき方などを書きつつ、欧米諸語と日本語による思考(哲学)の位相を浮き彫りにして行く。「思ふ」、「ある」等の語と「存在」の意味、あるいは「存在」の曖昧さをどこまでも厳密に確認して行く。 後半は、「もの」と「こと」といふ二語に二章が割かれてゐる。(「あんな酷いこと言ふんだもの」といふ文章で「もの」と「こと」を入れ替へて「あんな酷いもの言ふんだこと」とは日本人は絶対に言はない……)。この二つの言葉の担ふものを微塵なりとも見落とすまいとする著者の緊張と冷静と誠実が真直ぐに読み手の心へと伝はる。細かいことをここで記すつもりはないが、著者は「こと」といふ言葉の中に、「出で来る」もの、「生成」=「自ら成る」ものを見出し、「古事記」(事に注目)へと遡る。 そして、実は、「もののあはれ」に通ずる「もの」といふ言葉の存在こそ、日本語が(日本語による)哲学の新たな地平を切り拓くかもしれぬ可能性を示してゐると著者は考へる。ハイデッガーが行き詰つたところから、日本語の哲学が人智の高み(深み)を思索する可能性を暗示する。≪ハイデッガーが「言葉が欠けている」「文法が欠けている」と言って歎いた、存在者の底――あるいはむしろ、存在者の無底――を示す言葉≫である「もの」といふ言葉が日本語にはあるといふのだ。 「事」が「事」として出来し、はつきりと姿を現す状況(存在)を受け止める「こと」といふ言葉と、一方、空や無に通じて、消え入るやうな状況(存在)を示す――ハイデッガーを「言葉が欠けている」と歎かせたものを示す――「もの」といふ言葉とが日本語にはあるといふ事実に思ひ至り、つまり粗つぽく言へば、「生成」と「消滅」を言ひ現す「こと」と「もの」といふ二つの言葉を日本語が備へてゐることに思ひ至つて漸く著者はそこに日本語の哲学への道の入り口を見出してゐるのだ。 著者からの引用でもう一度、≪人生はむなしい「もの」だという「こと」が、この年になってようやくわかった≫を、≪人生はむなしい「こと」だという「もの」が……≫とは絶対に言へない。その理由も理窟ではなく分からせてくれる著作である。いや、理窟でも十分わからせてくれる著作といへよう。 一冊の本を読むのに一日か二日で済んだとしたら、読書の醍醐味は味はへない。この夏、他の仕事に中断されつつ、「日本語の哲学へ」を私は半月近く掛けて読んだ。読みつつ、ああでも無いかうでも無いと、途中何度も本を置いては考へ込み、自分の想念を追ひかけ始めて夜更かしして翌日に持ち越したり、数ページ前に戻つて読み返したりといつた、贅沢な読書を久しぶりにした。若い方たちに、言葉に携はる方たちに、中途で投げ出すかもしれないが、一度は手に取つて欲しい本だと思ふ。 2011年 09月 07日
もう一度、恆存対談・座談集の第三巻から引用する。かうなると、やはり出版社に対しては営業妨害かもしれないが……。半世紀近く前の言葉がそのまま今に通じてしまふのが怖い。結局言論も何も無力か? 「日本及日本人」の昭和44年5月号に掲載された村松剛氏との対談「強いことはいいことだ」から。 ≪福田 ……(前略)……みんな自分を誤魔化しているんだな。しかし、明治以来日本人の心に住みついている排外思想から脱却することは容易じゃない。だから行きつくところまで行かなければだめじゃないかと思いますね。 村松 そうだとすると三島由紀夫さんがいってる、日本刀を振り回さなければいけないことになる。(笑) 福田 いや、別に日本刀を振り回す必要はないと思いますね。洋服を着ていたってかまわないし、電信電話を使ったってかまわない。しかし長い間続けられてきた行事というものを滅ぼすことは絶対許されない。この頃、雛祭なんかが、ぜいたくな形で行われているけれども、それらはみんな商業主義に踊らされたもので、日本人のほんとうの日常の生き方と密接した形でやられてはいないし、季節とも密接していない。彼岸詣りだとか、そういうものも滅びつつある。これは由々しい問題で、私はまず行事を本当に蘇らせることが大事だと思いますね。 村松 そういうものが本当の民族の歴史ですからね。 福田 行事を正しく行うということは、先祖の生き方を守っていくということなんだが、この頃は結婚式でさえ、クリスチャンでもない者が教会で挙げたがったりするようになっているし、クリスマスや雛祭りや七夕など行事らしいものもあるが、これは全部コマーシャリズムから生じている。また戦後の祝祭日というのは、全部儀式、行事を伴わない日曜日とおんなじに扱われている。 村松 もっとも日曜日そのものが、日本では意味がないですからね。 福田 外国ではちゃんと日曜は宗教と結びつき、生活のリズムと結びついているんだけれども(中略)生活のリズムに表れたものが文化なんですけれども、そういうものを失ってしまっている(中略)国語教育だってそうだ。言葉遣いなんかみんな些事だと考える習慣が多いですよ。 村松 国語問題のようなものを些事だと考えるのは、いまおっしゃった排外思想と、もう一つは戦後滔々として流れている「人はパンのみにて生きる」という思想だと思うんですね。≫ 祝日について、いかが思はれるか? たとへば建国記念日とやら。あれを誰がどう祝つてゐるか。アメリカのごとき人工的後進国ではあるまいし、建国記念日とは何事か。紀元節なら祝ふべきであらう、それならこの国の神話にも国産みにも通ずる。一方、5月4日の「みどりの日」などといかがはしい「祝日」だか「休日」だか知らぬが、みなさなん、要は連休が増えて楽だから文句を言はないのでせう? そんなことで、保守だ伝統だと言つてはいけない。あの休日は即刻廃止し、4月の28日を主権回復記念日にすべし、足し引き相殺されてよいではないありませんか。4日は自己責任で勝手に有給でも何でも取つて休めばよろしい。(それはさうと、「教会の結婚式」、耳の痛い方、随分いらつしやるのでせうね。) ところで、クリスマス(あれは忘年会と私は考へてゐる)はさておいて、40代くらゐから下の「若者」はバレンタインデーに、商魂逞しい食品会社に乗せられてチョコレートを買ひまくり、お返しと称して、いや称されてホワイトデーとやらにもう一度チョコレートを買はされる。 それどころの話ではない。この5年ほどの間にハロウィーンまで「定着」し出した。店先ににあのけばけばしいオレンジと黒の下品な色が氾濫するだけなら、まだ許す(いや、許せんか)。一昨年、池袋から少し北にある、田舎のやうな都会のやうな、一言で言へば野暮な町の商店街を歩いてゐて驚かされた。「ガキ」の一群がカボチャやら何やら、やはりあの二色のけばけばしい衣装や、魔法使ひの格好だかドラキュラ伯爵だか、訳の分からない仮装をして走り回つてゐたのには、正直青ざめた。日本は終はつてゐる……さう感じざるを得なかつた……。 上の引用から、1頁くらい後に次の会話が交はされる。これなど、現今の原発問題を考へる際にも面白い。 ≪村松 日本の学生だけじゃなく、欧米の学生たちでもよく「消費社会への反逆」といいますけれども、一番先に反逆しなければならない対象は「自分自身」です。ジェット機に乗りたがったり、冷暖房のある家に住みたがったりする。その願望の集積が消費社会をつくってるわけですから「消費社会への反逆」という以上は、自分の中のものを叩きつぶさねばならない理窟です。(中略)そこで問題は快楽追及のどこに歯止めを付けるかということになるだろうと思います。 福田 全くその通りで、歯止めをどこで付けるかということは、これはネセサリー・イーヴルだと思うんですよ。いまさら物質文明なしの生活に戻ろうと思ってもそうはいかないんで、冷暖房はどこの家でも付けるという時代に向かって行くのが文明で、欲望そのものを抑えつけてしまうと……≫ さうか。つまり、原発そのものが文明の最先端といふことになるわけだ。むしろ、原発そのものがネセサリー・イーヴルといふことでせうか、恆存さん? 村松さん、消費社会に突つ走つた昭和の30年代半ば以前に戻れば良いだけの話ですね? ところが、実際には物質文明なしどころか、今や携帯電話やパソコンのない社会にすら、人類は戻れない。ファックスもない時代に戻るなど不可能。東京の地下に地下鉄が四通八達してゐなかつた過去に戻ることも出来ない。一度手にした便利を人間は絶対に手放さない、手放せない。そこまで考へてから、さて、原発はどうしたものか、急ぐことはない、神経質になることもない。やれ、推進だ脱だ反だとヒステリックに言ひ募るのは一旦止めたらいかが。 金になるなら(事業として成立するだけの公的支援があるなら)クリーン・エネルギーに乗り出しますなどと、虫のよいといふか商売上手の孫正義に騙されてはいけない。エネルギー問題は、あの手の商売人と俗衆受けを狙ふ政治屋の手からも、悪乗りの反原発論者や推進論者の手からも引き離し、彼らには一旦沈黙してもらふ。 その上で、どういふ国を造りたいのか。民主党のお歴々の如く、物質的にも精神的にも中韓の属国になりたいのか、日本の伝統と歴史と生活文化を「保守」しつつ自由主義社会に残りたいのか。独立国になりたいのか。豊かな消費社会を享受したいのか質素で粗末な生活に甘んずるのか。我々国民がそこから議論せずに、原発是非のみを議論するなど、意味がない。以上、「対談・座談集」にかこつけて放言しておく。 (ハロウィーンについてネットで検索してみて驚いた。大人から子供まで、既に貸衣装屋がある。どこまで商魂に乗せられるのか。震災後のいろいろな催しの自粛には疑問を感じたが、無国籍と言ふより、欧米に乗つ取られたやうな、この種の「習慣」は止めて欲しい。) (小さな訂正のさらなる訂正:貸衣装ではなく通販でした。) 2011年 09月 02日
久しぶりの更新を以下殆ど引用で誤魔化したら、やはり皆さんから叱られるだらうか、刊行前に余り引用しては拙いと玉川大学の出版部から文句を言はれさうだが、10月刊行予定の福田恆存対談集・座談集第三巻に収めた、三田文学の昭和43年12月号収録の秋山駿との対談「文学を語る」より―― そこで、チャタレイ裁判の弁護をした折に、法曹界の人々に文学の世界の言葉が通じないことにショックを受けたといふ話が出るが、続けて次のやうに語る。 ≪福田 さっきの体制側というのもそうでしょう。大人というのは体制側でしょう。自民党支持という意味ではないですよ。社会生活の体制を築いているのは大人ですから。ところが、ことに戦争直後は大人が戦争を起こしたので、大人を否定したり、青春謳歌でずっときておりますから、日本の文学が青春文学だから、ますますそうなっちゃった。社会性をいつまでも獲得しない。小説の中で政治や社会を結構扱いながら、そういう人がいつになっても結局は枠を出られないというのは、そこに原因があるのじゃないか。≫ 福田は続けて、自分の教養のない父親や母親に代表される一般人と同じ土台で話が出来なくてはいけない、文学の社会化(自分の家庭に通じるという意味で)家族化が大事だといふ。すると秋山が、それが「一番むずかしい」と受ける。続けて―― ≪福田 一番強敵です。ほかのものは、読者は、選べるでしょう。家族は選んだものじゃないのです。おふくろとか親父とか自分の息子とか。女房はある程度まで選ぶことができるけれども。もっともそこまで選んでもなかなか自由にいかない。(笑)ともかく、自分が選んだものでないもの、それをいつでも意識しているということですね。それはどこまでできるかは別問題ですね。だがいつでもその人の存在を意識している。どうも今の文学者でも知識人と言われる人達は、みんな読者や、つきあいの相手を自ら選んで、それ以外の人間は全部シャット・アウトしてしまう。宿命という観念はないのですね。≫ 物を書いたり訳したり、評論であれ小説であれ、さういふ世界に携はつてゐる方々で、ギクッとする方はゐないだらうか。「宿命」から逃げる人間が多い、逃げるのは楽だ。そして福田はかう言ふ。 ≪日本なら日本、日本の歴史、家族とかいう共同体、そういうものが、宿命だという意識がどうも足りないのじゃないだろうかという気がするのです。≫ さらに、「家」という観念について語った後―― ≪福田 僕はいよいよ保守反動の本領を発揮する。一番理想的な生活は親子三代が一つ家にに住むこと……(中略) ところが近来は、だんだん上を切り、下も切って、子供はなるべく少ないのがいい。出来れば夫婦二人だけ、もう一歩進めてみれば、何も一緒に住む必要はない、ということになる、そのようなマンマルな人間に育つ、いっそ一人一人べつべつにしておいたほうが便利じゃないかということになってくる。それこそ憲法で夫婦は必ず別居すべしというふうにやっておけば、歌い文句の「個人の自由」がもっと生かされたでしょうね。≫ いかがですか。夫婦別姓の行き着く先は、いやいや、別姓などといふなら結婚などしなければよい。そもそも個人が一人で生きるなどといふことは不可能事であり、共同体を否定した時、我々は個人の存在を否定したことになる。 ≪僕は偽善と感傷というのがなにより嫌いなんです。感傷というのは偽りの感情、偽善というのは偽りの道徳観ですね。それがみんな通用しちゃう。昔は偽善者と言われると、ギョッとしたものです。偽善者はみんな自分が偽善をやっているという意識がある。私は自分がやっていることはいかに善とかけ離れているかという気があるから、偽善者と言われると内心ギョッとしますが、今の人は、偽善をやっているという意識がない。自分はほんとうに天下、国家のためを思って、エゴイズムなどちょっともないきれいな人間と思い込んでいるから、「偽善者め」と言っても、てんで通じない。 そこで道徳観もあやふやになり、人間の感情もあやふやになつて……≫ さて、自分は偽善者ではないと言ひ切れる人間が、この世にどれだけゐるのだらうか。前首相は偽善者つてどういふ人ですか、と本気で言ひさうである。自分のことを「泥臭いどじょう」とお呼びの現首相は、偽悪者ぶつてもちんまりとした欺瞞家。 ≪福田 ……今の日本人の道徳観や感情が歪んじゃって、にせ物になっているということは一番危険なのですがね。僕はそのことが一番心配なんですよ。 秋山 偽善をはっきり知ってやっているならばいいけれども、意識しないで偽善になっているのはもっと悪く奇妙なことだ、というときには、何かその人のいろいろの言っていることの言葉だけの内容より、言い方、考え方、やり方のそこに何かが現れるとお考えになっているのですね。先ほどの文体というのはそこに通ずるわけですね。 福田 論文だって自分が真実だと思ったことを表現するでしょう。そういうときには礼儀があるでしょう。論争のときは相手をめちゃくちゃにやっつけてもいいが、ほんとうは論争の相手はその読者であって、とうの相手じゃないのですから、その読者にこの文章を渡すというそれだけの礼儀はあるので……≫ さう、文章も言葉も人に渡すにはそれ相応の礼儀がある。美しいことを語る言葉ほどウソ臭い。人命尊重、平等平和、これらの美辞麗句はウソ臭い。あへて今の時期に言ふなら、「がんばろう、日本」。否定できない、善意の押しつけ、人間が真善美のみで出来あがつてゐるがごとき言辞は耐へられぬ。「がんばろう、日本」、それもよからう。しかし、さう言ふとき、俺は頑張りたくない、さう言ふ自分もゐるかもしれない、せめてそのことだけは注意しておいた方がよい。上の引用の数ページ先で福田はかういふ言ひ方もしてゐる。 ≪自分の中のケチな根性とかエゴイズムとかに気付かないということが、僕にとっては不愉快ですね。目というのは、外側だけをみるものじゃないのだ。言葉というものは自分の裏側を見る目ですからね≫ 自分の裏側を見る目を持つた人間が、今の言論界にどれだけゐるのか、甚だ疑問でもあり、不安でもある。 2011年 08月 06日
下らぬサイトのTBが多いので、当分TB禁止の設定にしました。
2011年 07月 16日
総合演劇雑誌「テアトロ」が福田恆存の特集を組んでくれました。私も短いエッセイを寄稿しました、ご一読下さい。8月号、そろそろ店頭に並んだと思ひます。劇団「雲」「欅」の懐かしい写真も。
2011年 06月 24日
恆存対談集第三巻の最終稿を見てゐて、私自身が出発したところが見えるやうな気がしてゐる。「潮」の昭和43年8月号に載つた中村光夫との対談「現代文学への不満」だが、文学論としてもなるほどと思へるのだが、その最後が「現代若者への不満」で終つてゐる。少し長いが引用する。 ≪福田 ……ぼくたちの場合、(明治の)文明開化をそんなに無縁に考えることはできないが、戦後は親父のやったことは親父さんのやったことで俺の知ったことじゃないと、言える時代が随分出てきた。そういう点ではぼくらはちょっとついて行けない。 中村 ついて行けないよりも危なっかしくて見ていられない……。 ぼくら、自己否定から出発したけれども、それがなんとなく無制限な自己肯定に変りそうな危機は感じますね。自己否定ということの意味をもう少し考えれば、そういうことが何か役に立つかどうか疑問だけれど、そこに自分というものを見出せるのではないか。 福田 つまり否定を通じて、否定作業が結果として肯定になるようなことしか考えられないでしょう。だけど、いまの人は否定を通過していない感じですね。 中村 そうですね、通過しているようだけど、通過していない。 福田 自己肯定に好都合な観念の発明をオピニオン・リーダーにやってもらっているでしょう。だから自己否定がなく、いつも手放しの自己肯定に転ずる。それでは終りですよ。否定から出発すれば希望が持てるけれども、野放図の自己肯定を辿っている人が壁にぶつかってはじかれたらどうなるのだろうという感じがしますね。≫ 人間はどうあつても自己肯定したい、さういふところに立つ。が、自省、自意識を持つ人間は必ず自己肯定の居心地の悪さにゐたたまれなくなつて、千万の紆余曲折を経て成長する。なぜこんなつまらぬことを書きだしたかといふと、昭和43年に、この対談の二人をして「いまの人」と言はしめたのは他ならぬ私の世代、つまり全共闘世代であるからだ。 それで、このゲラを読んでゐてふと思つたのが、菅直人のことだ。あれが自己肯定のなれの果て、哀れな末路の惨めな姿なのだと思つたわけである。友愛を叫んだ鳩山も同じ穴のムジナで、「命を守りた~い」と虚ろな目で叫んだのも、到底自己否定から生まれる精神のなせる業とは言ひ難い。勿論鳩山は平田オリザを一種のオピニオン・リーダーと考へたのだらう。今も昔もオピニオン・リーダーとは進歩的文化人であり、今の進歩的メディアもこのオピニオン・リーダーを恐らく自任してゐるであらう。 (ゲラの校正に戻らねばならず)あまり多くを書くつもりはないが、反原発も脱原発もオピニオン・リーダーの振る旗であり、個々人の思考停止を招くのみだ。ファッションとしての脱原発。思考の停止。このお気楽な自己肯定がどこへ行くか、余りにも分かりやすい。 郵政民営化選挙、政権交代、原発反対(脱原発も)、全ては思考停止のヒステリー現象ではないか。いはば、条件反射のやうな思考。ことの本質に目を向ける作業を怠たり、まづ自分の生きる座標軸を見定めることをしないで、つまり生きて行く上での拠るべき価値を見出さぬままに、あれにもこれにも反射的な反応をするばかりではないか。座標軸も価値も、見出すためには否定から入れねばならない、それでなければ「自分というものを見出せ」ないと中村光夫は言つてゐるのだ。「無制限の自己肯定」は「危なっかしくて見ていられない」。無制限に自己を祭り上げ後生大事に抱へ込むと、とどのつまりゴキブリと何ら変るところのない人類ばかりを自己肯定してしまふ事になるのではないか。昨今、自己などといふ言葉自体死語になりかねぬ、そんなご時世ではあるが。 2011年 06月 17日
富士通総研の代表締役会長を務める、高校の同窓生伊藤千秋氏のブログを紹介しておく。ツイッターでも時々TLしてゐるが、このブログは必読と思ふ。 殊に今回の「本当に心配なのは電力不足か」には考へ込んでしまつた、といふか、やはりさうなのかと妙に得心。下手をすると、この日本三等国以下になりますよ、とも読める。 国民が反原発や東電叩きに「浮かれ」、政治家が政局に「踊る」ばかりの時、二十年後を見据ゑる伊藤氏の意見は傾聴に値する。 付記:同じブログの別の日付からの一部を下に張り付ける。 ≪そして、自衛隊も凄い。被災者の方々で、今回の災害派遣に出動した自衛隊員に感謝していない人は誰も居ないだろう。やはり、非常時には、「議論」は要らないのだ。「行動」が全てである。議論ばっかり好きな人は、暫く、今回の大震災の問題からは離れていて欲しいものだ。 さて、この度、仙台市に設置された、私共の会社の復興専任組織から重要なことを聞いた。長期的な復興計画のビジョンを語るには、まず、今、住民の方々が、一番困っていることを解決できる能力を持っている人や組織でないと、その資格がないということだ。つまり、福島も含めて、東北地方の多くの被災者の方々は、もう誰も信用出来なくなっている。霞が関も、国会議員も、有識者と言われる人々も、誰も信用出来なくなった。起こる筈のないことが起きた。安全であるはずのものが安全ではなかった。これは事実だから、もはや議論する必要がない。本当に信頼できる人は、議論が上手な人ではなくて、汗水流して、行動できる人だと住民の皆さんも分かったのだ。偉そうに空論を言っているTV討論なんて、もう一切やめてくれって感じだろう。≫ 2011年 06月 15日
一昨日だつたか、あちこちで反原発デモがあつたらしいが、大凡は例によつて例の如く、日本やアメリカの核には反対しても、ロシア中国の核には沈黙を守る輩のデモだつたらしい。昨夜ツイッターのリツイートで回りまはつて来たツイートにかういふものがあつた。 「埼京線に新宿で反原発デモの人達が乗ってきた。暑い~暑い~何でクーラー効いて無いんだ!って怒ってた。原発使えないからなんだけど。と思った。」 ツイートにしてもネット上の発言の怖いところは、それが真実か否かの手掛かりがないところだ。上の発言にしても、反原発の連中を貶めるための悪意の書き込みかもしれない。さうであるとも、さうでないとも断定はできない。 ただ、この書き込みは本当なのではあるまいか、とついつい思ひたくなるところが、私も危ないと言へば危ない。 と、予防線を張りつつ、実はこれは嘘ではないなと、私の直観がさう信じろといふ。少なくとも、クーラーが利かない車内の暑さに文句をいふ性情と、原発やら核やら、あるいは「権力者側」が行ふことに何かと文句を附ける性向と、この二つの根つこは一つ、そこには現状への不満があり、何かことが起こると己を棚に上げて他者を非難し権力を批判する性癖がほの見える。 そして、例へば自分が生まれ育つた国や社会への青臭い不平不満は膿み爛れるほど体内に蔵してゐる一方、その自分を生み育んでくれた国や社会に属してゐる意識は持てない。それらを持てなくしたのが、実は自分が受けた教育ゆゑの歪みであることにも、勿論気がついてゐない。 そして、なによりも、自分を生み育んだのは、自分が属する国や社会の歴史なのだといふ厳粛なる事実にすら、目をつぶらせる教育を受けさせられた被害者であることに気づいてゐない。そもそも、自分が大人になり、一端の社会人になつたのは自分の努力の賜物だくらゐに思つてゐるのだらう。 天に唾するといふ喩がある、他山の石といふ言葉もある。人の振り見て我がふり直せとも言ふ。まづは全ては自分の責任と考へること。20年も生きてきたら、自分の人生や生まれを人のせいにするものではない。今日の電車のクーラーにせよ、遠慮がちに言つても平成の20年余り、原発のお世話になりつぱなしで、享楽的な(石原流に言へば我欲ですな)日常を送つておきながら、事故を起こした途端に、反原発だと勝ち誇つたやうに言へるそのいけしやあしやあとした態度が私は気に食はない。 どうやつても、取りあへず我々は原発のお世話になるしかない。十年後二十年後を目指して代替エネルギーに移行して行く努力は必要だらうし、その点では多くの人々は脱原発であり、さういふ移行に反対はするまい。ただし、私には、それが可能なのかそのデータ一つないのだ。そのデータを、現実的なデータを示して、これこれかういふ筋道で脱原発を進めますと、さういふ方向を示すのが政治家の仕事ではないか。 データもなしで浜岡原発を止め、或はデータがあつても我々国民に開示もせずに止めてしまひ、後はドミノ倒し、原発は次々に停めざるを得ず、といつて菅にはその後の青写真が何一つない。少なくとも我々に見せてくれない。この三カ月、その繰り返しに国民が苛立つてゐることなど、どうでもよいのだらう。総理の座にしがみつく保身と延命しか、菅の頭にはないと言はれても仕方あるまい。 現実的データに基づく可能性を一つも示さずに、自然エネルギーを持ち出す菅総理も、総理に急にすり寄る孫正義も甚だ異様だと言つておく。原子力村の代りに自然エネルギー村が出来、その利権に群がる人間が出る、それだけのことであらう。機を見るに敏な孫と、延命を図る菅がつるむと言ふことか。やめてくれ。 私は日本人の民族的資質からいへば、今回の危機など必ず乗り越えられると確信してゐる。太陽光等の再生可能エネルギーを廉価なものにする智慧も必ず絞り出すことだらう。そして、原発すらも、開発しろといふ国策があれば、地震・津波対策から再処理まで含めてほぼあらゆることを想定した「完璧」なものを生み出す能力すらあると思つてゐる。問題は、政治家がその青写真を書けないこと、或は書かうとしないことだらう。 震災から三か月を経て、未だに避難所生活が8万人を越し(親類縁者に頼つた人々まで数へたらさらに多いわけだが)、にも拘らず、「増税だ、いや国債だ」と筋道を付けられずにいる。あまりにも無惨な行政の姿ではないか。前の記事にも書いた、リーダーは喩へ過てる目標であれ、少なくとも向かふべき目標を示さねばならない。それがなければ、如何なる集団も動かない、動けない。坐して死を待つことになる。それだけは、如何なる集団であれ、避けるべきではあるまいか――かつて集団を率ゐ損ない(?)、三百人劇場を潰して多くの恨みを買つた男の妄言である。 2011年 06月 13日
以下、三月の下旬(26日か)に書き掛けた記事。粗雑且つ中途半端だが、そのまま掲載する。 ********************************** それにしても、この二週間、ネット上にもメディアにも情緒的な、あまりにも情緒的な言動のなんと多いことか。私は自分が情緒に動かされないなどといふつもりは全くない。むしろ涙腺は緩い、歳ととも緩くなり過ぎてゐるくらゐだ。 たしかに、被災者への思いやりも優しさも大事なことは言を俟たない。原発反対表明もよからう。買い占めに走る心理も十分わかる。被災者への同情も援助も必要に違ひない。しかし、しかし、である。国家には、政府には、この国をどこに導くかを示して貰はなければならない。 災害からの復旧あるいは原発事故収束が緊急の優先時であると共に、この非常事態に今わが国がどういふ事態におかれてゐるのか、その認識を示し、進むべき方向を示すのが国家の指導者の責務ではないのか。おそらく、それこそが一国の総理が第一になすべきことなのだ。国民が不安を感じ苛立つてゐるとしたら、放射能への不安だけではあるまい。このリーダー不在、リーダーからのメッセージの不在に苛立つてゐるのではないか。 25日夕刻の菅総理の声明でも、そのことには全く、一言も触れてゐなかつた。上記二つの目前の危機への言及しかない。国家が存在しなくては国民は存在し得ないことを、今回我々は嫌といふほど味ははされた。そして、国民はこの国が再び生き延びることを心から願つてゐるはずだ。それに応へられぬものは政界に身を置くな。言論界にも身を置くべきではない。 あへて情緒的な言動をものするとすれば、菅総理の声明には、国民への愛情が皆無といふこと。誰に向かつて語つてゐるのか、なにも聞こえてこない。被災者への思ひやりがあるとは、私には思へないのである。それなら、リーダーとしての覚悟や指針が示されたらうか? どちらもありはしない。あるのはただ自己愛だけだ。 尤も、私たちに必要なのは同情や憐憫や思ひやりではない。この国の復興への強い意思と覚悟であることを繰り返しておく。人間に情緒は大切である。しかし情緒に浸る時期はもう過ぎた。ことに政治家には情緒的、あるいはヒステリカルな言動は慎んでもらひたい。リーダーに求められてゐるのは断固たる態度、決然とした意思である。誤解を恐れずに言ふ。たとへ過つた道筋でもよいのだ、一国のリーダに必要なのは、どこに向かつて進むか、その目標を示す義務がある。 ************************************ 以上が、3月の下旬に書きさしにしたまま、パソコンのデスクトップで眠つてゐたものである。 その後も、菅総理は結局何一つ国の進むべき方向を示さず、国家像のかけらも示さぬまま、原発の初動では国民を守る意思のなきことを満天下に曝した。今や地位にしがみ付くことのみに汲々として、辞める辞めないの騒ぎだけで、一国の総理などととんでもない。ペテン師と呼んだら本物のペテン師達が怒りかねぬ程、図々しさを絵に描いたやうな茶番に明け暮れしてゐる。お遍路に再度出かける気があるなら、黄泉の国まで脚を延ばして頂きたい。 そして、何度でも書くが、民主党を政権に付けた国民の愚かさに私はほとほと愛想が尽きてゐる。しかも、今になつて、民主党がここまで酷いとは思はなかつたなどと、いけしやあしやあと抜かす御仁とは口を利く気にもなれない。選挙権を手にしたばかりの子供ならいざ知らず、いい歳をした大人の言ふことではない。自分の見る目の無さをたんと恥ぢるがよろしい。バカも一票悧巧も一票とはよく言つたものだ。以後は投票所に足を運ぶのはお止め頂きたいものだ。 私は次善三善の選択肢として、自民党(あるいはたちあがれ日本)しかないと諦めて投票してゐる。民主主義とはさういふものと諦めてゐる。自民党でもまだましと言ふのは、11日に貼り付けた、麻生政権における防災訓練をご覧になれば、少しは納得していただけよう。あの映像を見て何をお感じになつたか、お聞きしたいものだ。 実は昨年秋に菅政権でも同じ訓練をやつてゐることを、フェースブックの「オトモダチ」が教えてくれた。映像もある。11日付の記事でリンクを張つた麻生政権下の訓練の別の短い映像(内容は同じ)と両方ここでリンクを張っておく。二人の首相、演習の真剣味のどこがどう違ふかは見る方の判断にお任せする。「未曾有」の読み方をどうのかうのと騒いでゐたのが懐かしい。といふか、バカバカしくなる。今次災害ほど、一国の総理に必要なものが何かを分からせてくれたものはないであらう。 ところで、冒頭の3月下旬の記事だが、最初は「情緒的な、あまりに情緒的な」といふタイトルで書き始めた。書き出してすぐに方向が変つたのだと思ふが、この三カ月、メディアも我々も余りに情緒に偏り過ぎた言動が多いのではないか。自分を例外とせずに言ふが、余りの災厄に我々は集団ヒステリーを起してゐはしまいか。自戒の意味も込めて記しておく。 2011年 06月 12日
国内メディアは、かういふことももつと伝へるべきではなからうか。中央が麻痺してゐても現場は着実に「現実」に向き合ひ対処してゐる。さうであればこそ、希望が持てる。政治家などに期待するのは止めた方が賢明か。このリンクの写真、ご覧下さい。
2011年 06月 11日
何とも空しくなる。二年半前の麻生政権下で行はれた、福島第一原発における防災訓練。今次の状況をほぼそのまま「想定」して防災訓練を行つてゐる。にも拘らず今我々がなほ固唾を呑んでいきさつを見守らざるを得ないのは、「想定外」の災害ゆゑか菅政権の責任か。それとも防災訓練など結局役に立たないといふ見本か? やはり、しつこく言つておきたい。民主党は政党の態をなしてゐない。民主の政治家は政治家に「責務」があることを知らない。 訓練では総理以下多くの閣僚、福島県知事、大熊町浪江町双葉町等の町長から自衛隊まで参加してゐる。この防災訓練が活きなかつたのか、訓練があつたことすら官僚を含めて忘れたのか、官僚が進言しても政府が耳をかさなかつたのか……。訓練の成果が活きないほどの事態であつたなら、「想定外」といふことになる。さうでないなら、やはり民主政権の責任であり、だとしたら、その責任不履行は如何にして償はれるのか。いづれにせよ、冷静に考へたら結論は明らか。災害から三カ月を経ての現状に鑑みれば(菅がみれば!?)菅総理のみならず、内閣は総辞職すべきであり、民主党は懺悔して下野するしかない。 以下、ニコニコ動画、是非ご覧いただきたい。ユーチューブにもリンクを張った。 2011年 06月 05日
昨日、仙台から出張で横浜に来た友人と話した。かの地に暮らして3月11日以来の日常を送つてゐる人の目には、横浜のにぎやかな雑踏が異様に映つたらしい。被災地で何もかも無くして苦闘を強ひられてゐる人々、その人々を支へてゐる人々、さういふ世界が一方にあり、他方、三月も経たぬうちに、あの災害などなかつたかのごとき日常が存在してゐる。 知人曰く、確かに被災地ではない関東や西の人々が元気で、夜の繁華街の賑はひを含めて活発な経済活動が必要なことは十分わかる、しかし、両方の世界を観てゐると何が現実か分からなくなるし、横浜の繁華な世界がグロテスクなものにも思へてくる、といふより、二つの現実が同時に存在する姿自体がグロテスクに思へる、といふのだ。 その通りだと思ふ。私自身は、震災から一月余りのころ、渋谷の雑踏を歩いてゐて殆ど反吐が出さうな不快を感じた。以来、さういふ雑踏を避けたくなつてゐる。勿論、私も仕事で酒を飲みに繰り出すこともある。先日も、秋にある舞台の打ち合はせのあと、二時間ばかり飲んだが、仕事の話が片付けば、やはり、会話はおのづと地震や原発、政府の対応や政治家の無能に話題が移る。が、世間一般を見渡すと、私の感触では、今次の災厄を既に過去のものと感じてゐる人が多いやうな気がする。学生と話しても、さう感じる。 ついでに、仙台の知人からをかしな話を聞いたので書いておく。被災者への国からの支援額が、家屋の全壊には取敢へず100万円、半壊の場合が、確か50万円、支給されてゐるさうである。全壊家屋の持ち主が家を新築しようとすると、さらに200万円の支援があるとのこと。 それはよいのだが、アパート暮らしの学生が、そのアパートが津波で流された場合にも100万円が支給され、流されたアパートの大家は、居住家屋喪失ではないから一銭も支給されないといふのだ。仮に大家が高台の粗末な家に住んで家賃収入だけで暮らしてゐても、アパート再建の支援もなされないといふ。 学生には一時的に頼る実家もあらう。流された家財の額もたかが知れてゐよう。再建の必要もなく、どこかに家賃数万のアパートを見つければ済む話だらう。彼らに100万円が支払われ、半壊家屋の持ち主には50万円、どうみてもをかしな話だ。 私の知人の知人で、某市役所の支給窓口担当者の言では、そんな学生の中には、「いいんですか、こんなに貰って」と言ふものもゐるといふ。そこまで聞いて、釈然としないで腹を立ててゐた私も少しホッとした次第。だが、これもやはり何ともグロテスクな話ではあるまいか。 いかなる制度にも完璧はなく、常に不合理が付きまとふ。だが、政府はもう少しきめ細かい支援体系を構築すべきではないか。民主党の茶番を観てゐると、ついついこれも「やつぱり民主党政権だから」とケチを附けたくなる。義捐金なら被災者に一律50万円とか、どれほど大雑把でもよいと思ふ。それはわれわれ個々人の自由意思で募金したものなのだから。が、政府からの公的支援は、なんだかんだ言つても、国家の財産からの出費であり、我々の税金を使ふのだから。 追加訂正: 知人より「学生に払われる金額は全壊で75万、大規模半壊で37.5万でした。一人の世帯だと若干安くなっています。でも、話の筋に影響はないでしょう。引越して別の賃貸に行くとさらに37.5万円もらえるのだから」と訂正と言うか、さらに「酷い」話だとメールを貰つた。75万と37.5万、足せば、112,5万円だ……。詳細は以下のページをご覧下さい。 http://www.city.sendai.jp/hisaishien/1-3-1saiken.html 2011年 06月 04日
角川シネマ有楽町で三島由紀夫の映画特集が終つた。行かう行かうと思ひつつ殆ど果たせず、2日に授業の合間を縫つて(と言へば聞こえが良いが、実際は逆で映画の合間を縫つて授業をしたのだが)、漸く二本だけ観た。昼過ぎから「憂国」、授業からとんぼ返りで夜は「人斬り」。 映画評をするつもりはない。 「人斬り」を観て、さすが三島の殺陣は見事と感心しきり。様になつてゐるどころか、他の出演者を圧してゐる。群を抜いて美しい、型が決まる美しさといふべきだらう。また、剣を使ふ時の三島の目がいい、気合ひが違ふ。気迫が違ふ。澄んだ眼をしてゐる。自決を内に秘めてゐる、などと言ふつもりは毛頭ない。 三島ファンに期待を持たせておいて、肩透かしを食はせるやうなことを書くことになる。この映画を無理して観ておいてよかつたと痛切に感じてゐる。どういふことかはさておき―― 三島といふと、どうしても、その最期が強烈なイメージとして残る。昭和45年の11月25日を経験した者にとつては、それ以前の三島、昭和30年代までの三島の記憶のみに戻ることはできない。そして私もその例外ではない。三島といへば、まさに憂国の士であり、一命を賭してこの国を覚醒させやうとした、あるいは覚醒の望み無きことを憂ひて死を選んだ、さういつたイメージが浮かぶし、それを払ひのけることも難しい。 だが、彼の死につて、解釈はどうにでも出来るし、同時に、人の死はいかなる解釈も拒絶する。殊に三島のあの死についてはさう言へる。私は何の解釈もしない。ただ、この40年といふもの、いつも私の心の中に何か澱のごときものを感じ、三島といふとどうにも落ち着かない。受け止めきれないものを感じてゐたとでもいはうか。 そして、このひと月、プリントアウトした映画のスケジュールと自分の都合とにらめつこしつつ、2日まで足を運べずに漸く最後の最後に二本だけ観たといふ次第である。 「人斬り」。薩摩藩士の人斬り新兵衛を三島が演じてゐるわけだが、その立ち回りを私は大いに楽しんだ、が、何よりも驚いたのは、生身の三島が演じてゐるのを見るうちに、自分が子供だつた時に僅かながら触れた三島本人が急に懐かしく思ひ出されたことだつた。 殊に勝新太郎演ずる岡田以蔵が土佐藩(武市半平太)から酷く扱はれ、酒屋の飲み代すら出してもらへ無くなつて、酒に酔つたまま男泣きに泣き続ける場で、新兵衛が「お前の飲み代くらゐ俺が全部出してやるよ」と言つて慰める(このセリフ回し、下手だつた)のだが、その場の三島が実に「よい」。 不器用な人柄、真面目で誠実で照れ屋で……三島由紀夫が素になつてゐる姿がちらちら見える。演ずることのプロではない三島が、剣を取る場面では得意の太刀捌きや構へを披露してくれるわけだが、それは居合といふ形に従へるだけに、型に嵌るだけに、つまり型に支へられてゐるだけに破綻がない。ところが、以蔵に優しくする場面では従ふべき型がないだけに、三島は素面を見せてしまふ。 この瞬間の三島の照れは、他人がどう言はうと私には確信がある。芝居の稽古場で役者の演ずる姿と表情を見続けて来た身としては、その演技の背後に、役者が隠しおほせずに垣間見せる生身の肉体と精神が必ずある。それを見抜く自信だけは私にもある。監督の五社英雄は恐らく、その生の三島を気に入つてゐたに相違ない。 さて、その素面の三島、仮面の告白ならぬ、素面での告白――さう、三島さん、あなたは優しい人だ。これは私の思ひこみなのだらうか。そんなことはどうでもよい。その場面を観ながら、私は「ああ、これだ、これが昔知つてゐた三島さんだ、長い間、あの事件以来、その衝撃に私の内心に封じ込められてゐた三島さん、その三島さんがここにゐる」、さう得心し、何とも言へぬ愉快な暖かな空気を味はつた。ホッとしたといふのが一番近いかもしれない。 結局、人は人を思想で理解などできはしない、さういふことなのではないか。思想を超えた、思想の根つ子に存在する人そのもの。そこまで降りて行けたら幸せといふものだらう。他の人々が三島由紀夫をどう理解しどう愛しどう付き合ふか、そこまで立ち入るつもりは私には毛頭ない。ただ、「人斬り」を観て、三島由紀夫が私の中で漸く「三島さん」に戻つてくれた。それだけのことだ。さうであつても、その切つ掛けが自決前年制作の「人斬り」であり、「人斬り新兵衛」役だつたといふのは随分皮肉な話なのだらうか。 2011年 06月 02日
6月1日発売の「正論」の7月号のインタビュー記事、「ひと往来」欄で玉川大学から刊行を始めた「福田恆存対談・座談集」を取り上げてくれた。書店で立ち読みを、と申しては「正論」に申し訳ないので、是非ご購入を。「ひと往来」欄は巻末に近い見開き二ページです。 もう一つ。お江戸のタウン誌に月刊「日本橋」といふ小冊子がある。やはり6月1日発売の6月号にエッセイを書いた。「粋人有情」といふコーナーだが、このブログを始めたころに取り上げた話題の「焼き直し」。しかし、2000字を書くのに改めて三日間の読書をしました。 ご興味のある方は、日本橋方面の名店をお訪ねになれば手に入るとのこと。うなぎの宮川とか、蕎麦の砂場とか。どら焼のうさぎやとか、三越、高島屋、上げ出したら切りがありません。 2011年 05月 21日
WSJの社説が毎回面白い、リンクして紹介しておく。いつも皮肉が利いてゐる。たとへば、≪菅直人首相は、こうした場合の長年の政治手法だった「舞台裏取引」が苦手だとお見受けする。民主党は、何をしたいのかについて本当に混乱しているようだ。彼らは、緊迫した記者会見やインタビューのカメラを前にして、「党内」議論をやっている≫産経新聞ではないかといふくらゐ、意地の悪い書き方。 また、東電を破産させないのは「社会主義」国家と断じ、自由市場原理からいへば文句なく破産させて当然といふ発想である。私にはことの是非を論ずる資格もないが、JALについてもTEPCOについても、日本は常に護送船団的社会主義国家であることは事実に思へる。 そのことはさておき、確かめたわけでもないが、この社説、原文は英語だと睨んでゐる。翻訳調がかなりある。さもなければ、帰国子女が英語脳で考へて日本語で書いてゐるに違ひない。悪文の好見本と言つたら言ひ過ぎか。リンクした社説の最後の一文(そしてその一段落全部)をご覧いただきたい。何度読み直してもここだけはピリッとしない。頭にすんなり入らない。恐らく翻訳が悪いのだらう。 褒めたいのか貶したいのか、自分でも分からなくなつた、この辺で止めておく。 2011年 05月 15日
拓殖大学大学院地方政治行政研究科教授・花岡信昭氏(元産経新聞論説副委員長)が急逝された。何ともやりきれぬ気持である。煙草をよく嗜まれた、それも急逝の原因だらうか。毀誉褒貶相半ばする方ではあるかもしれないが、私は彼の憎めぬ人柄が好きである。「憎めぬ」と思ふのは、私と意見の一致することが多かつたからだらうか。偏屈なところもあるが、筋を通さうとするところはなかなかのものだつた。 時に物議を醸し、時に荒つぽい言論もあつた。しかし私は彼の書く記事が好きである。以下、彼のメール・マガジンの最近のものから二つ引用して追悼の意を表する。 *********************************** <<「浜岡停止」をめぐる理不尽さ>> 中部電力にはなんとかがんばってほしい。菅首相の理不尽な「要請」に負けてしまっては、民主主義は成り立たない。 このままいくと、中部電力は浜岡原発の全面停止に追い込まれるだろう。そこで生じるあらゆる負担増について、菅首相から「すべて政府が面倒を見る」という確約を得ての話なら、まだ企業のありかたとしては許されるだろうが、それがなければ株主代表訴訟が起こされるのは目に見えている。 政府部内でとことん検討したフシもないし、この夏の電力不足にどう対応しようとしているのか、まったく見えてこない。 要するに、世間受けをねらった菅首相のパフォーマンスなのだが、これが民主主義の時代の国家指導者のあり方か。 民主主義というのは手間がかかるものだが、そこを抜きにして、一方的に「要請」の名のもとに事実上の「命令」を民間企業に対してくだす。 これは民主主義ではない。独裁に通じる。 民主党も民主党だ。浜岡原発全面停止の方針に対して、一般の受け止め方は好意的であると見ているためか、首相判断に対する厳しい声があまり聞こえてこない。 ことは浜岡原発の問題にとどまらない。首相が法的範囲を超えて、政府部内でまったく調整が進んでいないことを独断で打ちだす。 そのことへの深刻な危機感が見えてこない。民主党は議会制民主主義にのっとった政党であるのかどうかが問われているのだ。 繰り返すようで恐縮だが、内閣総理大臣に中部電力に対して浜岡原発停止を命ずる権限はない。その法的に認められていないことを独断で打ちだしたのだ。 経済産業大臣を通じての要請である、というのは建前であって、事実上は、夜の緊急記者会見で突然打ち上げたのだから、これは独裁者的首相の「命令」だ。 中部電力は最後までがんばってほしい。ここで負けたら、日本の民主主義は壊滅するぐらいの気持ちになってほしい。 菅首相が本当に浜岡原発はあぶないと見ているのなら、政府関係当局で徹底して議論、調整して、きちんとしたデータに基づいた対応策を出せばいい。電力不足をどうまかなうのかの計画案を示せばいい。 そこのところがすっぽりと抜け落ちているから、独裁者の手法に通じてしまうのだ。 だいたいが、首相が夜の緊急会見で打ちだしたものを、民間企業である中部電力がただちにしたがわなかったことで、首相の権威はまるつぶれになったのだ。 となると、このあと、首相がどういう行動に出るのか、そこが怖い。権力の行使はできる限り抑制的であってほしい。それが民主主義の鉄則だ。 手間と時間がかかろうとも、納得づくでことを進める。それが民主主義ではなかったのか。(以上。5月9日付) 次に4日付の記事。 <<ビンラーディンは「容疑者」なのか>> 米軍特殊部隊によって殺害されたウサマ・ビンラーディンについて、読売新聞を除くメディアは「容疑者」という呼称をつけている。事件の被疑者につけられる表現と同じだ。 ビンラーディンは容疑者なのか。 米軍の武力行使は「9・11」を受けた国連決議に基づくものだ。いくつかの決議を受けて、まずアフガニスタンのタリバン政権を放逐、次いでイラクのサダム・フセインを成敗した。 議論があることは承知しているが、米側は一連の武力行使を国連決議に基づく当然の権利としている。日本も米側の行動を支持し、インド洋での給油支援やイラクへの自衛隊派遣など、それなりの一体的行動を取った。 民主党政権になって、給油支援が停止されるなど、ニュアンスは変わったものの、日米同盟の基軸に変化はない(と民主党は言っている)。 ビンラーディン殺害は、米軍の戦闘行動の主たる目標を成就したものだ。事件の犯人を追跡して発見した、というのとは事情が違う、いってみれば、「敵の最高司令官」を追い詰め、そのクビを取ったのである。 これが戦争というものだ。誤解のないようにしておかなくてはならないが、アメリカは「9・11」という同時テロ「事件」の捜査を行っていたわけではない。 アルカイダを率いるビンラーディンが最高首謀者であるとして、その行方を追っていたのであって、これは戦闘行為である。 だから、「なぜ逮捕しなかったのか」というのは、ちょっと筋が違う。 それにしても、米特殊部隊のレベルはすさまじいばかりだ。ヘリ1機が故障、ブラックフォーク・ダウンのようなことになったらしいが、米側に死者は出ていないようだ。 ヘリから特殊部隊が降下して豪邸に突入、ビンラーディンを発見し、銃撃してきたため射殺したという。戦闘行為である以上、正当防衛、緊急避難の原則にあてはまらなくてもかまわないのだが、米側のそういう説明でいいのではないか。 ペルーの日本大使館占拠事件では、当時のフジモリ大統領の命令で特殊部隊が地下道を掘って突入、テロ集団を全員殺害した。なぜ、生きて逮捕される者が皆無だったのか。 これは、奪還テロをふせぐためともいわれた。このケースもこれだけ甚大なテロに対しては妥当な決着といえた。 ビンラーディンの遺体はDNA確認後、水葬されたという。本当のところは分からないが、これもこれでいい。イスラムの習慣にしたがって土葬すれば、遺体奪還テロが起きてしまう。 「9・11」以後、アメリカは戦時下にあるのだという厳粛な事実を直視しないと、一連の事態を理解できないことになる。 *********************************** この思ひ切りのよい切り口に再び接することが出来ないのかと思ふと残念でもあり寂しくもある。改めて御冥福を祈る。 2011年 05月 09日
ボランティアといふ言葉が我が国に定着したのがいつ頃のことか、はつきりは分からぬが、一気に「普及」したのは阪神淡路大震災からではないか。ボランティアを悪しきものといふつもりはないが、朝日・産経両紙の記事を見て考へ込んでゐる。まづはリンクの記事を見て頂きたい。 ボランティアが自己犠牲を必要とするものか、それぞれが出来ることをすればよいといふ程度のものか、そこも考へてみる必要がありさうだ。人がなかなかしたがらないことを、自らの意思で率先して行ふのがボランティアだとすれば、連休の時に、自分のやれることをやれる期間だけやらうといふのも、頷ける気もする。同時に、それは変だ、自分の都合だけでやるのでは、一歩間違ふと自己満足自己欺瞞に陥りかねないといふ気もする。 といふか、正直なところ、私には何の結論もない。だが、皆さんこのことは如何がお考へだらう。つまり、今回の災害は総じてボランティアの手に余る事態なのでなからうか、行政の介入なしでは復興の「手伝ひ」は無理なのではないか、といふこと。 余りにも甚大で広範囲に亙る被害、その結果として、必要とされる仕事が余りにも複雑で多岐に亙る今回の現場で、組織化の難しい「ボランティア」なるものの力が発揮されず、連休になつた途端に整理が付かぬほど人手が余り、一時受け入れを中断し、連休明けには人手不足に陥る、これでは、ボランティアの精神から外れかねない。 比較しては怒られるかもしれないが、自衛隊、警察、消防といつた自己完結型といふだけではなく、組織化され且つ国民に義務を負つた集団が必要なのだらう。とはいへこれらの集団が被災者の自宅の整理までやれるわけはない。これといつて私に名案があるわけではないが、やはり政府が被災地域の行政と綿密な連携を取つた上で、各被災県の臨時職員を雇ふといつた発想が必要なのではないか。 一昔のニートといはれる人々を初めとして、現在職のない人々を組織的に雇ひ、宿泊施設と食事付きで、ごく低い賃金でボランティア的に働いてもらふといつたことも考へられるのではないか。勿論、被災地で必要とされてゐる人手とこれらの人々の労働意欲や奉仕意欲が引きあふか、私にも分からない。トラブルが起きないかといふ疑問や不安も残る。ただ、人に感謝され必要とされることが労働意欲の根源となることも否定はできないし、少なくとも、連休が終わると共に潮の引くやうに激減する「ボランティア」の代りになる可能性はあるのではないか。 そして、政府は原発がらみのパフォーマンスではなく、地道な復興にも目を向けてもらひたいと切に思ふ。 最後に被災地で聞いた話を一つ。まだ4月のこと、東京から美容師の一団が避難所にボランティアとして来たといふ。避難所には約30名の被災者。ボランティアの美容師たちの数が60名。悲喜劇といふ外ない。組織化しなければ折角の善意も無駄であらう。その一行、持つて来た支援物資も置いて帰つたさうだが、どれもこれも避難所に有り余つてゐる品々ばかり、処分にも困つたらしい。折角のエネルギーを無駄にせぬ方法はないのだらうか。 2011年 05月 08日
≪安全神話≫ 殆ど流行語。「安全神話が崩れた」と、あちこちで色々な方が色々な立場でお使ひになる。でも、何か変ぢやありません? そんなこと、論理的にあり得ません。神話が崩れる? みなさん、神話は神話でせう。まさか本気で神話を史実や事実や真実とは取り違へたなんてことはないでせう。我が国の皇室が神話の世界に繋がつてゐることを私は幸せな国柄と寿ぐのにやぶさかではない。でも、まさに「あり得ない」くらゐに「有難い」から神話なので、あり得てしまつたら、神話ではあり得ない。言葉を遊んでゐるのではありません(いや、ちょつと遊んでゐます)。 もう一度――絶対にあり得ないか、あり得ないくらいに有難いから、神話と呼ぶ。そこで、本題。「原発の安全神話」といふ言ひ方だが、「あり得ないから神話と呼ぶ」といふ私の「現代的」命題が正しければ、「原発の安全神話」といふ言ひ回し自体に、既に「原発には絶対の安全などあり得ない」といふ意味を込めて使つて来たはずでせう? それが「崩壊」するとどうなります? 「絶対に安全はあり得ない」といふ概念が「崩壊」したといふことだから――つまり「あり得ない」といふ概念が「崩壊」したのだから、「絶対の安全」は「ある」となつてしまひませんか? すなはち、「安全神話」が「崩壊」したなら、残るのは「絶対的安全」のみとなる。 「安全神話」などといふ四字熟語を曖昧に使つてゐるから、「神話」を信じ込むか、信じたふりをするのです(原発推進派は前者、メディアは後者、いやどちらも後者か)。さて、さうなると、「安全神話が崩れた」などと今更のやうに騒ぎ立てるのは、メディアにしても原発反対派にしても余りにもわざとらしくはありませんか? 元々、私達は原発の危険を、それぞれの立場でそれなりに認識してゐたのでは? 後進国ロシアはさておき、アメリカがスリーマイルでドジを踏んだ。同じやうなことが日本に起きないと本気で思ひ込んでゐたとしたら、それは相当の愛国者なのでせうね、自国を信じ過ぎです。 原発に頼る外には我々が享受してきた贅沢な科学文明はあり得ない。それこそ「神話」の世界だ――ともあれ、資源貧国の我が国では化石燃料に頼るわけにいかず、といつて太陽熱などのクリーンエネルギーはまだ代替エネルギーとして実用には程遠い――そこで、仕方なしに危険でも原発に頼るしかない、さう思つて来たのが昭和から平成への半世紀ではなかつたのか。あるいは、今回の事故を経てもなほ、原発全廃は不可能と分かつてゐる、だから当座は頼らざるを得ないことも分かつてゐるではないか。 言葉の綾といふものがある。そんなものは文学の世界に任せておけばよろしい。この二カ月で我々が思ひ知つたのは、政治家と科学者とメディアの世界は言葉の綾の世界にゐてはいけないといふことだらう。「安全神話」などといふ、本来何を意味してゐるのか、曖昧を通り越して意味不明の言葉で原発を語ること自体、無責任のそしりを免れない。 「安全神話」ではなく、「原発への安全信仰」とでも言つてゐたなら、信仰が崩れるのは少しも無理はなく、原発教(狂)の信仰崩壊は無理な言ひ回しではなかつた。あるいは、「原発の安全はやはり神話だつた」と言へば、少しもをかしくもないし、曖昧でもなく矛盾もなかつたのだが。 ≪想定外≫ これも、バカバカしい。政治家や科学者に軽々しく使つて欲しくない。曖昧な言葉、あるいは言葉の曖昧な使ひ方なら、私のやうな文学畑(お花畑みたやうなもの)にゐるおめでたい人間に任せておきなさい。 ただ、この言葉も一度よく考へておきませう。今回の地震も津波も「想定外」だと多くの人々が口にした。地震学者、歴史家、政治家、メディア、それこそうんざりするほど目にもしたし耳にもした。確かに千年に一度の巨大な災害は想定外だつたかもしれない。マグニチュード9も15メートル20メートルの津波も想定は出来なかつたらう。日本人全て、我々一人の例外もなく、想定出来なかつた、想像できなかつた。 しかし、「政治家や科学者は」、とメディアも≪友愛の伝道師≫鳩山も宣ふ、「想定外といふ言葉は使つてはならない」と。その限りにおいてその通りである。 私はここで文学畑の立場を発揮して呟きたくなる。「人生、すべて想定外なんだがなぁ」。政治家も科学者もメディアも、この大震災を経験して、今後はあらゆる事態を想定出来るのだらうか。浜岡原発を止めさせれば、それで事足りるのだらうか。 今回の大震災を、少なくともその結果としての被害を、人間は想定できなかつた。そのことはこれからも同じではないか。これ以上の被害が起こることを私達は想定出来るのか? 言葉の綾で書いておく。想定といふ言葉が存在するといふことは、私達が想定以上・想定外のことを既に想定してゐるといふことだらう。「安全神話」と同じロジックだ。 福島の海岸線に20メートルの津波の再来を想定しようと、浜岡原発を襲ふマグニチュード9の地震と15メートの津波を想定しようと、もしもマグニチュード9.5とか10とかの異常な規模の地震が起こつたら、もしも50メートルの巨大津波が起こつたら、再び「想定外」とメディアも政治家も科学者も言ふのだらうか。想定出来なかつた科学者や行政をメディアが批判するのだらうか。 そんな巨大なものはあり得ないと、そこまで大げさに言つてあげつらふ必要はないと、さう言つた途端に、我々はこの間の出来事を想定外と呼ぶ自由を容認してしまふことにならないか。つまりマグニチュード10や50メートルの津波をバカバカしいといふなら、今回の地震も津波もやはり、想定するのがバカバカしい程の「想定外」だつたと言つても許されることになる。これは言葉の綾だらうか。 ************************************ 民主党政権がここまで酷いとは思はなかつた、こればかりは想定外だつた、などといふことも言つてはなるまい。メディアも有権者も一度考へておいてほしい。民主党政権ではなかつたら、震災と原発事故の初動において、災害をここまで大きくしたか、殊に原発の冷却水の放水の順序を間違へたこと、そしてパフォーマンスとして自衛隊のヘリによる放水を命じて、貴重な時間をロスした民主党政権が国民を危険に曝し、海外の不信を買つて国の名誉を汚したことは否定できまい。多くの識者が言ふがごとく、放水の専門は消防庁であらう。 ついでに書いておくが、自衛隊は災害救助隊ではない。それが第一の使命ではない。今回十万人といふ全兵力の半分近くが駆り出された。国防が手薄になつたことは否定できない。それでも、なんとかこの国が存在するがごとくに見えるのは、アメリカがゐるから、それだけのことだ。 ついでにこれも想定してみて頂きたい。数ヵ月後、南海・東南海に、或は首都直下に巨大地震が起きたら、十万人の「災害救助隊」で事足りるのか? 自衛隊を今の倍の組織にしなければ、到底この国は自国の力で救助も復興も出来ない。その程度のことは大人なら、いやせめて政治家は「想定」しておいてほしい。 それを自民党も含め、年々防衛予算を削り、仕分け、自衛隊の兵員削減をしてきた。想定外のことではなく、容易に想定出来ることを想定しないのであれば、政治家もメディアも相当程度劣悪といふことであり、それを生み出した我々国民も、それらに相応しい劣悪な国民だといふことであり、私達はさういふ劣化した時代を生きてゐるといふ、せめてその程度の認識はしておくべきだらう。 さうなると、七日付朝日新聞朝刊のオピニオンのMなる早稲田大学教授の言論は寝言としか思はれない。引用する。≪……災害派遣活動の評価は自衛隊の「軍」としての肯定を意味しない。/日本がいま直面する危機は、未曾有の大災害と原子力災害である。自衛隊の「軍」としての属性を徐々に縮小し、将来的には海外にも展開できる、非軍事の多機能的な災害救援隊に転換すべきではないだろうか。≫ 寝惚けてゐるのか、世界の現実を知らずに書いたのか。今回の災害で自衛隊があれだけの活躍をしてくれたのは、まさに「軍」としての属性を有してゐたればこそ、この余りにも自明のことが憲法大好き人間には分からないと見える。迅速大規模な機動力は軍事訓練ゆゑの規律から生まれたものである。その議論は措くとしても、例へば十万人が出動できる「救援隊」を維持し続けるとして、その出動が千年に一度の災害を想定してゐたら、国民は一体総員何人の救援組織を維持し続ける気になるだらうか。それが何万人であらうと、簡単に仕分けられて、一万人程度を維持する意思すら国民は失ふであらう。 二十万、三十万の軍隊を維持して初めて、未曾有の災害になんとか対処できた(出来たのかどうかの検証は今後の絶対条件だが)といふ現実が、このMといふ憲法学者には見えない。多くの国民が今回漸く気がついた現実に学者は未だ目をつぶる。嗚呼。 2011年 05月 05日
2011年 05月 03日
若宮敬文が朝日新聞の主筆になつてしまつた。始末に負へない。五月一日の朝刊に、「ジャーナリズム精神を支えに 主筆就任にあたって」といふ就任の弁を述べてゐる。中身は殆どないのだが、気になるところを二ヶ所挙げておく。 ≪震災で見直された和の精神や海外の支援ムードを活用し、新たな国際協力へ旗を振ろうではないか≫とある。和の精神が見直された?――それは例へば、盛んに喧伝される被災所での東北人の我慢強さのことか? ボランティアの活躍のことか? はつきりしない。かういふ曖昧な言葉遣ひが私は嫌ひだ。「海外の支援ムード」とは何のことだらう。海外の支援にはムードのみで実態が伴はないといふ意味か。米軍の協力はムードどころではあるまい。人口が3000万に届かない台湾からの義捐金140億もムードか。 さらに、「精神」や「ムード」を「活用」するとは、どういふ意味なのか私にはトンと分からぬ。ボランティアの「底力」とか、米海兵隊の「機動力」とか、あるいは強靭なる精神力を備へた自衛隊の有する「団結力」とかなら、これは問題なく被災地の救援にも復興にも「活用」出来る。が、抽象的な「精神」やら「ムード」はどうやつても「活用」出来るものではない。「ムードを活用する」、普通言はぬだらう。 若宮氏は未だに自衛隊も米軍もお嫌ひなのだらう。多分それらの活躍を称賛したくないのだらう。「活用」したいのは、援助しますと言ふ舌の根も乾かぬうちにヘリを飛ばして来る中国の、なんとはなしの援助・同情ムードなのではあるまいか。それを「新たな国際協力」だと呼びた気な一文ではないか。相も変らず、そんなことの「旗振り」をしたいだけだらう。普天間・辺野古には相変らず反対だらうし、尖閣諸島や竹島に対する我が国の領有権については出来るだけ曖昧にするのが「新たな国際協力」だとでも言ひたいのであらう。 もう一ヶ所、少々長いが引用する。≪一つ反省を書いておこう。自民党による長期政権のよどみから脱して日本の民主主義を本物にするため、政権交代への期待を語り続けてきたことだ。その基本線が間違っていたとは思わないが、でき上がった民主党政権の実態には次々と期待を裏切られてきた。「想定外」とは言いたくないが、予想を大きく超えた不覚。日本政治に成熟と活力をもたらすにはどうしたらよいか、選挙制度を含めてもう一度「政治改革」のやり直しを求めていきたい。≫ 火事場泥棒といふ言葉はそのままここに当て嵌まらないが、大震災といふこの災厄と原発問題といふ「想定外」の事態を利用して、今なら民主党にレッドカードを突き付けられる、朝日の軌道修正が図れると言はんばかりの「反省」ときた。気楽な事を書いてくれるな。 朝日と毎日とNHKと、これらの大津波級の怪獣メディアが寄つてたかつて生み出した民主党政権だらう。付和雷同する有権者の輿論を操作し、民主党を政権に付けた元凶は、「政権交代」といふ「ムード」を醸成したメディアではなかつたか。 「基本線が間違っていたとは思わない」なら、どこが間違つてゐたのか。「基本線」とは何を指すのか。自民党政治を終わらせることか? 民主主義を本物にすることか? 民主主義とは何か。本物の民主主義とはどこに存在するのか? 民主主義などと、要は理想すなはち幻想に過ぎないではないか。眼をさまさう、若宮さん。民主主義など、次善の政体。取敢へずの政治形態に過ぎないだらう。それを至上命題にしたのは占領軍であり、占領軍のお先棒を担いで我先に民主主義を喧伝したのは、戦前、大政翼賛的的な一億総玉砕を煽つた新聞ではないのか。朝日新聞の縮刷版で戦前戦後の記事を見て頂きたい。 敗戦を境にコロリと変身した朝日が、震災を境に再びコロリと変身する。かうも安易に「反省」の弁を書かれたのでは、こちらも言葉に窮する。「民主党政権の実態には次々と期待を裏切られてきた」とまで仰るなら、それを推進してきた朝日新聞としては、これからどういふ道筋を描くのかを、はつきり書いてほしい。暗愚な私に歩むべき道筋を示してほしいものだ。「想定外」とは言ひたくなくても、やはり「予想を大きく超えた不覚」と仰る。どこがどう「予想を超えた」のかはつきり書いてもらいたい。 自民はダメ、それはさうだ。民主はもつとダメ、これも確か。それでは、どうすればよろしいのか。私に分かつてゐるのは、少なくとも民主よりは自民の方がまだマシといふこと、そして、民主主義とは、少しでもマシな政治を(メディアの扇動なしに)国民が自ら選択出来る政治形態だといふことくらゐだ。 反省の弁、最後の一文も引つ掛る。「政治改革」などと曖昧な言葉ではなく、はつきりどういふ政体、政権がお気に召すのか書いたらよろしい。自民が「よどみ」、民主は「予想を大きく超えた」といふなら、どこに何を望むのか、誰にどう政治改革の「やり直しを求め」るのか、そこのところこそ明確であつて欲しいのだが。若宮氏にも、一日付の私のブログ記事を呈上しておく。戦後を置き去りにした災後はあり得ない。朝日の場合、戦前の扇動を置き去りにした戦後も災後もあり得まい。 コロリと、あるいはソロリと舵を切つて右旋回するつもりか、民主離れを正当化するつもりだけなのか、私には今のところ見当がつかない。だが、朝日が何か目論んでゐることだけは間違ひなからう。 2011年 05月 02日
大震災への義捐金が二千億円を超えて集まつてゐるといふ。結構なことだとは思ふが、天邪鬼な私のこと、募金だチャリティーだと言はれると直ぐに疑問を感じてしまふ。集まつた金は間違ひなく然るべき人々に届いてゐるのだらうか、必要経費はどう計算され、どう差し引かれるのか。あるいはその種の経費は差し引かれずに全額が対象となる人々に届くのだらうか等々。 その種の私の猜疑心はさておき、ここでは今回の大災害における義捐金について少し書いておく。総額が二千億円を越したとしても、或は三千億に届かうとも、それが被災者個々人の手に渡る時は、考へやうによつては微々たるものになつてしまふとは言へないか。仮に一人当たり百万円になつたとして、それはそれで当座の生活を凌ぐには、被災者にとつてはそれなりに有難い額ではあらう。 だが、個々人にとつてはさうであつても、一つ距離を置いて眺めてみると、まるで砂漠に如雨露で水を撒くやうな気がしてならない。個々人にとつては干天の慈雨には違ひなくとも、総体として見た時、空しく消え失せる二千億円といふ気がしてならない。そのことが気になり出したのはソフトバンクの孫正義社長による百億円の寄付があつてからなのだ。 それこそ、私財から百億拠出することは素晴らしいとは思ふが、そこまでの額にするなら、と考へ込んだ。いつそのこと五百億くらゐお出しなさい。そして、義捐金などに組み込まず、「孫正義基金」でも「ソフトバンク基金」でも創設なさればよろしいのに。それが財界人のすべきことではないかと思つた。明治期の財界人はその手のことを数限りなくしてゐるではないか。 その基金を運用し、随時ソフトバンク(私財でも構はない)からも基金追加をして、被災地(この特定が困難だが、不可能ではない)の若者の就学支援基金を創る。大学に行く学生には全額補助をするとか、海外への留学生にはさらに資金援助をするとか。いやまだほかにもアイディアは見つかるのではないか。思ひ付きで言ふが、全国から被災地復興の為にこれから被災地域に移住して生活をしやうとか、被災地出身で今は他県に居住して――例へば東京に出て就職してゐた40代50代の人々が、被災した親の元に戻つて農業を継いだり、家業の復興を手伝ふなどといふこともあらう、さういふ人々の子女の就学支援基金にしてもよいのではないか。学費全額を支援したらいい。 例へば、これからかの地に移住し勤め、数年以上住んだ場合には、その子供達の義務教育から大学卒業まで、授業料は負担しますといふのでもよい。二百億なら二百億、千億なら千億なりのプランの立てやうがあるだらうし、資金に限界があるなら、被災の程度に応じるなりなんなり、その額相応の、しかも相当の支援が出来るだらう。被災者に対しては子供の高等教育のことを憂へなくとも、復興に専念できますといふメッセージになりはしないか。 親を置いて首都圏に出て来て働く東北出身者にも大きな励みになり、東北を自らの手で復興しようという気構への背中を押しさうな気がする。幾らの基金があつたら、どの程度の規模で支援基金が出来るか、私には何のデータもなく、甚だ無責任な素人考へだとは思ふが、百億といふ額を聞いた時に頭に浮かんだのが「被災地教育基金」創設だつた。砂漠に如雨露ではなく、東北に美しい水を湛えた大きなプールを創る。孫正義は、いはば現代版の「米百俵」を考へたらよかつたのではないか。彼が拝金ホリエモンとは違ふと思つての提案である。 2011年 05月 01日
(昨夜半に更新した時、最後のパラグラフを投稿しそこなつた。直ぐに読みに来て下さつたかたに、尻切れトンボの文章をお見せした、その他も少々訂正して再掲する。) 最近よく目にするのが「災後」といふ新語。もはや「戦後」ではないといつた文脈で使はれる。分からなくもないし、東日本大震災が我々に齎したものは原発事故も含めて、確かに日本にとつて「戦後最大の事態」であることは間違ひない。現在の日本の共通体験としてはこれ以上のものもないだらう。 とはいへ、では我々が「戦後」の課題として背負つてゐた物事がきれいさつぱり払拭されたのかといへば、そんなことはあり得ない。安倍政権時に盛んに言はれた戦後レジームからの脱却といふ課題は少しも解決されぬままに、我々が今次の災害に直面してゐることも事実だ。 ただし、憲法改正、日教組教育、自虐史観、これらの問題を論ずるのは、取敢へず他の方にお任せする。今日は28日付の記事に書いた、両陛下にカメラを向ける若者(おばさんもゐたやうだが)の行動に絡めて考へておきたい。 カメラを誰にでも何にでも向ける神経は、簡単に言へば無遠慮といふことにならうが、これがいつ頃から、いづこから生まれたものなのかは一考に値する。私が子供のころ、そもそもカメラを所有する家庭は少なかつた。当然、カメラで写されることに「はにかんだ」。照れた。つまり、恥ぢらひを感じた。昭和の30年代後半までは間違ひなく、それが多くの人々の共通の反応だつたと思ふ。 それを変へていつた要素は幾つかある。勿論フィルム・カメラの普及からデジカメ、カメラ付き携帯の普及への流れが一方にある。さういふ文明の利器への慣れといふことである。そして一方に、これまた文明の利器の雄ともいふべきテレビの普及が実は介在してゐると私は考へてゐる。 昭和30年代、テレビはまづ見るものとして普及する。やがてテレビ・カメラが街頭へ進出して一般人にマイクを突き付ける。街頭インタビューなるものが、いつの間にか日常的なものとなる。学生のサークルが真似をして繁華街などで、さらにその真似をする。カメラを向けられる人間の方にも、もちろん恥かしがつて避ける人もゐるが、平然として、或は欣然としてマイクとカメラに向かつて意見を言ふ人々が現れる。 政治でも災害でも事件でも、一般人が「意見」を求められ、殆ど意味のない「コメント」を述べて、結構悦に入るといふ具合だが、これは実は世論調査と同じでテレビ局がかなりのバイアスとコントロールをかけて、局側に望ましい意見が流れることになる。それでも「コメント」した方は「一般人代表」として一定の賛同をかち得た気にもなるし、視聴者もその程度のものとして聞き流す。そこには人の前で意見を言ふことへの羞恥もなければ、自分の言論への懐疑もない。(現今のツイッター等の世界も殆ど全てがこの手のものと思はれる。) かうして、人々は自分をカメラの前に曝け出すことに抵抗を感じなくなる。一方、同じくテレビの世界に視聴者参加番組なるものが登場する。正確な年月は定かではないが、ここでも「一般人」がスタジオに集まり、良し悪しはともかく「タレント」「芸人」と素人との垣根が消え、タレント自体も素人ぽいことを求められるやうな現象すら生じる。さらに素人がタレントのお付き合ひをして、殆ど機械的な「笑ひ」を要求され、番組の歯車として反応する、その姿をカメラが捉へてお茶の間に届ける。その素人ぽさが却つて受けるといふ摩訶不思議な状況が生じる。それを不思議とも異様とも感じない、麻痺したわけだ。 若い世代が、殆ど無意識だらうがカメラに向かつてVサインをする姿を、少し年輩の人々は覚えてゐるはずだが、あれには最初、相当の抵抗を感じたものだ。昔、子供たちはカメラを向けられると逃げた。それがいつの間にやら、殊にテレビカメラなどが「オラが町」に来たら、競ふやうに写らうとレンズの前に群がるやうになつた。勿論、今でも恥かしがる姿を時に見かける、それも一方の事実ではあるが、写りたがり出たがりが圧倒的に増えたこをは否めまい。 学生たちのコンパや合宿などの写真を見ると、異常といふか異様といふか皆が皆Vサインで嬉しさうにしてゐる。これもやはり、かなり機械的な反射運動のごときものであらう。しかし、もしも人間が、外から見える自分の姿に何の疑問もなく何の懐疑も抱かなくなるとしたら、それは何を意味するのか。外から自分を見るといふ、人間のみに許される叡智と能力を自ら放棄して平然としてゐられるとは、どういふことなのだらう。 自らの行動や言論を外から見る、つまり客体視すること、あるいは他者との関係を客観的に眺めるといふこと。それはつまるところ、羞恥心の問題に及ぶのではないか。「羞恥」といふ感情は自分を客体視するところにこそ生まれるのではないか。他者の目を意識するところに「恥」の観念が生じるのではないか。カメラやテレビといふ文明の利器の普及に並走するがごとくに、羞恥心を失つた時代が到来する。恥の概念を失つた人々が増大する。他人様の目を気にする、世間体を慮る、さういふことを私達は忘れて、どこかに置き去りにしてきた。それが戦後レジームの行き着いたところではあるまいか。 憲法改正や日教組教育といふと私達は直ぐにイデオロギーで思考を始めてしまふ。イデオロギーの前に、日教組教育なりオンブにダッコの現行憲法が何を育てたのか、何を見失はせたのかを、今こそ見直す時期だらう。この震災を機に、先づは人間の普通のあり様、本来のあり方を考へるべきなのではないか。 さういふ意味で、私は「災後」を考へる場合に、「戦後」を置き去りにしてはならないと思つてゐる。あの甚大な被害、二万六千の死者と行方不明者、何十万といふ被災者に対して、私達が「前へ」と言ふなら、過去を置き去りにしてはなるまい。亡くなつた人々の人生、その人々が生きてきた歴史の上に、未来を築く以外に「前」はないはずだ。ゼロからの出発ではない。「戦後」のマイナスをも乗り越えての「前進」以外に意味があらうか。 我々が今次の災害から単なる経済的な復興しかなし得ないとするなら、犠牲者の死を「無駄死」にとすることになりはしないか。それでは、大東亜戦争の三百万余の死者達の「死」を「無駄死に」としたまま、「戦後」を呆けて暮らしたと同じやうに、私達は何ら変はらぬ呆けた「災後」を送ることになりはしないか。 |
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