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2010年 02月 09日
ロシュフコオの箴言の中で恆存が丸印(◎)を附したものでも、比較的短いもの、なほかつ私が気に入つたものか、あるいは恆存の書き込みがあるものを挙げる(原文正漢字、一部かなに直す)。 ◎[二六] 凝(ぢつ)と見てゐられないもの、太陽と死。 ◎[三四] 若し我々が高慢でなかつたら、他人の高慢を慨歎しないであらう。 ◎[四二] 我々は理性のすべてに従ふだけの力を持たぬ。 ◎[四九] 人は決して自ら想像するほど幸福でも不幸でもないものだ。 ◎[七四] 恋愛には一種類しかない。が、無数の写し(コピー)がある。 次の一節には丸印は附してゐないが、書き込みがたくさんある(★印を付ける)。 [八一] 我々は何ものも我々のためにしか愛することが出来ない。己れ自身よりも友人を本位にする場合も実は自分の好みと自分の快楽を追つてゐるに過ぎぬ。とは言へ、真にまつたき友情といふものは、この友人本位によつてのみ存在し得る。(★以下恆存書き込み★)自我愛はそのままでは卑しい/自我愛のない人間は他人を愛しえない/自我愛のない人間を愛する事も出来ない/もし真の愛があるとするなら、それを教へるものは自我愛である。 ◎[八四] 友を疑ふことは友に欺かれるよりも恥づべきことだ。 ◎[八六] 我々の猜疑は他人の欺瞞を正当化する。 ◎[九三] 老人はお説教を好む。もはや悪いお手本の出来る年ではないのを自ら慰むるためである。 ◎[一〇七] 決して嬌態をしないことを注目せしめるのは一種の嬌態だ。 ◎[一一六] 意見を求めたり与へたりするやりかたほど不真面目なものはない。それを求める者は友の意向に敬意ある謙譲を持つかに見えるが、実は唯己が意見を是認せしめ、己が行為を保證せしむることしか考へてゐない。一方、意見する者は示された信頼に、熱烈にして私心なき情熱を報いる。ところが最も多くの場合、与へる意見のなかに己が誉しか索(もと)めてゐないのだ。 ◎[一一八] 決して瞞されまいとする注意は屢々我々を瞞される危険に曝す。 ◎[一三〇] 弱さは矯正できない唯一の欠点である。 ◎[二〇八] 馬鹿者には自らを識り、その馬鹿さを巧みに用ふる者がある。 ◎[二〇九] 狂気なしに生活する者は、自分が信ずるほど賢明ではない。 ◎[二一六] 完き勇気とは、萬人の前で為し得ることを立会人なしに為すことだ。 次の数節にも○印がなく書き込みのみである。 [二六四] 憐憫は屢々他人の不幸に於ける我々自身の不幸に対する感情である。それは我々の陥るかもしれない災難の巧みな先見だ。我々が他人に救ひを与へるのは、同じやうな境遇に際して彼らをしてそれを我々に与へしめんがためである。で、我々が彼等に為す斯かる奉仕は、的確に言へば、我々が予め我々自身に為す恩恵である。(★)ニーチェ流に――/憐憫は苦悩者に対して、助力の出来ぬ云ひわけだとする方がまだ真理だ。/しかし、私は憐憫の感情を知らぬ、故に、何も云ふ権利はないかもしれない。 [二七七] 女人は愛してゐなくとも、屢々愛してゐると信じてゐる。秘め事への没頭、慇懃(ギャラントリー)に与へられる精神の動揺、愛されるといふ逸楽に対する天性の傾向、それから拒むといふ苦痛が、彼女等に、単にコケットリイしか持つてゐない場合に情熱を持つてゐるのだと思ひ込ませる。(★)cf. Lawrence’s “Lady Chatterley’s Lover” [二八六] 真に愛することをやめたものを、二度(ふたたび)愛することは不可能だ。(★)愛する力のないものを愛する事は困難だ。 [三〇三] 人が我々のことをどんなによく言はうと、我々は何ら新たに教はるところがない。(★)鋭い精神(自意識の強い精神)には、むしろ反対の箴言が必要だ。 ◎[三一三] 何故に我々は、我々に起つた事件の委細枝葉に至るまでも覚えるほどの記憶力を持ちながら、而も、その事件を同じ人間に幾度語つたかといふことを思出すほどの記憶力も持たないのか?(★)宮廷人、ラ・ロシュフコオ! サロンの萌芽! フランス人! 次の三連の節には、見出し番号から線が引いてあり、纏めて一つの書き込みがある。このページには栞まで挿んである。 ◎[三三二] 女性は自らの嬌態(コケットリイ)のすべてを識らぬ。 ◎[三三三] 女性は嫌悪の情なくしては完全な無情(つれなさ)を持たぬ。 ◎[三三四] 女性は情熱(パッション)よりも嬌態(コケットリイ)を制することが困難である。(★)女性のみ? [三六一] 嫉妬は常に愛と共に生れる。だが常に愛と共に死ぬものではない。(★)うがつてゐる様でうそだ。 [三六二] 殆んどあらゆる場合、女性がその恋人の死を痛哭するのは、彼等を愛してゐたためよりも、寧ろ、さらに愛される価値があつたかの如く思はれんがためである。(★)こんな点に至ると、ロシュフウコオは箴言をつくる病にとらはれてゐる様に思はれる/いやみがある。(上記二編のあるページにも栞が挿んである。それともその栞は同じページにある次の箴言のためのものか?) ◎[三六四] 妻の話をしてはならぬことは充分知つてゐる。が、己れ自身のことは尚更語つてならぬことを案外御存知ない。 箴言に食傷しつつも、恆存がこの項目に○を付けてゐるところが面白い。以下(三)に続く。 2010年 02月 08日
2010年 02月 05日
一月三十一日、日曜日の産経新聞文化欄、「日本人とこころ」で福田恆存を大きく扱つてくれた。購読なさつてゐない方、WEB上でご覧下さい。なほ、明後七日に続きが載る。私が考へる恆存観が中心になるとか。息子の見た父親像など何ほどのものかとも思ふが、興味ある方はどうぞ。勿論、購入なさらなくとも、WEB上で読めるはずである。
2010年 02月 04日
前掲の「箴言に対する箴言」を書いてゐて思い出したことを簡単に記す。恆存はその万博のキリスト教館でエリオットの「寺院の殺人」を演出した。主人公のトマス・ベケットは芥川比呂志。キリスト教館の祭壇を囲む客席(といふよりは教会の礼拝席か)で観る、カンタベリーの大司教ベケットの殉教は、その秋、東京の日経ホールの額縁舞台に場所を移しての公演とは比較にならぬ臨場感があつた。十二世紀の英国、国王ヘンリー二世の放つた刺客に聖堂内で暗殺された大司教の殉教を扱つた詩劇である。 観客は十二世紀のカンタベリーへと、その大聖堂内へといざなはれ、コーラス役のカンタベリーの市民と共にベケットの殉教を見守らされる。殉教によつて聖者となることを自らは懸命に避けようとする強い意思と、その結果の必然として起こる殉教に、観客は息をのみ、息を詰めて見入つてゐた。否応なしに殉教の厳しい姿の目撃者にされ、事件に立ち合はされる。 舞台と客席の仕切りがなく、カンタベーリーの市民の立場で大司教の死に立ち会つた、キリスト教館での三時間をまざまざと思ひ出す。後年、私はこの戯曲を再演する時、エリオットを理解できずに、自分で演出する事を避け、英国の演出家を呼んで日本語の担当として協力した。その時のベケットは、昨年まで二年に亙つて私の演出した「白鳥の歌」で主人公を演じた西本裕行である。彼とは「マクベス」でも一緒だつた。マクベスとベケットは西本にとつて六十年近い舞台歴のなかでも五指に入る舞台ではないかと思ふ。 さて、芥川の「寺院の殺人」の東京での初日前日の舞台稽古の日が、忘れもしない、忘れようもない、十一月二十五日だつた。すなはち三島由紀夫の自決の日である。ベケットの殉教と何ら通ずるところはないと、今でこそ分かるのだが、その時は、自ら死を招くがごとき行動を取るベケット、あるいは死を回避しようとはせぬベケットの姿と、三島の死へと突き進む姿とが重ならざるを得なかつた。その日の稽古は異様な雰囲気としか言ひやうのないものだつた。あの日は、それを経験した人の数だけの異様な経験となつた日なのだらう。しかし、ほんの五年前に、多くの人が知らぬ間に、静かに、恐らくは三島の後に従つた割腹自決が決行されてゐることを、殆どの日本人は知らずにゐる。 ここまで書いて、読みなおしてみて思ひついたことだが、「マクベス」と「寺院の殺人」と、全く異なる作品だが、主人公二人は案外近いところにゐるのかもしれない。自らの運命的な死に向かつて突き進む強固な意思または意地といふところでは、二人は甚だ近いところにゐるのではないか、少なくとも、自らは避けようとした道筋を辿らざるを得なつた宿命といふことにおいては相似形をなしてゐまいか。そして、これはあらゆる人間が辿る人生、われわれ人間といふものの宿命なのかもしれない。 人間に普遍的な、宿命への共感が悲劇といふジャンルを成立せしめてゐるのではないか。巨大な存在の滅亡の姿に、われわれは小さな己の姿を重ね合はせるとともに、その滅亡にどこか安堵してゐる。この共感と安堵の感情ほど、人間らしいものはない。 2010年 02月 02日
福田恆存の蔵書に昭和十一年二月一日三笠書房刊行の「ラ・ロシュフコオ箴言録」(齋藤磯雄訳)がある。箴言のところどころに傍線や丸印が附してあり、時に感想が書き込まれてゐる。前半には丸印が多く、後半に進むに従つて丸印と共に批判的な書き込みが増えてくる。 例へば『道徳的反省』の四百五十一は≪愚物にして才を持つ者ほど不快なものはない≫といふ箴言だが、それに恆存は二つの書き込みをしてゐる。一つが「かくの如きもの、如何に多きか!」、そしてもう一つが「君子人にして才なき時、人は如何に苦しむ事か」となつてゐる。 大真面目なのかふざけてゐるのか分からぬものもあるが、今日は上の一つを挙げるにとどめ、近々にいくつか掲載するつもりでゐる。恆存がこの本を読了したのは同年の二月十三日と思われる。といふのは、表紙を開けると見返しに「箴言に対する箴言」といふ見出しを付けた十行弱のメモがあり、その終りに「一九三六・二・一三」と記してあるのだ。 日付はさておき、そのメモを書いておく。この種のものは麗澤大学出版会から刊行中の評論集等々にも勿論載らぬし、やがてはこの本も、既に委託した原稿等と共に神奈川近代文学館に引き取つてもらふことになるであらう。さうなつて誰の目にも触れぬのも、なにやら気の毒でもあるし、さまざまの書き込みも、それはそれなりに面白いと思はれるので……ただし若書きであることは否めない、恆存二十五歳の頃である。 ≪箴言に対する箴言 吾人に如何に鋭しと感ぜられる箴言も、常にそれ自らに対して、虚偽、偽善、虚栄、気取りの名の下に告訴される運命を有たねばならぬ。時が新しい箴言を生む。(一行アケ)凡ゆる慧智の影を宿したかに見える箴言と雖も純粋・無垢な魂の前には顔をあからめる。(一行アケ)偉大な精神力は箴言を作り得ない。 一九三六・二・一三≫ これを読んで、殊に中ほどの一行を読んで私は「夏の夜の夢」を思ひ浮かべた。恆存が大阪万博(一九七〇)のガス・パビリオンのプロデュースを依頼された(のだと思ふ)時、ジョアン・ミロに手紙を書いて描いてもらつたのが「無垢の笑ひ」で、今でも大阪の国際国立美術館にあるといふ。四十年前に見たきりだが、もう一度見てみたいと思つてゐる。 恆存自身どこかに書いてゐたが、その「無垢の笑ひ」を依頼したのが、(記憶を頼りに記すが)、生まれて来た赤子が母親に初めてみせるやうな笑ひ、シェークスピアの「夏の夜の夢」に現れるやうな無垢の笑ひ、といふテーマだといふ。(ミロは「よつしや、分かつた」と二つ返事で引受けたとか。)それ以来、上述の如く、純粋で無垢な笑ひとか魂と聞くと「夏の夜の夢」を思ひ出すといふ次第である。 同時に、上の「箴言に対する箴言」だが、最後の一行もシェークスピアを思ひ出す。「偉大な精神力」といふ言葉からの連想だ。しかし、シェークスピアは謂はば箴言の宝庫とも言へる。といふことは、恆存の箴言が間違つてゐるといふことか。 2010年 02月 01日
今日(一日)の産経新聞によれば、市川市議会において、外国人参政権に反対する意見書の採択が市議会総務委員会で可決されながら、翌日(二十日)の本会議では否決されたといふ。なぜか。一夜にして変つた経緯が面白い。民団がロビー活動を行つたからだといふ。 こんな呆れた、あからさまな話もなからう。参政権すらない民団の人々が動いた、それだけで参政権付与反対決議の意見書がひつくり返へつてしまふ、なんと情けない市議たちか。となると、韓国籍の人々に参政権など持たれたら、何が起こるか分かつたものではない、さうであらう。 参政権が必要なら帰化すればよろしい。日本人におなりなさい。仄聞するところ、在日の韓国籍朝鮮人には母国での国政参政権が(被選挙権も含め)2012年に付与されることになつてゐるとか。なにも二つの国に権利を有し、忠誠を誓ふこともありますまいし、出来ますまい。となると、忠誠心はどちらか一つの国へ向かふでせう。そして血は水よりも濃しと言ふではありませぬか。 もし在日の韓国籍の人が韓国の国政選挙に出馬して当選したとする、やがて議員を辞めて日本に戻り日本で参政権も行使できる状態が出現する、そんな時、その人物は何人としてどこの国のために票を投ずるのだらうか。 かういふ訳の分からないことを推進しようといふ民主党を私は信じない。勿論、自民の中にもさういふ人間がゐるのはいふまでもなく、その連中も信じない。小沢も鳩山ももともとは自民。 私、福田逸は、いのちを、守りたい、国民のいのちを守りたいと、願ふのであります、そのためには日本の言葉を守りたい、日本の歴史を守りたい、日本の自然を守りたい、日本の国を守りたい、ですから一番近くの隣国でも友愛の情を籠めて仮想敵国とみなします。当然、永住外国人に参政権など与へるべきではない。ついでに、米国も仮想敵国と考へるに越したことはない。この程度のことが分らぬやうでは、どなたであれ政治家を辞めてほしい。これは保守を任ずる政治家諸兄にも申し上げておく。 2010年 01月 29日
最高裁が違憲判決を出した空知太神社のことだが、ばかばかしいの一言に尽きる。合憲とした堀籠判事以外には、いづれ×をつけさせてもらふ。市有地を無償で神社に貸与してゐることに地元のクリスチャンが文句をつけた裁判で政教分離に反するといふのだ。尤も、産経新聞の記事によれば高裁への差し戻しは、逆の意味で信教の自由を脅かさないかとの疑念から、一定の配慮を見せた判決だといふ。つまり、神社の鳥居撤去などといふ事態に至れば氏子たちの信教の自由を阻害しかねないといふことらしい。さうであるにしても、政教分離に違反するといふそもそもの判決は独り歩きしないか、私は危惧する。 この問題で考へるべきことが二つあると思ふ。第一は、神社と憲法とどちらが先に存在したかといふ問題。第二が、日本人にとつて神道は信仰なりや、といふ問題である。 現行の憲法はいふまでもなく戦後生まれ。明治の大日本帝国憲法にしても、憲法があつて神社がその支配下に生み出されたのではない。神社も神社に纏はる日本人の生活も、近代の法律より遥か昔から存在した。そして、これは第二の問題に直結する。神社信仰は明治の遥か昔から存在し、日本人の生活に密接に繋がつてゐた。私は神道学の専門でもないし、神社について日頃勉強してゐるわけでもない。そんな私なりの感覚から言へば、神社信仰は日本人の生活文化でああり、つまり文化そのものであり、いはゆる西洋的な宗教の概念とは無縁のものではないかといふこと。普通の日本人の信仰は宗教といふより生活に密着した倫理であり生活道徳に近いものではないか。いはば、人智を超えたものへの謙虚な尊敬や畏怖の念であり、人間を包み育むものへの感謝の念のやうなものではないかと思つてゐる。 そんなことを考へてゐたら、前にも触れたことのあるブログ「本からの贈り物」で、春日大社の宮司、葉室頼昭著『神道〈いのち〉を伝える』を紹介してゐた。是非、読んで頂きたい。私も早速アマゾンに注文したがまだ届いてゐないので、「本からの贈り物」に引用されてゐる葉室宮司の一文を孫引きする。≪神道というのは宗教ではないんです。神道というのは、日本人が昔から伝えてきた生き方であり、人生観なんですね。≫ やはりさうなんだなと妙に納得してゐるが、葉室宮司は他にも神道や神社に纏はる本を書いてゐる。是非、参考にすべきであらう。 「生き方・人生観」とは、つまりその民族の文化そのものに他ならない。となると、GHQの神道指令は、信教の自由を保障したり政教分離を目指したものなどではなく、まさしく日本の文化そのもの、そして文化の根底である生活習慣を破壊しよう企んだものと言へる。皇室の在り方を歪め、神社と皇室と神話の世界の結びつきを希薄にさせた。日本人の生活や意識と皇室や神社とを結ぶ紐帯を失はしめた。あるいは、日本人から「人生観」を奪ひ去つた行為といふべきだ。 皇室(皇室典範)や神社といふ、日本人の歴史そのものを、ぽつと出の憲法の下位に置くことが間違つてゐる。それにしても戦争に負けるといふことは、かういふことなのか。恐ろしいことだ、民族の文化そのものを失ふ事になり得るのだから。 2010年 01月 27日
私が嫌ひな言葉の筆頭格。気になりだしたのが二三年前でせうか。といふ事は使はれ始めたのは五年くらゐ前になるのかな。劇場などで、たとへば案内係が「パンフレット、お要りようの方は、お声掛け下さい」などとやらかすのです。でもこれならまだ良い方です。この場合なら、声を掛けるのは客の方だから、案内係が相手を立てたといふ理屈も成り立つ。それにしても気色悪い、虫唾の走る言葉ではあります。 それが、次の例となると、支離滅裂、「お声掛け」の独立宣言みたいな使はれ方の出現です。昨年のこと、このブログのどの記事かは忘れましたが、コメントがありました。やれ嬉やと開けてびつくり、あまりの悪文に削除してしまひましたが。劇場で私に出会つたら「お声掛けさせていただく」といふのです。しかも見ず知らずの方から。まあ、面識があるか否かはこの際問題ではありません。それにしても、この場合、声を掛けるのは相手方、私は掛けられる側なわけです。多分、声を掛けようといふ自分を低い位置に置かうとはしたのでせう。でもその自分の行為に敬語の「お」を付けて平然としていらつしやる。しかも、ご丁寧なことに、その言葉に「させていただく」まで付けて。理屈っぽく申し上げると、①「お声掛け」の「お」で相手は自分を思ひ切り持ち上げて、②「させて」で思ひ切り身を低くしたかと思ふと、③「いただく」でえいやつとこちらを持ち上げて下さるわけです。これではこちらは、ジェットコースターで谷底に突き落とされて即座に急上昇させられたような気分で目を白黒させていただく他ありません。 いづれにしても、お声掛けなどといふ言ひ回しは以前はなかつた、断言します。敬語、謙譲語、丁寧語がきちんと身に着く教育をしないで、さらに美化語などといふ訳の分からんものまで作り出して……混乱させるばかりではありんせんか。教師だつて混乱しますよ。横道に逸れるのはやめます……敬語が使へなくなつて、意識だけは何か丁寧な言葉を使はなくちやと先走り、何でもかでも「お」をつけて済ます。今でも、成り金のオバサン連が「およろしかつたかしら」などと「お」をつけて敬語を使へた気になつてらつしやる。せめて「お」は名詞に付けるやうにして下さいな。 ついでに、嫌ひな言葉をもう一つ。「仕分け」。郵便局員が郵便の仕分けなら分かる。しかし、防衛費(国防費)まで仕分けられては敵はない。スパコンが世界で一番でなくてはならないかどうか、といふ議論は「仕分け」の対象ではなく、厳密な意味で「評価」の対象でせう。言葉をいい加減に扱ふ人間たちはその対象をもいい加減に扱ふ、さうは思ひませんか? レンボウさん(字が出ない、失礼)、あの時のあなたの目、切れてゐました……怖かつたぁ。 2010年 01月 24日
前掲記事を掲載したのが二十一日の深夜といふか日付としては二十二日になる。その二十二日の読売新聞東京版の夕刊を見て驚いた。金曜の読売の夕刊は時々目にする程度だが、私の好きな記事に「いやはや語辞典」といふコラムがある。毎回、各界で活躍する方が気に食はない言葉や言葉遣ひを一つ取り上げる短いエッセイだが頷ける意見が多い。 二十二日はノンフィクション作家の工藤美代子が書いてゐて何とそれが「ふれあい」について。しかもサブタイトルまで、「現実をごまかす作為」となつてゐる。私が書いた一昨日の記事と符牒を合はせるやうな内容で偶然にしても出来すぎてゐると思つた。氏とは私も面識もあり、ある会では何度かご一緒してゐる。 早速工藤氏にメールをした。一部引用をお許し頂いて書く。掻い摘んでいふと、新宿を歩いてゐて「ふれあい通り」と書いたプレートに行き合つて「奇異な」感じがしたといふ書き出しで、昨今「ふれあいという言葉が安易に」使はれすぎる、文化センターとかホールとかなんでもふれあひといふ冠がついてゐるが、「そんなに簡単に人間は誰かとふれあえるものなのか」と疑問を呈し、「『ふれあい通り』などといわれたら痴漢でも出そうな気がする」と続く。読みやすく、文章のリズムが心地よい。ノンフィクション作家の面目躍如といふ読みごこちである。 そして、さらに続けて「心と心のふれあいなどというけれど、赤の他人とのふれあいを誰がそれほど望むのか」、一方的にふれあひを求めたらそれはストーカーだとあつて、ふれあふと言ふことについて、かう断言している、「人生の長い間には、誰かとふれあう喜びが生まれることを私は否定しない。しかし、それは自分が抱く感情であって、他人から押し付けられるものではないはずだ」と。正論といふほかない。そして、「不特定多数の人々が出入りする道路やホールで、いったいどうやってふれあえというのか」とジャブを繰り出す。 三十年前にわが町に「ふれあい会館」と「ふれあい広場」ができたときに私が感じた気色の悪さとは、まさにここに書かれたままのものであつた。「ふれあい広場」と聞いた時に最初に頭に浮かんだのが痴漢と痴女が犇めいて触りあつてゐるイメージ。「ふれあい会館」に集合する変質者たち。 工藤氏はこの言葉の蔓延のみの話題で終はらせず、後半は、ふれあひといふ発想が「なんでもかでも話し合えば問題は解決する」という発想に似てゐると言ひ、話しあひで戦争やテロまで起きなくなるかの如き現今の世相の欺瞞を指摘、「人間と人間の距離の取り方は非常に難しい……(略)……軽々しくふれあいがあれば世の中は平和だなどと思い込まないで欲しい」と結んでゐる。 このエッセイを読んで私はほつとしたといふのが実感である。「ふれあい広場」について書いた時、頭の隅に私の語感が間違つてゐるのだらうかといふ、僅かとはいへ不安がよぎつたからだ。さうしたら、翌日の新聞で工藤氏のエッセイに出会つたわけで、ああ、同世代で同じやうな感じを抱いた方がゐると思ふとともに、三十年前、確かに「ふれあひ」は広場や会館の名前に使はれるべきではないといふ語感があつたといふ確信が持てた。あの頃から日本人は安易に人とふれあはうとしたか、ふれあへると考へたか、やたらにこの言葉を遣ひ出したのだ。 これでも、ピンとこない方にはかう考へて頂きたい、あなたの住む街にある日、会館や広場ができ、あるいは新しい通りができ、そこに「さわりあい通り」と名づけられたら、どう感ずるか。それと同じ違和感と気色の悪さを私は三十年前に「ふれあい広場」に感じたのである。 同じやうに、今、鳩山の発する言葉に虫唾が走るわけで、母親からの「献金」だか「手当」だかは私にはどうでもよい、むしろ母親からの資金提供を知つてゐたのではと聞かれて、「天地神明に誓ってまったく存じ上げなかった」などと言つてしまふ言語能力で首相を務め、毎日のやうに変な言葉遣ひをすることに、気色悪さを感ずるのだ。「存じ上げる」は謙譲語、したがつて自分を卑下し、もしくは、へりくだつて相手を立てる敬語の一種である。やはり、お手当を下さるお母様を御尊敬申し上げますとでも言ひたいのか、それとも提供された資金そのものを畏れかしこくも敬つてしまつたといふわけか。 「させていただく」のやうに、この人は昔から敬語や丁寧語がまるで使へない人だつた。菅さんが、まあ、冗談のつもりだつたのだらうが、「宇宙人」は我々「地球人」と言葉遣ひが違ふからと副総理として軽率なことをのたまはつたらしいが、なに、多くの地球人、いや日本人が今やまともに日本語を喋れなくなつてゐるだけのこと。しかも、政治家が事態の深刻さに気付いてゐないだけのことである。解決策など簡単なことで、小中学校で読書の時間を増やすだけでよい。そこで古典から近代までの文学に触れさせれば十分であらう。いや幼稚園児でもよい。実際にそれを実践してゐるところでは幼児の行儀まで良くなるといふ。英語など小学校で教へることはない。そんな時間があつたら母国語と母国の歴史を叩き込んだらよいのだ。 選挙のために日教組とつるんでゐる政党に政権を渡してはならぬことの大きな理由の一つがここにある、つまりここに言語教育ひいては教育全般の劣化の問題が潜んでゐることを忘れてはならない。自民も大して変はらぬと言へるかもしれぬが、民主ほどではない。その民主党を政権の座につかせた国民を私は信じない。普段いかに教育を論じ偉さうなことを言はうと民主がさういふ文化破壊を是とする集団だと言ふことは、小沢の疑惑同様に明白なことだつただらうに。 最後に引用を許可して下さつた工藤氏に御礼申し上げるとともに、多岐に亙る氏の著作に敬意を表する次第である。 2010年 01月 22日
前掲記事を書いたのが深夜で、少々急いでゐたため、頭の隅をかすめながら書かなかつたことがある。「持ち合はせ」は普通身につけてゐるものに遣ふと書いた。少なくとも私の語感ではさうである。また、「ふれあひ」はそもそも身体的接触に遣はれてゐたはずだといふことも漱石の例を引いて書いた。 この二つに共通してゐることがある。つまり、始めはどちらも心理的抽象的な遣はれ方はしてゐないといふこと、かつてはどちらも実際的具象的な、あるいは物理的な意味合ひで使用されてゐたものに、何らかの変化が起こつて心理的な意味合ひが付いて来たといふことである。本来の意味合ひからずれて来てゐる。さう考へると、「持ち合はせ」も鳩山総理を嚆矢として、今後平気で使用されることになるかもしれない。しかも曖昧な誤魔化す時の用法として――。 つまり、「国旗に対する尊崇の念を持つてゐる」といふ言ひまはしと、「国旗に対する尊崇の念を持ち合はせてゐる」とでは、後者は腰が引け、奥歯に物の挟まつたやうな意味合ひが含まれて来ることにお気付きだらうか。それが鳩山君の本音だといふこと。私はさう理解してゐる。つまり客観化しようといふ気持ちからか、無意識か意識的か言葉を曖昧に遣つて、自分の本心ではありませんとでも言ひたげな口吻だといふことだ。真つ直ぐに持つてゐると言ひにくい気持ちがどこかに隠れてゐるといふことだ。 「持ちあはせ」と「ふれあひ」、二つの例だけから軽々に推測することは慎まねばなるまいが、それでも憶測を逞しくする誘惑に駆られる。といふのは、どちらの例も本来は、いはば、乾いた言葉だつたといふこと、殊に「ふれあひ・ふれあふ」に心や情といふ曖昧なものの入り込む余地はなかつたわけである。漱石以前は、つまり、江戸以前は「ふれあひ」といふ言葉が無かつたといふことだらう。小学館の日本国語大辞典を見ても、「ふれる」「さはる」なら、竹取物語や万葉集といつた相当に古い時代に使用されてゐることが分かる。「合ふ」がついた途端に明治以降の用例しか見当たらないのは何ゆゑだらうか。憶測に過ぎないが、近代化以降に生まれた日本国民の情緒的不安定が人間同士の「ふれあひ」をやたらに求めたのではあるまいか。 私個人がきらはうが何だらうが、何らかの空気があつてさういふ言葉を求める人々が出て来たといふことは確かだ。柴田翔であれ誰であれ、人間の心に殊更触れたくなつたからさういふ言ひまはしが生まれたに違ひない。しかし、さういふ「ふれあひ」が必要となつてしまつたことは、本当に健全なことだらうか。江戸以前に人と人との心の触れ合ひがなかつたはずはない。なかつたとすれば、心のふれあひではなく、そのふれあいを殊更言葉に出す必要がなかつたといふこと、言葉に出さなくてはならぬやうな不安な心的状況がなかつたといふこと、さう考へるべきではないか。明治以降、殊に昭和も戦後になつて、日本人は殊更心の「ふれあひ」を求め出したのだらう。日本人が病的になつた、脆弱になつた。おそらく、この憶測は単なる憶測ではないと私は確信してゐる。私達は弱くなつた。 ところで、鳩山さんといへば、「させていただく」が世に蔓延し出したころ、なんでもかでも「させていただく」を連発してゐたのをご記憶の方もいらつしやるだらう。正確に何年ころか調べれば分るが、ちょうど同じ時期に某私立大学某学部の学部長殿が同じやうに「させて頂く」を連発してゐて耳障りなことこの上なかつた。 その鳩山さんの言葉遣ひの中で、最近やたらに遣ふので気になるのが「育ち」。確かに子供は親に関係なくしつかり育つたりするものには違ひない。育ちが悪いといふ言ひまはしも普通であるし、辞書を引いてもかなり古い例もある。近世では二葉亭の用例として、「子の成長(ソダチ)に其身の老(オユ)るを忘れて」なども辞書に掲載されてゐる。 氏より育ちといふ言葉もある。だがしかし、である。発言の前後の脈絡を忘れて書くのもよろしくないと言はれるかもしれないが、私は鳩山さんが「育ち」といふのを耳にすると、やはり虫唾が走るやうな不快感に襲はれる。育てる責任を放棄したやうな感じとでもいふか、子どもは社会が育てませうといふやうな、親子関係や家庭を否定するがごとき口吻だと感じざるを得ない。 「育ち」といふ時は、外側から見てゐるやうな一種の客観性が伴ふことはお分り頂けよう。それに対して、現今、政府と国民が子供の教育・子育てについて論じてゐる時は、まさに子「育て」について論じてゐるのであり、客観性を装つたやうな子どもの成長を語るのではなく、親の主体性を論点に議論してゐるはずである。私が違和感を抱くのはおそらくこのズレにあるのだ。もつと勘ぐると、夫婦別姓やら永住外国人の参政権やら、日本列島は日本人だけのものではない発言やらに、確実に裏で水脈が繋がつてゐると思ひたくなるほど、怪しげで破壊的、あるいは左翼的心性を私はこの「育ち」といふ言葉遣ひにも感ずるのである。 そこまで言はなくてもとおつしやるなら、友愛とか国民の命を守るとか、余りにも美しすぎて気持ち悪くないかと言つておく。普天間問題でアメリカを怒らせるばかりか、沖縄を再び二分する県民の仲違ひに追ひやつておき、一方で支那との友愛を言ふ。インド洋から海自を引き上げておきながら国民の命を守ると言ふ。言葉がフワフワと独り歩きしてゐないか。 横道にそれた、政治問題はいづれ書くときも来よう。「育ち」についてもう一言。(成長と言へばいいのに)「育ち」といふ自動詞の名詞化した言葉を意味あり気に遣ふからには、子供自身の強い成長の力を信じてゐるのだらうか。さうであるなら、「こども手当」など創設せずに、親も含めて国家などに頼らぬ国民のありやうを説いたらよいではないか。自助努力を説けばよろしい。そもそもが人気取りの福祉バラマキのマニフェストから始まつたことなのだ、いつそ、「国民の皆様のお子様おひとりおひとりのご成長をお見守りもうしあげたい」といやらしくのたまへばよろしいのに。自分のお育ちがおよろしいからとて、「育ち」などと客観的ぶつた言葉遣ひをすることはない。 ここまで書いて更新しようとした時、メールをチェックして知人からの一通が目にとまつた。前掲記事を読んでの感想をくれたのだが、その中にかういふ一節があつた。なるほどと思ふ。≪我が家は、未だテレビがないので、ニュースをラジオで聴きますが、鳩山首相の発言が流れる度に、子供達さえ「何が言いたかったんだろう?」とか「ごにょごにょと何か喋っているけど、結論がなかったね。」と言います。画像がない分、余計に言動の空虚さが目立つのです。≫ ブログで書いたか授業で喋つたのか忘れたが、あるいはあちこちで話してゐるとも思ふが、テレビの番組を音声を消して観ると面白い。しかし、なるほど、音声だけ聴いたら喋り手の言語能力の貧しさは一目(一耳?)瞭然だらう。テレビでも画面を見ないで音声だけ聴いてみるとよいかもしれぬ。皆さん是非ともお試しあれ。 ちなみにメールの主のお子さんは確かまだ小学生、上のお子さんがそろそろ中学だつたらうか。このお子さんたちの読書の量は並大抵のものではないらしい。良書に囲まれてゐたらテレビなど無用の長物、この家庭からはまともな感覚を持つた日本人が育つと私は信じてゐる 2010年 01月 21日
以前麻生太郎が総理の時、漢字が読めないと散々叩かれてゐたが、鳩山の言葉遣ひについては余り騒がれないのは何故だらう。言葉以前にニュースとして取り上げることが多すぎるからなのか? いやいや、さうではないでせう。皆さん、鳩山の言葉遣ひの酷さに気がついてゐないのではあるまいか。一例を挙げる。二十日の参議院における代表質問に答へて、鳩山さん、かう言つてゐた。「国旗に対する尊厳、さういふものは持ち合はせてゐる」。国旗に尊厳があるなら分るが、「対する尊厳」となると、この尊厳は鳩山さんの側にあるわけか。自分に尊厳があるとは変ではありませんか。仮に「国旗に対する尊崇の念」といふつもりだつたとしても、後がいけない。「持ち合はせてゐる」とはどういふ料簡か。小銭の「持ち合はせ」ならよい、実際に身につけてゐるなら本なりペンなり、なんでも持ち合はせてもをかしくない。後は辞書を引いて下さい。 しかし、国旗なり国家なり天皇なり、これらのものへの尊敬や尊崇といふ抽象的なものは普通持ち合はせるとは言はない。さういふ、言葉の遣ひ方に対する感覚のないマスコミが麻生の未曾有をあげつらふのは変でせうが。私もかうして人の言葉遣ひにケチを付けるのが実は少々コハいのだが、なに、構ふものか、この際書いておく。鳩山さんは、この種の曖昧な言ひ回しをよくなさる。誤用とは違ふが「国民の命を守る」とか「友愛の海」とか、これら、具体的に何を言ひたいのか、私にはまるで分らない。 ところで、十九日は日米安保の五十周年だつたとか。その記念式典も国レヴェルでは何もなく、私の知りえた限りでは、日本国内での儀式は厚木基地においてのみだつたらしい。そのことの是非は、この際、措く。冷え切つた日米同盟への憂慮も、別の機会に触れたい。 で、厚木基地に五十周年を記念して Alliance Park なるものが出来たといふ。それが、あらうことか、日本語では「友好広場」となつてゐる。何故、「同盟広場」と呼ばないのか。軍隊を自衛隊と呼び、国防省を防衛省と呼ぶ。同じ発想だらう。かうやつて、言葉を曖昧に遣つて、物事を曖昧にする。対象を不明確にする。言葉を曖昧に遣へば、思考が曖昧になる。 Alliance を友好と呼ぶことで有事に互いの命を捨てねばならぬ同盟関係を胡麻化す。 やはり「有事」が起きた方がよい。テポドンが飛来して、日本の国民が命を落として、その時「自衛隊」では国民を守りきれぬ状態が出現して、初めて「同盟」国のなんたるかが分るのだらう。 友好広場で思ひ出した。私の住む町に「ふれあい広場」と「ふれいあい会館」なるものがある。およそ三十年ほど前に出来たと記憶する。出来た当初、私はその名称に嫌悪を覚えた。今でこそ私自身まったく麻痺して、それらの言葉を口にしてゐるが、初めて聞いたとき、なんとまあ気色の悪い名前かと思つた。それどころか、嘘くさく厭らしい名前だと感じたことをよく憶えてゐる。 ここまで読んで大方の読者は、何がをかしい、気色が悪いつて何が?とお感じになるだらう。私も慣れ切つてしまひ、自分の昔の感覚が間違つてゐるのかと思ひながら、いや、そんなことはないはず、自分の感覚は間違つてゐなかつたはずと思ひ返しつつ、念のため、辞書を調べた。私の感覚は間違つてゐなかったと信ずる。 「ふれあひ・ふれあふ」といふ言葉が遣はれ出したのがそもそも二十世紀の半ばからと思はれ、小学館の日本国語大辞典のそれ以前の用例は漱石の引用が一つ、これは単純な「接触」の意味で遣はれてゐる。「肩が触れ合はない限りは」(永日小品・1909)がそれである。1953年に中村光夫が志賀直哉論で遣つた例として「非凡な人間と直接ふれあうような」といふ用法も出てゐるが、1960年代になると突然「心の触れ合ひ」的な陰影を帯びるやうになる。一番いやらしいと私が感じるのは、「折角あなたと会いながら、少しも気持ちが触れ合ってこないことには堪えられませんでした」といふ例、なるほど柴田翔らしい遣ひ方だ。 この辺りから、「ふれあひ・ふれあふ」に単なる肩の接触的な遣はれ方ではなく、「心と心の触れ合ひ」的な陰影が出て来たのだらう。そこが私といふ偏屈な人間の癇に触つたのだらう。広場や公民館会館の類に「ふれあひ」などと、「友好」や「友愛」と同じで言葉が大仰過ぎて実態が曖昧になるだけだ。あるいは、人と人がいとも容易に友好関係や友愛を築けるといふ欺瞞が嫌ひだ、人の心が容易に「ふれあへ」るなどと思ひ込むのがをかしい。。気楽に広場や会館に名付ける気が知れない、その感覚が気持ち悪い。さう言つて分つて頂けない方にどう説明しても無意味かもしれないが。 この種の欺瞞に満ちた、あるいは、さうまで厳しく言はなくとも、人間の善意にしか基づかない甘つたれた命名を私は嫌ふ。友好にせよ友愛にせよ、これらの善意溢れる言葉は人間の悪意を忘れるための胡麻化しに過ぎない。一方で敵意の存在を認めないといふなら国境はいらない。人の悪意の存在を見ないならば、家に鍵をかける必要も防犯カメラもなにも要りはしない。言葉の遣ひ方でいくら胡麻化しても、現実は変はらない。人間の本質も世界情勢も、隣国の敵意も言葉で変へられるものではない。言葉遣ひをないがしろにする人々は必ず言葉に裏切られる。言葉は生きてゐる。言葉が人を造り人を育てる。その言葉を大事にしない国民は、自分の思考の曖昧にいづれ必ず裏切られる。 2010年 01月 18日
今朝の朝日新聞、第一面に若宮啓文(朝日新聞コラムニスト)が「憂う国民、政権の岐路」といふ一文を寄せてゐる。かういふ書き出しである、≪鳩山内閣ができたとき、口々に自分の言葉で政権交代の意義を語った閣僚たちが、いま言葉を失ったように見える。わずか4カ月で、この様変わりを予想できただろうか≫。 待つて頂きたい。朝日は昨年来小沢の土地購入問題を報道してきただらう。ならば、裏を十分見てゐたはずだ。裏で何をしてゐるか、十分「予想」がついた、いや十分情報を得てゐたはずだ。にもかかはらず、民主政権誕生に向けて世論を煽り、新政権誕生の折には提灯をいくつも掲げた。言ひかへれば、小沢疑惑があつたにもかかはらず何らかの「政権交代の意義」を認めてゐたはずだ、――公設第一秘書の大久保が逮捕されたのは昨年の総選挙より遥かに前のことだ。 自分のことを棚に上げるのは、止めたがよい。民主が政権を取つて以来、恥づかしげもなく「政権交代×○日目」と銘打つたシリーズを延々と掲載し、事業仕分けやら八ツ場ダムやらを嬉しさうに報道してゐた朝日新聞こそ、実は今、言葉を失つてゐるのだらう。だからこそ、これはまづいとばかり、少しづつ民主と距離を置き始め、小沢がどういふ形にせよ権力の座から滑り落ちる日に備へて舵を切り出し、鳩山を切る準備をして、恬として恥ぢないのだらう。それがマスコミのすることか。 もしも、「この様変わりを予想」できなかつたといふなら、朝日新聞はジャーナリズムの世界から姿を消すべきだ。私のやうな政治の素人ですら、かくのごとき事態は予想や想定以前のことだ。政治とカネは、何も自民の専売特許ではない。これは人間の、人類の業でしかない。それを、高々、政治家がカネに汚かつたからとて、あるいは検察が強硬手段に出て政治家が窮地に立たされたからといつて驚く振りは止めたがよい。殊に小沢の危うさに気づかぬ程度では新聞の名が泣く。鳩山のおめでたさに素知らぬ顔で記事を書いてきたとしたら、民主が烏合の衆であることに目をつぶつて扇動記事を書いてきたのだとしたら、それは新聞の名に値しない。これでは夕刊ゲンダイの方がまだましだ。(比喩ではない、本気でさう思ふ。) さらに、朝日新聞を購読して「政権交代」のキャッチフレーズに踊らされた国民も自らの不明を恥ぢたらよいとは、前にも書いた。郵政選挙で自民に票を投じ、政権交代で民主に票を投ずるやうな選挙民は選挙権を持つ権利はない。小泉政権以来、盛んに言はれる劇場型政治とかポピュリズムとかいふ言葉にどこまでの意味を付してゐるのか分らぬが、はつきりさせておいた方がよいのは、ポピュリズムとは、政治家ではなく選挙民の側の問題であり、マスコミの側の問題だといふこと。劇場型といふのも、舞台に登場する政治家といふ役者ではなく、観客たる選挙民の問題である。 たとへば鳩山のような素人政治家を、ほかでもないマスコミといふ媒体が有頂天にさせ、踊つてゐるのを見た観客が、一緒に踊り出す。踊りたいから自分も一緒に踊る。それが劇場型、ポピュリズムといふものの実体だ。踊らせたのはマスコミ、踊りたいのは国民といふ観客そのもの、つひつひ踊つてしまうのが政治家。さう考へておけばまず間違ひない。 朝日の若宮啓文によるコラムは次のやうに終はつてゐる。(鳩山にとつて小沢が)≪いくら頼みの存在でも、事情聴取さえ拒む者に「戦って」とはどういふことか。問はれるのは、がらがら崩れつつある政権への信頼である≫と。言ひも言つたり。信頼したなら国民が悪い、信頼させたマスコミが悪い。信頼されたと思ひ込んだ民主は間抜け。 「崩れつつあるのは新聞への信頼である」などと帳尻を合はせてこの文を終はるつもりはない。「崩れつつあるのはこの国である」。尤も、その責任はマスコミにあるとも思へなくなつた。さういふ時代に私達は生まれついた。それなら、どこに向かつて進めばよいのか。何を座標軸にすればよいのか。私に答へがあるわけではない。私に言へるのは、この国の歴史を振り返つて、答へを探す他ないといふことくらゐだらう。 今、もう一度若宮の文章に目を通し余りの酷さに改めて呆れたのだが、白々しいとはこの事。もう一か所引いておく。≪政治改革を原点に生まれたはずの政権が、よりによって政治資金疑惑で窮地に陥るとは≫――改めて言つておく、鳩山にしろ小沢にしろ、カネに纏わる疑惑は当初から言はれてゐたこと、なにもこの一週間で出てきた話ではあるまいが。朝日の編集委員から成りあがつたコラムニストたるもの、民主が政治改革の原点に立つてゐたなどと、よくまあ、恥づかしげもなく言へたものだ。 やはり、おやじギャグで帳尻合はせをしておく。見出しの「憂う国民、政権の岐路」、「憂う国民、朝日の岐路」。しかし、朝日は戦前から何度岐路を経て来たことか。嗤ふ気にもなれない 2010年 01月 14日
――自民党は政党として機能してゐるといへるのだらうか。小沢の土地購入資金疑惑や鳩山の贈与税脱税問題を十八日からの国会で追及する構へだといふ。それはそれでいい。が、検察が小沢の身辺にまで捜査の手を伸ばした途端に勢ひづいてゐるのでは、かつての民主と何も変はりはしない。野党根性丸出しではないか。他に自民党がなすべきことがいくらもあらう。なぜ保守層が自民に見切りをつけたのか、恐らく自民党は未だにその原因が掴めずにゐるのではないか。 政治とカネなど大した問題ではない。小沢も抛つておけばよい。いづれは逮捕か議員辞職だらうが、それもどうでもよい問題だ。自民あるいは真の保守党、保守政治家のなすべきことは、この国をどこに導くか、日本が日本であるために失つてはならぬものは何なのか、それを語つて国民を納得させることだ。それも能はず、金のことになると追求する野党など要りはせぬ。自民も民主も小沢も鳩山も、いや殆どの政治家が、金の事では脛に傷持つ身ではないか。そんなこと、核持ち込みの密約同様、国民は先刻承知、それで、実は構はぬと思つてきた。それどころか、ゼネコンで働く者の家族は小沢さまさま、自民さまさまだらうが。 ――金のことなど、どうでもよい。それよりも、永住外国人の参政権問題。この方がはるかに深刻だ。自民が保守だといふなら、なぜこの問題で明確な反対の態度を取らぬのか。あるいは夫婦別姓について、なぜ明確な態度を打ち出さないのか。その及び腰に、本来の自民支持であつた保守層が愛想を尽かしたことが、まだわからないのか。鈍感というほかない。鈍感を越えて殆どバカ。 そのバカぶりを発揮したのが忘れてはならない田母神問題だ。あの問題ほど、我が国の歴史を蔑にし、国防・外交・安全保障についての政治家の無能を曝け出した問題も珍しい。あの時、自民の命運は尽きてゐた。それに気づかぬのは愚か意外の何物でもない。あの時、田母神を守れず、何を今さら普天間基地だ日米同盟だと、偉さうに言へるといふのか。 ――九日付朝日朝刊be欄で宇宙飛行士の山崎直子がインタビューに答へ、かう言つてゐる。≪結婚後も私は旧姓の角野(すみの)で通していましたが、優希が生まれた直後、ロシアに計7カ月間、訓練に行ったのを機会に姓を「山崎」に変えました。私がロシアに行っている間、夫は父子家庭を支えてくれていたのですが、コロンビアの事故もあり、私が死んだときのことも考えて家族の「形」も大事にしたいと思ったのです≫と。極めて常識的、真つ当な考へ方で、わざわざ引用するまでもないかもしれない。 夫婦別姓などといふ愚劣な発想は、貧困な人間関係からしか生まれはしない。豊な(経済的豊さではない)家庭生活がいかなるものかを知り、自分の死を想定できる成熟した大人がことさら別姓を採用して、子供を情緒不安定に陥れ、将来、姓の選択に困惑させるやうな愚かなことをするわけがない。山崎宇宙飛行士の家庭と言葉が全てを語つてゐる。この夫婦の子供は生涯両親に感謝し敬ふだらう。 ――今朝の産経新聞文化欄でノンフィクション作家の河添恵子が鳩山首相の年頭会見の言葉を引用してゐた。≪外交・安全保障は国政の半分≫と。鳩山さん、あなたやはり宇宙人だ。あるいは脳味噌がチンパンジー並み。「外交・安保」は国政の九割、あるいはそれが国政の全てと考へてもらはなくては困る。福祉など最後の最後、国が豊かで他にすることがない時にでも考へてくれ。国民の自助努力。それが出来ぬ国民が形成する国は、何度でも言ふが滅びる。しかも、首相が国際的な同盟の意味を理解してゐないとなれば、滅びるのは理の当然。アメリカはいつまでも待つてはくれぬ。それとも、神風頼みの民主党政権なのか。デフレ対策の一つも打ち出したか。 ――話は戻るが、外国人参政権問題を考へてゐたら、同じく今朝の産経でこんな記事を見た。大相撲のこと。千代大海が引退を決めたさうだが、漸く踏ん切りがついたのか。といふか、今まで辞めたくても辞められない事情があつたらしい。二月に行はれる相撲協会の役員選挙に絡んで、一票を持つ千代大海は大関で頑張らなくてはならなかつた可能性もあるとのこと。投票権が評議員などのほかに、「四人以内の日本人の横綱と大関」にもあるのださうだ。九重親方としては、千代大海の票は貴重だつたのだらう。 相撲のことはさておき、上記の「日本人の横綱と大関」といふところが気に入つた。「外人」はダメ。つまり帰化してゐなければ、朝青龍も白鵬も琴欧州もみんな投票権は持てない。それと、永住外国人の参政権は同じことです。私なぞ、意地悪だから、帰化しても投票権はその子供の世代から生じても遅くはないとさへ思つてゐる。 昨年末、知人の「外人」さんの永住権のために推薦状の如きものを書かされた。昔随分世話になつたし、その後二十数年の長い付き合ひで一緒に仕事をしてきた。人柄も才能も十分認めた上で推薦したわけだが、その人物が永住権を取れても、それだけで日本の選挙権など与えられたものではない。専門の知識においては尊敬措く能はざる人物だが、年のうち半分くらゐは日本に滞在しながら、日本のことを何も知らない、政治は音痴に近い。こんな人間に選挙権などとんでもない。 それに、あちこちで皆さんが書いたり発言したりしてゐることだが、参政権を与へた結果、ある地方の議員の生殺与奪の権を握られたらどうなるか、少し考へれば想像は附くだらうに。 東シナ海の油田を見て御覧なさい。地下にストロー突つ込んで、日本の財産吸ひ尽してゐるではありませんか。帰化もしないうちから支那人に選挙権など与へたらどうなることか。領海どころか、領土の中で何をされるか。あるいは韓国に散々土地を買ひ占められてゐる対馬は二十年先には竹島と同じ運命になること間違ひなし。 議員が外人票に頼つたら、どうなるか。民団に頼つて選挙に勝つて、その民団の連中のために参政権を国会に上程しようといふ民主党のやり口とその結果を、よく考へなくてはなるまい。 ――昨年、小沢が記者会見でやくざの如き恫喝をしたので却つて評判になつた、支那の副主席習某を天皇が引見した話。支那に天皇を政治利用させたと、保守派が怒りまくつたが、怒る気持ちも、まあ、分からなくはない。いや、実は私も不愉快を通り越して、一瞬テロでもやりたい気分になつたのだが、なに、ものは考へやう。さうでせうが。小沢と支那がグルになつて天皇の権威を弥が上にも高めて下さつた。一か月ルールを無視しても、なんとか天皇陛下に合はせて下さいと支那が頼んできたわけで、これはあちらの国の日本への朝貢外交と言へなくもない。 それも、日本から支那への朝貢外交――支那を訪ねた百四十人余りの民主党議員団(総勢六百名とか)が胡錦濤に会せて貰つた見返りだといふ。多分、その通りだらう。しかし、あの訪中と胡錦濤との握手写真は、小沢の自己満足に終はる。あれほど分かりやすいバーター取引も珍しい。皇室は存在そのもので多くの日本人に、こんなことでよいのですかと問ひかけたのに対し、小沢たち民主は百五十人でのこのこ出かけて行つて、メディアがそれを報道し顰蹙を買ふ。そして日本国民は訪中団の異様さに自分が投票してしまつたことを今さらのやうに恥ぢる。反省が遅いのだ。反省するなら、三百有余の議席を与へた自分の愚挙を反省すべし。 ――しかし……私は、記憶にある限り総選挙で自民党に票を投じた記憶が残念ながらない。私の住む選挙区は、民主よりさらに性質の悪い河野親子の地盤なので……白票を投じたり茶化して自分の名前を書いたり、そんな投票しかしたことがない。自民が駄目だから一度民主になどとといふ馬鹿げた投票は一度もしてゐないことだけは確かだが…… ――それにしても……では国民は誰に投票すればよかつたのか、どの党を応援すればよかつたのか……民主も自民も、どちらにしてもほぼ賞味期限、いや消費期限切れ。誰に期待できるのか。枡添ごときの新党には期待しても無理。みんなの党は誰の党でもなし。中川昭一は死んだ。平沼はもはや歳だらう。政界再編とは聞こえは良いが実態が伴はない。民主の一部と自民の一部? 一時は私自身それに期待した。それもその後の政治家の態たらくを見せつけられては期待も凋む。政界再編より、いつその事、大政奉還はいかが! あるいは平成維新か。残念ながら今の日本にはそれだけの熱も向上心も闘はうといふ意思もない。明治は良かつた、と嘆くしかないか。 2010年 01月 13日
だいぶ前の事だが、かういふ記事を書いた。短いので、先づそれを読んで頂きたい。既に五年近く前のことになる。実は、まだ二年くらいゐ前の事と思ひ込んでゐたので、時の経つ速さに改めて驚くとともに、確かにこの五年余りは身辺多事、感慨無きにしもあらずといふところでもある。 さて「これで以上になります」といふ言ひ廻しに初めて出会つたのは、上の記事の通り平成十七年秋のことだが、その後耳にしないので、やはりその時のウェートレスのみの誤用で、「人口に膾炙」するなどといふことはないのであらうと安心してゐた。ところが昨年秋から半年にもならぬ間に、五回ほど全く同じ言ひ廻しを耳にした。いよいよ蔓延し出したのか否か定かではない。ただ、これから広まることは間違ひなささうだ。 その五回とも、いふまでもなく、「これで注文の品はすべて揃つたか」あるいは「荷物はこれですべてか」を問うて私に向けて発せられたものである。何のことはない、「ご注文の品は以上でよろしいですか」とでも「荷物はこれで全部でせうか」とでも、なんとでも言へるだらうが。妙な敬語や丁寧語を使はうとするからいけない。上辺を飾らず自然体でゐればよいではないか。 ところが、数日前にまたまた途轍もない新種にお目に掛つた、いや、お耳に掛つた。同じく食事を注文した時だが、全部出した後でウェートレス曰く、「以上でお揃ひになりましたでせうか」! 誰に聞いてゐるのか、何が揃つたと聞いてゐるのか、わけがわからん。その時、私は一人だつた、友人か家族が一堂に会して、お揃ひになつたわけではない。あ、さうか、食事やコーヒーやデザートがすべてテーブル上にお揃ひ遊ばしたといふわけか……。 最近読んだ坂口安吾の「敬語論」からの一節を引用する。≪言葉の向上を望むなら、教養の向上を望む以外に手はない≫。安吾は、敬語の用法が間違つてゐるなどとうるさく言ふな、敬語の使ひ方を間違へてゐるのではなく、それは教養がないからだと言ひたいらいし。さう言はれては身も蓋もない気もするが、その通りだと言ふしかない。おそらく言葉はその使ひ手の読書量や両親祖父母との会話の量とほぼ正比例すらるだらう。そして、そういふ日々の生活が教養の根源であるはずだ。 尤も安吾は安吾らしく、だから教養を高めろなどと説教じみたことは言つてゐない。むしろ、教養など高められるわけはない、それはその時代や社会が既に生み出してしまつたものだ、さう言ひたげである。その通り。政治も国の「品格」も、今ある姿はすべて既に我々自身が生み出してしまつたといふしかない。さて、どうしたものか。この記事を読んだ方、それぞれどうお考へだらう。 さらに安吾から引用する。≪言葉というものは、それが使用されているうちは、そこにイノチがあるものだ≫ これも、その通り、といふほかない。さらに、≪言葉の方に文法を動かして行く力がある。言葉とはもともとそういうもので、文法があって言葉ができたワケではなく、言葉があって、文法ができたのである≫といふ。だから、安吾は、をかしな敬語にケチをつけても仕方がない。まず先に言葉が存在し、しかもその元は教養だと言ふのである。 安吾が生きてゐたら、上の誤用にもやはり、問題は教養さ、ケチを付けてそれが直るわけではないのさ、さう嘯くに違ひない。さはさりながら。私は安吾を墓から引きずり出して聞いてみたくなる、誤用がここまで来ても、安吾さん、あなたは言葉があつて文法ができたと暢気なことを言つてゐてよいと思ひますか?「以上でお揃ひになりましたでせうか」といふ「言葉」に「イノチ」があるとおつしやいますか!? 私は言ふまでもなく、上記の誤用を認めない。いや、認めないといふ言ひ方は止めておかう。嫌いだ、虫唾が走ると言つておく。到底、「これで以上になります」や「以上でお揃ひになりましたでせうか」に文法以前に存在する言葉としての力を認める気にはならない。ここはやはり最初の引用のやうに、教養がないのだ、と高飛車に決めつけておく。 おそらくは、つまり教養を生み出す社会が既に壊れてゐるといふことに他ならず、ここまで考へると、今さら敬語だとか言葉の正しい遣ひ方だとか、云々しても始まらないとも言へる。言葉を伝へる社会的な構造そのものが壊れ、つまり家庭が破壊しつくされ、言葉(文法も)を子供に伝へる母親自体が言葉を操れなくなつてゐる。いやいや、母親の更に上の祖父母の世代から言葉が怪しくなつて来てゐる。つまり戦後の教育を受けた私たち団塊の世代が何事につけ、崩壊の先陣を切つたと考へてよからう。天に唾するといふことか。 敬語がどうの、言葉がどうのといふ以前に革命でも起こして社会そのものを立て直さぬ限りこの国は滅びるのだらう。幸ひなことに右肩上がりの経済は壊れた。軍事的には弱小国であること、間違ひない。外交のセンスは全くない。自国の歴史を顧ない。言葉を大事にしない。要は、何も、ない。ここまでくれば、いや、もう少し落ちれば、後は這ひ上がるか滅亡しかない。さう考へれば気楽なものとは言へないか。滅亡など、とんでもないと、偉さうなことをいふのは誰だ。 昨夜ここまで書いて、チェックしてから今日の昼に更新しやうと思つてゐたのだが、今朝の産経新聞の記事を見て気になつたことを一つ書く。小沢一郎の土地購入疑惑について、小沢記者会見の引用があり、「捜査が継続中で弁護士に一任しているのでこの段階で個別のことを言うのは差し控える」とあり、鳩山首相の言葉も「捜査中という話であれば私から個別の発言は控える」と引用してある。 敬語ではないが、この「個別」といふ言葉が気に食はない。小沢の方は記者からの様々な質問に、それぞれ個々に、別個に回答するのは控へるといふ意味で、一応は間違ひとはいへないかもしれない。だが、鳩山の「個別」はどうか。これも同じ文脈なのかもしれない。しかし、「個別の発言」とはどういふ意味なのだらう。私には両方とも何かを曖昧にごまかすために使はれた言葉としか思へない。政治家がよく使ふ。自民民主に関係なく。 もちろん、昨今の政治家に私は教養を求める気はない、といふより、何も求める気になれない。ほんの些細な言葉遣ひに人間の本質は現れる。国民のためだとか、国民の目線だとか、命を守るとか、友愛とか、嘘も休みやすみ言へ。この国の政治家に一人でもゐないのか、「私は自分が大好きだ、自分が一番可愛い、だから自分が生まれたこの国が大事だ、守る」、さういふ、エゴイズムを正直に吐露する人物を求めても無理か。綺麗事や上辺だけの言葉はもう沢山である。 2010年 01月 07日
語らずに語る。禅問答のやうな言葉だが、昨六日、大阪の文楽劇場の楽屋で住大夫が口にした言葉である。 伽羅先代萩、御殿の段の出を前に楽屋を訪れた知人と私を前にしてのことだ。住大夫が語る前半は、俗に「まま炊き」と呼ばれる。政岡役は、せりふのやりとりといふものはほとんど無く、あつても子供をあやしたり窘めたりするばかりで、子役二人を相手に一人で無言で演ずるのと大差ない、いや、確かに会話はある、かなり喋りはするのだが、喋る言葉とは裏腹の気持ちを現はさなくてはならない。言つて見れば腹ができてゐなければ勤まらない役といはうか。腹芸といふのではない。心の苦悩を言外に語り続ける。 住大夫は「難しい」と一言。それを聞いた時には私は御殿の段全体を考へ、何を難しいといふのか、ぴんとこなかつた。ところが幕が開いてなるほどと思つた。これは難しい。ことに住大夫の声質と八十代半ばになんなんとする大夫ににはつらい役だといふことをまざまざと感じさせられた。老けは一人も無く、立役も出ず、二人の頑是ない子供と現代でいへば三十前後の乳人(めのと)、この三人しか出てこない。 子役の声は甲高くなくてはならず、住大夫は自分の声が向いてゐないことは百も承知。それをともかく息と音遣ひでこなして行く。政岡といふ役は、いはゆる演じどころがないといふのとは大違ひだが、難しい。耐えに耐えなくてはならない。大見えを切れる役でもなければ、泣くことはあつてもおいおいと大仰に泣ける役でもない。徹頭徹尾心の内を押し隠さねばならない役どころである。 この三人のみの場を私が納得して観た(聴いた)ことは殆どない。大抵が押し隠すのではなく、なにも出来ずに段取りだけで終はる、そんな「まま炊き」ばかり観てきた。一度だけ、堪能したのが玉三郎演ずる政岡、これには役の苦悩が切々と伝はり涙が出さうになつた。そして、昨日の住大夫。本人が「難しい」といふのは確かに分かる。確かにその語りは慎重を極める語りと言つたらよいのか、丁寧に丁寧に一つ一つの言葉を紡いて行くやうな語りだつた。平凡だが、私は堪能した。東京であつたなら、もう一度聴きに行く。 さて、ここまでは「余談」。書きたかつたのは冒頭の禅問答について。実はこの言葉を住大夫の口から聞いた時、え、と思つた。そして、偉さうな一言を口にしようと思ひつつ、切掛けを失つたまま話題は十二月博多座での櫻丸切腹の段へと移つてしまつた。 私が住大夫に伝へようとしたのは、同じ経験を私もしてをり、演ずるということは常に「演じずに演ずる」といふことではないかといふ、恐らく言語芸術すべてに共通の問題に思はれるといふことである。 チェーホフ、ことに「白鳥の歌」を二年間に亙つて演出してきて、以前にもましてその感を強くしてゐる。語らずに語る。技巧に走らず、説明的な演技をしない。つまり、造らうとし過ぎないこと。稽古場で私が役者に言ふことはほぼそれに尽きてゐる。オーバーなことはしないでくれ、泣きすぎる、大袈裟大仰。年寄りにしすぎ。どれもこれも、とどのつまりは、何もするなの一言に集約される。 二年間の、東京、ブルガリア、東京、そして地方公演を締めくくつた京都の宿で、白鳥の歌の役者と二人で話した時、どちらからともなくしみじみと口にしたのは、作品が良いときは何もしない方がいいね、といふ一言だつた。その作品に身を委ねることだねと。 それまで、ああでもないかうでもない、もつと年寄りの役作りをしようだの情けないお爺さんにしようだの、あれこれ散々経廻つた後の結論が、わざと造らないといふことであり、これは住大夫の語らずに語ると全く同じことなのだ。そしてこれは福田恆存の演技論「醒めて踊れ」にも通ずる。意識的な技巧に走るなと言つてもよからう。 住大夫は「先代萩」御殿の段の前の竹の間の段で若い太夫たちが、揃ひも揃つて俺が俺がと皆で主役を演ずるやうな語りをするから、人物が分からなくなるとも言つてゐた。実際に聴いてみるとその通りだつた。咲甫大夫がことに酷い。あの八汐といふ素敵な悪党の役を、ただ悪党に仕立てようとこねくり回して、結果は惨憺たる下卑た遣手婆の如き騒々しいだけの、性格の悪いだけの人物にしてしまつてゐた。 演者に必要なのはあくまで、作品の中でその役がどういふ「役回り」なのかを考へることだらう。八汐は自分の「正義」を信じてゐれば、それで十分、後は筋立てが自然に悪の色を浮かび上がらせてくれる。さあ、こんなに悪党なんだぞと演じ、語り、説明すればするほど、役の本質から離れ性根が見えなくなる。結果は、悪党を演じてゐるのではなく、ただ悪党ぶつて見せてゐる演者がゐるだけだ。これがつまり、説明過剰の演技といふわけだ。語り過ぎ、語らうとし過ぎてゐるわけだ。だから語らずに語れ、といふわけだ。 役者や大夫が演じて人物を造形すると思ふからあやまつ。作者が、あるいは作品が役者を動かしてくれることを信ずるところから始めたらよい。受動の中の能動、能動的にみえても受動の立場を失はない舞台造りを目指すこと。語らずに語るとはさういふことだ。そこにしかおそらく演技のリアリズムは見出せないはずである。 かういふ比喩にしてもよい。われわれ人間が言葉を操るのではない。言葉がわれわれを操り育む。人間が歴史を作るのではない。歴史がわれわれを育てる。これらのことが通じない人間とは、もはや私は共に舞台を造る気にはなれない。言葉の本質を分からぬ人と文学についても演劇についても語り合ふ気にはなれない。 2010年 01月 04日
前掲記事を掲載した年末、恆存評論集の第十六巻の再校に目を通してゐた。この巻の中心は「否定の精神」だが、その一節を読んで少々驚いた。驚いたといふのも大袈裟かもしれないが、前掲、前ゝ掲記事を書きながら私が感じてゐたことを、もう一歩先に歩を進めて書いてゐるからだ。 〈ニヒリズム〉と題した短い節である。その一節が妙に腑に落ちる心持がした。「否定の精神」は短い節に題を付し、将棋倒しのやうに次へ次へと主題を変奏してゆく逆説的エッセイの連続で一冊の評論集になつてゐる。したがつて〈ニヒリズム〉の一節も前の一節を受けてゐるので少々分かりにくいかもしれぬが、以下に引用する。 **************************************** 〈ニヒリズム〉 究極において幸福をめざさぬ思想はニヒリズムだ、と。さうにはちがひない。が、それはかういひあらためるべきだ―― ニヒリズムの匂ひのしない思想は幸福を論ずる資格をもたぬ、と。 人生は生きるにあたひしないと身にしみて感ずるときだけ、ぼくはたしかに幸福といふもののまぢかに身を置いたといふことを実感する――きつと、幸福とは、人間があるべきすがたで、あるべき場所に立つたときにしか現れぬものだからにさうゐない。 **************************************** チェーホフに付き合つたこの二年の間、しばしば私の脳裏を去来してゐた言葉の一つが、まさにニヒリズムだつた。しかもニヒリズムを考へながら、空虚な人生といふものを捨てる気も諦める気も私にはこれつぽつちもなかつた。そのことに疑問を持たぬ私も暢気なものかもしれぬが、人生がどれほど意味のないものであつても、生きて行けばよいではないかといふ思ひの方が強かつた。さらにこの〈ニヒリズム〉流に言へば、「生きるにあたひしない」人生を舞台の上に造形しつつ、その造形された姿に限りない愛着を感じてゐた。生きるにあたひしない人生に安らぎさへ見出してゐたわけだ。 つまり、私は限りなく「幸福といふもののまぢかに身を置い」てゐたと確信する。〈ニヒリズム〉の一節を読んだ時、まづそのことに思ひ至つて私は腑に落ちた心持を感じたのであらう。虚無と人生の無意味の先に私は一種の平安を感じてゐるやうに思ふ。だからこそ、チェーホフの作品に安らぎや赦しを感じるのではないか。戯曲の進行とともに切なさと並走する諦めの境地、そしてそれをも超え、日々をただ生きることの充実感さへ味はへる。それはそれで幸福と呼べるのではないか。この種の幸福のなんと純粋なことかとすら思ふ。純粋、つまり恋愛感情に伴ふ幸福感やら家庭の幸福やらとは無縁の、さらにそれより先にある幸福。自分独りの孤絶した幸福。この幸福は間違ひなく孤独に道を通じてゐる―― 「否定の精神」では、〈ニヒリズム〉を受けた次の節が実は〈孤独〉となつてゐて、その出だしは、前節を受けてかう始まる。もう一度、先の引用から続けて読んで頂きたい。 **************************************** 〈孤独〉 人間があるべきすがたで、あるべき場所に立つたとき――それは孤独にゐるといふことにほかならない。 そこでもつとも大事なこと―― ひとはまづ孤独のうちにおのれの不幸を自覚し、しかも究極において、孤独においてしか幸福を発見する道はないと知るのだ。(後略) **************************************** なんといふ逆説と思ふ方もあるだらう。が、逆説でしか言ひ現はせない事柄もある。私が長々と書けば書くほど、否定の精神を否定し恆存を葬り去りかねない、このあたりで長広舌はやめておく。(引用原文は正字) 蛇足。近頃、世の中を眺めて感ずることがある。これは勿論自分を含めて思ふことだが、年齢八掛け説といふのは本当かもしれない。つまり還暦の人間なら六十に八を掛けて四十八歳、まあ、五十歳前後の精神年齢だといふのだ。三十歳の大人のつもりが八を掛けると二十四歳、二十代の半ばといふところ。時代と共に人間が幼稚になり成長が遅くなるといふわけだ。が、どうもこの八掛け説も怪しい今日この頃、精々六掛けがいいところではないか。早い話が、チェーホフと二年越しで付き合つて私が還暦を越えて書いたことを、恆存は六六、三十六過ぎに書いてゐたわけだから……。 2009年 12月 25日
前掲記事(チェーホフに思ふ)は十月に上演したチェーホフの一幕物二作品のパンフレットに書いたものだが、この舞台を観てくれた「正論」の編集者が、駄文を気に入つてくれて、同じテーマでエッセイを書けといふ。これが結構きつかつた。一度それなりに書き上げてしまつたもののバリエーションを新たに書くのは難しい。第一、気が乗らない。さう言つて、他のテーマで書きたいと頼んだが聞き入れられず(?)、何とか書いた。私にしては珍しく何度か手を入れた。以下はこのやうな事情で十一月下旬発売の同誌一月号に掲載されたもの。既に二月号が店頭に並び始めた頃合ひだらう、同じ唄を歌ふ気分で掲載し、最後に更に駄文を付す。 **************************************** 専門は一応英国演劇といふ事にならうが、私は若い頃からチェーホフが好きだつた。いつの頃からか五十歳になつたらチェーホフに挑戦すると決め、必然か偶然か自分でも分らぬが丁度五十になつた年から立て続けに『三人姉妹』と『ワーニャ伯父さん』を劇団昴のために訳した。だが、その時でさへ自分で演出に手を出すのはまだ早い、さう思つて逃げた。 それが、これも偶然か必然か甚だ曖昧なのだが、昨年から二年続けてチェーホフの小品を演出するはめになつた。結果としては、還暦を過ぎて演出したのは間違ひではなかつたと思つてゐる。若ければ若いなりにチェーホフを理解する。歳を取ればその歳相応に理解する。ただ、間違ひなく言へるのは歳を取らぬと分らぬこともあるといふこと。あるいは分つてはゐても、若いうちに演出したり演じたりしても出せぬ味があるといふことだ。 今年は『白鳥の歌』と『タバコの害について』といふ一幕物を組み合はせて上演したが、それはこの二作品に流れる通奏低音が同じ旋律を奏でてゐるからだつた。そのテーマを乱暴に一言で言へば、人生の悲哀あるいは人生の空しさだらう。どちらの主人公も年老いてをり、語られる言葉は、輝かしい青春の思ひ出や夢、過去の栄光や現在の孤独、そんな愚痴ばかりだ。そして、嘗ては「人間だつた」自分、今や「人間らしい姿形を失つてしまつた」自分への空虚な思ひと絶望である。つまり自分の未来にはもう何も残されてゐないといふ索漠たる思ひが舞台に漂ふ。 この二つの戯曲に止まらない。『桜の園』などの主要な作品でも全編を覆つて、終幕に近づくに連れて殊に色濃く、この人生への絶望とそれを無理やりに抑へつけてでも生きて行かうとする人々の姿が描かれる。『ワーニャ伯父さん』でソーニャは「どうしようもない、生きていくしかない!(中略)来る日も来る日も、果てしない夜も、ぢつと我慢して与へられた試練に耐へていきませう」と祈るやうに語り、『三人姉妹』では長女オーリガが遠ざかる軍楽隊の奏でる音を聴きながら「いつか分るときが来るやうな気がする、何のためにあたしたちが生きてゐるのか、何のために苦しむのか」と呟く。チェーホフの作品はいづれも、このやうな切なくなるほど無意味で辛い人生を垣間見せる。にも関はらず、これらの作品は書かれて一世紀余り後の我々にも強く訴へる力を持つてゐる。なぜなのか。 絶望的なまでに人生の深淵を覗いてしまつた登場人物たちが、それでも生きて行かうとする、そのことに、実は我々観客は魅了されてゐるのではないか。英雄の時代は遥か昔のことであり、現代は途轍もないほど愚昧で凡なる人間の世界である。時代も世相も時を経るに従つて脆弱で頼りなく、張り合ひも失はれて行く。それでも私達は生きて行かねばならない。この世に生きる人間は、恐らく一人の例外もなく意味のない人生を送つてゐるのだ。意識的にせよ無意識にせよ、我々はその事をどこかで強く感じてゐる。そこに恐ろしいほどの不安と空虚を感じてゐる。 さういふ私達は、チェーホフの登場人物たちの姿を観て切ない会話を聴いて、人生といふものはどうであれ「生きて行くしかない」ことを直感的に会得し、救はれてゐるのではないか。意味のないちつぽけな人生でも、一日一日を確実に生き抜くことに意味があり、どんなにささやかで凡々たる人生であれ、そのささやかな日々とその積み重ねである一生に愛着すら持つてよいのだといふ安らぎを感じるのではあるまいか。 観客は、日常の現実世界で薄汚れた自分でさへも、登場人物と共にさらに新たな一日を生き延びる事を赦され、明日を生きる力を与へられるのだ。私自身、改めて二年余りチェーホフと付き合つて感じてゐるのは、自分が赦されてあるといふ安堵感と安らぎなのである。つまりは私が自分の晩年を歩み出したといふ事なのだらうか……。 **************************************** 転載は以上。 十月の舞台を観てくれた知人の一人が偶々上のエッセイを目に留め、パンフの原稿との相違についてメールで感想を送つてくれた。曰く、同じ着物が帯や小物でガラッと表情を変へるやうだと。パンフの原稿は演劇論、上記「正論」のエッセイは人生論だとも。自分の書いたものとは言へ、上手い比喩だと感心した。 と、いい気になつて一人結構悦に入つてゐた……が、フと気が付いた。これは褒め言葉なんかぢやない。やんはりと忠告してくれたのだ。原稿料の二重取りは止めろ、と。(尤も、パンフは原稿料無しだから二重取りとも言へないかもしれないが。)美川憲一ではあるまいし、毎年「さそり座の女」で紅白に出るなといふわけか。 こんな他愛のない事を考へてゐる昨日今日だが、(強引に話題を宣伝に移す)麗澤大学から出してゐる父の評論集の続刊が決まつた春頃から、改めて父の書いたものをあれこれ読み直してゐて感じることは、やはり、人間一つ唄しか歌へない(歌はない)といふことである。 昭和十七年に父が支那を旅した日記がある。長くなるので、引用までは出来ないが、そこに書かれた事とまるで同じ情景(状況の描写)が昭和三十年頃の米国滞在中の日記にも出てくる。一方、昭和四十三年に書かれた戯曲「解つてたまるか!」の主題は既に戦前の日記(メモ)にもほぼ同じ形で姿を現す。 文春版の全集に収録してゐない「否定の精神」も今回の続刊に入れることになつたが、六十年ほど前に書かれたこのアフォリズム的評論にしても、父は同じ事を後年よく書いてゐるし、口にしてゐたことにも通ずる。例へば常識に対する絶対的な信頼など。 と、誤魔化して、自分が同じ唄で稼いだ原稿料のことはこの際棚上げにさせて頂く。大した額でもなし……(産経さん、失礼!) さういへば、別の知人が上記のエッセイを読んで、「しかし、チェーホフも読まれなくなつて行くのでせうね、ああ嫌だ」といふメールをくれた。同感である。 2009年 10月 13日
以下は今月の七日から十二日まで上演した「チェーホフ二題」のパンフレットに書いた演出ノートである。そのまま掲載する。 ********************************************* 『タバコの害について』と『白鳥の歌』――どちらの登場人物も年老いてゐる。彼らが口にするのは愚痴であり、泣き言ばかりである。彼らが語る言葉には、何の未来もない。過去の夢、過去の栄光、かつては「人間だつた」はずの(今や「人間らしい姿形を失つてしまつた」)自分、そして、人生に残されたものは何一つなく、もはや人生は終はりを告げようとしてゐる……そんなせりふばかりを観客は聞かされる。この二つの戯曲ばかりではない、チェーホフの四つの代表作も終幕に向つて同じ旋律を奏でてゐる。人生への諦めと生活の空虚とを垣間見せる。一世紀前に書かれたこのやうな希望の見えぬ作品がなぜいつまでも、世界の国々で上演されるのか。 答は思ひのほか容易な気がする。救ひのない人生を舞台上に見せられ――いや、人生といふものの救ひの無さを舞台上に観せつけられた観客は、そのことに拠つて実は救はれてゐるのではないか。 絶望的なまでに人生の空虚を見つめる主人公達が、それを見つめた上で、それでもその日一日を生きていく姿に恐らく私達は救はれ安堵するのではないか。この救はれるといふ感覚こそ、実は演劇の第一のそして最終の存在理由だらう。本来のありやうだらう。 つまり、観客を現実社会の苦悩や煩悶から解き放ち、観客にさらに次なる一日を生きるよすがを与へる。多かれ少なかれ現実に打ち拉がれてゐる観客に、それでも生きるべき一日がある――一日を生き延びる意味があると思はせる。芸術が、中でも演劇芸術が何らかの形でカタルシスを提供するものだとすれば、チェーホフの戯曲が与へてくれるのも、一種のカタルシスと言へるのではないか。ギリシャ悲劇にみるカタルシスほどに「高邁」なものではないかもしれない。死と再生の儀式といふほどに「壮大」なものではないかもしれないが、今日をして死なしめ、新たな一日を迎へる、さういふ意味ではチェーホフも同じと言つたら言ひ過ぎだらうか。 つまり、チェーホフの戯曲に付き合つて、常に感じるのは、日常の現実世界で薄汚れた自分が、客席で登場人物の人生を共に生き、追体験することにより、許されるやうな感覚、如何に虚しくとも生きていくことそのもの、そのこと自体に意味を見出せるといつた感覚ではないか。さらに言へば、生きて行くことに何の意味がなくとも、それでよいのだといふ安堵と、そんな自分のちつぽけな日常と人生に愛着すら持つてよいのだといふ安らぎを感じさせてくれるのではあるまいか。 パセティックではあつても悲惨ではない、悲哀を感じても悲痛とは違ふ、チェーホフの戯曲に我々が感じるのは、何とも言へぬ人間存在への哀しみの眼差しであり、そこに演劇の本質ともいふべき浄化作用を我々は感じてゐるといふのが、チェーホフを追ひかけ始めて十年余りの私の感想である。 2009年 10月 06日
これが日本の首相です。 ![]() ブッシュの前でプレスリーの真似をした小泉より酷い。さすが宇宙人ですな。奥方はさすが「元宝塚女優」。鳩山さん、どういふ気持ちでやつていらつしやるのでせう? 自分のブログを穢したくも無いのだが、産経新聞以外の新聞やテレビでどの程度の方の目に留まつたかが気がかり。見損なつた方のために掲載しておく。まさか肖像権なんて仰らんでせう。更にご覧になりたい方は、2チャンネルかこちらをどうぞ。 そして、もう一度、これが日本の首相です。 2009年 09月 28日
朝日新聞九月十七日の朝刊、つまり鳩山内閣発足翌日の朝刊だが、私は前日十六日ウィーンから帰国の時差ボケ頭で自分が読み間違へてゐるのではないか、それにしても朝日新聞らしくないとしばし唖然としてゐた。時差ボケゆえ、余り読む気にもならず、そのまま保存、数日後に読み直して再び唖然、といふより笑ひ出したといふか腹が立ち出したといふか。 第一面はまさに「鳩山内閣発足」の大見出しで、各新大臣の顔がずらりと並び、ヨイショのオンパレードも、ご祝儀記事だからまぁよいかといつたところなのだが、五面の記事を見て感心するのを通り越して唖然としたのである。 ついこの間まで朝日も含めメディアでは世襲批判の大合唱だつたはずだ。ところがこの五面ときたら、系図まで使つて鳩山氏が如何に華麗なる家系に生まれ、のみならず母系外戚がどれほど「著名」な家柄かを示し、祖父の一郎総理と一緒に写つた写真まで出して、世襲万々歳のごとき様相を呈してゐる。中見出しには<政治家4代「祖父を尊敬」>とまで大きく書いてゐる。 そして、まさか、朝日一流の照れ隠しでもあるまいが、中の記事を読むと一文にかういふのがある。「世襲批判もあるなか、由紀夫氏は家系を隠さず、むしろ前面に押し出してきた」と。さうか、メディアに批判されても自ら前面に押し出せるくらゐ立派で華やかな家系なら世襲も認めちやはうといふのだな。しかも、一方で(それを照れ隠しと言はせて頂いたが)、家系といふものは家計と同じく余り表に出すものではなく「隠す」方がよいと、やつぱり朝日は考へてゐるのだな。 世襲を認めてゐると思はざるを得ないのは、なにしろ一郎首相の親、鳩山和夫(衆院議長・早大校長)から始めて、由紀夫氏の息子のモスクワ大学研究員の紀一郎氏まで、五代に亙っての系図は実に懇切丁寧。大した手の込みやう、念の入れやう、気合の入れ方。 その系図はさらに、一郎首相の弟・秀夫が東京帝大教授で衆院議員であること、その妻の父が菊池大麓東京帝大総長にして文部大臣であること、由紀夫氏の父、威一郎の妻安子の父がブリジストン創業者石橋正二郎で、弟幹一郎がブリジストン会長であり、その妻は三井合名理事長の団琢磨の孫娘に中るといふところまで、しつかりメディアとして我々読者の知る権利を保障してくれてゐる有様だ。 朝日新聞、皮肉のつもりか否か分からぬが、この鳩山家の系図四代目に出てくる由紀夫氏と邦夫氏の肩書きはともかく、お二人の奥方にわざわざ「元宝塚女優」「元タレント」といふ「肩書き」をつけてゐる。皮肉ではなくて、生真面目? どちらとも判断が付けがたい。ここに「元」を付けるなら、すべての故人に「元」を付けて欲しいくらゐだ。 それに、威一郎の奥方が石橋家といふことは知つてゐたが、団家に繋がつたり菊池大麓が出てきたのにはびつくり。さういふ意味では朝日新聞、メディアとしての役割を果たしてゐる? しかし、知らなくともいいことばかりだ。もちろん系図そのものに何の文句を付けるいはれもない。しかし、どうにもいつもの朝日にそぐはない。さうではあるまいか。 皇室の連綿と続く皇統などにいつも否定的で、華麗な家系など軽蔑する態の記事ばかり載せる朝日が(あるいは、少なくともさういふ印象ばかり与へる朝日が)、なにゆゑ民主党総理のこととなると、かうまで古臭ぁ~い日本的な情緒に嵌まり込んでしまふのだらう。からかつてゐるのではない。気持ちが悪いのだ。オジイ様は東大の総長でいらつしやるのよ、奥様は××家の出でいらつしやつて、その何代前には○○社の創業者がいらつしやつて……等とやる権威主義が気持ち悪い。朝日にさういふケがあるとは思ひもよらなかつた。 いや、これは私が迂闊だつた、馬鹿だつた。今後は、朝日も戦後臣籍降下された旧宮家のやんごとなき方々の系図を載せるときも、是非、鳴り物入りでその華々しき肩書きや縁戚の系図を麗々しく書き立てて頂きたい。記事の中で、「世襲批判もあるなか、本人は家系を隠さず、むしろ前面に押し出してきた」とでも一行入れればよろしい。更に、申し上げれば麻生太郎氏「程度」の家系に世襲だなんだと因縁を付けぬがよろしい。朝日新聞、もう少し毅然として下さいな。 こんな与太記事(紙面?)や、四五年前まではホリエモンのやうなまさにどこの馬の骨とも分からぬ人物を持ち上げたり、昔でいへば田中角栄を今太閤と持て囃したりの、その無軌道ぶり節操の無さを見せられては、メディアといふものに信が置けぬと言はれてもしかたなからう。 ただ、それよりも何よりも、実はさういふメディアを信頼する民衆といふ存在が一番手に負へない。メディアに踊らされる、いや、一緒に踊りたがる民衆国民を私は何よりも信用できない。現今の多くの政治家やメディア同様に信用できない。四年前には自民に投票し、今回民主に投票した人々を私は絶対に信用しない。さういふ浅はかな投票行動を軽蔑する。これをポピュリズムと呼ばずして、何と呼ぶのか。 世襲の話を始めたつもりが、やはり、ついつい昨今の日本人の危ふさに思ひが及んでしまふ。それについては時間がある時にまた改めて書くつもりだが、ただ、今の「民主党騒ぎ」がいつまで続くか、それが楽しみだとだけ申し上げておく。ついでに、二年余り前に書いた、この記事にリンクを張つておく。結局、私は前と同じ歌を歌はされてゐるわけだ。 更にまた蛇足で、指摘しておく。温室効果ガスの25%削減問題。あ~ぁ、鳩山さん、本当に国連で言つちやつた……。皆さん、さう、思ひませんでしたか? さう思つた方、さう思つたあなた、そのあなたがもしもこの間の総選挙で民主党に投票したのなら、天に唾するといふ言葉を思ひ出して下さいな。高速道路無料化も、子供手当てだか子育て支援だかも同じことです……。国民に迎合する政治家だけは持ちたくない。 2009年 09月 25日
八月納涼歌舞伎の「お国と五平」といひ、ブルガリアでの「白鳥の歌」といひ、再演の怖さを改めて痛感してゐる。失敗したといふのではないが、初演時に手応えがあり、評判がよければよいほど、私といふ演出家は油断してしまふらしい。そんな経験は以前にもある。今回はその轍を踏むまいと思ひ定めてゐても、決して手抜きをするわけではないのに、何かが変はつてくる。何か尾ひれが付いたり、熱が失せたりしてしまふ。 あるいは、これも舞台の成長なのかもしれないとも思ふのだが、どこか釈然としない。そんな気分を抱へての十月の「白鳥の歌」がどういふ結果になるか、半分ゐなほつて高みの見物を決め込んでゐる。後は、もう役者がやつてくれよとでもいふ気分。もちろん違ふと思ふところは最後まで意見も言ふし、自分の考へに固執もする。(さういふ意味では私はしつこいらしい。) しかし、出演するのは私より一回りも二回りも歳上の役者たちだ、六十の洟垂れ小僧の言ふことなど、ここまで来たら釈迦に説法だらう。あと数回の稽古を残すばかりだが、気持ちよく演じてもらへれば、それでよからうと、そろそろ手綱を放さうかと思つてゐる。 ご興味ある方はこちらを御覧になつて申しこんで頂きたい。小さな小屋なので、日によつては席が取りにくくなるらしい。何のことは無い、宣伝である。 2009年 09月 17日
総選挙直後に離日し、帰国が新政権発足の十六日となる。その間、日本の情報には一切触れる機会がなかった。私は一人勝手に興醒め選挙と名付けて成田を発つたのだが、この半月もどうせ同じことだらう、今これを帰りの機内で書き始めたが、自民も民主も、興醒めなドタバタを相変わらず演じ続けてゐるに違ひない。 四年前の郵政選挙で、いい大人が本気でコイズミコイズミと騒いでゐた。私の周りでも物の分つた大人と思つてゐた知人が、熱に浮かされたやうに構造改革礼賛をしてゐたのを思ひ出す。たつた四年前である。それが、今度は政権交替が合言葉となり、格差社会やら改革の痛みやらが口の端にのぼる。といふより、マスコミがさう騒ぐから、皆その気になる。 郵政選挙で自民が三百議席、政権交替選挙で民主が三百議席。そこまで振れる振り子にはどこか異常なところがあると思ふのが常識ではないのか。マスコミに踊らされてゐる。あるいは選挙が軽んじられて(遊ばれて)ゐる。勿論、小選挙区制の欠陥がある。 山本七平流に言へば、空気――その場その時の気分、雰囲気に浸つて突つ走る。さういへば、マスコミから女子供まで日本が一色に染まつた時は、六十数年前に確かあつたではないか。玉砕を叫んで眦を決し、聖戦を批判すれば非国民と呼ばれ、マスコミが盛んに「戦果」を報道し、結果として、小さき批判の声は誰にも届かなくなる。 郵政選挙の頃からだらうか、いや、もつと前からのやうな気がするが、私は日本がいつか再び、愚かなる「負ける戦争」に突き進む時があるかもしれない、少なくとも英雄(独裁)待望一色にこの国が塗りつぶされる時があるかもしれない、さう危ぶむやうになつた。 二大政党願望など、空念仏の戯言に過ぎまい。要は、郵政だとマスコミが騒げば、わつとばかりに雪崩を打つて郵政郵政と念仏を唱へ、政権交替と「夢」を見せられると、直ぐに飛びつく。もう少し前、バブルの絶頂の頃の「空気」を思ひ出してもよいのかもしれない。あれもまさに「泡」を追ひかけ、過去も顧みなければ未来も予測しない、その瞬間に何かを求めて、虚無を掴むの体たらく。それと同じ事を私達は繰り返してゐはしまいか。郵政にしろ、政権交替にしろ、本当に何かが実現すると思つてゐるのだらうか。泡のやうな夢を追ひかけ、現実(現在)の空しさを誤魔化してゐるだけではないか。 この四年間、二度の選挙を見てゐて、私はこの国があの戦争にのめりこんで行つた姿を、漸くこの目で捉へた気がして、なにやら妙に腑に落ちる気がしてならない。これが私一人の頓珍漢な勘違ひなら有り難いのだが。 蛇足に一言。国民は、自民にせよ民主にせよ、あるいは今の政治家そのものに、本気で何かを託さうといふ気があるのか。一方、政治家は本気で自分が政治家たる能力資格を有してゐると考へてゐるのだらうか。どちらも、この三十年、我が国から失はれたことどもではあるまいか。この六十年余り、殊にこの二十年、日本は堕ち続けてゐる、それがどこで止まるのか、あるいはとめどなく堕ち続けるのか。少なくとも我々はその瀬戸際に立たされてゐる。少なくとも堕ちるところまで堕ちた、それだけは間違ひない、私はさう確信してゐる。(十六日、帰国後補記) 2009年 09月 09日
ウィキペディアにこんな記事が出てゐる。<ブルガリアでは「はい」の意思表示として首を横に振り、「いいえ」として首を縦に振る。近年首振りを国際標準に改めようという動きがある>。 といふことは、世界で首の振り方が異なるたつた一つの国? それは貴重だ、どうか世界標準になど改めないで欲しい。私はあらゆるものについて、グローバル・スタンダードと聞くと眉に唾をする。 ブルガリア公演を一手に引き受けてくれてゐる夫妻に、昨日の食事の折に聞いた話。この首の振り方のそもそもの始まりは……といつても伝説に近い説なのだが、オスマン・トルコに征服された時、喉元に剣を突き付けられて、イスラム教に宗旨替へを迫られた王が、服従にイエスと答へながら頷かうとしたが、頷けば剣が喉に刺さるので、首を左右に振りながらイエスと言つた、以来、世界で唯一(?)首の振り方が普通とは逆の民族が誕生してしまつたとか。 その夫妻の奥方は東京学芸大学の大学院に学び、日本語ぺらぺら、はなはだ知的な美人だが、ロシアで育つたため、祖国ブルガリアに戻つた時、やはり、この首の振り方にかなり戸惑つたとのこと。 話はあちこちするが、今回の「白鳥の歌」等の公演が実現したのは、この夫妻がブルガリア側ですべてを段取つてくれたからなのだが。来てみて舌を巻いてゐる。こちらに着いてから、稽古の間を縫つてプレス・カンファレンスやら、メディアの取材やら、ラジオ・テレヴィへの出演など制作・演出・俳優、合はせて十回を超えるのではないか。二都市でたつた六回の公演に、である。 しかも、その奥方、それらの会見や取材、テレビ出演等の通訳をこなしながら、一幕物三本の字幕の翻訳を、完璧にこなしてくれた。日本人の観客が笑ふタイミングで、ブルガリア語の字幕を見ながらの観客が笑つてゐるのには驚嘆の一語。それが完成したのが初日前夜の徹夜。こちらは頭が上がらない。感服するのは、そのハードスケジュールをこなして、ネを上げない。疲れた顔を少しも見せずに、いつもにこやかに美しい笑顔を見せてくれる。 今までの海外との交流が成功するかしないかは、相手が日本を好きであるか否か、ほとんどそれに掛つてゐたが、今回も同じ感想を持つてゐる。(ブルガリア時間8日21時50分記) 2009年 09月 04日
ブルガリアの首都ソフィアに着いて三日目、異民族のジェスチャーの違ひは承知してゐるつもりだが、戸惑ふのが「はい」と「いいえ」。 エレベーターに乗ろうとして、矢印が上を指してゐるので、確認のつもりで中にゐる人に「上?」と聞くと、にこやかに首を横に振りながら「上」と言ふ。かなりの違和感を感じた。肯定の時に首を横に、否定の時に縦に振るらしい。 ふと考へたのだが、世界各国といふか各民族を調べたら、この縦横の首の振り方と肯定否定の関係はどうなつてゐるのだらう。どちらが多数派か、あるいは既に何らかの統計があるのかもしれない。ちよつと興味あるところだが。どなたかご存じだらうか。 これから劇場へ行き、いよいよこちらの最後の詰めに入るが、十分な舞台稽古の時間が取れさうもない。ぶつつけ本番を覚悟してゐる。 今後、ブルガリアの旅の日記をアップする時間が余りあるとも思はれない、書ける時には書くつもりだが、その程度のものと期待なさらないで頂きたい。(ソフィア時間午前十一時過ぎ記) 2009年 07月 27日
この二人の共通項、求めても始まらない。そんなもの初めからありはしない。あるとすれば、こことこちら。ブログ更新を怠つておいて宣伝で申し訳ないが、漸く現代演劇協会のホームページに秋の公演の案内が載つたので、簡単に御紹介。八月の歌舞伎座と九月のブルガリア公演と十月の池袋での公演で、私の頭は谷崎とチェーホフの異質の世界を行つたり来たり、パニック状態。 全て一幕ものだが、四作品となるとかなり混乱する。順序が逆になることは承知で、今月半ばから十月の公演二作品のうちの一作『タバコの害について』の稽古を始めた。四回稽古をして方向だけ掴んだところで歌舞伎の『お国と五平』に頭を切り替へてゐるところ。 八月八日に初日を開けると、ブルガリア向けに、昨年の秋に池袋のシアター・グリーンで上演し好評(?)を博したチェーホフの『ねむい』と『白鳥の歌』の稽古が三週間弱。九月前半にブルガリアはソフィアとスタラ・ザゴラの二都市で上演して来る。字幕スーパー付だが、どこまで向うの観客に通じるか興味津々。 一緒に井上ひさしの『父と暮らせば』を持つて行くが、現代演劇協会が井上作品など!と怒る人が、今の時代にゐるだらうか、これも興味津々。 九月半ばに帰国、五日程休んで十月の稽古に戻り、初日は……上のリンクで確認して下さい、そこまで私の頭のメモリーは容量が大きくなくなつて来てゐる。殆どその日暮らしといふか、精々目前の一週間分くらゐの事しか頭にない。 と、以上、意味ありげなタイトルで中身は宣伝のみで申し訳なし。一つ付け加へると、二年続けてチェーホフの作品を演出をしてみて、今まで自信がなかつた『桜の園』、翻訳も演出もやりたくなつてゐる。ついでに言へば、それを通り越してシェイクスピア回帰が頭の中では始まつてゐる。いつどの作品をどういふ形でやれるか、実現の可能性も含めて模索中、とだけ申上げておく。 宣伝ついでに、麗澤大学から出してゐる福田恆存評論集の続刊が決まつた。全二十巻に別巻一冊といふことで、文春版の全集に未収録のものもかなり収まることになる。戯曲集(文春)の編集・校正と共に先が長く、息切れ状態……? 2009年 05月 17日
先づは「自分を褒めてあげたい」シンドローム――この言葉が流行語大賞になつたのは、無論、有森裕子の復活劇、つまり平成八年(1996)のこと。ただし、有森は正確には「初めて自分で自分を褒めたいと思います」と言つたはずで、自分を褒めて「あげたい」とまで、甘つちよろく生ぬるい言葉は使つてはゐない。いづれにしても――自分で自分を褒める――さう言はれると、勝手にすれば、と言ひ返したくなる。自分のことを活かさうと殺さうと、アンタの勝手だよ、一人で黙つて褒めればいいだらうがといふ気にさせられる。さういふ私がひねているのか。それなら、喜んでひねりまくらう。 多分、このフレーズの流行の頃からだらう、「自分」がやたらに正当化され、大事にされ、世の中に臆面もなくのさばり出した。尤も潜伏期間は、昭和も四十年代半ばから既に三十年くらゐはあつたと思はれる。 そしてお次が「自分探し」シンドローム――探して見つかる自分なら、探さなくとも見つからうものを、と思ふのは私だけか。いやいや、探さなくてはならぬほど自分が気になるとは一体アンタは何様だ? 自分などといふものはありはせぬ、さう腹を括つておくに越したことはない。なぜさう思はないのか気が知れない。 さういへば、「アタシッテ、……ジャナイデスカァ」といふ、何とも押し付けがましい言ひ回しはもう流行らなくなつたのだらうか。テレビをとんと見なくなつた昨今、今でもこの言ひ回しが口癖になつてゐる間抜け面がテレビの世界を席捲してゐるのか知りやうもない。これは「自分探し」の逆を行く、探さなくても分つてゐる自分といふ趣だ。が、アタシといふ自分を自ら売り込む、その何ともいい気な言ひ回しには、簡単に探せる自分を裏返しにした――自分のことはよく分つてゐるといふ自惚れた――自己肯定の悪臭が芬々としてゐる。お前がどうなのかなんぞ、こつちの知つたこつちやないよと、そつぽを向きたくなる、オマヘなんぞに興味はないよ、と。さう、褒めるも、探すも、押し付けるも――どれもこれも、安易なる自己肯定の世界。 時は移つて平成も二十年。今度は更に進化して「自分がいましたシンドローム」が始まる。この数年、あちこちで見かける言ひ回し。勿論お気づきだらう。例えば、「留学先で一人ぼっち、日本に帰りたくなって二週間、フト気が付くと、様々な人種の沢山の友達に囲まれている自分がいました」、と来る。別の例、「主人に愛されていると感じた時、子供に優しくしている自分がいました」とさ。さうかい、さういふアンタがゐたのかい、よかつた、よかつた。 さて、ところで、さう仰るなら、かういふ自分は果たしてゐないのか。「友達に囲まれて楽しげに笑つてゐる時、フト気が付くと孤独で冷酷な自分がゐました」とか、「むづかる幼い我が子をあやして疲れきつた時、隣でいびきをかいてゐる主人の首を、思はず絞めてゐる自分がゐました」なんてのは如何ですか。ついでに、「彼との密かなる逢瀬の後は、主人を優しく迎へ入れてゐる自分がゐました」なんて。 私はふざけてゐるのでもなければ、酔つ払つて書いてゐるのでもない。嫌味を言つてウサ晴らししてゐるのでは、勿論、ない。 「自分がいました」といふ時、さう言つてゐるのは誰なのか。もう一人の自分なのか? 同じ自分なのか? 同じといふ事は論理的にあり得ない。では、同じ自分が新たな別の自分を発見したとしたら、つまり同じ自分ではなくて、別の自分を発見し描写してゐる訳だらう。つまり、もう一人の自分が客観的に見て、よりよき自分とか、成長した自分とかを発見したといふことになる。客体視して、冷静に、新たなる自分をよき存在と褒めてしまふ。 その時、褒めた側、客体視した側の自分は、進歩以前の過去の自分のはずであり、といふことは過去の自分は進歩してゐないといふ前提に、実は立つてゐる。その事は忘れるかこつそり捨て去り、その存在には目をつぶつてゐる。気付かないふりをしている。あるいは本当に気付かないでゐる。気付かないのは愚かといふことだらう。そして、成長したからもう自分はよき存在だと、過去の劣悪なる自分の視点から現在の自分を肯定するのは矛盾だらう。 現在既に成長してゐるのなら、現在の視点で過去を振り返るはずだらうに、それをこの言ひ回しは現在にゐながら、過去と違つた自分を発見したと悦にゐる。いや、かう言つた方が分りやすいかもしれない――過去の劣つた自分から今や優れた自分に生まれ変はりましたと、その成長を寿ぐのだが、過去の自分が劣つてゐたことよりも成長の発見自体を寿いでゐる、欺瞞と文章のごまかし、そこにこの言ひ回しの捩れたやうな、落ち着きの悪さがある。 この種の言ひ回しをする人種は、次の瞬間に一体どんな自分を発見してゐるのか、是非とも聞いてみたい。成長した自分を発見したのだから、いいぢやないか、などと幼稚な反論は止めてくれ。それなら、成長する前の自分を凝視するところから始めるのが筋だ。それでも不服だといふなら―― ――仮にこの言ひ回しをよしとしてみよう。言ひ回し自体のいやらしさは忘れて考へてみよう。さうしてみても、何とも嘘臭さがついてまとふとは思はないか。過去と現在といふ縦軸ではなく、同時存在としての横軸で見るといい。何らかの自分を見つけた自分、即ち背後の自分は、人間として当然のことながら、あらゆる悪や汚れ穢れ狡さ、何もかも背負ひ込んでゐるわけだらう。この、人間の裏面を放り出して「~~な自分がいました」などよく言へたものだといふのが、正常な感覚ではないか。 裏面は全て背後に隠して、どんな自分を見つけても、傍から見ればオメデタイ以外の何ものでもなく、結局アンタの勝手だよ、押し付けるなよ、といふところに戻つて行く。いはば、限りない自己肯定の欺瞞、それが「自分」シンドロームの核心ではないか。だから私は不快に感ずるのだと思ふ。 なので!――私自身にはどんな自分もゐなくて構はぬ。 以上、何十年振りかで「三四郎」を読了した夜、記す。 蛇足ながら、自分探しの果てに益体もない自分を見つけて悦に入つてゐる御仁にお薦めの図書がある。いや、恋だ不倫だ、子育ての悩みの果てに別の自分に逃避する柔な御仁だけではなく、むしろ、生きることのキツさを本当に感じてゐる若者に薦めたい。「ゲド戦記」、ことに第一巻と第三巻。生きて行く事を援けてまではくれないにしても、救つてまではくれないにしても、一度は読むべき作品だ。いや、十代二十代で一度、三十代四十代で、そして老境に差し掛かつてと、三度四度手に取る意味のある図書だと思ふ。 2009年 05月 03日
新型インフルエンザに怯えながらの連休だが、海外からの帰国ラッシュが国内での感染爆発の引鉄になるのだらうか。だが、どうやら豚インフルエンザは鳥インフルエンザと違つて毒性が左程強くないやうだ。死者も世界全体でまだ千にも満たない。日本で三万人死亡したとしても、年間自殺者と同じ数だ。一千万人が死んでも、生き残つてしまふ人はまだ一億を超えてしまふのだし・・・・・・。なに、心配することはない、仮にフェーズ6のパンデミック状態になつたとしても高が知れてゐよう。鳥インフルエンザは空から攻撃してくることテポドン並みだが、渡り豚なぞ聞いた事がない。いつか豚が空を飛んで糞を落とし始めてから慌てだしても、遅すぎはしまい。 実は今、インフルエンザよりも遥かに気にかかる徴候がある。それが、「なので」という言ひ回し。この一二ヶ月の間に蔓延し出した。最初に耳について気になりだしたのが、早くても昨年の暮までは遡らない。(テレビでは半年ほど前から流行り出してゐたらしいが。)この一月程は国内でエピデミック状態に近い。学生も同僚も家族も無意識に使ふ。メールでは特に多用される傾向があるやうだ。 どういふ使はれ方をするかといふと、例へば―――「C学部の偏差値は年々上つてをり、この傾向は、現在の改革を進めていけば更に上昇するものと思はれ、やがてはW大やK大に並ぶこともあり得ます。なので、我々としては今後も一層のカリキュラム改革を……」、「今週は色々と忙しいので週末は自宅で雑用。なので次に会えるのは……」――といつた使はれ方である。 たちの悪いことに、これ、必ずしも誤用とは言へない。単なる言葉の省略に過ぎない。「さういふ事情ですから」「以上のような状況ですので」「といふわけなので」「従って」等を、ちよつと楽して三文字、三音ですましちやはうといふわけだ。メールからインフルエンザ・ウィルスの如く広がつた可能性もある。より短く簡潔にといふ意識が働いたのか。それが会話でも、「以上の通り説明したやうな事情ですから」などと大仰にやるよりは、楽だしィ、親しみも出るじゃん、会議だつて和むかも、なんていふ無意識の省エネ根性が働いて、盛んに使はれるやうになつたのだらう。 だが、言葉はかうして、徐々に気付かぬうちに粗雑なものにされてしまふのだ。一年前には誰も口にしなかつた言ひ回し、テレビに出るしか脳のないバカどものいい加減な「シャベリ」に始まつて、あつといふ間に、茶の間を会議室を席巻し社会に蔓延する。かうして日本語は表現力を弱め失ひ、貧弱な言語へと堕していく。文学もいづれは消滅する。 なので、私はかかる粗雑にして不快なる言ひ回しは金輪際使はないことにしてゐる。ア、しまつた、使つてしまつた。なので、この文章はブログに掲載するのは止めるべきかとも思ふ、が、やはり、一時の流行語には歯止めを掛け、偉さうに、日本語の堕落には警鐘を鳴らしておきたい。流行語と言ふよりは新しい語感の誕生だとのたまふ輩も出てきかねない、だとすればなほさら、このふやけた言ひ回しの抹殺扼殺根絶を提唱したい。従つて、意を決してここに掲載する 2009年 04月 09日
過日、確か民放の番組だつたと思ふが、何の気なしに見てゐて、以来ずつと引つ掛かつてゐることがある。なんといふ番組だか、どういふ流れでそのことに話題が及んだのかは忘れた。雑用に追はれながらの、殆ど「ながらテレビ」の状態だつたから。 その番組でアメリカのどこやらの大学のサークル活動の映像が流れ、学生たちがカラオケに(学内で)興じてゐる。歌つてゐるのは日本のアニメ・ソングで、サークルは日本製アニメ研究会とでもいふものらしい。(学内でカラオケを歌ふサークルがあるのかい、アホらしい、さすがアメリカだね、軽い軽い。日本といふとアニメかコスプレ、これにもウンザリだ、一昔前のフジヤマ・ゲイシャと変らんぢやないか。しかもそれを文化と呼ぶ、何をか況や。さういへば日本のその種の「サブカル」<寒軽!?>に一番夢中なのがフランスらしい、一体どうなつてゐるんだ、この世界は。) と、益体も無い独り言はさておき、そのサークルの学生の発言に、私は空いた口が塞がらなかつた。大略、このやうなことを言つてゐた。「日本のテレビのお笑ひタレントつてオーバー・アクションだよね!」……。この発言が日本人の口から出たものなら、聞き流したところだ。だが、欧米人に、お笑ひタレントであれなんであれ、オーバー・アクションだと言はれたことに、私は、オーバーかもしれないが衝撃を受けた。日本人がオーバーなジェスチャーをするやうになつたのも、元はといへば欧米人の物真似からだらう。 お笑ひタレントにしても、一般人にしても、日本人のアクションあるいはジェスチャーが大仰になつたのはいつ頃からだらう。およそ、物事に大雑把な私には、かういふ時に頼るべき確たるデータは何も無いが、それは平成の二十年やそこらの問題ではあるまい。コント55号? ドリフターズ? いやいや植木等だつてかなりオーバーだつた。 事のついでに、女性が大口開けてガハガハと笑ふやうになつたのはいつの頃からか? 公私の場を弁へなくなつたのはいつの頃からか? 女性だけでレストランなり居酒屋なりで酒を呑み、辺りを憚らず大声で喋る風景を我々が何とも思はなくなつたのは、いつの頃からか? テレビの世界にも始めはオーバーなジェスチャーなどありはしなかつた。今や、お笑ひタレントのみならず、それを真似した子供が大人になり、さらに子供を産んで、既に二代に亙る再生産、オーバーなジェスチャーを奇矯とも思はぬ社会を生み出してゐる。一例を挙げれば、子供にカメラを向けてみるがいい。大学生に至るまで、一斉に手を挙げてピースサイン、何やらロボットでも見てゐる気になる。この十年余り、ことに酷い、目に余る。 一方、同時に、かうも言へる。テレビが普及して間もなく、気が付いてみると、お笑ひが茶の間に忍び込み(たとへば、トニー・谷)、それは際限もなく堕落し、やがて芸でも芸能でもない下卑た笑ひの世界へと堕して行つた。恐らくその堕落に十年も掛かつてはゐないはずだ。その後は一気呵成、今どのチャンネルを見ても、似たり寄つたりの間抜け面が大口開けて、オーバーに手をバタバタ叩いて、面白くもない仲間内の、ギャグにもならぬギャグに自分達だけで面白がつて金を稼いでゐる。そのギャラは、疑ひもなく我々の消費によつて購はれてゐるのだが。 話はあちこちに飛ぶが、かつて西洋に倣つた新劇が、そのオーバーなジェスチャーを揶揄されたのはいつの頃だらう。それに反発するやうにリアリズムと称して、限りなく等身大のチマチマしたつまらぬ「演技」へと傾斜する「舞台人」が現れ、一方で児戯に類する跳んだりはねたり喚いたりの、これまた異質なオーバー・アクションがエネルギーを感じさせてくれると観客を思ひこませたのは、いつからだらう。いやいや、この種の舞台は今でも主流か。 ともあれ、少なくとも昭和の三十年代には、あるいは四十年代の半ばまでは、日常の世界では、日本人は遥かに遠慮がちであり、いはゆるオーバーなジェスチャーからは遠く隔たつた存在ではなかつたか。その挙措も言葉遣ひも穏やかで品があつた。一言で言へば未だ戦前が残つてゐた。つまり、明治大正が厳として残存してゐた。明治の生まれの人が矍鑠としてをり、大正生まれの人々が社会を引つ張つてゐた。芥川の『手巾』(ハンケチ)の世界がまだ身の回りに生きてゐた。感情を面に出さぬ事が美しいと思はれ、楚々たる佇まひがよしとされてゐた。そこに何の疑ひの余地もなく、社会がさういふ世界を当然のこととしてゐた。 そして、かつては欧米の事象を先進のものと「憧れ」真似した日本人が、今や欧米の人間から、オーバーなアクションと言はれて、面白がられるまでに、そのジェスチャーは異常な発展を遂げたらしい。コスプレが「クール」なものと持て囃され、パリで人気になるまで日本の「文化」は進化を遂げ――いやいや、文化の概念をいとも軽々と覆し、さらにマンガやコスプレが「学問」の対象とまでなり「大学」の研究対象にすらなり得る御時世が来てゐるらしい。 マネをした オーバーアクション マネをされ……と、川柳にもならぬ軽口を叩きたくなる。日本の芸能も日本人の資質も、どこまで坂を転がり落ちるのか。いや、落ちて行くのも構ひやしない、もしも落ち続けてゐることに気が付いてゐるのなら……。 政治の世界も同じことだ。だが、政治家の愚劣を口にするな。与野党を問はず現今の政治家の愚昧な浮き足立つた言動は、笑つて済ませられるものではあるまい。からかひ軽蔑して済ませられるものではあるまい。それは何も政治家だけのことではないではないか。政治家を嗤ひ侮蔑する時、忘れてはならない、我々も同じオーバー(大仰)で大雑把で貧弱で粗雑な世界に生きてゐることを。我々は、ああいふ姿に――お笑ひ芸人の姿に、政治家の姿に、己が姿の投影を見る筈だ。 かつて、誰かが人間は変らない、ギリシアの昔から変らないと述べてゐるのを読んだ記憶がある。が、それは違ふ気がする。人間は劣化する。際限なく劣化する。明治から大正へ、戦前から戦後へ、昭和から平成へ。どう考へても、日本人は顔付き一つとつても弛緩し、弱々しくなつてゐるのではないか。ジェスチャーやアクションがオーバーになつた分、中身は空疎になつた、それだけは確かではないか。 2009年 03月 22日
今日の報道で多くの方はご存じだらうが、私の住む大磯にある吉田茂邸が全焼した。放火か失火か分らぬが、家人は早朝の異様なサイレンの音に不安を覚えたらしい。横浜に住む知人が八時過ぎにニュースで知り電話をして来て、家人はこの「大事」を知つたとか。一方、朝の四時近くに就寝の私は白河夜船、「大事」を全く知らずに昼近くに起き、その事実を聞かされ茫然とした。 伊藤博文の別荘蒼浪閣(明治憲法起草の間といはれる一室がある)と共に吉田邸はいはば町の象徴であり、といふより、私にとつても生活の一部に溶け込んでゐる風景だつた。大隈重信の別荘、今は古河電工の所有管理になる住宅、西園寺邸など、この大磯にはいまだ明治以来の文化財が存在し、生活の中に息づいてゐる。以前には白洲正子の実家樺山邸もあれば、加藤高明首相の屋敷もあり、佐賀鍋島家の別荘もつい近年まで残されてゐた。 さういふ歴史を背負つた建築物があるといふ事だけでも心愉しきことだ。島崎藤村が住み、後に高田保が住んだ家も、今は藤村邸として公開されてゐる。私が幼年期を過した家の斜向かいにあり、幼き頃遊んでもらつた高田保の家が藤村の住んだものと知つたのは後年のことだが、その家も蒼浪閣も吉田邸も私にとつては一度は足を踏み入れその「場」を体験し、その記憶と共に生きてきたものであり、焼失の報せに、かなり動揺したと言つてもよい。 私の産まれた建物は、当時両親が間借りしてゐた山下汽船の別荘(山下別荘と呼んでゐた)、そこから引つ越したのは私の乳児期であり、これは記憶に残つてゐないが、この別荘もその後、火事で焼失した。その時の衝撃も今懐かしさと共に思ひ出される。ついでに言へば今私の住んでゐる家の向ひにある家も古く、先々代團十郎が夏の間、滞在した部屋もある。 ところで、吉田茂の功罪はなかなか簡単には言へぬが、戦後の復興に関する功績は幾ら言葉を費やしても足りぬと同時に、経済最優先・再軍備後回しは幾ら悔いても足りぬ失策と私は思ふ。戦後六十年を閲して、ソマリア沖の海賊対策にああだかうだと愚にも付かぬ論議が戦はされ、自衛隊がいつまでも軍隊足りえぬ、両手両足を縛られた武器無き戦闘集団たらざるを得ない、さらに、さういふ政治家とその政治家を選ぶ国民を育て上げてしまつたこの国の姿、これらは吉田の失策の結果と言つてよいだらう。 吉田邸焼失。今、暮れなずむ大磯の自宅にゐて、吉田邸がもはや存在しないこと、やがて、その美しい庭園も(県が現在の所有者の西武鉄道から家屋と共に購入して管理すると言はれてはゐたが)、今後どうなるか分つたものではないことを思ふにつけ、寂寥とした寂漠とした気持ちに捉はれる。失つて漸く、その存在がいかに自分の心の、自分の存在の一部になつてゐたか気が付く。防ぎやうがなかつたことなのか、それは私には分らない。ただ、現在は失はれた事を残念と思ふ、無念と思ふ。悔やまれてならない。 牽強付会と言はれるかもしれぬが、吉田邸焼失に衝撃を受けた瞬間、もう一つ考へた事が皇室のことだつた。消滅し、失はれて初めてその存在の意味を味はふ。喪失の悔恨を味はう。皇室も恐らくさういふものではあるまいか。理屈ではない。抛つて置いても、どこかに存在すると安心しきつてゐる、あるいはその存在の意味を日常考へてもみないもの、私にとつての吉田邸同様すつかり忘れてゐるもの、それがある日、存在を已める。その時、慌てて如何なる対策が取れるのか。 我々が、今、本気で対処しなくてはならぬ懸案、しかも、小泉の皇室典範改正問題で一時期盛り上がつたものの、秋篠宮家の親王誕生によりどこかワザとのやうにマスコミが話題にしなくなつたこの問題を、我々はもう一度、失つてしまふ前に熟考すべきではないか。吉田邸が失はれても、あるいは、いつの日か桂離宮が法隆寺が焼失しても、確かに日本人、日本の国は生き続けるのだらう、喪失感を秘めたままに。そして、いつの日か不在に馴れる。それでもよい、失つてしまつたものはどうしやうもないではないか。さうは思ふ。が、失はずに済むものなら、失ひたくはない、失はないやう最善の手立てを講じるべきではないのか、建造物の如き文化財にしても、皇室といふ日本の文化そのものにしても。 2008年 12月 02日
舞台の仕事をして、いつも感ずることだが、一つの舞台の稽古をして本番を済ませると季節が一つ先へ進んでゐる。秋を満喫しつつの稽古に入り、本番が終つてみると冬が近づいてゐる。その間、新聞にも眼を通しインターネットで日々のニュースを追ひはするものの、頭は、例へば今回ならチェーホフ一色である。 麻生首相の失言や漢字の誤読も田母神論文問題も、頭の片隅をかすめて通り過ぎて行く。医者に関する麻生首相の発言は、私としては首相の言はんとしたことは理解できる気がするが、その表現は余りにも雑駁であり、医師会が文句を付けるのもよく分る。 「未曾有」や「措置」の読み間違ひについては、一国の宰相として恥かしくないのか、いや、国民として自国の宰相がこれではお恥かしい、呆れかへる他はないとだけ言つておく。ただし、では「未曾有」をまともに読める日本人、その意味を把握している日本人、今までにこの言葉を使つた事のある日本人がどれ程ゐるのか、それも気にかかる。 で、本題に入る。今日の朝刊(産経・朝日)に麻生内閣支持率の急落が報じられてゐるが、その原因がこれらの失言問題なのか、誤読問題なのか、あるいは定額給付金や金融危機への対応への不安にあるのか、どうにも判然としない。これら諸々が総体として支持率を押し下げたことはありうる。 だが私は、むしろ田母神論文に原因があるのではないかといふ気がしてならない。安倍や麻生に対する支持には、一時的に無党派層にシフトした元来自民支持の保守層がかなりゐるはずで、その人々は田母神氏の意見には恐らく大筋賛成であつたはずだ。当然、麻生首相が「村山談話」から距離を置いて、田母神氏を守る事を期待したはずだ。 ところが事は全く逆の方向へと動いた。自衛隊の最高責任者の立場にある首相が、自衛隊員の「監督、教育のあり方について再発防止、再教育」を参院外交防衛委員会(十一月十三日)で言明し、防衛相も追随する形で自衛官の発言活動はおろか思想統制にまで及びかねない発言をしてゐる。(秋葉原の事件ではあるまいし、「再発防止」はないだらうが) この事が保守層の麻生内閣への失望を呼び起こして、支持率急落に結びついたのではないかといふ気がする。なんだ、麻生も村山談話に縛られてゐるのか、といふ思ひが麻生への期待を急速にしぼませたのではないか。あの、なんだか乱暴な口を利くけど威勢のよさ、明るさは悪くないな、と感じてゐた人々の期待をしぼませたのではないか。これでは、加藤紘一や古賀誠と同じではないかといふ思ひが保守層に広がつた事は否めまい。 以上、簡単に朝刊を見ての雑感を手短に書き付けておく。 蛇足ながら、田母神氏、空幕長ともあらう者が、懸賞論文に応募するなど、恥かしくないのだらうか。東大や京大の学長が懸賞論文に応募するのと大差ないと言つたら喩へが悪いだらうか。あるいはかう言つた方がよいのか――さうする以外に彼には自分の意見を表明する場所が無かつたのか。いはゆる、オピニオン誌は氏に原稿依頼することは思ひつかなかつたのか。だとすると、その編集者達はアンテナの張り方が足りないのではあるまいか。氏の論文に大いに賛成するだけに、発表の方法が気になつてゐる。まさか、保守系ジャーナリズムがこの種の思考に及び腰になるほど軟弱だとは思へない。やはりアンテナ不足か? (三日午前一時過ぎに一部補足) ******************************* 前掲記事の舞台、一応、まあまあの出来と自画自賛しておく。お出で下さつた方々がそれぞれに何かを感じて下されば、それでよしとしたい。お出でいただいた方にはお礼申し上げる。 それにしても、チェーホフは素晴らしい。「普通」の人間、底辺に生きる人々への暖かな眼差しが私は好きだ。そして、この一年程の間、飛び飛びではあつても「白鳥の歌」を通して、人生について、生きることについて(つまり死ぬことについて)考へ続けられたのは、私にとつて無上の幸福だつた。どんな世の中であれ、どんな人生であれ、どれ程惨めな日常であれ、生きるに値するのだとチェーホフは、語り続けたに違ひない。小品とはいへ、その作品二つに一年付き合へただけでも、私の人生も生きるに値すると考へておかう。 なお福田恆存戯曲全集は書店に並び始めたはずである。「ゲン」を担いだわけでもないが、評論集と共に、第一回配本は父の祥月命日を発売日としてゐる。劇作家としての福田恆存が、息子の私は甚だ好きなのだが、読者の皆さん、福田ファンはどう捉へるのであらうか、興味あるところではある。 |
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