2015年 01月 25日

イスラム国、人質事件~~後藤健二氏へ

唐突に久しぶりに書く。というか、フェイスブックに書いたものをコピーしておく。

You Tubeのこの画像と音声が真実であり、音声が後藤健二氏のものであるという前提(仮定)に立って書く――

 後藤氏に借問する。あなたは「彼らの要求はより簡単になった。彼らは今も公平だ。彼らは金を求めていない。だからテロリストに資金を渡す心配をする必要はない」という。では、日本国民の税金を使わなければ、何の「損害」もないから、「助けてくれ」と仰るのか? ならば聞く、一つ、「自己の責任」でかの地に赴くと言ったのはだれか? 一つ、テロリスト、サジダ・アル・リシャウィの釈放は次なるテロの犠牲者を生みはしないか?また、サジダ・アル・リシャウィによって既に犠牲になった、あるいはなり得た犠牲者やその家族のことを、考えたことはおありか? ついでに、「安倍、あなたは遥菜を殺した」とは正気の沙汰の発言か?

 勿論、すべてはイスラム国の脅迫により「言わされて」いるのだろう。が、改めて借問する、「自己の責任」で取った行動の結果は一人で引き受けよ。家族へのメッセージも出国前にしておくべきだった。自国の総理に向かって「アベ」と呼びかけるのも、私には不快である。たとえ、時の総理が「菅」だろうが「鳩」だろうが、自分の命乞いという世にも恥ずかしき行為に及ぶ時、自国の総理を再三にわたって呼び捨てにするのは見苦しい。尤も、これも「言わされている」のかもしれないが、それにしてもである。そう、言わされているとしたなら、「拒否」するのが「自己責任」である。

 「自己責任」という言葉を使う限り、日本人なら、「もののふ」の心を持ち、弁えを知るべきであろう。家族への呼びかけを聞く限り、「自己」どころか自分の家族への「責任」も背負っていないではないか。それらを切り捨てて出かけたのではないのか。だから「自己の責任」と言ったのではないのか。言葉を軽々しく使うな。

 一言、安倍総理へ――ヨルダンを通して、人質解放を策しているのだろうが、それは間違っている。身代金に応じる以上の誤りだろう。サジダ・アル・リシャウィが釈放され、後藤健二が救われたとしても、サジダ・アル・リシャウィによる次なるテロで犠牲者が出てもよいのか。この要求に応じたら、新たな犠牲者とその家族たちの悲劇は際限なく続く。その連鎖を断ち切れ。テロに屈するなとは、そこまで意味している。諜報力を含めた外交・軍事力を我々は常時備えること、そして、今回は交渉に応じず、人質を殺害された英・米二か国に学ぶべきことが多々あるだろう。
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# by dokudankoji | 2015-01-25 18:00 | 雑感 | Trackback
2013年 07月 23日

現代演劇協会創立五十周年記念公演と協会の解散のお報せ

 落ち着いて協会解散のお報せを書くつもりでゐた。残念ながら時間に追はれてゐる。協会の五十周年記念公演といへば聞こえがよいが、作品を決めた一昨年には既に解散への「ロードマップ」が頭の中にあつた。にもかかはらず、昨年など福田恆存生誕百年記念公演などと仰々しいことを、かなりの後ろめたさを感じつつしでかした。お許しあれ。いずれにせよ、協会は、九月の公演が最後の活動となり、十一月の末に解散される。お世話になつた方々、お力添え下さつた方々に、御礼申し上げる。

 五十周年記念が「解散記念公演」になるわけだが、作品はノエル・カワードのいはば遺作、彼が最後にロンドンの舞台に立つたもの。彼自身、この作品が自分の「白鳥の歌」だと日記に記してゐる。協会の解散に、そしてまた、私自身の取敢へずのけぢめの作品には打つて付けとかなり気に入つてゐる。ぜひ、ご覧いただきたい。日時は、協会のホームページを

 以下、知人友人に送付した公演の案内状を以下に張り付けておく。

**************************************

拝啓

 酷暑の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。日頃のご無沙汰お許し下さい。
さて、秋口に上演する舞台のご案内です。同封のチラシの通り九月四日から八日まで、現代演劇協会の創立五十周年を記念してささやかな舞台をお見せ致します。ぜひ皆様にお出かけ頂きたく、ご案内申し上げる次第です。
 三百人劇場を売却し、財団、劇団、制作・演劇学校と分社化してからは、当協会としてはほぼ一年に一作品のペースで上演を続けて参りました。チェーホフと福田恆存の戯曲に続いて、今年は二十世紀の英国が生んだ天才ノエル・カワードの一幕の秀作を上演致します。カワードがその晩年、自分の人気が衰へた折、俳優として自分自身もう一度ロンドンのウエスト・エンドの劇場に立ちたいと願つて書いた三部作中の最後の作品、恐らくは作者の心情を最も直截に描いてゐるシリアスな戯曲です。人生の終末を迎へた男が、自分の死に立ち向かふ姿、神や信仰に頼らずに生き抜かうとする姿は明らかにカワード自身の投影と思はれます。カワード自身、日記にこれは自分の「白鳥の歌」だと書いてゐますが、大人の芝居と呼ぶにふさはしい、お芝居好きの方には存分に堪能していただける科白劇です。
 ところで、協会の創立五十周年記念とご案内申し上げましたが、実はこの公演が当協会にとりまして最後の公演になります。本年暮れに現代演劇協会を閉ぢるのも、これはいはば私の役回りかと、さう思ひ定めて父親の仕事を受け継いだといふところが半ば以上の真実でもあります。長いやうで短い時間でした。協会の歴史の半分以上の責を負ふのが私であつたことの善し悪しは、近々に発行する協会の五十年誌を見れば自づと明らかと申せませう。いづれにしましても、長い歳月、様々な形で当協会を支へて下さつた皆様に、ご案内と共に、かうして協会解散のお知らせを致しますこと、忸怩たる思ひなきにしもあらずと申し上げるほかありません。
 私個人は、今後もいろいろな形で演劇の世界に携はり続けるつもりであることは申すまでもありませんが、今後かうした形で自ら企画上演をすることはないと存じます。今は、取り敢へず今回の舞台を私の「白鳥の歌」としておきませう。今後いつかういふ形で翻訳作品や演出のご案内をお送りできるか心もとないのも事実です。ぜひぜひ一人でも多くの皆様に「最後の」舞台をご覧いただければ幸ひに存じます。
                                                   敬具
     平成二十五年七月吉日

  皆々様
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# by dokudankoji | 2013-07-23 23:46 | 雑感 | Trackback | Comments(4)
2013年 07月 01日

ノエル・カワード最後の戯曲

 9月4日~8日、シアターグリーンにてノエル・カワードの最後の戯曲を上演します。私の訳・演出。実はこれを訳したのがちょうど30年前。30代半ばでよくまあこんな大人の芝居を訳す気になつたと半ばあきれ半ば感心してゐる次第。今ならよくわかるのだが……当時どこまで分かつてゐたのか? ただ、当時の幻の配役まで記憶にあるから、かなり本気だつたのだらう。

 もちろん、今回かなり訳し直してゐるが……日時等はこちらを
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# by dokudankoji | 2013-07-01 00:25 | 雑感 | Trackback | Comments(3)
2013年 03月 29日

英語よりも大事なもの~国語、文学、国史

≪……いい文章を書くといふことが、いい政治をするといふことと同様に、あるいはそれ以上に、人間の未来にとつていかに大切であるかを、あなた方は知らないのです。政治が悪ければ国が亡ぶとは考へても、一国の文学が亡びれば、また国が亡ぶとは考へない。政治家も啓蒙家も、もうすこし文章といふものに想ひをひそめていただきたいとおもひます。よく考へてみてください。文学者の政治的な無智と、政治家、あるいは啓蒙家たちの文学的な無智とどちらがひどいか。が、世人は文学者の政治に対する無智は世を誤るもののやうにおもひながら、政治家の文学にたいする無理解は大したことではないと考へてゐる。それは現代日本の文学者にろくな作品がないといふのではなく、文学そのものの人生における効用を知らないからです。ぼくにとつては、そのはうが由々しき問題です。ぼくはむしろさういふ世間にたいして、文学の効用を説くことこそ、文学者の社会的な責任のひとつだと考へてをります……(福田恆存「文学者の政治的責任」より引用、原文正漢字)≫

 机の上を片付けていて、上の文章のコピーを見つけた。英語教育の底上げやTOEFLも頭から否定するつもりはない。が、保守政権なら、国語こそ国を民族を保守する根幹であることを知れ。理数系の学生に国語教育を! 小学生からの日本史(国史)と国語教育こそが、この国を守る。
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# by dokudankoji | 2013-03-29 23:06 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2013年 03月 12日

フェイスブックより転載~安全などない

 暫く前から私も評議員の末席を汚してゐる国家基本問題研究所が会員向けに「今週の直言」をネット配信してゐる。それをほぼ毎週フェイスブックで発信しているが、昨日上げたものをそのままここに掲載する。
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 国家基本問題研究会「今週の直言」~~櫻井よしこ理事長による。後段の自然との関係において「絶対的安全」などないといふ発言、賛同。自然との関係とまで言ふ必要もない。この世の中に「絶対」はない。この単純明快な事実を3・11を機にもう一度考へてみることだ。従つて、再び想定外のことは起こるし、100年もすれば、我々の子孫は震災も津波も忘れ果て、フクシマとヒロシマを混同することだらう。

 さういへば、思ひ出した。一年ほど前京都の小さなバー(バーの老舗と言つてもいい)で客が私一人の時、90近い創業者の女将が大震災(原発事故)につて言つた言葉に唖然とした。「イヤどすなぁ、京都は福井がすぐそこ。原爆、怖いどすぇ」。年寄りゆゑの無知と決めつけてはなるまい。世の中といふものは、その程度であり、下手をすればフェイスブック上にもそのレベルの発言がゴミのように漂つてゐるのだらう。
 
 以下、「直言」を張り付ける。

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【第184回】                                       平成25年3月11日
≪理性的な震災復興策で国民に勇気を ≫

国基研理事長
櫻井よしこ

 東日本大震災から丸二年が過ぎた。あのとき私たちは、日本人は自己の利益よりも他者への思い遣りを優先し、究極の困難の中で助け合う、礼儀正しく忍耐強く、真の勇気を持つ人々であると、国際社会から高い評価を受けた。いま私たちは、その賞讃に値する国民であるのかが厳しく問われている。

●放射能への過度の恐れ
 岩手、宮城、福島3県の復旧・復興は遅々として進んでいない。主因の一つが、3県平均で全体の3分の1にとどまる瓦礫処理の遅れである。全国約1800の自治体の内、瓦礫を引き受けたのはわずか75にとどまる。非協力の主たる理由が根拠のない放射能への恐れで、それは瓦礫処理のみならず、3県とりわけ福島県産農産物の風評被害となって復興を妨げている。
 国際放射線防護委員会(ICRP)の基準では、緊急事態から回復に向かう状況下での放射線許容量は、年間20~1㍉シーベルト(SV)だ。にも拘わらず、福島では、恰も1㍉SVが安全基準値であるかのように受け止められている。塩分の摂りすぎ、野菜不足、受動喫煙がなんと100~200㍉SVに相当する害であることを考えれば、1㍉SVに拘るのは愚かであり、1㍉SVの壁ゆえに古里への帰還が進まず、古里再建もままならない悪循環こそ断ち切らなければならない。
 人々が戻らないもう一つの理由が避難生活を支える援助である。被災者支援が重要なのは言うまでもない。しかし、働いて得られるよりはるかに多額の援助が避難生活者に配られ続ける結果、あらゆる意味でよき働き者だった東北の人々が、怠惰へと流れつつあるのが現実がある。彼らを忍耐強さと自主独立の精神から引き剥し、他力依存へと誘導したのが政府の安易な迎合策だ。

●失政を象徴する巨大防潮堤
 政府の施策は復興に関しておよそ全ての面で間違っていたが、そのことを象徴するかのように、いま東北の形が根底から変わりつつある。美しい海の恵みに祝福されてきた3県各地に、高さ数メートルから十数メートルの巨大なコンクリートの防潮堤が築かれつつある。1000年に一度の巨大地震と巨大津波から地域を守るためだそうだ。
 よしんば無機質な髙壁が幾ばくかの安心感を与えるとしても、人々は朝な夕なに眺め暮らした海から断絶され、東北の地で育まれた感性、風土、文化の多くが失われていくだろう。
 自然との関係で絶対的に安心なものなど存在しない。古来、日本人はそのことを知っており、自然を畏怖しつつその中に抱かれて生きてきた。いま目につくのは、畏怖を超えた無闇なる恐れである。政府はこうした状況でこそ、恐れすぎることや愚かな思い込みが敗北を導くことを国民に語り、理性と科学を反映した新しい再建策を示し、人々の心に困難に立ち向かう勇気を呼び起こさなければならない。         (了)
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# by dokudankoji | 2013-03-12 16:25 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 01日

「約束の日」~安倍晋三試論

 暮れになり漸く出来た時間に手に取つたのが「約束の日」といふ新刊。あつといふ間に読める引き込まれかた。

 著者の小川榮太郎氏とは旧知の間柄といふか、20年近く前にあるきつかけで知遇を得て後、いつも同人誌を送つて下さつた。文藝評論、音楽評論が専門の博学多識。世に出ることより、真理を究めることが氏の身上と思つてゐた。

 しかし、壊れ行く我が国の行く末を憂へた末、安倍晋三試論を世に問うた。
 
  一日も早く文藝・音楽の世界に戻つて静かな世界に棲みたい小川氏渾身の政治家論・日本論。読み始めると止められない文章、練達。テンポとリズムが良い。

 まだ手に取つてゐない方にはお勧めする。安倍がただの政治家・政治屋でもなければ、「右」でもない、この日本を愛してやまぬ謂はば本物のまつとうな日本人であること、しかも自分が歴史から課せられた使命を知つてしまつた男だといふことがよく分かる。

 ついでに「安倍の葬式」を出すのが朝日新聞の「社是」だそうである。今回の第二次安倍内閣を早速潰しに掛かつてゐるのは皆さまご存じ、政治家を葬るのが社是であるメディアを、私たちはメディアと認めてよいのか。

 必読と申し上げておく。Kindle版も出てゐる。
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# by dokudankoji | 2013-01-01 23:55 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 12月 12日

自民党圧勝ですか?~~選挙報道の怪

 この数日といふか選挙に突入して以来、マスコミ各社が流す予測には多くの方々が疑問もしくは違和感を抱いてゐるのではあるまいか。自民・公明の圧勝、民主の激減、第三極の伸び悩み(自滅)。どの報道も世論調査と称して、このやうな傾向を指摘してゐる。

 私個人は民主主義を否定するものではないから、次善の策として(つまり最善はあり得ない。それは、想定外を想定することが論理的に不可能なのと同じくらゐ自明のことだから)、次善の期待としては安倍自民が政権政党になること望む。

 序でに言へば、そこで政界再編が小規模といへども生じて、自民が公明を切り捨て(民主が日教組や自治労を切ることと同じ)、必ず起こるはずの日本維新の会のゴタゴタ(分裂)に乗じてその一部を取り込むことになれば、かなり最善に近い。それ以上の「真正保守」の結集といふ最善は、起こるとしても想定外(あり得ないでせう)。従つてそこまでは私も期待しないが、ほんの少しでも骨のある政権政党の誕生を望むし、それには安倍が総理になるしかない、教育・軍備・外交・経済・憲法改正等々、あらゆる面でせめて安倍自民に期待するしかないと考へてゐる。

 といふわけで、冒頭の各メディアの世論調査や報道の結果は、取敢へず私には「満足」なはずであるのだが。しかし、この種の報道を目にする度に、そんなに自民が圧勝するか、するならその要因はなにかと訝つてしまふ。民主党への幻滅と第三極の合従連衡とも呼べないやうな、醜悪な選挙互助行動に国民がしらけた目を向けてゐるといふ解説も成り立つのだらうか。

 私には、それほどこの国の今といふ時代にまともな民意があるとは信じられない。民主党に一度任せてみて目が醒めたと、もつともらしいことをいふ御仁も多くみられるが、私はさういふ人物を信じない。任せてみたこと自体既にそれらの人々の浮薄は極めつき、目が醒めてもほぼ間違いなくそれらの票は未来永劫浮動票に過ぎない。

 それらの票が今回、ワッと自民圧勝への投票行動に結びつくなら、そのこと自体憂慮すべきことで、何度も言つて来たが、それらの票は、郵政民営化・政権交代のキャッチフレーズに乗せられた時同様、選挙後一年も経たぬうちに、再び、今度は「自民党に勝たせ過ぎた」といふフワッとした民意を形成するだらう。そんな民意が一番恐ろしい。無定見といふ言葉にぴつたり。それはやがて、右であれ左であれフワッとした英雄待望・全体主義に流れる。(小泉進次郎や橋下徹の一時の人気を思ひだすとよい。)

 以上の浮動票的投票行動への私の危惧とは別に、同じくらゐ恐ろしいのは、今の各メディアの世論調査が、恣意的なものだとしたらといふ可能性である。これはフェイスブックなどのネット上では、既に多くの保守的な人々、つまり自民シンパがほぼ100%疑つて掛かつてゐる。いはゆる「負け
犬効果」を狙つて、メディアが自民に勝たせないために、日本人の判官贔屓を当て込んで、殆ど売国的な民主党や日本未来の党に肩入れしてゐるのだらうといふ見方。これはこれで、その可能性があることは十分予想が付く、これこそ想定内の話かもしれない。しかし、それはそれで、日本のメディアの衰退といふ嘆かはしい現実に我々が直面してゐる事にもなる。これも恐ろしい光景と言はねばならない。

 以上、分析でも何でもなく、私がこの一週間余り感じてゐる違和感を書きつけたまでなのだが、自民公明圧勝の予測が事実になるのであれば、私はその結果に対しては一応の快哉を叫ぶことにする。だが、それが浮動する民意の結果に過ぎないといふ点においては、限りなく憂鬱になるだらうといふこと。

 もしも、自民が200議席強で終はり、民主が100議席は維持したとすれば、現在の報道が如何に恣意的であるか又は分析能力がないか、といふことになり、やはりメディアの衰退を憂慮せねばならず、報道通りの結果が出たとすれば、民意の浮動を歎かねばならない。どちらにしても、再起不能のこの国の姿を反映してゐるやうな気がしてならないと、私は結局憂鬱になるわけだ。

 最後にもう一点、郵政民営化・政権交代の二回の選挙と、今回の自民圧勝の予測がその通りの結果が産まれたとするなら、一刻も早く小選挙区制の是非を我々は問ふべきであらう。死に票が多過ぎる。そして三度に亙つてお祭り選挙をしてゐては、この国は三等国になり下がるだけだ。ま、格差が無くなり、国民のほぼ9割が貧乏人といふのも、それはそれで悪くはないが。
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# by dokudankoji | 2012-12-12 17:25 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 12月 10日

「絶対」と「孤独」――幕の降りたあとに 

 まづは現代演劇協会主催公演『明暗』にお出で下さつた方々に御礼申し上げる。とはいへ、このブログを訪れる方でお出で頂けたのはごく限られた方だらうと思ひ、公演のパンフレットに書いた「演出ノート」をここに載せておく。会場にお出での方を前提にしてはゐるが、そのまま掲載。(なほ、これを書いたのは十一月の六日の夜と記憶する。)以下、転載。

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 この「明暗」といふ戯曲を私は今までに何度読んだことだらう。上演の可能性を探るため、あるいは文藝春秋社から刊行された福田恆存戯曲全集編纂に携はつた時、この三十年ほどの間に折に触れて読んだが、今回の上演に関る以前に、既におそらく十回を超えてゐるのではないか。

 そして、「詩劇」と銘打たれたこの作品に紡がれてゐる言葉の美しさ、逞しさ、繊細なそして時に凝りに凝つた言ひ回しに、いつも心惹かれ、酔はされた。俳優に挑戦してくる、まるで日本語を破壊しかねないフレージングと、いつか格闘してみたいと漠然とだが思つてゐた。従つてこの生誕百年記念に何を取り上げるか考へた時、私は躊躇ふことなくこの作品を選んだ。選んで、夏前に稽古の準備に入り本格的に読み直し、正直慌てた。自分の頭の中にほぼ組み立てられてゐると思ひこんでゐた構図の陰に何かが見え隠れする。そのちらつきが気になりだして、私は戸惑ひ混乱した。考へてゐた以上に曖昧な科白も多い。そこからの私の格闘はさておいて――

 この戯曲を観客の前に提示する時、作り手の私たちがまづもつて留意すべきことは、この戯曲のサスペンス劇としての側面を絶対に失つてはならないといふことだらう。起承転結を踏まへた四幕の構成の鮮やかさも印象付けられねばならないし、スリリングな筋の運びに、いささかの遅滞があつても舞台は失敗する。潔癖と言つてよいほど完璧な科白術と演技、リズムとテンポ、それらが劇的サスペンスを支へて運ぶ。それを生の役者の肉体を通して具体化しなくてはならない――

 今もし幕の開く前にこれをお読みなら、ここまででこの雑文を読むのをお止めになつて、取敢へずはサスペンス劇とその物語の展開に身を委ね、存分に楽しんでて頂くのも一法かもしれない。後は幕の閉じた後、帰宅の途次あるいは帰宅なさつてから、読んで頂いた方が良いかもしれない。

 さう、戯曲の主題だとか作者の意図などは、実は「観劇」といふ行為とは無縁だ、恐らく福田恆存自身がさう考へてゐるに違ひない。私もまた、芝居を観るのにテーマだ主題だと、野暮なことは言ひなさんなと思つてゐるし、さういふ近代以降の「トリヴィアリズム」も「教養主義」も好きにはなれない。が、この作品を本気で読み込みだすと、サスペンス的な構成だけでは、舞台を造り上げる芯が足りず、そこに福田恆存がおそらく生涯抱へてゐた最大のテーマを読み取らざるを得なくなつたといふのが、この夏以来の私の戸惑ひなのだ。お前、気が付くのが遅いと言はれるかもしれぬが、十六年前の劇団昴による再演の舞台にも、その主題の問題はちらとも感じ取れなかつた。文学座の初演がどうであつたのかは知る由もない。が、実は、私はそれすらも疑つてゐる。

 さて、では作者がこの戯曲を書く時、何を考へてゐたのか、主題に据えたものは何か。キーワードは「道徳」。さらに言へば、「日本人の道徳観を支へ、その道徳を要請=強要してくるものは何か」といふテーマを恆存は考へてゐるのだ。昭和二十八年からの一年に亙る米英滞在と、殊に英国でのシェイクスピア劇体験が恆存に与へた影響はここではおそらく計り知れないものとならう。シェイクスピア劇に立ち現れる無数の背徳、それを描いたカトリック的なシェイクスピア――恆存は考へる、西欧の世界、キリスト教の世界には、人々に道徳を要請=強要する背後に、つまり、物事の是非善悪を規定する背後に神が存在する、と。では、日本人に背徳と道徳の別を要請するのは世間態なのか法律なのか、日本人にとつて西欧の神に代はるものは存在するのか、と(玉川大学出版部刊『福田恆存対談・座談集』第七巻収録の「現代人の可能性」参照)。

 確かに、日本民族は西洋的な意味での信仰も宗教も持たない。さうだとすると、我々の道徳心はどこから来るのか、世間態や法律などは持ち出す意味すらなからう。「明暗」の主題とは関連のないところでだが、恆存は「いつそのこと日本はキリスト教(信仰)も持ち込んでしまへばよかつた」とも言ひ、また晩年「最近は汎神論のことを考えたい」と言つてゐたともいふ。疑ひもなく恆存は自己存在の根底に据ゑるべき宗教を探し求めてゐたと言つてよからう。

 これらのことを頭において「明暗」を読み返すと、「罰の下らぬ世界」とか「なにもいはなかつた女のうへに下された罰」といつた科白が気になり始める。過去が現在を規定する世界の、その過去の出来事が現在を破滅させるといふ構図が、背徳に対して下される罰を浮かび上がらせる。不義密通を犯した人々がすべて劇中で死ぬ。いや、犯した人々のうち、それを罪と感じた人々には死が待ち受けてゐる。そして、幕切れでは、その背徳を黙つて見てゐるばかりで何も言へず行動もできなかつた杉子と祥枝は現在に立ち竦み、過去の沈黙へと遡及する。一方、背徳の世界に反逆した洋子にも未来が開けてゐるわけではない、あるとすれば、現在の自分の孤独のみであらう。

 神を求めるものは自己を神の前に晒さざるを得ぬ、従つて孤独に直面する。耐へる耐へられぬという言葉の埒外にある孤独のみが孤独と呼ぶに値するのだらうが、この孤独こそがおそらく「明暗」の作者が生涯抱へてゐたものに違ひない。幕切れの洋子に作者の姿を思ひ浮かべるのは演出家の読み込み過ぎだらうか。

 日本人の道徳の背後にあるのは何か、作者が抱いたこの疑問は平成の時代を生きる私たちが抱へてゐる命題でもあるのではないか。そこに、絶対を見てしまつた時、我々は恆存と同じ孤独を見据ゑずにはゐられないのではないのか。
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# by dokudankoji | 2012-12-10 22:49 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 11月 16日

芝居の稽古~「明暗」余録

 芝居の稽古をしてゐると、いつも同じ思ひに駆られる。ひと山越えてあそこが頂上と思つて、そこまでたどり着くとさらに先に峰が聳えてゐる。いつも同じである。そこで昨年の「堅塁奪取」から、役者や他のスタッフはさておいて、自分の中で初日を一週間くらい前倒しで設定する。

 今回の「明暗」でも同じ作業をしてゐる。従つて俳優の生理を無視して稽古初日から結論を急ぐ。俳優との間に齟齬が起こることもなくはないが、あくまでダッシュする。役者たちがそれに乗つてくれればしめたもの、最後の十日か一週間は余裕で短い稽古時間で切り上げる。明日(金曜日)は稽古休み。その後、計8回の稽古場での稽古がある。私は、この8日間はいはば余禄のつもりでゐる。

 もちろん、完璧はあり得ぬわけだから、恐らく他人の目には隙だらけなのだらう。しかし、性格だらうか、この稽古の進め方、私には向いてゐるやうだ。明後日からはせいぜい緻密な細かい手直しに入るつもり。観に来て下さる方に、なんだ口ほどにもない、と思はれぬやう、余禄の8日間を余禄以上のものにしてみたいと、切に思つてゐる。ただ、演出家にはどうにも手の貸しやうのない範疇といふものがある。これも配役したのはこちら。その範疇も含め出来不出来は私の責任だらう。
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# by dokudankoji | 2012-11-16 00:56 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 11月 03日

「明暗」~稽古たけなは

 現代演劇協会公演「明暗」の稽古に入つたのが10月の半ば、稽古の三分の一以上を読み合はせに充てるといふ、いはば前代未聞の稽古の進め方で、「文化」の日に合はせたわけではないが、大雑把な立ち稽古(粗立ち)に今日入つた。

 読みこんだだけのことはある。セリフがほぼ入つてゐるので、稽古がすらすらと進む。役者も演出のこちらもストレスがない。お互ひに遠慮なく疑問点を提示し、修正して行く。いざとなつたら、あと一週間で初日を開けても、何とかなる気配。細かなところまで緻密な舞台を造りたい。

 昭和30年に書かれたこの作品、古いと思わはれるか、難しいと言はれるか、演出が、はたまた俳優がダメだと言はれるか。私自身興味津々。主題は……いや、これはここには書かない。来て下さる方に先に解答を見せるのは、ある意味卑怯と思ふ。尤も、主題を頭で理解していただくより、劇場では、サスペンス劇を存分に楽しんで頂きたい。テーマだ意図だと小難しいことは、後から付いて来ることだと考へてゐる。

 稽古初日には半時間ほどかけて出演者に、作品のl主題や構造の説明はした。が、それが舞台に絵に描いたように出てしまつたら、娯楽としての演劇の失敗。あくまで主題は背景に引き下がらせる。役者やスタッフが創造する背後にある主題は、いはば背骨。観客の皆さんには血肉をお目に掛けたい。

 ぜひ、お出かけ下さい。11月28日から12月2日まで、新宿南口の紀伊国屋サザンシアターにて。
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# by dokudankoji | 2012-11-03 23:10 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 10月 02日

前掲記事~御礼~追記

 一昨日の紀伊国屋サザンシアターでのイベントの内、第二部のパネルディスカッション「いま、福田恆存から考えること」が、11月1日発売の月刊誌「正論」12月号に掲載されます。お出でになれなかった皆様も是非、誌上にてご覧いただければ幸いです。
 冒頭にトンチンカンなヤジがあったのですが、多分この「珍妙な」ヤジは、残念ながら掲載されないと思います、それを楽しめたのは当日お出で頂いた方だけということでお許しあれ(笑)
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# by dokudankoji | 2012-10-02 15:39 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 10月 02日

御礼

 昨日(9月30日)の福田恆存生誕100年のイベント、台風の迫る中、230名あまりの方がお出で下さいました。本当に有難うございます。

 山田太一さんの講演は悠然とした語り口で(おつき合ひはない)恆存像を彷彿とさせる、まさに良き読者と思はせるお話でした。

 第二部のパネルディスカッションは、パネリストがさしたる打ち合わせもせずに行つたにも拘らず、恆存における「絶対」や「神と道徳」「宗教哲学者として」等々、符牒の合つて、かなり纏まつた対話が続きました。(私がそこに嚙み合へたか否かは聴衆の皆さまの判断にゆだねます。)

 報告するには長過ぎる内容、これにて失礼します。お出かけ下さつた方々への御礼までに。
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# by dokudankoji | 2012-10-02 02:25 | 雑感 | Trackback | Comments(3)
2012年 09月 20日

お知らせ~「福田恆存とその時代」

 すっかり更新が間遠になり恐縮の限り。今日のお知らせはフェイス・ブックやツイッターではかなり周知できたと思ふのですが、こちらに出すのが遅れました。

 9月30日、新宿紀伊国屋サザンシアター(新宿駅南口)にて、標題の講演・パネル・ディスカッションを催します。玉川大学から刊行中の「福田恆存対談・座談集」刊行記念と生誕100年を兼ねたものです。大正元年の生まれですから、生誕100年といふ事は、明治が終つて100年といふ事を意味する、つい最近、そのことに思ひ至り、感慨深いといふか、明治天皇、乃木将軍没後100年でもあること、これはそのこと自体、我々が一度考へなくてはならぬ問題と思つた次第。

 さて、当日のスケジュール。
13:30~16:00
第一部 講演 「福田恆存を読む」 山田太一
第二部 パネル・ディスカッション 「いま、福田恆存から考えること」
     遠藤浩一・新保祐司・中島岳志・福田 逸 

料金:1500円

 当日券は、残念ながら、十分ありさうです。政治の世界や世界情勢ほどにも劇的な変化は起こらないでせうから。

 詳細、電話予約等はこちらをご覧ください

 一人でも多くの御参加をお待ち申し上げます。

 なお、いずれ告知しますが、現代演劇協会の『明暗』の公演も、同じ劇場で11月下旬からです。こちらも何とぞよろしく。
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# by dokudankoji | 2012-09-20 00:23 | 雑感 | Trackback | Comments(4)
2012年 08月 08日

上方の言葉に思ふ

 政治家と文化・芸術について書いた7月31日の記事に「くゎんさい人」さんから≪住大夫師匠は、「が」と「ぐゎ」の発音を区別できる、純粋上方弁の遣い手としても人間国宝なんです。早くお元気になりますように。≫といふコメントを頂いたので、こちらに移して簡単に書く。

 福田恆存が確か『私の國語教室』の中で、かう言ふことを書いてゐた。「新仮名遣い」が決められた時、上方の知人が、≪なぜ「扇ぐ」を「アオグ」と書かなくてはいけないのか、なぜ「アフグ」と書いてはいけないのか、私は実際に「アフグ」と言つてゐるのに≫と歎いてゐたと。

 新仮名を違和感なく使つてゐる皆さんに、ここで一先づ立ち止まつて考へて頂きたい。フとオの表記の違ひだけではない。扇子でアフグ行為を「アオグ」と表記し、「扇」は「オオギ」と表記する。これが現代仮名遣ひだが、「フ」・「オ」の問題だけではなく、同じ語なのに品詞が変ると、最初の一音が「ア」から「オ」に変つてしまふことにお気づきだらうか。名詞の時は「オ」で、動詞になると「ア」になるのはドウシテか説明できる方はゐるのだらうか。(目が「潤む」のが、名詞になったら目の「ウルミ」ではなく「オルミ」とでもするやうなもの。名詞の「扇」も書き言葉としてアフギと書いて、発音する時は音便が生じ「オオギ・オーギ」に似た発音をするだけのことで、地方によつてはそのままアフギ・アフグと発音するといふことである。)

 今でも住大夫師匠ならずとも、上方にはこの種の語感は残つてゐる。実は八月の初めに大阪の文楽劇場へ行つた。師匠が休演になる前に切符を買つてあり新幹線も予約してあつたので、三味線野澤錦糸や住大夫の弟子達に会つて話しを聞いて来ようと思つたこともあり、大阪まで行つたら京都に寄る癖がつき、宿も取つてあつたからだが、住大夫休演の文楽の味気なさを存分に味ははせてもらつた。橋下徹のお陰と思つてゐる。同時に、やはり、文楽協会がその役割を果たしてゐないことも確かで、住大夫の病の発端が協会にもあることを確信した次第だが、これは横道。

 さて、京都に移動して、馴染みのHといふ祇園の「飲み屋」(「お茶屋」ではないのでかう書いておく)に行つた。ここの主人が芸達者といふか、祇園の名物男、三味線を弾きながら都々逸・小唄・端唄に清元、義太夫から、歌舞伎のセリフまで何でもござれ。事実、歌舞伎の役者や芸者たちが教へを乞ひに来るほどの腕前なのだが、たまたまその日、上七軒(五花街の一つ)の料理屋の旦那が二人連れで、芸者を二人伴つてやつて来た。

 その旦那の一人に店の主人Hが端唄「青柳」を催促、その旦那が「青柳ぃの~」と唄ひ始めた途端に、Hが三味線の手を止めてかう言つた。≪「アオヤギ」ぢやない、「アヲ」(「アウォ」)。「アオ」ゆうたら「あほ」に聞こえる。≫件の旦那、不愉快な顔一つ見せず「アヲヤギノ」と唄ひ直してゐた。つまり、京都にはまだ、本来の発音が残つてをり、青は「アヲ」と発音するのが当然と考へる人々がゐるといふことだ。(もちろん歴史的仮名遣ひでは青は「アヲ」と書く。)

 仮名遣ひとは単に表記法の問題ではない。今なほ、発音の問題としても考へなくてはならないといふ例が目の前にある、そのことに私は驚くといふか感動に近い思ひを抱いた。店の主人も客の旦那も、仮名遣ひのことなど毛ほども頭に浮かんでゐないだらう。ただ、正しい姿、本来の姿はどうかといふ基準が物事にはあるのだといふ常識があるだけであらう。直す主人が主人なら、受けて学ぶ旦那も旦那、見上げたものと感心して、さほど上手くはないその端唄に聴き惚れた。

 ちよいと、「粋」な話をお読みいただいたが、後は蘊蓄。「青柳」には端唄のほかに小唄でも「青柳の糸より」といふものがある。両方の歌詞を上げておく。端唄は「青柳の影に 誰やらゐるわいな 人ぢやござんせぬ 朧月夜の え~影法師」、この後、色々な替へ歌がある。小唄の方は―― 

 青柳の糸より 胸のむすぼれて
 もつれてとけぬ 恋のなぞ
 三日月ならぬ酔月の
 うちの敷居も高くなり
 女心のつきつめた
 思案のほかの無分別
 大川端へ流す浮名え~

 こちらの方は、明治に実際にあつた事件が元になつてゐる。その頃、評判の刃傷沙汰、この事件をもとに幾つかの戯曲が書かれた。川口松太郎も昭和十年に『明治一代女』といふ芝居を新派のために書いてゐる。

 ある遊女が、成り行きで恨んだ男(遊女の惚れた歌舞伎役者の付き人)に、(その付き人が持ち主になつてしまつた)自分の勤めてゐた茶屋(酔月楼といつた)に出入りを禁じられ、その男を大川端で出刃包丁で刺した。「うちの敷居も高くなり」とは出入り禁止のこと、「つきつめた」は包丁で突き刺したこと、と解して読むと小唄の情緒も増すだらう。
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# by dokudankoji | 2012-08-08 20:52 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 07月 31日

政治家と芸術~橋下と文楽

 橋下徹の文楽批判を苦々しい思ひで眺めてゐる。と書くと傍観してゐると思はれるだらうが、個人的感情を剥き出しにして申し上げれば傍観どころではない。どう控へ目に書いても、この二週間余り私ははらわたの煮えくりかへる思ひで過ごしてゐる。いふまでもなく、文楽義太夫の住大夫を病の床へと追ひやつた大阪市長の言動に対して、そしてその無神経と厚顔無恥と文楽といふ芸能(ひいては芸術一般への)無知に対してである。しかも、今日また三味線の鶴澤清治が胃潰瘍のため休演、入院手術に追ひ込まれた。文楽伎芸員に橋下が掛けた心理的負担がどれほどのものか、改めて思ひ知らされた。

 実は、私は今回の問題は文楽の方にも問題(責任でではない)はあると思つてゐたし、いまなほ、さう考へてゐる。文楽の組織がどうなつてゐるか、詳しいことはこちらのブログ及びそこに言及されてゐる諸氏の文章に譲る。一言で言へば、仮に橋下の言ひ分に一分の理があるとして、それに対応すべきは文楽協会=いはば文楽の事務方である。およそ、芸能の世界といふもの、芸人を守り「操る」、いはゆるマネージャー的存在が必要であり、文楽の場合なら文楽協会がその立場にゐるべきだらう。

 それが、あのごたごたの最中に責任逃れか知らぬが事務局の枢要な立場にある人物が辞任してしまつてゐる。(この時期、橋下はその種の機構自体を知らなかつたのではないか。)そして、橋下が盛んに伎芸員を相手に伝統芸能の世界で慢心してゐると批判し続けた。普段、芸の世界以外のことなど頭にない「芸人」が、急に矢面に立たされた。目を白黒させるのは当たり前、それをまた、あしき事のやうに橋下は批判する。いはく、客を呼べないのは伎芸員(の芸?)に魅力がないからだ。いはく、新しいことをやらないからだ、歌舞伎の勘三郎を見習へ。いはく、「三谷文楽」を大阪でもやればいい。いはく、人形遣ひが顔を出すのは邪魔だ。いはく、「『曾根崎心中』の脚本は昭和30年に作られたそうだが……開いた口がふさがらないとだけ言つておく。

 私は二十年余り新歌舞伎・新作歌舞伎の演出もしてゐる、住大夫の義太夫が聴きたくて、大阪はおろか博多までも毎年暮れに「追つかけ」をしてゐる。勿論私は歌舞伎の世界の人間でもなければ文楽の世界の人間でもない。さうであつても、歌舞伎と文楽の違ひは一目瞭然。同じ近松を「上演」するにしても、歌舞伎には歌舞伎の文楽には文楽型があり、特質があり、限界がある。

 文楽と比較して持ち上げられた勘三郎こそいい迷惑だらう。きつと心の中で、かう呟いてゐよう、「文楽があつての歌舞伎なんだがなぁ、文楽の丸本(つまり義太夫)あつての歌舞伎、文楽の義太夫がゐなかつたら、今の歌舞伎はなかつたらうに。橋下さん、人間が芝居するのと、決まつたかたちの頭(かしら)が幾つかあるだけの人形を操る芸能と、一緒にしちゃあ、困るよ。橋下さん、知つてゐるのかぃ、そもそも、文楽は見るものではなくて聴くものなんだがねぇ」。

 伎芸員が努力してない? 勉強不足? 慢心してゐる? なるほど、さうかもしれない。ならば、橋下徹、その証拠を見せよ。何年か前のことだが、東京では文楽の公演のない月のこと、歌舞伎座に来てゐる人形遣ひの桐竹勘十郎を目にしたことがある。私は驚いた、文楽の人形遣ひが、歌舞伎の役者の演技を勉強に来てゐるとは! 逆はあつて当然。歌舞伎役者は勘十郎や蓑助の遣ふ人形の姿を動きを脳裏に刻んでおくことだ、丸本物をやるときに必ず役に立つ。

 橋下に訊きたい、あなたは、歌舞伎の演目の一部に(あるいは演じ方に)「人形振り」と言ふものがあるのをご存じか? 江戸の近松が書いた『曽根崎心中』を昭和三十年に書かれたと、コッパズカシイことを宣はつたさうだが、その『曽根崎』で、縁下に潜んだ手代・徳兵衛が縁先から降ろした女郎お初の足に頬ずりする場面はご覧になられたのだらうか(7月26日に観に行つたと言ふが)? この『曽根崎心中』を歌舞伎でご覧になつたことはお有りか? どちらをどうお感じになつたか? その辺りの感想も言へぬとしたら、橋下よ、あなたには文楽を語る資格はない。

 この場は、何度観ても、誰が演者であらうとも、私は文楽の方が遥かに勝つてゐると感じる。単に私一人の感想であることは、その通りである。さうであつたも私は私の感想が「正しい」ことを体中の細胞の一つ一つで感じてゐる。

 お初が心中の覚悟を足の先で縁下の徳兵衛に伝へ、徳兵衛もそれに頬ずりで応ずる。人間が(歌舞伎が)人形に敵はぬのは、生身の人間の「限界」といへばよからう。生身の人間が演ずると、下手をすれば下品になる。いやらしくすらなりかねない。ところが、人形でこの場を観ると、可愛らしさ、さらに、死なねばならぬ男女の切なさを感じる。ほろりとさせられる場面だ。

 もしも、文化芸術に口を出し、手を突つ込むなら、政治家はせめてこの程度の「感性」を持つてゐて欲しい。橋下が「尊敬」してゐるらしい小泉純一郎レベルの男でも、オペラ好きと言ふ。自分が観たこともない芸能について、その組織形態も知らぬ、歴史も知らぬ、興味を持つたこともなかつた人間が、一度見て分かつたやうな、聞いた風な口をきくものではない。そんな人間が唐突に市長になつて、大阪に三百年以上生き続け、さらに生き延びやうと苦心してゐる芸能集団に向かつて、何が言へるといふのか。

 私は大学生の頃文楽を数回観て、何が面白いのかさつぱり分からず、その後は全くみなかつた。全くつまらなかつた。いまにして思へば、その頃は義太夫も人形遣ひも錚々たる人々が揃つてゐた。その後、言ひやうによつては衰退の一途を辿つて来たとも言ひ得る。それは、丁度日本の政治家の質が衰退の一途を辿つて来たのと軌を一にする。さう、時代なのである。そして、あへて、言ふ、歌舞伎にも実は全く同じことが言へる。勘三郎を引き合ひに出す橋下は、勘三郎の功罪をお分かりだらうか。そして、しかもなほ、勘三郎の古典歌舞伎の凄みをご存じだらうか。

 簡単な事だ、橋下はかう言へばよかつただけのことだ。大阪市の財政が苦しい。立て直すために大ナタを振るう。しかし、財政復活の折には苦しませた分野に手厚い財政の出動を考へる、それまで耐へてくれ、さう言ふだけでは、なぜいけなかつたのか。なにゆゑ、あたかも自らを貶めるがごとき、チンピラ風の、居丈高な口を利かなくてはならないのか。政治家にも品性は、いや政治家にこそ品性が求められる。

 大学生の頃私は文楽を観てつまらなくて見なくなったと言つた。では、なぜこれだけ文楽を擁護しようとするのか。それは外でもない、住大夫の存在あればこそだからだ。十数年前、NHKのドキュメンタリーでその姿を観て以来のことだ。当時七十台を越えた住大夫が、引退した兄弟子越路大夫のもとに稽古に通い、叱られつつも必死に食らひつく姿、七十を越えた「老人」が八十を越えて引退した人物のもとに通つて必死の稽古を積む、そのことに私はただただ心を打たれた。もう一度、文楽を観てみようと思つた。

 そこから、ほぼすべての住大夫の義太夫を聴きに、そして今は亡き玉男の遣ふ人形の凛然たる姿を追ひかけ続けた。これをここまで読んで下さつた皆さん、考へても頂きたい、普通なら、六十なり七十なりで、人は老後の生活を送る。その歳を越えてなほ必死で自分の芸を磨かうとする精神に、畏れを感じないだらうか。住大夫といふ、さういふ人物がゐる世界を、社会を、集団を、私は簡単に否定する気にはなれない。

 その後、知遇を得て、住大夫の謙虚な人柄を知れば知るほど、今回の騒動が理解できない。住大夫は、初対面の人に対しても、それが自分より年下であらうがなからうが、細やかな気を遣ふ。私が嘗て劇団経営で苦労してゐた時には、僅かな私の言葉のうちにまさに万事を悟り理解して、労りの言葉を掛けてくれる。さういふ気遣ひをする人間である。

 さういふ気遣ひを周囲にする人物ではあつても、こと文楽の問題となると厳しい。橋下なぞ足許にも及ばぬ厳しさで、私に向かつて文楽の若手の不勉強を批判する。誰よりも、そして本質的に文楽の危機を感じてゐたのは他ならぬ住大夫なのだ。いや、誤解しないで頂きた。かう言ひ替えよう。文楽の若手の不勉強を詰ることができるのは、独り住大夫をおいて他にない。文楽を一度や二度観て、それが分かるとは橋下徹、是非一度お会ひして文楽談義でも演劇芸術についてでもお話したい。

 さて、住大夫が倒れたのは七月の十二日といふ。その四日前に私は電話で彼と話した。橋下の乱暴としか思はれぬ言動に、さぞ疲れてゐはしないかと思つて私から電話したのだが、案の定である。住大夫がいつになく弱音を吐く。こちらが、大変でせうと言ふと、「いや、疲れますわ」と言ふ。「腰が痛うて……」と続くのだが、彼の方がからは愚痴は出ない。「文楽協会がシッカリしてくれないと」といふことは口にした。近鉄の会長(?)の方が奔走してくれてゐるといふことも言つてゐた。が、こちらが橋下の名を挙げて、困つたものだと言つても、彼の口からは橋下批判は一切出なかつた。後は、十日に伎芸員が集まつて対応を相談することになつてゐるといふこと、何とかうまく収まるとよいがとも言つてゐた。

 私は、どうか体だけは大事にしてくれ、無理をしないでくれとといはばお願ひして電話を切つた。そして、後で知つたのだが、その十日の午後、伎芸員の集まりがあり、その夜はその集まりの結果に関しての記者会見があつて住大夫は最長老としてその場に臨んでゐる。大分遅くなつてゐるはずであり、その集まりだけでも、みな疲れて終了した由、記者会見までした住大夫が、その翌々日の朝、脳梗塞に倒れたことを、周囲の人々は当然、橋下の無知と傲岸ゆゑの見当違ひな指弾に神経をすり減らした結果と受け止めてゐる。

 これも後で知つたことだが、あのごたごたの最中、住大夫は帰宅後、夫人や娘が懸案の問題がどうなつてゐるか聞かうとしても、喋りたくないと言つて口を噤むやうになり、家庭では言はばあの騒動については封印された状態だつたといふ。

 ここまでを知ると、どう考へても住大夫は年齢のことはあるとはいへ、今回の騒動の直接の犠牲者ではないか。そして、今日(三十日)報道のあつた鶴澤精治の休演・入院にしても、心労ゆゑの胃潰瘍の悪化と言はざるを得まい。二人とも重要無形文化財、人間国宝である。三百年を超える芸能文化、日本文化の継承者である。さう、二人とも橋下の人気取り政治(ポピュリズム)の犠牲者であり、二人が犠牲者だとすれば、この場合、文楽協会もさることながら、橋下はいはば「加害者」ではないか。

 もしも、住大夫の義太夫を二度と舞台で聴けないとしたら、私も犠牲者の一人であり、日本は取り戻しやうのない財産を失つたことになる。尖閣諸島どころではない、謂はば大阪城の本丸をシナに奪はれたも同断といへよう。

 もう一つ、書いておきたい。殊に「大阪市長」には声を大にして言つておきたい。大阪市長は、大阪を守ることがその大きな役割だと私は考へる。当然だらう。大阪「都」とまで言ひ出す男だ、大阪への相当の愛着もあり、「大阪の人間」としての自負もおありだらう。そこで、かういふ逸話を。住大夫は、暮れの博多に出向いた折、大阪弁は美しい言葉で、自分はそれを大事にしたい、近頃それが随分崩れてゐるのが残念だと言つたといふ。これは博多の人々に博多弁を大事にして下さい、といふメッセージに他ならない。

 この言葉は住大夫の口から耳にたこができるほど、私も聞いてゐる。橋下大阪市長に聞く。大阪を守るあなたは文化としての言葉を、地方の文化の核にある言葉を、大阪弁を美しいままに後世に残さうといふ意思はおありか。あなたが保守か否か、私は知らぬ。石原慎太郎と擦り寄り合ふところを見ると、どうやら、政治的には右派に近い保守とお見受けする。が、しかし。あなたは考へたことがあるか、文化的保守といふことを。それがいかなるものなるべきかは、既に上にしつこく書いた。もう繰り返さぬ。問題は、あなたの中に文化といふ概念がないことに、あなたの最大の欠格、あらゆる意味での欠格条件があるといふことなのだ。

 住大夫の遣ふ大阪弁の美しさは、現今の大阪弁の汚さが耳に障つて大嫌ひな私が保証する。そして、文楽は全て大阪弁で語られる大阪の誇りであつて然るべきなのだ、市長たるものは、そのことを大阪の若者に教へて頂きたいのだが。

 言語文化を大事にしない男が、テレビで売れた程度で逆上せ上つて、自分は頭がいいとばかりに大口叩く、これ程醜悪な姿は鳩山、菅を除いたら他に見たことがない。私の大嫌いな朝日新聞の記者を小馬鹿にした夜郎自大、You Tubeの映像で拝見したが反吐が出る。いや、小悧巧が悧巧だと思つて自信たつぷりな様を見せられるほど不快なことはない。

 最後に、今回はしつこくもう一度書いておく。『曽根崎心中』が江戸時代の作品だと知らず、昭和三十年に書かれた作品云々と記者会見で言つてしまひ、新聞記者に訂正されて初めて事実を知つた。このことだけでも、大阪市長欠格だといふことがお分かりにならぬか。さうか……近松の名前知つてますか、橋下さん? 近松つてどこの人だか知つてゐるかな? 曽根崎つて、どこだか、いや地名だといふこと、知つてゐるのだらうか、橋下さん……。

 妄言多謝、誤字脱字変換ミス陳謝。
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# by dokudankoji | 2012-07-31 00:15 | 雑感 | Trackback | Comments(4)
2012年 07月 18日

恆存対談集・第六巻

 既に店頭に並んでゐるはずだが、第六巻が出た。私の方は、予定を早めて9月に出ることになつた最終巻校了! これで、秋の「明暗」の演出を済ませれば、まぁ、父親の面倒を見るのも十分、いや十分過ぎるだらう。

 その第六巻から、何箇所か気になるところを挙げておく。第一は芥川比呂志との対談で、当時上演した「罪と罰」を話題にしてゐる。芥川がポルフィーリーを演じた。ここでドストエフスキーや「罪と罰」の意図や主題について云々しようといふのではない。恆存の脚色について語るつもりもない。で、早速抜粋――その一。

芥川 ポルフィーリーは原作でも脚色でもそうですけれども、三十五六くらいの男でしょう。ところが、読んでみると、かなり……。
福田 ふけて感ずる。
芥川 ええ、成熟した人間を感じるでしょう。
福田 それはシェイクスピア劇をやるときもそうなんだけれども、日本でも戦前と戦後では違うので、江戸時代なら四十といえば御隠居です。明治時代でも四十といえば成熟した年代でしょう。
芥川 だから時代によって成熟する年齢がずいぶん違うということはありましょうね。
福田 それは一つの文化というものが、よかれあしかれ型をもって成熟している時代には、悪くいえば早くふけやすいし、よくいえば早く大人になれるということでしょう。型がないと、いつまでたってもお小大人にならない、貫禄がつかない。戦後のわれわれの時代というものはそうだし、四十になっても、まだ鼻たれ小僧ということがあると思うのです。「罪と罰」が書かれた一八六〇年代、そのころの三十五六といったら、おそらくその人がいま突然現れてくれば、ずいぶんふけて見える。四十五六に見えるのじゃないかという感じがしますね。≫

 これにはちよつとショックだつた、驚いた。ポルフィーリイーは五十から六十の男だと私は思ひ込んでゐたのだ。私の同僚や友人で三十代半ばの方たちの顔を思ひ浮かべて慄然といふと大げさ、不謹慎で失礼かもしれないが噴き出しかけた。私のイメージではその方々が主人公の青年ラスコーリニコフであつても少しもをかしくないのだから。

 そのくらゐに私たちの世代(時代)は成熟が遅い、成長が遅いといふことか。「型がない」、これは重要な指摘。日々の暮らしの中で、父親が取るべき態度、佇まひが失はれ、公共の場で個人が節度を守るといふ嘗ては間違ひなく存在した礼節といふ「型」が崩れ去り、そのことを誰も一顧だにしない。さう、「顧みる」こと自体が生きる上での大いなる「型」ではないか。

 自由尊重、個性尊重、何でも平等の戦後といふ時間が壊したのは、この社会の枠であり型なのだ。

 私は自分だけ例外視してゐるのではない。自分をこそ外側から眺めての一種の嫌悪に近い観察である。還暦を過ぎ、それ相応の経験も積んできたはずの人間が、どうやら一回りも若く見られてしまふこと、俗に言へば年齢八掛け説は事実だといふこと、それが厭になる。周囲を見回しても年相応の顔など滅多にお目に掛かれるものではない。

 具体的にいふと差し障りがあらうが、周囲にゐる五十代半ばの知人を見てもかなりの割合で八掛けが相応しい方が多い。四十代までが八掛け、三十代は七掛け、二十代になるともはや六掛けと言へる。二年ほど前、どこかで齋藤環が言つてゐた、今の大学生は十二三歳くらゐだと。それは私が教育現場にゐて実感してゐたことに符合する。大学の二年でも中学生としか思へぬ表情と知能・知識。日常の起ち居振る舞ひもそんなものである。

 「型」といふ言葉でなくてもよからう。社会や生活にはルールがあるのだといふ教育を戦後の私達は放棄した。そのことを意識してゐる政治家に私は未来の日本を託したい。あるいはかういふことも言へる。震災の時に被災者が見せた振舞ひにこそ型があるといふこと、そして、あの時以来、多くの国民が意識するとしないとに関らず気がついたのが、自衛隊や警察のやうな組織こそ「型」がなくては行動できず、「型」があればこそ、その型が要求するルールに従つて人間は整然とした行動が取れるといふことではないか。
 
 それは、もしかしたら、己を律するといふやうなマンネリ化した言葉でこそ表現可能なのかもしれない。他者の前で自己を滅する、自分は一歩退く、さういふ心構へが自ずと日常生活の型を生み出して行くのではあるまいか。

抜粋――その二。これは菊田一男との「甘い芝居と辛い芝居」というふ昭和四十二年の対談から。商業演劇とそれに対してのアヴァンギャルドとしての新劇の話題になり――

福田 ……そういうふうに商業演劇が非常に甘くなっていますから、それに対応してアヴァンギャルドである新劇も甘くなっちゃうんですよ。向う(例えば英国=逸注記)だったら商業演劇が非常に辛いから、たとえばその結果として非常に低俗なものができても、それに対抗するアヴァンギャルドは徹底的にいこうということができるんですよ。日本では違う意味で甘くなっているし、なれ合いで甘くなっているから商業道徳も守れないという形になっていて、いまに私は商業演劇とアヴァンギャルドの線がだんだんあいまいになっていくだろうと思いますね。それがどちらかにプラスになっていけばいいのだけれども、両方にマイナスになる可能性がなくはない。≫

 これについては語る言葉もない。時代は恆存の予測をはるかに超えて進んでしまつてゐる。いいかわるいかの判断は措くとしても、昨今の演劇界は新劇はとうの昔に死語となり、この対談の行はれたころには既に新劇に対するアヴァンギャルドすら産まれてゐた。そして、今や、「ジャンルを超えて」などといふ言葉は宣伝用の惹句にすらなり得ない。クロスオーバーといふ言葉も既に古い。そして商業演劇も新劇もその後の前衛たるべき小劇場の人々も、「あいまい」のごた混ぜ、すべてはメディアを媒体とした「人気」といふ「価値」の奴隷になり下がつてゐる。ここには舞台成果も演技術も問はれぬ世界が出現してゐる。それが現今の芸能の世界だとだけ、今は書いておく。

抜粋――その三。国語問題について。私がこのブログだけは正仮名を使つてゐることはお気づきだらう。(正仮名は横書きに馴染まない、日本語は横書きに馴染まない。)その正仮名正漢字をぶち壊した戦後の国語改悪に話題が及んだ、「ウェルメイド・プレイ讃」といふ山内登美雄との対談から、短い引用。

福田 僕はまあ国語問題でももう絶望的ですね。もうどうにもならない、人間というのは一度易きについら――下り坂に一度かかったら、もう一度上がろうという気にはならないものですよ。個人的にはたまたまそういうのがあるけれど、一つの民族なり国民なりが一致してそういう気持ちになろうということはあり得ない。それがあるとすれば非常に望ましからざる危機がきたときですね。外敵にせめられるとか、クーデターが起きるとか、そんなことでもない限りはそういうことはおき得ないのですね。≫

 ここで、私は「決定的」に恆存と「袂を別つ」。なぜなら、私にはさういふ「危機」を「望ましからざる」と表現する気はさらさらない。もはや、さういふ危機しか、当てには出来ぬご時世だと言わざるを得ない。どの政治家に何を期待せよと言ふのか。

 付記。英国滞在記といふか向かふで考へたことと、文楽の補助金問題など、この後、書きたいと思つてゐる。仕事の合間を縫つて何とかしたい。
 以上、誤記変換ミス多謝。
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# by dokudankoji | 2012-07-18 22:35 | 雑感 | Trackback | Comments(5)
2012年 07月 02日

民主分裂? 保守政界の再編を

 民主の分裂、まずはめでたい?(以下フェース・ブックへの書き込みを修正して) 

 が――
 かういふことに頼らなければ、日本の政治が変らないのなら​、私は限りなく憂鬱な気持ちになる。例へば自民党にしても何ら自​浄作用がない。自ら変つていく器量も度量も、あくどさもない。

 そして、今、民主の分裂を歓迎してゐる殆どの人間が、かつて「​政権交代」に踊らされた人々なのだ。いづれ、「維新の会」に踊ら​される人々なのだ。これは公言しておく。政治家がポピュリズムの​手法を使うのが先ではなく、民衆がポピュリズムを歓迎するのが先​である。

 それは、テレビで、バラエティー番組が流行るのと、実は根つ子​が繋がつてゐる。そこのところを押さへておかなくてはいけない。​さういふ人間観察が出来ない人々の言説を私は信じないし、さうい​ふ人々が民主の分裂を喜んでゐても、私は一緒に喜ぶつもりはない​。遡れば、「郵政民営化」に浮かれた人々と私は行動を共にする気​もなければ、その人々が何を言つても信ずる気もない。

 日本の低迷はまだまだ続く。

 自民党よ、まず9月の総裁選で頭を​すげ替えるべし。受け皿が維新の会や右往左往の石原新党では何も​起こりはしない。真の保守政界再編を求める。

 以上、覚書程度にしたためたが、英仏を見て歩いての、殊に英国演劇界のことを書かうと思ひながら、旅行の整理片付けが済んだと思つたら、恆存対談集の最終巻のゲラが届いてゐる。この冒頭の対談が矢内原伊作との110ページに及ぶ討論、昭和24年のものである。これが思想(哲学)文学政治人生と切り結んで、たがいひに交はらぬ議論を辛抱強く、延々と続ける。編集のこちらが疲れる。「前言」で恆存が互いに妥協やおざなりの相槌なしで行きたいと宣言してゐるのもいい。これは9月発売だが、第6巻がもうぢき書店に並ぶ。
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# by dokudankoji | 2012-07-02 14:45 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 06月 11日

申し訳なし

 ロンドンで芝居を観まくつて、エリザベス女王の御在位六十周年記念行事を眺めにうろうろしたり、パリやパリ郊外に足を延ばしたりしてゐるが、その間、自分で記録を書く以外はフェースブックにちょこちょこ写真をアップして意る程度で、寝不足の過密スケジュールをこなしてゐる。

 そんな状態で、ロンドン便りも書けず気が引ける。イギリスの芝居は概して低調、すべて見られたわけではないが、こちらで人気がある舞台でも新作に、これはといふ物がない。かへつてリバイバルで上演されてゐる八十年代以前のものにいい舞台が多い。結局戯曲がしつかりしてゐなければ、ダメといふことと、最近見るべき若い俳優が出てきてゐないといふこと。

 中で、気を吐いてゐるのがRADA(王立演劇アカデミー)出身の女優Eve Best。この役者、いずれ歳をとつたらDameの称号もらうだらう。「モルフィ侯爵夫人」といふシェイクスピアより少し後のウェブスターの作品で主人公を演じてゐたが、絶品。その舞台については、演出、照明、衣装、美術、ステージング、ムーヴメント、どれをとつても素晴らしかつた。十数本観て、絶賛できるのが二,三本。これはロンドンの舞台としては最悪の状況と私は考へてゐる。

 さて、現在パリ時間夜八時過ぎ。夕食に出なければならないので、ここまで。パリは夏時間のせいもあり、10時過ぎて日が暮れる。ついうかうか時間を過ごしてしまふ。

 誤字脱字、そのまま失礼。
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# by dokudankoji | 2012-06-11 03:12 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 05月 25日

六年ぶりに英国へ

 二十六日から英国へ行く。主にロンドンで芝居見物。結局ナショナル・シアター通ひのやうなもので、ウェスト・エンドの惨状は目を覆ふべき状況。行く前から分かつてしまふといふのも、変な話だと思はれるかもしれないが、ネットで調べただけで分かる。

 一言でいへば、エンターテイメント(にもならぬレベル)ばかりで、音楽入りパフォーマンス程度のものだらけ、せいぜいがミュージカル。大抵はつまらない。それに、ミュージカルは芝居ではない。全くジャンルが違ふとだけ申し上げておく。それを嘗ての「劇場街」のいはば老舗の劇場が上演してゐる。といふより、かつての劇場がやつて行けなくなつて、経営者が変つたりした挙句のことではあるが、それにしても、凄まじい。

 期待してゐるのがほぼ二三作品といふのも淋しい。その筆頭はギリシャ悲劇、「アンティゴーヌ」。どういふ演出をするか興味津々である。といふのも、今まで何度か上演の可能性を探つては挫折してきただけに、楽しみな舞台なのだ。その次がオリヴィエ賞受賞の女優が主役を演ずる「モルフィ侯爵夫人」。作品としては余り優れてゐるとは言へないが、主役のEve Bestが評判、それを見るのが眼目。

 後は、デヴィッド・スーシェ(テレビ・ドラマのポワロ役でご存じでは?)が主役を演ずるユージン・オニールの「夜への長い旅路」くらゐのものである。十数本観る中で、それだけと言ふのは……。新作については、何ともいへぬが、売り切れでチケットが取れなかつた三作品が、逃がした魚のやうに大きく見える。一作は当日券を狙つて並ぶつもり。今までの経験でいへば、新作で評判が良くても日本人の眼には退屈だつたり、余りにイギリス的だつたりする。期待しない時の方が、却つていい舞台にお目に掛れるやうな気がするのは僻目だらうか。

 シェイクスピアについては、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのものはもはや見る気も起らない。観光客目当て。ナショナル・シアターと双璧をなしてゐた時代が懐かしい。といふか、四十年前はダントツの舞台を毎晩見せてくれたものである。今昔の感。あるいは私が歳を取つたと言ふことか。いやいや、ナショナル・シアターの新しさ、現代的な感覚には敵はない。オールド・ファッションともいふべき舞台。さういふ批判が大きくなつてのことかどうか知らぬが、今年あたりは、やたらに新しがつて現代服の「十二夜」だとか、アフリカの現代の不穏を描いた「ジュリアス・シーザー」とか、付き合ふ気にもならない。シーザーが白人で、ブルータスやキャシアスが黒人といふ設定そのものに付いていく気が起こらない。拒否。この種のことが日本にゐながら全て分かつてしまふ、ネット社会の味気なさを、この準備の一月ほどで嫌といふほど味ははされてゐる。

 以上、行く前にロンドンの演劇界のご報告!? 

 渡英後、ロンドン便りの一つも書きたいが、多分、ホテルにゐる時間もあまりないやうな気がする。時間がある時は、数日後に観劇を予定した新作を予め読む作業に追はれてゐさうである。全てではないが、新作はなるべく読んでから観るやうにしてゐる。

 フェイス・ブックには短い報告を書くかもしれないが、これも約束できない。舞台の感想など面白くもないだらうから、滞在中丁度ぶつかつてしまふ、エリザベス女王のDiamond Jubileeのイヴェント見物の写真でもアップしておかうか。それも甚だ怪しい、といふ無責任なメモを残しておく。

 現代演劇協会の秋の公演はホームページをご覧頂きたい。漸くスタッフ、キャスト共に固まる。これに、一年以上掛つた。震災の余波もあつたのではあるが、昨年来、恆存の戯曲を今時やることの難しさを痛感してゐる。以上、全く中身もなく宣伝にもならぬ内容だが、出国前にとりあへずのご挨拶まで。
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# by dokudankoji | 2012-05-25 00:27 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 23日

明治天皇観漁記念碑~その2

 一月に数葉の写真と共にかういふ記事を書いた。まづご覧いただきたい。明治天皇が江戸にお上り(お下り!?)の途次、大磯の海辺で漁師たちの仕事をご覧になられた経緯を記した記念碑。
最近訪れた折に写した写真を載せる。
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 緑が美しい季節だが、この通り、既にススキが繁り始め、荒れ果てた姿を晒してゐる。そして、ススキが秋にどれほど美しい風情を見せてくれようとも、「雑草」としての逞しさはこの通り凄まじいものがある。以下、四枚、台座の石組を破壊し敷石を持ちあげる、その逞しさには美しさなぞ微塵もない。
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 ところが、ふと気が付いたのだが、一枚目の写真をよく見て頂きたい、明らかに人が掘り起こしススキを根こそぎ取り除いた跡が窺へる。以前にはこんなことはなかつた。また、専門の造園業者や重機を入れての作業だつたら、もつと徹底してやるはずだ。しかも、
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 記念碑から少し離れた場所には、明らかに人が他の樹の根を残して、ススキだけ取り除いたと思はれる一角があるのだ。これには参つた。どなたか分からぬが、恐らくは大磯の住人が少しでもと、手入れをし始めたのではと推察する。黙つて一株のススキを抜くことの方が、かうしてブログなどを書くことより大事に思へてくる。尤も、私が一月に書いた記事が切つ掛けになつて、どなたかが「蟷螂の斧」と思ひつつ除草したのなら、ブログの意味もあつたのかもしれない。

 あちこちに手を広げ過ぎの私にどれ程の時間が取れるか、偉さうなことは言へぬが時間を見つけて、一株でも二株でも、ススキの根を私も抜かう。五月の晴れた日、自宅にゐたら、一日でも二日でも鍬とスコップを担いで王城山に登らう。と、心に決めた私だが、在宅の日で晴れる日がどれほどあるか、あつてもすぐメゲル自分への戒めのつもりで、以上記しておく、タイトルも備忘録なのだから。

 なほ、この記念碑は前に書いた通り安田善次郎が建てたものだが、恐らくこの山の南側はいまでも所有は変つてゐないのではないかと思はれる。記念碑のある頂上へ至る道のところどころに地蔵や布袋様等があるが、これらも安田家が建立したものと私は推測してゐる。一年に一度旧安田邸として公開される別荘は、私たちが子供のころ、当時の富士銀行の寮として海水浴に来る行員(?)の保養所として使用されてゐた。

 今ではいかめしく門を閉ざし、少しでも無断で入らうものなら守衛(?)だか管理人だかに咎められる。以前は、正倉院を模した校倉造の倉のほとりの桜を楽しみ、池で蛙の卵やお玉杓子を捕まへて楽しんだし、内門と外門の間は殆ど子供の遊び場と化してゐた。小学生の頃ちよつとしたソフトボールをした記憶もある。

 私の記憶はさておき、町の観光協会にでも聞けば山の所有者や管理者も分かるのだらうか。管理が町だつたら、はつきり言つて絶望的。わが日本国と同じ、増税しても歳入歳出の帳尻が合はないこと、火を見るより明らか。また、文化や歴史には全くの興味も理解もないこともこの国と同じであることは保証しておく。大磯町の町長・町議・お役人、このブログ読みなさい! で――先程からこの駄文を書きながら、明治安田生命や町のホームページを見たりしてゐるのだが、今のところ管理等については全く分からない。町に聞く気も起らないといふのが一町民の正直な感想。自然を守るなぞと人聞きのいい団体はあるが、ご覧のとおりの体たらく、私は信頼してゐない。

 と、イカッテみたところで、面白いブログや(とんでもない)写真を見つけた。絵葉書のやうだが、まづはこの写真を。
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 大げさだが少々ショックを受けてゐる。記念碑の前には私の記憶にある限り、つまりおよそ六十年近く、東屋もベンチもなかつた。こんなに広々としてもゐなかつた。おそらく樹木が生い繁る前だつたことと、それこそ手入れが行き届いてゐたからだらう。

 大正時代の絵葉書だらうか。今に時間をスライドして考へるとよく分かる気がする。平成の時代に先帝・昭和天皇の行幸の碑があつたら、幾らなんでも、例へ大磯町の如き人非人ならぬ町非町であつても、もうすこし手入れをしてゐるだらう。といふことは、昭和記念公園も何も、あと百年もすれば……さうは考へたくはない。

 それにしても、碑を囲む石柵がどうであつたか、私の写真と見比べて頂ければ、私が二度もこのことを話題にしたくなる気持ちも分かつて頂けようといふもの。

 この絵葉書(小千畳と書いてある)を載せてゐるブログは「言葉に恋して 温故知新。」。いいブログを見つけた。もう一つ、寝ぼけてゐても歩ける私の散歩道を「命からがら」下つた方の記事がこちら。大分悪い印象をこの方はお持ちのやうだが、頂上への直近のルートを登らず別の自動車も通るルートを登つて、直近ルートを下らうとすると、これは道が段々狭く険しくなる印象には違ひなく、命からがらと言う不安な気持ちも分かる気がする。しかし、高々百メートルもない山なのだがな。(山で遭難したら、降らずに登れといふ、いはば鉄則がある、山が深ければ深いほど下り出したらどこへ向かふか分からないが、登れば必ず尾根筋や山頂に出る、そこには必ず人の通る道があるはず~エベレストなどもこの範疇かどうかは自己責任でどうぞ。)

 う~む。この二つのブログ等々を見ては明日にでも鍬とスコップを持つて……いやいや、明日は、幸か不幸か一日雨とのこと……。明後日は関西方面に出張つてゐるし……。
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# by dokudankoji | 2012-04-23 00:52 | 雑感 | Trackback | Comments(5)
2012年 04月 17日

尖閣諸島

 石原都知事が、尖閣諸島(の一部?)を都が買ひ上げると言つたさうだが、私自身、よくぞやりました、といふ気持ちが大いにある。

 だが、一つ、気になる。外務省や民主党に何の期待も持つてはゐない私でも、「一応」沖縄県に属する土地を他の都道府県が「買ふ」と、そこは沖縄県なのか、他府県なのか、そこにはなんら法的齟齬はないのだらうか。そも、沖縄県にはかういふ発想はなかつたのだらうか? どうですか、仲井眞知事?

 沖ノ鳥島や尖閣諸島に(できるなら竹島や北方領土にも)自衛隊の駐留可能な施設を作つてしまへといふ乱暴な意見の持ち主の私であるから、一義的には石原支持なのだが、何だかピンと来ないので、備忘のために記しておく。法律に詳しい方の教へを乞ひたし。
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# by dokudankoji | 2012-04-17 16:46 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 16日

週刊新潮4月26日号

 今週の木曜日19日発売の週刊新潮、書評欄の最後のページに、哲学者中島義道の『人生に生きる価値はない』に関する短い戯文のごとき、レビューを書いた。550字くらいだつたが、この短さで「哲学」や「思想」に関る書物一冊を論ずるのは至難(?)のワザ。

 氏の斜に構えた人生観に付き合つて、こちらもアクロバティックに遊ばせて頂いた。氏とは考へ方がかなり近いが、多分永遠に交はらぬ双曲線だらう。しかし、一度徹底的に議論してみたい気もする。彼のニヒリズムと私のオプティミズムがどこで交はるのか、交はらぬのか。論争になつたとして、勝ち負けはあり得ぬことを表明してしまつてゐるやうな二人が、どこで決着を付けるのか。頭の良さは氏の方が数段上のやうだが……。

 21日は拓大でシンポジウム。

 秋の公演の準備と言ふか詰めがなかなか詰め切れず、気疲れする毎日です。以上、宣伝まで。
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# by dokudankoji | 2012-04-16 00:47 | 雑感 | Trackback | Comments(1)
2012年 03月 27日

拓殖大学~春のシンポジウム

 4月21日(土曜日)14時~16時半、拓殖大学でのシンポジウム、≪主権回復60年〈戦後〉は終わったか?-戦後世代による「脱戦後論」-≫のパネリストの一人として、話します。まだ、何を話すか、全く考へてはゐないが、恐らく戦後生まれとしては一番年かさの立場らしいので、体験談的戦後論にしようかと思つてゐる。

 ご興味のある方はぜひ。

 なほ、明日、28日は≪国語を考える国会議員懇談会(国語議連)≫で講演、これは穴あき五十音図の非と正仮名遣ひの合理性、現代仮名遣いゆゑの思考の混乱について話す。

 戦後の改悪の最たるものが、国語・憲法・皇室(典範)であることにも触れる。
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# by dokudankoji | 2012-03-27 16:35 | 雑感 | Trackback | Comments(2)
2012年 02月 02日

承前(その3)~『世相を斬る』≪ドイツ編≫

 グスタフ・フォスといふ名前を記憶していらつしやる方は今の時代にどれ程ゐるだらうか。私と同じ団塊の世代までだらうか。神奈川の栄光学園の初代校長で後に理事長を務めたドイツ人であり、栄光学園を育てた教育者、神父である。1933年に来日し、一度米国に留学、戦後再び来日(1990年逝去)。

 そのフォス神父と教育評論家の鈴木重信と恆存との鼎談「日本の教育・七不思議」も是非、現代の親たちに読んで欲しくて『世相を斬る』に収録した。これなど、文字通りそのまま現在の教育論、親論になる。例によつて引用を中心に記しておく。主にフォス神父の言葉であるが。

 ≪教育は明治の時代から政治のために利用され、場合によっては悪用されてきた。物質的に考えれば、その結果日本は近代化に成功しました。わずか百年の間に、あれほどの成績をあげたというのは、やはり人類の歴史上初めてだったと思います。しかし日本人はそこでずっと背伸びしてきたわけですから、例えばヨーロッパ文明の裏にある精神的なものを考える余裕がなかったのと同時に、日本の伝統的な文化に対しても関心を持たなくなってしまった。戦前は伝統的な価値がまだあったけれど、戦後になりますと、修身もダメ、教育勅語もダメということで、近代化に役立った物質的な考え方だけが残ったわけです。そういうところに入ってきた米国の民主主義は、あたかも一つの道徳、あるいは贋(にせ)宗教であるかのように信じられたということではないでしょうか。≫

 これに応じて、少し先で恆存が、「戦後教育では、国家意識を否定しなければ西洋流にならないというふうに思ったことは事実でしょう。国家を戦前の軍国主義と混同してしまって、国家という概念は古くて危険なものだというわけです」と応へる。昭和54年の鼎談だが、うんざりするほど、現代の発言だとしてもをかしくない。爾来30年余り、日本の伝統的文化は衰滅の一途を辿つて来たことは誰の目にも明らかだらう。

 この国では未だに国歌斉唱や国旗掲揚に纏はる議論が喧しいが、フォス神父に言はせれば、「私は今までいろんな国を歩きまわったけれど、国旗掲揚しない国は一つもない。ソ連だって当たり前のこととして揚げます。それとおかしいのは、例えば今、日本の高校の教科課程をみますと、国史という科目は自由選択です。取らなくてもよろしい。こんなことがあっていいのでしょうか(中略)米国なんか、私はカリフォルニアにいましたが、米国史を教え、またその州の歴史も教えます」と、つまり、自国の歴史は強制的にたたきこんで当然だといふわけだ(もちろん、自虐史観ではなく。私なんぞ、自分の国の歴史は思い切り美化してよいと思つてゐる!)。

 この国旗掲揚の話は、フォス神父が初代校長だつた昭和24年に高松宮殿下が栄光学園をお訪ねになられた時のエピソードとして語られるのだが、そのいきさつを鈴木氏が少し詳しく説明してゐる。

 ≪国旗を掲揚する、「君が代」を歌わせるということをフォス校長が言われたとき、職員会議で日本人の職員が難色を示した。占領下の今そんなことをすれば問題が起るというわけです。するとドイツ人である校長が、日本人の教育をやるのに国旗を揚げ国家を歌って何が悪いかと言って、非常な勇断をもっておやりになった。ところが、高松宮がみえるというので臨席していたデッカーという、横須賀に駐在していたアメリカの海軍司令官が、今の妙なる調べは何だという質問をしたわけです。あれが「君が代」という日本の国歌だと言うと、実に荘厳な立派な音楽だといって賞賛した。そして沢山の列席者の中で戦後久しく聞かなかった「君が代」を聞き、日の丸を見て一番感動して泣いたのが日本人の父親たちだった。日本人がやるべきことをドイツ人のフォスさんがやって、日本人が泣き、アメリカ人が感激した。これは象徴的な出来事ですよ。国家とか国旗とか言うと何か犯罪であるかのような意識が戦後ずっと、あったけれど、国歌を考えないところに一体民主主義はあり得るのだろうか。≫

 さう、今でも国歌や国旗が犯罪だとでも言はんばかりの言説が巷に流布され、大きな声で「君が代」を歌へる日本人は殆どゐない。爽快ですぞ、高らかに「君が代」を斉唱すると……。

 サッカー選手が君が代を歌つたとかなんとか言ふが、私に言はせれば、あの連中、まるで腰が引けてゐる。恰も正に罪悪ででもあるかのやうに、心もとない顔で口をもごもごさせてゐるだけ。その気が引ける分を誤魔化すのだらうか、左胸の日の丸(のつもりか)、あるいは日本サッカー協会のシンボル・マーク、八咫烏(やたがらす)のワッペンに敬意を表したやうな恰好で、左胸に手を当てたりシャツを掴んだり。実にすつきりしない。スポーツ選手だらうが、もつと正々堂々としろぃ、と言ひながら私はテレビでサッカー観戦をしてゐる。

 ついでに、大相撲の優勝力士、5年ばかり日本人が出てゐないのだから仕方がないが、日本人が優勝した時にはマイクから聞こえるくらゐの声で君が代を歌へ、お前の優勝を寿いでゐるのだぞ、国技の勝者よ。さもなくば、そろそろ国技の看板を下ろしたがよからう。と、言葉も荒く苛立つたところで、少々恥ぢながら(?)フォス神父の言葉に戻る。

 ≪言葉というのは心を育てるのです。ですから国語を軽んじれば、やはり日本の心というのは死んでしまうのです。≫

 心にしみる言葉だとは思ひませぬか。このフォス神父の言葉は国を守るといふ文脈で語られるが、前後の出席者の発言を並べる。「伝統を尊重することこそ、国民の教育として大事」「自分の国を尊重することができない人間に、よその国を尊敬したり尊重したりできるか」「自分は日本人だから日本が好きなのだという素朴な気持ちにどうしてなれないのか」「愛国心というのは結局自国の言葉を愛すること」等々。

 これらのことを自明のことと思へぬ人間が政治の世界にゐることが私には理解できない。教養とか知性とか、そんな大げさな理窟ではなく、素朴な市井の人間の感覚こそかくあるべきでもあらうし、逆説的に言へば、市井の人々にこそ知性も教養も備わつてゐるのだと私は思ひたい。それを破壊したのが戦後教育であり、国語政策であり、その結果、鈴木氏に「4、50年前の文学作品を読めないような国語教育をどこの国がやっているだろうか」と言はしめる。

 最後に鼎談の締めくくりになるフォス神父の言葉を引用する。

 ≪……子供の権利だ、権利だと騒がれるけれど、一般に日本では一つだけ権利が守られていない。それは子供には叱られる権利があるということです。≫

 この重み、如何ですか。フォス神父の著書「日本の父へ」は今や絶版ではあるが、ネットで古本を入手できる。子育てに悩む親世代に是非読んで頂きたい良書である。良書といふより、道標にすらなるのではないか、新潮文庫だつたと思ふが復刊を望む。
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# by dokudankoji | 2012-02-02 18:42 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 01日

承前(その2)~『世相を斬る』から―大韓民国編

 昭和56年12月号の「Voice」に掲載された対談だが、相手は国会議員、申相楚(シン ソウソ)。ちなみに対談のタイトルは「日韓両国民への直言――相互嫌悪をどう越えるか」。当時のかの国の人々は皆、日本語はぺらぺら、そして複雑な気持ちを抱きつつも、私の付き合つたかぎり大の親日家が多かつた。申氏とは会ひ損なひましたが、氏も親日家の筆頭と思はれます。今からおよそ30年前、敗戦からおよそ35年後の言葉として噛みしめて下さい。

 申氏の言葉。≪私が痛感するのは、現在の日本があまりに平和に慣れすぎて国家の体をなしていないということです。「これでも国家だろうか」と私はしばしば思うんです。先年日本へまいりました時、京都産業大学を訪れたところ、学長がおっしゃったのですよ。「うちの大学は、祝日には日の丸を公然と掲げることを誇りにしております」とね。そんなこと、あたりまえじゃないでしょうか。わが国では、国旗はどこの学校でも毎日掲揚しております。教室の中にも、黒板の上に国旗があります。日本の国旗を日本の大学で掲揚する、そのあまりにもあたりまえな事をやるのが、どうして「誇り」なんでしょうか。国家のシンボルとしては、国旗のほかにもう一つ国歌がありますが、日本人は国歌を歌わないようですね、戦争アレルギーの一つなんでしょうが、全く不可解ですね。≫

 いかがですか、ただ「耳が痛い」といふ外ないとは思ひませんか? 今もつて何も変つていない。さらに氏は続けてかうおつしやる。

 ≪もう一つ不思議なのは、現代の国家は、要するに武力を独占している集団でしょう、ところが、日本は実際に武力を持っていながら、持っていないということになっている。日本国の憲法を見れば「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」と書いてあって、それが国家成立の前提になっていますが、目下地球上には、公正と信義を信じられるような国家よりも、そうでない国家のほうが多いんだから、国家成立の前提自体がなっておらないと思う。少なくとも、武装しているということを公然と言えないような国家は国家ではない、と思いますね。≫

 耳が痛いのを通り越して、屈辱すら覚えませんか? しかも、30年後の今も何一つ状況は変化してゐない。

 昨日ブログで紹介したアメリカの記者にしても、この韓国の国会議員にしても、我々日本人よりも遥かに日本のことが好きなのではないかとすら思へるのです。好きだからゆゑの苦言直言ではないでせうか。そしてこれが正論でせう。否定、反論のしようがない。

 申氏の言葉を続けます。恆存が、日本ではソ連は脅威なりや否やの議論をしてゐるが、韓国では「北朝鮮は脅威か否かなんて議論やっていないでしょう」と水を向けたのに対して――

 ≪いやあ、ああいうバカな議論はやらんですな。あす攻めてくるか、あさって攻めてくるか、それが問題なのですから、脅威か脅威でないかなどということは誰も問題にしておりません。ところが日本は、平和に慣れすぎているために、そんな空疎な議論をやっているんじゃないでしょうか。ソ連軍に北海道ぐらい占領されたら、目が覚めるのでしょうが、そういうことがない限りは、まず駄目ではないかと思いますね。≫

 溜息が出ます。外国の人にここまで言はせてしまふ我が国はなんなのでせう。いや、これは昔の話で今は違ふとは言へないのが更に情けない、さうは思ひませんか? 尖閣問題・竹島・北方領土……全て奪はれても何も言へない、何も出来ないのがこの国なのです。北海道を奪はれ、沖縄までシナに食指を伸ばされても、恐らく「目が覚める」ことはないのでせう。

 ついでに更に辛い申氏の発言。≪……福田信之さんは西ドイツの例をひいて、「西ドイツの成長率がいまや鈍っているのは、西ドイツ人が勤勉に働かなくなってしまったためだ」とおっしゃったのですが、日本人だって今後もずっと勤勉でありつづける保証はどこにもない。生活水準が現在以上に上がって怠慢になってしまう、そういうことも考えられるでしょう。≫

 ここまで言はれると、かへつて清々しい。バブルに呆け、その後の20年余りも呆けに呆け、自堕落な歴史を刻んだ私達には申氏に返す言葉もありません。予言などといふものではない、まさに申氏は日本人をよく見抜いてゐたのでせう。この言葉に応へて、恆存がかう言つてゐます、≪日本人はね、これまでのような高度成長はできないとしても、経済的繁栄はこのまま永久につづくと思い込んでいるんですよ。≫

 自戒の念を込めて、わたしはこれらの言葉が当時30代の私に向けられてゐたのだと、今はさう思ひ、いや、今はそれがよく分かるのです。私たち団塊の世代の責任は大きい。戦後の「明るい」青春を謳歌したのも、少子高齢化社会を招いたのも、結局は国家と時代の歴史の必然かもしれませんが、今60代半ばになる団塊の世代こそ、その歴史を刻むのに最も手を貸したのではないでせうか。「友愛」とか「市民」などという、「美しい」言葉に踊つた人々ではないでせうか。

 最後に恆存の発言を一つ。≪申さんたちの世代が日本語を話すのは、日本が昔、それを強制したからですね。申さんたちの世代の責任じゃないんだ、それは。けれども、さっきおっしゃったように、日本語を話せる世代には知恵がありますよ。日本の悪い面もよい面もよく知っているはずだ。その知恵や知識を活用するのは、韓国にとってよいことじゃないですか。若い連中があまり偏狭なナショナリズムにとらわれていると、韓国のためを思って何かしようと思っている日本人までが愛想づかしをしてしまう。そういう話を私は最近あちこちで聞くんですよ。これは困ったことだと思いますね。
申 それはもう、私もよく分かっております。
福田 日本人の全てが悪人であるはずもないし、韓国人のすべてがいい人間であるはずもない……≫

 私は申氏の世代とも、さらに若い世代とも30年のスパンで演劇交流をしました。ノスタルジーに過ぎませんが、日本語を「強制された」世代の方たちとの交流がどれほど暖かみがあつたことか。日本への愛着、信頼、私個人への友情、仕事が終つて帰国時の別れともなると、彼らのやさしさに涙の出る思ひでした。それを、現代に引き継げなかつたのは、それを演劇の世界から外に広げられなかつたのは、やはり、これも時代と歴史の必然なのでせうか。古き良き時代を思ひ返しては、時に暗澹たる思ひに浸る今日この頃です。
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# by dokudankoji | 2012-02-01 18:44 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 31日

承前~『世相を斬る』より

 この対談集第4巻は、フジテレビで放映された『世相を斬る』を中心に編纂したが、その中に昭和52年の暮れにワシントンで録画し、翌年3月12日に放映された、ニューヨーク・タイムズ記者・デヴィッド・バインダーとの対談がある。バインダーの発言が歯切れよい。

≪……私が言いたいのは、軍国主義の危険や軍国主義体制、軍国主義的冒険が過去においてもたらした不幸と悲劇に対して、日本人がどれほど敏感であろうとも、またそれらの復活をいかに恐れていようとも、だからといって日本を防衛するのはごめんだ、と言い張ったり、兵器と名のつくものには触れるのもいやだ、あらゆる国から完全に中立でやっていくのだ、と言っているだけでは、完全な人間にはなれないし、完全な国家とは言えないと思うのです。
 しかし、自分を守ろうという心構えは、攻撃されたとき、反撃するための軍備があってこそ、初めて効果を発揮するわけですが、自分の国が直面する危険には軍事力で対応する以外に方法はない、と考えて軍備の増強をはかり、その負担で押しつぶされるようであってはならないと思います。つまり、私が言いたいのは、大人の分別を持った国民であれば、当然自分の国を守ろうとするだろうということ。≫

 耳が痛いといふか、いはゆる政治家のつもりでゐる今の(民主・自民を問はぬ)議員に「耳の穴をかつぽじつて、よく聴け! バインダーの爪の垢でも煎じて飲め!」と言ひたくならないか。続けて彼は、かうも言ふ。

 ≪やがて日本も、現在以上の防衛責任を担い得る国になるだろうと思います。もちろん、多くの日本人はこれ以上の防衛力増強は危険だと言うかもしれません。が、これは外から私たちがとやかく言うべき問題ではなく、結局日本人が自ら決定すべき問題なのです。≫

 この言葉、味はひ深い。対談から35年ほど経つた今、日本はどれ程の「防衛責任を担い」、「分別ある国民として自分の国を守ろうと」してゐるだらうか。そして、引用の終はりをよく読んで、私達はそれを噛みしめるべきであらう。バインダーは決して、アメリカ人の自分達は何か言ふ立場にない、権利はないなどと、謙虚な態度を示してゐるのではない、「結局日本人が自ら決定すべき問題なの」だといふ最後の言葉、背筋がゾッとする冷たい言葉であることにお気づきだらうか……。誠実かつ冷厳な言葉、冷酷な言葉でもある。
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# by dokudankoji | 2012-01-31 17:04 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 29日

『世相を斬る』からの会話~そして私の妄言

 恆存対談集の第4巻(1月刊)にフジテレビの『世相を斬る』シリーズでの対談を収録。その相手の一人が勝田吉太郎。氏との対談のタイトルは「幻想の平和」。その中の勝田氏の言葉を引く。

 ≪勝田 いい意味でも悪い意味でも、戦争にはヒロイズムがありますね。それを、日本の今日の平和というのを考えるときに、僕はいつも思うのですけどね。どんな代償を払っても平和をほんとうに求めようとするのかどうかということですね。極端に言いますと、日本列島がフィンランド化してソ連の事実上の衛星国になっても、奴隷の平和も平和だと思い定めて、そういう平和を甘受するのかどうかということですね(中略)先ほど、平和というのは一つの目的化してしまったと言いましたけれど、本来ならば平和というのは何らかの目的を実現するための条件あるいは手段であるにもかかわらず、肝心かなめの目的がどこかへ行っちゃったのですよ。その目的がちゃんとあれば、人間は生き生きするはずですよ。自分の生を賭け、あるいは死を賭してでも守ろうとする価値あるいは生き甲斐、それがどこかへ消え失せているものですから、それで平和が目的自体になってしまって、精神がだらんと伸び切っているということですねえ。≫

 上のソ連を中国に置き換へると、我が国が今おかれてゐる状況そのものではあるまいか。そして、後半の目的そのものと化した平和に私達が何の疑問も抱いてゐないとすれば、思考の停止以外の何ものでもない。戦争自体には破壊・勝利・平和といふ「目的」があり得る。では、平和自体は何のために? そして、勝田氏の言ふ「死を賭してでも守ろうとする価値あるいは生き甲斐」とは? 

 家庭なり社会なり、あるいは国家なり、自分が属する集団の安寧を平和と呼ぶとすれば、それが世界平和に通ずるか否かは知らぬが、その安寧のために自分の命を捨てられるか、それを考へないと「精神がだらんと伸び切っている」と言はれてしまふのだらう。

 ついでに、もう一人、元警視総監で当時の参議院議員だつた秦野章との対談のタイトルは「ハイジャックと人命」。その対談の終りの所から。

 ≪福田 そうですね。「国民」という言葉すらこのごろあまり使わない。
秦野 あんまり使わない。市民なんだ。社会なんだ。国家とか国民とかいうのはいけない。
福田 あれは戦前にはあったけれど、今は亡くなっちゃったと思ってるからね。(笑)
秦野 だけど、ほんとうに国家のない社会ってありっこないでしょう。そこを考えないといけないんだけれども、やっぱり……。
福田 そういう国家、国民がなくなって、市民と社会になったというの、これは赤軍と同じで、戦後教育は世界革命を考えてるんじゃないですかね。
秦野 赤軍と同じだな。原理的にはね。しかしそれはアナーキーですわな。無政府主義や。
福田 ええ、困ったもんですね。
秦野 困ったもんですよ。≫

 これは昭和52年の秋の放送。30数年前、さういへば丁度鳩山由紀夫や菅直人が出て来たころにならう。「世界革命」といふよりは中国への隷属を「平和」と勘違ひした市民派の姿が浮かぶ。「国家のない社会」、国民ではない「市民」など「ありっこない」、さういふしかない、それが通じぬなら、後は「困ったもんだ」といふ他ないのだらうか。

 もう一つ、昭和53年8月放送の福田信之、当時の筑波大学副学長との対談、「日本の資源と原子力の平和利用」。

 ≪福田(信) ……私も戦争中、原爆研究に従事していました。当時はほんとに原爆を造れるかどうかの基礎研究をやろうというわけでやってたわけです。私は主として濃縮ウラン――百パーセントの濃縮ウランを造りますと原爆ができることはわかっていたのですが、これは大変難しい技術でしてね、ほんとに日夜やってました。まあ、日本は片手間の研究であり、アメリカは国力の相当部分をさいてやってたという差はあります。
 あの当時の雰囲気からいいまして、もし日本で原爆製造に成功していれば、また今日の技術をもってすれば十分成功したでしょうけれど、もし造っていれば当然、原子力を使ったろうと思います。けれども、福田さんがおっしゃるように、なにか自分の傷を見せながら世界じゅうに「俺はこんな傷を受けたんだ」と言っても――ほんとうに世界の人がどう受け止めているかというのを日本人は知らないのではないでしょうか。≫

 覚えておくべきこと。一、日本も原爆を作らうとしてゐたといふこと。二、造つてゐれば使つてゐたであらうこと。この第二の点は幾ら強調してもし過ぎることはない。人間は自分の生み出したものを使はないわけがないといふこと、これ程分かりやすい現実もないのだが。

 尤も、私には、そのことより上の引用部の最後が甚だ興味深い。「俺はこんなに傷を受けたんだ」といふいやらしい精神。自分を弱者の立場において、いや、それどころか相手を加害者の立場において、加害者を吊るし上げる、あの被害者面ほど不愉快なものはない。そこには人生を生きる上での宿命への思索がない、思想がない。

 被害者が加害者を糾弾するほど「容易」なことはない。誰もその行動を非難しようがない、出来ようはずがない、さういふ立場に自分を置いてしまふほど「強い」ことはない。現代に充ち満ちてゐる、この精神構造、どなたもお気づきのはずだ。殊に、加害者がもともと強いと世間一般が決めて掛かつてゐる存在が、弱小な存在や個人に被害を与へた場合となつたら、世間が一斉にその加害者たる強者を袋叩きにする。公害しかり、アメリカの核しかり。戦後の進歩派メディアの報道は、ほぼこの類型と思つて間違ひない――教訓:負けたくなければ、常に弱者たれ。

 さて、上の対談だが、上の発言に続けて、恆存さんも信之さんも福島の事故を体験した我々からすると、かなり暢気な発言をしてゐる、と思ふと、突然信之さんがかう言ひだす。

 ≪原子力でをたくさん開発すると廃棄物が残って、それは千年もたつと危険が生ずるというけれど、千年後に人類が生きているかどうかさえ分からない。今世紀から来世紀にかけていかに生きるかということを考えているのだし、技術は長足の進歩を遂げていますからね。そりゃ百年単位、千年単位でいいますと、まだ解決しなければいけない問題ありますよ。それはまた我々の子孫がどんどんやりますよ。≫

 「千年後に人類が生きているかどうかさえ分からない」――核さへ存在しなければ人類は永遠だなどと誰が保証してくれるのだらう。上の発言の「健全さ」が分からぬと、恐らく「弱者」の立場を取るしかなくなる。連帯だ友愛だと美しい言葉で、人間同士の相対の中でしかものを考へなければ、それもよからう。が、人知を超えた未知の出来事が起こり得るのがこの世の習い、その未知の出来事を、それはそれとして受け止める覚悟(諦めでも勿論構はぬ)がなくて、どうして生きていけよう。気軽に「死」といふが、これ程の未知の出来事はない。核による死と、天寿を全うした死と、更に我々人類が経験したことのない出来事による死と、私には一つのものとして扱ふしか術がない。

 脱原発への道を日本が歩むのか否か、私は知らない。私に分かつてゐるのは、人類は、なかんづく日本人は遠くない将来原発もその再処理もねぢ伏せるであらうといふこと。しかし、それよりも確かなことは、身も蓋もない言ひ方をするが、ねぢ伏せることが出来ようと出来まいと、人類はやがて滅亡するであらうといふこと。

 ここまでは実は、昨年の暮れに書いた。今附け加えることも余りないが、対談集は既に書店に並んでゐる。

 原発について。私はどうしても騒ぐ気になれないし、恐いとも問題だとも思へない。これは直観に過ぎないから、何ともこれ以上書きやうもないが、子供の頃、放射能の雨が降るのなんのとメディアに騒がれ、子供心になんだか不安だつた。でも、その後何も起こらなかつた。はげになると言はれたが、日本にはげが増えたといふ統計も聞かない。

隣国シナでは楼蘭の辺りの核実験で十万単位の死者を出し、しかも当時日本にストロンチウムが散々降り注いださうで、これは福島の比ではないらしいが(もちろん福島の方が遥かに値は低いといふ意味)、このストロンチウムの害も、どうといふこともないらしい。

 どこだかのアパートのコンクリートがセシウムで汚染されてゐたのなんのとヒステリックに騒ぐ前に、誰でもよい、真実を教へて頂きたい。私は、ヒステリーを起こしたり原発反対と叫ぶのは、真実が分かつてからにする。分かりもしないこと、メディアが取り上げることに一喜一憂するほど私は暇でもなければ、メディアを信頼するほど純情可憐でもない。

 最近、産経新聞に長辻象平が書いてゐたCO2の値の方が、間違ひなく(そんなものがあるとしてだが)「人類の脅威」だらう。福田信之のいふ如く、千年後に人類は生きてゐるのだらうか。生きてゐたとして、そのことにどういふ意味があるのか。どなたか教へて頂きたい。まあ、シェイクスピアもハムレットに人間賛歌のごとき言葉を喋らせてはゐるが、といつて、やはり私は、人類が滅亡することがどれだけ深刻な問題なのか、想像する能力を持ち合はせてゐないやうだ。そんなことを想像すること自体に何の意味も私には見出せない。
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# by dokudankoji | 2012-01-29 22:28 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 15日

大磯町~明治天皇観漁記念碑

 私の自宅の裏手にある山には「王城山」といふ何やら立派な名前がついてゐる。通称を「小千畳」といふ。なぜ小千畳と呼ぶかといへば、町の背後に控へる「湘南平」といふ野暮な名称になつてしまつた、昔は「千畳敷」と呼ばれてゐた山(丘)があり、それとの比較といふわけだ。

 この千畳敷の頂上はその名の通りかなり広々として平坦で、眺望が素晴らしい。360度ぐるりと眺められ、北から西へ目をやると丹沢山塊から富士山、箱根から伊豆の山々、南には相模湾が広がり天気さへよければ大島がかなり近くに見え、東に目を移すと三浦半島と、時に更にその先に房総がかすんで見える。

 この贅沢な眺望には負けるが、千畳敷の千畳(多分それ以上)もありさうな平坦な頂上に似て、小さいがやはり頂上が平坦な王城山といふ訳で、私が子供の頃は通称「小千畳」と呼ばれてゐた。その頂上に立派な石碑が建つてゐる。これが標題の明治天皇観魚記念碑。

 さて、千畳敷の名が出たついでに、早速横道にそれて、少々大磯探索。この千畳敷へ上る道の途中には幾つもの横穴古墳があつたり、少々淀んではゐるが小さな湧水(といふより水たまり)がある。この湧水の言はれ――その昔、父の仇・工藤祐経の動静を探りにここを登つた曽我五郎の馬が急峻に泡を吹いた、そこで五郎は足で(だつたか太刀でだつたか)、地面を突く、するとそこから水が湧き出し馬に飲ませたといふ。また、馬が踏ん張つたところから水が湧いたともいふ。そして、十郎がその水を使つて虎御前に文を書いたといふので「十郎の硯池」と名付けられたとか、まぁ、眉に唾して聞いておけばよろしい伝説もある。だが、この眉唾伝説から、千畳敷はそもそも泡垂山(あわたらやま)と呼ばれてゐた。今では大磯の住人でもこの名称を知る人は少ないだらう。

 その五郎の兄、十郎と恋中の女郎が大磯の宿場の遊女・虎御前。その虎女が化粧に使つた井戸が旧東海道にポツンと「残つて」ゐる。中を覗いても別に面白くもなんともない。

 虎繋がりで、虎御石といふ有難い石まである。延台寺といふ寺にあるのだが、この石は工藤祐経が送り込んだ刺客の射た矢や切り付けた刀から十郎を守つたともいはれ、虎御前の成長とともに大きく育つたともいはれる。ま、さざれ石が巌になる国に相応しいお話。歌舞伎などの曽我ものには少なくとも虎御前は必ず出てくる。

 ただし、虎御石は出てくるはずもないが、こちらは有難いことに「本物」にお目にかかれる。毎年、確か5月の第4日曜日に御開帳される。この石に触れると大願成就、安産厄除けと霊験あらたか。恨みつらみで復讐の念に燃えていらつしやる方は是非大磯観光協会辺りのホームページで調べて、石に触りにいらつしやるとよろしい。仇打ちも成就すること請け合ひ?

 千畳敷に戻るが、昔、頂上直下に高射砲跡があり、我々子供の良い遊び場になつてゐた。高射砲自体は勿論撤去されてゐたが、砲台と掩蔽の建物は残つてゐた。高射砲は相模湾から上陸してくる(であらう)米軍を迎へ撃つためのものであり、さらに街中を歩くと、上陸して来た米兵を拝み撃ちにするつもりだつたのか、銃剣で白兵戦を戦ふつもりだつたのか、兵士が身を隠す祠のやうな穴が、相模湾から町の中心部に向かふ切通しに残つてゐる。

 さて、大磯歴史散策はこのあたりにして本題に入る。今日は小千畳の話、といふか、先に触れた「明治天皇観漁記念碑」のことを写真を付けて記しておきたい。まず、この立派な写真をご覧あれ。
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 石碑の裏に彫られた説明に基づいて簡単な歴史を記す。江戸から明治になり、明治天皇が江戸を東京と改名したのが明治元年七月のこと。同年九月天皇は京都を発ち、東京へお向かひになる。その途次、十月七日大磯にて御休息、その折、「海濱ニ幸シテ」、漁師たちの威勢よく働く姿と多くの魚が取れ飛び跳ねる様(「魚族ノ溌剌タル魚槽」)を初めてご覧になり「御興ニ入ラセ玉ヒ」、漁夫らに「御下賜品アリ」といふ次第である。その次第を「今謹テ石ニ勒シ之ヲ山上ニ建テ此地ノ栄ヲ永ク後ニ伝フト云フ」といふわけである。
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 石碑を建立し、この解説(書陰)を書いたのは安田財閥の祖、安田善次郎翁である。建立は「大正七年十月吉祥日」と碑の側面にある。正面の立派な碑文は、時の内大臣正二位大勲位侯爵松方正義の手になる。

 上の青空を背景に写した画像は一月十四日のものである。で、それこそここからが本題、この画像をご覧いただきたい。
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 これらは昨秋写したものである。我が家からは頂上まで歩いて十分ほどの格好の散歩コースなのだが、この数年、夏から秋に登るとご覧の通り荒れ放題。ほんの数年前まではこんなことは無かつた。町の歳入が減つてゐるのだらうか。一方では、この町は、車でなくては行けないやうな不便なところに町民のための運動公園を造つてみたりする、そこへ歩いて往復するだけでも半日かかる、その上運動などする必要もない。最近では全く不要な診療システムを新規に発足させたりと歳費の無駄遣ひはしても、町が誇るべき懐かしい歴史には目もくれない。これつてなんでせう。歴史を蔑ろにしたら、必ず歴史に逆襲される、予言しておきます。

 かういふ言ひ方はお分かり頂けようか――大磯町が私といふ一個人の歴史を破壊してゐるのだといふ……私の中にある記憶、常に整然と手入れの行き届いた裏山と記念碑の記憶、間違ひなく明治に繋がる私の記憶と人生を町が破壊して行く。それを私は許したくない……。

 以前は手入れが行きとどいてゐたため、薄その他の雑草がはびこることは皆無、いつ行つても美しい相模湾を眺め歴史に思ひを致し……絶好の散歩コースだつた、といふか私の遊び場、庭だつた。今は正月前後に一度雑草を刈り取るだけとなり、夏草が茂り出す季節からは山頂に近づづくにはかなりの覚悟が要る。

 で、昨十四日、散歩に出かけて小千畳に登つたところが次の写真のやうに見事に草を刈つてあつた。暮のうちに刈つてないので、遂にそのまま年を越し、もはや荒れるに任せるのかと思つたら、「一応は」手入れをする気だけはあるらしい。
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 だが、この写真をよく見て頂きたい。「一応は」といふ意味はお分かりだらう。
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 荒れ果ててゐること一目瞭然。造形は立派ではあるし、これを財閥とはいへ個人が建立すること自体、頭が下がる。90度ずらした下の台座は蔓延りだした薄が徐々にその敷石を押し広げ破壊し、年々崩れて行く。正面の階段の上の二本の柱にお気づきだらうか。昔、この柱から石組の上に正方形の石柵が廻らしてあつた。左の柱の陰になつてしまつたが、上の囲いの左端前の柱上部にあつた宝珠は壊れて崩落。階段上の周囲も上の囲いの中側も、薄は一応は刈り取られてなくなつてゐるが、数年間、根を取らずに蔓延らせたため、もはや手の施しやうがない。草の、殊に薄の根は強い、種子からの繁殖も含め、数年のうちに継ぎ目裂け目を狙つて出てくる薄のためにこの石組は土台から崩落し、中央の石碑だけが傾いた無残な姿を曝すのだらう。さうして、記憶といふ形の私の一部も崩壊させられる。

 この王城山の裏手に「釜口古墳」といふのがあり、これは一応町が管理して見学する人も散見される。が、この明治天皇の観漁記念碑を省みる人はもはや誰もゐないらしい。寂しい限りである。ちなみに、明治帝がお出ましになられた海辺にも観漁記念碑があるが、こちらはこの安田翁建立のものほど立派ではないが、人目に付くところでもあり、規模も小さいせゐか一応の手入れはされてゐる。

 最後に、この小千畳(王城山)の麓に今なほ安田邸が保存されてをり、年に一度開放されて見学できる、興味のある方はネットでお調べ頂いて、冒頭に長々と書いた町内の散策もなさるとよろしい。安田邸、昔は富士銀行の行員の寮として使はれてゐた。校倉造の蔵などもあり、往事私はほとりの池で蛙の卵を取つたりお玉杓子を捕まへたりしたものだ。今では、警備厳しく、お花見に門から入らうものなら管理人に咎められる。昔正門は開かれたままであり、内門との間の広場は私達の野球場でもあつたのだが。これまた寂しい限り……。
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# by dokudankoji | 2012-01-15 02:32 | 雑感 | Trackback | Comments(3)
2011年 12月 20日

お知らせまで

 ダイヤモンド社のオンライン記事のインタビュー。話したことの三分の一くらいですが、私なりの震災についてのコメントです。

 いつか、更に深く考へてみたい問題です。

 更新をなおざりにしてゐますが、秋の恆存生誕100年記念公演について等、書きたいことはいろいろあるのですが、落ち着いて核時間が取れず、新年を向かへさうです。間の抜けた時期に間の抜けた更新をするかもしれません、あしからず。
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# by dokudankoji | 2011-12-20 14:54 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2011年 11月 27日

ボレロ

 知人のブログで久しぶりにベジャールの振り付けの「ボレロ」を見た。来日公演で封印した「ボレロ」を踊つたシルヴィ・ギエムとジョルジュ・ドンの二人のダンサーのバージョンが見られる。

 直接リンクを張つておく。これがジョルジュ・ドンのもの。こちらがシルヴィ・ギエム。と、見ていたら、多分べジャールの振り付けで最初に踊つたマイヤ・プリセツカヤのものも見られる。

 プリセツカヤの踊りをsweetと呼ぶなら、ジョルジュ・ドンはやはりsexy、ギエムはstoicとさへ呼べる。どれも見ごたへがあるが、私はやはりジョルジュ・ドンが好きである。理屈ではなく感覚の問題なのだが、私は表現芸術において常に女性より男性に惹かれるやうだ。現実世界では勿論逆であるが。
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# by dokudankoji | 2011-11-27 23:41 | 雑感 | Trackback | Comments(2)